お次は、一夜にして「全米一有名な14歳」になった少年のお話。
彼の名は、アーメッド・モハメド(Ahmed Mohamed)。
テキサス州、アービングという小さな町のマッカーサー高校(MacArthur High School)に通う高校1年生。
メカニックが得意だった彼はある日、時計を自作して学校に持って行った。
先生に見せて褒めてもらおうと思ったのだが、先生の反応は思ってもみないものだった。なんとその時計を時限爆弾だと勘違いし、警察に通報。警察は爆弾ではないとわかっていながら、この罪のない14歳の少年の後ろ手に手錠をかけ連行、逮捕した。
その後警察で検証した結果、この時計は爆弾ではないことが証明され彼は釈放されたのだが、彼が手錠をかけられ連行される画像は瞬く間にインターネット上に出回り、大騒ぎになった。
http://www.nytimes.com/2015/09/17/us/texas-student-is-under-police-investigation-for-building-a-clock.html?_r=0
彼の名前からもわかるように、彼の家族はモスラム。
モハメドという名字と、その日が9・11の同時多発テロの記念日などの理由で逮捕されたのではないかという憶測が出回り、
「前途ある14歳の子供に手錠をかけるとは何ごとだ」
「警察官を辞めさせろ!」
「教師を辞めさせろ!」
と、全米中から非難が寄せられた。
フェースブックで多くの友人がこのニュースをシェアしていたが、モハメッドくんのおびえるような視線が心に深く突き刺さった。
心ない大人たちのやったことが14歳の子供の心に一緒の傷を残したのだと思うといたたまれなかった。
しかし、この話にはアメリカらしいHappy Endストーリーが待っていた。
このニュースが出回るや否や、オバマ大統領がツィッターですぐさま助け船を出した。
「カッコいい時計じゃないか、アーメッド。ホワイトハウスに持って来ないかい?我々はもっともっと君のように科学好きな子どもたちを力づけたいんだ。アメリカがグレイトになるようにね。」
http://www.cnn.com/2015/09/16/politics/barack-obama-ahmed-texas/
この事件に心を痛めていたアーメッド支援者たちが、この大統領自らのツィートで一気に溜飲を下げたのは言うまでもない。
オバマ大統領から直接、ホワイトハウスへ招待状を受け取ったのだ。
奈落の底にいったん突き落とされた彼はいきなり時の人となり、ニュースでも一日中この一連の出来事が報道された。
Facebookの創始者、マーク・ザッケンバーグも自らのページにこう書き込んだ。
「彼のようにスキルと大志を持って素晴らしいものを作り上げた人間は、逮捕ではなく称賛されるべきだ。
アメリカの将来は彼のような人間にある。
アーメッド、Facebookに立ち寄ることがあれば、僕は喜んで君に会いたい。」
http://www.theverge.com/2015/9/16/9338747/mark-zuckerberg-facebook-ahmad-mohamed-clock
アーメッドには、MITをはじめとする多くの一流の大学から奨学金入学の話が持ち込まれているという。
こういうところはさすがアメリカだなと思う。
コンサバティブなどうしようもバカがいるかと思えば、両極にあるリベラルで正しい人たちがきちんと救いの手をさし伸べる。
こういうことが日常的に起こっているのがアメリカなのだ。
★
ところで、このアーメッドの家族はいったいどういう家族なのだろう、と興味が湧いて調べてみた。
彼の父、Mohamed Al Hassanは1980年代中ごろにスーダンからアメリカへやってきた。
当初はニューヨークで身を立てようとしたが、ビジネスチャンスがなくサンドイッチの屋台をして生活をやりくりしていた。
厳しい環境下で商売の目が出ず、いったんはアメリカでの生活を断念してスーダンへ戻ろうと決意したが、最後に思いとどまり南部テキサスに新天地を求めた。
テキサスでタクシー運転手の職を得、のちに車のパーツを販売する会社を設立。現在までに、多くのレンタカー会社を設立したほか、スーダンでもいくつかの旅行関連会社を設立して成功をおさめている。
俗にいう、「アメリカンドリーム」を達成した成功例か、と思っていたら、驚くことに実は彼はかつて「スーダン国家改革党(Sudanese National Reform Party)」に属し、2010年の選挙で現大統領と戦った闘士だったという。選挙では敗北したが、2020年の選挙では再び大統領選挙に打って出る野望があるそうだ。
こんな“アンビシャスな”一家を生み出した大元は、アーメッドの祖父(父モハメドの父親)にあるとアーメッドの叔父Moussaは回顧する。
祖父がアーメッドと同じ14歳の頃のこと。科学へ情熱を燃やす少年だった彼は、当時イギリス統括下にあった学校に通いたい余り村を抜け出して6マイル(約10キロ)の道のりを歩いてその学校がある町へと向かった。しかし途中で村人に見つかり、家族のもとに連れ戻され、スーダンの伝統的な地元の学校に通わされたという。
「私の父から始まって、家族はみな教育に執着心が高いんです。父も(18人の)子どもたちにより良い教育の機会をあたえよう、大学に行かせようと必死でした。父は私たちみなの道徳モデルでした。それを私たちがさらに子どもたちに伝えてきたのです」
http://www.huffingtonpost.com/2015/09/22/ahmed-mohamed-texas-sudan-family_n_8176702.html
彼の名は、アーメッド・モハメド(Ahmed Mohamed)。
テキサス州、アービングという小さな町のマッカーサー高校(MacArthur High School)に通う高校1年生。
メカニックが得意だった彼はある日、時計を自作して学校に持って行った。
先生に見せて褒めてもらおうと思ったのだが、先生の反応は思ってもみないものだった。なんとその時計を時限爆弾だと勘違いし、警察に通報。警察は爆弾ではないとわかっていながら、この罪のない14歳の少年の後ろ手に手錠をかけ連行、逮捕した。
その後警察で検証した結果、この時計は爆弾ではないことが証明され彼は釈放されたのだが、彼が手錠をかけられ連行される画像は瞬く間にインターネット上に出回り、大騒ぎになった。
http://www.nytimes.com/2015/09/17/us/texas-student-is-under-police-investigation-for-building-a-clock.html?_r=0
彼の名前からもわかるように、彼の家族はモスラム。
モハメドという名字と、その日が9・11の同時多発テロの記念日などの理由で逮捕されたのではないかという憶測が出回り、
「前途ある14歳の子供に手錠をかけるとは何ごとだ」
「警察官を辞めさせろ!」
「教師を辞めさせろ!」
と、全米中から非難が寄せられた。
フェースブックで多くの友人がこのニュースをシェアしていたが、モハメッドくんのおびえるような視線が心に深く突き刺さった。
心ない大人たちのやったことが14歳の子供の心に一緒の傷を残したのだと思うといたたまれなかった。
しかし、この話にはアメリカらしいHappy Endストーリーが待っていた。
このニュースが出回るや否や、オバマ大統領がツィッターですぐさま助け船を出した。
「カッコいい時計じゃないか、アーメッド。ホワイトハウスに持って来ないかい?我々はもっともっと君のように科学好きな子どもたちを力づけたいんだ。アメリカがグレイトになるようにね。」
http://www.cnn.com/2015/09/16/politics/barack-obama-ahmed-texas/
この事件に心を痛めていたアーメッド支援者たちが、この大統領自らのツィートで一気に溜飲を下げたのは言うまでもない。
オバマ大統領から直接、ホワイトハウスへ招待状を受け取ったのだ。
奈落の底にいったん突き落とされた彼はいきなり時の人となり、ニュースでも一日中この一連の出来事が報道された。
Facebookの創始者、マーク・ザッケンバーグも自らのページにこう書き込んだ。
「彼のようにスキルと大志を持って素晴らしいものを作り上げた人間は、逮捕ではなく称賛されるべきだ。
アメリカの将来は彼のような人間にある。
アーメッド、Facebookに立ち寄ることがあれば、僕は喜んで君に会いたい。」
http://www.theverge.com/2015/9/16/9338747/mark-zuckerberg-facebook-ahmad-mohamed-clock
アーメッドには、MITをはじめとする多くの一流の大学から奨学金入学の話が持ち込まれているという。
こういうところはさすがアメリカだなと思う。
コンサバティブなどうしようもバカがいるかと思えば、両極にあるリベラルで正しい人たちがきちんと救いの手をさし伸べる。
こういうことが日常的に起こっているのがアメリカなのだ。
★
ところで、このアーメッドの家族はいったいどういう家族なのだろう、と興味が湧いて調べてみた。
彼の父、Mohamed Al Hassanは1980年代中ごろにスーダンからアメリカへやってきた。
当初はニューヨークで身を立てようとしたが、ビジネスチャンスがなくサンドイッチの屋台をして生活をやりくりしていた。
厳しい環境下で商売の目が出ず、いったんはアメリカでの生活を断念してスーダンへ戻ろうと決意したが、最後に思いとどまり南部テキサスに新天地を求めた。
テキサスでタクシー運転手の職を得、のちに車のパーツを販売する会社を設立。現在までに、多くのレンタカー会社を設立したほか、スーダンでもいくつかの旅行関連会社を設立して成功をおさめている。
俗にいう、「アメリカンドリーム」を達成した成功例か、と思っていたら、驚くことに実は彼はかつて「スーダン国家改革党(Sudanese National Reform Party)」に属し、2010年の選挙で現大統領と戦った闘士だったという。選挙では敗北したが、2020年の選挙では再び大統領選挙に打って出る野望があるそうだ。
こんな“アンビシャスな”一家を生み出した大元は、アーメッドの祖父(父モハメドの父親)にあるとアーメッドの叔父Moussaは回顧する。
祖父がアーメッドと同じ14歳の頃のこと。科学へ情熱を燃やす少年だった彼は、当時イギリス統括下にあった学校に通いたい余り村を抜け出して6マイル(約10キロ)の道のりを歩いてその学校がある町へと向かった。しかし途中で村人に見つかり、家族のもとに連れ戻され、スーダンの伝統的な地元の学校に通わされたという。
「私の父から始まって、家族はみな教育に執着心が高いんです。父も(18人の)子どもたちにより良い教育の機会をあたえよう、大学に行かせようと必死でした。父は私たちみなの道徳モデルでした。それを私たちがさらに子どもたちに伝えてきたのです」
http://www.huffingtonpost.com/2015/09/22/ahmed-mohamed-texas-sudan-family_n_8176702.html