先週の日曜日(1月11日)、シカゴ商工会議所の毎年恒例の新年会がありその取材に行ってきた。
ここに呼ばれるのは3年ぶりだった。
今回は何が楽しみって、日本からのゲスト加藤登紀子さんのステージを生で見られること。
大昔、大阪で一度加藤さんのステージを見たことがあったがそれ以来だ。
今年で芸能生活50周年を迎える加藤さん。
今年いっぱいは、50周年記念のコンサートやツアーなどがぎっしり詰まっているご様子だが、その最初のステージがここシカゴということにとてもご縁を感じてしまう。
シカゴはここしばらくマイナス20℃という極寒の日々が続いていて吹雪く日もあったので、果たして無事にいらっしゃれるだろうかと心配していたけれど、ご本人のブログを読んでみると何のトラブルもなく無事に到着されたうえ、凍てついたミシガン湖やシカゴ川などを見て回ったり、夜はブルースを聴きに出かけたりと精力的に行動されていた様子。
さすがに“プロの旅人”。限られた時間のなかでもちゃんとその土地を体で感じることを惜しまない人なのだ。
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さて、新年会当日は寒さも安らいで-2度くらい。これが暖かく感じるのだからもう私の体もどうかしている。
商工会の会員やその家族約800名の方たちがホテルのボウル・ルームに集まり、豪華ランチをいただきつつ様々なプログラムを楽しんだ。
そしていよいよ加藤さんのコンサート。
深紅のドレスに身を包み、ステージ袖から颯爽と登場するや「百万本のバラ」を歌いながら広い会場を歩いてテーブルのお客さんにニッコリ。
続いて『島唄』(THE BOOM)、『時には昔の話を』と続く。
ステージに戻り、これまでの50年を振り返ってデビュー当時の頃の秘話を語ってくれた。
彼女がまだ東大の学生だった20歳の頃、父親が内緒でシャンソンコンクールに申し込んだ。
「人生はおもろうないとあかん」という父の言葉に妙に納得し、優勝特典のヨーロッパ旅行につられて出演し、エデット・ピアフを歌ったところ落選。
審査員に「あなた、お家に帰って自分の顔を見てごらんなさい。赤ん坊の顔をしているわよ」と言われた。ピアフを歌えるほど熟していない、と理解した加藤さんは、それから1年間一生懸命歌を歌い込み、翌年“年齢に合った”選曲で優勝、念願のヨーロッパ旅行を手にする。
1965年、21歳で歌手デビュー。
旅先のヨーロッパで、人々が街角でギターを弾き語りするのを見て憧れ、帰国後はギターの猛練習。
自らのギターで歌うスタイルをものにした。
その頃を懐かしむように、『ひとり寝の子守唄』『知床旅情』を情感たっぷりにギターで弾き語り。会場の人々も一緒に口ずさんだ。
69年、世の中をあっと驚かせた、学生運動のリーダー藤本敏夫氏との獄中結婚。
初めてのデートでのキスばな(話)や、彼が歌ってくれた『知床旅情』にショックを受けたとなどを懐かしそうに語る加藤さん。
ここまで一筋に愛せる人と出会い、添い遂げた加藤さんは、女性として何と幸せな人なのだろうと私は心底うらやましく愛おしく思った。
この人は「出逢いを持っている」ひとなのだ。
出逢いを引き寄せ、出逢った人を巻き込んで時代を作り出してしまう、産まれながらそういう運命にある人なのだと、お話を聞きながらしみじみ感じた。
『難破船』、『わが人生に悔いなし』・・といずれも他の歌い手のためにささげた2曲が続く。
『わが人生に悔いなし』― 石原裕次郎さんのために作曲したこの曲は、この日一番リクエストの多かった曲だそうだ。
なかにし礼さんが晩年の裕次郎さんと二人きりで話をして書き上げた詞に、加藤さんが曲を贈ったという。
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長かろうと短かろうと、わが人生に悔いはない。
夢だろう現実(うつつ)だろうと、わが人生に悔いはない。♪
このあたりからカメラが涙で濡れてもうあかん、状態になりいったん席に撤収。
このあと、スクリーンで高倉健さんや森繁久彌さんとの懐かしい映像が流れ、その秘話に場内は笑ったり泣いたり。
このおふたりは、奇しくも同じ11月10日に亡くなっているという偶然がまた、何かを示唆しているようだ。
コンサート後半には、東日本大震災の映像とともに「今どこにいますか」を熱唱。
震災の記憶を風化させないようにと毎年続けている東北ツアーのお話を交え、復興のシンボル、鯉のぼりが舞う町の風景を歌った『青いこいのぼりと白いカーネーション』、『愛を耕すものたちよ』と続くころには、加藤さんの歌声も涙でふるえているのがわかった。
思わず胸がいっぱいになる。
最後は、会場がひとつになって一緒に『ふるさと』を歌う。
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決して満足できる音響ではなかったけれど、加藤さんの深く慈愛に満ちた歌声は魂の奥にまでず~んと入り込んできた。
新年から本物の歌声を聴き、今年また一年精いっぱいやろうという力が沸き起こってきた気がする。
コンサート後は、別室でシカゴのメディア3社による囲み取材。
いろいろうかがってみたいことがあったけれど、それを話していたら一晩はかかるだろう。
それよりも、加藤さんとはできればこんな「取材」という形ではなく一緒に飲みたい、飲んだら楽しいだろうなぁ、と心から思った。
「ほろ酔いコンサート」が有名な加藤さん、相当いける口らしい。。。
インタビューのなかで、一番ぐっときた言葉。
―(歌手生活50年をふりかえって)今まで多くの人との巡り合いについて・・・
「人に出会うこと自体すごく劇的なことで、運命。出会った人のほうが先に私の人生を作ることをわかって出会っていたような、そんな不思議な気がします。私も人に出会うときには全身でぶつかるんだっていう風に思って出会う。まるで川の水が岩にぶつかるようにね」
インタビューが終わって、ほかのメディアが部屋を出てしまったあとも会話は止まらず、最後の最後まで歩きながら私に全身で話しかけてくださった加藤さん。
2015年の初めに素敵な人に出会った私はこの年を全身で生き切ろうと思った。