Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

憧れのシュガー・ブルーと・・・

2013-05-29 12:04:14 | music/festival
先週、夢のような出来事があった。

大好きなハーモニカプレイヤー、Sugar Bluesが毎週水曜日にシカゴの老舗Blues Club“Rosa's Lounge”でアンプラグド(アコースティック)ライブをやっているので見に行った。
SugarはNY生まれ。長くヨーロッパで活動を続け古くはストーンズらとのアルバム共演でも知られる。

◆シュガー・ブルー
1949年ニューヨーク、ハーレム生まれ。アポロシアターのダンサー&歌手であった母の影響で
小さい頃はシアターのミュージシャンだちに囲まれて育った。
ビリーー・ホリデーもその一人だった。
10歳でハーモニカを手にし、その後ボブ・ディランやスティービー・ワンダーらの曲を自己流でコピーし始める。
その後パリにわたり、ミック・ジャガーに見出されて、ストーンズバンドに加わり、「Emotional Rescue」「Tattoo You」のレコーディングメンバーに。
あの有名な「Miss You」のハーモニカは彼によるもの。
そして82年にアメリカ帰国。数々のシカゴ・ブルースミュージシャンと競演を続ける。(HPより抜粋訳)


Sugarのほかは、ギターにHarry Hmura、ベースにSugarの嫁でイタリア人のIlaria Lantieri、ドラムにJames Knowlesというシンプルなセットだった。
ステージが始まった9時ごろは、店の中はほとんどガラガラ。平日ということもあるのだろうけど、ちょっともったいない気もした。
後から来た“さすらいのベーシスト”のYoshimiちゃんとふたりで、ステージかぶりつきの席で見入っていた。

こういうシチュエーションもあってか彼らもとてもリラックスしていて、大きなフェスティバルでみるシュガーとはまるで違て見えた。まるで自宅のリビングルームで演っているかのごとくやっている感じだった。
そして、選曲がまた素晴らしかった。
まずはJazzの「All Blues」。そしてブルースナンバーから「It's All Right」、ジェームス・コットンの名曲「Cotton Tree」、「Good Morning For School Girl」と続く。
また、先日亡くなったDoorsのキーボーディストRay Manzarekを偲んで「Light My Fire」、ビートルズのナンバーと、彼のジャンルの広さを堪能できる内容だった。
ハーモニカは言わずもがなにせよ、なんといっても感動モノはSugarの歌。
ちょっと武骨で、でもどこか繊細でエモーショナル。この近さでアコースティックバージョンをじっくり聴けることに心から感謝した。


 

嫁のイラニアの予定日はなんと来週!

ファーストステージが終わって、Sugarに声をかけ、Yoshimiを紹介。
Yoshimiがベーシストだと知るやいなや「じゃ、次のステージで弾いてみるかい?」と何のためらいもなく誘ってくれた。
そのYoshimiも、何の迷いもなく「はい」と二つ返事。
若いって素晴らしい、まさに怖いもの知らずだ。おばさんは横でちょっとときどきしちゃった。
「それにしても今日の選曲素晴らしいわー。Jazzも素敵」と興奮して伝えると、
「Shokoも次のステージで歌ってよ」という。
と、とんでもございませんです。私なんぞがあなた様と同じステージに立つなんてあまりにド厚かましすぎます。しかもブルース歌えないし・・・(汗)。

そして次のステージ。
Sugarが何曲か演奏した後、
「今日はスペシャルゲストでYoshimiとShokoがシットインしてくれます」と客席に紹介。
じぇじぇじぇじぇ!!!!

あわてて、「残念ですが私、Bluesは歌ったことないんです。ごめんなさい」とYoshimiだけを紹介。
このときほどブルースを何一つ歌えない自分を呪った日はなかった。
Yoshimiはというと、これまた何のためらいもなくスタスタとステージに上がりIlariaのアコースティックベースをひょいと持ち直すと、表情ひとつ変えずにSugarと共にブルースを2曲演奏してくれた。
なんかいいなぁ、こういうのって。
日本じゃありえない贅沢なシチュエーション。アメリカは、いわゆる飛び入り天国なのだ。
音楽を愛する者は、垣根を越えて温かく迎えてもらえる。
しかし、飛び入りする本人が「そのレベル」にあるかどうかをちゃんと理解していることが暗黙のルール。
そこを決して勘違いしてはならぬのだ。



その後2~3曲、Sugarのソロが続き、そのときだった。
「Shoko、“God Bless The Child”歌える?」とSugarがステージから声をかけてきた
「知ってるけど歌詞を覚えてないの」そう答えると、彼はニンマリとしながら歌詞を書いた紙を私に渡してくれるではないか!
これはもう、やるっきゃない。ここで拒否したら場が白けてしまう。
しかし、ちゃんと人前で歌ったことのないこの超スタンダードを、このシチュエーションでやらねばならぬのか・・・。
それに、これはビリー・ホリデーのいわゆる代表作のひとつだ。
ハーレムに生まれ、ビリーのステージを生で見ながら育ったSugarの前でこれを歌わねばならんとは…神はなんという試練を私に与えたのか!

・・・とぶつくさ言ってもしかたない。
幸いお客さんは数えるほどしか残っていない。やるなら今でしょ?

そして、ステージにあがり、シュガーの席に座ってベースとギターのイントロを何度もききながらキーを確かめ(ちょっと低めだけど大丈夫)、出だしの歌詞を確かめていざ歌い始める。
なんというグルーブなんだ!
歌い始めたら緊張感もどこかに飛んでいき、このグルーブにただただ身を任せてみようという気持ちになった。
こんな経験はそうできるもんじゃない。
1番を歌い終えると、すかざずシュガーが絶妙のハーモニカソロを入れてくれた。続いてギターのハリーが泣きのフレーズをたっぷりと。
そしてブリッジから歌に戻り、最後はちょっともたついたけれど無事にエンディング。
終わったら気が抜けて、Sugarと熱くハグを交わしたら足がガクガクいっていた。

思いがけない、素敵な夜だった。
それもこれも、Yoshimiから勇気をもらえたからこそ。彼女に感謝!


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サムライ・ベーシスト

2013-05-24 11:15:12 | アメリカ生活雑感
数週間前のある夜のこと。
シカゴのとあるブルース・ライブハウスに大好きなルリー・ベルを見に行った。
時間が遅かったこともあってほぼ終了状態だったが、ドラマーのウィリー・ヘイズの奥さんのデビィが
「Shoko、今夜ジャパニーズ・ベーシストを見逃したわよ!」と、日本から遊びに来ている女性ベーシスト、Yoshimiさんを紹介してくれた。
彼女はこの日の演奏に飛び入りしたのだそうだ。
マイベースひとつ持って日本からやってきた彼女は、しばらくの間シカゴに滞在してあちこちのブルースハウスめぐりを楽しんでいるという。

「今日は自分のベース持ってきてなくて、(メルヴィン・スミスの)5弦ベース借りてやりました。自分のは4弦だから5弦はよくわからないんですけど、ルリーを見てたらいてもたってもいられなくなって」と、目をキラキラさせて興奮していた。
「あちこちでブルースジャムやってるから参加すれば?」と言うと、
「ジャムじゃだめなんです。(プロの演奏に)シットインしたいんです」ときっぱり。
あどけなささえ残るその顔からは想像できない根性に、思わず息をのんだ。
こういう人、久しぶりに見た気がするなぁ。
キッチンなしの安アパートを借りて、毎夜ブルース三昧の彼女。いままさに長年の夢が実現して生き生きしていた。
スーツケースひとつ持って、英語もろくすっぽしゃべれず、なんのつてもなくアメリカに降り立った怖いもの知らずのあの頃の自分を思い出して、なんだか久しぶりにわくわくした



ほんの短い間だったけどちょっと会話を交わし、車でアパートまで送り届けたことがご縁で、それからいろいろとメールで情報交換をしたり、彼女の飛び入り武勇伝を聞いたりしている。

彼女を見て思うのは、人間“行動力”が全てだなぁということだ。
改めて言うまでもないけれど、「こうしたかった」「ああしたかった」とあとから悔やむ人生ほどつまらないものはない。
こうしたい、と思ったらそれに向かってプランをたてて突き進むのみ。
それができる人とできない人とでは、人生の厚みが違ってくる。

「ブルースがやりたい。好きなミュージシャンと一緒に演奏してみたい」そう思い焦がれた彼女は、必死でお金を貯めて夢のシカゴにやってきた。
移動はもっぱらバスや電車を利用する。
(そういえば、私もベイエリアにいた頃は車がなくてサンフランシスコまで電車とバスでJam Sessionに通っていたっけなー。)
そんな彼女の気持ちをミュージシャンたちもたちまちに悟るのだろう、行く先々で飛び入りをさせてくれるそうだ。
音楽に国境なし。音楽を愛する気持ちにはなおさら国境はないのだ。

でもちょっと、話を聞いてドキドキすることもある。
ライブ情報でチェックしていた“インディアナのギグ”に行こうと予定していたら、実はインディアナはシカゴの南隣の州だった(しかもかなりヤバイ場所)ことを出演予定のミュージシャンから聞かされ、「車もないのにどうやって行くつもりだ?」と呆れられたとか。
結局、ミュージシャンたちと一緒にバンで行って帰ってきたらしい。
行動力もここまでくると、ある種危険だ・・・ 
でも言い換えれば、こんなことができるのも同じ音楽を演る仲間としての信頼関係が出来上がっている証拠。
シカゴのブルースマンたちはみな、心底温かいのである。


一緒にブルースを見に行ける仲間ができたことが何よりうれしい、私なのだった 


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Chicago Bluesman 数珠つなぎ・Part1 ~Linsey Alexander

2013-05-17 12:08:29 | music/festival
<ひとり新シリーズ>
せっかっく素敵な人たちと交流があるんだから、彼らのことを書き記しておきましょう。
というわけで、第1回目はシカゴの“名物”ブルースマン、リンジー・アレキサンダー、70歳。

彼との出会いは2月19日。
シカゴで新総領事のお披露目Partyに出席した帰りにさくっと腹ごしらえをしようと立ち寄った”House Of Blues”。
(その時のメモより)



Linsey Alexanderのライブをみながら、ひとりでハンバーガーとビールというジャンクな夕食をすませ、さて帰るかなと思ったとき、Linseyが席にCDを売りにやってきた。
現金の持ち合わせがなかったのでごめんなさい、と断りつつよもやま話を始めたら、それがあんまり面白くてすっかり意気投合。彼は私のテーブルに居座って、2ndステージが始まっても帰ろうとしない。
ミシシッピ生まれのメンフィス育ち、シカゴで40年のreal deal。 結婚は過去に一度。
「Sexの回数まで管理される」カカァ殿下だったらしい。
その後結婚することもなく、4人の子供と4人の孫に恵まれる。まさにブルースマンを地でいくような人。

「ところで君はいつ別れるんだい?」
「君を今度ディナーに誘ってもいいかな、もちろん旦那は抜きでな。ガッハハハ」 
「どうせ次会ったときは覚えてないでしょ、だって?オレはそんな男じゃあないぜ、baby」
ブルースマンはいつだってこんな調子。でも今のご時世、競争の厳しいこの世界で音楽だけで身を立てているとは本当に立派。酒もたばこも一切やらない。そこだけはブルースマンぽくないけど。 会話も楽しく頭の回転も早い。チャーミングな人だった。
短い間だったけど、ぼったくりのつまらないパーティーでくさっていた私の心を温かくしてくれた。 お土産にもらったCDを今日はヘビーローテーション。

★★

それからなんだか妙に仲良くなって、何度かシカゴに出かけるたびに彼のギグに立ち寄ったり、
彼がうちの近くの街に「出稼ぎ」にやってくるときは必ず見に行くようになった。
なんといってもこういう“ブルース第一世代”の人の話を聞けるのは楽しい。
それにリンジーは気も若く気さくで、なんでもも話して聞かせてくれるのでつい話に夢中になってしまうのだった。

そんなある日のこと。
今日は何するの?とメールがきたので「近所のJamに歌いに行くよ」と返事をしたら「今日オフだから行こうかな」と言ってきた。
こんな遠いところまで1時間もかけて来るはずないと思いつつ、冗談で「ギターもってきて歌ってくれるならいいよ」とお店の住所を知らせたら、なんと本当にやってきたではないか!
こんな郊外の、しかも白人しか住んでいないようなところでは誰も彼の存在を知るはずもない。
私がバンドのメンバーに彼のことを紹介し、名前を呼ばれたリンジーは最終セットでいきなりギターをギュワーーーーーンと爆音で鳴らして渋いブルースを弾き始めた。

店中が一気に何とも言えないグルーブと興奮に包まれたのは言うまでもなかった。
いつもは失礼だがシニアたちのこじゃれたお楽しみJazz Jamになっていたこの場が、たちまちシカゴサウスの黒人御用達ライブハウスへと一変してしまったのだ。
さすがだった。
友達でシンガー仲間の黒人のPJも、そのままリンジーにギターを弾いてもらってブルースを歌ってくれた。

「Shoko、今日はいい人を連れてきてくれたね、本当にありがとう!」
Jamが終わってからいろんな人に声をかけられ、私が感謝された。
リンジーも何枚かCDが売れて、それはそれで収穫はあったようだ。こう見えても彼はデルマーク専属アーティストなのだ。

やはり音楽ひとつで身を立てている人はこういう判断力が段違いだ。行動に迷いというものがない。
面倒臭い、だらだらしようかな、というたるんだ気持ちがない。
そしてなんといっても“まめ”である。女には特に(笑)
彼を見ていてつくづくこれを実感したのだった。

(おまけ)
現在ブラジルツアー中のリンジー。
「お土産に何か買ってきてあげるよ、何がいい?」と聞くので、冗談で「ビキニ」と答えておいた。
さて、本当に買ってくるでしょうか






3月28日に行われた、Magic Slim氏を偲ぶライブで




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魂の歌声。ディーバ Deitra Farr

2013-05-13 11:18:56 | music/festival
ここしばらく課題で頭がいっぱいだったので、忘れないうちにここしばらくのLive Reviewをぼちぼち書いていくことにします。

4月19日 Deitra Farr @Buddy Guy's Legends



今、シカゴの女性ヴォーカリストの中で多分一番好きなDeitra Farr(ディートラ・ファー)。
彼女をじっくりと見たのは、昨年のシカゴ・ブルース・フェスティバルだった。
ココ・テイラーのトリビュートとして4人のディーバたちが歌ったのだが、彼女の歌だけは何というか“魂”が入っていて別格だった。
それ以来ずっと彼女が気になっていた。
次に見たのが、去年の大統領選挙の日のオバマ支援ライブ。
そのときに少しお話ししてからFB友だちになって以来、何かと親しくしていただいている。周りに対する気遣いを忘れず、いつも温かく包み込んでくれるような人。
コロンビア大学で、ジャーナリズム学士号を取得している才女でもある。
シンガーのほかにも、ライター、詩人、ソングライター、画家としての顔を持ち、さまざまな雑誌に記事を掲載している、多彩な人なのだ。


★彼女の経歴はざっとこんな感じ

シカゴ生まれ。1975年にソウル歌手として地元のソウル・バンドで歌い始め、1980年代初頭、ブルース歌手としてのキャリアをスタートさせる。18歳の時、リードヴォーカルをつとめる“Mill Street Depo”で“You Won’t Support Me”を吹き込み、1976年のキャッシュボックス・R&Bトップ100にランクイン。この曲は30年後に再リリースされて全世界でヒットした。



"You Won’t Support Me"

これまでに、“トラディショナル・女性ブルース・アーティスト・オブ・ザ・イヤー(W.C. Handy Awards)”, “女性ブルース・アーティスト・オブ・ザ・イヤー(Living Blues Critics Awards)”,“British Blues Connection Awards(イギリス)”, “Les Trophees France Blues awards(フランス)”など、アメリカ国内外で数々の賞でノミネートされている。

1983年には、シカゴの有名ブルース・クラブ「キングストン・マインズ」や「ブルー・シカゴ」などで定期的にパフォーマンスを始め、シカゴのブルースバンド“サム・レイ・ブルース・バンド”と共にアメリカ、カナダツアーを行う。
1993年から1996年まで、シカゴで結成されたブルースバンド“Mississippi Heat”のリードシンガーとして活躍、2枚のCDをレコーディング。
1997年よりブルース・シンガーとしてソロ活動を始め、ファースト・ソロアルバム“The Search is Over”をリリース。
1990年にはドイツ、デュッセルドルフの「シカゴ観光局」代表をつとめ、イギリス、アイスランド、フィンランド、ノルウェー、カナダ、オランダ、ベルギー、フランス、スイス、モナコ、イタリア、ユーゴスラビア、ギリシャ、イスラエル、オーストリア、ラトヴィア、ポルトガル、スウィーデン、メキシコ、レバノン、スペイン、デンマーク、アラブ共和国、ハンガリー、チェコ、ポーランド、スコットランド、アルゼンチン、ブラジルなど全世界に活動の場を広げる。

2000年より数回に及び“シカゴ・ブルース・フェスティバル・ヨーロッパツアー”のメンバーとしてツアーを行い、欧米で根強い人気と評価を獲得。
2005年、セカンドアルバム“Let It Go”をリリース。
2012年のシカゴ・ブルース・フェスティバルでは、4年ぶりに再結成された“ココ・テイラー・ブルース・マシーン”とともにココ・テイラー・トリビュートのステージに立ち、その全身から湧き出るようなソウルフルなヴォーカルパフォーマンスは観客を魅了した。
シカゴの女性ブルース・シンガーたちで結成された、オバマ大統領再選のサポートグループ“Chicago Blues Mamas For Obama”の中心メンバー。


そんな注目の彼女が、いよいよ日本に初上陸する。
今年の青森(Japan Blues Festival:7/18-20)に特別出演するのだ。彼女と一緒にシカゴから青森に行ける!こんなうれしいことはない。

この日のライブは、金曜日ということもあって立ち見の出るほどの満員御礼。
店に入ると、前のバンドを見ながら後方の席に座っていたDeitraから「Shoko、こっちこっち」と声をかけられた。
わざわざ席を確保してくれていたのだ。こういう気遣いがやはり、多くのシカゴのミュージシャンから慕われるゆえんなのだ。





ベースはココ・テイラー・バンドで18年間ベーシスト&バンドリーダーだったメルヴィン・スミス(Melvin Smith)


ギターは、こちらもシカゴを代表するベテランギタリスト、ビリー・フリン(Billy Flynn)
デイトラとは“Mississippi Heat”以来共演歴も長く、いつもながら渋く安定した演奏を聴かせてくれた。
彼も今年は青森へ!「日本の文化や音楽が大好きなのでとても楽しみ!」と興奮気味に、そして礼儀正しく挨拶してくれて恐縮した。

 会話も楽しい彼女は、みるみる観客を自分の世界に引き込んでいく。




シンガーのリン・ジョーダン(Lynne Jordan)もやってきて、同じテーブルで飲みながら鑑賞。
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ジャーナリズム・クラス終了!

2013-05-11 17:31:54 | アメリカ生活雑感
3月9日から2か月間受講していた、近くのカレッジのジャーナリズム・コースが、このたびやっと終了。
そもそも4か月のコースを半分の期間に凝縮したため、週に2回の課題提出が義務付けられていて、それをこなすのにひーひー言っていた。
1日中机に向かって椅子と一体化していた2か月間だった。
おかげですっかり運動不足。少し肥えた・・・これからたっぷり絞らねば。

さてこの2か月どんなことを学んだかというと、

1)“ジャーナリスト”とは何ぞや?
2) ジャーナリズムと収益
3) ここ数か月のニュースの分析~ Impact,Immediacy,Proximity,Prominence,Novelty,Conflict,Emotions
4) Associated Press (AP) style book(アメリカでのジャーナリズム統一表記)のテスト
たとえば、数字の1から10まではOne,Two,Three・・・とスペル表記し、10以上は11,12,13のように数字で表記する、などなど
5) あるストーリーを読んで、決められた5通りのリードを考える。
6) 効果的なQuote(引用)の仕方。
7) インタビューの実践。教授があるニュースの「目撃者」を演じ、5分間の電話取材を行う。できる限りの証言を引き出す練習。
8) 課題5)と7)を使って、ニュース記事を書く。
9) 倫理表記
10) 効果的なobituary(死亡告知)の書き方。
架空の人物を選んでその人の死亡告知を書く。ちなみに私が選んだのはフォレスト・ガンプ
11)効果的なreview(批評)の書き方。
レストラン、音楽、映画など。・・・個人的嗜好に走らない、子供のパフォーマンスを批判しない、など。
12) レビューを書く。私が選んだのは映画“Zero Dark Thirty”
13) LIBEL, COPYRIGHT & PLAGIARISM / 名誉棄損、著作権、盗用などの基本知識。
14) Journalism and Social Media ・・ブログ、フェスブックなどのソーシャルメディア考。
15) デジタル時代を生きて行くためのジャーナリズムのあり方を考え論じる。
16) <Final Exam> あるニュース:“Onion: We just fooled the Chinese government! ”
http://www.cnn.com/2012/11/27/world/asia/north-korea-china-onion/index.html
の記事を読んで、すべてのニュースメディアの報道の在り方とその道徳観を論ぜよ。

と書き連ねてみると、この短い期間で本当にいろいろやったなぁ。
読んだ数も半端じゃなかった。でもお蔭でがっちり鍛えられて、また一皮むけた気がする。
いくつになっても一皮むけるというのはうれしいこと。

そして、今日最終成績が帰ってきた。500点満点で476点。まぁ、ネイティブでないのにがんばったほうじゃないかな。
何よりうれしかったのは教授のコメント。

"Honestly this is the most comprehensive analysis to this test that I have ever received from any student. ...I wish I had ten more students like you every semester! Great job here and in the class. Keep writing!"

(正直言って、今までこのテストで返ってきたどの生徒のいかなる答えよりも一番理解力に優れた分析内容だった。
君のような生徒が毎学期10人いればいいんだけど。大変よくやった。これからも書き続けることだ。)



さぁ、シカゴはすっかり夏に向かって準備が整ってきた。
私もこれからは外に飛び出すぞ~!!!
音楽が呼んでいるー!!!

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雪辱戦。

2013-05-09 09:18:45 | アメリカ生活雑感
昨日の事件がどうしても頭から離れず、私もPちゃんも気分が悪い。
一応公園ポリスには報告しておいたとはいえ、それはただの“報告”にすぎず、彼女の振る舞いが正される効力は持っていないのだ。
しかも、なんだか一戦交えたおかげでドッグパークに行きにくくなっちゃった。

とはいえ、これは犬には関係のない人間同士のこと。
今日もいい天気だ、また行ってやろう。奴がいたとてかまうものか!何もひるむことはない。
せっかくなので近所のテリーを誘って彼女のAJ(柴犬)も一緒に行くことにした。
「そん所そこらの犬よりも、柴犬は100倍も利口なことを見せつけてやろう!」
テリーは昨日の一件を知っているので、鼻息荒く私たちに付き合ってくれた。

公園にはまた奴が来ていた。
いつものように取り巻き引き連れて、おしゃべりしていた。お互い全く無視。
この公園には犬と一緒に歩けるトラックがあって、そこを時々ぐるぐるとリーシュをはずしたペットたちと一緒に歩くのだけれど、彼女たちが“行列”をし始めてしばらく私たちも反対方向から歩き始めた。
当然途中で鉢合わせ。ただ何も見えなかったかのように不穏な空気ですれ違うグループ・・・。

とそのとき。彼女の一団にいた女性が、私に目配せして「Hello」とウィンク。どうやら彼女は味方?みたい。
そのあと2周目で歩いていると、その彼女が私に話しかけてきた。
「昨日のことは私もちょっとムカついたのよ。犬だってケンカすらいするわ。私の犬だって度が過ぎるくらいににじゃれ合ってかすり傷負うことなんてしょっちゅうあるわよ。そんなことにいちいち目クジラたてるほうがおかしいのよ。」
表面上は仲良くしているようでも、この女性も実はかなり普段からムカついていたらしい。
そんなときに、私が真正面から言い返したから昨日はすっきりしたそうなのだ。
(私だって変な波風は立てたくなかったよー。ただ、許せないものは許せなかっただけ)

家に帰ると今度はお隣の飲み仲間、クリスからメールがきていた。
彼はこの公園を管理する事務所で働いているので、昨日の一件が気になったらしい。GOROのことも小さいころからよく知っている。
「君たちが話をしたポリスの名前教えてくれるかな?今度彼に君たちのことを言っておくよ、僕のいい友達なんだって。だいたいその女、あまりにもクレームが多いようなら出入り禁止にすることだってできるからね」

なんか、ちょっとしたアクションからとんだ展開になってきた。
私は彼女に個人的な恨みがあるわけでなく、もう今後一切他の犬たちやオーナーたちに口出しさえしなければそれでいい。
一筆「もういたしません」と書かせて一件落着にしたい。


・・・つづく


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ドッグパークの屈辱・その2

2013-05-07 09:00:10 | アメリカ生活雑感
やっとあったかい日が続くようになってきたこの頃。
課題の山に追われて座りっぱなしだったので、久々にリラックスするためにGOROを連れて近所のドッグ・パークへ歩きに行った。
しかし、かえってフラストレーションがたまる事件が勃発。

ここには前から”主”のような顔をして他の犬をジャッジする、いけすかない白人オバサンがいるのだが、この女は前からGORO、いや柴犬に対して偏見をもっていてよく思っていない。
前にも、GOROと他の犬がちょっとした喧嘩をした時も自分は何の関係もないのに相手方のオーナーに100%味方して散々悪口を言い散らしていた。

ドッグパークの屈辱

今日は今日で、また自分とはまったく関係ないのに、GOROが他の犬にちょっとした威嚇をしたあと鬼の首をとったかのように割り込んできた。

「だいたいアンタの犬は凶暴なのよ。他の犬に近づけさせないで」
これにはさすがにブチキレた。
「何も見てないのに口出ししないでくれる?」
するとこの女はますます凶暴になり、あることないこと大きな声でまくし立て始めた。

「あなたの犬、この間も(1年前の話)他の犬を襲ったでしょう?あの犬血を流していたわよ」
「ルールに従ってオーナーさんにはちゃんと謝って連絡先を渡ししましたよ。逃げも隠れもしてませんが」

だいたい一方的に襲ったのではなく、しつこくちょっかいを出されて一喝しただけじゃん。
言い返されてびっくりしたのか、彼女の話はトンチンカンになっていく。
「あなたのご主人はいい人だけどだいたいあんたは・・・」

ほほう、あんたはただのレイシストね。このへんじゃよくいるタイプね。
だいたい公共の場であるドッグパークで大勢の手下とグループ組んで自分がBossみたいにお山の大将しているあんたの方がどうかしている。

あんまり腹立ったのでその場を離れてGoroと先に歩いていたPちゃんにぶちまけた。
そしたらこれを聞いて今度は彼がキレた。

「僕の妻をいじめるようなことは僕が許さない、ととっちめてやる」

(いやいや、私じゃなくてGOROの話なんですけど。ややこしいから話をまぜこぜにするなー!)

Pちゃんが彼女に近寄って声をかけると、
「あー、もう何も聞きたくない。あっちへ行って」と言われ、Pちゃんますますブチ切れた。

この手の人間とは理路整然とした会話は絶対に成立しない。
こちらの要点ははっきりしている。
1)他人の犬のファイトに当事者でもないのに、しかも見てもいないのにしゃしゃり出てくるな。
2)何も起こっていないのに人に「犬を近づけるな」という権利は誰にもない。
3)今後一切、このような口出しをするな。

これをはっきりさせるために、この公園を仕切っているポリスを呼んで私たちの言い分を聞いてもらいさっさと帰ってきた。
アメリカは何でもポリス。こんなことで、と思ってもすぐにオーソリティを持つ第3者に入ってもらうのが一番早いのだ。

このおばさん、私たちがそこまでやるとは思ってなかっただろう。
でも、こういう輩は誰かがちゃんととっちめておかないと公共のためによくない。
彼女のことを疎んじている利用者もけっこういるようだ。3年半も通っていればわかる。
現に、ポリスを待つ間あるひとりの女性がPちゃんに近づいてきて「あなたの味方よ」と言ったらしい。

おばさん、アジアンだと思って私を見くびったな。
何があっても受けて立つぜ。

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