Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

田宮プロジェクト② 遺物の行先。

2024-06-12 21:58:25 | がんばろう、日本。
(つづき)

一番苦労したのは、言わずもがなの遺産整理。
住まなくなって久しい家の中に取り残された、埃だらけの昭和の遺物の数々。
家の中に入るだけで、むっとする埃とカビの匂いにまずやる気が失せる。そしてビンビンと漂う霊気との闘い。
ほんまにつらかった
家と共につぶしてしまえば一瞬の出来事なのだろうけど、物には物の使命があり寿命がある(と私は思う)。
このSDG’sの時代になんでも簡単に廃棄してはいけない、と気力を振り絞って嫁入り先探しが始まった。

        

まず、意外と場所をとるリネン類。
来客用にと買ったのだろう、まだ新しいリネン類多数。コロナ禍で使う機会を逸したと思われる。

①きれいな布団、毛布
②食器類
③電気ストーブなどの暖房器具

→ご近所に住むのインド人ご夫婦に寄付。ご主人は地元の大学の教授で、インド人留学生のお世話をしているため生活雑貨が必要だという。来日がちょうど寒い時期に重なったので、布団や暖房類はとても助かったといってもらえた。


④ 生活用品(アイロン、こたつなど)

→ 徳島大学の学生寮へ寄付。


⑤ 生活家電(洗濯機、シングルベッド2つ)

→「つながりグループ」(徳島在住の外国人を支援するグループ)を通じて在住外国人家族に寄付。


⑥ 引き取り手のなかった昭和の遺物(古箪笥、無垢板座卓、飾り棚、照明器具、リクライニングチェアなど)

→ 知り合いの古民家民宿に寄付。「こんな時代物の良い品は最近手に入らないんですよ!」と大いに喜ばれ、あとからわざわざ写真を送ってきてくれた。








⑦ 巨大全身マッサージチェア(医療用機器のため始末に困っていた)

→ 今回お世話になる建築事務所の顧客で、日帰り入浴デイケアに寄付。利用者さんから大いに喜ばれているそうだ。


⑧ 仏壇(魂は抜いてあるけれど貰い手が見つからず、結局最後まで残ってどうしようかと諦めかけていた・・・)

→ 地元の寄付サイトに掲載したところ、仏壇業者さんが引き取ってくれた。きっとリセールするのだろう。
「質の良いものをありがとうございました」と感謝された。


⑨ 歴史的に価値のある書物や文書類

→ 徳島県立文書館に寄付。県庁に勤務していた叔父が持ち帰ったと思われる県の重要文書(コンプライアンス皆無)や書物が段ボールに10箱分。徳島の歴史にかかわる重要な資料と思われたので問い合わせたところ喜んで引き取ってくれた。


⑩ 使用済みのタオル類や古い毛布などどっさり

→ お世話になっている動物病院に寄付。動物の入院時などに快適に使ってもらうため。すごく喜んでいただけた。


⑪ その他(衣類、着物類、書籍、カーテン、おもちゃ、花瓶、新し目の靴、洋服、ゴルフ用品、装飾品など)

→ 「太陽と緑の会」(障がい者自立支援施設)へ寄付。大きなトラックで通算4回も取りに来てくれた。これらをリセールすることで自立支援になる。


⑫ 堅牢な本棚、大量のカラーボックス、大型テレビ(古い型)、コートハンガー

→ 相棒の職場(英語教室&サロン)に寄付。教材類が散らかって絶望的だった部屋が一気に片付いた(片付けたのは潔癖症の相棒)と感謝された。テレビは子供たちに英語を教える際タブレットと連動させて使えると、先生たちに大好評!教室が見違えたという。


⑬ ブランドもののコーヒーカップ&ソーサー 多量

→ 懇意にしている老舗の珈琲店に寄付。昭和レトロなお店の雰囲気にぴったり。


⑭ まだ新し目のエアコン3基。業者さんが壁から取り外して室外機とともにセットで

→ もったいないので地元のサイトに出してみたら、すぐに隣町から引き取りたいとお兄ちゃんがやってきて軽トラに積んで帰った。
ついでに、まだ使える照明器具もその場で外して軽トラへ 見事に部屋がスッカラカン


全てのモノたちが捨てられずに第2の人生を歩むと思うと、それだけで気持ちが晴れ晴れする。
成仏するんだよ。


田宮プロジェクト、始動!

2024-06-12 00:23:17 | がんばろう、日本。
我が家とはほぼ縁切れ状態だった叔母が亡くなって丸2年。
子どもがいなかったので、結局は遺産の半分(半分は従妹)は我が家(父)が相続。
それが私の大仕事の始まりになろうとは、その時には知る由もなかった(苦笑)。
つまるところ、彼女の不動産は私が責任をもって引き継ぎ管理をしていくことになった。
少なくとも、不動産業に通じている人がやった方がよいでしょうという話だ。

この、長年手入れもされていない昭和の遺産(家)をどうしたらよいものか。
今はやりの民泊にしようか、近くの会社の外国人従業員のためのシェアハウスにしようか、いっそのこと取り壊すか・・と様々思いあぐね、各方面のセミナーに出かけて行ったり、知り合いに話を聞きに行ったり、物件を見てもらって助言をもらったりという日々が続いた。
それでもピンとくる活用法は見つからないまま、これから降りかかってくる税金の心配だけが頭をよぎる。

そんなときに出会ったのが、「テナント契約先行型・空き家活用」という新しい方法。
地元の銀行のセミナーを聞きに行ったときに、地元の不動産会社がこの方式を始め市内にも成功事例があるというので、個別にアポイントを取って物件の資料と共にじっくり話を聞きに行った。
一言でいうと、空き家のテナント募集&契約を、取り壊しやリフオームの前に行ってしまうというもの。
テナントにとっては入居までに幾分時間は要するが、大家にとっては建物を取り壊したもののテナントが決まらない、という一番のリスクを回避することができる。
さらに、不動産会社と建築事務所が組んでいるため、デザインを含めてその後のテナント工事への移行がスムーズにいき、テナント&オーナー双方にとってもいらない出費が免れるというメリットがある。

昨年秋に不動産情報をネットに流しテナント募集を開始。
何件か下見はあったものの、時間がかかることやサイズなどで話はぽしゃり、そろそろ次の手を打ちましょうかと話し合っているところへ、この物件が気に入ったという某業種の方から熱烈なオファーがあった。
こちらが希望した賃料にもOKしてもらい、多少時間がかかってもじっくり待って店舗設計に備えますと言ってくれた。

かくして4月に賃貸借無事契約を結び、あとは一部建物の取り壊しとリフォームにかかるローンが下りてGOサインだ。
今まで一度も個人で銀行ローンを組んだことのなかった私が、この年齢になって・・と一抹の不安もあったが
計画通りいけば繰り上げ返済できそうだし、なんといっても空き家で木や草が生い茂っていた”不良物件”がきれいな更地になって、道路も拡張でき、コミュニティーのためにもなるということが何よりうれしい。

2年間、こつこつと家の中のものを整理してきた苦労が報われるときがきた。

(つづく)

誰かに褒められるということ。

2024-02-07 18:46:47 | がんばろう、日本。
2024年最初の月は、病院通い(永遠に続く腰痛の検査)やら、2月にある師匠の記念公演のパンフレット制作やらであっという間に終了。
でもまぁ、何かが作られていく工程を見るのはいつも楽しい。

久しぶりに昔よく立ち寄っていたあるお店に顔を出した。
コロナ前なので、もう3年以上にはなるはず。
お店のオーナーは75歳・女性で、一人で店を切り盛りしている。
それも、もう35年も。
「自分の好きなことをやってるから楽しいのよ~」とおっしゃる。
そろそろ体力的にもしんどくなってくるからお店のことを考えないとね~、などと言いながら
お客さんがくると嬉しそうにきりもり。
やっぱりこのお仕事が好きなんだなぁ。

私がシカゴにいたころからのお付き合い。
「(田舎に帰ってきて)なんだか何をやってきたんだかって感じですよ」
と自嘲気味に笑った私に、彼女はすごくまじめな顔でこう戒めた。

「あなたね!あなたは違うっていうかもしれないけれどこれだけは言っておくわよ。
あなたがこっちに帰ってきてやり遂げた一番素晴らしいことは、ご両親を見送ったことなのよ。それだけは言っておくわ。他にもいろいろやったかもしれないけれど、これが一番すごいことなのよ。私はこれができなかった。だから両親のお世話をして見送った人のことは心から尊敬するの」

そうですかねえ。ケンカばっかりして、身の周りはすべてヘルパーさんがやっていたから自分としては何もしてなかったも同じなんですけどねぇ。
そう言うと、
「絶対、そんなことはないのよ!ご両親もどれほどうれしかったかと思うわ」と語気を強めた。

実はそんなふうに誰かから介護のことをほめられたのは初めてだったので、ちょっとほっとした。
とりあえず、帰ってきたことに意義はあったのだ、と。

まもなく一周忌。
今は息切れもなく元気に飛び回っているかな。
大好きなきんつば備えて待ってるよ~。


2024年、静かな幕開け。

2024-01-14 13:47:32 | がんばろう、日本。
本当の意味で、父のいないお正月。
帰省した姉といつものように変わりなくおせちを食べ、お酒を飲み、だらだらと過ごす。
「喪中」はおせちも食さないのがしきたりなのだけど、昔からそんな細かいことに従うような信心深い家庭でもなかったので、
いつも通りを心がけて仏前の両親に献杯をしながら飲んだくれた。
私たちはこうやって元気にやっていますよ、と報告するのが一番の供養だから。

とはいえ、やはりいた者がいなくなるという寂しさからは逃れられない。
父の部屋に入り、空っぽのベッドを見ると涙があふれてくる。
・・・
いかんいかん、自分でも精一杯やったのだからあとは前に向いて進もう。

2024年の抱負。
「自分の時間を精一杯目指したゴールに向けて使う」

1)相続した不動産の有効利用
先祖が残してくれた大切な土地を、地域のために生かす道筋を建てる。

2)自分のために投資する。
元気でバリバリ動ける今でこそやれることに全力投球。

3)会いたい人に会う。

人間いつどうなるかわからない。それを思い知った2023年だった。だからこれからは躊躇しない。コロナで寸断された、遠くの友人・知人・親戚との直接のコミュニケーションを取り戻そう!

4)積極的に、県外&海外に行く。
会いたい人、ほしい情報をとりに。

5)仕掛ける。
待っていてはだめ。あらゆる接点を見つけて積極的に”取りに”行く。


元旦の震災のニュースから、より地域コミュニケーションの大切さを思い知らされた2024年の幕開け。
わが身として受け止め、被災地の支援を続けながらよりよりコミュニティーを作っていければと思う。
それこそが、私がここに帰ってきた使命(大げさだけれど)だと思う。




コロナ後進国

2021-04-23 00:37:39 | がんばろう、日本。

日本は本当に先進国なのか?

地方都市に住む私の場合、コロナのワクチンはまだいつ接種できるか全く先行きが見えない。

アメリカではもうすべての人が1回目を終了し、間もなく2回目の接種も完了すると聞いている。

バイデン政権になって、半端ないスピードでコロナ対策が進んでおり、国民にも安堵が広がっているようだ。

友人のSNSを見ても、「ワクチン接種完了報告」をする友人の投稿が目立つ。

なのに、日本はどうだ!?

政府は安全性やらへったくれやら二の足を踏んでいるうちに、全く持って出遅れてしまった。

昨年一時終息しかかったときに目測を見誤り、Go To トラベルだの、Go To Eatだのと経済刺激策を打ち出し、第4波を招いた。

この始末はどうつけるつもりだ?

大阪ではもはや、医療機関に行けずに自宅療養中に亡くなっている人が増えてきているというこの非常事態の中、まだ東京オリンピックをやる気まんまん。どうしても「非常事態感」を出したくないらしい。

国民の命よりも大切なものがあるようだ。

こんな政府、いらねえ。

 


「四国の右下」を旅する記 ~その③

2021-04-03 00:31:55 | がんばろう、日本。

Day3)最終日

夕べは食べすぎ、飲みすぎで爆睡。

ゆっくり体力をとり戻したところで、最終日3日目の行動開始。

まずは、宿からほど近い、竹ケ島へ。

 

徳島県最南端の島「竹が島」

島といっても陸続きなので、簡単にアクセスできる。

この島の一番の魅力は透き通った海と、海中を船から観察できる「マリンジャム」。

古き良き漁師町の風情と、この透明度の高い海!

すぐそこで泳いでいる魚を見ながら釣りができる。

さっそく「とくしまクーポン」を使って海洋博物館「マリンジャム」と海中観光船「ブルーマリン号」での45分間の海の旅へ。

透明度の高い海の底にはサンゴ礁がいっぱい!

二日前の雨の影響で、まだ水は濁っていたけれどそれでも十分透き通っていた。

トロピカルな魚たち。同じ徳島でもここは「南国」なんだと実感。

 

竹が島遊歩道

「山があれば登る」Sちゃんの習性につられて、竹ケ島一周の遊歩道へハイキング。

竹島神社横の入り口から入ります。

高知県方面を見たところ

展望休憩所からは広大な太平洋の眺めが一望できます。

ここでコーヒーブレイク。もちろん、Sちゃんがお湯を沸かしてふるまってくれました。

あとはゆっくり下りが続き、降り立った先は竹ケ島キャンプ場。

今はクローズされているけれど、ここでキャンプしたらきれいだろうなぁ~。

 

竹ケ島で少しだけ釣り(の真似事)をしてみたけれど、この日はちょっと流れが速く魚も少ない(と漁師さん)。一匹もかからず、一路北上、帰路に就く。

 

そしてついに!道すがらの海南駅で試運転中のDMVを目撃!

このときは線路で発見。前輪タイヤが浮き上がり、鉄道モードになっているのがわかる。

 

これは、3台あるうちの「すだちの風」号。

楽しみにしていた美波町の”阿波尾鶏バーガー”の店、「ODORI」が、なんたることか午後3時で閉店になっていてがっかり。事前チェックでは5時までだったのに、本当に残念。

仕方ないので、日和佐のちょっとしょぼくれた料理屋さんで遅めの昼食。

「日和佐道の駅」で、残りのクーポンをすべて使ってお土産ショッピング。

地元の名物をたくさん購入。これがみな美味で大当たり!

 

 このシーズン限定、「アユの開き干し」(美波町の濱宮海産)

 牟岐町「IZUGEN」の「タコのオリーブオイル漬け」

 フレンチレストラン「ラトリエあべ」特製、カニクリームコロッケ

2020年にミシュランと並ぶ、創刊1969年のフランスの美食ガイド『ゴ・エ・ミヨ(Gault et Millau)』に掲載され、「素晴らしいレストラン」に値する5段階評価のうち3トック(フランス語でコック帽の意味)の評価を受けた名店。ランチ・ディナーともに1日1~2組の完全予約制。

このコロッケ、とろけるほど美味しい!

 

こちらも有名、「日和佐燻製工房」の「燻製さばのオイル漬け」

パスタにあえたら抜群にうまい!

 

日が沈む前に日和佐でも釣り糸を垂れてみたが、やっぱりボウズ。

そうは簡単に釣らしてもらえないもの。

 

最後はちょっと傷心の、でも3日でこんなに「四国の右下」を堪能できるとは!

行ったことのなかった場所に行けたばかりか、「とくしま割」と「周遊クーポン」を使ったおかげで、持ち出しは少しで抑えられたというお得旅!

コロナのこともあり、密をおさえるために月曜出発にしたことが功を奏して、どこへ行っても貸し切り状態で静かだったのもうれしかった。

さて、お次はどこを攻めようかな。

 


「四国の右下」を旅する記 ~その②

2021-04-02 23:18:40 | がんばろう、日本。

Day2)

 海南エリア

大里古墳

徳島県史跡指定第一号(昭和27年6月25日指定)
大里古墳(大里2号墳)は横穴式石室をもつ巨石墳である。墳丘の土は流失し、天井石が露出している。
推定高4~5m、直径約20mの円墳で、墳丘の周囲に濠をめぐらしていた。
石室は南向きに開口し、全長11.2m、羨道の長さ5.5m、棺を安置する奥の玄室の長さ5.7m、高さは2.3mほどである。石材は、地元で「那佐石(なさいし)」とよぶ砂岩である。
石室の長さは、県内では、四国最大級の横穴式石室をもつ美馬町段の塚穴古墳群の太鼓塚古墳に次ぐ。海部川流域の中心に海部地方一帯を掌握した、首長クラスの人物の墓であったと思われる。

 

大里松原海岸

日本の「白砂青松百選」にも選ばれた海岸で、ウミガメの産卵地としても知られています。

満天の星が広がる絶景スポットとしてもおすすめ、だとか。

秋にはここで伝統の勇壮なだんじり祭りが行われます。

 

阿波海南文化村

町の文化遺産を知ってもらうために作られた施設で、多目的ホールや会議室などがあります。

「海部刀」の展示や、藍染めや木工体験などもできるそうです。

4月16日の徳島県、東京オリンピック聖火リレーの出発点にもなりました。

 

 海部エリア

母川

湧き水のある豊かな流れの母川は、古くから蛍の名所となっています。

「母川ほたる祭り」の期間中には、幻想的なゲンジボタルの光を高瀬舟から遊覧できます。

また、オオウナギの生息地として、国の天然記念物にも指定されています。

 川辺は桜が満開

 

浪切不動尊

母川の上流にひっそりとたたずむ、神秘的なお不動さん。

ふわふわの苔があたり一面に覆いつくし、まるでトトロの森のよう。

その昔、弘法大師が杉の箸を地面に挿したものが大きくなったという云われのある二本杉。

この間をすり抜けられない人は「邪念が宿る」といわれている。

 

 

城満寺

本堂へと続く石の参道が美しい、曹洞宗真光山のお寺。

四国最古の禅寺で戦国時代に焼失し、大槻哲哉前受嘱によって復興を遂げました。曹洞宗。

座禅会なども開かれています。

様々な季節のイベントも行われており、古くから町の人々に愛されているお寺。

 

 手入れの行き届いた石庭

 

寺の裏道の獣道を山頂近くまで登ると、遠く太平洋が見わたせる。

 

竹灯りスタジオ「たけの花」

大阪出身の竹灯りアーティストの健さんと奥さんのフローレンスさんがいとなむ「たけの花」。

いつかまたここで竹灯りづくりをしたいなぁ。

工房を見学させていただきました。

 

 宍喰エリア

透明度が半端ない、水床湾(みとこわん)

室戸阿南海岸国定公園内。紺碧の海に点在する幾多の奇岩や大小の島々は絵のように美しい。

湾近辺の継承の道が、「マリンブルーの海と化石漣痕を訪れる道」として日本ウォーキング協会の「歩きたくなるみち」500選に指定されています。

朝捕れたハマチをおろす漁師さん。白子がどばぁ~~っと。

それっ、ください!!

 

 そして! 

本日のメインイベント!

憧れだった船に浮かぶ海賊料理の店「海賊の家」で夕食。

平日の午後3時半。もちろん誰もいず貸し切り状態。

 

どれもこれもみんな動いとる!イセエビがヒオウギ貝を襲おうとしていた 

 

イセエビを”踊り食い”するSちゃん。「一度やってみたかった」んだとか。

 

ここで食べて飲みたいがために、一番近い宿を選んだともいえる。大正解!

6時ごろ宿に帰ったらもう腹いっぱい。

水床湾に夜釣りにいったけどもちろん1匹もかからず9時すぎに退散。

大部屋飲み大会をして、就寝。

ああ、夢のようにおいしかった~。

(・・つづく)


「四国の右下」を旅する記 ~その①

2021-04-01 17:37:48 | がんばろう、日本。

先月のことになるけれど、「四国の右下」(徳島県南部5市町:阿南市・那賀町・美波町・牟岐町・海陽町)にミニトリップに行ってきた。

コロナで壊滅的なダメージを受けている旅行業界に少しでも貢献したいという気持ちと、「もっと!とくしま応援割」(県内で宿泊した場合に、1人1泊最大5,000円の宿泊助成がでる)や、さらには「とくしま周遊クーポン」(県内の利用対象施設で利用できる最大5,000円分のクーポン)を使ってどこまで楽しめるかを試してみたかったのだ。

 

密を避けるため、もちろん平日を選んで(フリーランス万歳!)、心強いパートナーであるトレイルランナーかつ幼馴染のSちゃんの車で自宅を8時に出発。

3日間の徳島再発見の旅が始まった。

Day1)

午前10時、薬王寺(日和佐)

人っ子ひとりいない・・お遍路さんもいない・・・そして、桜まではあと1週間(まだつぼみ)。

このあとは一気に海陽町まで車を走らせ、鞆浦(とものうら)漁港に到着。

 

いかにも・・というかんじのノスタルジックな田舎の漁港の風景が広がる。

 

しばし海を眺めつつ、愛宕山遊歩道をハイキング。

けっこうな坂道だったが、Sちゃんは何食わぬ顔ですたこらさっさ。

 

展望ポイントに到着。Sちゃんが慣れた手つきでささっとお茶を入れてくれる。

さすがサバイバルレース経験者  ありがたや~。

 

午後1時。今日のランチは、地元のソウルフードで有名なお好み焼き「のなみ」で。

このお店は古くからサーファー御用達なのだそうだ。

 

人気メニューの「かしわ焼き」と「豚チーズ玉お好み焼き」で腹ごしらえ。おいしかった~。

ビール飲みたくなる味~ 

宍喰を通り越し、阿佐海岸鉄道の終点、最南の駅、「甲浦駅」へGO!

ここにはもうすぐ(2021年夏)今話題のDMV(線路と道路の両方を走る車両)が走る予定。なんと世界初 

目下駅舎の改築工事が行われていた。

ここで鉄道から陸(バスモード)に切り替えが行われる。つまり、列車→バスになり、乗り換えずに室戸までアクセスできるわけです。

さて。どうして世界初の列車がこんなに小さな田舎の路線(失礼!)に採用されたのか?というと、ひとつはもちろん補助金をもらっての地域おこし兼地元の交通路線の充実。

さらなる大きな理由は、DMVの鉄道は列車の鉄道とは全く構造やサイズが違うため、DMVを導入したらもう今までの列車は走れないのだそうだ。つまり、列車を捨てる覚悟で導入できるかどうかという選択を迫られるので多くの路線は断念せざるを得なかったのだとか。

この阿佐海岸鉄道~室戸路線なら、その両方の条件がぴったりはまるというわけだ。

早く乗ってみたい!

 

2時過ぎにひょっこり立ち寄った甲浦(かんのうら)漁港(高知)では、朝捕れたばかりのピッチピチのハマチを処理中。

うまそう!うまそう!うまそう~!

 

”サーファーズパラダイス”、生見サーフィンビーチには多くのサーファーが波を待っていた。この日の波は比較的穏やか。

その辺の車はみな、神戸ナンバーばかりなり。

   

そして再び徳島・宍喰(海陽町)へ。

「四国の右下観光局」さんの情報によると、宍喰駅前の菜の花畑が満開らしく。

目下試運転中DMVとのツーショットを狙っていってみた。

写真のスタンバイをしていたら、「今日はDMVは宍喰駅にはもう来ないそうです~」と、駅員さんが追いかけてきて教えてくれた。残念・・・でも、ありがとう、駅員さん

 

 

今回のお宿(2泊)は、お遍路宿「えびす屋」さん。

徳島で最南の宿、ほとんど高知県との県境にある家族経営の、小さいけれどとても清潔でご飯のおいしいお宿だった。

地元の海の幸と畑でとれたお野菜たっぷりの夕食。

朝食もヘルシー 具だくさんのお味噌汁に元気をもらいました。

 

1泊5000円~7500円(食事あり、なしにもよる)なので、「とくしま応援割」を使うとほぼ自己負担なし。

しかも1泊ごとに5000円分の「周遊クーポン」がもらえるので、翌日はそれをいろんな場所でつかえるときたもんだ!

これを使わないで放っておくのはもったいない。

県民のみなさん!ぜひ応援割を使って身近な旅行に(コロナ対策ちゃんとして)出かけましょうぞ。

 

・・・Day2につづく。

 

 


4連休はまったりと。

2020-09-23 00:04:22 | がんばろう、日本。

朝夕すっかり過ごしやすくなって、やっとあの灼熱地獄から逃れられるとホッと一息。

それにしても今年の夏の暑さは耐えられなかった。おまけにコロナで外にでかけるときはマスクはせなあかんわで地獄そのもの。

基本的に家で仕事ができる私はラッキーだけれど、それでも体が悲鳴をあげていた。

 

お彼岸の4Days Holiday、結局必要以上の外出・遠出はせず、基本的にはだらだらと家で過ごした。

近頃世間は「コロナ慣れ」してきたのか、ちょっと気が緩んでいる気がする。我が家には肺疾患のある高齢者(父)もいるし、私たちが罹患したらおしまい。

4連休唯一のビッグイベントが、20日の「阿波人形浄瑠璃フェスティバル」。毎年恒例、この時期に勝浦町で行われているこのフェスティバルに初めて出演させていただいた。

昨年は台風直撃で中止になったそうだが、今年は秋晴れ、快晴。

私は3人の義太夫のトップバッターで『壺坂観音霊験記 沢市内の段』を語らせていただき、人形遣いは地元「勝浦座」の指導を受ける、小松島西高校民芸部勝浦校の学生たち。

こうやって伝統芸能が受け継がれていくのは頼もしくうれしいこと。

私もこの日が初めての『壺坂・・』を全力で語らせていただきました!

たくさんの学びをいただいた、一日。

こんな駆け出しの私を、このような大舞台に立たせてくださった師匠の”男気”にただただ感謝!

さぁ、これからもがんばるぞ!!

 

 


東日本大震災チャリティー『ネイル&カフェ』

2011-11-18 00:09:53 | がんばろう、日本。
自宅でネイルサロンをやっている日本人の主婦友だちが、
震災義援金募集のための『一日ネイル&カフェ』を開いてくれた。
彼女がネイルサービスを、ベイクが得意な人が手作りのパンやケーキなどを販売するという趣向。

これまでの人生で一度も「ネイルサービス」というものを受けたことがなかった私は、この日は記念すべき“人生初ネイル日”にしようと決めていた。
前の日からちょっとウッキウキ。

驚くことに、ネイリストのお友達自身はネイルなどやったこともなかったそうだが、6年ほど前に「英語の勉強になるかな」という軽い気持ちでネイル学校に通い始め、5か月ほど通ってネイリストの資格を取ったという。
その実行力に脱帽。
その資格をいかして自宅の一室で始めたネイルサロンが人気を呼んで、今では多くのお客さんが彼女のサロンで爪のお手入れとおしゃべりを楽しんでいるらしい。


というわけで、人生初ネイル
初回ということでプレーンな一色塗りだったけど、自分がやるのとさすが色艶がまったく違う!
(注)今日は特別にキッチンでのサービスだったけれど、本当のサロンは別室にあります。




その他のお友達が持ち寄ってくれた手作りのパンやケーキも大好評(だった・・・・らしい。実は12時半に行ったらすでに大人気のためほとんど売り切れ状態だった。しょぼ~ん) 


リビングでは久しぶりに会うお友達同士で話が弾んでいる様子。
広々として気持ちがいい空間!


★ ★

本日の売り上げはなんと、673ドル!
収益は全て、陸前高田市の「災害復興寄付金及び義援金の受付窓口」へ寄付されることに。
自分たちができるこを楽しんでやって、しかもこんなにお金が集まりそれが震災の義援金に送られるということは本当にうれしい。
これからも自分たちのためにも日本の復興のためにもこんなイベントにどんどん企画・参加していければいいな。