Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

加藤登紀子さん スペシャルインタビュー記事

2015-01-27 23:17:12 | アメリカ生活雑感


先日のインタビュー記事が、サイトにUPされました。

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加藤登紀子さん スペシャルインタビュー


原稿をチェック頂いた加藤さんご本人から「完璧です」とのお言葉をいただき、感激の至り。


加藤登紀子さんとのひととき。

2015-01-17 12:16:49 | アメリカ生活雑感
先週の日曜日(1月11日)、シカゴ商工会議所の毎年恒例の新年会がありその取材に行ってきた。
ここに呼ばれるのは3年ぶりだった。
今回は何が楽しみって、日本からのゲスト加藤登紀子さんのステージを生で見られること。
大昔、大阪で一度加藤さんのステージを見たことがあったがそれ以来だ。


今年で芸能生活50周年を迎える加藤さん。
今年いっぱいは、50周年記念のコンサートやツアーなどがぎっしり詰まっているご様子だが、その最初のステージがここシカゴということにとてもご縁を感じてしまう。

シカゴはここしばらくマイナス20℃という極寒の日々が続いていて吹雪く日もあったので、果たして無事にいらっしゃれるだろうかと心配していたけれど、ご本人のブログを読んでみると何のトラブルもなく無事に到着されたうえ、凍てついたミシガン湖やシカゴ川などを見て回ったり、夜はブルースを聴きに出かけたりと精力的に行動されていた様子。
さすがに“プロの旅人”。限られた時間のなかでもちゃんとその土地を体で感じることを惜しまない人なのだ。




さて、新年会当日は寒さも安らいで-2度くらい。これが暖かく感じるのだからもう私の体もどうかしている。
商工会の会員やその家族約800名の方たちがホテルのボウル・ルームに集まり、豪華ランチをいただきつつ様々なプログラムを楽しんだ。

そしていよいよ加藤さんのコンサート。
深紅のドレスに身を包み、ステージ袖から颯爽と登場するや「百万本のバラ」を歌いながら広い会場を歩いてテーブルのお客さんにニッコリ。
続いて『島唄』(THE BOOM)、『時には昔の話を』と続く。




ステージに戻り、これまでの50年を振り返ってデビュー当時の頃の秘話を語ってくれた。
彼女がまだ東大の学生だった20歳の頃、父親が内緒でシャンソンコンクールに申し込んだ。
「人生はおもろうないとあかん」という父の言葉に妙に納得し、優勝特典のヨーロッパ旅行につられて出演し、エデット・ピアフを歌ったところ落選。
審査員に「あなた、お家に帰って自分の顔を見てごらんなさい。赤ん坊の顔をしているわよ」と言われた。ピアフを歌えるほど熟していない、と理解した加藤さんは、それから1年間一生懸命歌を歌い込み、翌年“年齢に合った”選曲で優勝、念願のヨーロッパ旅行を手にする。
1965年、21歳で歌手デビュー。

旅先のヨーロッパで、人々が街角でギターを弾き語りするのを見て憧れ、帰国後はギターの猛練習。
自らのギターで歌うスタイルをものにした。
その頃を懐かしむように、『ひとり寝の子守唄』『知床旅情』を情感たっぷりにギターで弾き語り。会場の人々も一緒に口ずさんだ。



69年、世の中をあっと驚かせた、学生運動のリーダー藤本敏夫氏との獄中結婚。
初めてのデートでのキスばな(話)や、彼が歌ってくれた『知床旅情』にショックを受けたとなどを懐かしそうに語る加藤さん。
ここまで一筋に愛せる人と出会い、添い遂げた加藤さんは、女性として何と幸せな人なのだろうと私は心底うらやましく愛おしく思った。
この人は「出逢いを持っている」ひとなのだ。
出逢いを引き寄せ、出逢った人を巻き込んで時代を作り出してしまう、産まれながらそういう運命にある人なのだと、お話を聞きながらしみじみ感じた。



『難破船』、『わが人生に悔いなし』・・といずれも他の歌い手のためにささげた2曲が続く。
『わが人生に悔いなし』― 石原裕次郎さんのために作曲したこの曲は、この日一番リクエストの多かった曲だそうだ。
なかにし礼さんが晩年の裕次郎さんと二人きりで話をして書き上げた詞に、加藤さんが曲を贈ったという。



長かろうと短かろうと、わが人生に悔いはない。
夢だろう現実(うつつ)だろうと、わが人生に悔いはない。♪



このあたりからカメラが涙で濡れてもうあかん、状態になりいったん席に撤収。


このあと、スクリーンで高倉健さんや森繁久彌さんとの懐かしい映像が流れ、その秘話に場内は笑ったり泣いたり。
このおふたりは、奇しくも同じ11月10日に亡くなっているという偶然がまた、何かを示唆しているようだ。


コンサート後半には、東日本大震災の映像とともに「今どこにいますか」を熱唱。
震災の記憶を風化させないようにと毎年続けている東北ツアーのお話を交え、復興のシンボル、鯉のぼりが舞う町の風景を歌った『青いこいのぼりと白いカーネーション』、『愛を耕すものたちよ』と続くころには、加藤さんの歌声も涙でふるえているのがわかった。
思わず胸がいっぱいになる。




 

最後は、会場がひとつになって一緒に『ふるさと』を歌う。







決して満足できる音響ではなかったけれど、加藤さんの深く慈愛に満ちた歌声は魂の奥にまでず~んと入り込んできた。
新年から本物の歌声を聴き、今年また一年精いっぱいやろうという力が沸き起こってきた気がする。

コンサート後は、別室でシカゴのメディア3社による囲み取材。
いろいろうかがってみたいことがあったけれど、それを話していたら一晩はかかるだろう。
それよりも、加藤さんとはできればこんな「取材」という形ではなく一緒に飲みたい、飲んだら楽しいだろうなぁ、と心から思った。
「ほろ酔いコンサート」が有名な加藤さん、相当いける口らしい。。。


インタビューのなかで、一番ぐっときた言葉。

―(歌手生活50年をふりかえって)今まで多くの人との巡り合いについて・・・

「人に出会うこと自体すごく劇的なことで、運命。出会った人のほうが先に私の人生を作ることをわかって出会っていたような、そんな不思議な気がします。私も人に出会うときには全身でぶつかるんだっていう風に思って出会う。まるで川の水が岩にぶつかるようにね」

インタビューが終わって、ほかのメディアが部屋を出てしまったあとも会話は止まらず、最後の最後まで歩きながら私に全身で話しかけてくださった加藤さん。
2015年の初めに素敵な人に出会った私はこの年を全身で生き切ろうと思った。



シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)とサザン・オールスターズ。

2015-01-09 16:55:42 | アメリカ生活雑感
1月7日。フランスの週刊新聞「シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)」の事務所が襲撃され、同紙編集長と編集関係者や風刺画家、警官2日の計12人が死亡した事件が、全世界に大きなショックを与えている。
「表現の自由」こそがフランスの文化であり財産であると自負してきたフランス人にとって、この事件はまさに「フランスの9.11」ともいわれるほどの衝撃的なテロ事件と受け止められている。
フランスはもとより全米でもこのテロ行為に対する大がかりなデモが行われ、「私はチャーリー!(Je suis CHARLIE !)」と書かれたカードを手に集まった群衆は百万人以上にものぼった。

「シャルリー・エブド」はこれまでにもイスラム教の預言者、ムハンマドを風刺した風刺画をたびたび掲載し、事務所を丸焼けにされるなどテロの標的になってきたにもかかわらず、一切ひるむことなく、いやむしろやられればやられるほど以前にも増して挑発的に掲載をつづけてきたという歴史がある。

この一連のニュースを読みながら、「保守的日本人の私」と「リベラルな私」が全く正反対に反応しているのを強く感じ、驚いた。
そういえば、数年前にもデンマークの風刺新聞がイスラム教を揶揄してアラブ諸国で暴動が起こったことがあるな、と以前の日記を紐解いてみたら・・・・なんと私は「保守的な日本人」として一方的に怒っていた。

“解り合うこと。”(2006年2月11日)

「いかなる理由があっても暴力的な手段による報復は許しがたいが、だからといって知識人ぶった顔で「言論の自由でしょ」という編集者の態度も、それ以上に許しがたいものがある。」
と。
2006年2月。約9年前の私は、他国の文化を揶揄し、あざ笑うかのように挑発するほうが悪い、と怒っていた。

今の私はというと、「風刺はカルチャー。その表現の自由はいかなる圧力にも負けてはならない」に傾いている。
宗教を持たない私にとって「ジーザス」も「ムハンマド」もどうでもいいっちゃいいのだが、しかし当人(信じる人たち)からすれば「神」を辱められる行為は屈辱的で許しがたいものだろう。それは理解して余りある。
しかし、「シャルリー・エブド」はイスラムだけを風刺してきたわけではない。
キリストも、法王も、全て風刺の対象になってきた。もちろんそのたびに“配下の人たち”からは厳しい批判を受けてきたわけだが、その編集方針は創刊当時から一貫して"all components of left wing pluralism, and even abstainers"(様々な左派の見解、さらには政治的無関心な人の見解を反映すること)であり、ぶれは一切なかった。
だから、「謝ってその場を逃れる」という卑怯な行動も決してしなかった。
どんな批判にさらされようと、どんな脅迫に合おうと、自分たちの編集方針をみじんもかえることはなかった。

話はそれるが、この事件に関連してフランス在住のジャーナリストが書いた興味深いブログを読んだ。
この事件をただの「風刺画でイスラム教を馬鹿にした出版社がその報復に合った事件」と受け止めてはいけない、その背景にあるフランスという国、国民の“生命線”を正しく知る必要がある、という内容だった。
その国に住まなければ見えてこない本当の「裏の裏のカルチャー」は必ず存在する。今回の場合、フランスが移民に対して行ってきた政策などにも深く入り込んで考えなければ一概にこの事件(違う宗教や文化を信仰し続ける移民との不和・衝突)は語れないという意見に激しく同意した。
私自身、他国生活が長くなったことも大いに影響している。


そんなフランス国家の、国民の「戦う姿勢」を目の当たりにしている同じときに、日本からはまったく逆のニュースが流れてきた。
サザン・オールスターズの年越しライブでいろいろな「不遜な」行為があった事に対し抗議運動が起こり、最後にはサザンの事務所および桑田氏が謝罪コメントを寄せるという結末になったという。(1月15日)

日本ではシャルリー襲撃事件にからんだ“表現の自由”の抗議デモは起こっていたのだろうか?と想いを馳せている、まさに時を同じくしてのこのニュース。
正直もう、ガックリきてしまった。
日本もここまで堕ちたのか。

桑田佳祐という人、人となりを、日本国民は長い間見てきて知っているはずである。
社会風刺やときにはシャープなユーモアを織り交ぜたパフォーマンスをする人であることも。
それを、その“芸風”が批判の対象になるとは。事務所前で抗議運動?誰に謝れというのか?
初めから謝るようなことならしなければいい、そんなことをするような人ではない。なのに、ことを丸く収めるために事務所はさっさと謝ってしまった。

いったいなんなのさ?こっちのほうが国民をばかにしてやしないか?

結びの一文。

「すべてのお客様にご満足いただき、楽しんでいただけるエンタテインメントを目指して、今後もメンバー、スタッフ一同、たゆまぬ努力をして参る所存です。」

なんだ?この屁のような文句は?恥を知れ!


全国民をしてどんな圧力にも立ち上がる強さを見せつけたフランスと、ステージパフォーマンスにまでつまらないケチをつけて抗議行動にパワーを浪費している日本人の差を、まざまざと見せつけられた気がする。

私は口惜しい。情けない。
日本よ、どこへ行くのだ?





●以下、お詫びの全文

サザンオールスターズ年越ライブ2014に関するお詫び


いつもサザンオールスターズを応援いただき、誠にありがとうございます。

この度、2014年12月に横浜アリーナにて行われた、サザンオールスターズ年越ライブ2014「ひつじだよ!全員集合!」の一部内容について、お詫びとご説明を申し上げます。

このライブに関しましては、メンバー、スタッフ一同一丸となって、お客様に満足していただける最高のエンタテインメントを作り上げるべく、全力を尽くしてまいりました。そして、その中に、世の中に起きている様々な問題を憂慮し、平和を願う純粋な気持ちを込めました。また昨年秋、桑田佳祐が、紫綬褒章を賜るという栄誉に浴することができましたことから、ファンの方々に多数お集まりいただけるライブの場をお借りして、紫綬褒章をお披露目させていただき、いつも応援して下さっている皆様への感謝の気持ちをお伝えする場面も作らせていただきました。その際、感謝の表現方法に充分な配慮が足りず、ジョークを織り込み、紫綬褒章の取り扱いにも不備があった為、不快な思いをされた方もいらっしゃいました。深く反省すると共に、ここに謹んでお詫び申し上げます。

また、紅白歌合戦に出演させて頂いた折のつけ髭は、お客様に楽しんで頂ければという意図であり、他意は全くございません。

また、一昨年のライブで演出の為に使用されたデモなどのニュース映像の内容は、緊張が高まる世界の現状を憂い、平和を希望する意図で使用したものです。

以上、ライブの内容に関しまして、特定の団体や思想等に賛同、反対、あるいは貶めるなどといった意図は全くございません。

毎回、最高のライブを作るよう全力を尽くしておりますが、時として内容や運営に不備もあるかと思います。すべてのお客様にご満足いただき、楽しんでいただけるエンタテインメントを目指して、今後もメンバー、スタッフ一同、たゆまぬ努力をして参る所存です。

今後ともサザンオールスターズを何卒よろしくお願い申し上げます。

株式会社アミューズ

桑田佳祐(サザンオールスターズ)

寒波到来

2015-01-08 00:57:35 | アメリカ生活雑感



12月の暖かさがウソのように、先週末から一気に気温は下がりつづけ今日は「冷却警報」で学校も休み。

マイナス17度。
体感気温マイナス40℃


・・・って、なんぼなんでも無茶だっせ。
さすがのGOROも外に出ると固まった・・・。歩きながらひきつっていた。
こちとら、お散歩させるのも命がけ。
この異常低温、あと2日は続くらしい。

Welcome, Chicago!

幸いにも年末に買い出しした食料が山ほど冷蔵庫にあるため、当分は外に出なくても食べていける。
今日は水炊き&雑炊、そしてグリューワイン(ホットワイン)であたたまった。


2015年お正月の食卓

2015-01-02 19:12:06 | アメリカ生活雑感

2015年、あけましておめでとうございます。


去年の夏、カルロス・ジョンソンからもらった帽子をかぶったスノーマン


ついに雪の降らない、積もらない年末年始でした。
それでも気温は-8℃。一番の冷え込みになった大みそか。
珍しく「紅白」なんぞを見ながらゆるゆるとすごし、NYの新年の瞬間を祝ったらそれで終わった気になり、
気が付いたらシカゴの新年が過ぎていた・・・という大マヌケをかましてしまった。

そして、元旦はいつもながらのなんちゃってお節。
お金がないので高いものは買わず、ありものですませた。







壱の重は、
お正月ミートローフ、紅白なます、えびのエスニック焼き、数の子



弐の重は、
ミニ伊達巻、かまぼこ(白のみ)、モッツァレラチーズ&ミニトマトで紅白、鶏の煮物


お煮しめ


お酒は青森の銘酒、「田酒(でんしゅ)」冷やで。


年越しそばを食べ損ねたので、新年早々さぬきうどん。


2014年「紅白」雑感

2015-01-02 00:41:17 | アメリカ生活雑感
アメリカでも大みそかの夜は「紅白歌合戦」を録画で見ることができる。
今年はだらだらと最後の食事をしながら4時間べったりとチャンネルをまわしつつも観戦。

去年もそうだったけれど、
やっぱり美輪明宏(「愛の讃歌」)が圧巻。
出だしだけで涙が出た。
あの人が出る限り白組は勝ち続けるといっても過言ではなかろう。

白が勝つ理由は、メッセージを伝えられる歌い手が多いこと。
女性陣は見た目にこだわりすぎて、肝心の歌がおいてけぼり。

ほかには、長渕剛、サザン、中島みゆき。
いやぁ、よかったねえ。こういうのを「歌」というのだよ、ちゃら系の数だけ多い女子グループたちよ。
もう文句なしによかった。

のようだったのは、松田聖子と司会の吉高。
松田聖子、始終おたおたして苦しそうに終わってしまった感。
初出場の「青いサンゴ礁」が数倍よかった(笑)
吉高、立ち姿も話し方もふ~らふら。