Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

狂乱のFriday Night

2007-09-29 13:10:17 | アメリカ生活雑感
しばらくご無沙汰していた「スシカル」に、引っ越しのご報告とご挨拶にでかけた。
翌日、我が家をオープンハウスとして次の入居テナントに見せるというので、その準備に追われてお店に行った時はもう10時過ぎだったけれど、まだ満員のお客さんで熱気むんむん状態。
ちょうどライブを終えたヒデオさん、そしてナオさん、ミチさん、セイヤさんもすでに席に落ち着いていて、まさにグッド・タイミング。
Pちゃんは「まだ片づけが終わってないから終わったら行く」と言っていたが、この人の「終わったら」を待っていたら一日かかるので一人で参上。

閉店後、いつものように店長のリョウジさんを囲んでまったり飲み会に突入。そして、いつものようにギターライブが始まった。
ナオさん&セイヤさんのブルース、なぜか流れでストーンズ、フォークと続き、その後沖縄三線隊が遅れて登場し、またもや店は沖縄民謡&けったいな阿波踊りの坩堝に・・・。
私にもギターが回ってきて、ほろ酔い気分で何曲かやった。

私のシカゴ行きを聞いたみんなから、口々に「行ってらっしゃい」「また帰ってくるんでしょ」などと声をかけてもらい、つくづく仲間のいる土地はいいなぁーと実感。
シカゴ郊外のご田舎で、こんなに毎週集まって日本のフォーク歌って阿波踊り踊り狂う仲間や場所があるとも思えない。そう考えると心の奥のほうがしくしくと痛んだ。

かれこれ20年、同じ場所でさまざまな人たちを迎え、そして見送ってきたこの店の存在は、誰も知る人のいなかった私の心の大きな支えだった。
いつも変わらず迎えてくれる人たちがいる限り、私はまた帰る場所をひとつ確保できたような気がする。
帰るところがあるから、人は冒険の旅ができるのかもしれないな。


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我が家のMoving Sale。

2007-09-28 16:53:16 | アメリカ生活雑感
8月末にjob面接を終了してからのPちゃんは、まるで受験を終えた高校生状態。
昼ごろまで家でメールチェックなどしてごろごろいることも多くなった。まぁ、今までの息も詰まるような緊張状態から解き放たれたのだからいた仕方ないとはじめのうちは温かく見守っていたけれど、それも長く続き始めると次第にうっとーしくなってきた。
(アンタがいつまでも家にいるとこっちの仕事がはかどらないのよね~)と思いつつ、さりげなく「今日はラボ行かへんの?」と聞いてみる。こう聞くと必ず「もちろん行く。だってやることいっぱいあるもん」と返ってくるのもパターン化してきた。

引っ越しが本決まりになってから、彼の心はもう旅支度。ふたりで陸路行くことに決めたので、そのレンタルトラックの予約に毎日必死だ。荷物と言ってももともとふたりともあまり物を持っていないほうだし、大きな家具は全部売り払っていくのでほとんどダンボールだけ。ワゴンで十分だ。

そういうわけで、最近の私の“仕事”はムービング・セール(引っ越し大売出し)の準備。
こちらではテナントの入れ替わりの時期になるとウェブサイトに「Moving Sale」という広告が並び始める。自分の売りたい家具を一覧にしてウェブに広告を出すのだ。
バークレーは大学関係者の短期滞在者の多い街。引っ越してきたときも誰かのお下がりを安く買って、出て行くときはさらに安く売っていくという“リサイクルシステム”が出来上がっている。
さっそく私もこんなかんじで広告を出した。
すると、その日のうちに10件近くのレスポンスがきてびっくり。早い人などはUPしてから1時間もたたないうちにメールしてきた。(仕事しろよ!アメリカ人)
ちょうど「今日まさに、デービス引っ越しするのでデスクセットを買いたい」というUCBの学生さんがいたので、さっそく車で取りにきてもらった。$70のお買い上げだ。
机がなくなってダンボールが積まれた部屋に座ると、ああいよいよ引っ越してしまうんだと急にさびしくなった。

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Muir Wood観光、そして悪夢の・・

2007-09-27 10:56:38 | アメリカ生活雑感
天気予報で日曜日は快晴とあったので、遠出してみることにした。
Pちゃんが前から行きたがっていたMuir Wood(ミュア・ウッズ)という国立公園。
私は数年前に当時のクラスメートたちと一緒にい行ったことがあったが、樹齢数百年のシダの森の中を歩いていると、まるでトトロの森にいるような感覚に襲われたものだ。

正午近く、家の近くのレンタカー屋でコンパクトカーを借り(一日30ドルちょっと)、約40分ほどで目的地近くに到着。そこからシャトルバスが出ているという看板を見つけ、今日は現地の駐車場が満杯という情報もあったのでシャトルバスを利用することにした。

私たちは観光客やガキの足を踏み入れそうにない往復3時間半のトレイルを選び、ゆっくりとハイキングを楽しんだ。途中お腹がすくのを見越してホットサンドイッチを作って持参していたので、頂上の、遠くベイエリアが見わたせるポイントに座ってミニ昼食休憩。
周りには誰~もいない。静かでのどかで空は真っ青で、天国のようだ。

残りの道を下り、またシャトルバスに乗って駐車場に戻り、今度は一路サンフランシスコを目指す。今から走れば、美しいサンセットを見ることができる、という計算だった・・・が、しかし!

ない!
カメラがない!!

確かに持っていたはずの愛用のカメラがどこにもないではないか。絶対にどこかにあるはずと確信して車の中を探してみたがやっぱりない。
そこからがもう大変。もうサンセットどころじゃない。
シャトルバスの乗り場に戻り、バスが来るたびにさっきのバスは今どこにいるのか、バスはどの事務所に戻るのかと聞き、最期にはバス事務所まで行ってみたが日曜日で誰もいない。
とにかく今日は何もできないと悟り、がっくりと家に戻るしかなかった。

というわけで、あんなに撮りまくった写真もUPできずじまい・・。ああ、高かったのに~、お気に入りの私のカシオ!
拾ったのが悪いヤツで「お、いいじゃん」と我が物にしてしまったのだろうか・・。ちくしょー、絶対にあきらめないからなっ!!
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Book Club Night

2007-09-23 12:55:35 | アメリカ生活雑感
2月に通っていたアダルトスクールのビジネス・コミュニケーションのクラスメートの有志数名で「ブック・クラブ」というのを結成している。
自分たちで決めた課題図書を読んで、みんなで集まって読書感想会(という名のパーティー)をやろうというのが目的。7月に一度、オーガナイザーであるアントネラ(イタリア)のうちに集まって彼女の手作りのピザを食べながら、そのときは映画鑑賞会をやったのだけれど、本の話はどこへやらやはりガールズトークにすっかり花が咲いてしまった。
これじゃぁいかん、と今回はきっちり夏休みの課題図書を決めた。決定した本は『Kite Runner』。(余談だけれどこの本はなぜか爆発的人気を誇っており、Cafeで一生懸命読んでいる学生を数人見かけた。残念ながらまだ翻訳版は出ていない様子。是非翻訳版を出してもらいたいものです。)

せっかく課題図書を決めたというのに、今度は夏休みのどさくさで旅行に出かけたりして終了している人が少なかったので、今回はまたしても別の目的のパーティーになってしまった。
題して「インターナショナル・フード・パーティー with husband」。
自分のお国の料理をなにか一品持ち寄り、ついでにダンナも連れてくるという企画。
アントネラのうちに集まったのはマリアとそのご主人ジョアン(ブラジル)、エイミィーとそのご主人(中国)、リンとそのご主人(中国)、私とPちゃん、アントネラ(イタリア)とご主人(アメリカ)の合計4夫婦、8人。みんなご主人がなんらかの仕事でバークレーに滞在している人たちばかりで共通の話題も多く、なんだかとっても楽しかった。それにみんなとてもおおらかで温かく、初顔合わせのダンナ連中もすっかり意気投合して家族のようにくつろいでいた。
Pちゃんも「みんなすごくいい人たちだねぇ。とてもいいパーティーだった」と何度も言っていた。初めての人と会うと気を遣うのかたいがいは疲れが出てしまう人なのに、今日はめずらしくいつまでもコーフンしていた。

この会に参加するのはこれで最後になるだろうけど、いろんな仲間がバークレーにいてくれると思うとほっとする。
また会う日まで、See you!


さっそくキッチンで支度が始まる。


今日はウケ狙いで巻きずしをすることに。初挑戦したマリアも大喜び。


こちらは本場のピザ作成中。


おなかいっぱいになったところで、飲みタイムに突入。


お楽しみ、アントネラの手作りティラミス登場。


う~ん、うまそう。

よそんちのキッチンって面白~い。
キャビネットにはトマトソースとパスタがぎ~っしり。さすがイタリアン!!


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カウントダウン・・・

2007-09-21 17:16:21 | アメリカ生活雑感
Pちゃんの次の職場が決まった。
先月末、面接&トーク(研究者は一般企業のような面接ではなく、自分の研究成果発表をするのが第一次面接がわり)をした2カ所から両方OKをいただいたそうで、どっちにするか散々迷っていたけれど、職場の人たちをよく知っていることと3年契約という条件からシカゴ郊外Fermi Labに決めたようだ。

いったんこうと決めたら目的に向かって驀進する性格のPちゃん、
「寒くなる前に行かなきゃ」「せっかくだからトラックで陸路3~4日くらいかけて国立公園めぐりしながら行こう」
と、もう頭の中は引っ越しでいっぱい。あんたにはもっと名残を惜しむ、とかいう感情がないのかねぇ。
事実、私のほうがバークレー暦が長いこともあって、友人知人関係の数は圧倒的に多い。少なくともちゃんとごあいさつして、できればDinnerでもご一緒してから去りたいものだがこればかりは私の都合ばかり言っていても仕方がない。

取り急ぎ、明日からぼちぼち気持ちの整理を始めることにしよう。
とにかくビザの心配、職場の心配がなくなったことだけでも感謝しなければ。

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“悪天皇”事件

2007-09-19 07:54:37 | アメリカ生活雑感
久々に笑ったニュース。

「秋田県は18日、天皇、皇后両陛下の訪問に関する知事名の案内状で、誤った表記のまま上司の決裁を受けずに送付したとして、人事課班長の男性職員(55)を訓告処分とした。また、管理監督責任を問い、人事課長を厳重注意とした。同課は「ワープロの入力ミスが原因で、職員は作業を急いでいたため、決裁を受けていなかった」としている。
 同課によると、男性職員は先月31日、今月下旬に秋田県入りされる両陛下が帰京される際に、見送る予定となっている秋田市議ら特別奉送者に対し、案内状181通を送付した。このうち21通について、「悪天候などの理由により」と表記すべき個所が誤って、「悪天皇…」と記されていた。」

これってここまで大きく扱うほどのニュースなんだろうか?当事者からすると最悪の間違いを犯してしまったわけで、そっとしておいてほしかったろうにと気の毒になってしまった。(それより総理不在をどうにかすべきだろーよ!日本ってつくづく平和だなぁ・・。)
このニュースを朝ごはんを食べながら笑い話でPちゃんに話して聞かせると、変なところに反応してきた。
「そんなことで処罰されるなんて(日本の懲罰制度は)おかしい」。
でもまあ訓告処分ですんでよかったんじゃない。一昔前なら死刑だわね。

いつの世も「誤植」は世間を楽しませてくれる。
いろいろ調べてみたら、聖書にも語り継がれる誤植がいろいろあった様子。(以下Wikipediaより)

・姦淫聖書
1631年に英国で印刷業者ロバート・バーカー(Robert Barker)によって印刷された欽定訳聖書は、のちに The Wicked Bible 、すなわち「姦淫聖書(邪悪聖書)」と呼ばれた。それは出エジプト記におけるモーセの「十戒」の第七条、"Thou shalt not commit adultery" (汝姦淫するなかれ)から否定のnotが抜け落ちたために、「汝姦淫すべし」となり、神が人々に姦淫を勧める聖書となってしまったからである。このためバーカーは高額の罰金を科されるも、支払えずに投獄されて獄死し、聖書は回収された。しかし密かに隠して取っておいた者が何人もいて、現在も世界に11部残されているそうである。聖書の誤植には必ず引き合いに出されるほど有名。

・馬鹿者聖書
1763年の欽定訳聖書では、詩編の"the fool hath said in his heart there is no God"(愚かな者は心のうちに神はないと言う)という一節を、"a God"(神はある)と誤植し、信仰のある者こそが悪である、という趣旨になってしまった。印刷者にはやはり高額の罰金が科され、問題の聖書は回収された。
1580年にドイツで刊行された聖書では、出版屋の妻がひそかに印刷所に忍び入り、創世記の"Und er soll dein Herr sein."(彼は爾の主たるべし)とあるところを、勝手に活字を組み替えて"Und er soll dein Narr sein."(「彼は爾の馬鹿者たるべし」)とした。妻は処刑されたらしい。この聖書は、ヴォルフェンビュッテルのアウグスト大公図書館に所蔵されている。

・酢の聖書
1717年刊行のクラレンドン・プレス版の聖書は、ルカ福音書第20章の表題を、"the Parable of the Vineyard"(葡萄畑の寓話)とすべきところを、"the Parable of the Vinegar"(酢の寓話)と誤植したため、「酢の聖書」と呼ばれている。

          

某ハウジング誌の制作担当をしていた頃、私の密かな楽しみは「誤植」を集めること。それを知った同僚が面白い誤植を見つけると私のところに持ってきてくれるようになり、ついに1冊のファイルにまでなった。
その中の最高傑作がこれ。
  
「リビングを吹き抜けるさわやかな夫」

なぜ夫・・・でも情景が目に浮かぶ・・宙を浮く夫
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“Escape From Alcatraz”(アルカトラズからの脱出)

2007-09-19 04:25:44 | movie

翌日、さっそくDVDを借りてきた。
以前に見たときよりも、よりリアルに感じた。
「虚飾を削ぎ落とした脱獄映画だ」というレビューどおり。
クリント・イーストウッドの男ぶりが渋い。
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The Rock ~アルカトラズへ!~

2007-09-18 07:06:07 | アメリカ生活雑感
「ベイエリアにいる間に行っておきたいところめぐり」が始まった。
今日はPちゃんの念願だった「アルカトラズ」へ。
ここは、凶悪犯を収容する刑務所として1963年まで使われており、あのアル・カポネも1934年から38年まで収容されていた。
クリント・イーストウッド主演映画『アルカトラズからの脱出』の題材にもなった世紀の大脱走(1962年)でも有名。

今日はおだやかに晴れ渡り絶好の観光日和。ピア33からのんびりフェリーに乗っていざ出発!


後ろに見えるがアルカトラズ。フェリーで30分足らずという距離なのに、ここからの脱走は不可能といわれた。


“ブロードウェイ”と呼ばれた刑務所内の通り。
両側にcell(独房)がぎっしりと並んでいる。



独房の中。わずか1.5m×2.5mほどの空間にベッドとトイレがあるだけ。


脱走はこうして行われた!
数年をかけてスプーンで排気口を掘り広げ、看守の目をごまかすために偽の頭を作った。
逃げた3人の脱走犯の行方はいまだに「不明」・・。


島から見えるサンフランシスコ市街は、まるで別世界のように美しかった(らしい)。


囚人たちの遊戯場。ここで野球やサッカーをしたという。
Pちゃん貸し切り。






夕日に照らしだされるゴールデンゲートブリッジ


大満足!


今日の仕上げはMission地区にあるドイツ料理の店“シュニッツェル”。
シュニッツェルとはドイツ料理の名前で、超薄いトンカツみたいなもの。
Pちゃんに言わせるとここのシュニッツェルは今迄で一番おいしかったらしい。


あちきはこれ。やっぱりドイツビールはうまいなぁ。
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女たちの夜遊び。

2007-09-13 08:39:33 | アメリカ生活雑感
最近は毎日予定が盛りだくさんで忙しい。
「今日できることを、今できることをやっておかなければ」といろいろ予定を入れていると1週間があっという間に過ぎていく。週があけたばかりだというのに今日が何曜日なのかもすでにわからない。

すっかり仲良しになったに晴子さんが今週帰国してしまうというので、しばしのお別れにと今日はふたりでDinner&夜遊びを計画した。
晴子さんはもうかれこれ10年も日本とバークレーを行ったり来たりしているのに、ふたりの孫の世話(相手)が忙しく、なかなか“俗世”のことを知らないとぼやいていた。そうなりゃ、不良主婦の私の出番。おもろいところならいろいろ知ってまっせ~!と今日はご案内係りに。

6時半にダウンタウン・バークレーで待ち合わせてまずお連れしたのが、“Sushi California(スシ・カリフォルニア)”。
この店は日本食が食べられるというだけではなく、何といってもここに集まる個性的(けったい)な人たちが魅力。今後、晴子さんがバークレーに来るときにもひとりでふらりと立ち寄れるレストランを知っていてもらいたかった。そして、いろんな人たちと人脈を広げることができれば今後の本のネタにもなるだろうし。

私たちはカウンターに座っていろんなネタの握りを注文し、怒涛のように、文字通り怒涛のようにおしゃべりした。その勢いに板前のMr.チョイも思わず笑い出す。
お店はひっきりなしにお客さんが入ってきて大繁盛。いつもの場所に席をとったヒデオさんのギターが静かに流れる。
リョウジさん(店長)らにあいさつをして、次に向かうは“Anna's Jazz Island”。
「アメリカでJAZZが見たいわぁ」と晴子さんが言っていたので、今日はあえてここを選んだ。特に今日(火曜日)はオープン・マイクの日。お客さんがサインアップをして自由に歌うことができるのだ。
さっきまで家事していました、というような主婦やシニアでふらりと歌いに来る夫婦など、いかにもアメリカらしいリラックスしたムードが大好き。この「シニアが楽しむ地元のJAZZ BAR」を最後に晴子さんにお見せしたかったというのが今日の目的。

8時半ごろ店に入ると、すでに1部が始まっていて“シンガー”がブルースを熱唱していた。なんと今日はピアノ、ベース、ドラムにギターというフルバンド体制。そのプロをバックに気持ちよさそうに歌うおばちゃん(失礼)たち。いつもながらのリラックスムードと選曲のバラエティーに晴子さんも大喜びのご様子。

「私と同世代の作家仲間が“シャンソンを歌う会”を作っていて時々発表会をするのよ。ものすご~い衣装作って。チケット買わされそうになるんだけど、いつもご遠慮してるの。だってつまんないんだもん(笑)。だいたいなんでシャンソンだけ、なのかしらねぇ。もっとジャズとかブルースとかいろいろやればいいのに」
要は、シャンソン=パリの薫り=ハイソサイァティー、という気取りなのかも。

店を出る前に、記念に晴子さんに1曲プレゼント(というか自分の練習)。
選んだ曲は“Just In Time”。ちょうどいいときにあなたに出会って人生ばら色!というこの曲はラブソングでもあり、フレンドシップソングにも聞こえ今日の気分にぴったり。ご機嫌なピアニスト、昔一緒にやったことのあるベースのRay、そしてファンキーなソロを聞かせてくれたギターと一緒で久々に歌っていて楽しかった

10時半を回った頃、すっかりハイになった私たちは店を後にし、今日のところはこのへんにしといたることにした。

は~楽しかった!


追記:
家に帰ったら「あとから参加するからね~」と言っていたPちゃんが、ひとりでうれしそうに私の準備しておいた晩御飯を食べてくつろいでいた。
「え?歌ったの?え~~~~~行けばよかった!!」って、オマエ、遅いわ!!
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World Peace と Awaodori(阿波踊り)

2007-09-12 07:11:05 | アメリカ生活雑感
あくる日曜日(9月9日)。

今日は久々に“阿波踊り講習会”の日。
ある太鼓グループを主宰している日本人のタカシさんから突然お電話をいただいたのが2ヶ月前。
「今度仲間と阿波踊りを練習することになったので、是非踊りを教えてもらえませんか」
なんでも、私が“プロ”だという推薦を友人から受けたとか。いやぁ、どこで何を見られているかわからん。アメリカまで来て阿波踊りですか・・。

11月にシアターで発表会をするので、阿波踊り未体験の踊り子たちに基本を教えて欲しいと言われ、ただの徳島県人というだけの私なんかでいいのかと躊躇しつつも、よくよく考えればここは“ええかげん本家本元の国”アメリカ、そんなに真剣に悩むようなことではないかと考え直して軽い気持ちで出かけた。

集まった踊り子さんたちは全員女性で、アメリカ人、日本人(日系人)が半々くらい。年齢もバラバラ。みんなもちろん阿波踊り初体験。

まず大きな鏡の前に2列になってもらい、足捌きから練習をはじめる。
「いいですか~。2拍子ですよ、2拍子。それもウラでとってください。いち、いちですよ~!!」
それを飽きるまで続けたあと、今度はそれをふまえて前進する練習。みんな上手!しかも表情は真剣そのもの!

そして次は手をつける。
「絶対ひじを耳から下に下ろしちゃぁ駄目ですよ~。手のひらを前に見せない。あくまでもセクシーに!」
おお、みんな様になっている。しかも楽しそう。
そう、阿波踊りで一番大切なのは「楽しそうなこと」。その気持ちが見ている側に伝わって「見る阿呆」を「踊る阿呆」にしてしまうのが阿波踊り。



そのあとはお囃子をつけてもらって、フォーメーションの練習に入る。
このフォーメーションは、ダンスをやっているアメリカ人の女性が一生懸命阿波踊りのビデオ(観光客用に舞台で演奏しているもの)を見て考えてくれたらしい。なんだか中学の創作ダンスみたいでかわいい。
舞台用にヘンにフォーメーションされた阿波踊りは地元の人から見ればこっけいでしかないけれど、これはあくまでアメリカ流。いろんな形があってもいい。

かくして1時間後にはこんなに立派な、それらしい阿波踊りになったのでした。




やっぱり踊りはいいなぁ。何より見ていると平和な気持ちになる。
人種も国境もなく楽しげに踊る人々。中にひとり中東系の女性がいたのだが、彼女の阿波踊りはちょっとベリーダンス風でセクシー。でもそれでも立派な個性的な阿波踊りだ。

練習終了後、アメリカ人の女性が私のところにやってきて真剣にメモを取り始めた。
「阿波踊りの起源って何なの?あと、あなたが言ったその“トクシマ”ってどこにあるの?今度絶対行ってこの目でじかに阿波踊りを見てみたいわ!」
こんなこともあろうかと、インターネットで阿波踊り歴史をちょこっと予習していた私は彼女にミニレクチャー。(※天正15年(1587)に徳島藩主蜂須賀家政公が徳島築城記念の宴を催した際に踊ったのが始まりと言われているが、その元となる踊りはすでに室町時代にあったとも言われています。)

家に帰って今日の映像を見たPちゃんは一言。
「カルチャー・エクスチェンジ(文化交流)こそ世界平和の第一歩。君はバークレーで国際平和運動をやっているんだねぇ」。


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