Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

Pちゃん、爆発。

2009-06-27 06:05:48 | ダーリンはドイツ人
今週の前半は、うだるような暑さだった。
一時は華氏100度近くまでいったというから、38℃くらい。しかも湿度がものすごいくまるで蒸し風呂状態。

しかし、こんなときに限って今まで正常だったエアコンがきかなくなった。
暑さに極端に弱いPちゃんは、クーラーがきかなくなったと知ったとたん発狂寸前に。
去年も一時きかなくなって業者さんを呼んだことがある。
1回目は「フィルターを交換したら直りますよ」
で、フィルターを交換したが2日でもとどおり。
怒ってまた呼んだら、当初のこちらの推測どおりフロンがきれていたので、満タンに注入して帰っていった。

そんなこんなで80ドルも支払ったのに、また今年ぶっ壊れるとは!
しかも今年は購入から2年目ということでホームオーナー・ウォランティー(保証)を更新しなかったので、すべて実費で支払わなければならない。
暑さで何も手につかないPちゃんは、夜中に懐中電灯をもって室外機をいじくり始めた。
そして翌日も、私が学校に行ってる間一人で原因を追究しようと格闘したらしい。
で、どうやら室外機がいかれているという結論に達し、あちこち電話した結果一番安心そうでしかも格安な近所のショップにでかけ、翌日には配送してくれるという約束を取り付けてきた。
こういうときは異常にに行動が早いPちゃん。

しかし、その晩はクーラーなしの灼熱地獄。
特に寝室は最悪。熱帯状態だ。

でも、私にはなんだか懐かしいこの感じ。
田舎(徳島)では、夏でも昼間はクーラーつけず、汗だらだらの生活だったし
大学時代はクーラーのない下宿で、アイスノンを抱いて寝ていた。
だからこれくらいなんともないっちゃなんともない。

暑さでもだえるPちゃんに、冷凍庫にあったいくつかの保冷財にタオルをまいて渡してあげたら、体中を冷やしていた。
あんたは白クマか!

そして翌日。
昼過ぎについにお兄ちゃんが巨大な室外機を持ってやってきた。



が、このお兄ちゃんには重大な弱点があった。


蜂が怖い~。


室外機の電気ボックスの中に蜂が小さな巣を作っていたらしく、そこから蜂が出てきてパニック。
「蜂が全部いなくなったらまたきます」と帰りそうになったので、今度はPちゃんがパニック。
ここで帰してなるものか。

「蜂は責任を持って追い払うから作業を続けてくれ」と懇願し、お兄ちゃんはいつでの逃げ出せる体制で恐る恐る作業を開始。
その間、Pちゃんと私は目を光らせて蜂退治に全神経を集中させる。
(結局3匹の蜂を退治・撃退)
しかしよくこんなんでこのお仕事が勤まるなぁ、兄ちゃんよ。

そして約1時間後、すべての作業が完了し我が家に再びクールエアーが戻ってきた。
と思ったら、今日はいくぶんすごしやすかった。

クーラーがきかなくなっただけで、丸々1日無駄な時間を費やしてしまった。
でも、暑い暑いといいながら寝るあの感覚も、なかなかよかったんだけどな。

Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バルーン事件。

2008-05-29 01:13:56 | ダーリンはドイツ人
夕べの夜遊びでぐったり疲れたせいか、翌日は昼まで体が起きてこない。
今日は午後からどでかいストームが来るというし、家で片付けもの&庭仕事などしをながらごろごろ過ごすとしよう。

ラボのコンピュータシステムに不具合を発見したPちゃんは、あわてて夕方から2時間ほど出勤していった。こういうときに、職場に近いって便利だな~。
私はその隙に、録画してあった日本語のTVプログラムをゆっくりと楽しむ。

さて、今晩はパスタでも作って借りてきた映画でも見ようかということに。「そんならさくっとワイン買ってくるね」と再び出かけていったPちゃん。
この人の「さくっと」はあてにならないのはご存知のとおり。何か別のものに目が移り、本来の目的を忘れるほど没頭して帰ってくるのが関の山。まるでちびっ子の「はじめてのおつかい」のようだ。
(こりゃ1時間コースだな・・パスタはゆでないでおこう)
パターンを呼んでいる私ももう、あわてなくなった。

かくして約40分が経過。
気に入るワインがなくて、さまよってるのかなとちょっと心配になる。
しばらくして浮かない顔してPちゃんが帰ってきた。
ワインは問題なかった(ほ~っ)のだが、スーパーにかわいいバルーンがあったので私にと買ってウキウキ車に乗り込もうとした瞬間、突風がきて先だけ飛んでいってしまったらしい。呆然としたPちゃん、あわててお店に戻って同じものをさんざん探したけれど見つからずついにあきらめて帰ってきたのだそうだ。
“マイ・スゥイーティーへ”って書いてあるハート型のやつですっごいかわいかったのに!それが店にたったひとつしかなかったぁああああん」。
この人のこういうところがいまだに謎だ。
(おいおい、それで40分かよ!風船よりもワインやろ。)と心の中で突っ込む私。
風船が飛んでいった瞬間の、Pちゃんのしょぼくれた様子が目に浮かんでこっちは噴き出しそうになる。

今頃は、どっかの庭先に着陸してその家族を喜ばせているよ、きっと。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

走れ、Pちゃん。

2007-06-29 06:53:18 | ダーリンはドイツ人
バークレーにはもう長くないかもしれないと思い始めた理由、それはPちゃんの仕事。この8月末で今働いている研究所との契約が切れるため、その後の新たな仕事先を見つけなければならないのだ。二人とも外国人である以上、ビザの切れ目がアメリカとの縁の切れ目。アメリカで次の仕事が見つかなければ即効で国外に出なければいいけない。アメリカを離れドイツに帰ることが死ぬより怖い彼は、今度こそ自分の力で次の行き先を決めなければならない崖っぷちに立たされている。

もともとPちゃんがバークレーに来たのはドイツの大学(教授)からの紹介だった。ある有名財団から奨学金をもらい意気揚々とやってきたものの自分の思うようなチームや研究に恵まれず、希望が絶望に変わるのにはさして時間はかからなかった。アメリカに来る外国人のポスドクの間でよく聞く話だが、外国から来るポスドクが優秀で期間限定なのをいいことに安月給で犬のように働かされるのだそうだ。もっとも問題なのは、その後のキャリアに有益な研究を十分にさせてもらえなかったことだ。
それでも、人種の差別(いわゆる白人同士では)のないアメリカの風土とカリフォルニアの陽気にすっかり心を奪われたPちゃんは、どうしてもアメリカを離れたくない。そのためには、優秀なフィジシストがごまんといるアメリカで、高い競争を勝ち抜いて次の仕事先を見つけださなければならないという試練が待ち受けている。

そう、これは必ず通らなければならない道。今度は誰も手を差し伸べて「ここにおいで」とは言ってくれない。自分で悩み、自分で選び、自分で殴りこまなければならない。

Pちゃんはいわゆる“社会人になるための就職活動”というものを経験したことがない。人生でそれを今、初めて経験している。
もちろん、これは自分といやがおうにも向きあわなければならない苦しみを味わう。自分にはどれほどの能力があるのか、自分は何で生きていきたいのか、いけるのか、それは世の中に有益なことなのか、それでお金がもらえて食って(家族を食わして)いけるのか・・・疑問がいちどに押し寄せて頭がパンパンになる。不安がどっと押し寄せる。
Pちゃんはまさに今、そういう状態。人生でかなり遅い就職活動初体験中。もともとピュア(というか一途)な性格なうえ、妥協を全く知らない人。「自分はこれでしか生きていけない。そうじゃなきゃ死んだほうがましだ」とまで言い切るタイプ。かなり危険だ。
こういうタイプに「何寝ぼけたこと言ってんの。まずは食っていくことが大事でしょ。少しは妥協すれば?」は禁句。それは私自身が一番言われたくなかった言葉だから。

―大学4年の夏。
男子学生は寝ていても企業やOBから誘いがきていたバブル初期の時代、女子学生にはまだまだ氷河期だった。均等法すらまだだった。「女子」であるだけで平気で電話を切られた。しかも「自宅生のみ。下宿生お断り」という、その人物の能力にはなんら関係ないばかばかしい差別がまかり通っていた。焦りと憤りの毎日。自分は社会にとって不必要なんだろうかと落ち込んだ。別段興味もない企業にかたっぱしから資料請求したところで、それは何のため?そこまで安売りしなきゃいけない程度の人間なんだろうか。そんな扱いを受けるために親は私を4年間大学に行かせたわけじゃなし・・・
いやになって、部屋に閉じこもった。クラブの仲間が心配して訪ねてきてくれたり電話をくれたりした。そんなとき、何度も何度も誘ってくれた当時無名の会社に結局は就職することになった。「自分を欲しいと思ってくれる会社にいったほうが幸せになれるかもしれない」と思ったから。
今から思えば、それこそこの世の終わりのように悩んだ日々だった。でも、それがあったから今がある。

だから、苦しいだろうけれどPちゃんには気のすむようにやってほしい。家族を食わせにゃなどという気負いは(あるとすれば)今すぐ捨ててほしい。今すぐ死ぬわけじゃなし、あたしゃ大丈夫。夢があるなら何年かかってもそれに向かって進むのみだ。“これでしか食っていきたくない”と言い切れる職業があるというのは、何の専門分野も知識も持たない私からみればとてもまぶしい。

Go ahead, P-chan! 
あたしゃ黙って応援してるぜ。
Comment (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Pちゃんまじギレ事件。

2006-12-13 05:48:57 | ダーリンはドイツ人
12/10 (Sun)

朝から大喧嘩。理由はほんのつまらないこと。
新しいアパートのドアには二つの鍵があるのだが、ひとつは機能していないから触らないでとオーナーに言われていたのに、Pちゃんが興味本位で触ってしまい、ふたりでさくっと外出しようとして外に出たとたんロックされてしまったのだ。
こうなったらオーナーに連絡して開けてもらうしかない。オーナーは隣町のオークランドに住んでいるので、すぐにはどうにもならないこと必至。ただでさえ忙しいのになんでダメって言われてることやるんだよ~まったくよ~!!と半ばむかつき半ば呆れて思わずPちゃんを責めてしまったのだ。
普段はくしゅんとなるPちゃんも、このときばかりは思わぬ反撃に出てきた。
「ふたつキーがあったらふたつとも触ってみて確かめるのが普通だろう?それを一つしか使うなって言うほうがおかしい。しかもこんなことになるんだったら、初めから両方のキーを渡すべきじゃないか。それをおかしいとおもわないときみはいふのか?彼ではなくボクを責めるのか!?シンジラレナ~イ!!」

一度怒り出したらラテンの血は止められない。
道を歩きながらもPちゃんの怒りはつのるばかり。結局「今一緒にご飯を食べる気になれません。今日は勝手にして」と道で捨てられてしまった。
いいも~んだ。私だって一人でいくらでもやることあるもん・・と、私はスタバで朝のコーヒーを飲み、そのあと前アパートに行って大掃除をすることにした。床をごしごし、お風呂をごしごし、キッチンをごしごし磨きながら、いつ頃鍵が開くかなぁ、と考えていた。
どっちにせよ、冷蔵庫の中にまだいろんなものを残していたのでこれらを持って帰らなきゃいけない。こういうときのShare Car。急いで近くのコピーセンターでインターネットを借りて車の空きをチェック。ついでにメールをチェックをするとPちゃんから「3時半にオーナーが鍵を開けてくれる。ボクは事務所で仕事中」というメールが入っていた。そこで、急いで3時15分から4時45までの1.5時間、車を借りることにして冷蔵庫のものを車に詰めこんで新しいアパートへ向かった。食物を無事に冷蔵庫に収め、残った時間を利用してお次は食料の買出しへ。
そうはいっても今日が新居での初ディナー。ここはひとつ、初「カタプラーナ」をやることにして、鯛、頭つきのエビ、野菜をバークレーボウルでしこたま買い込み、ついでにおいしい白ワインもゲット。

8時過ぎ、Pちゃんが帰ってきた。いろいろあったけど、今は無事にこうして新しい家でディナーを楽しめることに感謝しつつ、ふたりでゆっくりとワインを開け、初カタプラーナを堪能したのだった。


最後はおいしいものでしめくくり、っと。
Comments (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2時間耐久・サンセットピクニック

2006-10-24 04:26:43 | ダーリンはドイツ人
運動不足を気にしているPちゃんは、最近よく仕事仲間と一緒にLab近くのハイキングトレイルをジョギングしている。
ジョギングをする時間帯はちょうど日の入りの時刻。走りながらそれはそれは筆舌に尽くしがたいほど美しいサンセットが拝めるらしい。ベイエリアが一望でき、まるで雲の上から街全体を見ている感覚、という。

「今日もきっと夕日がきれいだから、夕方からピクニックに行こう」
と、珍しくPちゃんが提案。さっそく車を5時半から7時半までの2時間予約して、6時半の日没をヒルの上から拝むことにした。

ところが、ここからがPちゃんのPちゃんらしいところ。
出発間際になって「おなかがすいたから近くでカレーでも買っていって夕日を見ながら食べようよ」といきなり言い出し、お皿やらナイフやらジュースやらを用意し始めた。
「あのさぁ、今日ず~っと時間あったのにどうして今頃になって言うわけ?そんなことしてたらせっかくのサンセット見逃しちまうよ」と気の短い私はイライラ。

車を出した後、カレーを買うPちゃんを待ち、さらに20分もくねくねと山道を運転した挙句、さらに“夕日ポイント”まで15分も歩く始末。やっとベイの見えるベンチにたどり着いたら、案の定夕日は半分沈んでいた。
本当は6時ごろにはここに到着していて、ゆっくりと何かつまみながら30分ほどサンセットを楽しみたかったのに!
日が沈むと当然、あたりはだんだん暗くなり座っているのもむなしいだけ、で、即撤収。今度は車を返す時間が気になり始め、山道を転がり落ちるように運転して下界に戻ってきた。急ぎすぎて、食べたものが出てきそうで気持ち悪い。
まったく、事前にもっと計画性をもって時間配分できないかなぁ。これは今回に限らずいつも私が口うるさくPちゃんを詰めるテーマ。泥棒を捕まえてからなんとやらで、はたで見ているとかなりイライラする。このせいで、人生どれだけ大事なチャンスを逃してストレスためてきたんだろう、と気の毒にさえなる。

「あの、今日のテーマはいったいなんだったんでしょうか?」と家に帰ってから嫌味を言うと、Pちゃんも今日はさすがに自己嫌悪。
「ごめん・・・」
「そうだ、きっと今日は2時間でどこまでできるかを競うゲームだったんだよね?」とさらに追い討ちをかける。

その後、我が家ではこの2時間を「サンセット耐久レース」と呼んでいる。こうなるともうギャグにするっきゃない(笑)





つかの間だったけれど夕日はきれいだったしナン・カレーもうまかった。
おかげで晩御飯作らなくてすんだので、楽させてもらいました。ちゃんちゃん。

Comments (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタリアタウンでバースデーDinner

2006-09-13 03:50:32 | ダーリンはドイツ人
9月はPちゃんのバースデー月ということで、久々にサンフランシスコでデート外食。
よく考えてみれば、二人で外食したのはNYに行った6月以来約3ヶ月ぶり。
服を着替え、電車に乗ってわざわざ出かけていくという行為そのものも、なんだか久しぶりでちょっとだけ心躍るかんじ。

イタリアタウンの小さなイタリアレストランで、前菜とパスタとフルボトル(赤ワイン)をたいらげたら、もう死ぬほど満腹に。そのあとBarにのみに行く計画も自然消滅しちまった。
いやいや、満足でございました。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Happy 40!

2006-09-03 03:41:52 | ダーリンはドイツ人
シカゴからあわてて帰ってきたのが午後8時ごろ。
帰りにシャンペンを買ってそそくさと部屋のお飾り。
ちょっと質素だけど、2日後にはここを発つのでこのへんにしておこう。

晩御飯の支度を整えて、私はいつものようにピアノを弾きに近所のリクリェーションセンターへ。「帰るときはここに迎えてきてね」とメールを打って、用意万端。
そして11時ごろ、Pちゃんが私を迎えに来て一緒に帰宅。
私が最初に家に入らないよう、何気にPちゃんの後をついていくようにしてPちゃんがドアをあけると・・・




はしゃぐPちゃん。
誕生日にお祝いしてもらった思い出がないというPちゃんは、
こんなことにめちゃくちゃビックリして喜んでいた。
ドッキリ成功です。


明日は最後の晩で外食予定なので、残り物をかき集めて最後のディナー。
ロールキャベツのホワイトシチュー、ピーマン肉詰め、ポテトサラダ、フルーツ盛り合わせ。

せまっ苦しいバークレーよりも、ここで誕生日のお祝いができて本当に良かった!
明日は土曜日なので、あらためてシカゴでお誕生会をやる予定。
シカゴは、「シカゴ・ジャズ・フェスティバル」が始まったばかり。

Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悩めるPちゃん

2006-06-02 01:21:39 | ダーリンはドイツ人

昨晩遅くに、Pちゃんのボス、リナ女史が到着。
なんでもここのところの雷雨で、飛行機が大幅に遅れたらしい。ここにたどり着いたときはへとへと空腹状態だったので、持ってきた即席お味噌汁を作ってあげた。(というのもおこがましいが)
この人、おん齢、60歳すぎ。この道30年以上という大ベテランで泣く子も黙るフィジシスト。その上、登山家&ヨットマンでもある。
この間は1ヶ月以上の休みを取り、ヨットで地中海を一周していた。とにかく、ええ“男”。

かと思えばたまにチャーミングな失敗もやってくれる。
少し前のある晩、同じようにPちゃんとイゴール、そしてリナの3人がここに滞在しているときの話。
夜中にPちゃんの寝ている部屋の扉がギ~っと開いて、何者かがごそごそと電気のスイッチを探している様子。リナがトイレと間違えてPちゃんの部屋に入ってきたらしい。どうしようかとしばし悩んだPちゃん、ここは極めて平凡な言葉がいいと決意してこう声をかけた。
「May I help you?」
リナはぎゃ~っと声を上げ、「Sorry Sorry」と平謝りに謝って部屋を出て行ったそうな。

さて、もうひとりの同僚イゴールくん。
困ったことに、Pちゃんは彼のことがダイキライ。悪いやつじゃないんだけど、どうやらコラボレートできないタイプらしい。何でも自分の領域に話を巻き込んで進めてしまうので、(Pちゃんによると)他の人たちにとっては研究がそれ以上に進まない、しいては自分が向上している気がしないそうだ。
研究者に限らず、どこの会社にもいるよな、こういうタイプ。アタマはすこぶるいいんだけど、グループワークができない人。
Pちゃんは彼と仕事をして2年になるけれど、その間不満は募るばかりで、その不満が最近は怒りに発展してきている。
研究者は、自分自身をいかにプレゼンするかで将来が決まるという。2年間、彼の“つまらない”仕事に付き合わされて自分の領域を広げられなかったPちゃんはとても焦っている。今回彼がシカゴにきたのも、少しでも自分の仕事の成果発表をする場を持ちたいという気持ちからだった。近い将来、ここに移ることも視野に入れているみたいだ。
私としては黙ってみているしかない。
少年よ、信じる道を行きたまえ!


~今日、Pちゃんの仕事場でみつけた、トホホな1枚。~




Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Pちゃんの友達と会う。

2006-05-02 07:21:31 | ダーリンはドイツ人

うららかな陽気の土曜日。
Pちゃんが最近仲よくなったという同じくドイツからやってきた同僚と「家族を交えてお茶でもしようよ」と約束したというので、一緒にカフェについていった。研究者という職業柄もあるけれど、仕事場にはあまり友達がいない彼にしてはかなり珍しいこと。母国語で話が出来、しかもおなじフィールドで働く友人を持つことはいろんな情報交換もできるし、たまには愚痴も言い合えるし、精神衛生上とてもいいことだ。ちょっと安心。

彼の名はクリスチアン。ルーマニアの血を引くドイツ人。美人の奥さんのニコール(ドイツ)そしてパパにそっくりの10ヶ月の長男フィリップくんという3人家族でオークランドで暮らしている。
奥さんも現在、以前から働いていたドイツの会社のアメリカブランチで働いているという。彼女はなんと、出産から6週間後に赤ちゃんを抱いてアメリカにやってきて、間髪をいれずに再就職をしたという、見かけによらぬつわものだ。

一方、クリスチアニの話を聞いていると、ドイツではいかに彼らのような学者の就職が難しいかが改めてわかった。Pちゃんからかねがねきいてはいたが、やはりかなり事態は深刻のようだ。チャンスを求めてアメリカに出てくる研究者が後を絶たないのもわかる気がした。

怒涛のようにしゃべり続け、場所を移して晩御飯までご一緒して約4時間。
最近新しい人と会話をしていなかった私にとって、久々に脳の活性化になった。


人形みたいにかわいいフィリップ坊や
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

解り合うこと。

2006-02-11 19:25:44 | ダーリンはドイツ人

デンマークの新聞が掲載した風刺画から端を発したアラブ人たちの暴動が、ヨーロッパ中に広がっている。そしてまた、火に油を注ぐように、フランスの新聞が風刺漫画特集を組んだ。
いかなる理由があっても暴力的な手段による報復は許しがたいが、だからといって知識人ぶった顔で「言論の自由でしょ」という編集者の態度も、それ以上に許しがたいものがある。

そんな話をPちゃんと電話でしていたら、彼の話しぶりの中にも「風刺漫画はヨーロッパの常識。アラブ人の反動はいかがなものか」というトーンを感じてムッとしてしまった。
彼は宗教をもたないが、宗教や他国の文化を決して悪く言うことはなくそれなりにリスペクトしている。そんなリベラルなところが私は好きだったのにことイスラムの話になると(考えすぎかもしれないが)少しだけアグレッシブになる。

「ヨーロッパ人には“常識”でも、他の国の人たちにはそうじゃないことだってあるでしょ。だいたいマンガで宗教を揶揄したり侮辱したり、信者をprovoke(挑発)することはやっちゃいけないと思う」
「侮辱なんかしてないよ。ドイツにも多くのモスラムがいるけれど彼らには自由も人権もない。女性は社会で蔑まれてひどいものだ。ボクはそれが許せない。」
どうしてもこっちの議論にいってしまう。この話題になると彼はとても感情的になる。
「誰だっておかしいと思ってるよ。それには反対しないけれど、“だからアラブ人は悪い”というのはおかしい。それはヨーロッパ人の彼らに対する優越的見方じゃない?」

こっちもだんだん熱くなってくる。
平行線のままこの話題をきりあげ、お互いにちょっと不満を残しながら電話を切ったあと、よく彼と私の生まれ育った環境を考えてみた。
ドイツには多くのトルコ人が住んでいる。第二次大戦後に国家がほぼ“滅亡”したドイツは、戦争で労働力を亡くし、お金で隣国の労働力を買ったのだった。そのトルコ人たちが今ではドイツに根を下ろし、ドイツとはまったく違ったイスラム社会を作ってしまった。
彼らの社会はマッチョ(男性優位)を良しとし、ドイツ人の価値観とは全くちがう。そんな「自国内での異国人」を横目で見ながら育ってきたPちゃんと、外国人が入りこめない日本人の価値観の中でべったり育った私とは、“寛容度”が違うんだろう。
イスラム社会をどう思うかといわれても、彼らと直接同じ社会で生きたことがないし間近で見たこともない私たちは、コメントできない。
しかし「ヨーロッパ人はちがう」とPちゃんはきっぱり言うのだ。
女性にベールを強要し、浮気をした女性が夫の親族に惨殺されたり、という事件を間近で見聞きしている彼らの心の中には、イスラム社会に対する批判的な見方がごく自然に存在するのだろう。
国が、民族が解り合うということは本当に難しい。
自分がそのなかでどう働けるか、そう考えるともっと難しい。

Comments (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする