Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

Japan Blues Festival道中記~5 Sweet Home Chicago

2012-07-28 11:44:33 | music/festival
3日間の全日程を終え、大成功のうちに記念すべき10周年のJapan Blues Festivalは終了した。
地元の人たちの温かい声援、応援、全国から集まったブルース好きの人たちの熱い想い・・・すべてが見事にひとつになった、手作り感の残る素晴らしいイベントだった。

会場で販売したCDも順調な売れ行きで、彼らにとっても大きな収入となった。
なんといっても今は最強の日本円。アメリカ(ドル)では手の出ないような価格でも、日本では飛ぶように売れていく。
これがライブマジックなのだ。

さて、最後の打ち上げ会場は、市内にあるとある民謡酒場。
ここでは津軽三味線とじょんがらの生ライブをやってくれる。


日本の三味線の音色とその見事なバチ捌きに、シカゴのギタリストたちも目が釘付け。
今ライブを終えたばかりのブルースマンたちも、次々と舞台にあがって曲を披露していく。
こんな風景、アメリカじゃ見たことない。

 
どこでも本気で演奏してくれる、マシュー・スコラーとルリー・ベル。

どちらかというといいかげんな人が多いブルースマンのなかで、マシューは本当に頼りになる人。
成田に入国する際、私がルリーの入管につきっきりになってしまいマシューを置いてけぼりにしてしまったり、羽田の乗り継ぎでJALとひと悶着してせっかくの乗り継ぎ休憩時間を無駄にしてしまったことでは、しょっぱなから彼に怒られた。
また青森入りしてからもスケジュール変更を何度も求められたりしたけれど、それはすべて最高の音楽を届けたいというプロ意識からだった。
終わってみれば、彼と一番解り合えて信頼し合える関係を築けた気がする。
2日目に携帯(iPhone)を無くし、それ以降かわいそうなくらいしょんぼりして動揺していたが、最終日のパフォーマンス直前に見つかったという朗報が控室に飛び込んだ、そのときのうれしそうな顔が忘れられない。
打ち上げでよかったね、と声をかけると「あんなものはただのプラスチックの塊なのさ。どうってことじゃないさ」と強がっていたけど。
駆けずり回って探してくれた青森の商工会議所青年部のメンバーの気持ちをしっかり受け取っていたようだった。



ヴィノとマシュー。
「こういう余興ってものをオレは普段は絶対やらないんだ。でも今回は別さ。何かが俺をそうさせたんだ」と、ヴィノは私に耳打ちした。

一度ホテルのロビーでたまたまヴィノとゆっくりしゃべる機会があったが、彼は本当にまじめな人。
黒人のミュージシャンに珍しく政治的な話題まで持ち出したのには、むしろこちらがびっくり。
「みんなには黙ってたほうがいいよ。だいたいミュージシャンがポリティカルな話なんかすると嫌われるからね」とおどけて見せたのが印象的だった。
ドラマーのブライアンもそうだが、ココのバンドメンバーは皆、きちんと人格も教養も備わっている。
ココ・テイラーという人が何を大切にしてメンバーを集めたのか、今回はっきりとわかった。


ブルースマシーンの3人、ヴィノ、ブライアン、Shun。
この3人は4年前に同じツアーバスに乗っていて大事故に会い、その大怪我から立ち直ったサバイバーたち。
お互いがこうして生き残って演奏できた喜びに、固くハグを交わす。
事故後、重体だったヴィノを同じ病院に搬送されていたShunが見舞ったとき、「早くよくなってまた一緒に演ろうな」と声をかけたことをヴィノは朦朧としていた意識のなかではっきりと覚えていたそうだ。
「オレを置いていかないでくれ」と全身の力を振り絞ってShunの手を握り返し、意識が戻ったのだという。
音楽でつながった命・・・ヴィノが感極まって涙をうかべたのを見て、思わずもらい泣き。

思えば、Shunさんとの出会いは2007年の6月、まだカリフォルニアに住んでいた頃見に行ったRussian River Blues Festivalだった。
ココ・テイラー&ブルース・マシーンに出演していたShunさんを見た友人に誘われて、彼に挨拶にいったっけ。
3か月後にはシカゴに移ることが決まっていたので、シカゴでの再会を約束。シカゴでは度々ライブを見に行った。
どんな場面でもファンを大切にし、謙虚でいつも自分の音に真摯だった。
ココから絶大な信頼を得ていたのもうなずける。
去年から活動の拠点を台湾に移し、アジアの底上げを図るべく「シカゴブルースの伝道師」として幅広く活躍している。
日本のブルースシーンには欠かせないギタリスト。



底抜けに明るいウィリーと、ヴィノが歌うブルースに会場がひとつになる。


ウィリーは柳のように飄々としていて、一緒にいるとほっこりする人。
朝からブランデーの匂いをぷんぷんさせている、大のハドリッカー好き。奥さん思い。



紳士、ビル・シムズ。
JAZZを歌っている私に「これを聴け」と、コルトレーンとジョニー・ハートマンをはじめいろんなJazzを聞かせてくれたり、
朝方まで発声練習やフェイク練習をつきっきりで教えてくれたり。
音楽に対する愛は並大抵じゃない。本当に熱いハートの持ち主。



今私が一番好きなシカゴのギタリスト、ルリー・ベル。
彼と一緒にシカゴから来ることができた、それだけでも私にとっては光栄のいたりだった。
入国に必要な書類を無くしたりして一時はどうなることかと思ったが、初日に彼の歌声を聴いたときには今までの苦労が一気に吹っ飛んだ。
2日目の演奏のあと、観客席からステージをじいっと見つめながら「僕はこのフェスティバルがとっても好きだなぁ」とつぶやいたのがとても印象的だった。
この日も「日本の人たちはとても熱いハートをもっていて心から演奏を楽しんでくれる。演りながらそれを感じることができるんだ」と話してくれた。
シカゴに戻ったらまた彼のステージを見に行こう。今度は小さなライブハウスで。

★ ★



疲れを知らないミュージシャンたちは、2次会のライブハウスへ。
青森最後の夜は彼らのジャムセッションで更けていく・・・実は私もピアノで参加。
恭司さんとフェルトンと共演するなんて、なんたる贅沢!
素敵な思い出をありがとうございました!


Felton Crews(フェルトン)は体に似合わずとてもロマンチスト。
大汗をかきながら大きな男たちの案内役に走り回っていた私に、「君はとてもハートの温かい人だね」と、優しい言葉をかけてくれた。
かのマイルス・デイビスが沈黙を破って発表した名盤「The Man With The Horn」(1980)でベースを担当、世界ツアーも回っているスーパー・ミュージシャン。偉ぶったところがかけらもなく、青森にすっかり溶け込んでいた。
“いじる”と面白い性格で、ライブの合間にはよくおちょくり合って遊んでいた。
国も肌の色も生まれ育った環境も全く違うのに、なぜかすーっと心が通じ合う。今では私のbest friend。
シカゴで待っててね!


 

午前3時すぎ。
帰る気配すらなく最後まで酒を飲んでJamっていたのがビル、フェルトン、ウィリーの大男たち3人。
この人たちはどうしてこんなに元気なんだろう!?
でも彼らがここに残っている限り、私とて帰るわけにはいかぬ。彼らをシカゴから青森へ、そして青森からシカゴへ送り届けるのが私の責任であり使命なのだ。
Senさんからも「最終日の夜は特に気をつけて」と聞いていたとおり、肉食系女が現れてミュージシャンをお持ち帰りしようとしたがそれを一喝し、なんとか3人をホテルに連れて帰った。

ホテルに帰って「ここで何あったらどうすんのよ!」と大男3人に思わず説教しちゃった(反省)
「Shoko、そんな悲しい顔しないで。僕たちは慣れてるのさ。それに僕たちの“Yes”は“No”って意味なんだから。絶対に行かないよ。心配しないで」と逆に慰められる始末。

なんだか私、最後には彼らのママみたいになってしまった。
マシューも「ShokoはDen Mamaだね」と私に冗談めかして言っていたっけ。
Den Mamaというのは、グループのまとめ役であり護衛係を務める人物をさす言葉。
ツアー添乗員から始まって、通訳、よろず相談係、クレーム処理係、荷物係、そして最後は用心棒(笑)



7月22日

外が明るくなった頃ようやくベッドでうとうと。2時間くらいは寝るか、と思っていたらいきなりヴィノから電話で起こされる。
「CDの売り上げはいつ渡してくれるの?」
事務局に確認をし、出発前にホテルのロビーですべてを精算することになった。
事務局の方が昨夜打ち上げにも参加せずにほとんど徹夜で作成してくれた売上表とお金がホテルに到着。ひとりひとりに3日間のCDの売り上げ枚数と売り上げ費を説明して渡していく。
特に、チックは今回60枚を超す売り上げで、大きな成果を上げたようだった。
これほどのミュージシャンになっても、やはりアメリカで音楽だけで身を立てていくのは難しいのが現実。1枚でも多くCDが売れてほしいという思いがあったのでこの結果は私にとってもうれしかった。



羽田空港で出演者と最後のショット。
シカゴから一緒に来たときはゆっくり話す余裕すらない上に、名前と顔すら一致せずに混乱した人たちもいたけれど、この濃い4日間を経て今ではひとりひとりのことが手に取るようにわかる。
誰一人とも別れがたい、そんな感情が沸き起こってくる。

そして、今回誰よりもこのフェスティバルにふさわしかった人が、真ん中のバリー・ドリンズさん。
シカゴ市のイベント室長を約30年の間務め、「シカゴ・ブルース・フェスティバル」生みの親でもあるシカゴイベント界でも最重要人物。
10年前にJapan Blues Festが始まった時から、シカゴ市との橋渡し役を務めてくれた。この人なしではこのイベントは実現しなかったかもしれない。
今回は特別ゲストとしてご招待、記念すべき10周年を3日間ずっと静かに見守っていてくれた。
私はミュージシャンにかかりきりになってしまってあまりお話をすることができなかった、これだけが心残り・・・。
本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。



お盆休みを日本で過ごすために、私は成田でみんなとしばしのお別れ。
「Shokoは一緒に帰らないのか?」「シカゴに戻ったら絶対に連絡しろよ」「ランチでも行こう」
みんなから口々にそう言われ、全員でボロボロになって青森に到着した4日前が遠い昔に思われた。



成田で。出国前のビル・シムズとブライアン。
ブライアンは年上なのになんだか弟みたいな存在だった。
私がずっと咳を繰り返していると、「絶対に医者に行くんだよ。約束だよ!」と何度も心配してくれた。
「シカゴに戻ったら、僕たち夫婦とShokoの夫婦と4人で食事に行こうね」そういって別れを惜しみながら帰って行った。


私の任務は成田で終了。
長いお盆休みを日本ですごし、来月シカゴに戻れるその日が早くも待ち遠しくて仕方ない。

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Japan Blues Festival道中記~5 そして宴は終わりを告げた

2012-07-25 23:21:06 | music/festival
ライブ会場に急いで戻ると、KOKOバンドのシンガー、チック・ロジャーズによる「ゴスペル教室」が行われていた。
青森市内で活動しているふたつのゴスペル・グループが、チックにゴスペルを指南してもらう公開ステージ教室。
チックは青森入りしてから少し体調を崩しており心配していたが、この日は幾分調子もよさそうでひと安心。  
最初のほうは見逃してしまったけれど、いきなりお手本で聴かせた「Amazing Grace」はものすごかったそうだ。
それもそのはず、彼女はシカゴでも毎週教会でゴスペルを歌っている筋金入りのゴスペルシンガーなのだ。

チックのゴスペル教室に続いて、今度はマシューのハーモニカ(ブルースハープ)教室。(私は急きょ通訳係)
ハーモニカ初心者の小学生5人にマシューがやさしく丁寧に吹き方を教えていく。たった25分という短い時間だったけれど、最後は子供たちの吹くリズムに合わせてマシューがソロで合わせてミニセッション。
子供たちは目をきらきら輝かせて「楽しかった」「初めてだったけどうまくできた」と大喜び。
グラミーノミネートのミュージシャンから直接指導を受けるという贅沢な夏休みの思い出になったにちがいない。この日のこと、絶対忘れないだろうなー。






そして、今年のJapan Blues Festivalを締めくくる最後のライブステージがいよいよ始まろうとしていた。




  
本番直前まで大好きなお刺身をつつくビル。青森のお刺身は本当に新鮮でおいしい。




今日のセットはエレクトリック・バージョンでお客さんもノリノリ。衣装も3日間でいちばんおしゃれ。
Lurrie Bell(Vo,Gt) ローリー・ベル
Matthew Skoller(Harp) マシュー・スコーラー


さっき子供にハーモニカの先生をしたマシューも、ばっちり決めて再登場。
この人はミュージシャンとしてもひとりの人間としてもとても真摯で気遣いのできる人。
バンドをまとめあげるリーダー力のおかげで、私もとても助かった。

 
Willie Hayes ウィリー・ヘイズ
奥さんのお土産も無事買えて上機嫌なり


とにかく純粋で音楽のことしか頭にないSweetheart、Lurrie

 
キーボードとギターを存分に聞かせてくれた、Bill Sims Jr. ビル・シムズ・ジュニア


やっぱりカメラ目線。おちゃめなロマンチスト、Felton Crews(B) フェルトン・クルーズ
この人のベースには聴きほれてしまう。



この景色を眺めながら、みんなは何を思って演奏していたんだろう・・・
アメリカの大きなフェスティバルとは違ったほのぼのとした手作りのお祭りの良さを感じてくれたに違いない



昨晩急きょ決定して山本恭司さんがギターで特別出演



さていよいよ、Blues Machineの登場。いい顔してる。
ブライアンは今朝「甲州屋」で買ったシャツをさっそく着ている。すそ上げもばっちり。
 Shun Kikuta(Vo,Gt) シュン・キクタ
Brian T Parker(Ds) ブライアン・T・パーカー
Vino Louden(Vo,Gt) ヴィノ・ラウデン 
Melvin Smith(B) メルヴィン・スミス  


そして、あのKOKOが認めた秘蔵っ子、Chick Rodgers(Vo) チック・ロジャース
今年はシカゴのブルースフェスティバルをはじめ、アメリカ各地で行われているココ・テイラー・トリビュートイベントでシンガーを務め大忙しの彼女。
この小さな体からは想像できないようなパワフルな声に会場は一気にヒートアップ








アンコールの「Sweet Home Chicago」ではサプライズで海上で大きな花火が打ち上がり、感動!
この夢のような4日間が一気にフラッシュバックして、じ~んとなっちゃった。






ブルース・フェス、最高の10周年ステージだった。


・・・このあとは打ち上げ、そして・・・(つづく)


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Japan Blues Festival道中記~4 

2012-07-25 18:47:09 | music/festival
7月21日

いよいよFestivalのグランドフィナーレを迎える。
4日前にミュージシャンと一緒にシカゴを発ってから、なんだか夢の中にいるような日々だった。
普段の静かな生活からは考えられないような目まぐるしい毎日・・・それが今日ついに終わろうとしている。
月並みだけれど、寂しい。
もう何年も青森にいて、毎年このFestivalを仲間たちと迎えているような錯覚にさえとらわれていたから。
それほどこのイベントは、私の人生の中でも大切な出来事になったのだろう。


さて、ここで4日目を迎えたミュージシャンたちも、ホテル界隈の地理や食事のパターンにも慣れてすっかりリラックス。
商店街を歩いていても違和感を感じなくなった。


 ウィリーとブライアン

明日の朝青森を発ちシカゴへと向かう彼らにとっては、今日の出番までが最後の自由時間。やりたいことを一気に済ませなければならなかった。
そんなこんなで、私のところには彼らからのいろんな要望が集まってきた。
ブライアンは「今晩着る衣装のパンツが長すぎるからどっかですそ上げしてもらいたいんだけど」と言ってきた。
ヴィノには昨夜からマッサージに連れて行ってほしいと頼まれていたし、それを聞いたブライアンも一緒に行きたいという。
メルヴィンは持病の頭痛がひどくなったらしく「頭痛薬がほしい」
ウィリー・ヘイズは奥さんにキモノを買いたいし、
マシューはお気に入りの100円ショップでお土産を買い込むつもりだという。

さっそく朝食後にマシューとブライアン、ヴィノと新町商店街へ。
マッサージはまだあいていなかったので午後に回し、マシューを100均にドロップしたあとブライアンとふたりですそ上げしてくれるお店を探してぶらぶら。
靴屋さんで訪ねると、同じ商店街の紳士服店を教えてくれた。
行ってみるとたった30分ですそ上げをしてくれるという。よし、じゃぁあとからここに持って来るとしよう。
ついでにブライアンはこのお店(甲州屋さん)で白い長袖シャツを気に入って購入、今晩の衣装にするらしい。
すそ上げだけしてもらっても悪いから、という彼の気遣いだったんだと思う。とても気持ちの優しいヤツなのだ。

やばい、もう11時だ。
あわててホテルに戻り、Lurrieのバンドメンバーをリハーサル会場へ。
リハ終了後はまたホテルに戻って軽く喫茶で食事を済ます。さぁ、ここから一気にミッション開始だ。
ブライアンが「甲州屋」に行っている間にヴィノをマッサージへ。
彼はとにかく全身がこわばっているほどの凝りだったので、「全身コースを思い切りやってください」と依頼。

 ふたりがかり

そうこうするうちブライアンもやってきて、同じく全身コース開始。

 
何故かこのお店、店内にハワイアンが流れていて南国ムード。
うしろでウィリー・ヘイズも何故かハワイアンを踊っている・・

ふたりがマッサージをしている1時間の間、今度はウィリーを連れてお土産の着物探し。
奥さんからのリクエストだそうで、買って帰らないと怒られるとビビッている。
所詮はお土産、安いほどいいに決まっているがデパートなどではそれなりにお値段もはってしまう。と、そこにウィリーが駅前の八百屋さんの軒先に古い着物がかかっているのを発見。値札を見るとなんと500円!
面白そうなので店内に入ってみると、あるわあるわ古い着物の山。
なんでもこの店のおばあちゃんが自分のものや知り合いから譲り受けた着物を店先で細々と売っているらしいのだ。
事情を知ったお店のおじちゃんとおばちゃんが親切に相談にのってくれ、いろいろと奥から出してきてくれた。その中から、かわいい古典柄が入ったウールの着物(500円)に決定。これは本当にお値打ち品。
奥さんへのお土産を買って義務を果たしたウィリーはホッとした表情。お店の人たちやお客さんからも「今晩見に行くからね~」と言われ、めちゃうれしそう。

さて、そろそろマッサージの終わる時間。
ヴィノとブライアンを迎えにいくと、ふたりは放心状態になっていた。
「このおっさん、ワシ殺す気か?」とブライアン。それほどものすごい力でやってくれたらしい。
実はこのふたり、4年前のツアー中の交通事故で全身ぐちゃぐちゃになり、ヴィノにいたっては生命維持装置にかかっていたほどの重体だったところを生還した過去がある。
今でも体の中に金属のパイプが入っているという痛ましい状態なのだ。
この大事故を乗り越え、この場にこうして二人がそろって演奏してくれる、そう考えただけで私にできることならなんでもやってあげたくなるのだった。
甲州屋さんでもすでにパンツのすそ上げが完了しており、これでミッションは完了。
さぁ、いよいよライブモードに入っていくぞ。


(つづく)
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Japan Blues Festival道中記~3 海のステージへ。

2012-07-22 09:49:11 | music/festival
7月20日

ブルースフェスティバル2日目。
昨日とはうって変わって、今日は会場を“海のステージ”に移しての大きなライブだ。
“山のステージ”もほんわかしてよかったけれど、ここは海辺に面した広くて大きいステージでいかにも夏の野外コンサートという雰囲気が漂っていて、中にいるだけでわくわくする。

青森で3日目を迎えたミュージシャンたちは幾分生活パターンにも慣れ、午前中が自由時間ということもあってそれぞれホテルの近所を散歩に行ったりしてつかの間の観光を楽しんでいたようだった。
ルリーバンドの“影のボス”でもあるマシューは、羽田での荷物のごたごた事件からかなりピリピリムードで仏頂面だったけれど、着いたその日の晩に大好きなお刺身と日本酒を口にしてから急にリラックス。

朝、たまたまホテルの近所を散歩中の彼とばったり会って一緒に商店街を歩きながらしゃべっているうち、実はこの人はとっても責任感が強くてハートの温かい人なんだなーとしみじみ親近感が湧いてきた。
日本の雑貨にも興味あるようだったし、偶然見つけた100円ショップに案内したらこれがドツボにはまった様子。
シカゴでは到底見かけることのできない珍しい雑貨を1ドルちょっとで買えるとあって「明日は絶対戻ってくる!」と大興奮していた。

シカゴからずっと行動を共にしている私も、この頃には今回のメンバーが各々どういう性格の人なのか、どういう行動パターンをとる人なのか、何に興味があるのかをすっかり把握できていて、コミュニケーションが随分楽になった。

マシューと同じくルリーバンドのビル・シムズは、日本食をあまり受け付けない他のミュージシャンと違い、大の刺身好き、日本酒好きで食に関しては相当なチャレンジャーであることがわかっていたので、主催側のひとりであるSenさんがこの日のお昼ご飯に二人を青森市内で一番うまいというお寿司屋に連れて行くことになり、私も一緒にちゃっかりついていった。

日本人でもそうは食べらない味に、もう全員感動で口がと~ろとろ。
青森の銘酒「喜久泉」を一口飲んだとたん、マシューの顔もべろべろ。


マシューの機嫌がいいと万事こと易し。


今回ただ一人NYから参加したビルは、最高にカッコよくてかわいくてお茶目で紳士な人。


★ ★


午後からはリハーサル。今日のステージはこんな感じ。
すぐうしろに広がる青い海、青い空が目にすがすがしい。
ただ、海風が強くて体感気温は20℃を下回っていた。さっぶ~

 


5時半過ぎ、青森市長室長のご挨拶でフェスティバルが開幕。
そして、元シカゴイベント室長でこのイベントを第1回目から支援してくださっているバリー・ドリンズさんに感謝状が贈られた。
彼はシカゴ・ブルース・フェスティバルの生みの親でもあり、シカゴではすべてのミュージシャンからリスペクトされている人物。



そして、な・な・なんと!そのあとに私にもサプライズで感謝状が。
「シカゴにおいてジャパン・ブルース・フェスティバルの報道を通じシカゴ市と青森市の懸け橋となり、深い理解と協力でイベント運営に深く寄与した」功績を称えられたようです。
身に余る光栄です。
こちらこそ、私のような人間にこんな機会を与えてただいてお礼の言葉もないくらいです。





6時。
ルーリーバンド&マシューのステージが始まる。

昨日のエレクトリック・ブルースからうって変わって、最新作「The Devil Ain't Got No Music」をヒューチャーした全編アコースティックバージョン。
ルーリーの太く、ゴスペルな声が響き渡ると、また全身に鳥肌。
この人の歌はどうしてこんなに私を熱くさせるのだろう・・・







The Lurrie Bell Blues Band w/Special guest Matthew Skoller
(ザ・ローリー・ベル・ブルース・バンド・ウィズ・スペシャル・ゲスト・マシュー・スコーラー)
Lurrie Bell(Vo,Gt) ローリー・ベル  
Willie Hayes(Ds) ウィリー・ヘイズ
Felton Crews(B) フェルトン・クルーズ
Bill Sims Jr(Key) ビル・シムズ・ジュニア
Matthew Skoller(Harp) マシュー・スコーラー




大都会でのフェスティバルと違って、お客さんは音楽フリークなどではないローカルなご家族がほとんど。
世界の一流ミュージシャンの演奏をバックに、焼き鳥を食べる、こんな贅沢がいったいどこにあるというのだ!

パフォーマンス終了後、彼らの楽しみはなんといっても飲むこと。
控室でひとり、コーラを飲みながら静かにすごすことが好きなルーリーとは逆に、他のメンバーは会場内の屋台をぶらぶらしながら観客と写真を一緒に撮ったりしてとにかく陽気。
いわゆるプロモーターという人たちが介在して何もかも厳しく仕切りたがる都会のフェスティバルとは全く違う。
ミュージシャンが焼き肉を片手に日本酒をぐいぐい飲りながら、次のパフォーマンスを会場から見守る、
こういう境界線のなさは地方ならではで、見ていてもほのぼのする。(ちょっとやきもきするけど)
そういう意味でもこれはアメリカのフェスティバルに限りなく近い気がする。
一流の音楽に触れて育った青森の子供たちのなかから、将来一流のブルースミュージシャンが産まれるに違いない。

 
何故か憎めない大男フェルトン。
80年代にはマイルス・デイヴィスのバンドメンバーとしてアルバムに参加しているスーパーミュージシャンでもある。
誰にでも「君に恋をしてしまったみたいだ」などと言うやつ(笑)。

 
私も何気に彼らの行動を監視しつつ、合間には一緒に飲んで楽しんでいた。
ウィリー・ヘイズ、ビル・シムズ。このふたりはとにかく優しくて、包容力があって、あたたかくて大好き。

そして、ブルース・マシーン・バンドが始まった。
スペシャルゲストはこの方!

 ギタリストの山本恭司さん

この日の朝、青森入りしてそのまま軽い打ち合わせだけでいきなりのライブ。
「曲を事前に聞いて感覚をつかんでいたからね」とこともなげにおっしゃる。さすがプロだ。
しかし、この日本のスーパースターもブルース・マシーンの中ではこの日初めて会うギタリストにすぎず、楽屋でもちょこんと隅の方でほかのメンバーに話しかけられることもなく座っていたそうだ。
日本ではまず普段はありえないシチュエーションに、本人曰く「新鮮だった」。
とても謙虚ないい人なのだ。




★ ★

打ち上げ会場の居酒屋では、恭司さんはもうすっかりバンドメンバーに溶け込んでいた。
「楽屋では口もろくにきいてもらえなかったのに、演奏をしたあとは認め合え、打ち解けあえる、それが音楽のいいところだよね~」と。
この場で、急きょ明日のLurrie BandへのSit inが決まったそうだ。


少々飲みすぎたのか、最後に店を点検したら忘れ物が続出。
特にBill Simsは何でも忘れてきちゃう。iPhoneにメガネに上着。
ホテルに帰ったら今度はロビーにギターが置き去りになっていた。
それをひとつづつ部屋にお届けにあがると、この人たちときたらたいがい部屋で飲み直しながら自分の音楽の世界に浸っている。これこそ、ミュージシャン(音楽ばか)。
飽きる、明日のために寝る、ということばはこの人たちにはないのだ。

Billの部屋をノックして忘れ物ですよ~と届けると、「今ちょうどコルトレーンとジョニー・ハートマンを聴いているんだ。絶対聞いていけ。ちょっとでいいから」といって手招きされる。
そういえば私がJazzをやっていると知って、どうしても聴かせたい曲があると言っていたっけ。
んもうー、ちょっとだけよ。

またここでバーボンをストレートで一緒に飲まされ、椅子に腰かけてジョニー・ハートマンをじっくりと聴く。
「最高だろう?」
そういって何度も同じ曲を口ずさみながら聴くBill。なんでも毎日、30年来聴き続けているという。
やっぱりこの人たちは凡人とは違うのだ。

私の部屋(添乗員部屋)はミュージシャンたちと同じフロアの一番奥なので、必ず彼らの部屋の前を通るのだが、各々の部屋からはいろんなジャンルの音楽が聴こえてくる。
Bluesバンドとしてツアーをしているものの、彼らはBluesに特化して活動をしているとは限らない。それもあって、普段聴いている音楽も自分のルーツに近いものを好んでいるようだ。
Billが部屋ではJazzを聴いているように、Felton Crewsはアース・ウィンド・アンド・ファイヤーなどのソウル・ミュージックを愛聴しているし、ココバンドのドラマー、Brian T Parkerは、彼が一番好きだというマイケル・ジャクソンやゴスペル、R&Bなどを聴いて自分の世界に浸っている。
とにかくもう、生活のすべてが音楽漬けなのだ。
彼らにとってはそれが当たり前なのだろうけれど、ここまでのレベルになる人たちの神髄を垣間見た気がした。

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Japan Blues Festival道中記~2

2012-07-20 16:25:21 | music/festival
7月19日

昨夜着いたばかりだというのに、今朝はさっそくイベント宣伝のためのテレビ出演。
テレビ青森の朝の情報番組に、今日のイベントに参加する2組のバンドから2人ずつが「スゥイート・ホーム・シカゴ」を生演奏した。


1時間前にスタジオ入りし、出番はほんの30秒ほど。


その後は、青森市役所へ市長を表敬訪問。


午後からは、今日のライブ会場である浪岡(山のステージ)へ向かう。
市内のホテルを出た車はどんどんと内陸部へ進み、たどり着いたのは深い緑に囲まれた蝉の声がこだまするど田舎の道の駅。
駐車場の特設ステージの前には地元の名産品やアルコールなどの屋台が並び、いかにも田舎の夏祭りといった雰囲気を醸し出している。
ここでほんまににシカゴブルースをやるんか?という気もせんでもないが、大都会の大がかりなフェスティバルとは違った風情があってこれもまた一興。
そもそもブルース自体、小さな黒人コミュニティーで歌い継がれてきたものだし、むしろ本来の姿に近いのかもしれない。


午後6時、ルーリー・ベル&マシュー・スコラーのバンドがライブの火ぶたを切った。



 いつもカメラ目線のフェルトン・クルーズ(ベース)

長い長い旅路の末にやっと音を出した彼らのすざまじい演奏に、いきなり全身鳥肌が立つ。
どんなシチュエーションでも全力で音を出す。彼らは本当のプロなのだ。

 

ルリーベルとマシュースコラーを聴きながら焼き鳥をかじる。
この人たちがこのシチュエーションがどんなに贅沢か知る由もない・・・


そして次はKOKO TAYLOR'S BLUESMACHINE。
Shunの、ビノのギターが静かな森の中に炸裂、メルヴィン(ベース)とブライアン(ドラム)が確実にビートを刻む。
観客もたまらずステージ前で踊り出す。
老若男女、つけまつげのヤンキーねえちゃんも、屋台のおばちゃんも、みな踊り出さずにはいられない。

会場の興奮が最高潮に達したのは、歌姫、チック・ロジャーズが登場した瞬間だった。
昨日からのハードスケジュールでぐったりして口数も減っていた彼女だったが、いったんステージに立つと、形容しがたいオーラを放って観客ひとりひとりをわしづかみにしていく。
1か月前にシカゴのブルースフェスでみた、3万人を前にしたパフォーマンスとなんら変わることはなかった。






明日は場所を海辺のステージに移す。
この興奮はつづく・・・(写真など随時追加UP予定)
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Japan Blues Festival道中記~1

2012-07-19 18:25:31 | music/festival
7月17日

シカゴは今日も暑かった。今日からいよいよ日本、Japan Blues Festivalへ。
最後の旅支度をしているそのとき今回の参加バンドのルリー・ベルのマネージャー、リックから電話が入る。
「ルリーが日本のビザをなくしたみたい」
な、なんと?
よく聞いてみるとなくしたのはビザではなく、ビザと一緒に閉じられていた身分証明書だったようだ。
ヨーロッパのツアー中にどっかに落としてしまったらしい。
その後日本領事館に問い合わせたところ、すでにビザは発行されているし証明書は領事館で発行できないものなので、それは入国時に成田の入国管理局で説明してくださいとのこと。

車で家を出て、今回ココ・テイラー・バンドのヴォーカリストを務める“歌姫”チック・ロジャースを途中で拾い、オヘア空港に向かう。
11時15分の約束の時間には、出演者のうち5人がすでに勢ぞろいしてチェックインをすませていた。
驚く私にマシュー・スコラーいはく、「僕たち、旅慣れてるんだよ」
さてこれから12時間のフライトが待っている。


7月18日午後4時過ぎ、無事に成田到着。
一番の懸案だったルリーの入館は、他のミュージシャンと一緒だったこともあって大きな問題にもならず、別室で事情を説明して書類を後から送るということに決定。
日本の入管はやさしいのだ。

その後、成田→羽田とバスで移動し、いよいよ青森へ。
しかしここで今回最大の問題が発生。機内へのギター持ち込みが、サイズの関係で許されないという。
ソフトケースに入ったギターを荷物預入するのは絶対にいやだ、といいはるミュージシャンと、絶対にダメ、その分の座席を買えと言うJALの間でかれこれ1時間ももめにもめる。
長旅で疲れていた上に、決まり決まりと繰り返すばかりでなんの柔軟性ももたないJALへの怒りが爆発、メンバーは次第に不機嫌になっていく。
にっちもさっちもいかず、ここは仕方なく“ギター様3名様”の座席を購入して乗り込むことになった。

ところが、いざ最終便に乗ってみると機内はガラガラ。荷物棚もガラガラ。
3万円払った座席はそのまんまに、結局荷物棚に余裕でギターを載せることができたので、それを見たメンバーもまた激怒りだ。
もちろん私もキレた。JALよ、なめてんじゃないぜ。こんな対応しかできないからだめなんだよ!

★ ★

9時半。やっと青森に上陸。
乗り継ぎやら荷物のすったもんだやらで、かれこれ6時間以上も何も口にしていないメンバーをホテルに届け入れ、即晩御飯に繰り出す。
やっと食べ物を口にできて、少しずつなごんでいくメンバーたち。
ピリピリ気味だった人たちも、おいしい日本酒とつまみ(さしみ)ですっかり上機嫌に戻りやっと一息。
「君のお蔭で無事着いたよ。とにかくよかったありがとう」と、紳士のビル・シムズにやさしく言われ、ほっとする。
日本人と違って、アメリカ人、特にミュージシャンは個人行動するのでふっと姿が見えなくなったりして、私も本当に最後まで気が抜けなかったのだ。
しかも私を入れて11人という大所帯。みんなのリクエストもばらばらだし、いや~本当に疲れた。




食事中にもポケットに忍ばせていたハーモニカを吹きだすルリー。
その横は、ウィリー・ヘイズ、メルヴィン・スミス、チック・ロジャース


明日も早朝からTV出演、青森市長表敬などいろんな予定が入っている。
ゆっくりと体を休めて明日からに備えよう・・・zzzz


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Japan Tour 2012

2012-07-17 00:10:00 | アメリカ生活雑感
明日からひとりで日本へ。
まずは青森に入って、19日から3日間行われる「Japan Blues Festival」を初めて見に行く予定。

青森とシカゴとの草の根交流でもう10年も続いているこのフェスティバル、毎年本場シカゴからブルース・ミュージシャンが参加しているのだが、今年は不肖私がミュージシャンたちのツアーガイドのお役目を仰せつかった。
10人のむくつけき男たち+美しい女性歌手と共に日本へ向かう。

この様子はまたUP予定。
では行ってきます~!

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癒される場所。

2012-07-15 11:19:53 | アメリカ生活雑感
なんだかしばらく歌う気分にもなれなくて、ずっとご無沙汰していた隣町のレストラン&Bar“Morgan's”のJam Sessionナイトに、友人のFumiさんを誘って先週久しぶりに顔を出した。
いつもは家でご飯を食べてから9時ごろに行くのだけれど、今回はJamの始まる7時半ごろから行って一緒に食事をしながらJamを楽しむことにした。

1Stステージを終えたブルース・オスカーたちミュージシャンは、ひとつひとつテーブルを回ってあいさつを始めた。
私たちの席にもさっそくやってきて、
「ハロー、Shoko久しぶりだね。今晩は歌ってね、後で名前を呼ぶから」と優しく声をかけてくれた。
ドラムのJJ、ベースのリック・シュナイダーもやってきて「わー久しぶりだね。戻ってきてくれてうれしいよ」
隣の席にすわっていた常連のシルビアも「何かあったんじゃないかとずっと心配していたのよ、大丈夫?・・・よかったわ」
ここは本当に家族的なのだ。
みんなのやさしい言葉に、私も少しずつ緊張の糸が解けていった。

ふたりで前菜とメイン一品をシェアし、白ワインを飲みながら2ndステージを鑑賞。
いつものように、“メル・トーメ”リチャードや、“植木等”ハーヴィーらの歌声を聴き、
90歳のダンサーが華麗なステップを踏むのを見ながら、しばらくこの場に来れなかった自分をちょっとだけ悔いた。

3rdステージが始まってすぐに、ブルースが私の名をコール。
あんまり久しぶりなので歌う歌も決まっていなかったけれど、本当にこの場に帰ってきたことがうれしくて、これまた久々に
「Just In Time」をスゥイング。
お客さんが次々にフロアで華麗なステップを踏み始める。
2曲目は「My Floolish Heart」。
ここでは初めて歌う曲だったけれど、“靴屋のラリー”が絶妙のフルートソロを聴かせてくれてぐっと気持ちが入っていった。

歌詞をコロッとわすれたりしてさんざんだったけれど、気持ちは通じたのか歌い終わったらいろんな人たちが私たちの席にやってきて「本当によかったよー」と声をかけてくれた。
こういうホスピタリティーが、郊外ならではのこの店の魅力なのだ。


★ ★

そして昨日。今週も続けて行ってきた。
来週から日本に帰るためしばらく顔を出せないことを、みなさんに報告しておきたかったからだ。

今日はオールスターみんな勢ぞろいしていて、9時ごろにのろのろと顔を出した私を「ここ、ここ」と同じテーブルに座らせ、ウォッカのロックをごちそうしてくれた。
ウォッカをちょっとすすったそのとき、ブルースから名前を呼ばれていきなり2曲、
今日は「Honey Suckle Rose」をスゥイングで、「When I Fall In Love」を超スローバラードで歌った。

「日本に帰ってもちゃんと歌い続けるのよ」
「ご家族によろしくね。気を付けて楽しんでらっしゃい」
みんな口々に温かい言葉をかけてくれた。
ああやっぱり今夜、来てよかった。

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独立記念日に・・・

2012-07-12 13:29:58 | アメリカ生活雑感
7月4日は、アメリカ独立記念日。
どこの家の裏庭からもバーベキューの煙がもくもくと立ちのぼっている。
アメリカじゃこの日は昼間っから家でパーティー、夕方からパレード&花火大会というのがお決まりのすごしかた。
とはいえ、今年は最高気温が104度(40℃)と異常な暑さ。
我が家では、ブラインドを締めてエアコンを全開にし、家から一歩も出ずにのんびりすごしていた。

と、ふと窓の外を見るとパトカーが何台も連なってやってきたではないか。
飲酒運転の取り締まりかな?と外に出てみると、斜め向かいのうちからなんだか煙が。
裏庭あたりからだったので、BBQの煙かと思ってみていたらどうやらことはもっと深刻な様子。




ひょっとして、火事?


裏庭に回ってみると、BBQの器具から炎が高々と上がり、それが家の壁にあっという間に燃え移っていた。
壁はすでに焼け爛れていた・・・


消防車も4台駆けつけ、近所はにわかに大騒ぎに。

消防士さんはこの暑い中、防火服を何枚にも着込んで重い酸素ボンベを担ぎ、電動のこぎりで屋根に小さな穴をあけるやいなや、ホースを挿入して消火活動を開始。
そのあまりにも勇敢な、訓練された一連の作業に、変な話だけれどしばしみとれてしまった。

しばらくして火がおさまると、近所の子供たちが消防士さんのところに駆け寄ってまるでヒーローをねぎらうかのように話をしていた。
そんな子供たちに笑顔でハイタッチをする上半身Tシャツ1枚の消防士さんは、アメリカの映画に出てくるヒーローみたいでカッコよかった。
日本じゃ業務が終了したらとっとと撤収するところだけれど、こうやって子供と戯れる姿はアメリカならではだなぁ。


★ ★

ところで、この翌日うれしい来客があった。
昨年、シンシナティに引っ越して行ったお隣のアダム一家が、ホリデーでこちらに帰ってきているついでに
我が家に立ち寄ってくれたのだ。
Pちゃんとアダムは久々につまらない冗談の応酬旧交を温めていた。
そして私は、ちょっと大きくなったヘンリー坊とまたレスリングごっこをして遊んだ(遊んでもらった)。
ちょっと見ない間に赤ん坊から幼児になり、幼児から今度は男の子になっていたヘンリー。
いつまで遊んでくれるかなー。

来てくれてありがとう!






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灼熱地獄のシカゴで

2012-07-06 18:12:59 | アメリカ生活雑感
今年初の大リーグ観戦、シカゴ・ホワイトソックス対テキサスレンジャーズ戦に行ってきた。
これは、東日本大震災救済イベントとして日米協会らが主催したもので、チケットの売り上げの一部が赤十字を通じて義援金として送られるという企画だ。
ダルビッシュが投げるかどうかはわからなかったけれど、ひとまず1か月前に予約をしておいた。(残念ながら、ダルの先発は3日前だったのでこの日の登板はなかった)


ところで、この日シカゴに行くには相当の覚悟が必要だった。
というのもシカゴは今大変な熱波で、湿度をあわせると体感気温が45℃にもなる熱さが続いていて、
この時期としては今までの記録を塗り替える暑さだそうだ。
そんななか、直射日光を浴びながら2時間以上も野球観戦などできるのか・・・?
暑さが苦手なPちゃんがキレたらどうしよう・・・と、自分の心配よりもこっちの方が気がかりで仕方ない。
とりあえず、2Lの麦茶と濡れタオルを冷凍し、薄手のTシャツに短パン、つばの広めの帽子にサングラス・・とできる限りの暑さ対策をととのえていざ出陣。

平日の昼間だというのに、駐車場は満杯。
この暑い中ごくろーさんなことに、野球観戦ではお決まりのパーキングでのBBQを楽しむ人たちも大勢いた。
気が狂っている!

ラッキーなことに私たちの席は1塁側のLower Seatでもちょうど屋根のある境目になる列で、直射日光が当たらない絶好の場所。
相当な覚悟で行っていた暑がりのPちゃんも、これにはホッとしたようすだ。

 視界はこんな感じ。

 左上の気温は101度をさしている。摂氏38.3度くらい。

試合のほうは、さよなら勝利となった昨夜とは打って変わってなんだか盛り上がりに欠ける淡々とした投手戦。
1点をエラーがらみで先取されたSoxが、ホームランで同点においつき、そのあと貴重なタイムリーで追加点をとって
そのまま2-1で逃げ切った。
9回表の攻撃あたりから稲妻とともに雷が轟き始め、ゲーム終了と共に大嵐。
試合後はみんな逃げるように帰って行ったので、余韻もなくわずか2時間10分という短時間なゲームだった。

 急に暗くなってすでに照明がついている

 このあたりから遠くで稲妻が・・・。気温も88度(33℃)に下がっている

 試合終了後は嵐・・あっという間に人がいなくなった球場


8月25日にはマリナーズとの試合があるので、これも是非見に来なければ。
やっぱりイチローは今年、絶対見ておきたい。


★ ★

思った以上に野球があっさりと終ってしまい、拍子抜けした私たち。
まだ体力も残っていたので、このあと車を10分ほどサウスに走らせ、シカゴ大学近くのリンカーンパークで行われているという「インターナショナル・レゲエ・アンド・ワールドミュージック・アワード(IRAWANA)」というお祭りに行ってみた。
レゲエを含めたカリビアン音楽の「グラミー賞」のようなもので、会場に到着したアーティストたちがにわかに用意されたレッドカーペットを歩きながらインタビューを受けていた。
そのあとは各賞の発表やパフォーマンス。

しかし、そこがいかにもレゲエ大賞。
そもそも5時半には始まる予定だったのが、結局アーティストが到着して始まったのが8時過ぎというゆるさ加減。


久々にジャマイカのジャーク・チキン、レッドビーンズ・ライスを屋台で買って食べる。
うんまい。


いかにもレゲエな人たちがレッドカーペットを歩く。
相当有名人らしいが残念ながら誰も知らない・・・




まだまだ音楽は続いていたけれど、待ち時間で体力を消耗した私たちは9時半ごろ会場を撤退。
AJんちに預けていたGOROを迎えに行って、長い灼熱の一日は終了。

























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