Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

「around 40」と「Sex and The City」

2009-04-29 05:42:56 | アメリカ生活雑感
去年日本で大ブレークして流行語にもなった「アラフォー」、そのドラマ放映が、ついにアメリカの日本語チャンネルで始まった。
なかなか面白くてはまっている。

いわゆる“40才間際”の女たちのジタバタ劇(ドタバタにあらず)なのだが、このあたりの年齢の女性の生き様が妙に面白い。
主人公の天海祐希のキャラなんか、なんだか自分をみているようで笑えてくる。
一番似ていたのは、のんびり度。(笑)

でも、彼女は40歳まであとひとつと迫ったところで、うるさい外野の声にようやく「え?」と思い始めているが、私が39歳のころは結婚の「け」の字も考えていなかった。
いやそれどころか、38で会社を辞めてアメリカで一人暮らしまではじめてしまった。
今考えるとまったく“そういう危機感”ゼロ。
でも、一生一緒にいようと思える相手があって初めて結婚を意識するのであって、相手がいないのに年齢だけで意識するというのはそもそもおかしい、と思うんだけど。
え?やっぱりのんき?

もうすぐ40歳だ→まだ独り身というのはさびしい→老後どうしよう→子どもが産めなくなる・・・
世の中一般は、こんな思考回路で“焦る”のか・・・ドラマで知った私である。
と同時に、こう誘導しようとしているのにもむかつく。

それにしても、日本のドラマに描かれる専業主婦というものは時代遅れもはなはだしい。
20年前のドラマと全く変わっちゃいない。
「誰も私の努力を理解してくれないの。ダンナも子供たちも・・・」
そういうの、もうはやらないと思うのだが。

こんなシーンがあった。
「同窓会に着ていく服がほしいの」という妻(松下由樹)に「40になっていまさら何着ても同じだろ。そんな余裕があるんなら家のローンにまわしてくれよ」とそっけなく答える夫。
・・・最低野郎。
こういうダンナを選んだ奥さん、そもそもあんたが間違っています。
きっとあなた、結婚相手より結婚を選んだんですね。
この紋切り型の主婦像が、日本のドラマから消えるのはいったいいつの日か・・

日本にはバリバリ働く男勝りの独身キャリアウーマンか、ねちねち落ち込んでいる専業主婦のどっちかしかいないのかよ!!といいたくなる。
どうにかしろよ、テレビ局!

方や、“アメリカ版・アラフォー”といえば、ご存知「Sex and The City」。
NYに住む、仲良しアラフォー4人組のストーリー。
最初のシーズンがスタートしたのは1998年というからもう10年以上も前だ。
その頃、すでにアメリカではアラフォー女性の生き様が注目されていたわけだが、日本ではせいぜい「29歳のクリスマス」あたり(1994年)。
30歳代をターゲットにするのにまだびびっていたわけで、アメリカからはきっちり10年以上遅れていたことになる。


「Sex and The City」は、もう何回見ただろう。
毎日繰り返し放映しているので、いやでも見てしまっているうちに今ではすべての話をすっかり覚えてしまった。
このドラマのいいところは、30分(コマーシャルを入れると正味23~4分)の中に、一話一話、興味深いテーマをはずさないストーリーが「読みきり」でテンポよく展開されるところだ。
4人の女性の年齢、性格、仕事、価値観などもうまくばらつかせており、とても等身大。間違っても「主婦かキャリアウーマンのどっちか」ではない。

それに、日本のドラマはどちらかというとまだ「男」に振り回される(ライフスタイルに影響を受ける)が、「Sex・・」は逆。
この、ジコチューな女たちが徹底的に男たちを振り回すのだ。
だから見ていて、すがすがしい

日米のこの差、実社会にも如実に表れていてそれもまた面白い。
ということは、当分日本は10年遅れ、ということか・・・。

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ヒューマニティー(人間であること)とは

2009-04-20 02:56:06 | movie
この週末、3本の映画を見た。

『The Day The Earth Stood Still』 邦題:『地球が静止する日』
2008年リメイクバージョン、および、1951年のオリジナル版の2本。

『Joyeux Noel』(メリー・クリスマス)
 邦題:『戦場のアリア』
フランス、ドイツ、イギリス、ベルギー、ルーマニア共同制作。2005年アカデミー外国語映画賞ノミネート作品。


『地球が静止する日』は、“地球人から地球を救うために”宇宙からの使者、クラトゥが人類に最後の警告にやってくるというストーリー。
細かい設定こそ違うものの、大筋はオリジナルもリメイク版も基本的に同じだ。

オリジナル版の制作は1951年。
『ウェストサイド・ストーリー』など数々の名作を生み出した名匠、ロバート・ワイズ監督の手による本格SF映画の先駆的作品。
世界中を巻き込んだ初めての新型兵器戦争である第二次世界大戦の傷跡がまだ生々しく、またソ連とアメリカが冷戦時代へと突き進んでいった時代を背景としている。
そんな殺伐とした世界情勢に「宇宙からの警告」という形で警鐘を鳴らす、という製作側の意図が読み取れる。

物語は、平和的な交渉にやってきた宇宙からの使者クラトゥにアメリカ軍がいきなり発砲するところから始まる。
いかにもアメリカを象徴したようなシーンだ。
病院で傷の手当てを受けたクラトゥに、アメリカ国務長官が面会に訪れる。
「君はいったい何の目的で我々の惑星にやってきたのかね?」
「我々の、だって?この星を人類から救うためです。それにはまず、地球の代表者と話がしたい」
アメリカの代表者ではなく“全世界の代表者”との会談を今すぐセッティングしろと迫るクラトゥに、長官はこう告げる。
「君は我々の世界のことがよくわかっていないようだね。世界は個々の国々から成り立っていて、それをひとつにまとめるには何かと難しい事情がある。だから全世界を代表する人物なんて存在しないんだよ」
ひとつにまとまることもできない人類がこの先平和になれるわけがない。
クラトゥはますます地球に危機感を募らせていく。

地球人の度重なる暴挙にもはや猶予がないと悟ったエイリアンは人類を滅亡させる決断を下すのだが、しかしそこに唯一立ちはだかるものがあった。

それが、「ヒューマニティー」

クラトゥは、地球で実際に触れ合った人間たち(オリジナルのほうがこのあたりの触れ合い描写が明確でより温かい)の中に、純粋な心を見る。
それは、敵国を破壊することばかりを繰り返す愚かな国家組織とは全く違う、美しい無償の愛の姿だった。

「地球は、もしかしてまだ救えるかもしれない。変われるかもしれない」・・・このわずかな望みが、人類を滅亡の危機から救う最後の砦になった。


そして、2008年版。
クラトゥ(キアヌ・リーブス)が、核戦争にふける愚かな人類から地球を救うためにやってくる設定はオリジナルと全く変わってはいない。
ということは、57年前に発せられた警告を人類はなにひとつ受け止めていなかったことになる。それどころか「環境破壊」という新たな命題までもプラスされている分、事態は悪化しているということになる。(この2本が同じDVDに収められている意図が、痛いほどわかった。)


私はアメリカが嫌いだが、これはアメリカ“国家”に対する感情であって、アメリカ人の友人たちはとても好きだ。
「個」にあふれるヒューマニティーは、「国家」というかたまりになると霧散してしまうらしい。

本当にクラトゥが来てくれないかな。そして世界(まずアメリカ)を根本的に変えなければいけないね。そんなことを話していたら、Pちゃんがひとこと。

「オバマはひょっとして、クラトゥかもしれないね」


◆◆

『戦場のアリア』。
物語の舞台は1914年、第一次大戦下。
フランスフランス北部の最前線デルソーでは、フランス・イギリス(スコットランド)連合軍と、ドイツ軍が熾烈な長期戦を繰り広げていた。
やがて訪れたクリスマスの夜。各々の陣では、兵士たちがひっそりとクリスマスを祝っていた。
スコットランド軍の塹壕からはバグパイプの音色が聞こえてくる。その音色に思わずうっとりと耳を傾けるドイツ兵たち。
一方ドイツ兵たちは、司令部から送られたクリスマスツリーに明かりを灯し、有名なテノール歌手である兵士が高らかに「清しこの夜」を歌い上げる。
とそのとき、歌に合わせて遠くからバグパイプの音色が聞こえてくる。
お互いの国を想い、家族に想いをはせ、クリスマスを静かな気持ちで迎えたいという兵士たち共通の願いがひとつになり、戦場で“一夜限りの停戦”が実現する。

武器を置き、片言の言葉をしゃべりながら酒を飲み交わし、妻の写真を見せ合う兵士たち。
国も文化も違う3つの国の兵士たちが雪の中一同に会し、スコットランド人の神父(兵士)が厳かにミサを執り行う。
ドイツ兵テノール歌手の妻で、夫に会うために戦場を訪れていたソプラノ歌手が、クリスマスミサ曲を高らかに歌い上げる。
その幻想的なまでに美しい歌声に、涙する兵士たち。

一夜の“交流”を終えた兵士たちはまた、とぼとぼと自分たちの壕へ戻っていくが、いったん心を通わせた彼らはもう戦うことができなかった。
このあと、彼らにはさらなる試練が待ち受けていた・・・。




この話は実話だという。
当時、世界大戦中のヨーロッパでは“fraternization(敵軍同士が仲良くなってしまうこと)”はあちこちで起こっていたらしい。
軍として公にできないため、証拠となる写真などはあまり残されていないが、このデルソーでの交流は兵士たちの手紙などから後々に語り伝えられているという。

フランス兵、イギリス兵、ドイツ兵。
ユニフォームを脱いでしまえばみな同じヨーロピアンである。その前に、同じ人間である。
その当たり前のことが、一夜限りの交流で心の中に迫ってくる。
同じ人間同士である彼らが殺し合う戦争の愚かさが浮き彫りになる。
ひとつのかたまり(国家)として相手を見たとき平気で武器を向けられた者同士が、いったん1対1の人間として向き合ったあとはもうそれができなくなる。
平和へのかすかな希望、「ヒューマニティー」がここにある。




ところで、この話は「同じ宗教(キリスト教)」の国同士でなければ成り立たなかったのだろうか?という疑問が私の心に沸き起こっていた。
クリスマスを聖なるものと考える国同士だからこそ、イブに停戦が可能になったのではないかと。
これがキリスト教対イスラム教(アメリカ対テロ戦争)ならばとても成り立つまい、と。

これを静かに否定する、ふたつの印象的なシーンがある。


戦場にオペラ歌手が来たことに気色ばっていたドイツ兵将校が、ミサのあとふたりの歌手にこう声をかける。

「私はユダヤ人だが、今日のミサは一生忘れないだろう」

ユダヤ教ではイエスキリストを神格化しないため、クリスマスを祝わないのだが、彼にとってそんなことはどうでもよかった。
敵味方、宗教や宗派を超えて、同じ人間として心をひとつにして集えたという喜びの前には、ちっぽけなことにすぎなかったのだ。

それと対象的なのが、戦場でクリスマスミサを執り行った神父を、ビショップ(司教。いわゆる神父の上司に当たる)が激しく非難するシーンだ。

「君は自分のやったことがわかっているのかね?それが“神の子”たる者のする仕業か」
神父は毅然として言う。

「あのミサは私の生涯で一番のミサでした。私は、イエスが私にこうするようお導きになったのだと信じています」

怒った司教は彼にこの戦線から離脱するよう告げ、兵士たちを前に新たな説教を始める。

「神の子たちよ。今こそ立ち上がるのだ。これはクルセイド(聖戦)だ。神の名の下に、老いも若きもすべてのドイツ人を殺すのだ!」

同じ戦場で我が子を失いながらも、敵味方なく祈りを捧げてきた神父の信念。
それとは逆に、「人を殺せ」と命じる聖職者。
宗教の偽善が浮き彫りになると同時に、このあまりに皮肉な対比に心が打ち震える。

司祭の説教を遠くで聞いていた神父は、静かにロザリオを置いて出て行く。



クリスマスだけの停戦が、やがて心の停戦へ。
もはや戦えなくなった兵士たちの姿は、まるで喜劇のように滑稽にすら映る。
交流から生まれた小さなドラマが幾重にも積み重なって、やがて後半の兵士たちを待ち受ける運命に紡がれていく―。

人間であることとはいったい何か。
愚かな決断をするのも人間だが、それから抜け出せるのも人間なのだ。
それを深く深く考えさせられた、3本の映画だった。



◆◆(おまけ)映画の友




アメリカのスイーツにどうしても満足できなかったので
ついにシュークリームを焼いてしまった。出来はまぁまぁ。


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American Idolにみる、黒人歌手のマンネリ

2009-04-17 05:30:13 | アメリカ生活雑感
American Idolシーズン8も、終盤に入ってきた。
昨日、ちょっとした“サプライズ”の結果、ベスト7は動かぬまま次週に繰越しという事態に。
私的には、(誰とは言わないけれど)“救済”するには及ばなかった思うが。


今シーズンはどうも昨シーズンほど燃えない。
というのも、もう結果が決まってしまっているようなもんだから。
日本での放映のことを考えてネタバレにならないように気を遣っても、こればかりは誰の目にもかなり明白。
ひとり、突出してしまっているのでちょっとつまらない。
個人的な好みからいえば、ダニーあたりにがんばってほしいところだが、最後のひとりになるのは多分無理だろう。

さらにつまらない理由のひとつは、女性陣の不振。
昨シーズンも、ベスト4のうち女性は一人だけだったが、今シーズンもはっとするような女性歌手が不在。
ひそかに注目していたガールは早々とvote offされちゃったし。
16歳のアリソンが一人で気を吐いているものの、元気なだけでおばさんにはどうも物足りない。(まぁ、求めるものが違うのだろうけど・・)


また、今回は妙に既婚・子持ち率が高かった。
しばらく離れている子どものビデオに臆面もなく涙するコンペティターの姿を見ていたら、「そんなことでアメリカツアーになんて行けるのか」と心配にさえなる。
予想通り、そういう人たちから順に姿を消している。
ううむ、これは局側の陰謀か?


さらにここのところのAIをつまらなくしているのは、昨今の黒人歌手のマンネリ化。
黒人歌手は文句なく歌唱力がある。しかしそれ以上でもない。
要するに、何の個性もない。
さらに黒人、特に女性歌手がはまるパターンとしては、大きすぎる歌を選んでしまうこと。
ホイットニー・ヒューストン、ティナ・ターナーなどの超有名曲を自己陶酔して歌い、歌に溺れてあえなく溺死するパターン。
このへんのレベルの黒人歌手はアメリカではそこいらへんにいくらでも転がっているので、聞いているほうは少しばかりうまくてももはや何の感動もない。
ここのところAmerican Idolで黒人歌手の不振が続いているのは、アメリカが“うまい黒人歌手に対して飽きた”からに他ならないと思う。
数年前のファンタジアのような、他を圧倒するようなパンチや、ジェニファー・ハドソン(ベスト16で落とされたが)のような圧倒的な歌唱力がなければ、もはや人は食いつかない。

今シーズンもしかり。
はじめのうちは存在力が光っていたリルが、ここのところにきて失速。
自分を完全に見失い、あのやば~いパターンにはまり始めた。
来週あたりで一区切りつきそうだ。


そんなことを考えながら今シーズンを振り返ってみると(って終わってないけど)、やっぱり去年のDavid Cookは改めてよかったなぁ。




これを観て、こりゃいくな、と確信したのだった。

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Slumdog $ Millionaire(スラムドッグ$ミリオネア)

2009-04-15 05:01:50 | movie
2月のオスカー受賞作DVDが、続々と近所の図書館に入荷してきた。
さっそく観たのが、アカデミー8部門を独占した話題作『Slumdog $ Millionaire』。

インド・ムンバイのスラムの孤児たちの過酷な人生と数奇な運命が、あの世界的なクイズ番組「Who Wants to Be a Millionaire?(クイズ$ミリオネア)」を解きながら展開されていく。

主人公はスラムで生まれ育ったジャマールという一人の少年。
民族闘争で目の前で母親を殺され孤児となったジャマールは、兄のサリームと、同じく孤児となった少女ラティカとともにゴミを拾いながら生き延びていく。
そんな孤児たちを食いものにし“プロの物乞い”にしたてあげようとするギャングの手につかまるも、危機一髪のところで脱走。その後もスリ、置き引き、観光名所での偽ガイドなどをしながらその日をしのぐ生活が続く。
しかし、そんな彼がどうしてもあきらめられなかったのが、逃亡のときに離れ離れになったラティカ。
彼女の手をもう少しのところでつかめなかったジャマールの心の中から、ラティカが消えることは決してなかった・・・。

そんなジャマールが、「Who Wants to Be a Millionaire?(クイズ$ミリオネア)」に出演することになり、今まで誰もがなしえなかった最後の一問までたどり着く。
最後の一問に答えて2000万ルピーを手に入れるか。それともすべてを失うか。
彼は全インドが見守る中、最後に残された“ライフライン”を使う。
果たして、そのテレフォンに出た主は?

そして、ジャマールの最後の声が会場に響き渡る。

「ファイナルアンサー」



映画の中でこんなシーンがある。
「クイズ$ミリオネア」で出された「アメリカの100ドル札の人物は誰か?」という問題に答えられたジャマール。しかし、「1000ルピー札の人物」は誰かを知らなかった。
スラムで生まれ育った無学な彼が、どうしてすべての答えを知っていたのか?
何百回もあきらめずに電話をしてまで「クイズ$ミリオネア」に出なければならなかった、その本当の理由は何だったのか?


その答えが最後ですべて明らかになる。


◆◆

スラムに生きる子供たちの生活のあまりの凄惨さにショックを受けつつ、また観るに耐えないようなシーンも何度かあり、はじめの1時間は全身が緊張のあまり硬直しっぱなしだった。
Pちゃんは、ショックのあまり途中で席を立とうとしたほどだ。
しかし、映画が終わってみると、あらゆるシーンが頭のなかにしっかりととどまっており、それらがぐるぐると反芻し始め、話がつきることがなかった。
それほど、全てが見逃せない計算されつくされた映画だったと思う。
そして何と言ってもエンドロール。これぞ“ボリウッド”!(観てのお楽しみ)


この映画が、今年のアカデミー作品賞を受賞したのは、アメリカが自国や(大好きな)イスラエル以外の世界を目の当たりにしたショックがまず大きいと思う。
この映画を観るまでは、インドのスラムにはこのような孤児たちがあふれていることなど知る由もなかっただろう。
その“驚きの”テーマが、「クイズ$ミリオネア」という華やかな別世界に沿ってひとつずつ明らかになっていくという極上のエンターテイメント。
だからこそ、ジャマールが一問、また一問と答える、いや答えてしまえる、その悲しそうな表情が切なくもくるおしい。


日本公開は4月18日(今週末)から。



(C)2008 Celador Films and Channel 4 Television Corporation



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Sleepover

2009-04-12 05:20:21 | アメリカ生活雑感
Pちゃんのバークレー時代の同僚で、今はサンディエゴの大学で研究者として働いているヨハネスくん(ドイツ)がここFermilabにやってきた。
彼は年に2~3度こうやって仕事に訪れる機会があって、そのたびにちゃんと連絡をくれ、顔を見せてくれる。
話が面白くて、聞き上手でユーモアセンスも抜群。Pちゃんも私も彼のことが大好き。
年齢はずっと下なのだけれど、彼といるとなんだか親戚同士みたいに落ち着く、というか何も気を遣わないでいられるので楽。

金曜日の夜、ヨハネスくんをいつものように晩御飯にご招待。
この人はまた、好き嫌いなくなんでも食べてくれるので食事も作りがいがある。
今晩のメインメニューは、最近残飯整理のつもりで作って思わぬ大ヒットとなった「フライパン・パエリア」と、ラム(子羊)のミニステーキ。



サフランが最近高くて手に入らないので、替わりにターメリック入り。
具は、頭つきエビ、鶏もも、赤・黄ピーマン、ミニウィンナー。
あとからムール貝を忘れていたことが発覚・・・大ショック。



久々にドイツ語で楽しそうに話しまくるふたり。
ヨハネスは去年から髪を伸ばし始め、今はべトーベン(プードル)みたいになっていた。



食事の後、映画『Bolt』(ディズニーアニメ)を大盛り上がりで見て、午前1時半ごろまでこんな感じでごろごろだらだら。
彼はすぐ近くのFermilab内の宿泊施設に泊まっていたのだけれど、送っていくのも帰るのも面倒になって、急遽お泊り決定。
というわけで、2009年の記念すべきお泊り客第1号はヨハネスくんでした。

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メジャー開幕。

2009-04-10 02:23:28 | アメリカ生活雑感


WBC優勝チームにだけ許される、「ChampionsTシャツ」がやっと届いた。
優勝した翌日にMLBのサイトで即注文、それからかれこれ3週間。時間かかりすぎでっせ。
こういうものはすぐ着ないと盛り上がらん。
でも、今年はこれを着てのメジャー観戦も楽しくなりそう。

メジャーも今週から各地で開幕。
なんとシカゴ・ホワイトソックスの開幕試合は、雪のために翌日延期。1982年以来のことだそうだ。
雪をはじめてみるキューバの選手は、球場で雪投げをして「冷たい」と言ってはしゃいでいた。

方やヒューストンで開幕を迎えたカブスは、10回裏、アストロズのサヨナラゲームという結果だった。
翌日、Soxファンのアメリカ人の友人(男)に「開幕戦、カブスはサヨナラ負けだったねぇ」というと、やけにに喜んだ。
いはく、「Soxが勝つよりカブスが負けることのほうがうれしい」そうだ。
いやはや。どうしてこう、地元の2チームのファンってのは仲悪いのかね。


◆◆
最近、WBCについて書いた記事がアップしました。
ぜひ読んでみてください。コメントも大歓迎!!

SHOKOのシカゴ的生活 ~Vol.5~
「メジャーリーガーたちが見た“世界”は、WBCの未来の扉を開けるか?」


(大人のためのプレミアムウェブマガジン/Kappo Web Magazine)


 
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ドイツといえば?

2009-04-07 03:32:59 | アメリカ生活雑感

今朝起きたら、外は一面雪化粧。
夕べから降り続いた雪が、あっという間に積もってた。
春はまだ来ず。




先日のAnu&Nalaka夫妻との夕食でのネタ話。
自分たちの国の特産物について小さく盛り上がった。

Pちゃん、いつものように得意気に
「ドイツはやっぱりビールとケーキかな」
といって、ドイツのいわゆる“ビール法”の説明を嬉々としてし始めた。
ビール法というのは、「ビールの製造にあたっては 麦芽+酵母+ホップ+水だけを使うべし。それ以外はビールにあらず」というもの。
この法律がドイツビールの品質を保っていると巷では言われている。
そのほかの特産物といえば、やっぱりソーセージあたりか?などとたわいもなく盛り上がっていたら、いきなりNalakaが衝撃のひとこと。

「知ってる?世界のほとんどのペンシルシャープナー(鉛筆削り)はドイツ製なんだよ!」

これにはみんなビックリ。
ドイツ人もびっくり。

「ボクが持っているシャープナーを見てみるとふたつともドイツ製。メイド・イン・チャイナでもなく、ジャーマニー製!!これってすごくない?」
とあまりにNalakaが得意そうに言うので、Pちゃんそれに大うけ。
ほかの話題になっても、「ペンシルシャープナーのときほどうれしそうじゃないね」と何度も話をぶりかえすのでそれにもまた笑えた。
鉛筆削りで盛り上がる変な人たち・・。

今日、Anuから「この間はありがとう」メールがきた。
追伸)
「ちなみに私の持ってるシャープナーを見てみたらMade in Indiaだった」。


お宅のはどこの国製?




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お客さんWeek。

2009-04-06 05:13:09 | アメリカ生活雑感
ERにお世話になった翌日の金曜日。
数ヶ月前とっていた大学の「幼児発達」のクラスで一緒だったアヌ(スリランカ)夫妻を我が家に招待することになっていた。

彼女とは最初のクラスの日にたまたま席が隣り合わせになりいろいろおしゃべりをしていたら、偶然にも彼女のご主人もフィジシスト(物理学者)だという。
ご主人は、アルゴン国立研究所というこれまたイリノイにある巨大な物理施設で働いているという。
そんなわけで一気に仲良くなり、クラスが終了したあともメールで連絡を取り合うようになっていて、「春になったら遊びにきてね」と約束していた。

午後6時半ごろ、ふたりが我が家に到着。
せっかくだから二人をPちゃんの職場であるフェルミ国立研究所にご案内することにして、すぐさまふたりを私の車に乗せ3人でPちゃんのところへ向かう。
アヌのご主人Nalaka(ナラカ)は以前一度だけここに来たことがあるそうだが、施設の中まで足を踏み入れるのは初めてだという。
というわけで、Pちゃんに案内役をしてもらうことになっていた。
こういうときには俄然はりきるPちゃん。さっそく会ったばかりのナラカをあちらこちらに連れまわしては熱弁
をふるう。共通のフィールドで働く者同士、説明のしがいもあるのだろう。とてもうれしそうだった。



◆◆
さて、その後は家にもどってディナータイム。
ビールとワイン、枝豆でぼちぼちとはじめ、用意しておいた巻き寿司をアヌに切ってもらい、あとは照り焼きチキンとサラダ、というシンプルディナー。
ふたりは枝豆をたいそうお気に入り。
「これはうまい。止まらない」とむしゃむしゃ。

食事中は主にスリランカのことに(主にPちゃん)質問が集中。
おかげで、今まであまり知る機会もなかったスリランカ情勢(※)をたっぷり聞かせてもらってとても勉強になった。

※ スリランカ内戦:
多数派シンハラ人の支配に抵抗する少数派タミル人の反政府勢力「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)」の抵抗運動が高まり、1983年ごろからとの間で内戦が勃発。これまでに7万人以上が死亡した。02年には停戦で合意したが、05年に対LITTE強硬派のラジャパクサ大統領が就任したのを機に戦闘が再燃。政府は08年1月、停戦協定を破棄し軍事攻撃を強めた。)


この人たちは何でも食べてくれるので作りがいがある。宗教による制限なんかも全くなし。
ナラカ(左)とアヌ


もともとは私がクラスメートのアヌを招待したのに、気がつけばPちゃんとナラカがしゃべりどおし。
私とアヌは結局二人の話に相槌を打って終わってしまった感じ。
いやぁ、よーしゃべる男たちやわ・・・
ナラカたちは次の職場が決まれば6月にNYに行ってしまうかもしれないので、その前に一緒に野球を見に行こうと約束。

楽しい一夜だった。
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“ER”

2009-04-04 07:09:14 | アメリカ生活雑感
1994年から続いた、長寿ドラマ“ER”(“ER緊急救命室”)が、昨日ついに最終回を迎えた。
シカゴのとある総合病院の緊急救命室を舞台に繰り広げられる、硬派の医療ドラマだ。
時々ロケ現場にも出くわすこともあり、シカゴ市民にとってはとても身近な存在だった。
過去にはジョージ・クルーニーなどの俳優もレギュラーをつとめていたことでも知られている。

その記念すべき最終回の日、よりによって私もER(Emergency Room)にお世話になってしまった。
とはいっても、命にかかわるようなものでもなんでもなく、料理中に指をつめた(ざっくり切っちゃった)だけの話。

実は昨日、Pちゃんがめずらしく同僚を晩御飯にご招待したいと連れてきた。インド系アメリカ人のペラシャン。
それほど仲良しというわけでもないのだが、先日なぜかペラシャンがPちゃんの部屋をひどく落ち込んだ様子で訪れたのだそうだ。
彼はいまPhDを終了するために次の仕事(インターン)を探していて、あちらこちらの大学に願書を送ったがすべて「今は採用なし」という返事。すっかり気を落として半分泣きそうになりながらPちゃんにつらつらと話を聞かせたらしい。
人のいいPちゃんは、あまりに落ち込むぺラシャンを放っておけず「うちにきて一緒に飯でも食べよう」となったらしい。

正直なところ、私はこの人がかなり苦手。
(どうもコミュニケーションがとりにくいタイプ・・・)
しかもこの人、ベジタリアン。
肉も魚も卵もだめ。「食べることに興味がない」という。
どーせーっちゅうねん!!と、全く料理やる気なし状態でキャベツを切っていたところ左親指の先をざっくりやっちまった。
こんなこと、滅多にというか今まで一度もなかった。
吹き出る血をティッシュで押さえつけているところに、間悪くふたりが帰ってきた。
何食わぬ顔でとりあえず料理は作り終え、バンドエイドでぐるぐる巻きにしてディナーはなんとかやりすごした。
しかしその後どうにも血が止まらない。
ペラシャンが帰ったあと11時半過ぎ、急遽病院にいくことにした。
これくらいの切り傷でERというのはあまりにもおおげさなので、私は行きたくなかったのだけれど、Pちゃんがあまりにもうるさい。
「血が止まらないというのは緊急事態だろ?何のために保険払ってんだ!」と珍しく激しく立腹。
そういえばそうだよな、と納得してパジャマを着替えて病院へ。

夜中とあって、やけに静かなER。
すぐに消毒、血止め、包帯など処置をしてもらったのだが、その処置がとてもすばやく上手で感心しきりだった。(当たり前だけど)
やっぱり来てよかった。

というわけで我が家の“ER事件”も、一件落着。
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新年の抱負~その後。

2009-04-03 03:30:01 | アメリカ生活雑感
2009年も3ヶ月があっという間に経過。
年頭に立てた今年の抱負はどうなったかな?とちょっと確認。

まずは「体を鍛える」。
1~3月のシカゴはとにかく寒い。
家から一歩も出ない生活が続くので、何しろ体がなまる。贅肉もつき放題のキケンがある。
そこで、近所のジムに週に2~3回は足しげく通って汗を流すようにつとめている。
3月に入ってからはちょっとサボり気味・・・。

それよりも、この3ヶ月はずいぶん病院にお世話になった。
あの、“謎の喉の不調”から始まって、何度主治医を訪ねたことか。
そのたびに「問題ない」と言われ続けたが、それでも違和感は続き、ついに甲状腺の精密検査まで受けたけれど「異常なし」。
鼻に関係しているのかも、とやっと3月に耳鼻科を紹介してもらって診察を受けた。
鼻のCTスキャンまで受けた。
それでも、「異常なし」。
「ひょっとしてちょっとしたアレルギーかもしれませんねえ」で終結。
花粉症はおろか、何のアレルギーも持たない私がアレルギー?といまだにすっきりしない。
最新の医療技術まで駆使して検査したのだから信じるしかないか。
そのほかにも、年に一度の婦人科検診やら乳がん検査やらも受けた。
まさにこの3ヶ月は4月からに向けての「体のオーバーホール」時期だったのかも。
保険を使いまくって元とったかんじ。

◆◆

もうひとつの抱負は「いい映画をいっぱい見る」
ちなみに、見た映画(DVD&テレビ)を調べてみると
1月は8本。邦画2本(『武士の一分』『博士の愛した数式』)
2月は6本。邦画1本(『Always。三丁目の夕日』)
3月は6本。邦画1本(『男たちの大和』)

個人的に選んだ月ベストは
1月:『Bucket List』
2月:『Girl, Interrupted』
3月: なし

中でも秀逸だったのが『Girl, Interrupted』(邦題:『17歳のカルテ』)。
当時24才のアンジェリーナ・ジョリーの鬼気迫る演技に息を呑む。
アンジーはこの作品でアカデミー助演女優賞を受賞している。


実は金髪だったのね。

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