20年ほど前に亡くなった叔父の家の整理をコツコツと進めている。
こっちも年とるし、この夏場は特にきつかった。
長く県庁勤務をしていた叔父は、(私のかすかな記憶では)博識で、おしゃべりが好きで、多趣味で、蔵書が半端なく、収集癖のある人だった。
鉄道、切手、古銭、骨董・・・なんでも手を出していたことを今になって思い知った(涙)
自分で始末をせずに死なれたあと、どれほど大変なことか本人は知る由もないだろう。
普通ならば気にせずに古紙回収に出してしまえばよいのだけれど、それができないのが私の性。
地元の歴史を語るうえで残しておかなければならないような重要書類なども見つかり(昔はコンプライアンスなどなかったのか、自宅にいろんなものを持ち帰って保管している)でもまぁ今となってはそれも時効だし、地域のために役立ててもらう方法を周囲にいろいろと相談してみたところ、県立の文書館がそのような歴史的印刷物を引き取ってくれる(かもしれない)と助言をいただく。
重い腰を上げて、ひたすら整理にかかる。
町史、古い地図、古い賃貸借契約書、写真、はがき、・・・すきまから際限なく現れるものたちと悪戦苦闘数か月。
バカ重い「町史」だけでもいったいどれほどあったろう。
ひとまず、段ボールに10箱を運び込んだ。
恐縮がる私に文書館の方は「県でもきっちり保管されていないものもありますから、こういう個人の方から寄贈されるものは本当に価値があってありがたいです」と言ってくださり、それだけでも労力が報われた。
とはいえ、まだそれでも半分ほどか
没後20年たって、何の付き合いもなかった姪っ子がこうやって遺物を掘り出しているとはよもや知るまい。
叔父よ、あなたはいったい何がしたかったのか?
これだけ一生懸命ガラクタ集めても、最後は一人。持って死ねないのよ。
自分が死ぬときは、きちんと整理して誰にも迷惑をかけないようにしてから死のう、とつくづく思う。
最善の方法は、
「焼けるものはすべて焼却してください。それ以外はこのお金で始末してください」と、廃棄費用を包んでおくこと。
人のふり見て我がふりなおせとはまさにこのこと。
勉強させてもらった。
つづく・・・