Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

19歳のカルテ。

2010-02-27 04:00:11 | アメリカ生活雑感
19歳。
なんと麗しい年齢だろう。
18歳とはたちのはざまの、えもいわれぬ解放感。
誰でも一生に一度経験する、19歳。

夕べの女子フィギュアの浅田真央、キム・ヨナ対決を見ながら、
同じ月に生まれたこのふたりが、一生に一度しかないこの19歳という年をこういう形で運命的に迎えたことになんだか打ち震えるような感動を覚えた。

19歳のころの私はどうだったっけ?
大学生活も2年目に入り、神戸での一人暮らしにも慣れて毎日が楽しくてたまらなかった。
毎日、授業のあとに向かう先は坂の上の道場。そこで竹刀を振り回していた日々。
戦いの場は、小さな日本のそれも全関西という米ツブのような舞台だ。


その同じ19歳で、ふたりは全世界の注目が一手に集まる中氷上で自分の“最高の”演技を求められていた。
そしてそれを見事にやってのけた。
久々にすごいものをたっぷり見させてもらった気がする。


日本ではふたりの対決はもうすっかりおなじみかもしれないが、私にとっては実は生でふたりの演技を見るのはこのオリンピックが初めてだった。
そういう意味では何の先入観も偏見もなく(もちろん日本人として浅田ひいきはあるけれど)、ふたりの演技だけに集中して楽しむことができた。
まったく違う戦略で戦った二人の演技は、まさに息づまる熱戦。
SPのときはひざがガクガク震えた私も、フリーにいたってはもう落ち着いていた。なるようにしかならないのだ。
どちらも完全燃焼してくれ、ただそれだけを祈っていた。

キム・ヨナの金メダルは、ある意味その価値があったとおもう。
彼女が試合後のインタビューで語った、「もうオリンピックという言葉を聞かなくてすむ」という言葉が、
いかに彼女の15歳から19歳の4年間が壮絶だったかを物語っている。
彼女はここで金をとるためにカナダに居を移し、カナダ人のブライアン・オーサーをコーチをつけ、メンタルトレーナー、フィジカルトレーナーという「チーム・キム・ヨナ」を作り上げて準備していた。
欧米のアスリートにはこういった「メンタル・トレーナー」が当たり前のようについている。
日本では「本人の精神力」「修練」ととかく個人の問題にしてしまいがちだが、こういう家族以外の精神面でのサポート役は実は大きく役立っている。


最も大きい功績は、ブライアンコーチだろう。
彼の戦略はとても冷静でぶれがなく、見事だった。
実は彼こそ22年前、男子フィギュアで最高難度だったトリプルアクセルを完璧にこなせ「ミスタートリプルアクセル」と呼ばれていた男。
88年、地元カナダで開催されたカルガリー五輪でカナダ国民からの金メダルへの期待を一身に受けていた“ミスタートリプルアクセル”は、フリーで2度のトリプルアクセルを計画していたがその1回を難度が低いトリプルフリップに変える安全策をとった。
ところが、金メダルを競い合っていたブライアン・ボイタノ(アメリカ)のほうが意外にも自分の得意技であるトリプルルッツを捨て、トリプルアクセルを果敢に2度試みた。
オーサーはわずか0.1点差で敗れ、前回のサラエボに続いて2度も金を逃した。
彼は今も「あの時のフリップジャンプが常に脳裏をよぎる」と話すという。


この「ブライアン対決」をよく知る北米のメディアは、いつしかキム・ヨナに彼をだぶらせて語るようになった。
今日の新聞で、ブライアン・オーサーのこんなインタビューがのっていた。(この時点ではまだ結果は出ていない)

「みんなが私に“ついにあなたは金メダルを手に入れるんですね?”と聞く。でもそのたびに私はこう答えるんだ。“いや、メダルは彼女が手に入れるものであって、これは彼女のオリンピックなんだ”ってね。
誰かからそう言われるたびに、私は背中から刺されたような気分になるし、これは彼女への侮辱でもある」

北米では、メディアをはじめ昔の仲間たちの多くも、この22年前の“悲劇の銀メダリスト”ブライアンの積年の思いをとげさせてあげたい、と願っていた。
キム・ヨナにというより、ブライアンに今こそ金メダルをやりたい・・・そういう人間の感情も勝利(点数)の一因だったかもしれない。

いずれにしてもすべては終わったことだ。
9月には浅田もヨナもはたちになり、また新たな日々が始まる。
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みんな正論。

2010-02-22 16:02:14 | アメリカ生活雑感
男子フィギュアでエバン・ライサチェクの優勝が決まってから、このあたりはちょっとした大騒ぎになっている。
アメリカ選手がこの種目で金メダリストになるのが6シーズンぶりというのもあるが、実は彼はシカゴで産まれ、うちの隣町であるNapervilleで育った地元のホープだったのだ。
知らんかった。
今は練習の拠点をロスに移しているが、高校までをNapervilleで過ごしたとあって、優勝を決めた直後のニュースは、出身校からの中継やら彼を幼少の頃から知る地元の人たちからのお祝いメッセージやらで埋め尽くされた。
このあたりの「地元」報道はいずこも同じだ。


4回転を飛ぶか飛ばないか論争はここアメリカでも日に日にヒートアップしている。
まぁ、世界のトップアスリートが自分で下した判断に外野がとやかくいうことではないので、そんなことはワイドショーに任せておこう。
ただ私的には、ライサチェックの長い手足を最大限に生かした美しいスケーティングは、跳びゃぁいいみたいに跳びまくって曲全体としては何のインプレッションも与えられなかったプルシェンコよりも、ずっと金メダルに値するのではないかと感じた。
何しろ高橋も加えて3人の中でプルシェンコは一番つまらなそうに滑っていた。

しかし、今回のプルシェンコのように堂々と自分の思うところを口にするのは今後のスケート界のためにはよかったのではないか。
日本では審判にと異議を申し立てるのは礼儀に反するし潔くないとされタブー視されているが、何しろ彼は誰もが認めるトップ選手。発言する価値はあると思う。
もっともそのプルシェンコにして自分の演技を冷静に見て判断するにはまだ時間がかかりそうだが・・・。

先週の金曜日に人気トークショーホストのオプラ・ウィンフリーのインタビュー番組にゲスト出演していたライサチェックはそんな周りの雑音を気にした様子もなく、3年間のブランクからカムバックし、すばらしい滑りを見せたプルシェンコのガッツを大いに称えたという。
しかし一方で、地元紙のインタビューに対して彼はプルシェンコの不作法ともいえる敗者の弁に対し、
「僕の人生の中で一番大切な瞬間に、自分が模範としてきた人に厳しく攻撃されるというのは、誰に何といわれるよりもがっかりすることだし、この先忘れることはないだろう」と、苦々しい本心を語っている。
ライサチェックは、4年後ロシアで開催予定のソチ五輪には出場する可能性はいまのところないようだ。

「正直言って、もし僕が(ロシアの)入国ビザをどうにか手に入れたとしても彼ら(ロシア国民)がそこで僕のことを見たいとは思わないけどね」



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恥と見せしめの文化が日本を弱くする。

2010-02-22 07:14:43 | アメリカ生活雑感
あまりにしょーもなさすぎてコメントする気力すらなかった国母選手の一連の騒動。
でもある方から面白いメールを転送していただいたのでここに紹介させてもらうことにする。
組織にガチガチにされるアスリートたちの悲劇。これじゃぁ、メダルなんて無理だわね(笑)。


************************************* 

スノーボードのオリンピック代表国母がたたかれている。

ご存じの通り僕は99年から02年のソルトレイクオリンピックまで
スノーボードチームのコーチをしていました。

コーチ時代のいろいろな問題はあまり公にしたこと無いのですが、
ここへ来て国母の服装問題で思うところあり書いてみることにしました。

オリンピック選手になると言うことは?
一般人から見たらオリンピック選手は日本の代表で、
日本をしょって立つ立場と考えがちだけれど、
別に日本政府が、または全日本スキー連盟が、
または日本オリンピック委員会が、選手に出場権を与えている訳じゃない。

FIS(国際スキー連盟)公認の大会でこつこつと成績を上げ、出場権を勝ち取るのです。
「はい、日本は3人まで出場できますよ。お国で代表の人決めてね」というのではありません。
オリンピックのレベルに達している選手にだけ出場権が与えられるのです。
世界のレベルに達している選手がいなければ日本代表を送り出すことさえできませ ん。
選手が出ていない国があるのはそのせいです。

もちろんルールがありますからそのルールに則らなければなりません。
その中には全日本スキー連盟の選手としての登録も必要ですし
そうでないと国際スキー連 盟の公認大会に出ることもできません。

選手の立場からみたらオリンピックは、ただ世界で最高の大会にすぎないのです。
最高の大会で自分の納得いく競技がしたいというのが彼らの本音です。
だれも 日本をしょって立つなどと考えていません。

スノーボードという競技はとても特殊です。
アルペンとハーフパイプ、スノーボードクロスと三種類の競技がオリンピック種目となっていますが、
アルペンとハーフパイプでは競技者のマインドも全く違い ます。

ハーフパイプの選手は勝つためよりもいかに自分のスタイルが思うとおり決められて
観衆を沸かすことができるかが大事なのです。
そしてその結果優勝できれば なお良い。
そういうマインドの選手が多いと僕は思っています。

選手のマインドだけじゃなく
競技団体もFIS(国際スキー連盟)とWSF(国際スノーボード連盟)と大きく二つに別れ、
さらにXGAMEに代表される非公 認の高額賞金のイベントもいろいろあり、
競技レベルやルールもそれぞれに異なり非常に複雑です。

どの団体に所属していても選手はほぼ100%プロのスノーボーダーです。
しかし日本でオリンピック選手になるには全日本スキー連盟に選手登録をして
FIS 公認の大会を優先的に出場しなくてはなりません。
プロとしての活動が全日本スキー連盟の選手登録をすることでかなり制限されてしまいます。
全日本の選手と して海外遠征中に現地で大きなプロの大会があったとしても、出場は不可能です。

オリンピック出場にからむFISのワールドカップが競技レベルで最高のものかというと
残念ながらそうではありません。
問題点はスノーボードの強豪がそろうアメリカはこういった垣根無く
選手にとって(賞金額も含めて)最良のイベントを選択して出場してくるという点です。
ア メリカ選手はFISのワールドカップには
出場権を得るための最低限の出場をしてさっさと出場権を勝ち取り
あとは高額賞金のイベントに出るのです。

日本の選 手たちに強いアメリカの選手と常に同じ舞台で戦わせて競わせたくても
全日本スキー連盟や日本オリンピック委員会の意向で不可能なのです。

いくつ競技団体があろうとも日本の選手にとってもアメリカの選手にとってもオリンピックはやはり世界最高の舞台です。
その舞台で表彰台に立つためにやるべ きことは日本とアメリカではずいぶん違うようです。

僕自身がコーチだった時代に
現時点で最高といわれるアメリカの選手がFISのワールドカップには出場せず高額賞金のイベントにばかり出てしまい、
ど うしても自分の選手をそういうレベルの高いところで競技させたくて、
選手はプライベートで大会出場、コーチは視察を目的で予算を取りプロの大会に行かせて くれと
全日本スキー連盟のスノーボード担当理事に掛け合ったことがありましたが、
日本オリンピック委員会から補助金をいただいている関係でそんなことは全 く無理だと
一蹴されたことがありました。

ソルトレイク代表になった宮脇君は、
他のプロの友人が高額賞金の大会にばんばん出て雑誌を賑わせているのに、
自分は目立たないFISのワールドカッ プをスケジュールに縛られながら転戦して、
もういやだ、オリンピックなんてどうでも良い、
プロの大会の方でやっていきたいと嘆いていたことがありました。

そんなとき僕は、
「スノーボードの雑誌を賑わせてもそれだけだぞ。
オリンピックにでたら近所の八百屋のおばちゃんだっておまえのことを知ってくれるぞ、
そのぐらいオリン ピックの影響力は大きいぞ、絶対におまえの将来に繋がるぞ、
プロの大会で賞金稼ぐのはオリンピック終わってからにしろ」
と説得しました。

今回の国母君の服装問題と似たようなことがソルトレイクオリンピックの時にもおきました。
僕の目から見ても今までで最高の滑りをした中井君の得点がいまいちで、
メダルの期待があったのですが、アメリカに金銀銅を持って行かれ5位入賞で終わりま した。
当時高校生で元々シャイな中井君、
このときの得点は本人にも納得いかずふてくされモードで宿舎に帰りたいと僕に訴えました。
競技が終わった選手は記 者団のうじゃうじゃいるジグザグの通路を通り取材を受け、
それから選手控え室に戻るというのが通常です。
が、かなり落ち込んでいるので僕が彼をガードして すべての記者を退け、
控え室に戻らず車を出して宿舎に戻りました。
宿舎では自室に帰らず誰とも話をせずただコーチ部屋のソファーに膝を抱えて座っておりました。

中井君に取材を受けるように伝えてくれとの担当理事から電話がかかり、
中井君に話すと、いまはそっとしておいてほしいと。
その気持ちはすごくよく分 かり、取材拒否の旨を担当理事に伝えました。
すると夕刻担当理事がコーチ部屋に来て直接説得。
「取材を受けることも選手の仕事だ」とか、「誰のおかげでここにこれたのか」とか
最後は「俺に恥をかかせ るのか」などなど、、、、、中井君は沈黙。
スタッフも全員何も言わず。
僕だけ「理事、今日は勘弁してやってください」と、すると理事は「よしわかった」と 部屋を立ち去りました。

その後コーチ全員理事の部屋に集合との連絡が来て部屋に行くと
「おまえらは選手に何を指導しているのか」
「俺がどれだけ頭を下げて金をかき集めてここに来させてやっているのに恥をかかせやがって」
とコーチ全員の前で したが唯一口答えをした僕に対しての叱責でした。

解散の時に、「今晩、打ち上げ行くぞ」と、そして「古川、おまえは来ないよな」と、、、、
そのとき僕は、ああこれでクビだなあと直感しました。

僕は、その後中井君にどうしても今日の結果を納得してもらいたくジャッジに話を聞こうと、
一人だけいる日本人のジャッジに連絡を取り夕食の約束を取り付 け、
いやがる中井君と友人の村上君をつれてチームの車でジャッジの泊まるホテルへ。
ちょうどそこに全日本の技術員会の委員長もいたので(中井君が信頼して いた数少ない大人)同席してもらい
ソルトレイク市内のレストランに行きました。

ジャッジは今日の採点を細かく中井君に説明してくれ、
深夜の三時デニーズでコーヒーを飲む頃には今日の滑りの問題点を納得して理解してくれました。

ソルトレイクから帰国後、経費の精算をしに全日本スキー連盟に行き、
次の大会、札幌でのワールドカップの書類と経費を預かっていこうとしたら書類に僕の名 がありません。
事務局の人もおかしいなあと。

そうなんです。クビにするのも面と向かって言わず書類上で名が消えていくのです。

大会終了後、勝てなかった選手はお偉いさんたちにとってはもうゴミです。
だれもシャイな高校生の競技後の気持ちなど考えない。
だれもそれをケアしようとし ない。
日本のスポーツの世界なんてこんな程度です。

世の中が変化しスポーツの世界も変化しているのに、
いまだにアマチュアリズムやスポーツマン精神、
たてまえや、お偉いさんのメンツの方が一競技者より優先されます。

まだ若い一選手に日本というものを背負わせるのは重すぎると思います。

スポーツマン精神は競技者のなかから生まれるものなのに
いつのまにか一般大衆の価値観で決められてしまっているようです。

国母君の服装のみだれって何処が基準なんでしょうか?
ユニフォームの日の丸をはぎ取った訳じゃないし、
一個人の価値観を押しつけすぎなんじゃないでしょう か?

世界の頂点に立てるような選手に普通の価値観を押しつける方が無理ってものです。
※日本選手団公式服装着用規定「(着用の規定) 第2条 日本選手団に認定された者は、
自覚と誇りを持って公式服装を着用しなければならない」

僕がナショナルチームから去った頃に国母君の活躍が目立ってきました。
当時はちっちゃいのにずいぶん飛ぶなあという印象でした。
直接話をしたこともありませんが、犯罪を犯した訳じゃないし、
競技とは直接関係ない服装規定なるルールやくだらないお偉方のメンツなど適当にいなして
自分のスタイルのすばらしい演技をしてもらいたいと思います。

オリンピックで本当にメダルを取るには競技者の努力だけでなく
運営する団体側にも変えていかなければならない事柄があると思います。
意味のないアマチュアリズムを消し去る。
現代の勝利には金がかかります、
お偉いさん方は金だけ出して口出しせず若い人たちの活躍をにこにこ見守っていれば よいのです。

そして団体間の垣根をとる(ほとんどお偉いさんのメンツだけなのでこれらを無くすまたは我慢すればよいのです)
どこから補助金が出ていようとも選手にとって最良のイベントに参加させ最高レベルの選手同士で競わせる、
日本にかけているのはこれらの点だと思います。

実名を出してしまった中井君、宮脇君、村上君、国母君へ、それぞれの道でがんばって活躍してもらいたい。
僕は彼らのスタイルが大好きです。

余談。
ソルトレイク後クビになった僕はみんなの顔が見たくて大会運営側のスタッフとして札幌の大会に行きました。
仲良くしていたスウェーデンチームのコーチといろいろ話したのですが
「ソルトレイク終わってスウェーデンに帰ってから日本に来たの?」
「いや、スノーボードのイベントのあと、ずっとソルトレイクにいてオリンピックを堪能して閉会式も出たよ。」
「ええ!いいなあ!僕らは予算がないからとイベント翌日、エコノミークラスで帰国したよ。」
「閉会式後はロサンゼルスで遊んで、そのあとワイキキで遊んでそれから札幌入りしたんだよ。」
「おまえら金持ちだなあ」
「いやいや、スウェーデンオリンピック委員会のスポンサーのボルボがご褒美に全額出してくれたよ。」
「へえすごいなあ。僕らは全日本のスポンサーのANAに乗れず、
日本オリンピック委員会のメインキャリアJALのエコノミーにすし詰めで帰ってきたよ。
ANAだったらがんばった選手ぐらいビジネスにしてくれただろうになあ。」
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バレンタイン・スキー

2010-02-17 04:21:25 | アメリカ生活雑感
せっかく雪深いイリノイにやってきたというのに、過去2シーズンただの一度もスキーに行ったことがないことにかなり不満だった私。
Pちゃんはそういうものにまったく興味のない完全インドアの人だし、だからといって一人でウィスコンシンまで2時間運転してまで行くガッツもなく、なんとなくシーズンを棒に振っていた。

しかし、ここで力強い助っ人が現れた。
GOROの里親で、GOROの一番の仲良し柴犬AJの飼い主さんであるテリー&ビル夫妻だ。
1ヶ月ほど前、テリーに「今度一緒にスキーに行かない?」と誘われたときは待ってましたとばかりふたつ返事でOK。
なんとこのご夫妻、冬はスキー、春~夏はバイクでツーリングにキャンプ、というすばらしいアウトドア派だったのだ。
ありがとう、GOROよ。君のおかげで素敵な隣人にめぐりあえたよ!

一度は予想外の暖かさで雪質を懸念して直前キャンセルになったものの、先週末2回目のチャンスが訪れた。
ちょうど1週間前に降ったドカ雪のおかげで、地面は絶好のコンディション。
先週の月曜日、テリーが興奮して電話をかけてきた。
「今週末、行かない?天気も悪くなさそうだし」
もちろんOKだ。

ただ一番恐れていたのが左足くるぶしの古傷。大昔に稽古中にいためて以来、時々ものすごい痛みがやってくる。その痛みの波に今週なぜだか襲われていて時々満足に歩けないときもあったのでちょっと心がぐらつく。
もしこれがひどくなって動けなくなったらふたりに迷惑がかかってしまう。とにかくぎりぎりまで様子を見ようと、その日からせっせとアイシング開始。それを見てただあきれるPちゃん・・。

土曜日もまだ痛みと腫れはあったものの、ここで行かなかったらまたチャンスを逃がすかもしれないし、根性で行くことに決定。
当日は、朝から足首からくるぶしまでをガチガチにテーピングで固定。これで準備はOK!!

★ ★

正午にテリー夫妻が迎えに来てくれて、珍しく風邪気味(言い訳)のPちゃんとGOROをお留守番に残していざ出発だ。
今回向かったのは、家から30分足らずのところにある小さなスキー場(というか、ヒル)。
イリノイには残念ながら山がないので、本気でスキーに行くにはお隣のウィスコンシンまで出かけていかなければならない。でも今日のようなコンディションの時にはここで十分だ。しかもスノボは2006年のコロラド以来4年ぶりだから、リハビリの意味でも最高のチョイスだったかもしれぬ。

かくしてたどり着いたのが、ここ、Villa Olivia。
さっそくボードをレンタル、ウェアは貸し出ししていないというので家をでたそのまんまの格好で滑る羽目に・・・とほほ。


 
コースは短いが、てっぺんからは近隣の町が一望できる。


日曜日の午後でこの空き具合。おかげでリフトに乗り放題。
右にはスノボ上級者向けのパイプやジャンプ台も。


ビルとテリー




休憩はBarでガソリンをがっつり注入。
おかげで後半のすべりは好調、好調。


1時すぎから休憩をはさんで6時半までしっかり遊んで・・・


そういえば、今日はバレンタインデー。
テリー夫妻が「今晩ステーキ食べに行くんだけど、ペドロも一緒にどうかしら?」というので即効で家に電話、急遽乱入を決定。
一度家に戻った後、着替えを済ませてテリーの娘ケリーも一緒に「このあたりで一番おいしい」とふたりがお勧めのステーキレストランへ。
GOROを預かってもらっていたお礼もかねて、今日は私たちが夕食をご招待することに。
スキー話やら犬たちの話やらで大いにもりあがり、午後10時過ぎ帰宅。
長くて楽しい2010年のバレンタインは、ステーキによる胸焼けで閉じたのだった・・・。

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オリンピックだ!

2010-02-13 14:32:45 | アメリカ生活雑感
いよいよオリンピック開幕。
北京と違って時差がない(2時間遅い)だけありがたい。
しかも放送はほとんど午後7時からなのでばっちり見ることができる。

さて、今朝の新聞にメダルの予想が出ていたが、加熱する日本の報道とちょっと(かなり)違っていてなかなか面白い。
やはりアメリカ寄りなところはあるが、日本のメディアのように“希望”でものを言っていないだけ冷静。


・フィギュアスケート
 男子シングル 1)Plushenko(ロシア)、2)Lysacek(アメリカ)、3)高橋(日本)

 女子シングル 1)キム・ヨナ(韓国)、2)安藤(日本)、3)浅田(日本)

・女子モーグル 1)Heil(カナダ)、2)Kearney(アメリカ)、3)Shannon Baharke(アメリカ)

  上村のウの字も入っていないし。

・ノルディック団体 1)アメリカ、2)ドイツ、3)ノルウエー

・スピードスケート男子500m 1)Kyou-Hyuk Lee(韓国)、2)加藤(日本)、3)Fredricks(アメリカ)

以上。
日本がからんでいるのは上記3種目だけ。・・・(けっこういい線いってるかも。)

さて。明日は女子モーグル。
アメリカ紙の予想を覆して、上村にがつんといってもらいたいところだ。
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朝青龍と石井慧

2010-02-10 04:31:34 | アメリカ生活雑感
今回の朝青龍の一件を考えながら、これ、どこかで見たようなとふと思い出した。
柔道の北京オリンピック金メダリストの石井慧だ。
彼については前にも書いたことがあるが、相撲における「品位論」と、柔道における「美しさ」はとてもよく似ていることに気づく。
柔道の常識を覆すような“恥ずかしい勝ち方”をしてでも「柔道は喧嘩。勝てばいい」と開き直った石井。
朝青龍の本心も、つまるところここにあった。
そして両者は共に“その世界”から印籠を渡された。

日本人の美意識を汚すものは嫌われ、集団いじめに合うと相場が決まっている。

繰り返しになるけれど、それなら柔道をオリンピック競技からはずしてしまえばいい。
大相撲に外国人を受け入れなければいい。
その覚悟がなくしてやいやい騒いだとて、両者の感覚の溝は絶対に埋まらない。

てなことを考えていたら、朝青龍が石井慧とハワイで会ったという記事。
ほほう、やっぱり。
亀田兄弟も朝青龍と仲がいいらしいし、ヒールはヒール同士で語り合いたいときもあるんだろうな。

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朝青龍の「品格論」とソシオロジー。

2010-02-08 02:26:19 | アメリカ生活雑感
NHKニュースで朝青龍引退の速報がニュースが流れた。
こちらの日本語放送はNHKが主体なので、いわゆるワイドショーのようなやじうま報道は一切見ることができない。周りの雑音が入らない、事実のみの報道を知るという点ではとてもいいことなのだが、今回はこの問題に対する日本の報道の生の“温度”がどうしても知りたくなってインターネットで朝のワイドショーをライブで見ていた。

つくづく感じた。
「日本のマスコミって相変わらず節操ないなー」

今まで朝青龍が何かをやらかすたびにこぞって大バッシング包囲網を敷いたかと思うと、引退を表明した(追い込まれた)ら今度は「周りが悪い」「協会の対応はいかがなものか」「今までの功績うんぬん」という同情論に傾いてさえいる。

そもそも横綱の「品格」って何よ?
「国技たる日本大相撲の頂たる横綱として、誰からも尊敬される人間性」??
そんなあいまいなことを言われても、日本人にも、ましてや外国人にはさっぱりわからない。これは外国人に「天皇は国家の象徴である」と説明して「??」という反応をされるのととても似ている。
「カミカゼ」が古い日本人にとって美であり、アメリカ人にとって狂気以外の何ものでもないように、どうしても相容れない理解しがたい壁がそこには存在する。


同じ国や風土のなかで生まれ育ち、教育を受け、日々同じような報道を見て半分洗脳されている日本人にしかわからない、このあいまいな美学やナショナリズム。
“日本人なら”常識的にこんなことはしないよね。
“日本人なら”こんな行為は恥。
“日本人なら”引き際は美しく、腹を切って果てよ。

そんな時代錯誤の美学が、大相撲という日本の古い伝統中の伝統をいく世界でつぶされることなく生き続けてきたわけだ。
女性の大阪知事は最後まで土俵に上がることを許されず、それがまかり通ってきた意味不明の世界。
周りの世界がどんどんと変革をしてきたなかで、ここだけはなぜだかアンタッチャブル。何があっても伝統を崩してまで変わっちゃいけないのだ。
そう、まるで皇室だ。

そこまで変わることを恐れるのなら、それでも国技(という造語)と呼ぶのなら、いっそのこと外国人を受け入れなければいい。
「日本人らしく」「伝統を守って」「人格者であれ」なんて、外人には所詮無理な要望というものだ。
強くてもなお謙虚で、行い慎み深く、嫌味のかけらもなく日本人に受けるキャラだらけにしたいのなら、石川遼選手のような新弟子を選べばいい。
そんな世界が面白いかどうかは別として、の話だが。


口から泡飛ばして朝青龍をこき下ろしていたみのもんたが、いきなり鬼の首を捕ったかのようにこう言った。
「ただいま入ったニュースによると、朝青龍は引退表明後の今日、ハワイに向かったそうです!」
まるで国際指名手配の犯人が逃亡したかのような言い方にますます違和感を感じる。
「日本人なら“普通”こういうときは身辺をきれいにして神妙に過ごすのが当然」とでも言わんばかりだ。

しかし、私の少ない経験からでもこれだけは言える。アメリカ人ならこのあたりの感覚は100%理解できないだろう。
「別に引退したわけだし、あとはどう過ごそうと個人の自由。雑音から解放されるにはバケーションが一番よね。それにハワイったってたったの6時間で行き来できる距離なんだし、何を大騒ぎすることがあるんだろう。変なニホンジン」と。


大相撲の大ファンだという愛子さまは、今回の一件をどう受け止めたのだろう。
母からこう聞かせられたかもしれない。
「古いしきたりの中で変わろうとしたら何をやっても悪者になるのよ。伝統とは恐ろしいものだということを覚えておきなさいね」と。

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2010年、お客様第1号。

2010-02-02 14:09:21 | アメリカ生活雑感
先週の金曜日、夕食後いつものようにまったりしていると珍しく電話が鳴った。
その主はPちゃんのバークレー時代の同僚で、今はサンディエゴの大学で研究者として働いているあのヨハネスくん。
今週はPちゃんの職場であるFermilabに出張中らしい。今日仕事が終わったらちらっと飲みにいかない?とPちゃんが誘いのメールを出していたのだけれど返事がなかったのでそのままにしていたところ、さっきメールを読んだといってあわてて電話してきたのだという。

あいにくPちゃんはすでに帰宅していて、夕飯も済ませてしまったというとなんだかうらめしそうな様子。それにおなかもすいているらしい。
それもそのはず、もう9時すぎだ。
「たいしたもんないけど、うち来る?」と誘ってみたら、ふたつ返事で飛んできた。
この日のメニューは我が家の定番、麻婆豆腐に白菜の浅漬け、いんげんのにんにく炒め、きのこの味噌汁という、超ベタなアジアン夕食。
でもこの人、Pちゃんと同じくドイツ人らしくなんでもおいしいと食べてくれるからうれしい。

ヨハネスくん、この日はお宿(ドミトリー)に帰って、翌日の土曜日はGoroを連れてみんなで近所の公園に散歩にでかけた。
ここはハイキングのトレイルも充実した、ゴルフ場が何個も入る規模の自然公園。小さな湖がところどころにあって、それがみな厚い氷で覆われている。その上に座って、のんびりと“釣り”を楽しむ人たちもいていかにものどかな雰囲気。
思い切り外で走り回って、GOROも大興奮だ。


あ~氷の上はひんやりして気持ちええわぁ~。


ん?何やこれ? (正解は釣堀のあと)




見よ、冬毛も凛々しい姿。Goroには雪がよく似合う。



家ではヨハネスくんを警戒していたにもかかわらず、外では追い掛け回して遊ぶGORO。
さすが猟犬の血、逃げるものは追う習性か!?





さてさて。
2時間近くも散歩して冷えた体と飢えたお腹を満たすべく、
今夜のDinnerは最近お気に入りの丸ごとじゃがいも入りオックステール・シチュー。
サイドメニューはスペインオムレツ、小魚入りサラダ。


おなかいっぱい食べて飲んで、結局3時ごろまでだらだら宴会は続き、
かくしてヨハネスくんは我が家でのsleepover第1号となり、翌日元気にサンディエゴに帰って行った(かどうかは定かではないが・・)。

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