Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

マスゴミ

2018-11-28 23:21:06 | ニッポン生活編

毎日毎日、ニュースは「ゴーン」である。
もう何日やり続けりゃ気が済むんだ?
それも、知ったかぶりしたコメンテーターがどうでもいいコメントをしてただ時間をつぶしているだけ。
だからもう、テレビはつけなくなった。

一方、欧米ではこのニュースをもっぱら「日産のクーデター」と報じているらしく、町の人へのインタビューを見ていても「彼(ゴーン)は立派な人だ。日本で(はめられて)ひどい仕打ちをうけている」と言っていた。これには驚いた。

確かに、死に体の日産を復活させた偉大な経営者だったかもしれないけれど、個人の利益のためにせこい手を使って報酬をごまかし税金逃れをしようとしたのは事実であり立派な罪である。
その罪人に向かって「独房に入れられてかわいそう」ってあんた。
いかにも誇り高いおフランス人らしい。

事実をどう読むか。片方の身になって偏って伝えているニュースを毎日見ている人たちは、これほどまでに言うことや考えることが違ってくるんだ、ととても興味深い。
世の中にあふれ出るニュースをどう読み解くか、「片方聞いて沙汰するな」といいつつ、個人の犯した罪と、企業間のごたごたと、国益と、国際関係とをごちゃまぜにしないでほしい。
そうでなければ、首を斬られた2万人の従業員が浮かばれないじゃないか。

皆死ぬときはひとり。
お金は持って死ねないのよ、ゴーンさんよ。

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ご先祖様が泣いている。悲しき「空き屋」の哀れ。

2018-11-28 07:47:23 | ニッポン生活編
約15年間に及んだアメリカ生活をひきあげ、故郷の徳島に戻ってきた。
改めて自分が育った徳島という町と正面から向き合い、行く末をじっくりと考えながら身が引き締まる思いだ。
しかし、そんな気持ちに水をさすものがある。実家のすぐ向かいに建つ一軒のボロボロの空き屋の存在だ。

実はこの家は父の生家、私にとっては祖父母の家だった。
子供の頃、私は何かというとすぐに祖父母の家に駆け込んではいろいろなことを教わった。
琴の師匠だった祖母からは琴や和事を、花の栽培や動物の飼育が好きだった祖父からは犬の調教のしかたや花の育て方を教わった。玄関へと続く砂利道には珍しい種類の薔薇が居並び、玄関口には弦薔薇がまるでヨーロッパのお城のように咲き誇っていた。
正面庭園は手入れの行き届いた木々が並び、これも自慢だった。私にとって、この風景こそ祖父母との思い出だった。
しかし、今は住み手のいない空き屋状態。荒れ果てた庭には雑草が頭の高さまで生い茂り、猫屋敷と化した空き屋には20匹以上の野良猫が近所中に糞をまき散らして悪臭をはなっている。
毎朝、この家を見るたびに祖父母に「ごめんなさい」と手を合わせずにはいられない。

数年前に祖母が亡くなり、土地家屋を相続した叔母があっという間に売ってしまったのだが、買主は市内に住んでいないため買いっぱなしで放置したままなのだ。
一度外から覗いてみたことがあった。
家の中には祖父母のアルバムや蔵書、祖父の遺影や天皇陛下からいただいた勲章もそのまんま。壁には天皇陛下の婚礼写真が入った額が傾いていた。
昭和の一コマが静止したかのようだった。
自分の財産をどう始末しようと人の勝手なのだが、両親の遺品の整理すらせずに居ぬきで売ってしまった娘の仕打ちに、祖父母はあの世でさぞ無念だろう、と涙が出た。
今はただただ祖父母やご先祖様の尊厳を回復するため、私にできることを精いっぱいやらねば、と心に誓うのだった。
どんなにつらいことがあっても、私たちには支え合う温かい“家族の絆”が残っている。

人はいろいろな思いを抱きしめて生きている。
親の死後、金目のもの以外ゴミのように捨ててしまうという、その深い怨念は生涯癒されることがないのかと思うと気の毒で悲しい。

日に日に朽ち果てていく母屋の玄関に今日も私は手を合わせる。と同時に、このような「放置空き屋」に対する行政の対策を急いでほしいと願うばかりだ。



(徳島新聞に投稿したが掲載されなかったためここに備忘録としてのせておく)

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