さよちゃんの母さんが亡くなってちょうど7週。今日は四十九日の法要だった。
家族だけでとり行うということだったので、無事にあちらの世界に行かれたであろうことに安堵しつつ、私は家で静かに手を合わせていた。
亡くなったのは本当に急なことで彼女もすぐには事態が呑み込めていなかったうえ、これからは快適に介護生活を送れるようにと建て替え中の新居ももうすぐ完成するところだったので、彼女の心に開いた穴はとてつもなく大きかった。
母さんのために一日のスケジュールを組んでいた人だったので、亡くなった後はいきなりすべてが自分の時間になってしまって、すべてを吹っ切るように彼女はとにかく走りだした。
もともと全国のマラソンを転戦するようなランナーだった彼女。いったんそうと決めたらストイックにやり通す彼女の体はみるみると引き締まっていき、「すでに8キロも落とした」といって笑っていた。
どんなつらいことも、嫌なことも、すべてひとり胸の奥にしまって前に進んでいく彼女の姿にいったいどれほど勇気づけられただろう。
時をほぼ同じくして、高校卒業以来離れていた実家に戻るという同じ経験をした私たちには、言い尽くせないほどの共通項があり”シンパシー”があった。
介護やら田舎生活やらコロナやらのストレスで、ガス抜きをしたくなったらどちらからともなく誘い合い、人生を語り合いながら一緒に飲んだ。
何しろ徒歩100メートルの距離に住んでいるのだから、こんな便利なことはない。
そして今日も、一連の法要が終わり一区切りついたさよちゃんが、夕方遅くお供え物のおすそ分けを持って我が家にやってきた。
「お疲れさま。今日は飲もう!」
そう言って、彼女をあげてまずは乾杯。とにかくがんばった。よくやった。
兄が二人いて近所には兄嫁もいるというのに、なぜか末っ子の彼女が喪主をし、一連の法事も全て取り仕切ったという。
こういう法事のときになると家族の”事情”が透けて見えるのはどの家庭も同じらしい。
お酒がすすむにつれ、さよちゃんはめったに吐かない心の内を吐露し始めた。
「今日法事の席で、姪っ子に”さよおばちゃんは、おばあちゃんのことを2年しか介護してないでえ。うちの母さん(兄嫁)は20年も面倒みよった”と言われた」と。
心の底からさびしかったと。思わず言い返そうかと思ったけれどやめた、と。
姪が言うということは、家族(兄嫁)がそう家で言っている、ということ。
離れて住んでいて、たまに様子を見に来るのを「介護」と呼ぶのならそれでもいい。でも2年半、一緒の家に住んで、一日中母親を中心に一日が回るという生活を続けるということがどれほどの重たさなのか、やったものではないとわからぬ。
食事に関わる一切のこと(買い物、献立、料理、後始末)、寝床や下の世話、ヘルパーや介護施設との連携&連絡・・・本当に目が回るほど忙しく自分のことなどしていられないのが介護と言うもの。
それを立派にやり、たまには外に連れ出してあげていたさよちゃんを、私は心の底から尊敬していた。私にはとてもまねできない。(私なんかすぐ音を上げるし、実際ケンカばかりしている。)
言い返そうとしたその言葉を飲み込んだ彼女の、その時の切なさが胸にせまる。
彼女は、そういう人なのだ。
「私もつらいこといっぱいあるけど、さよちゃんが近所にいてくれてどんなに助かったか。本当にありがとう。」
心からそうお礼を言って、また飲んだ。
たくさん飲んで、たくさん笑って、たくさん泣いた夜だった。