ここ数年で、いや多分一生のうちでも一番短く感じた1年があと数日で終わろうとしている。
なんだかんだと不測の事態に巻き込まれ、自分自身のことに集中できないまま終わってしまった、と言うと体の良い言い訳になるけど。
前半は小学校の臨時英語教師と阿波踊り外国人連の練習に明け暮れ、後半は叔母の死去による相続手続きを父に代わってずっと引きずったまま今に至る。
嫌がおうにもまた、人の死と再び向き合った年でもあった。
「人は2度死ぬ。一度目は肉体の死。二度目は誰からも忘れ去られたとき」は良く言ったもので、
母が亡くなってからずっと母のことを考えない日はないから、きっと母は私が生きている間は絶対に死なないのだと思う。そこが叔母との大きな違いでもある。
その母がずっと大切にしてきた大きな”遺物”が、我が家のキッチンに鎮座まします巨大な食器棚。
物心ついたときにはすでにあったから、相当古い昭和の遺品なのだろう。
8年前に実家のキッチンをプチ・リフォームしたときと、3年前に家の全面リフォームをしたときには危うく処分されそうになったけれど、母が愛した大切なものだからとどうしても捨てきれず、ガラスの扉が壊れて外したままのみすぼらしい状態で使い続けてきた。
そんな折、偶然にも実家の仏壇のリフォーム工事をお願いした老舗の鏡台店さんについでに修理できるかどうか聞いてみたところ、
「これは古いけどええものやなぁ、やっておきます。年内がよろしいやろ?」
と、年配の大工さんがニッコリと笑って、引き受けてくれた。
しばらくたって、「ガラスがはまるかどうか一度見に行きます、と連絡が入った。
長い間に少しひずんだのか、元のサイズにカットしたガラスが収まらず4ミリほど切らないといけないことが判明。
翌日、サイズを調整したガラスを手に再びやってきた彼は、ゆっくりと時間をかけて取っ手部分にやすりをかけては少しずつ具合を確認。
「こういうもんはな、手が一番加減を知っとる。機械ではわからんのよ」
そういって、いとおしそうに何度も何度も調整してくれ、ついに10数年ぶりにガラス扉がきれいに収まった。
こびりついていた汚れはシンナーでふき取り、色がはげたところにはその場でマホガニーの塗装までしてくれた。
見違えるようによみがえった食器棚。
天国の母は見て喜んでくれているだろうか?
中学校を出てすぐに大工修行に入って70年。御年84歳の指物師(家具職人)の松田さん。
仏陀のような優しいほほえみをたたえながら私にこう言った。
「この食器棚を最初に見たとき、ええもんやなぁと思たんよ。これを今もこうやって残して使いよる、この家族はええ家族や、愛を感じた」と。
思わず泣きそうになった。
「あんたは古いものが好きでっしゃろ?話しとったらわかる。古いものを大切になさるのはいいこと。これも長く使えるよう直しといたけん、これからも大事に使うてくださいよ」
心に熱いものがじわ~っと広がった。
昔ながらの大工用具を一式詰め込んだ古いバッグを「よっこらせいっ」と真っ赤なAQUAに詰め込んで、「ほんならまた、お直しのいる時はいつでも呼んでくださいよ」と窓から手を振り振り帰っていった松田さん。
その後姿を見送りながら、嫌なニュースばかりが多かったこの年の最後に、こんな素敵な人に出会えただけでももうけもん、と思わずにはいられなかった。
テレビ番組の「和風総本家」で、「日本の再生職人」として取り上げられたこともある松田さん。
本当にチャーミングな方だった。