私は「断捨離」という言葉がどうも好きになれない。
片付けましょうと言っているのか、捨てましょう、整理しましょう、といいたいのか。
それともそれらすべてをひっくるめて、「身の回りをすっきりしなさい。他の家人に迷惑ですよ」と言っているのか。
「断捨離」に反応してしまう人は、とりあえずため込んでしまってもういよいよスペースがなくなって困っている人、誰かにすがらなければ自分で始末ができない人、お尻を叩いてもらいたい人、じゃないかと思う。
多少の猥雑くらい、いいじゃないの。生きているんだから。
捨てられなかったものには魂がありそれなりの意味があるのだから。
本人が、どこに何を置いてあるかをしっかり把握して管理さえできていればそれでよいのだ。
「断捨離」という言葉がはやり始めたころ、私は
「断捨離○ソくらえ。文明の利器の出現を待つべし」
と、ノートに殴り書きした。
たとえばこの50年間、身の回りにある家電製品や電子機器はめまぐるしい発展を遂げた。
不可能だと思われていたことがいとも簡単にできるようになった。
テレビの前に座り込んで息を殺していた録音が、コード一本で可能になった。
テレビの録画が簡単にできるようになった。(VHS、Beta、DVD、USB・・・とメモリー様式はどんどん変わっていった。)
馬鹿でかいステレオ機器が、コンパクトオーディオ(システム・コンポ)に姿をかえて場所をとられることがなくなった。
ウォークマンが「音を持って歩く」生活を世にもたらした。
録音媒体が、テープからMDへ、さらに小型化してSDとなり、今ではケータイの本体内蔵メモリになり、手のひらに何千曲もが格納できるようになった。
「ダブルデッキ」がなくてもすぐにダビングが可能になった。そもそも「ダビング」という考え方自体がなくなり、「ダウンロード」が主流になった。
携帯電話が世に現れ小型化し、今では動くコンピュータ兼カメラの役割を果たすようになった。
ポケベルが出現 → 初期携帯にとって代わられ → 高感度カメラ付きスマートフォン”ケータイ”(i-Phone)が主流に。
そう考えると、世間の「断捨離」ブームに脅かされ、涙を呑んで手放してしまった古き良きモノたちをもし今持っていたら、うまくデジタル化したりコンパクト化したりして、老後にもっと違う方法で楽しめたかもしれない。
いやいや、老後のことまで考えてられんし、そこまでする必要もないほど捨てたかったんだよ、という人はまぁそれでよし。
でも、私のようにこれまで何度も捨てるチャンスがあったのにどうしても「手放すこと」を拒む気持ちに逆らわないことを選んだ人間にとって、捨てられないものたちとあえて”同居”する道を選んだことによる精神的安寧は計り知れない。
場所をとって仕方ない昭和の巨大アルバムたち、阪急ブレーブスのファンクラブ会報紙、ヒデキのフ等身大ポスター、池田高校がさわやかイレブンで甲子園初出場・準優勝をとげたあの夏を特集した「アサヒグラフ」、30年前の「剣道日本」、40年前のアニメ雑誌、大昔のフォーク雑誌、宝塚雑誌いろいろ、Jazz本いろいろ、レコードたくさん、R勤務時代に書いた企画書や社内報や自分の広告作品集、表彰されたときもらった楯、大量のMD、大量のVHSテープ。極めつけは、幼児時代の母の手作りの洋服まで・・・
いつかは誰かが処分しなければならないのはわかっている。そう、わかっているんだ。
それでも私は、囲まれる。何がいけないのだ。
現に、文明の発展、技術革新によってアルバムの写真たちはみなデジタルスキャンして記録に落とし込むことができた。
二束三文で買いたたかれそうになった、貴重な70~80年代の宝塚の月刊誌たちは、メルカリできちんと売ることができた。
持っていれば「そのとき」はやってくる。
自分の気持ちに整理がついたときかもしれないし、文明の利器や新しいサービスに出会ったときかもしれない。
これらの「ガラクタ」たちが私と共に人生を刻んでくれた、そのことが私の気持ちを安らげてくれるのだ。
もう一度言う。
「断捨離」にまどわされず、自分の煩悩に従おう。
あの世までは持っていけないからこそ、この世では一緒にいようじゃないか。
・・・それでもいまだに訪れない文明の利器は、
VHSテープをあっという間に大量ハードディスクにコピーしてしまいこんでくれる機械。出そうで出ないんだよなぁ。