Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

私は見た!目撃シリーズ

2006-06-30 03:31:59 | 旅行
6月20日
SOHOのとあるロシアンカフェで、大勢の撮影クルーを発見。
大掛かりなロケバスと大勢のパパラッチ集団に「何の撮影?」と近づいてみると・・



フラッシュと共に現れたのが、ジュード・ロウ
なんか、ふつうのお兄ちゃんすぎて多分道ですれ違ってもわからない。
個人的にはこの人のこと、あんまり知らなかった。
「A.I」のとか「ゴールド・マウンティン」の、とか言ってくれないと。


日本と違って現場の雰囲気はmoreリラックス。
「はいはい、そこ、どきなさい」とも言われないのでこんな近くで座ってみてた。
私のいでたちも、いかにもメイクさんみたいだったからかも(苦笑)


ハリウッド大好き、映画大好き、ミーハーPちゃんはもちろんその場を離れず。一箇所にじっとしていられない私はいらいら。んもう
何の映画かというと、聞いたところでは「マイ・ブルーベリー・ナイツ」という次回作。
そこにいた人たちが口伝えにして教えていくので、最後のほうは「ストロベリーなんとか」になっていたりして。


メトロポリタン博物館前の5th Ave.でモデル撮影中。
くそ暑いのに秋冬物。ご苦労さんです。顔ちっせ~。


Hard Rock Cafeに展示されていた、プリンスの“王子様”ブラウス。
映画「パープルレイン」で本当に着ていたもの。ありがたやありがたや。


火事2件。グリニッジ・ビレッジ午前0時前と、真昼間のハーレム。
ハーレムのほうは、結構煙も出ていて消防隊が中に突入してものものしかった。
バカみたいにサイレン鳴らして、とにかく“ありったけ”の消防車が来る。
日本では警察が交通整理するところだが、野次馬は野放し。本気度ゼロ。


ブルックリン・ブリッジでみかけた、“ハートフル”な歩行者サイン

<おまけ>

アメリカでは滅多にお目にかかれない柴犬をついに発見。
超かわいい~。わんわん。
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すごいぜ!メトロポロタン博物館

2006-06-29 15:25:38 | 旅行
毎日のスロースタートが響いて、今回の楽しみのひとつだった博物館めぐりにすっかり出遅れてしまった。明日こそ早起きして、ちゃんと博物館行こう!が毎日の合言葉になっていたのに、やはり3時4時就寝グセは抜けず、そして博物館は日を追うごとに遠ざかるばかり。
今度こそ意を決して、いよいよ「メトロポリタン博物館」にいざ出発!

【ミニ情報】
入場料はあくまで“目安”として大人15ドル、学生7ドルとなっている。なぜ学生かと言うと、Pちゃんは学生扱いしてもらえるのだ。学生証を持ってくるのを忘れたにもかかわらず「学生」と言えばいいだけ。なんだ、私も学生にしとくんだった。だたしこの料金はあくまで目安でありドネーション(寄付)なので、たとえ1ドルでも係りはNOとはいえないしくみ。
私たちはこの日時間切れとなり結局翌日も行ったのだけれど、事情を話すと「1ドルでもかまいせん。あくまで寄付ですから」と言われ、ほんまに1ドルずつ払って入った。
月曜日は閉館。金・土曜は午後9時半まで、あとの曜日は午後5時半まで。
ただし、午後5時をすぎると羊追いの犬のように係員がお客を追い出しにかかり、ゆっくり見ている暇などありません。
期間限定の特別展示などもあるので、事前チェックを!!→www.metmuseum.0rg

さて、このメトロポリタン博物館、とにかく規模がでかすぎて自分がどこにいるのかさっぱりわからない。見取り図を見ながら歩いても迷子になるくらいだ。展示物も古代エジプトからギリシア・ローマ美術、中国美術に日本美術、中世~近代美術、写真はもとより世界の楽器や武器甲冑類まで。絶対に一日じゃ回りきれない。
まず最初に1階の「エジプト美術」に足を踏み入れてみた。
紀元前5000年から紀元後400年まで、36,000点にも及ぶコレクションが年代順に展示されている。紀元前5000年!!もう想像すらできない時の流れだ。それがひとつも色あせることなく、現代人の前に堂々と鎮座ましましているのだ。ただただ、頭をたれて畏敬の念。
昔、カイロ博物館に行ったときも同じような感覚に打ちのめされたことを思い出した。Pちゃんもカイロ~ルクソール経験者であり、この時代にはロマンを感じるという。
「紀元前5000年だよ、5000年(声でかい)!!この信じられないくらいの時の流れって考えただけですごいと思わない??」と大興奮でつらつらと解説を始める。そうか、この人、普段は宇宙の年齢を日夜考えているんだっけ。要する“時に対するロマン”という共通点なのね。
あのー、そんなに時間とってたらここだけで終わっちゃうんですけど、と内心焦る私。日本人はせっかちで夢がなくてだめだわ。

やはり時間切れとなり、翌日再びでかけた私たちは「係員による解説ツアー」という約1時間コース(無料)に参加してみた。いかにも今日が初めてという感じの、アジア人の小柄な若い女学生さんが説明役で、主な見所を時代背景をふまえて解説してくれ、とてもありがたかった。やはり、少しでも知識を頭に入れて見て回るのとそうでないのとは全く違う。
しかし、ここでハプニング発生。ツアー中盤で「次は○○のコーナーに行きましょうね」と言って歩き始めた彼女を、不思議なことにこのツアーに参加していた全員が見失ってしまったのだ。後をつけていたはずの私たちはいきなり消えた彼女にただおろおろ。一緒に回っていたご婦人も「あれ、どこにいっちゃったのかしら?」と手分けをして説明員を探し始める。
数分間探し続けたものの結局見つからず、“ツアー解散”。でもきっと彼女、この広い博物館のどこかで「誰もついてきてくれなかった・・。きっと私の説明が下手だからだわ・・」と落ち込んでいるんだろう。かわいそうに。

【教訓】係員は見失うな!中はタダでも広い!


ああ、2日間通ってもまだまだ足りない。心残り。また行きたい。


行ってきま~す


1階エントランスもスペーシャス


古代王朝時代のペルネブの墓の内部。いまだにこの色鮮やかさ!


Pちゃんが「女性の顔が生きているみたいでセクシー」とみとれた夫婦の像。
後ろに回ってみると、女性の腕が男性の肩にちゃんと回っていてとてもチャーミングだった。


意外と似ているこのふたり。
ルノワールさんとPちゃん。


大好きなモネの「睡蓮シリーズ」
やはり間近で見ると素晴らしい。色がねー迫ってくる感じ。


ペルー・インカ特別展もやっていた。
このほかにも「Traditional British Fashion」(イギリスのコスチューム)展(*撮影禁止)もやっていてラッキーだった。
期間限定でいろんな特別展示もあるので要チェック!
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約20年ぶり!の再会

2006-06-29 05:44:09 | 旅行
意外なことに、アメリカに住んでいる大学の後輩は結構多い。
ウワサにはきいていたけれど、特に連絡を取り合うこともなく十数年が過ぎ去った今年の初旬、ひょんなことからNY在住の後輩から連絡をもらった。

彼女は大学剣道部の2年後輩で、建築学部卒。大学卒業後、建築コンサルタント会社に就職した後アメリカに語学留学、そのまま日系の会社でアルバイトを続けるうちに同じアパートに住んでいたご主人(ポーランド人)と知り合い結婚、今に至るそうだ。
今回のNY旅行を前に彼女に連絡をとり、「時間が合えば是非会いましょう」と約束をしていたのだった。

2歳になる息子のユウジン君と待ち合わせのスタバに現れた彼女は、大学時代そのまま。変わったことといえば、“母になった余裕”が加わっていたこと。
他の多くの後輩たちと違って、彼女は大学に入ってから初めて剣道を始めたという頑張り屋、しかも“体育会”に入部するという根性の持ち主。4年間の努力の結果めきめきと腕をあげ、癖のないまっすぐな剣道をする人だった。その根性を今もしっかり持ち続けている。異国で働き、結婚し、子どもを産み育てるという経験を経た“大和おんな”の貫禄を感じ、とても心強くうれしかった。
1時間以上怒涛のように話したのはやはり、剣道部時代の懐かしいバカ話や剣道部の人たちの消息、そして今に至るまでのお互いの身の上話。
あ~楽しかった。残念ながら、この日はフリーマーケットで趣味の自転車売りをしているというご主人には会えなかったけれど、これは次回の楽しみにとっておこう。

会えてうれしかったよ!!これを機にこれからもよろしくね。

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復活の月曜日。

2006-06-29 05:21:21 | 旅行
熱は下がったとはいえ、まだ気だるい体。
今日もそういうわけで、計画性のないスロースタートの一日にすることにした。遅い朝食をとり、サッカーを見ながら部屋を一歩も出ずにだらだら。これがきいて、完全に復活。

さて、こ映画好きのPちゃんがどうしても行きたかった場所のひとつが、"Carlyle Hotel"(76th Maddison Ave.)のカフェ・バー。あのウッディ・アレンが毎週月曜日クラリネットを吹いているという。
夕方、勇んで出かけてみると「今日はお休み。来週なら来る予定」というのでガッガリ。せっかくそれなりにちゃんとした格好してきたのに。
行き場を失ったふたりは、事前に友人からもらっていた「NYオススメレストランリスト」にのっとって、East Villageのイタメシ屋に直行。そしてまた、グリニッジヴィレッジに“Jazz Bar偵察ツアー”に向かったのであった。
(※ 食べ物特集はこのあとまとめてUP予定)


グリニッジ・ヴィッレジの路上でみつけた、タイルメッセージ
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ダウン。

2006-06-28 11:33:41 | 旅行
Pちゃんと違って、乾燥して肌寒いベイエリアに嫌気がさしていた私としては、この蒸し蒸しした感触はむしろなつかしく大歓迎。「ああ!これぞ夏!」という感じでいたのだが、弱点はどこに行ってもバカみたいにきいているエアコン。地下鉄に乗ってもバスに乗っても、建物に入っても震えるほど寒い。これを繰り返すうちにすっかり体が衰弱してしまい、最初の週末、ついにそれが最高潮に達した。
土曜日の晩、どうも気だるいので大事をとって早めに帰宅。せっかくの週末だからひとりで遊んできていいよ、とPちゃんに言うと自分も疲れてるから今日はおとなしくするという。
日曜日、ちょっと盛り返したので調子に乗ってフェリーにのったり市中をうろうろしていると、またもや体がくらくらしてきた。夕方ごろからはまるで雲の上を歩いている状態に。こりゃまずい、熱出てきた。
早めに帰宅して熱を測ると、なんと39.2℃!!あっらぁ~~。Pちゃんはただおろおろ、必死になってタオルで頭を冷やしてくれる。
もしやのことを考えて持ってきた風邪薬と解熱剤を飲み、枕元に着替えを置き、毛布に包まって完全体制をしく。大汗かいて一晩で直すのだ!!

翌朝、目覚めるとのどの痛みは残ったものの熱は36.4℃に戻っていた。恐るべし、復活力!夕べ近所のベトナムレストランで食べた“OXテール・ヌードル”が効いたらしい。

ああ、でも前半飛ばしすぎてせっかくの週末ナイトを棒に振っちゃったよー。日曜日は近所のJazz Bar「クレオパトラズ・ニードル」Jam Sessionに参加するつもりだったのにこれも逃してしまった。とても歌いに行ける状態じゃなかったから致し方ないか・・・。グスン。

【教訓】1.NYの冷房には気をつけよう!!
    2.どんなに暑くても寝るときは長袖長パン!

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例の話

2006-06-28 11:22:50 | 旅行
さてさて。
話は元に戻ってNHK連ドラの続きです。

確かにこのアパート、静かで便利で過ごしやすくて申し分なしだった(←過去形)。
話をわかりやすくするために間取りを説明するとこんなかんじ。



ドアをあけてすぐ正面のキッチンから左右に振り分けられて、右側に私たちの部屋(ゲストルーム)がある。左側のアニーの部屋は見たことがないのでどうなっているかは謎。
ゲストは玄関を入ってすぐに右側の部屋に行くので、基本的にはプライバシーは守られる感じ。しかもバスルームもゲストルームの隣なので、夜中にシャワーを浴びても彼女(アニー)の迷惑にはならないしくみ。これを踏まえて。


事件その① 到着直後の拷問
私たちがアパートに到着したのは、午後8時前。お昼から何も食べていない私たちはもう腹ペコで、すぐにでも近所のレストランに駆け込みたい心境だった。出迎えてくれたアニーはアパートの間取りや注意事項などをいろいろ話してくれたまではよかったが、そんな私たちのことはお構いなしに次から次へとしゃべりまくる。次第にイラつく私。
最もいらついたのは、自分は若い頃アメリカに招かれてフランスからわたってきた芸術家である、という終わりのない自慢話(なのにこんなせこい商売するか?)と、それだけならかわいいもんだが、こともあろうにPちゃんがドイツ人であるとわかったとたんに「ドイツはフランスを滅茶苦茶にした」といつの時代だか解らん話を語り始めたことだった。しまいには「今までドイツの人はゲストにしたことがなかったのよ」とのうのうとおっしゃる。これにはぶったまげた。
40分にも及ぶ“拷問”からやっと解放されて部屋に戻った私たちは空腹とフラストレーションでぐったり。それにしてもPちゃんはよくバクハツせずにだまって聞いていたよなぁ、あんたそれでいいの?と聞くと、意外とさばさばした感じで「古い世代の人にありがちなこと。特にアメリカに長年住んでいると、ヨーロッパの動きはよっぽど毎日感覚を研ぎ澄ましていないとわかりえないから時代が止まってるんだろう」のとこと。
でも、初対面でしかもお客さんをいきなり“敵”扱いするのもすごいよなぁ。日本じゃ考えられない。Pちゃんの我慢強い態度が功を奏してかアニーは私たちのことが気に入ったようで、最後には「時代も変わってきているのかしら。ドイツ人に関するイメージが少し変わったわ」だとさ。
おフランスさんよ、そんなにあんたは偉いんかい!!

事件その② 誰かが私を狙っている、事件。
滞在二日目の深夜1時ごろ。
こそ~っと帰宅した私たちの目の前にアニーが立っていた。手にはドライバーを持っている。開口一番
「出かけるときは鍵に異常はなかった?私が外出から帰ったら、ドアノブが床に落ちていて鍵の周りのネジも数本外れて床に落ちていたの!」
私たちはきょと~ん。「何も異常なかったよ」というと、「誰かが留守中に部屋に入り込もうとしたんだわ」と明らかにロレツの回っていない口調でまくしたてた。話から推測するに、どうやら彼女はアパートのオーナー(彼女は賃貸だった!)との間に何かしらのトラブルがあるらしい。この建物が新しいオーナーに売り渡され、その会社がアパートを新しいコンドミニアムか何かに建て替えようとしているらしい。
「外で誰かに何か聞かれなかった?」「何か聞かれても絶対会話してはダメよ!」「誰が尋ねてきても絶対にドアを開けちゃダメ」と、何度も何度もしつこく言い含める。かなりの被害妄想。
2時をすぎても3時をまわっても、取り憑かれたように鍵を直し続けているアニーの様は、ちょっとしたオカルト映画のようだった。
「ドライバー握り締めてた彼女の顔マジこわかったね~~~。夜中に部屋に入ってきたらどうする~~?」といつもの“貞子ポーズ”(注:ときどきこうやって怖がらせて遊んでいます)でPちゃんを脅かすと、Pちゃんは本気で怖がり椅子でバリケードをつくり始めた。これには超笑えた。

事件その③ スモーキン事件
ある朝、事件は起きた。
部屋の扉を開けてバスルームに行こうとした瞬間に廊下にただよう漂うタバコのにおい。
(ゲッ。なんだこれは!Pちゃんが起きてきたら大変なことになるぞ!!!)
私にでもはっきりとわかるほど臭い。扉を閉めた瞬間いろんなことが頭の中を駆け巡る。そういえば私もPちゃんも、自分たちはノンスモーカーだとは伝えたが、アニー自身がスモーカーであるかどうかは聞いていなかった。当たり前のようにノンスモーカーだと思っていたのだ。大失敗だ。
ああ、どうしよう。あってはならないことが起きてしまった。せっかく何も問題なく過ごしていたのに。今までのフラストレーションがバクハツして血を見るかも知れないぞ。
Pちゃんが起きてきた。くんくんいっている(なにせ犬なみの臭覚)。
「気づいた?」とひとこと。「はひ、きづきました」
このあとはもう、自分が最大の確認事項を怠ったことを呪い、アニーに手紙をしたため始めた。「朝起きたらタバコの臭いがしたが、これはどこから来たものか知っていますか?アパートの隣人はスモーカーか?私たちはタバコにとても敏感なのです・・・云々かんぬん・・・(おめー、もっと直接的に書けばいいじゃん!タバコ吸うなって。)」
外出から戻ってみると、その手紙にコメントが入っていた。
「さぁ、何のことだかさっぱり。NYはこのとおり空気環境もよくないし窓から外の空気も入ってくるものよ。隣人がスモーカーかどうかなんて、私の知ったこっちゃないわ」というような、バッサリ、一刀両断の内容。
この反応にふん、と鼻で笑ったPちゃん、反撃に出るのかと思ったらどうやらやめたらしい。これほどはっきりと「吸ってない」と言われたからだろう。私なら「ウソつくなコノヤロウ」と言うところだが・・怒りの割には結構引きがいいのね。



事件その④ ANI、反撃
スモーキン事件以降、私たちの彼女を見る目が変わったのは言うまでもない。
それからというもの、どんな一瞬でも自分たちの部屋の扉は開けっ放しにしないように細心の注意をはらうようにした。朝食もキッチンではなく、部屋に持ち込んでとるようになった。
この事件の翌日、日中の蒸し暑さで汗まみれになった私たちはいったん着替えて食事に行こうと10時過ぎに帰宅。するとANIがそこに立っていた。
「11時以降キッチンを使うのはやめてくれるかしら?それでなくても睡眠障害なのにその音で眠れなくて困ってるの」「あの、使ったことないですけど・・」と言いかけてもその言葉をさえぎるように「だいたい朝も遅い食事は困るわねぇ・・ブツブツ」
確かに夜中にビールを取りにキッチンに行くことはあるけれど、抜き足差し足で物音ひとつ立てないように注意してきた私たちにとって彼女の言い分は寝耳に水。
「あなた(Pちゃんのこと)、夕べキッチンから逃げたでしょう?」これにはさしものPちゃんもカッチ~ンときた。何を言われても我慢するけど、いわれのない容疑をかけられた上に卑怯者扱いされるのは我慢ならん。
「逃げてなんかいませんよ。冷蔵庫からビールをとって部屋に急いだだけです」
「(聞いてない)まぁ、いいわ。過去のことは」(なんだよ、ソレ!)
こんなに気を遣ってんのになんて言い草だ。だいたい自分の睡眠障害を人のせいにするなよ、このアル中!しかも11時以降うんぬんなんて、一言も聞いてないっちゅうねん。
結局、汗だくのまま蒸し暑いキッチンで1時間も立ち話をさせられて、またもや空腹とフラストレーションで予定は狂うわでぐったり疲れてしまった。
いっそのこと毎晩酔っ払って「お~い、今帰ったぞ~開けろぉおおお~!!!」って叫びながら帰っちゃおうか、とジョークにする私たちであった。

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元気だった頃・・・前半ハイライト。

2006-06-28 08:57:11 | 旅行
シカゴでの疲れとちょっとした時差(1時間)もあってか、NYでは極めてスロースタート。
NYの気候は6月とは思えないほどの蒸し暑さで、まるで日本の真夏並み。湿気に弱いPちゃんはもうぐったりで外に出る気分も萎えているご様子。エアーコンディションと、日がな一日ワールドカップ放映中のテレビの誘惑に負けて、ふたりともちょっとしたhome bodyになってしまった。
しかも、普段はちょっとした物音でも起きてしまうPちゃんが、何故かこの部屋では爆睡状態に陥り死んだようによく眠る。「ここ数年で一番よく眠れる」と本人もビックリ。“休暇”という意味ではこれが本来の正しい過ごし方なのかも、と体調に任せて動くことにした。
そんなこんなで遅起きしたあとは、朝ごはんを食べたりしながらだらだらと午前中を過ごし、昼過ぎからあちこち探検に出かけ、涼しくなる夕方からは勢いがつきネオン街をさまよい連夜の夜遊び、就寝は3時4時・・・という悪循環。まったくねー、いくつになっても。

水曜日に到着してからはじめの5日間はとにかくよく歩きまわった。
グラウンド・ゼロ、ウォール街、タイムズスクエァ、セントラルパーク、SOHO、チャイナタウンにリトルイタリア、夜はグリニッジビレッジ。オンシーズンとあってか、どこにいっても多くの観光客でにぎわっていた。

それでは、前半のハイライト(デイタイム)をどーぞ!


1766年に建てられ、今もなお利用されているマンハッタン最古の公共建造物「セント・ポールズ礼拝堂」。
植民地時代から生き残った唯一の教会でもある。
9・11で破壊されたワールドトレードセンターの真横に立つこの教会は、ビルの復旧作業に携わる人々に休息と避難の場を提供した。
全米から集まったボランティアは現場で働く多くの人々の食事を提供し、相談に乗り、祈りをささげ、12時間交代で休みなく働き続けたという。
現在はホームレスの人々のための施設提供などを行っている。


教会の内部は、今なお全世界から届けられたメッセージや、
犠牲者の家族の手紙などで埋め尽くされている。


ぽっかりと穴の開いたグラウンド・ゼロ。
この場には今後ビルは建てられず、そのままメモリアルとなる。
その横には2011年の竣工を目指した「フリーダム・タワー」が建築される予定。
何がフリーダムなのか・・・絶対にテナント埋まらないだろう。



ウォール街のどまんなかに異様にそびえる、トリニティ教会。
“one of the oldest and wealthiest churches in Manhattan”。
1892年までは、マンハッタンで一番高い建造物だったこと、アメリカで最初にゴシック復興様式のステンドグラスを採用したことでも有名。


タイムズスクエアーはうるさくてごみごみして観光客の歩きタバコや排気ガスで空気最悪。キライ。まるで新宿にいるみたい。


セントラルパークを走る(ふり)Pちゃん。


ベルリンの下町を思い出させる、SOHO(South of Houstonの略)の町並み。
Houston st.とCanal st.に囲まれたこの小さな区域には、博物館やショップ、Barなどが集中している。
SOHOは、1800年代中頃までは高級ホテルやダンスホールの立ち並ぶ人気の土地だった。
1870年頃から商業施設がUPタウンに移ったため、それに変わって1900年中頃にかけて多くの工場や倉庫がひしめきあうエリアに変貌する。
1960年頃までにはそれらも姿を消し、今度は安い家賃やスタジオやアトリエに最適の高い天井の建物にひかれて多くのアーチストたちが次々と移り住み、SOHOは再び活況を取り戻すことになった。
このあたりはcast-iron(鋳鉄製)の建造物を見て歩くだけでも楽しい。


Canal st.を超えるとそこはチャイナタウン。
ほんまに中国人の世界侵略度と繁殖度はすざまじい。しかも恐ろしいくらい中国度数100%。


チャイナタウンに隣接して申し訳なさそうにあるリトル・イタリア。
サンフランシスコでもそうだけど、チャイナタウンとイタリアンタウンはどうして隣り合わせなんだろう?そして、チャイナタウンに侵略されつつあるのもまるで同じ。
この日はもちろん、ワールドカップ一色。


重厚な趣のカーネギーホール。
ちょうど6/13から第23回JVC JAZZ FESTIVALが始まったばかり。
カーネギーホールをはじめ市内のBarやライブハウス12箇所で、JAZZライブが繰り広げられる。
ちなみにこの日(6/17)の出演は、Criss Botti&Lizz Wright


MOMA近くの路上アート


連日の30度超え。ぜ~ぜ~


バッテリー・パークにて、彫刻になりきる。
よく見たら後ろでは自由の女神が観光客にポーズをつけていた(爆)


Staten島行きのフェリー(無料)に乗って、夕暮れのマンハッタンを見る。往路(左)と復路(右)。*撮影:Pちゃん


遠くに見えるは自由の女神。何が自由なのか・・・



ふぁ~、疲れたぜ。
地下鉄の駅で。午前3時ごろ。

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舞台はNYに

2006-06-27 08:56:12 | 旅行
シカゴでの長~い滞在を終えて、私たちはついでに約10日間のホリデーをNYですごすことにした。とはいっても、私はずっと休暇みたいなものでこれはあくまでもPちゃんのお話。
個人的にはシカゴを堪能しすぎて、3回目のNYに対する情熱はちょっと薄れていた。Pちゃんは始めてのNY。大はしゃぎで飛行機から写真を撮りまくる。


眼下にはグラウンド・ゼロが見える。


航空写真を合体。セントラルパークとその右(南)にはマンハッタンの高層ビルが。
今回の滞在先はこの印のあたり(93rd. West)

今回の一番のネタはなんといっても滞在先。
ホテルでもない、コンドでもない。私が"craigslist.com"で見つけた「Vacation rental」というシステムを利用したもの。早い話が「我が家の空き部屋を観光客に貸して小遣い稼ぎをしよう」という、家持ちたちのせこい魂胆。
2ヶ月ほど前、NY行きを計画し始めた私たちは、そのホテルの高さに閉口した。マンハッタンではどんなしょぼいホテルでも、最低でも150ドルはする。しかも騒音に悩まされるのは目に見えている。どうせ帰って寝るだけのスペースに贅沢はいってられない。
そこでものは試しとサイトをのぞいてみたら、せこい考えの人たちがいるわいるわ。小遣い稼ぎからプロまで、「我が家を貸します」コーナーの広告は毎日大賑わい。
その中から、
「とても静かでチャーミングなアパート。タオルやリネン類も提供します」という今回の“また貸し物件”にめぼしをつけた。一泊80ドルの1割引き(1室)。場所もUpper Westと、とても移動しやすく博物館やセントラルパークも近い。さっそく何度かメールでやりとりしたあとデポジットを送っておいたのだった。
とはいえ、こういうのははじめての経験。行ってみて「そんなん聞いてません」とか「そんな部屋は存在しなかった」なんてことのないように、事前にかなり用心深く調べ上げておいた。
Pちゃんの調べによると、どうやら貸主は年配の女性。名前はアニー。直接電話もしてしゃべった感じでは悪い人ではないらしい。
さて、どうなることやらと空港からバスと地下鉄を乗り継いでたどりついてみたら・・
さっそくアニーがお出迎え。どうやら一人暮らしの様子。
でもって、部屋はこんな感じ。



なるほど、とても静かで清潔。大きなクローゼットも箪笥もあって長期滞在にはうれしい。バスルームは共用とはいえ、彼女はジムに通うのでシャワーは使わないという。キッチンも自由に使っていいので、朝はここでゆっくり食べてから出かけられる。近くに大きなスーパーもあるし、これはなかなかいい選択だったようだ!

ちなみにこれが、翌日の朝食風景。


しかし、好事魔多し!!コレが人生の教訓。
このアニー、ちょっとした曲者だったのだ。

(つづく)
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シカゴ、電車の旅。

2006-06-27 08:29:12 | 旅行
シカゴに来てからずっとやってみたかったことを、最後の日に決行することにした。
Fermilabのある町、WEST CHICAGO駅からCHICAGOまでの約1時間の電車の旅。


これがWEST CHICAGO駅。左右シンメトリーのデザインも配色も、とてもキュート。


中はこんな感じ。当然、無人。


天窓からこぼれおちる自然光のみ


お、電車がやってきた。これに乗ってシカゴに向かう。


電車の中はこんな感じ。


切符は座席の前にこうやって留めておく


終着、シカゴに到着。銀鉄みたい。


ついでにUNION STATIONにも行ってみた。まさに威風堂々、歴史を感じさせる佇まい。


中も荘厳。まるでカセドラル。


ご存知、「アンタッチャブル」階段落ちシーンの現場。


百年もの間、旅行客に踏みしめられてへこんだ階段もそのまんま。


列車を待つ人でにぎわう、構内のBAR




家路に急ぐ人たちがたたずむのどかな田舎の駅をいくつも通過して・・・


そして午後7時半、再び夕日に染まるWEST CHCAGO駅に戻ってきた。


“地球防衛軍”も今日が見納め。(Fermilab)

さて。あしたからNY。
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シカゴで食べたもの。

2006-06-27 03:38:42 | 旅行
お待たせしやした!
とはいっても、シカゴでの食生活はほとんど自炊。キッチンつきのコンドミニアムに滞在していたので近所の大型スーパーでこまめに食料を仕入れては残さないようにせっせと料理して平らげておりました。
意外と困ったのが“お鍋でのご飯の炊き方”。炊飯器を使わずにご飯を炊いたことなどガキの頃以来経験していないので何度も失敗。ついに3回目にして程よく蒸れたご飯を炊くことが出来た。炊飯器さま、いつもありがとう。
というわけで、残念ながらこれぞという外食経験はなし。ただひとつ特筆できるのはシカゴのチャイナタウンにある「PHOENIX」という中華料理店。シカゴの口コミサイトで絶賛されていたので、ものはためしと行ってみたがこれが文句なくうまかった!!私たちが行ったのはディナータイムだったけれど、ランチ時には飲茶が人気らしい。是非もう一度いきたい。シカゴに行く方、オススメです。



北京ダック(半身)となすの炒め物。これと白ご飯でもう、おなかパンパン。しかもお値段お手ごろ。


で、お待たせのシカゴピザ。
行ってみたのはブラック情報による“Giordanos”
ウワサどおりの極厚ピザ。周りを見てみると、皆“土手”部分は残して食べていた。コレが正しい食べ方のようだ。
味のほうは、チーズくどくて最後のほうはもうそのチージィーさに飽きちゃった。ちょっと小腹が空いたときに、さくっと1ピース食べて腹持ちさせるにはもってこいなんだけどね。
これを教訓に、ブルースフェスのときには“CONNIE'S PIZZA”を1ピースだけ立ち食い。気分の問題もあるけれど、こっちのほうがおいしかった気がする。


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