Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

今年も始まった、ラビニア・フェスティバル

2009-06-29 11:13:17 | music/festival
シカゴの夏の風物詩、Ravinia(ラビニア)フェスティバルが今年も始まった。
6月から9月まで、3ヶ月以上毎日屋外コンサート会場で繰り広げられるコンサートシリーズだ。

昨年は、ジャズの大御所トニー・ベネット、そして60年代“ディスコ・クィーン”のドナ・サマーのコンサートに出かけた私たち。

そのときにいろいろ学んだことを踏まえて、今年も完璧な装備でふたつのコンサートのチケットを購入。


今日(6月27日・土曜日)のパフォーマーは、ダイアナ・クラール。
実は彼女をナマで見たのはかれこれ10年以上も前。大阪で見た、ジャズ・ピアニストだけを集めたコンサートだった。
そのときはまだデビューしたてで丸々していて、いかにも田舎のお姉ちゃんという雰囲気だった彼女。
今ではすっかり洗練されてしかもスリムになり、押しも押されぬ人気ジャズシンガー&ピアニストになった。
うがった言い方をすれば、レコード会社戦略にうまく乗せられて「金髪の白人流行JAZZ歌手」にイメージを作られてしまったかんじ。
私は昔の荒削りだった頃が好きだったんだけど。
ともあれ、彼女はいつもいい選曲をするしアレンジもステキなのでとっても楽しみにしていた。


私たちはちょい遅めで7時ごろに現地入り。
満員かと思いきや、まだまだ座れるスペースがあって余裕でセッティング完了。
どこを見渡してもみんな完璧な“ディナー”状態になっていた。


前のグループは高めのテーブルをセッティング、うしろのカップルはヘルシーなメニュー。
いつもながら目を見張る準備のよさ。


さて、うちの場合は・・・

今日の献立:

自家製・ローストポーク、
ロシアンエッグ、
ほうれん草ともやしと赤ピーマンの炒めもの、
梅干入りおにぎり



赤ワインで乾~杯~!!





や~食った食った。満足気なPちゃん。


 
開演前はこんな状態。そしていよいよ本日のメインイベント、ダイアナ・クラール登場。


 
オープニングは『Live in Pris』と同じく、超高速の『I Love Being Here With You』。
やっぱ、生で聴くとものすごいばい。

今日のステージは、贅沢にも、ギター、ベース、ドラムに加えてフルオーケストラを従えての豪華バージョン。
私はダイアナ・クラールよりもむしろ、バックミュージシャンに釘付けだ。



Anthony Wilson:ギター, Jeff Hamilton:ドラム, Robert Hurst:ベース
こんな超一流のミュージシャンをそろえるだけでも難しいってのに、全く!
贅沢にもほどがあるぜ。




それにしても、彼女はよくしゃべる。
もっとクールに演奏する人かと思っていたら、意外とおしゃべり。
「My husbandが・・・」と、何回も夫(もちろん、エルヴィス・コステロのこと)のことを話題に出すのでちょっとうんざり。
家族を商売のネタに使うな~~!!


ライブの中盤ごろだった。
次の曲に行くまでの長いイントロダクションに、『I'll Be There』をジャズ・バージョンで弾くダイアナ。
何も語らず、ただ目を閉じ、じっと想いをこめて。
客席から拍手が起こる。
・・・・うるっときた。
もちろん、二日前に急逝したマイケル・ジャクソンへの追悼だったのだろう。



芝生チケットではコンサート会場には入れないので外で遠めに見ていたら、
早めに出てきたカップルが私たちに
「Enjoy the show!」といってそっとチケットをくれた。
おかげで最後の20分ほど、座ってみることができた。
ありがとう!



今日の選曲は、彼女のもっと尊敬するナット・キング・コールの曲が多かった。
アンコールは『Look of Love』そして『Every time We Say Goodbye』でしっとりと。



Pちゃんは、初めて聴く(といってもCDはしょっちゅうかけているのだけれど本人は気づいていない)ダイアナ・クラールを相当気に入ったらしく、
家に帰ってからもヨカッタ、ヨカッタと興奮冷めやらない様子だった。

やっぱり男は金髪&ダイナミックボディーに弱いのね。
Comments (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニューオリンズ救済アート展

2009-06-29 04:49:09 | アメリカ生活雑感
3週間ほど前、ローカル新聞で面白い記事を発見した。

★ ★

今年3月、地元のとあるアーティストが4年前のハリケーン・カトリーナで壊滅したニューオリンズを訪れた。
4年たってもいまだ復興から取り残され、多くのホームレスが暮らしている町の現状にショックを受けて戻った彼女は、その後テレビでブラッド・ピットが立ち上げたニューオリンズ救済基金「Make It Right Foundation」の存在に刺激を受ける。
そして、自らの絵の先生であるジェニファーさんやアーティスト仲間、アートを学ぶ大学生たちに声をかけ「I Artist」(アイ・アーティスト)という非営利グループを結成。
各々がニューオリンスのイメージで描いた作品を、地元の人たちの新しい住まいに飾ってもらおうと活動を始めた。


このグループの初めての展覧会が近々開かれると、記事は伝えていた。

愛するニューオリンズのために何かできることはないものかと常々考えていた私は、早速このプロェクトを立ち上げたカレンさんに問い合わせのメールを送ってみたところ、彼女はすぐに返事をくれ、その後丁寧にも招待状を送ってくれた。

かくして6月26日、Bloomingdale(ブルーミングデール)という車で20分ほどの町の町営ミュージアムで開かれるというその展覧会に、是非一緒に行きたいというPちゃんとふたりで出かけることに。



このクラスの先生でもあるアーティストのジェニファーさん(左)と、カレンさん



展示会場の中には、軽食やスナックなども用意されていてフレンチ風のアレンジ。
今回がこのプロジェクト初の展示会ということだったが、大盛況の様子。

ブラピ&アンジー&ルイ・アームストロングの組み合わせが笑える


私が個人的に最も気に入ったアート。
ニューオリンズの街角風景を見事に描いている

これは他のと違って個性的で目を引いた



Pちゃんはこのミュージシャンを描いた作品にすっかり心を奪われたようで・・・
結局私たちは後ろの2点を買うことにした。作者でもあるカレンさんと一緒に記念撮影

各々の作品は精密プリントコピー(表面の起伏などオリジナルと見分けがつかないくらい精巧なのに驚いた)されて販売され、代金はニューオリンズで家を失った家庭に寄付される。



※作品・価格など詳細はこのWebサイトで:www.KarenLovestoPaint.com

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Pちゃん、爆発。

2009-06-27 06:05:48 | ダーリンはドイツ人
今週の前半は、うだるような暑さだった。
一時は華氏100度近くまでいったというから、38℃くらい。しかも湿度がものすごいくまるで蒸し風呂状態。

しかし、こんなときに限って今まで正常だったエアコンがきかなくなった。
暑さに極端に弱いPちゃんは、クーラーがきかなくなったと知ったとたん発狂寸前に。
去年も一時きかなくなって業者さんを呼んだことがある。
1回目は「フィルターを交換したら直りますよ」
で、フィルターを交換したが2日でもとどおり。
怒ってまた呼んだら、当初のこちらの推測どおりフロンがきれていたので、満タンに注入して帰っていった。

そんなこんなで80ドルも支払ったのに、また今年ぶっ壊れるとは!
しかも今年は購入から2年目ということでホームオーナー・ウォランティー(保証)を更新しなかったので、すべて実費で支払わなければならない。
暑さで何も手につかないPちゃんは、夜中に懐中電灯をもって室外機をいじくり始めた。
そして翌日も、私が学校に行ってる間一人で原因を追究しようと格闘したらしい。
で、どうやら室外機がいかれているという結論に達し、あちこち電話した結果一番安心そうでしかも格安な近所のショップにでかけ、翌日には配送してくれるという約束を取り付けてきた。
こういうときは異常にに行動が早いPちゃん。

しかし、その晩はクーラーなしの灼熱地獄。
特に寝室は最悪。熱帯状態だ。

でも、私にはなんだか懐かしいこの感じ。
田舎(徳島)では、夏でも昼間はクーラーつけず、汗だらだらの生活だったし
大学時代はクーラーのない下宿で、アイスノンを抱いて寝ていた。
だからこれくらいなんともないっちゃなんともない。

暑さでもだえるPちゃんに、冷凍庫にあったいくつかの保冷財にタオルをまいて渡してあげたら、体中を冷やしていた。
あんたは白クマか!

そして翌日。
昼過ぎについにお兄ちゃんが巨大な室外機を持ってやってきた。



が、このお兄ちゃんには重大な弱点があった。


蜂が怖い~。


室外機の電気ボックスの中に蜂が小さな巣を作っていたらしく、そこから蜂が出てきてパニック。
「蜂が全部いなくなったらまたきます」と帰りそうになったので、今度はPちゃんがパニック。
ここで帰してなるものか。

「蜂は責任を持って追い払うから作業を続けてくれ」と懇願し、お兄ちゃんはいつでの逃げ出せる体制で恐る恐る作業を開始。
その間、Pちゃんと私は目を光らせて蜂退治に全神経を集中させる。
(結局3匹の蜂を退治・撃退)
しかしよくこんなんでこのお仕事が勤まるなぁ、兄ちゃんよ。

そして約1時間後、すべての作業が完了し我が家に再びクールエアーが戻ってきた。
と思ったら、今日はいくぶんすごしやすかった。

クーラーがきかなくなっただけで、丸々1日無駄な時間を費やしてしまった。
でも、暑い暑いといいながら寝るあの感覚も、なかなかよかったんだけどな。

Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“From the start, he was a thriller.”

2009-06-27 03:05:06 | アメリカ生活雑感



今まで何度も重体・死亡説が出ていたので、さして驚くことではなかったによ、
こうもいきなり死んでしまうと、後半の彼の音楽をもっと聞きたかったのにと残念でならない。

昨日今日の報道を読む限り、近頃のマイケルはロンドンでの“復活公演”にむけて相当無理を重ねていたらしい。
ただでさえ危うい健康状態のところに、一日6時間ものリハーサルを繰り返していたという。
予定されていた50回にも及ぶコンサートツアーは、ヘビー級のボクサーが毎日試合をするようなものだと専門化がコメントしていたが、マイケルはそれを知りながらやり続けたのだろう。
長いブランクを埋めるのは大変なこと。
リハーサルを重ねるごとに、自分自身に納得できず焦っていたのかもしれない。

ある意味自殺行為だった。
いや、復活のステージを前にして突然死ぬということは、ひょっとしたら彼の人生の最高の幕引きだったのかもしれない、とさえ思う。



「スリラー」が出たとき、私は大学1年生だった。
レコードに針を落とした(まだCDなんてない時代)その瞬間、部屋の中に爆風が吹き荒れた、あの感覚をはっきり覚えている。
時まさにMTV真っ盛りという頃。
マイケルのビデオクリップは、他の追随を許さない完璧なまでのショートフィルムだった。
時は流れ、マイケルの顔もすっかり変わってしまった。
昨今の話題は金銭問題にチャイルドモレスト。

あれほどの才能をもった人物が、ここ数年間1枚のアルバムすら出さずこれという音楽活動をしていなかったことが唯一悔やまれる。
マイケルを崖っぷちに追いやった、そのマスコミが、彼の遺体を載せたヘリを追い掛け回している映像は切なかった。


彼の魂は、今どこをさまよっているのかな。
まだ死んだことを知らずに今日もリハーサルを続けているのかもしれない。



私が個人的に一番好きだったマイケルの曲を久々に聞きながら、冥福を祈ろう・・。




Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マイケル、死す。

2009-06-26 09:18:41 | アメリカ生活雑感
<Breaking News>

http://abcnews.go.com/
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

隣の町の小さなブルースフェスで、すごい人たちを見た!

2009-06-22 02:16:30 | music/festival
隣町、Aurora(オーロラ)で毎年行われているブルース・フェスティバル“Blues on The Fox”を冷やかしに行ってきた。
いやいや、冷やかしどころかどっぷりつかってしまい、ついに日がな一日過ごしてしまった。
驚くなかれ、そこでものすごい人たちを見ることになってしまったのだ。

★ ★ ★

午後2時40分  到着

初めて訪れるオーロラ・ダウンタウンは、歴史的情緒あふれるかわいらしい街だった。
イリノイ西部を南北に流れるFox Riverの橋の上が会場。
橋の向こう側に小さく見えるのが、ステージ。
今日はここで6組のパフォーマンスがある。



この頃は、まだ余裕で歩けた。




今日のスターターは、地元のミュージックスクールの子どもたちのパフォーマンス。
ブルースを中心に、ジャズ、ヒュージョン系など幅広く演奏していた。
ソロパートもかなりしっかりしていて、驚く。


★ ★
午後3時 今日の“お目当て”、ヘンリー・バトラー(Henry Butler)



ニューオリンズ出身の盲目のピアニスト。
プロフェッサー・ロングヘアー、アラン・トゥーサンなどの曲を中心に
ニューオリンズサウンドをたっぷり聞かせてくれる。
目が見えないとは思えないほど、正確で爆発的ともいえる力強い演奏に
思わずぐいぐい引き込まれていく。





演奏終了後、近くのテントでCD即売&サイン会が行われてさっそくCDを購入。
ヘンリーは、先日スペインで行われたブルース・フェスで、シカゴで活躍するブルースギタリストの菊田俊介と一緒だったらしい。
私を日本人だとわかってか、「ジュン・ヤマギシ(山岸潤二)を知ってるかい?彼とはたびたび一緒にプレーしたんだよ」とうれしそうに話してくれた。
山岸がニューオリンズに拠点を移したのはもう、かれこれ20年くらい前じゃないだろうか・・・。
多くの日本人がアメリカで活躍しているなあと実感。
ヘンリーの実家はハリケーン・カトリーナで壊滅し、彼は今はデンバーに住んでいるという。
皮肉な話だが、そのおかげで今まで地元に埋もれていた多くのミュージシャンが国内で有名になったのだ。


一方Pちゃんは、先日の(スペイン)公演がまさに彼の生まれ故郷(ビルバオ)だったことを知り、その話で大盛り上がり。
しかも、会場のゲッチョはマリベールおばちゃんの住んでいる町。2006年暮れには私たちもお世話になったところ。
なんだか懐かしい。


★ ★

午後5時30分 伝説のブルース・ハーモニカ奏者、シュガー・ブルー(Sugar Blue)登場。



私は今まで彼の存在を知らなかった。
何気なくステージ近くでパフォーマンスを見ていたら、そこから離れられなくなり、終わった頃にはなぜか涙が出ていた。


◆1949年ニューヨーク、ハーレム生まれ。アポロシアターのダンサー&歌手であった母の影響で
小さい頃はシアターのミュージシャンだちに囲まれて育った。
ビリーー・ホリデーもその一人だった。
10歳でハーモニカを手にし、その後ボブ・ディランやスティービー・ワンダーらの曲を自己流でコピーし始める。
その後パリにわたり、ミック・ジャガーに見出されて、ストーンズバンドに加わり、「Emotional Rescue」「Tattoo You」のレコーディングメンバーに。
あの有名な「Miss You」のハーモニカは彼によるもの。
そして82年にアメリカ帰国。数々のシカゴ・ブルースミュージシャンと競演を続ける。
(HPより抜粋訳)

彼の渾身のパフォーマンスに、Pちゃんも「こんな素晴らしい演奏は今まで聞いたことがない」と大興奮。
しばらくふたりで彼を追っかけることになりそうだ。


★ ★

午後8時。 

こんな時間までいる予定じゃなかったのに、思わずいてしまった私たち。
気がつけば今日のトリ、「ロス・ロボス(Los Lobos)」の出が近づいていたので、
もう最後まで見届けることにする。
そしてこの頃には・・・


すでに身動きとれない状態に。どこもかしこも、人・人・人・・・




メキシカンが圧倒的に多く住むこの町の、まさにうれしい贈り物となった「ロス・ロボス」。
熱狂するメキシカンたち。そして初めてナマ「ラ・バンバを」聞く。
アメリカの夏祭りは、盆踊りではなく野外フェスティバルなのだ。

アンコールでは、今日最初にパフォーマンスしたミュージックスクールの子どもたちとの競演。
10~13歳くらいの男の子たちがプロにまじって堂々のギターソロを披露し、
酔っ払った観客からやんやの喝采を浴びる。
最後は、5歳くらいの金髪のお人形さんのような女の子が体よりも大きいエレキギターを持って登場。
ロボスと一緒になんと、ジミヘンの「Purple Haze」を演奏&熱唱!
"Scuse me whlie I kiss the sky"

のパートは、まわりのおっさんたちが絶叫。

子どもを子ども扱いしない、うまい演奏にはリスペクトする・・・こんなところがアメリカの音楽文化を育てるんだなあとつくづく実感した。
本当にうらやましい。


今日のパフォーマンスはある意味、シカゴ・ブルースフェスティバルを超えた質の高さだった。
郊外に住むものにとって、本当にうれしい夏のプレゼントだ。
Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近のブーム

2009-06-19 08:22:43 | cooking
最近狂ったように挑戦し続けているのがこれ。



マーボー豆腐。

最近Pちゃんの(自分も・・)ダイエットを気にかけて「豆腐食い週間」を導入してみた。
野菜と豆類をたんまりとろうということで、最近はまっているのがマーボー豆腐というわけ。
なんだか面倒くさそうで今まで作ったことがなかったのだが、これがなんとも簡単、しかもおいしい。

参考にしたのはおなじみの、「ガッテン流マーボー豆腐の作り方」

このとおりにやると、結構プリップリのマーボー豆腐が出来上がる。
毎回同じように作るのに微妙に出来が違うのが不思議。Pちゃんの食いっぷりでわかる。
目下Pちゃんは「毎日これでもいい」というくらいのお気に入り。

というわけで、これからも“マーボー豆腐道”は続く・・・。
Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新記事

2009-06-17 14:49:13 | アメリカ生活雑感
東京とともに2016年のオリンピック候補地になっているシカゴ。
10月の最終決定を前に、20年ぶりアメリカ開催に燃えるシカゴの様子をレポートしました。
是非ご覧くださいまし。


SHOKOのシカゴ的生活~Vol.6~ 
「2016年オリンピック開催に燃えるシカゴ。オバママジックで“Yes, We Can”再び。」
Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歯医者と大バトル。

2009-06-17 08:21:37 | アメリカ生活雑感
つい最近、1通の請求書が届いた。
開けてびっくり、なんと2年前の9月に行ったバークレーの歯医者からで、「これが最期の通知になります、うんぬん・・」と脅迫めいた内容。
なんだよ、今頃。
それに今まで一度だって請求書なんか受け取ってないぜよ。
よくよくあて先の住所を見てみたら、全くスペルが違っていて届いたのが奇跡のような話。

この請求書をめぐっては、過去に一度すったもんだがあったがすでに解決済みだった。
2007年の9月は、Pちゃんのバークレーでの職場契約が終了してシカゴに移行する期間にあたっていて、医者が保険会社に請求したところ保険会社から「すでに契約期間が終了しているので払えません」と支払いを拒否され宙に浮いた形になってしまった、というのがいきさつ。

職場の担当者からは、9月いっぱいは保険は有効と聞いていたPちゃんは、もちろん激怒。
担当者にクレームを入れたところ「私のミスですからこちらで処理します」といわれ、それを信じていた。

しかし。ここはアメリカ。
ちゃんと仕事を全うしないやつのほうが多い。(と思ったほうがいい)

案の定、彼女は何もやらずに職場を去り、この100ドルの請求書は歯医者と保険会社を往復し、挙句の果てに間違ったあて先に何度も送られては「宛て先不明」で歯医者に戻るというサイクルを1年半も続けていたのだった。
そして奇跡的に最期の請求書が今頃になってうちに届いたというわけ。


歯医者にあわてて電話を入れる。
「今まで一回も請求書らしきものを受け取ってませんが、今頃何のことでしょう?」
「何度送っても戻ってきたんです」
「だって、あて先のスペル、全然間違ってるんだもん。それはそっちのミスでしょ?今日たまたま受け取ったからよかったものの、急に今すぐといわれてもねえ。それにこれはすでに処理済のはずですけど」
「保険会社から支払いを拒否されたんです。だから払ってください」

ぬあにおおおおお???(ブチッ)

「あのねえ。あんたんとこに預けた私のレントゲン写真、すぐに送ってくれと何度も頼んだのになしのつぶてだったのはどちらさん?何度も電話してメッセージ残しても返事もよこさずに。それに100ドルってあんた、椅子に2分くらい座って口開けただけでぼったくりもほどがあるわ!(←怒りのあまりポイントがずれている)」
「・・・何分だろうが、請求料金は同じなんですぅぅぅぅ


とにかくこっちもいろいろ調べることがあるからちょっと時間をくれないか、と頼んでひとまず電話を切った。

Pちゃんがこれに発狂したのは言うまでもない・・・
「なんで、責任をもって“やります”と言ったことができないんだぁぁぁあ!!!(←職場の担当者のこと)また一から両方に説明し直さなきゃいけない。こんなことに労力をかけさせるなぁぁぁ!!!

案の定、職場に電話を入れたらもうすでに当時の担当者は退職し、誰もこの件について責任をもてないという。
歯医者は歯医者で、「今すぐ100ドル払え」の一点張り。

しかし、ここでひるむPちゃんではない。
いや、ひるんでいてはアメリカで暮らしていけない。
聞き分けのいいやつはバカをみる仕組みになっているのだ。

「何も100ドルが払えなくて言ってるんじゃないんだ。どうして、いったん処理されたことが今頃蒸し返されるのか。しかも間違った住所に送っていたのは明らかにそっちのミスだろう?」

15分くらいバトルが続いたあと、歯医者のほうは当時のいきさつを納得してくれたようで、Pちゃんの旧職場の現担当者と直接話をつけてもらうことになった。
私も当時の請求書を保管していたので、それをFaxして日付を明確にさせ、当時まだ保険契約下にあったことを証明。


執念が実って翌日、なんと旧職場から「こちらで処理をします」と連絡が入った。


本当に、安心して人に任せるということができない国だ。
でもこんな間違い、日常茶飯事なんだろうな。
ホンマにここはいったい、途上国か!?
Comments (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブルースの日。

2009-06-16 00:50:33 | music/festival
6月12日~14日。恒例のブルース・フェスティバル開幕。
4日間だった昨年から、今年は3日間に短縮。
こんなところにも微妙に経済不況の影響が押し寄せている。
ミュージシャンの顔ぶれも、去年に比べると幾分さびし気。でもやっぱりここに来なければ夏が始まった気がしないので、3日目の最終日に電車に飛び乗っていざシカゴへ飛び出す。

今日は単独行動。
Pちゃんはいろいろやることがたまっているらしく、そんなにブルース好きというわけでもないので、家でゆっくりするらしい。
うふふのふ。


★ ★




さて、まずはギブソンステージから。
Eenest Lane and the Kings of Rhythm
名前のとおり、リズムセクションがカッコよかったなあ。


このおばさん、毎年きまって同じTシャツ着て同じところに座っている。
そういや2年前も・・・


Lou Pride and the Blues Disciplines



そして“無形文化財”、おなじみのDavid "Honeyboy" Edwards
今年でおん年95歳なり。
このあと、サインコーナーに並んでサインしてもらった。
ついでに握手してもらったら、手がとってもあったかかった。
目が優しかった。まさに「ハニーボーイ」
来年も来てね。



毎年出ているKOKOのブース(ミュージシャン救済ファンデーション)は、今年はひっそり。
ぎっしりとKOKOへの追悼メッセージが寄せられていた。
私もメッセージを書いた。
「KOKO, Go Blues Forever!」


シカゴブルース発祥の地「Maxcell Street」で使われていた「ブルース・バス」。
古いスクールバスを塗り替えた年代モノ。


最後は、プロによるJam sessionを見る。
ホストはGary Grand Band
やっぱり、Jamはホットでいいな。


そのとおり!!

Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする