Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

サンクス・ギビング・・(もう何回目や?)

2017-11-26 23:46:09 | アメリカ生活雑感
アメリカは例年より少し早いサンクスギビングホリデーだった。
といってもガイジンの私たちには関係ないのだけれど、一応これも年中行事だから年に一度ターキー(七面鳥)の丸焼きを。
昨年のサンクスギビングは私が日本にいたので、Pちゃんはひとりでスーパーで出来合いの七面鳥を買ってきてゴローと一緒に寂しく食べたらしい。

さて、今年のターキーは地元イリノイのローズバッドファームのものを買い求めた。
そこらのスーパーで1ポンド99セントくらいで売っているものはパサパサで、日が経つにつれいたみも早く食べれたもんじゃない。
一度奮発してオーガニックのものを食べて以来、そのあまりのうまさに元に戻れなくなってしまった。
決して生活は楽じゃないけど、食べ物だけはケチらないと決めている。
食べ物ケチりだすと、たたずまいが貧乏くさくなるからね。



こちらが今年のターキー。
約9パウンド。いつものHOKAファームのは大きすぎたので、今年はRosebud Farmに挑戦。


タイムとローズマリーと塩コショウを刷り込んで3時間くらい冷蔵庫で寝かせ、
あとはオーブンで約3時間。
焼きすぎてもパサパサになるし難しいところだけど、30分おきにスポイトでスープを全体にかけながらゆっくりと火を通す。


ええ感じに焼き上がり~



赤ワインと抜群の相性で、Pちゃんいわく「今迄の最高の出来」
あんた、毎年同じこと言うてるやん(笑)


Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Happy 90th

2017-11-14 15:31:18 | アメリカ生活雑感



シカゴ郊外での生活10年間、私たちにとって恐らく一番大切な友人であるリチャードが90歳を迎えた。

彼との出会いは約7年前。
何気に飛び入りで歌った近所のBarで、私が歌い終わったあとにリチャードがわざわざ私たちの席にやってきて
「君の歌がどれほど楽しませてくれたか、それを伝えたかったんだよ」と声をかけてくれたのがきっかけ。
また歌いにおいで。ここにいる人たちをみんな家族のようなものだからね、という彼の優しい言葉に誘われるように、私はそれからほぼ毎週のようにひとりで遊びに行くことになった。

そうこうするうちに歌仲間も増え、お店が潰れても今度は違う店でみんなが集うようになった。
本当に家族の様な付き合いをさせてもらえた。

何よりもほっとするのは、彼らは私たちよりもずっと人生の先輩で、ちょっとした悩みや愚痴などを受け止めてくれることだった。
アメリカで身寄りのない私たちにとって、リチャードと奥様のシルビアは親のような存在だった。

子供のころからマイクを握ってシナトラを熱唱していたという根っからのシンガー、リチャード。
彼のそばにいつもよりそうシルビアは、85歳。彼女は若いころから鳴らしたダンスのプロ。
ふたりがフロアで踊りだすと、誰もがその軽やかなステップに見惚れてしまうのだった。

リチャードの記念すべき90歳の誕生パーティーは、うちから車で5分ほどのゴルフ倶楽部で行われた。
彼はタキシードでビシッと決め、会場入り口でかくしゃくとしてゲストを出迎えてくれた。
一番大きなパーティールームは半年前からこの日のためにリザーブされ、リチャードが選りすぐったシカゴの一流ミュージシャンが特別バンドを編成して演奏をしてくれた。
まるで、彼が青春時代をおくった1950年代ごろのシカゴのキャバレーを彷彿とさせた。






「90本のキャンドルを立ててもらおうと思ったんだが、消防署から許可が下りなかったよ」といつものユーモアで笑わせてくれたお茶目なリチャード。


招かれたゲストは約130人。
ふたりの子供たち(リチャードとシルビアは子持ちの再婚同士)、孫たち、古くからの友人、歌仲間、バンドマン・・・。リチャードの垣根のない幅広い交友関係をあらわしていた。

私はその中で、唯一のアジアン。
リチャードは第2次大戦の直後、GHQのオフィサーとして札幌に駐屯していたことがあった。
当時19歳だった青年にとって、はじめてみる異国のすべてがエキゾチックでとても印象深かったそうで、私にいつも懐かしそうに当時のことを話してくれた。
「街はどこも清潔で人々はみな温かい。なんて素敵な国なんだろうと思ったよ。この国と戦ったなんて信じたくなかった。戦争とはなんと愚かな行為だろう」
あまり政治的なことを口にしない彼が一度だけこう言ったことを思い出す。


高齢のため久々に顔を合わせる人たちも多く、リチャードのお祝いというよりも会場は歴史的な同窓会のような雰囲気になっていく。
リチャード自身、こうなることを望んでいたのだろう、きっと。


華麗に踊るジマーさんは、シルビアのダンスの先生。
この年代の人たちの踊りは本当に格好いい。


平均年齢は軽く70歳を超えていた。アメリカのシニアは元気。


腕利きのシンガーたちがお祝いに1曲ずつ歌う。
この方はなんと94歳。上には上がいるものだ。

 
私はリチャードのリクエストもあって着物で参上。
この紅型ははたちの頃よく着ていたもので、母がずっと昔に持たせてくれた。
日本じゃ着られないけど「アメリカはこれくらい派手でもかまわないでしょう」と。
思った通りゲストに大受け。
「(戦後駐屯していた)日本を思い出すよ」といろんなお爺様たちから声をかけられた。
なんだか、みんな戦争を生々しく経験している世代(苦笑)


リチャードとシルビア、そしてシカゴで活躍するシンガーPJもお祝いに駆け付けてくれた。


 

この日のサプライズはこの人、ハーヴィー。
彼もリチャードと同じ日に知り合ってからのお付き合い。いつもステージ一杯にステップを踏みながら映画の主題曲などを歌ってくれるエンターテイナーで、私は密かに「植木等」と呼んでいた。
3年前に一人娘を49歳の若さで亡くし、それからあまり人前に姿を見せなくなって心配していた。
2年前から自身も3種類のガンで闘病中で、今は歩くのもやっとという状態。それでも盟友のために奥様と駆け付けてくれ、そのうえ2曲も歌ってくれた。
その歌いっぷりが本当に昔のままで、もう見ているだけで泣けてきた。
「15分前の会話も忘れてしまうことがあるのに、歌の歌詞だけは全部覚えているのよ」と奥様。
今日はここで倒れてしまうかもね、と笑いながら見守る姿にまた泣けてくる。

ここにいる全ての人たちは、「生きる」ということの真の意味を教えてくれる。




しめくくりは「My Way」でラストランス。

バンドの人たちもこの日のことは忘れられない思い出になったようだ。
「リチャード、おめでとう。こんな素敵な場に呼んでくれて感謝するよ。95歳と100歳のときの予定は開けておくからね」

こういうところが、アメリカだなー。


 
大好きな二人と記念撮影。



プレゼントはなしよ、と言われていたけれどどうしてもリチャードとシルビアには心のこもった贈り物をしたかったのでこんなものを作ってみた。
古い着物の端切れで、リチャードには蝶ネクタイを、シルビアには小さなコサージュを。
ひと針ひと針思いを込めて縫い上げた。

7月にリチャードから頂いた人生で一番うれしかったプレゼントのお返し。


シカゴのいい思い出をありがとう、リチャード!


Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

めんどくさい、日本(人)ルール。

2017-11-05 16:54:56 | アメリカ生活雑感
そもそもSNSといものにはまったく興味がなかった私。
ただでさえせわしない毎日なのに、そんなものやってる時間はもったいなくないのか?とものすごく懐疑的だった。
だけど、今はめったにあうことがなくなった古いバークレーの友人たちから「写真を共有したいから頼むからアカウント作ってくれ」と頼まれていやいやFacebookを始めた。かれこれ10年ほど前。

別に積極的に何を投稿するわけでもない、サイレントアカウント保持者だった。
確かに、離れている友人同士の近況を知るには便利なツールだ。
とくにやりとりしなくても、彼(彼女)が今どんなことをしているのか、だいたいのことはわかる。
これがいいのか悪いのかは別としても、まんまと恩恵に被ってしまっているのは事実。

最初の2~3年はそんなわけで、ただ「持っているだけの人」だったが、取材先や地元ミュージシャンなどとつながりはじめてからは、次第に重要な情報源となっていった。しかも巷のウソニュースよりも信憑性が高いのであなどれない。
そんなこんなでFacebookを見てるだけでも時間がなくなっていくのに、このうえなんだかんだと増やすのは絶対によそう!
・・・と思っていたけれど、ついにInstagramというものに足を踏み入れてしまった。


ライターやフォトグラファー仲間たちから勧められていたのだが、いかんせんスマートフォンを持ってもいなかったのでわざわざやる気もなし。
でも昨年ついに(スマートじゃない)スマートフォン(マイクロソフト)を手に入れてから、ためしにやってみた。
撮った写真をパッパと投稿して、あとはキャプションのみ。
簡単な絵日記のようなものだ。
テスト投稿をしているうちに仲間も増えて、自分の写真を振り返るきっかけにもなって、これがなかなか面白い。
写真一発なので人のを見ていてもいい勉強になる。
こうやって人間はずるずるとメディアにはまり踊らされていくのだろう。


最近はプロを名乗る「インスタグラマー」というのがいるらしいことも知った。
要するに、世界中から何千人、何万人というフォロワー(登録読者)を得ていることを武器に、それを「広告価値」として売っているのだという。
この人たちは、私たちライターのように取材に行って、せこせこ原稿を何枚も書いて、納品して、報酬を得るという長いプロセスを得ずに、ポチッと写真を撮って、それをインスタグラムに投稿しさえすればおしまいだ。
文字を書かないから、文章力もいらない。
ただ一発写真投稿のみ。
それだけでもう彼(彼女)についているファンに「効果がある」とみなされるのである。

なんだか、ぼろい商売だなぁ。(苦笑)


とはいえ、「トップ」と名のつく人はそれなりに努力や苦労があるのだろうと思って、「インスタグラムのフォロワーを増やすためには」というサイトを読んでみた。
すると、こんなことが書かれてあった。

心得1)
フォローしてもらうにはLike(イイネ)するのが一番。とにかくアトランダムに一日100件はイイネしてみよう。できればフォローしよう。

心得2)
フォローしてもらったらお礼は忘れずに。

心得3)
ハッシュタグ(#)は思いつく限り、数多いほどいい。


思わず、へぇぇぇぇぇとうなる。

私にゃ、絶対でけへん。
つまり、超マメな人間じゃないとカリスマインスタグラマーにはなれないというわけだ。


だいたい一日100件って・・・そんな時間がどこにあるってのよ?
それに、フォローする、つまり登録読者=ファンになるにはそれなりの時間と同じテイスト、趣味、リスペクトなどが必要じゃないのか。
アトランダムに100件の相手を選ぶなんて、失礼。

もっと驚くことには、これほど時間のかかることをやってられないのでこの作業を代りにやってくれるアプリがあるんだそうだ。
そのアプリをダウンロードして適当にワードを入れておけば、勝手に一日100件選んでくれるのだそうだ。
なんと失礼千万な。

それでフォロワーになってもらったとしても、うれしくもなんともねーや。その相手とは「好き合った」中でもなし、それっきりってことでしょ?
そんな人たちの数を競って、「広告効果」とか言っていることのほうがおかしいと思うのだけど。
こういう人たちはいわゆる「ギブ・アンド・テイク」でやってるから、フォローされた相手のページが好きでも嫌いでもなくお礼としてフォローバックするのだそうだ。


昔、企業の新規採用広告を作っていた時、「ターゲットでもない人たちから1000枚のハガキが戻るよりも、10枚の有力採用候補から反応があるような広告を作るべし」と言われそれを肝に銘じていた。
だから、このインスタグラムの「何が何でもフォロワーを増やせば己のページの価値があがる」というのは、私とは価値観が違いすぎる。
単純にフォロワーを増やしたきゃ、セクシー写真でも使っておけばよいのだ。


2)の“お礼”。これ、いかにも日本的発想。めんどくさ。
第一、フォロワーに「フォローしてくれてありがとう」っていう意味がわからない。
ブックマークしたのはあくまでもあちらさんの判断。
日本人以外でそんなことしている人は、まずいない。

だいたい、「このたびはフォローありがとうございます。これからもよろしく」とかいちいちコメントする時間がもったいない(笑)

そればかりか、SNSの世界では
「続けての投稿失礼します」
「開封スルーごめんなさい」
なんかも暗黙の“礼儀”だそうだ。

こんな礼儀いらねー。
礼儀って、もっと大切なことをいうのだと思うんだが。


この間、シカゴの友人がFacebookに「続けての投稿失礼します(日本人的)」と書いていて、やっぱり同じこと考えているんだと思って笑ってしまった。

誰が作ったんだか、日本人のSNSルール。めんどくせー!

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2017年のハロウィン

2017-11-02 20:00:52 | アメリカ生活雑感
去年のハロウィーンは日本帰国中。
2年ぶりのハロウィンはここしばらくで一番寒い日になり、今日は子供たちの「Trick or Treat」も来ないかなと思っていたけれど、いざふたを開けて見れば結構来た。

我が家は2年前に「お菓子決別宣言」をして、ハロウィーンタトゥー(シール)を買いだめしていたのがまだ残っていた。
それではとても足りないから、先日日本スーパーに行ったときにちょっとでも体によさそうな、カルシウム多めのお菓子を買っておいた。
それもすぐになくなった。

毎年大きくなっていく近所の子供たちを見るのも楽しい。
GOROもすっかりこのおかしな伝統に慣れ、ピンポーン、と鳴るとクークー言いながらドアに走っていく。
子供たちも「ハロー、ゴロー!」と声をかけてくれる。

嫌な事件ばかり続いてあのあほトランプの声を聞くのもうんざりの今日このごろ、しばしほっこりとさせてくれる時間だった。




  

  
我が家の柴犬ランタンと、GOROのホラーモーメント。




 














クッキーなくなったからこれで終~了~~。
(今年はジャパニーズ・ホラーで迎え撃ち)

来年はどこにいるかな。




Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする