Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

4連休はまったりと。

2020-09-23 00:04:22 | がんばろう、日本。

朝夕すっかり過ごしやすくなって、やっとあの灼熱地獄から逃れられるとホッと一息。

それにしても今年の夏の暑さは耐えられなかった。おまけにコロナで外にでかけるときはマスクはせなあかんわで地獄そのもの。

基本的に家で仕事ができる私はラッキーだけれど、それでも体が悲鳴をあげていた。

 

お彼岸の4Days Holiday、結局必要以上の外出・遠出はせず、基本的にはだらだらと家で過ごした。

近頃世間は「コロナ慣れ」してきたのか、ちょっと気が緩んでいる気がする。我が家には肺疾患のある高齢者(父)もいるし、私たちが罹患したらおしまい。

4連休唯一のビッグイベントが、20日の「阿波人形浄瑠璃フェスティバル」。毎年恒例、この時期に勝浦町で行われているこのフェスティバルに初めて出演させていただいた。

昨年は台風直撃で中止になったそうだが、今年は秋晴れ、快晴。

私は3人の義太夫のトップバッターで『壺坂観音霊験記 沢市内の段』を語らせていただき、人形遣いは地元「勝浦座」の指導を受ける、小松島西高校民芸部勝浦校の学生たち。

こうやって伝統芸能が受け継がれていくのは頼もしくうれしいこと。

私もこの日が初めての『壺坂・・』を全力で語らせていただきました!

たくさんの学びをいただいた、一日。

こんな駆け出しの私を、このような大舞台に立たせてくださった師匠の”男気”にただただ感謝!

さぁ、これからもがんばるぞ!!

 

 

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阿波人形浄瑠璃フェスティバル @勝浦町

2020-09-18 00:03:25 | ニッポン生活編

<阿波人形浄瑠璃フェスティバルのお知らせ>

今回初めて、「壺坂観音霊験記」を義太夫で語らせていただきます。

めっきり秋らしく過ごしやすくなってきました。

勝浦町の大自然に包まれ、休日のひと時を是非お楽しみください。

 

徳島の南東部、勝浦町は、山と川に囲まれた風光明媚な田舎町。

あの「ビッグひな祭り」でも有名なところです。古い街並みを歩くだけでも古き良き昭和にタイムトリップしたよう。

少し奥に行けば「棚田」で有名な上勝町があります。温泉やキャンプ場もある、素敵なところ。

大阪・神戸から日帰りもできるし、もちろん温泉宿で1泊して自然を楽しむ旅もおすすめ。Go To キャンペーンなるものも利用すれば、お安く旅が楽しめます。

是非徳島へ~!!

勝浦町観光案内サイト : http://tokushima-katsuura-kanko.jp/

 

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ある剣道家の末路。

2020-09-16 00:07:01 | ニッポン生活編
すぐご近所に、一人暮らしをしている高齢男性がいるのは知っていた。
つい3年ほど前には防具を抱えてさっそうと近所を歩いているのを見かけたことがあったので、剣道をされる方だとも知っていた。
あとから知ったのだが、Sさんは県の剣道連盟名誉会長にして、徳島県警には教え子も多いS 師範。
剣の道一筋60余年、県の剣道の発展ために尽くしてきた功労者だ。
 
Sさんの家庭の事情はよく知らないが、もう長年家族と離れて一人で暮らしている。
ところが、ここ数年で認知が進み、近所を徘徊して家に戻れなくなったり、パチンコ屋に家の鍵を忘れてきたり、エアコンのリモコンでテレビをつけようとして近所の人を呼んだりして目が離せなくなった。
 
と言っても、独り暮らしの彼を見守っているのは家族ではなく、いつも近所の人たち。
私も散歩の行き帰りにはかならずSさんの家の前を通り、何気に中の様子をうかがうようにしていたし、隣に住む友人も、この酷暑のなか熱中症で倒れてはいまいかと冷房の室外機をいつも気にしていた。
 
ここ数か月でSさんの認知はますますひどくなった。
下着姿で家の前にうずくまって動かなかったり、昼夜問わず奇声を発て壁をどんどんと叩いたり、ブリーダーをしている娘におしつけられたという2匹の犬の散歩もできなくなって、家の中で犬は虫の息。
家からはいつも異臭がし、掃除をしているふうもない。
ゴミ出しもできないから、残飯などを排水溝に捨てるのが常で、それを近所の人たちが始末をしている。
徘徊して警察に保護されるたびに、別居中の奥さんが「保護監督人」として呼び出されてやってきて「なんとかします」とか「本人が施設に入るのが嫌やいうけん」と言いわけをしては、また何もせずに帰ってしまう、その繰り返し。
家族がそういうのなら、と警察もそれ以上は介入しない。
保護する警察官はもちろん、みなSさんを「先生」と呼ぶ教え子ばかりだ。
認知になる前にはせっせと道場への送り迎えをしていた、その人たちが今はもう見向きもしないばかりか、様子を見に来ようともしない。
 
恩師がこんなになって、あなたたちは何とも思わないのか?
それがSさんが教えた”剣の道”なのか?
 
驚くことに、Sさんには別居中の妻のほかに一人の息子と3人の娘がいるという。その誰一人として、彼の面倒を見ようとしない。
警察で勤め上げた人だ、それなりに年金もいただいているにちがいないのだが、すべては”妻”が管理をしており、家賃とほんの少しのお金しか渡していないという。
もちろんSさんはもうお金の使い方すらわかっていない。
冷蔵庫もからっぽ、家族から食べ物もろくに与えられていないのは明らかにわかる。
あたかもSさんがこのまま野垂れ死にするか、交通事故にでも巻き込まれることを待っているかのように・・・。
 
見かねた友人が、警察に呼ばれてやってきた家族をつかまえて、「独りで生活するのは無理ですからどなたか面倒を見てあげてください。これは生命にかかわることです」と言ったところ、「私も仕事で忙しいんです。放っといてください」と返ってきた、と呆気にとられていた。
 
もらうものだけもらって、あとは知らんぷりなのか。
愛情はもうなくとも、人としてのリスペクトは払うべきなのではないのか?
 
聞いているだけで怒りに震える。
 
このままではいつ事故が起こるともわからない。
火事を出して隣家もろとも消失するかもわからない。
なんといっても、警察官として誇り高く生き抜いてきた人間の”尊厳”のかけらすらないことがやりきれない。
 
家族がそのように見捨てたからには、なんとかして事故の起こらぬようにこれまで通り私たちが見守っていくしかない、とご近所でちょうど話していた矢先。
今日になってやっと、Sさんが施設に入所する運びとなった。
あの家族のことだ、どんな施設を探し出したのか、それでSさんが幸せでいられるのかは疑問だ。
ただ、あの崩れ落ちそうな借家で最悪の衛生環境で一人さみしくやることもないまま朽ち果てていよりは安心だ。
 
どうかSさん、少しでも健康で長生きしてください。
あなたにはそうする権利があるのですから。
 
追記)
それにしても腹立つ。
警察は結局、何の役にも立たないし何もしない!
日本の法律ではたとえどんな人間でも「家族」が管理責任を持つ以上警察は介入できない。
欧米では、たとえば児童虐待や高齢者虐待、DVなどの痕跡が認められれば、家族から強制的に引き離すことができる。
そろそろ法律、かえるべきじゃないのか?
さもなくば、今回のような例や独居老人の孤独死はこれからどんどん増えてくると思う。
 
 
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友よ。

2020-09-09 23:40:19 | ニッポン生活編

2週間前、幼なじみ(Sちゃん)のお母さんが突然亡くなった。89歳。

この10月には、実家を建て替えてふたりの新しい家が完成する予定だった。

 

十数年来の糖尿病患者だった彼女は、3年前に”老々介護”をしてくれていた夫に先立たれた。Sちゃんはそれを機に母親の介護をする覚悟を決めて会社を退職し、帰県。

以来、Sちゃんが自宅で何から何まで介護一切をとりしきっていた。

母親は3月に自宅前で転んで大腿骨を骨折して入院。さすがにそのときはもう戻れないのではと心配したが、彼女の生きたい、家に帰りたいという強い気持ちをくんで、Sちゃんが病院から無理やり退院させた。

「このまま病院にいたら、甘やかされてどんどん歩けなくなってしまう。私がリハビリさせる!」と。

予想通り、家にもどった母親は立つこともできない状態にまで筋肉が衰え弱っていた。

それから毎日、少しずつでも家で立つ→歩くを繰り返し、近所をお散歩できるまで回復して周りを驚かせた。

そんな矢先。

主治医が何の理由もなく突然、インシュリン注射を変えましょうと言ってきた。今までうまくいっているのに替えたくない、副作用が怖い、と友人は断ったのだが、いつのまにか押し切られていた。

それを試しだしてから母親は食欲がなくなり、嘔吐するようになった。明らかに副作用じゃないか、と詰め寄ったが「暑いけんな」ですまされた。

新薬を試して3週間。食欲は回復せずつらそうな母親は、それでも毎朝デイサービスに出かけていったが、戻ってからはぐったりする日々が続いていたという。

薬を変えたことによるのではないか、と何度も迫ったが、処方は続行された。

 

ある朝、脈拍に異常があることに気付いたSちゃんは急きょデイサービスを取りやめて病院へ連れて行った。

栄養剤を打って2~3日入院させましょうと言われ、安心して自宅に戻った翌日、危篤の報。

「何が何だかわからなかった」

母親もベッドの上で「何があったん?」と必死で問いかけてきた、と。それが最期の言葉だった。

翌日からは意識がなくなり、翌日からは面会もさせてもらえなくなった。

Sちゃんは”まるで夢遊病者のように”眠れない夜、病院への道を徘徊したという。

入院から1週間後、母親は亡くなった。報を受けて駆け付けたときはもう心音がしていなかったそうだ。

 

異常に気づきながら、もっと強く医師に薬の変更を迫れなかった自分。

それが副作用だとうすうす気づきながらも、新薬へのこだわりを捨てきれなかった主治医の決断の弱さ。

「高齢だから(何があってもおかしくない)」で、母の死を片付けてしまおうとする、医療現場。

何より、もっと生きたい、新しい家で生活したい、と楽しみにしていた母の無念・・。

 

それらが今、彼女の胸をかきみだしている。

母親は姿を変えて家に戻ってきた。けれど、安否がわからず、会うことも許されなかったあの5日間の苦しみから解放され、彼女はやっと安らかな気持ちを取り戻したという。

3年前、同じ経験をした私には痛いほどよくわかる。

 

人の命はいつ終わるかもわからない。

「なんで?どうなっとん?」と叫んでそれが最後かもしれない。

だからこそ、今元気なうちに自分がどのような最期を望むのか、どう葬ってほしいのか、きちんと書き記しておかないといけないなぁ、とつくづく思う。

つまらないことでもいい。とにかく希望は書いておかないと後悔する。

それに、20年後、30年後のためにも「基礎疾患のない体」を今からきちんと作っていくことも大事だ。

食事に気を付け、筋肉を整え、転ばない体を作り、しっかりと眠る。

よく笑い、よく食べ、心を平穏にしておく。

そんな当たり前のことの積み重ねが、「人に迷惑をかけない最期」につながるのかもしれない。

 

深い悲しみの中にあって、Sちゃんはすでに前を向いて歩きだした。

しばらく休んでいたジムを再開し、早朝から2時間かけてウォーキングも始めた。来年行われるマラソンへの出場を決意したという。

友よ、私は君が誇らしい!

 

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