Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

アスペルガー症候群に学ぶ

2010-09-28 11:20:59 | movie
最近たて続けに見た2本の映画(DVD)が、とてもよかったので記録しておこうと思う。

『Temple Grandin』 『My Name Is Khan』

二つの映画にたまたま共通していたことは、主人公が“アスペルガー症候群”であることだ。


アスペルガー症候群(アスペルガーしょうこうぐん、Asperger syndrome: AS)は、社会性・興味・コミュニケーションについて特異性が認められる広汎性発達障害である。各種の診断基準には明記されていないが、全IQが知的障害域でないことが多く「知的障害がない自閉症」として扱われることも多い。なお、世界保健機関・アメリカ合衆国・日本国などにおける公的な文書では、自閉症とは区別して取り扱われる。精神医学において頻用されるアメリカ精神医学会の診断基準 (DSM-IV-TR) ではアスペルガー障害と呼ぶ。
対人関係の障害や、他者の気持ちの推測力など、心の理論の障害が原因の1つであるという説もある。特定の分野への強いこだわりを示したり、運動機能の軽度な障害も見られたりする。しかし、カナータイプ(伝統的な自閉症とされているもの)に見られるような知的障害および言語障害は、比較的少ない。(:Wkipediaより)

~*~*~*~*~*~*

まずひとつめの『Temple Grandin』。
アメリカの動物学者で現在コロラド州立大学准教授でもある、テンプル・グランディン女史の伝記映画だ。
1947年ボストン生まれのテンプルは、2歳の時に脳に障害があると診断される。
まだ“自閉症”が社会に認知される前だった頃。4歳まで言葉を発することができない娘に高学歴の母は呆然とし、「この先も言葉をしゃべることは無理でしょう」という医師の言葉を信じようとせず、彼女に必死で言葉を詰め込もうと特訓するのだった。
その後しばらくして、テンプルは自閉症と診断され、さらにアスペルガー症候群と診断される。
ある夏、おば夫婦の経営する農場にホームステイすることになったテンプルは、そこで動物たちの行動パターンに強い興味を抱くと同時に、今まで眠っていた高度な計算能力を発揮していく。
母親の強いサポートでハイスクールに入学するも、まわりと上手くなじめないテンプル。クラスメートたちにからかわれて数々の問題を起こす彼女の対応に、教師たちも辟易としていた。
しかし、ある人物が彼女の運命を変えることになる。
科学を担当するカーロック先生は彼女のサイエンスに対する強い興味と抜きん出た能力を見抜き、テンプルにある難題を与えるが、彼女もまたそれに見事にこたえていく。
自信を取り戻し、次第に自ら“閉ざされた扉”を開こうとしていくテンプルに、周囲も深い敬意を抱き始める・・・。



日本で「自閉症」ということばはとかく「ひきこもり」と混同されて理解されがちだが、
オーチズム(autism)はまるっきり反対であることを認識しなければならない。
実際にオーチズムの子を持つ母親に話を聞いたことがあるが、自閉症ならぬ「自開症」とでも表現すべき恐ろしいパワーなのだそうだ。
自分の興味関心のあるテーマに入り込んでいるときの集中力がケタ外れである一方、他者の気持ちを推しはかることができないため対人関係をうまく結べない。

映画の中にこれを代弁するシーンがあった。
テンプルのおばが、テンプルのいろいろな表情を写真にとって「これはどんな感情の顔?」と聞いていくが、彼女はよく答えられない。
相手の表情から感情を読みとれないテンプルへの、これは訓練だった。

テンプルはその後、1970年にフランクリン・ピアース・カレッジで心理学学士、1975年にアリゾナ州立大学で動物学修士、1989年にイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校にて動物学博士を取得する。
さらに世界的にも有名な「家畜の人道的追い込み・処理方法」を発明した(アメリカの多くの施設はこれを採用している)ほか、現在も自閉症啓蒙活動と、家畜の権利保護について世界的な影響力のある学者として活躍している。

4歳まで言葉が出ず、医者も見離した彼女の社会的成功の理由は、決して見捨てない、あきらめないという母親の執念のサポートと、カーロック先生という素晴らしい指導者にめぐり合ったことにつきる。
また何より、彼女自身が勇気を持って目の前の殻をひとつずつ打ち破っていったことにある。
いったいどれほどの勇気がいっただろう。


この映画は劇場上映されていないので日本でも公開されていないが、
機会があれば是非DVDを手に入れてみてもらいたい。
『ロミオとジュリエット』のClaire Danes の熱演に、個人的にはオスカー主演女優賞をあげたいくらい。

★ここから予告編が見られます。
http://www.hbo.com/movies/temple-grandin/index.html


★ ★ ★ ★

『My Name Is Khan』は、一言で言うと「踊らないボリウッド映画。ボリウッド版“フォレスト・ガンプ”、Anti-Hate Crime映画」
インド・ムンバイの敬虔なイスラム教信者の一家に生まれたKhan(カーン)は、生まれつきアスペルガー症候群と診断される。
成人してアメリカに渡ったカーンは、美容師として働くシングルマザーのマンディラと知り合い、純粋な愛が実って結婚、彼女の息子サムと3人で穏やかな新婚生活をはじめた。
マンディラはヒンズー教徒だったためカーンの家族は反対するが、ふたりにとって宗教の違いなどどうでもよかった。、
しかし、その生活も「9・11テロ」によって一変する。
“カーン”というモスラム特有の苗字に変えたことにより、サムは学校で激しいいじめに合い命を失ってしまう。
その日以来、自責の念にかられて心を閉ざしてしまうマンディラ。
「あなたがモスラムだからサムはこんなことになってしまった。あなたと結婚しなければよかった」
マンディラは取り乱すが、カーンはどうして自分が責められているのか、どうやったら彼女の心を取り戻せることができるのか全く理解できない。
彼女はカーンにこう言い放つ。
「大統領に会って“私の名前はカーンですがテロリストではありません”って言ってくるまで私の前に現れないで!」
その言葉を純粋に受け止めたカーンはひとり、大統領に会う旅に出かける・・・・。



9・11でヘイトクライムの被害者になった人は多い。
褐色の肌をしているだけで、テロリスト扱いされたり、イスラム=テロリストというレッテルを押し付けられたあげく命まで狙われた。
自らの身を守るため、イスラム女性はベールを解き、男性は誇りであった髭をそり落とすほかなかった。
自分のアイデンティティーを隠さねばならない屈辱にじっと堪え忍ぶ日々。
しかし皮肉なことに、モスラムであることとテロ事件を関連付けることのできないカーンだけは、どこにいっても昔と何も変わらぬカーンのままだった。
そのこと(いわゆる丸腰で旅に出た)が、この映画のテーマをより引き立たせている。

彼にとって一番大切だったのは、マンディラの心を取り戻すこと。
彼女にもう一度会いたいという純粋な気持ちだけで大統領に会いに行く、その滑稽ともいえる無謀さが愛おしさに変わっていき、いつしか必死で彼を応援する自分に気づく。

少々雑な進行ではあるが、9・11によってアメリカがどのように動いたかがモスラム側から見ることができる
貴重な映画だと思う。
主演のふたりはボリウッドのスター。
歌って踊らなかったのは、共演して初めてだという。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芸術の秋。。。

2010-09-27 11:18:52 | アメリカ生活雑感
つい先週までは気温華氏90度(32℃)を超えていたというのに、
ここ数日は14~5℃という過ごしやすさ。
半そでじゃとても寒くて過ごせなくなってきた。
あっという間に秋深し、だ。

秋といえば、勉強&芸術。
先週からまたスペイン語会話クラスが始まり、3ヶ月ぶりに懐かしい人たちと再会。
この間、忘れないように車の中でずっとテープを聞いたり、Pちゃんとテキストを読みあったりしていたかいがあって
比較的すんなりと入っていけたかんじ。よしよし、この調子!


週末は、隣町のWest Chicagoのギャラリーが主催する「水彩教室」というのに行って来た。
地元のアーティストがギャラリーの一角を借りて教えるビギナークラスなのだが、
久しぶりに絵筆を握りたくなって参加することにしたのだった。
私の水彩はすべて独学の自己流。
学校の図画で習ったのが最後だけれど、絵を描くのは昔から大好きだったので好きなオブジェクト(ほとんどが人物)を見つけてはよく描いていた。
でも、ここしばらくはまったく機会も気力もなく、道具すら持ち合わせていなかった。

★ ★

参加費10ドル。
どんなものかなと試しに12時から2時までのクラスに参加してみた。
参加者は5人。うち2人が子供。2人がシニア。そして私。
先生は40代半ばごろの超太ったアメリカ人の女性。
まずは筆の種類の説明、筆遣いの注意&練習から始まって、絵の具の濃淡を使って花を描く練習をしたり、
実際のオブジェクト(花瓶に生けられた花)を見てラフスケッチをして色を入れていく練習とすすんでいった。

内容はちょっとお子様向けだったけれど、こういうローカルクラスのいいところは
この場を利用して先生にいろいろ質問ができるところだ。
実際何も道具を持っていなかった私は、買い揃えるなら必要限どんなものを買い揃えるべきか、
紙の種類はどんなものがいいか、このあたりだとどこで安く買えるか・・・などなどを質問攻めにし、結構満足して帰ってきた。
で、翌日、近所の巨大画材ショップにさっそく買い揃えに行った。
買ってみるとますます意欲が沸いてきた。
今回の10ドルの参加料は、ひとまず自分の奥底にある意欲に火をつけるための“着火料”というところ。
久々にまた、いっぱい絵を描いてみようっと。

ああ、忙しい忙しい。






Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ICHIROよ!

2010-09-24 17:25:39 | アメリカ生活雑感
やっぱりこの男は並大抵じゃない。
イチローが10年連続200本安打の大記録を達成した。
ちなみに日本で200本安打を達成したのはたったの4人。
イチロー (オリックス・1994年)、 青木 (ヤクルト・2005)、ラミレス (ヤクルト・2007年)、そして先日達成した マートン (阪神・2010)。
大リーグは日本のプロ野球に比べて年間試合数が多いが、対戦相手も数倍多い。
つまり、時差のある広いアメリカを常に移動しながらそのハードスケジュールを毎日こなしていく体力と、怪我をしない自己管理能力が必要だということだ。
2001年に27歳でメジャーにわたったイチロー。
(ちなみに、彼に刺激されて同じ年に私もアメリカで最初の生活を始めたので、なんとも感慨深いものがある。)
はじめは「あの体でメジャーでヒットが打てるのか」とバカにされたという。
しかし彼は、闘志を胸に秘め“今に見ていろ”根性で黙々とヒットを打ち続けた。
そしてこの10年間、200本安打を一度も途切れることなく達成し続けた(記録保持者だったピート・ローズは連続達成ではなく通算して10年間)ことを考えると、その精神力はもう誰にもまねできないレベルにあることがわかる。



日本ではもちろんトップニュースだが、ちなみにこっちの新聞を見てみると・・・


やっぱり一番重要なのはフットボール。
で、イチローは最終ページの最後のところにちょこっと。(9月24日 シカゴ・トリビューン紙)



一応、写真がのっていただけましか。
で、記事の最後のほうにイチローのインタビューが一言だけのっていたのだけれど、
その内容というのがなんというか、微妙~なニュアンスをかもしだしていた。
ピート・ローズとの交流を聞かれたイチロー。通訳を介していはく
「彼のプレーするところを目の前で見たこともないし、直接会ったことすらないんでね」
そのあと英語でぼそっとこうつぶやいた。
「I don't care.」

この“I don't care”、言い方にもよるけれど「特に気にしないね」というような軽い感じから
「俺の知ったこちゃねぇ」みたいな非常にゴーマンな感じにもとれる。
アメリカ人にとって神サマみたいな存在であるピート・ローズに対しての発言としては、ちぃと誤解を招いて(特に活字)キケンかも。
イチローの性格や今までの発言を知っていればなんということもないけれど。
このとき、イチローが心の中でどんな日本語をつぶやいていたのか、非常に興味がある。
そういえば昔、落合がよく“俺様発言”を連発していた。
思えばこういう発言ができるのは、自分を極限まで追い込める人、落とし前がつけられる人、有言実行できる人にのみ許された特権なのだ。

イチローよ。このまま少しでも長くメジャーでがんばってくれ!
サムライ魂をアメリカ人に見せ付けてやれ。
中国なんぞに簡単に屈してしまう弱腰日本政府に喝を入れてくれ!!(←まじではらわた煮えくり返りそうだ)
Comments (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我が家のおばけひまわり、ついに・・。

2010-09-19 21:16:47 | アメリカ生活雑感
先週、近所でもちょっとした話題になっていたうちの超巨大ひまわりをついに切り倒した。(ホッ)
せっかくなので、今年は数日間天日で乾かして種を収穫してみた。
ひまわりは合計4本。
裏庭のやつはいつのまにかリスにがっつり食われてしまったが、
残った3本からとれた種もまた、半端じゃない量。

そこで、今まで褒めてくれたご近所さんに恩返し(?)することにした。



アメリカ人はひまわりの種を食うらしい。
Pちゃんも「どうして食べないの?」といって袋を開けて食べ始めた(←まずくてやめた)が、
私にはどうしても、鳥のエサとしか思えないんだけど。

結果・・・・
半日たって、半分以上があっという間になくなっていた。
同じ通りのご近所さんは「あんまり立派なひまわりなんで、来年は絶対植えてみようと種を狙ってたんだ」と大喜び。
ご近所さんみんながこれを玄関先に植えたら面白いかも。
いつかここの住所が「Sunflower Lane(ひまわり通り)」に変わったりして。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トマトづくしの夏だった。

2010-09-18 12:33:53 | アメリカ生活雑感
苗を植えてもいないのに、今年もミニガーデンにたわわのトマトがなった。
あんなに厳しい冬にもめげずずっと土の中で眠っていたのか、お隣から飛んできたのか、はたまた鳥が運んできたのか。
とにかく大豊作。
太陽と雨の恵みをたんまり受けて、毎日毎日収穫しないと追いつかないほどのミニトマト。
でもさすがに毎日じゃ飽きてしまう。

そんなときにふといい情報が目に飛び込んできた。
「醗酵トマト」。
洗って水分をとったトマトを消毒した容器(びん)にいれてかるくつぶし、しっかりふたを閉めて冷蔵庫で10日保存する。
その後常温に戻して数日たつと、うま味いっぱいの調味料ができるというのだ。
しかも常温に戻してから1~2日目がイチゴいちごのような甘み、3日目がかつおだしの味、5日目がケチャップ、10日目がお酢のような感じに変わっていくのでその変化を楽しめるとか。

トマトシチューやパスタをよく食べる我が家としては、生トマトをとっておくよりもこうやって保存する方法が最適。
というわけで、一気に収穫したトマトをビンにぎゅーぎゅー詰めにして冷蔵庫で寝かせた。
山盛りあったトマトもつぶして詰め込むときれいになくなってすっきり。



冷蔵庫から出して数日後、さっそくパスタソースにしてみたらこれが絶品!
気をよくして今度はラムシチューにどっさり一瓶入れて煮込んだら、これまた舌がとろけそう。

今年の収穫は終了したけれど、この醗酵トマト、当分クセになるかもしれない。
買ってきてまた作りだめしておこうっと!
Comments (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アンのお願い

2010-09-16 21:13:21 | アメリカ生活雑感
Berkeley時代の恩師、アンから久々にこんな内容のメールがきた。

「私にはアルツハイマー症で長くケアセンターに入っている叔母がいる。
長引く入所で、彼女はついにケアセンターへ払うお金が底をつき、自分たちの援助もいよいよ厳しくなってきた。
そこで、その資金を補うべく叔母たちの所持品を売ろうと思っている。
その所持品というのは、叔母の母(アンの祖母)が1907年に日本から大切に持ってきた絹の着物数点。
虫もつかず保存状態は完璧。とても貴重なものだが、これを高く買ってくれる日本の会社(団体)はないだろうか?」


アンは、もうひとりの叔母(彼女もアルツハイマーだった)も最近亡くしたばかり。
いろいろと大変な日々を送っているようだ。
何とか力になってあげれば・・・。

いろいろ調べてみたけれど、アメリカではなかなかそういう商売をしているところが見つからなかったそうだ。
日本では着物のリフォームが流行っていたり、アンティックブームなどもあると聞くし、
もしなにかいい情報をお持ちの方は是非是非、ご一報を。
どうぞよろしくお願いいたします
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

犬も歩けばへんなクリスチャンに当たる

2010-09-14 11:18:13 | アメリカ生活雑感
9・11テロから今年で丸9年。
私が会社を辞めてアメリカで一人暮らしを始めたのが、あの事件の起こる3週間前だった。
皮肉なことに「9・11から○年」と聞くたびに、私のアメリカ生活も○年(マイナス日本に帰っていた2年間)になるのか、と思い起こす。
あの頃は、アメリカにおいて宗教がどんなに恐ろしい力を持っているのか知る由もなかったが、
今ではそれを実感する出来事が日々起こっている。

グラウンドゼロから数ブロックという場所にイスラム教のモスクが建設される計画をめぐって、今、アメリカの世論は大きく揺れている。
「この国はさまざまな人種と彼らの宗教を容認することから出発している」と、モスク建設寛容な立場をとる政府(オバマ大統領)をはじめとする容認派と、「何もここに建てる必要はない」とする反対派の間で大論争が繰り広げられている。
テロ以来、キリスト教(アメリカ人) VS イスラム教の戦いはますます過敏かつ過激になっているように思う。
極端な人々が極端な行動に出て、それが平穏無事に暮らしている人々の生活をおびやかす。
そもそもアメリカは、もはや“建国の理念”を保てないところにきているんじゃないか、と私は常々思っている。
多くのものをいっぺんに受け入れすぎたために、内側からじわじわと崩壊していっているような気がするのだ。

★ ★

そんなことを考えていたつい最近、面白い経験をした。
GOROと近所をお散歩していたときの話。
ご近所に住むあるアメリカ人のご婦人とふと道端で犬談義が始まった。
彼女も去年の同じ時期に仔犬(マルチーズ)を買っていたので、時々顔を合わせることはあったがちゃんとお話するのはこれがはじめてだった。

彼女は昔ミッショナリーとしてハワイ島のコナに15年ほど住んでいたことがあるらしく、
私たちがコナで結婚式を挙げたと聞くと急に大興奮して、あれやこれやと私たちのことを聞き始めた。
馴れ初めがどうとか、国籍がどうのこうの・・・。
「私にもドイツ人の友人がいるの。彼の奥さんは韓国人なのよ。今度うちにきてちょうだい。是非紹介するわ。一緒にBBQでもしましょうよ!」
なんだか彼女はのりのりだ。

そしてふと、あるタイミングで彼女はいきなりこう聞いてきた。
「Do you believe in God?(あなたは神様を信じる?)」
おお、きたきた。
こういうときは私はきっぱりと答えるように決めている。
「No, I don't.(いいえ。)」

アメリカでこう聞かれた場合、「神」とは100%「イエス・キリスト」という意味だし、クリスチャンでもない私の答えはノーに決まっている。
ここをいいかげんに答えると、あとあと面倒くさいことになる。

「Why?」
「なぜって・・(笑)私はクリスチャンじゃないから。それにそういう風にも育っていないしね。厳密に言うと、私にとっての神はアブラハムの神じゃなくて、多分もっとスピリチュアルなもの、内にあるものやから」
「どういうことかしら?」
「日本には古来から108の神様がいるという信仰があってね」
「まぁ~!神道ね」
「そうそう。日本人の私はそれをベースにしていているうえに、仏教の教えも取り入れたりしているわけ。でもこれらはいわゆる“宗教”とはちがうでしょ?だから私には宗教はないってことやねん」
「あなたのご主人は?」
「Atheist(無神論者)よ(爆)」
「夫婦そろってAtheistなのね!」
何かとんでもない人種を見たという彼女の顔を今でも思い出す。

この瞬間、「ああ、この人はもう私を友達のリストから消したな」と思ったのだった。

でも彼女はまだ「神道」という言葉を知っている。つまり、他の宗教や考えのことも多少は勉強しているという意味では、いわゆる生まれたときからキリスト教しか知らず、他の宗教に排他的な態度をとるnon-intelligentなよくいるアメリカ人(おとなりのPeggy夫婦がその典型)ではないということは確かだろう。

そのあとも会話はまぁ平和に続いた。
「ところであなたおいくつなの?」
アメリカで直接トシを聞かれたのはひさしぶりだ。私はトシを隠したことは一切ない。
ですよ」
「お子さんは?」
「いませんけど」
「欲しくはないの?」(なんか、いや~な展開になってきたぞ
「いやまぁ、機会がございましたら
「今、ここで祈ってあげてもいいかしら?」
へっ?
「私の神様に、お祈りしてあげるわ」
「“私の”って、個人に神様がいるんですか?」←なんとあほな質問・・
「や~ね~。“イエス”のことよ。あなたイエス・キリストは知ってるわよね?」
「あ、そっか」
「(真剣な顔で)だから、今ここでお祈りしてあげるけど、いいかしら?」
「何分くらいかかります?(←帰りたい)」
「1~2分よ」
「ほんじゃ、どうぞ」(別に拒絶する理由はないしやりたいなら勝手にやらせてあげとこ)
そして、彼女は私のおなかに手を当ててむにゃむにゃとつぶやき始めた。

「おお~私の偉大なイエスさまよ。このSHOKOとPEDROの間にどうぞどうぞお子をお授けください。
PEDROのとSHOKOのが無事に出会い、あれやこれやうんたらかんたら・・・・」
真剣な顔であまりにもアホなことをぶつぶつ言うので、横で笑いをこらえてひくひくしている私。
それよりもご近所さんに見られまいかとはらはらし通し。

「終わったわよ」
「ほんで、これからどうなるの?」
「9ヵ月後にあなたはママよ」
「ワッハッハ~!バンザ~イ、バンザ~イ!」(←やけくその万歳三唱)
あんた、これでできたら私はサンタマリアやわ(爆)


もちろんこの話は、夕食の格好のネタになったのはいうまでもない。


(※今日の反論)
でもPちゃんを正真正銘のAtheistと呼ぶなら、私はそれとは違う。
私は宗教に賛成でも反対でもなく「無関心」なだけで、Pちゃんのように「諸悪の根源」とは思っていないからだ。
日本のように極端に走るクリスチャンがいない場所で育った私と、極端なものを見て辟易としてきたPちゃんとは、
そもそも宗教に関する考え方がちがうのも当然といえば当然かもしれない。
Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

32th Chicago JazzFestival (9/2~5)

2010-09-08 23:13:43 | music/festival
9月の声が聞こえ始めた頃から、シカゴあたりはめっきり涼しくなってきた。
5月から始まった幾多の野外フェスティバルシーズンも、そろそろ終わりに近づいているのかとさびしくなるのもこの頃。
その野外フェスティバルの中でも最大規模、最古の歴史を誇る“シカゴ・ジャズ・フェスティバル”が夏の終わりを知らせにきてくれた。

今年は期間が延長されての4日間。
場所もグラント・パーク内だけではなく、近辺のカフェや建物内などに広げられるなど、32年目にして近年にはない新しい試みが見られたようだ。
といえば聞こえはいいが、実は市の財政難のせいでメインステージを2日間しか抑えられなかったからというから、やっぱり世知辛い世の中だ。


私たちは最終日の9月5日、日曜日の夕方から車を飛ばしてシカゴへ。フェスティバルの最終ステージを見届けに出かけた。
お目当ては、5時からのBrad Mehldau(ブラッド・メルドー)Trioと、オオトリのKurt Elling(カート・エリング)Quintet with special guest Ernie Watts(アーニー・ワッツ)。







今日はPちゃんの職場仲間とも現地で合流。み~んなイタリア~ン。


ノーマークだったけれど、“Ted Shirota's Rebel Soul”は
JazzにPopsやFunk、レゲエなどを取り入れた、とてもモダンな音でカッコよかった。





フェスティバルのオオトリをつとめたのは、地元シカゴ出身の男性ヴォーカリスト、Kurt Elling。
このQualtetのギタリストは、去年のJazzキャンプの講師のひとりだったあの、“こんにゃく奏法”JOHN MCLEAN(ジョン・マクリーン)。
スペシャルゲストのErnie Wattsはストーンズのツアーにも参加するなど、Jazz以外でも活躍する重鎮サクソフォニスト。
この人の演奏を聞けただけでも行ったかいがあった!感動!!
うなるような歌うようなその音が、Kurtのヴォーカルにからみつく。え~ぞ~!!


Kurtは、あのヴォン・フリーマンのジャムセッションで腕を磨き、ヴォンに見出され世に送り出されたシンガーとしても有名だ。
数度のグラミーノミネートを経て、2009年リリースの最新アルバム“Dedicated to You”で、今年ついに第52回グラミー賞の最優秀 ジャズボーカルアルバム賞を受賞。
シカゴ・ジャズフェスに堂々の凱旋となった。

 
通常はアンコールなしのJazz Festメインステージで、観客の鳴り止まぬアンコールにこたえて
ピアニストLaurence Hobgoodとふたりだけでステージに現れた彼は、少し涙ぐんでいるように見えた。
地元の熱狂的な声援を受けて、情感たっぷりに“In The Wee Small Hours of The Morning”を熱唱。
すでに肌寒いシカゴの夜の空気の中、しずかにそしてどっしりと響きわたった。
もともと彼のスキャットだらけの歌はあんまり好みではなかったけれど、これはしみじみよかった。


これでひとつ、夏が終わっていった。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏休み明けのランチ会。

2010-09-07 13:08:03 | アメリカ生活雑感
約3ヶ月ぶりに、ご近所の日本人妻仲間でランチをした。
この3ヶ月というのは、いわゆるアメリカの学校の夏休み期間。(長すぎ!!)

子どもたちが夏休みにはいってしまうと、小さい子供だけを家に残してでかけることは不可能になってしまう(アメリカではこんなことでも“虐待”になってしまう)のだ。
それに、長い休みを利用して日本に一時帰国したり、学校のサマーキャンプが始まって送り迎えをしたりと、それはそれでまた学校とは別の忙しさが待っている。
夏休みは親にとって長~い束縛の時間でもあるのだ。

久々に会ったらみんな、「あ~やっと夏休みが終わったてくれたわ~」と解放感に満ち溢れていた。
日本に帰った人たちからは、今年いかに日本が暑かったかとか、それでも久々に“汗が噴き出してくる”感触を楽しんだとか、宮崎牛の問題でどんなに地元が大変だったか(宮崎出身のMさん)という話が続々。


また、つい最近、近所の団地内で大量にマリファナを栽培していたディーラーが見つかり逮捕されたという話も。
ふつうの民家の中で栽培していたため、近所の誰も長い間気づかなかったらしい。
そんな話から、アメリカで子育てしているといずれは向き合わなければならない“ドラッグ問題”にも話が及ぶ。
マリファナの類は比較的簡単に手に入ってしまうアメリカで、子どもたちをドラッグからどうやって守ったらいいのか・・などなどちょっとシリアスな内容に。
マリファナが合法化されているオランダで長年暮らした経験のあるYさんによると、「オランダではコーヒーショップに行けば普通に売られてますよ」とのこと。
お国違えばカルチャーもこんなに違うものなのね、とびっくり。


普段頻繁には会うことのない友達との久々の日本語での会話は、頭が安らぐ。
日本ではよく「主婦が集まればダンナと子供の話しかしない」というけれど、こっちではむしろダンナや子どもの話はそっちのけで“暮らし全般”の話で盛り上がるのも楽しい。
近くに住んでいるとはいえ、町が違えば文化や近所に住んでいる人たちの人種や学校の教育方針も違う。
私とは全く違った毎日を送っている人たちの話を聞けるこういう機会は、私にとってとても大切な時間。
それに、毎回しやれたレストランを知ることができるので、滅多に外食にいかない(ハズレが怖い)私にはうれしい。

次はいつかな~?
F妻さん、いつも企画ありがとう。
Comments (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Feliz Cumpleaños!

2010-09-06 14:53:59 | アメリカ生活雑感
9月1日はPちゃんの誕生日。
Pちゃんは誰にも知られずにひっそりと何事もなく過ごしたかったようだけれど、
なぜかあちこちからお祝いメッセージがきて困惑するやらうれしいやら。


ちょっと前に、スペインでホリデーを過ごしているPちゃんママからこんなプレゼントが届いた。



なんと「イベリコハム(豚)」
これが、普通の郵便封筒に入って普通に送られてきたもんだからビックリ。
ママいわく、「友達からこうやって送ると簡単よ、と教えてもらったからこれは実験」だそうだ。
さすが、やることが大胆なママ。

そんなわけで、誕生日はこの高級品を開けて、バゲット(パン)とワインと共にじっくりいただいた。


Muchas Gracias!! es tan sabroso.
お祝い、ありがとう。

 

アメリカのケーキと違って甘さ控えめでおいしかったティラミス・ケーキ。(by H-Mart)


Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする