Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

出会い。

2007-08-21 15:56:20 | アメリカ生活雑感
素敵な出会いをした日だった。

先日来いろいろと取材にご協力いただき、友人を紹介してもらっている郁子さんから「友人にSHOKOさんのことを話したら是非お会いしたいと言ってるので、我が家でお茶でもいかがですか?」とお誘いをいただいた。何でもそのご友人(智子さん)のお母さまがプロのライターで、今ちょうど日本からバークレーに来ているのでライター同士いろいろお話してみたいということだった。

エルセリートの閑静な住宅街にある郁子さんのお宅を訪ねると、すでに奥のガーデンには郁子さんと8ヶ月の虹子(ニコ)ちゃん、智子さんとお母さまの晴子さん、智子さんの長女のジェニファーちゃん(5つ)が勢ぞろい。
智子さんのお顔を見てまず息をのんだ。「お、ブラック・・」と言いそうになったほど、ブラックにうりふたつじゃないか!(注)“ブラック”とは私のアダルトスクール時代の旧友のことで、名前が同じSHOKOなので私がブラウン、彼女がブラックと呼ばれていた。(髪の毛の色から)
髪型こそちがうが、年の頃も、声もしゃべり方も、どことなくのほほんとした明るい性格も何もかも一緒で「これは間違いなく世界に5人いるそっくりさんに違いない」と確信したのだった。(ではまず、ご覧ください。)


左から、智子さん、郁子さん、晴子さん

かなり驚いて先に一本取られてひるんでいた私に智子さんは「こんにちは~!はじめまして」とこれまたブラックに初めて会ったときのように明るく透き通るような声で声をかけてくれた。そばでは娘のジェニファーちゃんがおもちゃに夢中になって遊んでいる。
「おいくつですか?」
「5歳です。もうひとり上にエリックっていう7歳になるお兄ちゃんがいます。ふたりとも自閉症なんです」

あまりに唐突に、しかもあまりに明るく紹介されたので一瞬リアクションに困りそうになった。
「そうなんですか。全然そうは見えないですけど」
「そう、そこがこの子たちの悲劇なのよ!」と、となりから晴子さん。智子さんと同じくらいパワフルで溌剌とした印象のお母さまだ。
「見た目はフツーの子と何も変わらないでしょ?ちょっとシャイなのかなっていう感じで。だからautism(自閉症)は日本では障害という認識が薄くて、何かというとすぐに“親の教育が・・”とこうくるのよ。とにかくびっくりするくらい遅れてるんだから」
「上の子のときは全然気づかなかったの。お乳を飲むとき目を合わせないと注意、なんて言うでしょ?でもそんなもんなのかなぁと思ってて。でもそれからもまったく人と目を合わせなくて、冷蔵庫をじ~っと見つめてるのをみておかしいと気づいたの。下の子のときは注意してたから赤ちゃんのときに意変に気づいたけど」と智子さん。

二人のお子さんがともにautismという事実に、かなりのカウンターパンチを受けたのは言うまでもない。
こういう場合普通、日本だと「あら・・おかわいそうに」とか「それは大変ですね」とか言葉をかけるのか、それともただ黙って「がんばってね・・」と目で語るのだろうが、ここまで明るくオープンな親子を前にしてはそんなネガティブコメントすら思いつかない。むしろ、これをきっかけに私たちの最初の話題は“autismの子を育てること”になり、自閉症を含めた障害を持つ子供たちに対するスペシャルエデュケーションが日本ではいかに遅れているか、この子たちがここ(バークレー)で受けている教育がいかにオープンで、教師陣もプロフェッショナルであるかなど、貴重な生の体験談をいろいろうかがうことができた。

しかし、いくら学校教育に恵まれていたとはいえ家での日常生活は聞けば聞くほど壮絶そのもの。とにかくじっとしていないので家の中はいつも散らかり放題、わざわざ隠してあったシャンプーを床に全部撒き散らされたこともあるという。また、裸足で家を飛び出して隣町で保護されたときには親がabuse(虐待)の疑いをかけらたとか。「毎日、何かで叫んでいる」(智子さん)状態が続くという。

自分の世界に浸っているジェニファーちゃんを愛おしそうに見ながら、晴子さんは言う。
「この子たちはエイリアンね(笑)。第一言語がエイリアン語、第2言語が英語、その次が日本語なの」
晴子さんは二人の孫の成長を書き綴ったエッセイ『星の国から孫二人 バークレーで育つ「自閉症」児』を2005年に岩波書店から出版されている。また、この原作を映画化する計画も目下進行中で、晴子さんはまさにその映画の脚本のたたきを仕上げてこちらにやってきたのだという。
「こうして日本とバークレーを2カ月おきに行ったり来たりしているの。いい老後でしょう?(笑)」



その後、いろいろと晴子さんの“武勇伝”をお聞きするうち、晴子さんは数々のヒット作を送り出している売れっ子ノンフィクション作家であり、かのNHK朝の連続テレビ小説『天うらら』の原作者であることも判明。
この『天うらら』、何しろ10年以上前なのでうろ覚えだったのだが、たしかヒロインが大工になって、年老いて体の不自由なおばぁちゃんのためにバリアフリーの家を建てる、というストーリーだった。
原作は『寝たきり婆あ猛語録』『寝たきり婆あたちあがる』(講談社)。当時寝たきりになっていた実母の看護録をまとめたものだ。

「もうね、実の娘だと思ってわがまま言いたい放題こき使われ放題で、ひどいったらありゃしないのよ。だからこの経験を全部本にしたの」と豪快に笑う晴子さん。

朝ドラということで、主人公は若い女の子にして彼女が「大工になる」という物語設定にし、当時まだめずらしかったバリアフリーという概念を表に引き出すことにした。
「当時、“バリアフリー”っていう言葉もまだ世の中に出始めた頃でしたもんね」
「そう、だってあなた、NHKのディレクターも知らなかったんだから」

何が面白いって、この晴子さんという方、人生そのものが長編ドラマみたいなのだ。彼女を一躍有名にしたのが『老親を棄てられますか』(主婦の友社・講談社文庫)という本。これも晴子さんの体験をまとめたノンフィクション。
奈良・斑鳩の里で夫(長男)の嫁として、舅と娘と4人で暮らし始めて7年。右のものを左にも動かさない“お殿様舅”の世話を任せきりにして仕事で不在がちな夫についにキレ、妻は娘を連れて家を出る。「私は女中に生まれてきたのではありません。これからは自分の人生を生きさせていただきます」。このとき、48歳。東京での3人暮らしを支えるためにライターとして働き始めた母(晴子さん)、それを支えようと高校卒業後就職した娘(智子さん)。と、ここにある日突然、あの“殿様舅”が転がり込んでくる・・。彼にしてみれば、息子の嫁が自分にとっての最後の人だったのだ。それ以降、奇妙な3人での生活が始まる。そしてあの“殿様”は、80歳にして人生初めて家事一切を覚え、母子にかわって家を切り盛りしていく。いつしかそれが彼の生きがいになっていた・・・。というストーリー。

これは当時大ヒットをとばし(私もうっすら覚えている)、2000年10月に『老親』というタイトルで映画化もされた。
「役者陣がすごいのよ、あなた。舅の役が小林桂樹よ!私の母なんて、草笛光子なんだから!」
「どへぇ~!それはすごい役者そろえましたねぇ。それで晴子さんの役は誰だったんですか?」
「ウフフ。万田久子」
「(うわっ、何でもありやな)・・・・」
「この子(智子さん:当時18歳)の役なんて、岡本綾よ。限られた予算で本当によくできたと思うわ」
それだけ役者さんが脚本にほれ込んだという証だろう。この映画はもちろん大ヒットを飛ばし、岩波ホールで大ヒット御礼延長連続上映をされてホールの赤字を一挙に解消したというオマケつき。

そんなこんなで話はつきず、私たちは2時間途切れることなくしゃべり続けた。1年分の日本語をしゃべり切った気がする。智子さんはバークレー市内に住んでいるというので、これからちょくちょく遊びによらせてもらう約束。晴子さんともこれから長くいいお付き合いをさせていただこうと思う。

おふたりが帰ったあと、今度は郁子さんとお茶をしながらやっと自分たちの現在に至るいきさつなどを語り合う。そういえば、いつもは誰かを取材していたのでこうやってちゃんと自己紹介する機会がなかった。お互いに四国出身(郁子さんは松山)、お互いのガイジンダンナとのなれそめ、郁子さんが専門にお仕事をしていた小学校でのスペシャルエデュケーションのお話などなど、これも話し出したら止まらない。
気がついたらもう7時。5時間も居座ってしまった

新たな出会いからまたいろんなことを学んで、かなりうれしい一日だった。



郁子さんとニコちゃん。こんなかわいい赤ちゃん見たことないっていうくらいめちゃくちゃかわいい!


郁子さんのお手製の“おはぎ”が美味しかった。


ご主人のザックさんも帰宅。家の前で3人で記念撮影。
長い時間、本当にありがとうございました。
Comments (9)
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