Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

「全米住みたい街No.1」ポートランドへ。

2017-10-13 18:19:31 | 旅行
R時代の同期で、昨今ちょこちょこ一緒にお仕事をさせていただいている広野郁子さん(アイキューブ社長)。
新卒同期とはいえ、彼女とは配属部署も違ったし彼女は入社3年で結婚退職してしまったので現役時代はほとんど接触がなかった。
それが、不思議なご縁でまた20年以上を経て再会。

得意分野で会社を起こし、今では社員10人を抱える企業の代表をつとめる彼女から依頼されて仕事のお手伝いをさせてもらったり、2年前には一緒に市場調査にテキサスにも通訳兼コーディネーターで同行したりもした。
とにかくおっとりした見た目からは想像できないくらい、パワフルな人なのだ。

その郁ちゃんから、仕事でオレゴン州のポートランドに行くので会わない?とお誘いを受けた。
ポートランドは前から一度行ってみたかった街。
こんな機会でもないともう出かけることもないかもしれないと思い、えいやっとチケットを購入して2泊3日の弾丸訪問をしてきた。

そう、人生は短い。
元気で走り回れる時間もこれまた短い。
思いたったらすぐ行動だ。

ポートランドはアメリカ西海岸の北、カナダに近いオレゴン州最大の街。
最近日本でも「行ってみたいアメリカの街」のナンバーワンに選ばれるくらいブームだという。
また、アメリカでも「住みたい町No.1」に選ばれているほどだ。

その人気の秘密は、オレゴンの恵まれた大自然にはぐくまれた食の豊かさに加え、地産地消を奨励したり地元のビジネスを徹底して応援する市政方針。
これが功を奏して、いかにもアメリカというような巨大なスーパーやぐらぎらしたモールは街中にはなく、地元のユニークなショップやエコフレンドリーなビジネスが市民に受け入れられている稀有な街だ。
それでいてセールスタックスもかからないという買い物天国なのも人気の理由だ。
街も清潔で公共の交通網が発達し、15分もあれば大概の目的地までたどり着ける至便さが年配者にもやさしい。
街中を走る路面電車と石畳の道路は、どこかヨーロッパの街並みを思い起こさせる。

リベラルを絵にかいたような、とはこういう街のことを言うのかもしれない。

まぁ、私のようにシカゴ命・夜型音楽命的人間にはちょっと刺激がなさすぎるかも。
そう、このあたりはどことな~くサンフランシスコの退屈さにも似ている気がするのだ。西海岸独特の匂い。
リタイアして住むには最高な地なのだろう。

それでも、ずっと行きたかったポートランドで旧友に会い語り、また新しい出会いもあり、わずか二日間の滞在だったけれど十分に楽しめた。



空港から市内を結ぶMax。たった2.5ドルで2時間半以内乗り換え放題でどこへでも行ける。



ウィラメット川沿岸に広がる公園ではこんなのどかな光景が



ダウンタウンの中心、パイオニア・コートハウス・スクエア。
市民がレンガを買って建設費を捻出しこの広場が作られたという。まさに市民の広場。

  


そこはかとなくヨーロッパの香り漂う街並み


ハロウィーングッズもたくさん店頭に


土日には川沿いで大規模なマーケットが開かれている。
残念ながら飛行機が大幅に遅れたためいけなかったじゃないか!週末しかやってないというのに。
こういう「貴重な撮影チャンスを逃した」という保障は誰もしてくれないからなぁ・・・。

 
エスニックなフードトラックが並ぶ露店。
ここでタイカレーを買って、近くの広場で食べた。


靴の自動販売機って初めて見た(人気のアウトドアショップ“Keen”)
Keenの他にもポートとランドには人気の靴メーカーやアウトドアショップが密集している。


このまちは、どこもここもペットにやさしい

 
日本ではある雑誌に写真が載って急に人気が沸騰したという「Ace Hotel」
アメリカには他にも素敵なホテルはたくさんあるし、別にどうってことないと思うんだが・・。


郁ちゃんと川べりを散歩。
通常この時期ポートランドは雨ばっかり降っているらしいのだけれど、この3日間は晴天のぽかぽか陽気。
買える日に初めて雨模様になった。ついていた私たち。


二日目の夜はポートランド在住のお歴々を交えて女子会。
いろんなビジネスチャンスが見えてきて楽しいひととき。
この店は劇場をリノベーションしているパブのチェーン「ゼウス」
https://www.mcmenamins.com/crystal-hotel/zeus-

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紅葉を観に行く、アポなし中西部の旅(その3)

2015-11-14 18:28:03 | 旅行
3日目

10月15日(木)


今日のルートは、夕べ泊まったラ・クロスから少しだけ北上して、ミシシッピ川の河畔にあるフレンチ・アイランドを通過し、
せっかくなので一瞬でもミネソタに足を踏み入れようと対岸に渡り、またウィスコンシンに戻ってグース・アイランド・キャンプ場でミシシッピ川に別れを告げ、マディソン経由で自宅に帰るという強行軍。






ラ・クロスから北上、ミシシッピ川をいったんミネソタサイドにわたって(これが5回目の横断)、ハイウェイ沿いのカフェでの朝食から一日がスタート。



  
外ならGOROもOK、この日もぽかぽか陽気。外ならたいがいペットOKなのでお天気がいいとうれしい。


いかにも・・・アメリカンな朝食で腹ごしらえをしたあと・・・
再びウィスコンシン川にわたって、今日のお目当ての場所

  
グース・アイランド・キャンプ場へ。

ここは観光局からのおすすめの場所。時期はまだ早かったが、冬場にはボールド・イーグル(ハクトウワシ)が群れをなしてやってくる名所なのだ。多い時には何千羽というイーグルが、ミシシッピ川の獲物を狙って木に群れているのだそうだ。

10月いっぱいでキャンプ場は春まで閉鎖されるので、キャンプをしている人ももうまばら。
キャンプといってももちろんテントではなく、どでかいキャンピングカーを停泊させてのラグジュアリー長期滞在型キャンプ。

 
古いものから最新型まで、いろいろなタイプのキャンピングカーが勢ぞろい。
ミシシッピ川のすぐそばでキャンプ、夏場はさぞ楽しいだろうなぁ。一度はアメリカでやってみたい体験だ。


シャワー設備や飲料水、トイレも完備しているので全く不自由はなし。



最新鋭の設備でキャンプをしていたDanさん。
のロキシーを連れてのんびりと最後の週末を楽しんでいた。
夏場は毎週末やってくるという。


 



Pちゃんはここがすっかりお気に入り。キャンプ客もいずに私たちだけでGOROのリーシュも外してしばし大自然の中の散歩を楽しんだ。
自然に抱かれて、身も心もすっかりリフレッシュ。


 


さて、いよいよ帰路へ。これからはひたすら南に向かって運転、運転。
本来ならば90号線を使うのだが、山の中を通ってみたかったのであえて14号線で。
途中、ウィスコンシンの州都のマディソンに立ち寄ったけれど・・・


マディソンへ到着した頃には陽が沈んで観光もできなかった。
とりあえず州議事堂をバックに証拠写真。
マディソンは、ふたつの湖に囲まれた風光明媚な素敵な街だった。
街のど真ん中にウィスコンシン大学があるせいか、若い人たちが多く活気がある。スプリングフィールドとは大違いだ。

そして約2時間の運転ののち、自宅に戻ったのは午後11時。
GOROも我が家にほっとしたのか、即爆睡状態。
初めての犬連れでの連泊の旅、最初は不安もあったけれどとにかく行ってよかった!
改めて、アメリカのハートランド、中西部の魅力にはまった旅だった。


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紅葉を観に行く、アポなし中西部の旅(その2)

2015-11-07 17:01:18 | 旅行
10月13日(水曜日)快晴。

行き当たりばったりの旅、二日目。




朝食をホテルですませ、ダビューク一番の名所「フェネロンエレベーター」に行ってみる。
世界一“急な”ロープ―ウェイ(エレヴェーター)として知られている。もともとは、丘の上に住んでいた市長が市内に通う時間を短縮するために個人的に作ったもの。
今でも車を利用しない住民のための重要な足になっている。

この頂上から見渡すミシシッピ~トライステイト(イリノイ、アイオワ、ウィスコンシンの3州をこう呼ぶ)は絶景なのだ。



これから上ります


頂上から絶景を見渡す

その後、このサインを撮るためだけにミシシッピ川を往復。


ミシシッピ川沿いを走る、通称「グレートリバーロード」を北上。
今日は、ウィスコンシン州側の道ではなくまだ行ったことのないアイオワ側(州道52号線)を走ってみることにした。
走っても走っても、地平線が遠くに広がる牧歌的な景色は変わることがない。これぞ中西部、だ。




途中、ボールタウンという小さな町で下車。
ここに実は、知らせざる絶景ポイントがあった。



わしにも覗かせろや~(GORO)

道沿いに小さな墓地があったので、立ち寄ってみた。墓標に掘られた名前を見ると、ご先祖がどこから来たのかが一目でわかるからだ。
墓に掘られた名前は100%がドイツ名だったことから、このあたりはドイツからの移民によって開拓されたことがわかる。


アメリカの移民の歴史を目の当たりにしたPちゃんはいたく感動したようす。
墓地にこんなに時間をかける観光客って、私たちくらいなもんだろう。

そしてもうひとつ。この町で素敵な出会いがあった。
「アイオワで一番古いレストラン」と看板に書かれたレストランを発見。どうしても中をみてみたくなり、少しだけ覗いてみた。
ちょうどお昼時と重なって大型観光バスが次々に到着していたことからも、地元ではかなり有名な店のようだった。
レストランの名前は「Breitbach's Country Dinning」ドイツ名。ドイツ国旗も掲げられ、店内の装飾もドイツのものばかり。
Pちゃんが忙しくレジをしていたおじさんにこの店の事を聞こうと話しかけたところ、なんとこの方こそお店のオーナー、マイクさんだった。

Pちゃんがドイツ人だとわかるや、マイクさんは忙しい手を休めてまでPちゃんと話すのに夢中。私たちに(昼間から)ビールをふるまってくれた。
マイクさんご自身はアメリカで生まれたドイツ系アメリカ人。1852年から続くこのレストランを今も守リ続けている。過去に2度の火災に見舞われて全焼したものの、地元の人々の厚い支援のおかげで立ち直った。
まわりにはレストランもなく、この小さい街にはなくてはならない大切な場所なのだろう。


この方が、オーナーのマイク・Breitbachさん。



「今度はゆっくり訪ねておいで。ランチをご馳走するから」そう言って、マイクさんは名残惜しそうに手を握ってくれた。
このレストランのお向かいには、マイクさんの弟のスキップさんが経営する雑貨屋さんがあり、そこでここの思い出に収穫祭のオーナメントを購入。彼が自宅の庭で育てた草花を自らの手で乾燥させ、一つ一つ手作りで編んで作っているという。
都会で買うと軽く20ドルはするような立派なオーナメントが、なんと8ドル弱。

 

再びミシシッピ川沿いを、53号線に沿って北上。北に行くにしたがって、少しずつ紅葉も鮮やかになってくる。
そしてふたたび穴場の絶景ポイントを発見。



赤や黄に色づいた木々の間から眺めるミシシッピ川は本当に美しい。

Mississippi Valley Overlook 展望台
住所 :32832-33298 Great River Rd, Jefferson, IA 52052



そして、アイオワに別れを告げてミシシッピ川を渡り向こう岸のウィスコンシン州、プレーリー・ドゥ・シーン(Prairie du Chien :フランス語で「犬の草原」)へ。

名前の通り、この町はフランス移民によって開拓された街。
当たり前だが、街によって移民のストーリーもがらりと違ってくる。これを体感できるのも、中西部の旅の楽しいところだ。



ミシシッピ川のほとりで、ウィスコンシンビールを味わう。ウィコンシンはビールの街でもあるのだ。


プレーリー・ドゥ・シーンから、今度はウィスコンシン側のグレートリバーロードを北上し、途中のFerryvilleで日没を見る。
このルートはこの時期紅葉が美しいと、観光局もおすすめだった。




 


夕陽とGORO。


このあと、さらに30分ほど北上したところにある少し大きな町、ラ・クロスで、今晩は宿をとることにした。
飛び込みで入ったモーテルは、プラス15ドルでGOROを受け入れてくれた。

今夜のディナーはちょっとだけ豪勢にリブステーキ(Pちゃん)。中西部といえばやはりステーキ。一度くらいは味わっておかないと。

 
Pちゃんによると、とてもお肉はとても柔らかで味わい深かったそうな。


GOROも少しずつ旅のパターンに慣れたのか、安心して(それでも私にべったりへばりついて)爆睡。


(つづく・・・)






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紅葉を観に行く、アポなし中西部の旅(その1)

2015-11-06 20:44:26 | 旅行
ここ数年、ふたりで旅に出たことがない。
私は仕事であちこちに出かけているものの、Pちゃんはしばらく家から離れていないことがずっと気になっていた。

そこで、この秋はふたりで、いや、GOROも一緒に旅に出ると決めていた。
この時期の中西部は紅葉が素晴らしいのだ。美しい景色を眺めながらアメリカの広大な大地を走り、ちっぽけな人間の存在に気づき、まだ見ぬアメリカの歴史を学び思いをはせてみようじゃないか・・・そんな行き当たりばったりの旅。

紅葉マップとにらめっこしつつ、旅に出たのは10月の13日。
まずイリノイを西へ西へと向かった。

★第1日目のルート


イリノイをシカゴ西へ、アイオワ州との境にある街ガリーナをまず目指す。
40分も走ると、そこは一面コーン畑が広がるど田舎の景色が広がる。この時期にしてはポカポカ陽気、絶好のドライブ日和だ。


GOROは後ろで爆睡

2時間あまりで、ガリーナにほど近い街の高台に到着。遠くアイオワとウィスコンシンを眺める。


 
ガリーナに到着。ここには第18代大統領グラント将軍が住んだ家がある。
南北戦争では北軍を率いて大勝利を収めたグラント将軍に、街が寄贈した。しかし彼はその後すぐに州都スプリングフィールドに移ったためここに住んだ時間は短かった。

・ユリシーズ・グラントの家
500 Bouthillier Street
水曜~日曜:9:00 a.m. ~ 4:45p.m. (ラストツアー開始:4:45 pm. )
休館日:月・火曜日, 大人$5、子供 $3
www.granthome.com



坂を下ると、そこは「アメリカで最も素敵な小さな町」にも選ばれたガリーナ。

到着が夕方近くだったこともあって観光客の姿もまばらだったが、それがかえって犬連れの私たちには都合よかった。
個性豊かなお店に入って面白そうな雑貨を物色している間、PちゃんはGOROを連れてかわいい街並みをぶらぶらお散歩。
観光客の人たちから「かわいい犬ね。なんていう種類なの?」などと声をかけられ、そこから会話がはずんでいた様子。



ガリーナの、まるで小さなヨーロッパの街を思わせる佇まいにPちゃんはすっかり魅せられたようで、もっと歩きたいからといって珍しく離れようとしない。
坂道を登って古い居住区を散策しながら、「あー、ここに住んでしまいたいくらい」とまで言う。
私が以前この町を取材で訪れたとき、Pちゃんが絶対気に入りそうだと思っていたがその通りだったようだ。
自然のなかに包まれている、余分なものから解き放たれたようなこの感覚。久しぶりかもしれない。

 



陽も沈んで、今回の旅で初めてミシシッピ川を渡る。
川の向こう側はアイオワ州だ。


さて、今回の旅の一番のチャレンジはGOROを連れてきたこと。
ドライブはいいにしても、食事のときはどうしよう、町歩きは大丈夫か・・・といろいろ心配はしていたけれど、あまり考えすぎていたらどこへも行けないのでどうにかなるさ、と出かけてみた。
1日目は大移動をせず、アイオワに入ったすぐの街ダビュークで宿泊する計画を立てペットOKのホテル予約をとっていた。
さすがペット大国のアメリカ、ペット可のホテルが思った以上に多かったのでこの問題は難なくスルー。

チェックイン後、食事に出かける間は部屋でお留守番。このときばかりは泣きそうな顔をしていてかわいそうだったけど・・


晩御飯は飛び込みで入ったカジュアルイタリアンレストラン。
厳選したオーガニック素材を使ったThinクラフトピザが最高においしかった。


なぜか、檻に囲まれたの部屋もあった・・・

ホテルに戻るとGOROはほっとした顔で飛びついてきた。ご飯も食べていなかったようだ。
長旅の疲れと知らない部屋が不安だったのか、私のそばから離れず一晩中べったり引っ付いて寝ていた。せっかくベッド持ってきたのに・・



・・・続く
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アメリカ縦断・ミシシッピの旅~その7 (Oak Park~Ponnyac~Springfield)

2013-11-14 14:49:06 | 旅行
10月8日 

結局シカゴ滞在時間は、たったの20時間足らず。
それでもHomeに帰ってきた安心感からか、ちょっと旅の疲れも癒えた気がする。

夕べ、「Buddy Guy's Legends」から戻って遅くにチェックインしたホテルは、オークパークでも名高い歴史的なホテルだったことに朝になって気づいた。
古いのでなんかまた出そうな雰囲気ではあったけれど、疲れていたのでそんなことを感じている暇もなく爆睡、事なきをえた。




7時に起床。ホテルの1階にある、いかにもアメリカンなダイナーでこれもアメリカンな朝食(フレンチトーストとコーヒー)をとり、建築家フランク・ロイド・ライトの設計した家を見て歩く。
もう何度も見ているけれど、季節が変わるごとに街並みも違った趣を見せて美しい。

 
フランクロイドの住居兼スタジオ

 


ヘミングウェイの生家もこの街にある。


そして、また一路南下の旅が始まる。
Rt.55(旧Rt.66)を走ること約1時間40分、次なる目的地Pontiac(ポンティアック)に到着。
ここは、シカゴとイリノイの首都スプリングフィールドのちょうど真ん中に位置する、ルート66沿いの小さな町だ。
出迎えていただいた市長さん直々に“ルート66博物館”をご案内いただく。



 
“ルート66男”としてその生涯を生き抜いたボブさんの愛車。
2009年に64歳で亡くなったボブさんは、44年間定住せずに愛するルート66を車で往復し続け、生涯を閉じた。
何というか、夢に生きたいい人生だな。願わくば66歳で逝かせてあげたかったけど。



1940年代のアメリカの生活が再現された部屋。


ここにはなぜか「戦争博物館」も。

   
第2次大戦時の日本兵の遺品が多く展示されていた。
生写真を見ていると胸が切なくなる。日本に返してあげたいと思ったのは私だけではなかったはず・・


毎日退役軍人の方がボランティアで戦争体験を語ってくれる。



市長のロバート・ラッセルさんはポンティアックを心から愛していて、こうやって予約をもらったお客さんを直々に迎えて案内しているのだとか。
どうにかしてこの街のことをよく知ってもらいたい、という情熱があふれていた。
市長の鑑のような人だ。



実は、正直なところこの街に来るまではあまり期待していなかったのだが、滞在した2時間の間に私はすっかりこの街にやられてしまった。
古き良きアメリカの歴史がギュッとつまった、そしてちょっと時が止まったようなどこか懐かしい街。
街角のダイナーも、言葉を交わす町の人々も、アンティークショップも、すべてがキュート。
もっともっと、この街のことが知りたい・・・と思いが募ったころにはもう次の目的地に出発しなければならなかった。
ああ、後ろ髪をひかる私たちであった・・・。


アメリカで一番大きいルート66のサイン。


この街をこよなく愛したボブさんが残していったアートが町のあちこちに。



これがボブさんの愛車2号。古い(1966年製)のスクールバスをすべて自分で改造して、中はまるでヨットのキャビンのように機能性に富んだつくりになっていた。
これで来る日も来る日も旅をし続けたのか・・。



 

 
毎年1回、ルート66沿線の街で、「Walldog Day」という4日間のイベントが開かれ、世界中から150人のアーティストが集まって町中をペイントしていくという。
ポンティアックでは2009年にこの「Walldog Day」が開催され、その時にアーティストが残したいろんなアートが町中にあふれていた。



この街の名前の由来ともなった、先住インディアンのポンティアック酋長。


もちろん「ポンティアック」の名は、あの名車にもつけられている。
「ポンティアック博物館」ではすべての年代のポンティアックが展示されていて、車好きにはたまらない。

 
この車の後ろ部分には、ピクニック席のような後部座席(屋外)が設けられていて、
密かに「Mothe-In-Low(お姑席)」と呼ばれていたそうだ。言いえて妙。笑える・・・



美しいフォルムにため息が出る




そんなこんなでポンティアックに相当入れ込んでしまったせいで、今日の最終目的地、スプリングフィールド到着は1時間近く遅れてしまった・・・。
あわてて「リンカーン博物館」「リンカーンの家」「旧イリノイ州議事堂」「リンカーンの墓」を駆け足で見て回る。
州都とはいえ、やっぱり果てしなく地味な町であった 



 
「旧イリノイ州議事堂」。リンカーンの席に帽子が置かれて・・


リンカーンの家


リンカーンのお墓


★本日の移動ルート

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アメリカ縦断・ミシシッピの旅~その6(Dubuque~Bellevue~Camanche~LaClaire~Davenport~Burlington)

2013-10-29 11:23:32 | 旅行
10月6日 

久々の晴れ日。
夢のような、でもあっという間だった「カポネ・スゥィート」での一夜が明け、今朝も半分寝ながら7時朝食。
天気もいいので、Debuqueの街を一望できるという展望台から一日をスタート。

 
 


この「Fenelon Place Elevator(ケーブルカー)」が最初に作られたのは、1882年。
この絶壁の上に住んでいたため毎日通勤に馬車で片道1時間半もの時間を費やしていた当時のGrave市長が、最初に自家用にケーブルカーを建設したのが始まり。
その後、数度の火災で焼失したが、1977年に完全に再建されて今も崖の上に住む人たちに愛用されている。



ここから見た街並みは絶景。




★午前9時、ミシシッピを南下しつつ次なる街、ベルビュー(Bellvue)の「バタフライガーデン」へ。
もちろん、こんな寒い時期に蝶々なんていやしない 
今回のツアーでは、「あと少しでこれが見られたのに」とか、「ああ、ちょうど終わっちゃいましたね」とか、「今の季節は見頃じゃないんですが・・」なんてことが続いていて、なんだか非常に残念。



ご案内をしてくださったウォルトさんも、見るからに「日曜の朝っぱらからめんどくさいなー」という感じ。(すみませんでしたー)


蝶々のいないバタフライガーデン=ただのプレイリーを見学した私たちは、「ミシシッピリバーエコセンター」へ。

 

ここではミシシッピ川上流に生息する野生動物などが(不気味に)展示されており、また川の支流の周囲はログハウスが完備されたミニキャンプ場になっていて、この日も多くのキャンプ客が秋の川遊びを楽しんでいた。
いかにもアメリカらしい光景だ。



★お次は、少し南に下った小さな街、レクレール(Le Claire)の小さなバーボン醸造所を見学。

 

 父娘で経営している


いろいろ、いっぱい試飲させてもらった。バーボン、おいしかった




次に訪れた町、ダベンポート(Davenport)で、初めてセグウェイに挑戦。
最近、あらゆる町で見かけることが多くなったこのセグウェイ、人体の加重だけで操縦することのできる電気2輪車で、ちょっとした距離を移動するにはもってこい。
・・・だが、新品で買うと約60万円と中古車より高いのがネック。


しかし、この日は風が強くて寒かったのなんのって・・・



午後5時、やっと今日の最終目的地、アイオワ州バーリントン(Burlington)に到着。
あいにくの雨模様で、しかも日曜日とあってダウンタウンはまるでゴーストタウン。


 

 

街の名物、スネイク・アレイ。
くねくねと曲がりくねった坂道は、世界一曲がりくねった道”として有名なサンフランシスコの、あのロンバードストリートを思い起こさせる。



本日のお宿「Catfish Bend Inn & Spa」に到着。

遊園地、カジノ、二つのホテル(家族用・カジノ客用)を有する、巨大リゾートだった。
またもや落ち着かないほどムードたっぷりの部屋に宿泊。。。

 
 



★本日の移動ルート










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アメリカ縦断・ミシシッピの旅~その5(Dyersville~Galena~Dubuque)

2013-10-24 23:03:14 | 旅行
10月5日

アメリカ中西部にどっかりと腰をおろした気圧の谷の影響で、ここ数日間はずっと雨か曇り。
せっかくPlatteville名物の“M”サインを見に行ったのだが、厚い霧に覆われて何も見えず。

 

1937年に地元ウィスコンシン大学工学部の学生たちが面白半分で岩を積み上げて作った巨大な”M”の文字は、この街のシンボル。
同大学の前身であった“School Of Mines”の頭文字“M”を意味している。


そのついでに連れて行ってもらったワイナリーは、家内制手工業丸出しの超原始的なワイナリーで、
ワインを発酵させているすぐ傍でハエがわんわん飛び交っていて、もうなんだかなーってな感じ。
どうしてこのワイナリーがツアーに入っていたのか、いまだもって謎(時間つぶし)としか言いようがない。。。

 
現在75歳、退役軍人のテッドさんが、60歳で始めたワイナリー。
「なんでワイナリーを始めたんですか?」と聞くと、「若いころヨーロッパのやいろんな国々に行って、ワインが大好きになったから」というごく単純な理由。


気を取り直して、次に向かうは今回最も楽しみにしていた場所の一つ、あの映画『フィールド・オブ・ドリームズ』の撮影の舞台となった、アイオワ州ダイアーズビル。
映画にはこの街の名前こそ出てこないが、セットはここのトウモロコシ畑のど真ん中に作られ、撮影が終了した後もいったんは取り壊されたものの熱狂的なファンの声に応えて再度球場が作られたという。
映画から約30年が経った今も、世界中からひっきりなしに映画ファンがここを訪れるのだそうだ。




私たちの到着を待っていてくれたのは、この映画セットの管理マネージャーであるデニースさんと、そしてなんとあのゴースト・プレーヤーのおふたり

うおおおおお・・・・!!!

あああああ・・!!!

あまりの興奮に、「すみませんが外野のトウモロコシの中から(映画みたいに)出てきてもらえますか?」と注文をつけたら、



喜んで何度もやってくれた。
意外とノリのいいおふたり。


ここでキャッチボールをするためにグローブをもって訪れる親子も多い



映画撮影中に、主役のケヴィン・コスナーがベンチに掘った“落書き”も、そのまま残っている


映画でもたびたび登場する、自宅から見た球場の景色・・・
この「自宅」は旧オーナーから買い取って、今は映画サイトの運営事務所として利用されている。


 
近い将来、この球場のとなりに、子供たちが地域の野球リーグ戦をできるための球場をいくつか建設するという計画が進んでいるそうだ。
映画一本のおかげでものすごい経済効果だ。



ピッチャーマウンドに立ってごきげんさん


★後ろ髪をひかれながらダイアーズビルをあとにし、一路イリノイ州Galena(ガリーナ)へ。
この街は、最近イリノイ州が一押しの観光スポットで、今年初旬「めざましテレビ」で特集されてから、日本でも知名度があがっているらしい

街の特長は、どこかヨーロッパのにおいの漂う上品な街並み、レストランやショップがかわいい、治安が良く清潔、自然に囲まれていて、年間を通して家族で楽しめるいろんなアクティビティがある・・・といったところか。
ただ、シカゴから車で3時間半はかかるうえ電車も近くの町にまでしか通っていないので、車を持たない観光客がわざわざこの街を目指していくというのは少々無理がある。
シカゴに住んでいる人たちが、週末旅行などで行くにはもってこいの街だろう。



  

オーガニックの食材を使った人気のレストラン(左)と、久々においしいものを食べた実感を味わったイタリアンレストラン(右)



そういう意味では、次に訪れたアイオワ州のDubuque(デュビューク)という街もそこはかとなくヨーロッパの香りのするこじんまりとした素敵な街だった。
この二つの町は、近いうちにぜひまた訪れよう。



到着が遅れたせいで中を見ることができなかった「ミシシッピ・リバー・ミュージアム」。
とっても興味深い博物館だったのだが残念だ。
一日の最後はいつもこうやって時間がおしてしまう・・待っていてくださった方々にも申し訳なくて仕方ない。
ここもまた、近いうちにまたゆっくり訪れてレポートしようと思う。


そして今夜のハイライトは、何と言っても宿泊したホテルだ。
ミシシッピ川のほとりに建つ、豪華リゾート&スパホテル、「Hotel Julien」。
そしてなんと、私とKさんは今夜女二人で「カポネ・スィート」に宿泊することに。
この部屋、実はその昔、あのアル・カポネが定宿にしていたそうだ。
こんな贅沢、いいのか????



部屋の入り口からダイニングに続く廊下


ダイニング


リビングスペースからダイニングを見る


 
寝室に大きなジャグジーバスが


もちろん今夜は、このジャグジーにゆったりつかってこの馬鹿でかい寝室で、おやすみなさいー。
(寝るのがもったいないっす)


★本日の移動ルート

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アメリカ縦断・ミシシッピの旅~その4 (Prairie du Chien~Cassville~Potosi~Platteville)

2013-10-22 16:15:49 | 旅行
10月4日 

移動に次ぐ移動で、そろそろ第1回目の疲れのピークにさしかかってきた。
しかも昨日から雨が降ったりやんだりのあいにくの天気。この時期にしては予想よりもはるかに暖かいものの、時折寒風にあおられて気持ちも萎える。
とにかく体調だけは壊さないよう無事に旅を終えなければ・・と気持ちを引き締めて、今日も早朝から民族大移動開始。

7時半には朝食を終え、といっても安モーテルのマフィンとコーヒーのみだが、この街で有名なビクトリアンスタイルのお屋敷、「Villa Louis」へ。
ここの家主はミシシッピ川に生息するビーバーの毛皮をフランスなどに輸出して大儲けをした貿易商。
前日たまたまビーバーの毛に触る機会があったのだが、それはそれは今までに経験したことがないくらいのさわり心地で、人を病みつきにさせてしまうのもわかる。
しかし、この時期の乱獲によってミシシッピのビーバーは激減したらしく、こういう話を聞いた後にこのお屋敷を見学すると、どんなに素晴らしくてもただの“ビーバー成金”の屋敷としか思えなくなってちょっとげんなり。






この“オーブン”はいまも現役。クッキング教室で使われているという。


執事さんのお部屋。北部の州にはもちろん黒人奴隷はいなかったので、召使いは皆白人。
しかも、ひとりひとりに素敵な個室があてがわれていて、待遇の良さがうかがわれた。




Prairie du Chienから約45分南下して、次なる町Cassvilleへ。
文字通りMiddle of Nowhere(何にもない)の中に、こつ然と現れたのが、Stonefield Historical Site(ストーンフィールド・ヒストリカル・サイト)

もともとは、ウィスコンシン州の最初の知事だったNelson Deweyが1868年に完成させた邸宅を、1879年にWalter Cass Newberryが40エーカーの土地ごと買い取って新たに建て直したもの。
今はこの建物が「Stonefield's State Farm Museum(ストーンフィールド農業博物館)」として、地元の農業の歴史を展示する博物館になっている。


この農業博物館は、ウィスコンシンでも最大数の農業ツールや機械コレクションを展示しており、農業の歴史が手に取るようにわかって実に面白い。


農業以外の変なコレクションでも有名。
これは、「葬儀馬車」。中に見えるのは棺。当時はこうやって遺体を運んだそうだ。

博物館の横には、郵便局や歯医者さん、印刷屋、消防署まで当時そのままにそっくりそのまま再現された村があった。
このあたりのアメリカ西部の田舎町には、こういう“ミニチュア再現村”というのは珍しくはない。



そして、お昼はCassvilleから30分ほどの町、Potosiへ移動。
この街は地ビールが有名だそうで、工場&レストランの建物内には「ビールのことなら何でもそろう」不思議なビール博物館があった。





ビール博物館館長のRickさん。この方自らが、“ビールなんでもコレクター”




第二次大戦中、兵隊が飲んでいたビール缶。目立たないように炭で焼かれたような色でカムフラージュされていた。


併設内のレストランでランチ。初めて昼間っからビール。これもお仕事の一環ということで



ビールでちょっと気持ちも持ち直し、次なる町Platteville(プラットビール)へ。


出迎えてくれたPlatteville商工会議所の方々




ここではまず、ウィスコンシン特産のチーズ工場「Monte Cherve Cheese」を見学。(写真撮影不可)
このあたりのスーパーで売っているチーズ類は、ほとんどすべてここで生産・加工されているといっても過言ではないほどのシェアを誇るそうだ。
実際に、普段よく買っている「Trader Joe's」や「ALDI」のチーズ製品ラベルが生産ラインに積まれていた。
部屋中に漂う発酵したチーズのにおいに終始頭クラクラ、しかも案内役のJeanさんの超フランス語なまりの英語がさっぱりわからず、何が何だかわからないうちに終了。

そんでもってお次は、「Mining Museum(炭鉱博物館)」へ。(今日はなんて忙しい日なんだ!)
しかも、失礼ながら今日訪れた町はどこも「これといった特徴のない」田舎町ばかりなので、ちょっとモラルダウン・・・。スケジュールをこなすだけで精いっぱい。(ごめんなさい)

 


そして今夜も宿はモーテル、「Super8」。
ひとりなのに暖炉まである不気味に広い部屋で、落ち着かない一夜を明かすのだった・・・。


★本日の移動ルート・・・気分的にも一番疲れた日

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アメリカ縦断・ミシシッピの旅~その3 (Wabasha~Pepin~Prairie du Chien)

2013-10-20 15:16:05 | 旅行
10月3日 

南下が始まって、スケジュールもだんだんせわしなくなってきた。
一つの町に滞在する時間が約1時間という、まるで演歌歌手のどさ回り状態だ。

午前8時過ぎ、レッド・ウィングの幽霊ホテル(結局何も出なかった。ホッ)を後にして、向かったのはWabasha(ワバシャ)のナショナル・イーグルセンター。アメリカの国鳥であるハクトウワシ(Bold Eagle)の保護・研究施設である。



ハクトウワシはその名の通り、真っ白い頭と鮮やかな黄色いクチバシ、鋭い目が特徴。
1960年代はじめ、強力な殺虫剤DDTの使用が広がったことによりは激減したが、その後その殺虫剤が禁止され徐々に数は増加、2007年には米国絶滅危惧種リストから完全に除外さたという。


幼鳥でも羽を広げると全長1.5mはあるので、巣もこの通り。後ろにある普通の鳥の巣と比べてもサイズがわかる。

【ハクトウワシトリビア】
1)指(爪)1本あたり、どれほどの力があるでしょう?
2)ワシの平均体重はどれくらい?



答え:
1)なんと400パウンド(約181Kg)!
一瞬にして小動物を一撃してしまうのはこの力のおかげ。2)平均体重は約10パウンド(約4.5Kg)と軽量。空を悠々と浮遊するには、重すぎてはいけないのだ。

ハクトウワシが好んで飛来するのが、このWabasha流域。
このあたりは川の流れが急で冬場でも川面が凍結しないため、彼らにとって格好の餌場になっているのだ。
沿岸の木々の上に止まっている魚を狙っているハクトウワシの数は、多いときには800羽にもなるという。


その後送っていただいた写真。56羽のワシが飛来している様子。


こじんまりしてかわいいWabashaの町。この名もネイティブアメリカンの酋長の名に由来する。




Wabashの次に向かったのは、これまた小さな小さな田舎町Pepin(ペピン)。目指すのは、あの「大草原の小さな家」。
このローラ(インガルス一家)の家、もともとはここにはなかったものを当時さながらに再現しているらしい。
これがまた、驚くほど小さくてびっくり。
この大きさに一家6人が暮らしていたのか??

 

2階はなし。小さな小部屋2つと屋根裏部屋があるだけだ。
冬はさぞ寒いだろうな・・・。


   
ローラ博物館には、国内外から寄せられたファンレターや会報誌(日本のファンクラブからのも)、
当時このあたりの生活の中で使われていたドレスや暮らしの用具などが展示されていた。




顔に刻まれた深いしわが渋すぎる、館長のデイブ・スミスさん。





「ローラ」一色、いわばこれしかないPepinを後にし、次に訪れた町はOnalaska(アナラスカ)。
しかし、これまでのスケジュールがおして約束の時間を大幅に遅れての到着になってしまった。
せっかく市長がランチでお出迎えしてくれていたというのに、最悪。しかもあいにくの雷雨で、予定していた街の見学すらできなかった。本当にごめんなさいっ。


ご用意いただいたレストランのテラスでのランチも、雨でいまいちな感じ。
晴れていたらミシシッピ河畔の素晴らしい景色を望めたのに、残念。


とっても気さくなジョー市長。お待たせしてすんもはん。。。


罪ほろぼしにアナラスカの宣伝を・・・
まずこの街が誇るのは、世界的にも有名な医療施設「Mayo(マヨ)クリニック」。先進の医療技術・設備の整ったアメリカ有数のクリニックで、海外からもさまざまな難病を抱えた患者さんがひっきりなしに治療に訪れるという。
なぜこの街にこんな世界的に有名な医療施設があるのかは、謎。
ちなみに、ジョー市長はオバマケアには「反対」だそうだ。(げげっ、余計なことを聞いてしまった



嵐の中、車は今日の最終目的地Praire du Chien(プレーリー・ドゥ・シーン)へ向かう。
今日はこれからミシシッピリバー・ボート・ツアーに出かける予定だ。ラッキーにも雨はすっかりやんでいた。

 

雨上がりのミシシッピ河畔は、絵のように美しい。

船長の説明によると、このあたりミシシッピ川北部は小島だらけだがダベンポートより南になると小島はなくなるそうだ。
説明通り、ボートは小島の間を縫うようにして進んでいく。


あと1週間遅かったら、この両岸の木々はすべて秋色に染まって実に美しいそうだ。
一年で一番いい時期を見逃すのは残念だが、こればかりはどうしようもない。。。


右がAnn船長、左がファーストメイトのカーラさん


  
沿岸には今朝見たばかりのハクトウワシの姿も。飛び立ったところを思わず激写



本日のDinnerは、人気のレストラン「The Barn Restaurant」で、
地元歴史学者のマイケル・ダグラスさん(!)とご一緒に。お話し上手の楽しい方だった。

そして今夜の宿は、今回のツアー初、安モーテル。
もちろん私たちはまったくOKなのだが、ツアーリーダーのCさんは部屋に入るなりいきなり「うげっ」。
安モーテル独特のカビ臭さががまんできなかったらしい。その“意外なお嬢様ぶり”が、こう言ってはなんだがすごく微笑ましかった。



★ 本日の移動ルート


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アメリカ縦断・ミシシッピの旅~その2 (ミネアポリス~レッド・ウィング)

2013-10-19 13:30:51 | 旅行
10月2日 

昨夜の宿は、私なんぞには身分不相応にゴージャスな「Raddison Hotelin Bloomington」。
毎日違う町に移動する旅なので、こんなにもゴージャスすぎる部屋に実質数時間しか滞在できないことが無念の極み。
これが、今回の旅のなかで一番の、贅沢な悩みだ。
今朝も後ろ髪をひかれながらせっせとパッキングをすませ、バンに荷物を放り込んでミネアポリス市内へと出発。


 
昨日見た源流のせせらぎとはまったく違った表情を見せるミシシッピ川。
もうこんな大きな流れになっていることに、一同密かに感動


ミネアポリスは、ミシシッピ川流域最初の大都市として栄えてきた町。
川を利用したカナダからの木材輸送や、小麦粉貿易がさかんで「全米の穀物倉庫」とも呼ばれ、今でもその当時の小麦倉庫が保存されている。

 
昔の製粉工場は、火災・爆発を経たあともなおそのままの姿を残し、今は博物館(ミルシティ博物館)に再利用されている。
このような発想は日本ではまず見られない。(原爆ドームなどのメモリアル以外は)


見学に訪れていた地元の中学生たち

その倉庫のすぐ横には、2006年オープンのダイナミックな「ガスリー・シアター」がミシシッピ川に突き出すようにそびえ建つ。日本でも東京汐留の電通本社ビルなどを手がけた有名なフランス人建築家、ジャン・ヌーベルの設計による、演劇界でも権威のあるシアターだ。
ここでは新しい発想のオペラやミュージカルなどが毎日のように上映されている。
ユニークなのは、この劇場で上演する演目の小道具や衣装はすべてこの中で手作りされているということだ。つまり、文字通り“自作自演”。その道のプロが存在し、このシアターを職場として日夜仕事をしている。
また、不要になった衣装や靴などはバザーに出されたり、アマチュアの劇団に貸し出されたりしているという。
シアター内には自由に入れることができるので、したガラス張りの回廊「エンドレス・ブリッジ」からミシシッピを見下ろしながらゆっくりとランチを食べにやってきたり本を読んで日がな一日過ごす人も多いそうだ。
普段は敷居が高そうな劇場も、こうやって日常的に一般に開放することによってより親しみが湧くに違いない。
このような発想はぜひ見習いたいものだ。


ガスリーシアター

 
同じ風景も、ガスリーシアター内のセピア色のガラスを通すとこのようにレトロに見える。


ミシシッピの流れとともに街としての進化を刻んできた、古きアメリカと新しきアメリカが融合している町、ミネアポリス。
私はもちろん、かのプリンスの故郷ということだけでこの街にあこがれ続けてきたのだけれど、実際に足を運んでみてそれ以上に魅力的な街だった。
建築、アート、演劇、音楽、メジャーリーグなどのプロスポーツ、緑多き公園、水辺の散策路・・・とすべてにおいてトップレベルのものがコンパクトな町にまとまっているところなどは、シカゴに似ている。
惜しむらくはもっと時間があれば・・・(と、これはこれから毎日口にすることになるセリフ)
ただ、こうやって短い時間の中でも重要なポイントを見て回ることができたので、今度来るときには間違いなくこの経験が役に立つことだろう。



全米でも最大規模の都市型彫刻庭園、ミネアポリス彫刻庭園。(Sclupture Garden)
名物、「チェリー・オン・ザ・スプーン」。



ミネアポリスに住むこと20年超。ミネアポリス市観光協会国際関係部マネージャーの宮本さん。
とても魅力的な忘れがたい方だった。何と言ってもみんなの目をくぎ付けにしたのは、サソリの標本が入った超弩級リング。 この方しかこれを着こなす人はいないだろう。


★★

わずか3時間余りでミネアポリスをあとにし、一行はブルーミントンの「モール・オブ・アメリカ」へ。
520もの店舗とレストラン、ホテル、映画館、水族館、そして屋内遊園地まで有する、アメリカ最大級のショッピングモールだ。
先日お隣さんがわざわざ車で5時間かけて行ってきたと自慢していたけれど、ショッピングならシカゴで十分なのにいったい何がそんなに魅力なの?と密かに思っていた。
しかし、今日その謎が解けた。
そう、ここではすべてが(一部宝石店や靴店を除く)免税なのだ。
大きな買い物をわんさかしてくる分には、飛行機代を払ってでも安くつく。そのうえ、エンターティメントも充実しているのでこの中だけで2~3日は十分遊べる。もちろん家族連れにももってこいだ。
実際、シカゴから朝イチ、最終の飛行機で買い物ツアーに出かける人も多いそうだ。さすが、買い物好きのアメリカ人。




ここで私たちは2時間の自由時間をもらったものの、買い物にあまり執着のない私たちは結局何も買わずに待ち合わせ場所に舞い戻ってきたのであった・・・。
私はというと、せっかくいただいた水族館無料入場料と遊園地乗り物盛り放題券を利用して、遊びまくった。
(あとから他のライターさんに「ナガノさん、一人でジェットコースターに乗ってましたね」と冷静に言われて赤面)


こんな遊園地まである


レゴコーナーは子供たちに大人気


全長5mはあろうかというこの巨大ロボットはすべてレゴでできている!


★ ★

午後3時。
いよいよウィスコンシン南下プロジェクト開始だ。
ブルーミントンに別れを告げ私たちが向かうのは、次なる町、Red Wing(レッド・ウィング)。
人口16,000人ほどの、ミシシッピ川沿岸の小さな田舎町だ。
Red Wingの名は、ここを統治していたネィティブアメリカンの酋長のニックネーム(彼がまとっていたwar bonnet:頭につけている羽根がたくさんついているあのかぶりもの)に由来するそうだ。


高台から見下ろしたレッドウィングの町。
赤レンガの建物が立ち並ぶ様子は、小さなヨーロッパの町のよう。




 
地元産業の陶器工場ではほのぼのとした手作りの陶器が即売されている。



 
この街の名物は、世界にその名をとどろかせるアウトドア・シューズブランドの“Red Wing Shoes”。
これはその本社建物の中にある世界一大きな靴。牛8頭分の本革を使っている。


案内をしてくださった、レッド・ウィング観光局のKathyさん。
その昔、うちの近所の町(イリノイ州 St. Charles)でバーテンダーをしていたことがあるそうで「そのときしこたまお金を稼いだのよ」と自慢してくれた。
「そのお金、どうやって使っていたの?」と聞くと
「シカゴへ行くと一晩でなくなっちゃうわよあなた、あったり前田のクラッカーよ、kidding me?」と豪快に笑われた。
「人と会うことが大好きだから、この仕事は天職みたいなもの」だそうだ。
そういえば、今回お会いした方々はみな、これが天職のような方々ばかりだった。


今夜の宿は、1875年開業というアメリカでも「もっとも歴史的なホテル」のひとつ、“St. James Hotel”

 

古くてとてもいいホテルなのだけれど、部屋に入った途端に鳥肌ゾゾー。しかも電気が急に点いたり消えたり。
ここは絶対に何かいると感じたので電気をつけて音楽流して眠りについた。
それもそのはず、ここには数々の幽霊伝説があるそうで、Kathyさんからも別れ際「クララ(亡くなったここの女主人)によろしくね」と言われた。勘弁してください。


幽霊伝説が本になっていた(汗)




★本日の移動ルート

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