Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

歌仲間の誕生会

2014-03-25 20:17:58 | アメリカ生活雑感

Dedeを見送った後、予定を変更して急きょ、歌仲間パットの誕生パーティーに顔を出すことにした。
彼は今年で75歳。
毎日のようにどこかで歌っている、ノンプロのシンガーだ。

彼と初めて会ったのは4年前。
私がヒマをもてあまして近所のBar『Morgan's』で毎週行われているJazzの飛び入りジャムセッションに参加した時に声をかけられたのが最初の出会いだった。
彼はいつも歌いに来るシンガー仲間の中でも元締めのような存在で、必ず最後を締めてくれる人でもあった。
私が歌いに行くと、必ずというほどパットは私をさぁさぁと仲間に入れてくれて、いろいろを気を遣ってくれた。
都合が悪くて何週間も顔を出さないでいると、「何かあったんじゃないかと心配になって」とわざわざ自宅に電話をくれたり、面白そうなイベントがあると「ぜひ歌ってほしいから君もペドロと一緒においで。」と連絡をくれる。
本当に優しい人なのだ。

そのパットの誕生日パーティが隣町のレストラン&バーであるというので、彼を知る仲間たちが大勢つめかけた。
彼の人柄のなせるわざか、本当にたくさんの人たちが集まって彼を祝福した。

 



この日は4曲を披露してくれたパット


この方も常連、リチャードおじさん。
彼は85歳。なのに信じられないほどの音域でしっとりとバラードを歌ってくれる。
メル・トーメを彷彿とさせる。


そして、この夜一番驚いたのがこの女性。

 

なんと間もなく93歳になるという、この彼女の歌いっぷりがまたすごいのだ、
このお年で声に震えもなく実に力強い。背筋をシャキッと伸ばし、大きく口を開けて歌うさまはまるで60代。


シカゴから遠く離れた郊外に住んでいると、こうやって老人同士が共に夜を楽しんでいる風景によく出くわす。
「○○さん、最近顔を出さないけど元気かしら」などと、お互いのことを気遣い合いつつ、きちんとおしゃれをし、ワインを飲み交わし、バンドに合わせて踊り、歌う。
まさにアメリカの古い映画に出てくるような光景がここにある。私たちなどはこの中に入るとまるでBabyなのだった。

そして、彼らからは学ぶことが多い。
何よりも、観客を楽しませるツボを知り尽くしている。
歌の合間の軽妙なおしゃべり、しゃれたバンドの紹介の仕方、歌い終わった後の所作。すべてが私にとってお手本。
一番素敵なことは、誰も人の演奏をジャッジしないこと。この時間を一緒に楽しむことを一番大切に思っているからだ。
歌詞を忘れてさんざんな出来だった私の歌にも、「そんなことは僕だってしょっちゅうさ。君はよその言葉で歌っている、それだけで素晴らしいよ。」と何かしら褒めてくれる。
だからここに来ると、私も緊張することなく心から楽しむことができるのだ。
彼らから新しい歌を教えてもらうことも多い。今年もいっぱいお世話になりそうだ。



これが93歳のおばあ様の見事な歌いっぷり↓


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Dedeとの再会。

2014-03-22 18:12:51 | アメリカ生活雑感
バークレー時代からの知り合いで、私のアメリカ生活のすべてを知っている大切な友人、Dedeがシカゴを2週間ほど訪れているという。
もともとはシカゴの出身の彼女、知人・友人も多いので滞在中のスケジュールはすぐに埋まってしまうのだけれど、「久しぶりにたまったお話ししましょうよ」と彼女のほうから連絡をもらい、ほいほいとシカゴに出かけて行った。
Dedeのことを大好きなPちゃんには悪いけれど、秘密のレディース・トークをしたかったのでPちゃん抜きの二人だけのデート。

バークレーの人たちのこと、街のこと、シカゴでの私たちの生活、Pちゃんの状態、仕事のこと、ブルースやJazzとのかかわり・・・彼女となら、何から何まで話せる。
これだけアメリカに来てからの私のことを知っているのは、世の中できっと彼女だけかもしれない。
私が今やっていること、やろうとしていることをとめどなく怒涛のようにおしゃべりしていると時間がたつのを忘れてしまう。
「Shokoにとってシカゴは本当に水があってるのね。ますます新しい世界でいろんな冒険をしていてわくわくするわ」と、昔とちっともかわらない済んだ瞳をキラキラさせて私の話を聞いてくれるのだった。



そんなこんなで、3時間くらいがあっという間に過ぎていく。
普段は誰にも言えない心の奥底にしまってある深い悩みを、深く理解してくれる大好きな人に思い切りさらけだせる、今の私にはとても貴重な時間だった。

 
いつまでたっても若々しい彼女。
いつも新しいものに興味を抱き、自分でどこにでも足を運び、感じているからだろう。
そして健康管理もおこたりない。30年以上もずっと自分だけの力で生きてきたプライドを感じる。



そして1週間後の3月21日。

「Pちゃん抜きで悪いことをした」との思いからか、彼女からまたまたうれしいお誘い。
私たちがシカゴに出かけて行ってもいいのだけれど、どうしてもGOROを見せたかったので、彼女をこの田舎にお誘いすることにした。

この日の気温は、これまでの氷点下から一転して春のぽかぽか陽気。
シカゴから電車で約1時間の旅をして生まれて初めて郊外に足を踏み入れたDedeと一緒に、3人でNapervilleをお散歩したり、お気に入りのスペインタパスのレストランで軽い食事をしたり。
私たちがバークレーを離れる1日前、こうやて3人でバークレーの町をただぶらぶらして名残を惜しんだことがあったっけ。
そんなことを思い出しながら一緒に歩く春の日の午後。

町ブラのあとは、我が家に少しだけ立ち寄ってもらってGOROとご対面。
始めは小さくワンと吠えてみたGOROだったが、おもちゃをもらったら一気にDedeのことを好きになってしまったらしい。


Dedeからもらったおもちゃがにご執心


 
Dedeを送って、今度はWest Chicago駅へ。
帰りはここからシカゴへのこれまた約1時間の旅。


まだまだ案内したりなかってけれど、それは次回のお楽しみにおっておくね、Dede!
来てくれてありがとう。
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St. Patrick's Day

2014-03-18 17:36:26 | アメリカ生活雑感
3月17日は、アイルランド人のお祭り「セント・パトリックス・デー」。
アメリカでもアイリッシュルーツの人たちは多く、ここシカゴ界隈でも毎年この日は街がアイリッシュカラーの緑色一色に染まる。
シカゴリバーも緑に染まり、あちこちで大パレードが行われるのだが、我が家は人ごみを避けていつものように家でまったりを決め込んでいる。

前日、16日の日曜日の夕方、そんな私たちのところに近所さんのビルからディナーのお誘いの電話。
テリーがアイリッシュの血を引いているので、毎年この日はトラディショナルな料理を作ってふるまってくれるのだ。





これがトラディショナルな「セント・パトリックデー」メニュー

コーンビーフ
Red ポテト
キャベツ

とても質素だけど、長時間煮込んだお肉がほろほろでおいしい。それにお野菜がいっぱいで油っこくないので私は大好き!



GOROもビルから電話が来た時点で久々にAJに会えるとわかったらしく、うれしくて猛ダッシュ!!



いつも私たちを誘ってくれる、素敵なお友達テリー


セントパトリックデーの翌日は私の誕生日なので、どうしても静かにごまかすことができないのが唯一の悩み・・・
この日も誕生日おめでとう、のメッセージをいただいた。ありがとう!



2013年
2012年
2011年
2010年

(おまけ)
翌朝、GOROが下痢をしていた。
夕べ変なお菓子をもらっておなかをこわしたのかな、と思っていたら、テリーから電話で「AJは朝から吐きまくって大変だった」とのこと。
どうやら、何者かが彼女のバックヤードに腐ったチキンを投げ込んでいたらしく、それを犬たちは遊んでいる時に見つけて食べた疑い。
ビルによると、数日前にもう一軒おとなりの家で飼われている柴犬マックス(←こいつが全くしつけがなっていないアホ犬)がリーシュを離れて近所を走り回っていたのを、快く思わなかった近所の人が警察に通報したらしい。
そいつが、その犬とAJを柴犬同士混同していやがらせしたのではないか?という疑いがもたれているのだけれど、定かではない。


こういう陰湿なことやるやつは決して許さん。見つけたらぶっ殺してやる




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2014-03-12 00:52:46 | アメリカ生活雑感
実家の梅がこんなにきれいに咲いていたので記念にのっけときます。










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ひなまつりランチ

2014-03-08 16:43:55 | アメリカ生活雑感
3月6日

ご主人の仕事の関係でノースカロライナに引っ越しすることになったお友達のSさんのお宅で、ちょっと遅れたひなまつりのポトラックランチ。
もう売れてしまったとはいえ、聞きしに勝る豪邸と博物館並みの素晴らしい調度品にため息。
今まで、シンガポールやベルギーなどいろいろなところに住んでいた彼女らしく、世界各地の素敵な品がそれもとても素晴らしく飾られていた。

今日の主役はこのお雛様。



なんと100年以上前、大正時代に京都で作られたものだという。
だいぶ前にパリの知り合いから譲り受けたそうだ。
お顔は古い時代のお雛様特有の、面長で切れ長の目。ちゃんと木でできていて、お着物も本物の西陣。
実家のお雛様も確かこんなお顔だったなぁ。。。



そしていつもながらおいしいお料理の数々。
特にみんなの目をくぎ付けにしたのが、Mちゃんが持ってきてくれた「ひな祭りバージョン3色寿司」



ピンク、黄色、白の3段の押し寿司に、スモークサーモンがバラの花のようにセッティングされていてきれい!



それでは、ご本人の承諾のもと豪邸内部をちらりとご紹介。



リビングに鎮座するのは中国で作られた古い椅子






箪笥や机もアジアンテイストで統一



ダイニングではみんなが持ち寄った本や雑誌の交換会が行われました。


キッチンからリビング、2階の吹き抜けを見たところ。空間が広くて気持ちいい。



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男尊女卑王国日本を見た

2014-03-07 15:47:29 | ニッポン生活編
【久々にむかついた話】

銀座で昔の仕事仲間と楽しく会食したあと、友人ととあるBarで飲んでいた。
カウンターだけの小さなBarで、となりにはいかにも成金といった風情の下品なおっさんがロシア人の若い彼女(娼婦)を連れて我が物顔で飲んでいた。
そのおっさん、急にそこにいた客にむかってしゃべり始めた。

「だいたい女なんて黙って男の言うこと聞いて子供さえ産んでりゃいいんだよ。本当に育てられるのは男なんだ」

あまりのことにあっけにとられたが、その得意げな顔を見て怒りがわいてきた。
「アホちゃうか。こんなやついまだにこの世に存在しとったんか、情けない」私がぼそっとつぶやいたその言葉を、おっさんは聞き逃さなかったらしい。
急に大きな声で私に怒鳴り始めた。
「オレはお前のような生意気で気の強い女がいっちばん嫌いなんだ!アメリカに住んでるって?オレの前でアメリカの話なんかするな!」
(はぁ??連れがそういっただけで私は一言も話していませんけど)


あまりにアホらしくて一緒の空気吸うのも嫌で無視していたらおっさん、しばらくして×悪そうにすごすごと店を出て行った。
ちぇっ、こんな大馬鹿野郎にせっかくの楽しい最後の夜を台無しにされた。
それよりも、いまだに男尊女卑王国の日本を見て、がっくりきた。


世界に誇れる「おもてなし」の心を持つ礼儀正しい日本人が、こういう薄汚い心を併せ持っていたりする。
このおっさんのようなタイプは往々にしてコンプレックスの塊。負けたくないものに対して必要以上に敏感に反応する。
だから、女を、外国をけん制する。
自分に確固たる自信さえあれば何も恐れるに足らずなのに。
この話を聞いたPちゃんいはく、
「それでも口に出して言うだけまだ正直だ。思っていて口に出さない人間はいくらでもいる」
確かにそうかもしれない。
男尊女卑の日本はまだまだ遅れてるよなーとがっかり。



I had such a good time drinking together with my old colleagues last night in Tokyo. Later I went to the bar and there was a dirty old guy sitting next to me. He was with a young Russian "girlfriend." He was drunk and started to preach to other customers.
"You know, women should shut up and just bear a child. Women cannot raise children, only men can do it right." He looked so proud.
I talked to myself, "What kind of asshole still exists in this century, poor idiot!"
He heard it, and shouted to me, "I hate an imprudent and strong woman just like you! You live in the U.S? Ha! shut up and never talk about America in front of me." I ignored this scum and later he left with a Pussian. He looked embarrassed.
Thank you for ruining my last night old man!
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攻める人間は美しい。

2014-03-06 17:28:48 | アメリカ生活雑感
退院の時、一番に先生に聞いた質問は

「お酒飲んでもいいですか?」


だった。
だって、今回何が楽しみって、青森から送っていただいていた大好きな地酒を夜中にオリンピック見ながらちびりちびりと飲ることだったのだから。
「念のため、2週間はアルコールを控えてください」と言われ、またもや大ショック。
無事に田舎に帰ったものの、ビール抜きで退院祝いのスキヤキを食べるのは結構つらかった。
しかも横で両親がおいしそうに飲んでるし。

さて、気を取り直してオリンピック観戦に戻ろう。
残念ながら日本選手団は、ソチオリンピックの前半でまったくメダルが取れなかったのだが、私が日本に着陸したとたんスノボのティーンコンビに始まって、入院中は羽生がついに金メダル。続々とメダルラッシュとなった。
そう、私は縁起がいいのだ。
あと私の願いは、なんとかオリンピック最後の真央ちゃんにメダルをとらせてあげたい!だった。

そして悪夢のショートプログラム・・・。
しかし、ここまで落ちてしまったらかえってせいせいした。メダルどうこうというより思い切りやってほしい。笑顔で終わってほしい。
その気持ちだけだった。
この気持ちはきっと、全国民が持っていたと思う。
翌日のフリーの演技では、そんな私たちの希望を彼女は見事にかなえてくれた。
彼女の笑顔をみたとたん、皆が救われた、そんな気がした。

それにしてもなんという強さだろう。
アスリートは決して誰かに勝つために戦ってはいない。彼女はずっと自分と戦っていたのだ。
安全策をとってトリプルアクセルを封印することイコール自分を捨てること、自分への挑戦をやめたらアスリートではなくなることをずっと前から知っていた。
どんなにリクスがあろうとも、全世界で自分だけにしかできない演技にこだわり続けた執念の勝利だった。


同じ意味で、今回のオリンピックで深い感動を与えてくれたのは、演技の直前に棄権したロシアの“皇帝”プルシェンコだった。
4年前、4回転を飛びながらも銀メダルに終わり連盟にクレームを申し立てたときには、金メダルをとったアメリカのメディアから激しいバッシングにあった。
でも彼の「挑戦をやめれば競技がだめになる」という気持ちは4年後に見事につながった。
今や、4回転を飛ばない選手のほうが少なくなっていた。

4年前に書いた記事「みんな正論」

その皇帝が自らリンクを去った。それも、全世界が見守る中で。
体がボロボロになるまで自分の技を出しつくし、そして最後は醜態をさらすまいと去って行った。
その彼を追っていた少年が4回転を成功させて金メダルを取り、そのことを我がことのように喜んだ皇帝。
羽生自身も「4回転半を飛ぶようになってこそ真の金メダル」という攻めの姿勢を決して忘れていない。皇帝の優れた後継者だ。
また、挑戦し続けるものこそ報われるという彼の思いは、浅田真央へのエールとしても送られていた。
真央が「尊敬する選手はプルシェンコ」と言ったのもうなづける。

女子の金メダルを巡っては、素人を巻き込んでいろんなバトルが繰り広げられているが、私的にはロシアのソトニコワは「攻めて勝ち取った」と思う。
キム・ヨナは4年前からは明らかに退化していたし、ミスなく美しかったものの明らかに攻めてはいなかったからだ。
所詮人間が採点するもの。一流の選手ほどそのことを一番よく知っている。
全てが終わった後の浅田真央とキム・ヨナの表情は、何ともすがすがしかった。


そしてもう一人、私を泣かせた人物が高橋大輔。
彼のスケーティングはなんと美しんだろう。
コケてもミスしても、もうどうでもいいや。
あの、後半2分の彼の表情にすべてが表れていた。スケートができる喜びが全身に満ち溢れていた。
勝負を超えた究極の美が、そこにはあった。

エクシビションでの演技も皆すばらしかった。
特に真央ちゃんのSmileにはじいんときた。
アメリカで見ていた友人が後から教えてくれたのだが、真央が滑っている間、アメリカの代表選手だったあのジョニー・ウィアーが
「MAOちゃ~ん」と放送席で絶叫していたそうだ。

どんなにつらいときも、心が折れたときも、決して周りに嫌な顔を見せずにきちんと受け応えし、人を批判するようなコメントも一切しない彼女は、全世界の選手から愛されていた。

どうかこれからの人生も「攻めの真央」でいてほしい。
つまらない日本のメディアや芸能界なんかにまみれないでいてほしい。
できれば雑音のない海外でのびのび活躍してほしい。これからは自分だけの満足のために生きてほしい。
オバサンはそう願うばかりである。
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"オリンピック帰国"とまさかのヴァレンタイン入院

2014-03-03 18:13:32 | ニッポン生活編

この飛行機に乗って・・・

2月は波乱含みのうちにあっと言う間に過ぎ去った。
一番大きな出来事は、2週間ほどのシークレット帰省(帰国)。
そもそも今回の帰国は、1)ソチオリンピックを見ること、2)ゆっくり実家で正月気分を味わうこと、3)ついでに健康診断をすること、が目的だった。
いつもは友人たちに会っているうちに実家で過ごす時間がなくなっていたので、たまには誰とも約束せずに実家にだけ帰ってみようと思っていたのだ。
それにこの時期は1年のうちで航空運賃が最も安くなるので狙い目だった。

オリンピックが始まると我が家が真っ二つに分かれるのも要因のひとつ。
競技ごとに全く興味のないPちゃんとは違って私は無二のオリンピックや競技好き。私がテレビをみて大騒ぎするので、この時期Pちゃんはすごーく憂鬱になるらしい。
私のほうも、アメリカ人選手がメダルを取りそうな競技以外はほとんど見ることができないアメリカでオリンピックを見ることも大きなストレスになっていた。
というわけで、ちょうどこのソチオリンピックを利用して帰省する計画を立てたという次第。
「オリンピックの期間、実家に帰らせていただきます」とPちゃんに言ったら、「Thanks God!」と大喜びされた。

日本で大雪が降って首都圏が大混乱に陥ったその数日後、大寒波の合間を縫ってシカゴから脱出。幸いフライトは1時間の遅れで済んだ。
今回初めて一日に2便就航となったANA便(成田-シカゴ)を利用し、午後9時過ぎに成田着。その晩はANAのキャンペーンで成田のクラウンホテルに無料宿泊というお得なプランだった。
この便のいいところは、まず席がすいていること。私の座った席は3シートとも空いていたので悠々と横たわることができた。そして映画が充実していることもうれしかった。(おかげで4本も見てしまい、ほとんど眠れなかった。)
ホテル利用の規定で、24時間以内には国内便(海外居住者は国内線がどの路線も片道1万円で利用できる)に乗り継がないといけないので、翌朝にはすぐに羽田に移動して徳島へ直行。実に快適だ。


これが大波乱の幕開けになろうとは・・・


せっかくだからと奈良に住む姉が勤め先(医大)の紹介でいろんな検診の予約を入れていたのはいいが、検診は翌日からなのでその日のうちに奈良に移動せねばならなかった。
実家へは一瞬タッチダウンして荷物を下ろしただけで、すぐにバスで奈良へと向かう。

早速翌日、婦人科検診と消化器初診、腹部エコーなど。ちなみにこの夜は、男子フィギュアのSPを見ていて、寝たのは夜中の4時半ごろ。


朝起きると、外はえらいことになっていた。
奈良はなんと15センチの積雪!私の行くところどうしてこんなに雪が降るんだろう?


よりによってこんな日に、最も恐れていた大腸スコープ検査。
できれば一生やりたくない検査だったけれど、この年齢になると一度はやっておかないといけないと前から言われていたこともあり、ついに観念。朝から2リットルの下剤をゲホゲホいいながら飲み続け、やっと検査の時がやってきた。
幸いにも、この道では第一人者の先生に検査をしてもらったので少しうとうとしているうちにすべてが終了。
終わりましたよ、という先生の声で正気に戻ったものの、そのあとの言葉に耳を疑った。
「ポリープがあったので切除しておきました。念のために今晩は入院してください」

へっ?入院?まじっすか?
「今晩、男子フィギュアのフリーがあるから帰りたいんですけど・・」ともうちょっとで言いそうになるのをぐっとこらえる。
今晩は家でゆっくりお酒でも飲みながら、姉夫妻と一緒に大騒ぎしながらFPを見ようと計画していたのにそれがガラガラと崩れ去ってゆく。

結局、検査台の上から一歩も歩くことなくそのまま入院部屋へ看護婦さんたちに運ばれながら、なんだか自分がものすごく重病人になったような気がした。
もちろん、入院の支度を何もしていなかったので、大雪の中を姉がぶつぶつ言いながら「入院セット」を一式持ってきてくれた。助かった。
私はもちろん、今回が人生初入院。
ただでさえ病院が嫌いなのに、ここで何日も過ごすのかと思うとそれだけで気が重くなった。
しかも入院の間は断食だという。食べる楽しみも奪われ点滴の管を血管に入れられた哀れな我が姿に、「こんなはずじゃなかった」という思いがふつふつと沸いてきた。


いやしかし、これも不幸中の幸いだと思わねば。
これがもし、保険をもっていないアメリカでおこっていたら大変なことになっていた。
手術と入院日で軽く400万円は請求がきただろう。
これは冗談ではない数字だ。
先日ヘルニアの手術をした友人は、300万円の請求書が来たと言っていた。彼女は保険に入っているのでもちろん全額を払わずに済んだが、いまだに国民皆保険制度のないアメリカはこういうことが日常で起こっているのだ。
医療費が払えないがために家ごと持って行かれるケースが後を絶たないのもこのためだ。

そう考えると、こうやって病院で24時間看護婦さんの完全看護付きで、お金の心配もなく悠々と過ごせる日本は天国のようなものだ。
ありがたや、ありがたや。
さらにありがたいのは、病室にテレビがあったこと!おかげで毎夜、真夜中のオリンピック観戦を楽しむことができた。
また、退屈しのぎにと姉が差し入れてくれた新聞や雑誌をむさぼり読んで、かなり楽しかった。
こんな贅沢な時間、なかなか持てるもんじゃないもんね。


入院、Yey!


結局、担当の先生から「何も急ぎの用がないならゆっくりしていけば?」と、まるで親戚のおっちゃんのように勧められて3泊入院。月曜日の朝、無罪放免となった。
久々に娑婆に出たら、雪はすっかり融け、空が青かった。胃も腸もすっかり空っぽだ。
土曜日に何年かぶりに会う大学時代の友達と久々にランチの約束をしていたのに、この唯一の計画もおじゃん、まったくの予定外の入院だった。
3日もロスしてしまったので、神戸方面の友人に会うことを一切あきらめ、今回は大阪から徳島に直帰とあいなった。


いやはや、みなさまお騒がせしました。
持つべきものは頼りになる親兄弟。感謝いたします。
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