Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

明治の女。

2008-03-31 06:09:28 | アメリカ生活雑感

婦人会会長時代



このブログにもたびたび登場している私のおばぁちゃん(父の母)が、つい先日99歳の誕生日を迎えた。
20年ほど前におじいちゃんを亡くしてからずっと一人暮らし。普段の生活は誰の手も借りず、借りようとせず、自分のことはすべて自分でやっていることが自慢でありそれが生きがいになっている。
しかし2月には少し体調を崩し、そのときはさすがにあわてたと先日帰省したとき母が言っていた。
「もういいかげん一緒に暮らしたほうがいい」と説得を試みたが、「自分のことは自分でする」と言って頑なに断られたそうだ。今まで自分のリズムでやってきたのに、息子夫婦とはいえよそ様がそこに入ってくるとかえって気を遣いおかしくなるのだろう。その気持ちも痛いほどわかる。

この間、Jazzイベントに出演するために帰省していたときのこと。
我が家にはいつものように音楽仲間たちが滞在していた。私が仲間のひとりを空港に送りに行っていて留守だったときに、家ではちょっとした事件が起こっていた。
なんでもおばぁちゃんが出かけようとして家を出たところの道路で気分が悪くなりてうずくまってしまい、通りがかりの奥さんに「あの家が息子の家なので連絡してください」と頼んで、連絡を受けた母が血相を変えて飛び出した。ただ事ではない気配に驚いて客人もみな母に続いて家を飛び出した。
幸いおばぁちゃんは大したことはなかったものの、家で休ませようと客人のひとりである超弩級の男性におんぶして帰ってもらうことにした。
そのとき、なんとおばぁちゃんは大層あわてて「ええからええから」と遠慮しまくりこう言ったそうだ。

「男の人におぶってもらうなんて生まれて初めて」。

遠慮していたのではなく、恥らっていたのだ。しかも、そんな状況でも体を預けようとはせず必死で離そうとする姿に、一同目が点になったそうだ。
(かなり興奮したのか、それからもしばらくは「男の人におんぶしてもらった」とうれしそうに話していた。)
幸いにも客人の中に看護婦さんがいたので彼女に脈を診てもらい、安静にして事なきをえたのだが、その彼女は「それにしてもこんなにキレイに支度して・・」と驚いていた。98歳にして完璧にお化粧をほどこし、少しヒールのある靴をはいて近所にお買い物に出かけようとしたその姿は実にあっぱれだ。


両親の家とおばぁちゃんの家は目と鼻の先なので、母は毎日それとなく様子を見に行っている。
ある日、朝早く見に行ったところおばぁちゃんはまだ起きたばかりで、“お顔”も“おぐし”も整える前だった。母の顔をみたとたん、おばぁちゃんは身支度ができていないことにうろたえ慌て、それ以来、母も遠慮して朝一番には行かないようになったという。
何十年も知っている嫁に対しても寝起きの姿をみせることにうろたえるその心意気に、ふたりで感服しきりだった。
「朝素顔でいると(亡くなった)おじいさんに怒られた」というから、明治の女の心意気は良くも悪くも男に作られてきたのだろう。田舎に帰るといつもすっぴんでジャージの私に口を酸っぱくしてよくこう言ったものだった。
「おとこはんは脂粉(注:おしろいのこと)の匂いに寄ってくるんよ。もっときれいにして町歩きないよ」
結婚した今になっても「毎日きれいにしといたらだんなさんも喜ぶけん」と説教される。
女としては到底かなわない。


来年は100歳。
誰の世話にもならず100歳というのは、誇れることだと思う。
がんばればぁちゃん。
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今度は突撃、Jam Session。

2008-03-28 08:25:49 | music/festival
先週の水曜日にPちゃんと一緒にいったイタリアンレストラン&Bar『Villa Verone』に再び潜入してみることにした。
この間は店の雰囲気とライブの熱気にのまれてしまったけれど、Jam SessionのホストでもあるピアニストのBruceに「来週は参加させてね!」と約束したこともあって今度はやる気満々だ。
Pちゃんを誘ったところ、今日はいろいろやりたいことがたまっていたらしく「ほんじゃ一人で行ってらっしゃい」ということになり、かくして今日はPちゃん帰宅後たっち交代してひとりで車を飛ばして夜遊びへ。


住宅街にひっそりとある、見た目はふつーのレストラン。
しかし、一歩店に入り2階のBarへ続く階段を上ると、そこは驚くほどの別世界だ。
今日も店はご老人(まさに・・)で超満員。若い人たちもいるのだけれど、彼らはカウンター席の端っこに追いやられてひっそりと飲んでいる。ステージの周りの席は、オール・シルバー層が取り囲んで不思議な熱気だ。
いいなぁ、こういうの。


寝ているのではありません。弾いているのです。

店に入ったのは8時半すぎ、ちょうどステージのブレークタイムだった。
気付けに一杯だけビールをたのみ、ぐぐっと喉に流し込む。
ちょうどそのときそばをBruceが通りかかったので「歌いにきたよ~ん」とご挨拶。
ほんじゃ、次のステージでてきとーに名前呼ぶから、と言われてワクワク。そう、一人で来た以上、この雰囲気に自ら突入しなきゃやってられへんし。

次のステージが始まり、ギター、トランペット、フルートなどなど先週と同じ地元のミュージシャンたちがJamに加わり、名前を呼ばれたおばちゃんが『You'd be so nice to come home to』をご機嫌に歌う。
次にいきなり名前を呼ばれたので、ほほほ~いとトリオのみなさんのそばに行き、まずは景気づけに『Just In Time』(←この曲は詩も曲も明るくてこういう局面で必ず受ける)、そして2曲目は『Old Floks』をゆっくりと。
歌いながら頭をよぎったのは

「私、このフロアで一番若いねやわ。きっと」


やることはやっちまったぜ、とほっとした気持ちで席に戻って続きを飲んでいると、ひとりのおばさまが駆け寄ってきた。
「最後にうたったのはなんていう曲?ステキな歌ねぇ」(と私の手を握ったまま
「オールド・フォークスいうてね、あまりシンガーが歌う曲ちゃいますねんけどね。ところであなたも歌わはりますの?」
「いいえ。I'm a really good listener。(私はとってもいい聞き手なの)」
「やぁ~、一番大事なことですなあ」(爆)

アメリカの人たちは楽しむことがお上手。
日本では観客はたいがい難しい顔をして演奏者のアラを探すけれど、アメリカのお客さんは、「恥をかなぐり捨てて突撃した勇気あるパフォーマー」に対してとても温かい。上手いか下手かではなく、見ている側も演奏している側もせっかくシェアしたひと時を一緒に楽しんでしまおうという空気がひしひしと伝わってくる。だから演ってるほうも見ているほうもこぼれるような笑顔だ。その笑顔が緊張から開放してくれる。
アメリカのJam Sessionはだから大好きだ。

私が座っていた席が出口に近かったこともあり、いろんな人たちから帰りがけに「ありがとう」と声をかけられた。
ありがとう、はこっちのセリフだ。


その後いろんなミュージシャンとも交流することもでき、このあたりのJam Sessionには必ず登場するというシカゴの大御所ベーシストでありプロデューサー、Nick Shneiderも紹介してもらった。
「Jam Sessionは、ミュージシャンと知り合うにも、自分を磨くのにも、情報を得るにも一番の方法だよ。このあたりではいろいろJam Sessionがあるからまたいらっしゃい」こう言って、Nickさんはシカゴあたりの音楽情報が一杯詰まった音楽情報誌をくれた。


最新号の表紙はNickさん。


そのあと、Nickさんと一緒に飲み(私は飲めませんけどね)ながら、楽しいセッションをご一緒に楽しませていただいた。


この人が登場すると「待ってました」の声がかかりやんやの喝采。
心の中でひそかに“植木等”と呼んでいる。



オーナーのヴェローネさんは陽気なイタリア人そのもの。客席を回りながらジョークをとばしていた。
「Webにのせるから写真撮らせて」とお願いすると
「髪の毛だいじょうぶ?乱れてなあい?」とボケてくれた。
この店、大好き!


(おまけ)
家に帰ってからPちゃんに今日の報告をすると「え~!歌うなんて聞いてな~い。行けばよかったあああ。いじわる!」といって返り討ちに合った。
でも、Pちゃんがいなかったおかげで(?)いろんな人たちにかまってもらえたし、いい取材もできたので結果オーライだったよ。


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ドイツはなぜ責められないのか?

2008-03-27 03:06:27 | アメリカ生活雑感
『The Counterfeiter』を見てから、いろいろいろいろなことが頭をかけめぐる日々。
オーストリア映画とはいえ、製作にあたってはドイツも協力をしている。
ナチス・ドイツの独裁、ユダヤ人虐殺という“歴史的汚点”から目を背けずにいられるこの国は、いったいどうなっているのだろう?そして、ドイツはその過去をどのように清算してきたのだろう。
これが私の率直な疑問だった。

それにはまずドイツの歴史を知らねばならない。夕食のとき、Pちゃんに聞いてみた。
「日本はいまだに近隣諸国から恨まれ続けているのに、ドイツはなぜ過去を清算できているの?」
いまだに清算なんてできていない、まだまだとほうもない時間はかかると思う、と前置きをして彼はナチス前後のドイツのことを話し始めた。

第1次世界大戦で敗戦、ドイツ帝国が崩壊して国家がぼろぼろになったところへ追い討ちをかけたのが1919年のベルサイユ条約。アメリカ・イギリス。フランス・ロシアから領地を奪われ、国の根幹のとなる産業や技術も略奪されて国民のプライドはズタボロになった。そこへ現れたのがヒトラーだった。
彼は、失われつつあった“ドイツ帝国の誇り”を取り戻そうと叫び、そのナショナリズムが一気にどん底にあった人々の心に火をつけることになる。
そしてナチスドイツの台頭。
第2次大戦勃発後、ナチスドイツは隣国ポーランドに攻め入りユダヤ人狩りを始める。
そして敗戦。第1次大戦後、何もかもを奪い取ったことによってかえって独裁者の台頭を許した反省から、アメリカは今度は「与える」方策をとった。
民主憲法の制定、権力をひとつに集中させないような地方分権方式、民主国家を作り上げるための厖大な金銭援助・・。
そうしてドイツは次第に国家として立ち直っていった。

復興と同時に、ドイツ人(政府も国民も)は「二度とあの過ちを犯してはならない」との決意を新たにし、近隣諸国に対し反省、謝罪、悔悟を表してきた。国家荒廃、破産状態にあったドイツにとって、賠償金の支払いもさらに大打撃となったことは言うまでもない。
1970年、西ドイツのブラント首相がポーランドを訪れ、ワルシャワのゲットー記念碑の前にひざまずき「こうすべきであったのに、こうしなかったすべての人たちに代わってひざまずく」と表明、1995年6月にもコール首相は、イスラエルのホロコースト記念碑の前に両膝をつき、国家としての謝罪を重ねて表明した。
この「事件」は、ヨーロッパ中の国民の心を打つ出来事だったという。

**  **  **  **  **

「国民全体が過去の誤りと向き合う教育を受ける」とは以前から聞いていたが、このあと彼がきっぱりと言ったことばにはっとした。

「ドイツでは、ただひとりとしてナチスの過ちを正当化したり言い訳をしたりする政治家はいない。断じて。ましてや誰かを英雄化したり、祀るということも決してありえない。」

ネオナチなど極端なグループは論外として、人々の間にももちろん政治家の間にもこの考えは脈々と染み渡っている。この“誠意の積み重ね”こそが、国家がすべて焼き払われボロボロに崩壊して落ちるところまで落ちたドイツが唯一やってこれた復興の道しるべだったのだ。

日本がいまだに戦後から抜け出せず、国際社会からリスペクトされずに金だけ吸い取られているあわれな国である理由の一端を見た。

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歴史の証人。~『The Counterfeiters 』(邦題:『ヒトラーの贋札』)~

2008-03-26 05:23:15 | movie
先週の日曜日、T子さんのお誘いで急遽シカゴまで映画を見に行った。
今回鑑賞したのは、本年度アカデミー賞外国語映画賞受賞作品『The Counterfeiters 』(邦題:『ヒトラーの贋札』)

第二次世界大戦中の1936年、ドイツ・ザクセンハウゼン強制収容所。
ここには、贋作師のサリー、印刷技師のブルガー、美校生のコーリャなどユダヤ系の技術者たちが収容されていた。彼らの“ミッション”は“完璧な贋ポンド札”を作ることだった。いわゆるナチス・ドイツ国家がイギリスの経済混乱を狙って企てた史上最大の紙幣贋造事件「ベルンハルト作戦」だ。
特殊技術を持った彼らは柔らかいベッドを与えられるなど特別待遇を許される一方で、同じ収容所の壁ひとつ向こう側では何も知らない同胞たちが毎日のように処刑されていく。彼らは、自身が生き延びるために贋札の印刷を続けるか同胞を守るべくナチスを拒むかという苦悩の選択を強いられることになる・・・。

実際に強制収容所で贋造に携わった印刷技師アドルフ・ブルガーの著書が原作となっているだけに、そのリアルさには息をのむ。

映画鑑賞後、T子さん、Pちゃんと私の3人で映画館近くのBarでかる~く飲みながら映画のふりかえりと意見交換会。
ドイツ語映画なので難なく鑑賞できたPちゃんと違い、私は大事なところでところどころサブタイトル(英語)を読みそこなって少し頭が混乱していた。
T子さんが開口一番、私が思っていたことを口にした。
「で、結局のところこの映画のポイントは何だったの?」
「こういうことが事実としてあった、ということじゃないかな」とPちゃん。
しかし映画には“テーマ”があるべき(と私は思う)で、それはなんだろうと3人で探り始める。
Pちゃんが興味深いことを言った。
「テーマは“to survive(生き延びること、またはその意味)”だと思う。ナチスの迫害から生き延びたという意味では彼(主人公)は奇跡的なgood luckだった。しかし今、現実の世界ではカジノで大損をしてしまう。それを奇しくも隣の美女(彼女?)に“bad luckだったわね”と言われる。何も知らないであろう彼女の、その言葉の軽さと皮肉さがテーマを際立たせていたように思う」

“自分が今存在している”ことの奇跡に比べたら、カジノで、しかもいくらでも作れてしまう偽札で損をすることくらいもうどうでもいいようなちっぽけなことなのだと言いたげな、でもその与えられてしまった生をこれからどう生きるかに無性に戸惑っているラストシーンの主人公の姿に、映画のテーマがあったのかもしれない。

この歴史的事件に従事させられた実在の印刷技師であり、この映画の原作となった手記の著者であるアドルフ・ブルガー氏(1917年スロバキア生まれ)が、昨年来日、記者会見を行っている。(11月3日、オーストリア大使館)
劇中でもブルガー氏は正義感溢れた人物として描かれているが、自らの命と正義の間で葛藤の日々を繰り返すなかで「毎日、自分のベッドに帰ったとき、自分はいずれ死ぬのだと考えていました。自分も、ビルケナウやザクセンハウゼンの一般収容者たちのように、既に死んでいて、ただ死者になる前のバカンスが与えられているのだと」と当時の心境をふり返っている。

そして、この手の映画を見たあと必ず考えさせられること。
それは「国の歴史的恥部」をかくもさらけ出してしまうドイツの潔さだ。
ドイツの子供たちは、「君たちの国は過去にこんな大きな過ちを犯してきたんだよ」と学校教育で叩き込まれ、それを頭に焼き付けたうえで国際社会に出て行くのだと以前Pちゃんから聞いたことがある。
事実は事実として正しく認識すればこそ、心から反省することができる。いたずらに罪悪感を持ったり卑屈になったりすることなく堂々と近隣諸国とも渡り合えるのだろう。それと比べて、『南京』をいまだに日本で公開できないような日本の稚拙さが、とても恥ずかしい。

ブルガー氏は、自身の経験を基にかつての敵国・ドイツの25歳以下の若者たちに向けて既に85,000回を超える講演を行っているという。
その中でも一番伝えたいことは何かという問いに、氏は必ず講演で述べる言葉をあげている。

「あなたたちは、このような事実を知っても罪悪感を持つ必要は全くありません。しかし、もしあなたがネオナチに入ってしまったら、それはナチスやアルカイダと同じ、ただの殺人者になってしまうのです」。

90歳を迎えてもなお、歴史の証人として次世代へ戦争の悲惨さを語り継ぐという使命を遂行するブルガー氏の言葉は、ずしりと重い。


(参考:http://www.cinemacafe.net)

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大送別会。(という名の飲み会)

2008-03-23 09:49:12 | アメリカ生活雑感
今週は妙に忙しく、我が家にしては珍しく“外メシ”続き。
フライデーの今日は今日とて、つい最近お友達になった日本人のお友達仲間(先日映画『南京』を見に行った)のおひとりが日本に帰国することになり、同じ仲間である映画の会会長のT子さんが送別会を開いてくれ、Pちゃんともどもお招きいただいた。

我が家から西にさらに30マイルほど行った某郊外の町にT子さんのお宅がある。ここに来るのは、初めてお邪魔した昨年の11月以来だ。
そのときご留守だったアメリカ人のご主人とお会いするのは今日が初めてで、そちらも楽しみだった。
T子さん夫婦はバークレーにも長年住んでいたことがあるし、いろいろ共通の話題もありそう。なにより、日本人の中でPちゃんが独りぼっちにならなくていいのがうれしい。



たちまちMケルさんと話が弾むPちゃん。
聞き上手、話し上手のとてもステキな人。
いいお友達ができてうれしそうなPちゃん。


今日はT子さんのリクエストでギターを持参。
日米フォークソング大会が始まり・・・


ええかんじで、盛り上がってます。


Mケルさん特製のケサディ-アは絶品!!


今日もみんな酔っ払ってはるなぁ~


猫同士、会話中。


おお~っと、気がついたらもう午前2時。
一人で飲んでごめんね。
T子さん、Mケルさん、遅くまで本当にお世話になりました!
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まだ降るか?

2008-03-23 03:19:46 | アメリカ生活雑感
きのう撮った写真から24時間後。



夕べ大きなスノーストームがイリノイを通過したという。



ほんま、極端やねん。この国は。
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春、そして最初のお客様。

2008-03-22 05:28:06 | アメリカ生活雑感
先週あたりからすっかり春めいてきて、日中の気温も零下になることが少なくなった。
家の周りの雪もすっかり溶け、土の中から緑も顔を出し始めた。例年より厳しかったという今年の冬もこれで終わりか、とちょっとだけ拍子抜け。
といっても2月はまるまる逃げ出していたので、本当のところは知らないのだけれど。

Pちゃんがバークレー時代に働いていた研究所のボスであるリナ女史が2週間ほどこっちに滞在していると聞き、いろいろお世話になりっぱなしだった彼女を自宅にお招きすることにした。
彼女は形だけはリタイアしているものの、今でもバリバリ現役の研究者。さまざまなコラボレーショングループに身を置き、世界のあちこちを飛び回っているつわものだ。
つわものといえば、彼女は名うてのハイカー&ヨットウーマンでもある。休暇となればご主人とともにヨーロッパの海や山を駆け巡る。いつだかPちゃんが彼女にヨセミテに行ったことがあるかと訪ねたら「まだよ。ヨセミテは年を取ってから行くわ」と答えたそう。いやはや脱帽だ。

そんな彼女、この2週間は夕方4時から夜中までのシフトで働いているらしくさすがにお疲れ気味。夜は仕事のためお招きできないので、今日は昼食にご招待することになった。
我が家の記念すべきお客様第1号。
今日のメニューは、早い、簡単、おいしい、見栄えがいい、軽い、という条件を備えた“伝家の宝刀”カタプラーナをつかったシーフードリゾットにしてみた。


当然この不思議な物体を知らないリナは「何これ~!」っとびっくり喜んでくれた。
ふたを開けると、サフランでほんのり黄色く染まったライスと白身魚、トマト、鬼のように入れたキャベツがふんわりと炊けていて・・


材料の旨みがぎゅっと詰まって、とってもおいしかった。大成功


前々からいろいろと私たちのことを気にかけてくれていた彼女に、早く我が家をご案内したいと思っていた。
やっとこの日が実現できて、ほっとした。

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Birthday前後、イベントもろもろ。

2008-03-20 06:08:12 | アメリカ生活雑感





3月17日 


夕方、ジムから帰るとPちゃんがお誕生祝いの準備を整えていてびっくり。
日本時間で一日早くお祝いしてくれた。このときはTシャツとジャージのままだった。












3月18日  Spanishラストクラス・パーティー

今日で一応今期のクラスが終了。(次回は来月8日から)
今日は打ち上げ&親睦パーティー。


Pちゃんも一緒に参加。地元の人たちとスペイン語会話を楽しんでいた。
スペイン人の使うスペイン語と南米のスペイン語とはずいぶん単語や文法も違うらしく、Pちゃんいはく「勉強になって面白い」。
胸につけているのはゲームで使った「人形」の写真。
背中に貼られた写真(本人は知らない)を、周りの人にスペイン語でたずねて当てるというゲーム。(英語を勉強している人たちは英語で)
結構、盛り上がった。


普段はお隣のチャイルドケアルームにいる子供たちも、この日は親と一緒に参加。






3月19日 Jam Session潜入


お隣の町、ジェニヴァのイタリアンレストラン“Villa Verone”では毎週水曜日にジャムセッションが行われているという情報をラジオでキャッチ。
食事がてら、さっそく偵察に出かけてみた。
ホストは、ピアニストのBruce Oscar。


8時ごろからトリオでライブが始まる。


そのうちにフルートやギターやサックスも加わってだんだんにぎやかに。

お客さんはほとんど(多分地元の)シルバー層。
シカゴまで出かけていかずとも、毎週ここで楽しんでいるといった感じ。
ヴォーカルを聴かせてくれた人たちはみんな個性的で上手で、びっくりした。


とくに、このおばさん。
さっきまでアコーディオンをもって暗く座っていたのに歌いだしたら仰天。
ボニー・レイエットみたいなハスキーでブルージーな声で“ルート66”のデュエットを聴かせてくれた。

お客さんはみななじみという感じ。ホストもお客の名前をすでに知っていて
次から次へと指名していく。
こういう家族的な雰囲気がいかにもアメリカのサバーブという感じでいいなぁ。




Pちゃんも大興奮




最後は座っている人がいないほど。バーはダンスホールと化していた。

ライブ終了後、お隣席の、さきほどとてもステキな歌を聞かせてくた男性客とそのガールフレンドと思わず話が弾む。
聞けば、彼はNYで歌っていたプロのシンガーだという。(やっぱりただもんじゃないと思った)
彼はこの近くにあるJazz Barで金曜日に歌っているというので、場所を教えてもらって今度お邪魔するとにした。
やっぱり、「情報は人から聞くべし!」だ。
それにしても、この町の人たちって本当に気さくであったかい。

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大河が面白い。

2008-03-17 07:51:39 | アメリカ生活雑感
現在加入している日本語専門チャンネル「TV Japan」は、24時間主にNHKの番組を放映している。
しかも結構好きだった番組が目白押し。民放のしょーもないおちゃらけ番組も、長ったらしいコマーシャルもないのでストレスなく堪能させてもらっている。おかげで、この冬の間はすっかりテレビっ子になってしまった。

中でもずっぽりはまっているのは『篤姫』。
ここしばらくの大河はなんだかどんよりしていて主人公設定もいまいちマイナーで、途中で見るのをやめてしまった。けれど今回は見るにしたがって気持ちがはやり、翌週まで待てないほど。
やはり「幕末の志士」「尊皇攘夷」「大奥」とくると、がぜん興味がそそられる。

配役がこれまた、いいのだ。
私的には長年の松坂慶子ファンなので、彼女が出てくるととてもうれしい。まわりがぐっと引き締まるような気がする。
そして、大河には2年に一度必ず登場する(契約でもあるのか?)高橋英樹。いいです。うなります。画面に映っていないところで演技しています。ビデオをとめて眉毛の動きを確認しています。

松坂&高橋といえば、往年の“名夫婦役コンビ”。
大河ドラマでは、古いところでは織田信長と濃姫。
このふたりが画面に出てくると、いつ高橋英樹が「ももから生まれたぁ~ももたろう~」とタンカを切り始めるか、その横から紫頭巾の松坂慶子が登場するか(これは『江戸を斬る』でしたね)ドキドキする。

この間、日本で会った友人(女性)に「(ドラマの中で)誰が好き?」と聞いたら、速攻で「尚五郎」(瑛太)と返ってきた。この友人、好きな球団はと聞けば「ダルビッシュ」と固有名詞で答えるし、とても趣味がわかりやすい。

ともあれ、ごひいきの役柄がいるドラマは楽しみなもの。
私の友人で劇団女優(ひまわり)をしている人がいるのだが、もうすぐ大奥のシーンで登場するらしい。こちらも楽しみだ。

早く日曜日にならないかな。
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顧客No.9 (Client 9)

2008-03-15 05:37:55 | アメリカ生活雑感


高級売春組織の顧客だったことが判明したニューヨーク州のスピッツァー知事が、17日付けで辞任する。
またか、という感だ。
クリントン-モニカ事件も記憶に新しいが、アメリカはSexスキャンダルにはとても敏感かつシビアだ。
それに比べたら日本は穏やかだなあと思う。政治家のSexスキャンダルなんて日常茶飯事だが、辞任にまで追い込まれることはあまりない。管さんも平然と政治家をしているし。やはり古来から日本のマッチョ社会そのものが「たかがそれくらいのこと」「据え膳食わぬはなんとやら」という認識なののだろう。

さて、今回のこの辞任劇をメディアで見るたびにPちゃんも私も同じところに反応してしまうのである。それは、会見のたびにいつも妻が寄り添っていることだ。
苦渋の表情の知事の横で視線が定まらない妻が所在なげに立っているさまは、気の毒を通り越して滑稽だ。それよりも、どうして妻が同席しなければならないのかが不思議でならない。
日本じゃまずありえない。夫の浮気会見を睨みつける妻はいたけれど、一緒にごめんなさいをする姿などみたためしがない。

理由をご存知の方、教えてください。
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