Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

グラミー月間

2012-12-28 10:14:31 | アメリカ生活雑感
2012年も最後になって、12月にはうれしいニュースが続々と入ってきた。

最初は、この夏一緒に青森の「Japan Blues Festival」に行ったブルースマンのビル・シムズJr.(Bill Sims Jr.)のアルバム『And StillI Rise』が、今年のグラミー賞、ベストブルースアルバム賞にノミネートされたこと。
このアルバムは、彼がお嬢さんのChaneyらと結成しているグループ、“Heritage Blues Orchestra”が今年発表したもの。
彼自身が影響を受けてきたゴスペル、ブルース、Jazz、R&Bの要素と、古き良きブルースの原点がぎっしりと詰まった、素晴らしいアルバムだ。
また、このアルバムには同じくシカゴから青森に行ったマシュー・スコラー(Matthew Skoller)もハーモニカで参加しており、ダブルでめでたいニュースとなった。
ちなみに、マシューのお兄さん、Larry Skollerがこのアルバムのプロデュースを手掛けている。




で、しばらくして今度はそのマシューも「ブルース・ファウンデーション」が選ぶ今年のベスト・ソングに(作曲者として)ノミネートされたというニュースが飛び込んできた。
どちらかというとPops寄りのグラミーとちがって、こちらはブルースに特化した賞、いわばブルースマンにとってはより栄誉な賞ともいえる。
そこでベストソングに選ばれるというのは、彼の作曲者としての実力を証明したことになる。
そしてこの曲『The Devil Ain't Got No Music』を歌うのは、あのルリー・ベル(Lurrie Bell)。
彼も、この夏おなじ時間を過ごした一人。
青森はやっぱり“ブルースの聖地”なのか?

私はただ彼らをシカゴから青森にお連れしただけのツアーコンダクターに過ぎないけれど、
彼らと一緒に過ごした青森での濃い4日間は、その後の私の人生に強いインパクトを与えてくれることになったのは言うまでもない。
大げさなようだが、本当にそうなのだ。
音楽と向き合う彼らの真摯な姿勢を間近に見て、私の中で音楽と対峙していく覚悟が産まれた瞬間だった。
そういう意味でも彼らは私の救世主のようなもの。
この出会いがあっただけで私の2012年は意義深かったと断言できる。



マシュー(左)とビル
ライブ前のひととき、青森のお寿司屋さんで最高においしいお寿司とお酒を共にした。
「おいしいお酒飲んだからふたりともノミネートされたんじゃない?とすると、私はエンジェル?」とジョークでお祝いメールを送ると、
「そのとおり。また行かなくちゃ」「君はエンジェルだよ」とふたりから次々と返事が返ってきた。
さぁ、来年一緒に行くのは誰だ???


 ビル・シムズ・ジュニア

いつも素敵なボルサリーノを被ってスタイリッシュな紳士。
かと思えば、必ずあちこちに忘れ物をしてくる、おっちょこちょいでおちゃめな人。
私がJazzを歌っていると知ると、いろいろと熱心に教えてくれた。
忘れられないのは、明日シカゴに帰るという前夜、ライブの打ち上げが終了したあと部屋に忘れ物を届けに行ったら、まぁまぁこれを聞いていけといってコルトレーンやジョニー・ハートマンのCDを聴かせてくれたことだ。
そればかりか、3日間のライブで自分が疲れているはずなのに、そんなことはおかまいなしで外が白々と明けるまで熱心にフェイク(即興)の指導をしてくれた。
そのときにいただいたのが、件のグラミーノミネートアルバム『And Still I Rise』。
ブルースにゴスペル色を盛り込んだ、ブラックミュージックのルーツともいえる奥深い作品だ。
一生大切な宝物。


 マシュー・スコラー

彼のハーモニカには、他のハーピストとはちがう魂が宿っている気がする。
「黒人ではないブルースマン」であることへの違和感を感じることがあるか?という不躾な質問を以前彼にしたことがあったが、
彼はその質問の意図をきちんと受け止めてくれて、「他人がどう考えようが自分のことを見ようが気にしないことにしたのさ」と答えてくれた。
「自分はあくまでブルース・アーティスト。ルリーのようなブルース・マンじゃない」という言葉を象徴したのが、今回の作曲家としてのノミネートだった。
近年ではプロデューサーとしての活躍もめざましい。ブルースマンであり、できるビジネスマンでもある。
彼は“ブルース”という伝統的かつアナーキーな世界を正しく継承していくための自分の役割をきちんとわきまえている人だと感じた。
彼のような人が存在するからこそ、ブルースはすたれずに後世に伝えられていくのだと思う。


★ ★


グラミーといえば。

今月はこんな人たちのライブを見に行った。

 

Irma Thomas(アーマ・トーマス)
ニューオリンズの誇る、ソウル&ブルース歌手。
その昔、ニューオリンズに毎年遊びに行っていた頃、一度だけ彼女の経営する「ライオンズ・デン」というライブハウスに意を決して行ってみたことがある。
小さい小屋といった感じの粗末なライブハウスだったが、彼女が出てきたらなんだか空気が一変したことを覚えている。
この店はハリケーン「カトリーナ」で全壊し、今はもうないが、そのおかげと言ってはなんだが、彼女はこうやっていろんな都市でその存在感を改めて示すことになった。

この夜のステージのセットリストはほとんどなし。
お客さんのリクエストのみに彼女が応えて歌っていく、質の高い1時間半だった。
シカゴやメンフィスあたりの、力任せに歌うブルースシンガーと違って、彼女は丁寧に言葉を紡いでいく。そしてその声は限りなく力強い。

"I sing to the people, for the people, not above the people." (聴いてくれる人に向かって、その人たちのために歌うの。決して聴かせようとするんじゃないわ。)
この夜一番印象的な言葉だった。

"I try to sell the story of the song, more than trying to prove to everybody that I can hit a high note above C." "When you think of songs you enjoy, there is a story or a couple lines that you relate to for whatever reason. So I wouldn't want to take away from the story being told," Thomas said (Chicago Tribune Interview.)

彼女は2012年、ブルース・ファウンデーションの選ぶ「Soul Blues Female Artist」にノミネートされている。


★ 

12月23日

取材でシカゴにでかけたついでに、久々にJAZZクラブの老舗「Green Mill」へ行ってみた。
お目当てはこの方。


Kurt Elling  ベースはClark Sommers

ご存知、シカゴが生んだ今一番人気の男性ジャズシンガーだ。
数年前のJazz Festivalで彼のパフォーマンスは見ていたが、今度はどうしてもライブハウスで見てみたかった。
8時からのステージに間に合うように7時半過ぎに行くと、はるかステージのほうは人の頭しか見えない状態。
やっぱりこの人の人気はただものじゃなかった。
ちょうど私と同じタイミングで店に入った男性がどうやら前方に席を確保していたらしく、人ごみをどんどん押しのけて前へ進んでいったので、彼の連れのようなふりをして後をついていき運よくステージの前へたどりつくことができた。
偶然にも彼の大ファンだというシンガー仲間のリンダにもばったり遭遇。

彼のステージは一言で言うと、“贅沢な大人のためのショウ”。
ジョークで場内を沸かせ、お客さんの声にステージから反応して笑わせる。シカゴに帰ってきたこともあり、気分ものっていたのだろう。
シリアスな曲を情感たっぷりに歌ったかと思えば、全編スキャットばりのストーリーをコミカルに表情豊かに演じてくれる。
また選曲もJazzだけでなく、スティビー・ワンダーなどのPopsの名曲もオリジナルのアレンジで聴かせてくれ、特にキャロル・キングの『Far Away』にはじ~んときた。
こういう人たちをプロ中のプロと呼ぶのだろう。3ステージたっぷり見てもなお、もっと見たい、そう思わせてくれた。
2012年に見たJazzパフォーマンスのなかで、間違いなくNo.1のステージだった。


 
ギターはJOHN MCLEAN/Guitar(ジョン・マクリーン)
シカゴで活躍する名ギタリスト。
数年前参加したJazz Campで、ジャズ・ヒストリーをレクチャーしてくれた講師陣の一人だった。
この日もKurtとねっとりと絡んでいて、最高だった。


ピアノは、Kurtが10年来組んでいる相棒、Laurence Hobgood
出すぎず、引きすぎずの加減が絶妙の、絶賛すべきピアニストだ。


Kurtは、アルバム『1619 Broadway: The Brill Building Project』で今年のグラミー賞の「Best Jazz Vocal Album」にノミネートされている。




グラミー賞発表は2013年の2月。今から楽しみだ。
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今年のクリスマス

2012-12-26 11:54:46 | アメリカ生活雑感
去年に続いて、雪のないクリスマス。
イブも、クリスマスも家でだらだらと。そして今年のDinnerは―

 
大切にとっておいたスペインの“Rioja(リオハ)ワイン”を開けて・・・昼から仕込んでおいたビーフシチューを


★★ プレゼントタイム

 「ん?なんやこれ?」
GOROへのプレゼントは、おもちゃセットと牛骨

 
GORO、牛骨に夢中。野性むき出し


我が家に姉から届いたプレゼント
頼んでおいたユニクロ製品のほかに、足の冷えない不思議な靴下、胃薬、お茶。
いやぁ、こういうのが一番うれしい。感謝感謝!


お互いにプレゼントはなしね、と言っていたのにPちゃんからサプライズプレゼント。
前からほしかったダンベル(地味~)。これで筋肉を鍛え直すのだ。
ありがとう!

そ・そして、なんとなんと!

青森から「さつき米」がやってきた。
贈った人がみな口をそろえて「こんなうまいお米はしばらく食べたことがない」とうなったお米。
アメリカに届くなんて思っても見なかったので超うれしい!
山田ファームさん、どうもありがとう。


翌、クリスマスの夜は・・・


ドイツのホットワインを開けて、外に出る。
Pちゃんに言わせると、このワインはキンキンに冷えきった屋外で飲むのが正解だそうだ。
この専用マグは、毎年シカゴで行われているドイツのクリスマス市で手に入れたもの。
毎年違ったデザインのものが登場して、ホットワインを頼むとお土産にこのマグを持って帰ることができるのだ。左は去年の、右は今年のもの。
さて来年は・・・?


今日の主役。おなじみアーミッシュのチキン。
2時間かけてゆっくりとジューシーに焼き上げた。

 
これもおなじみ、クリスマスツリーを模したポテトサラダ。


食後はブッシュ・ド・ノエル(丸太のケーキ)
なんと手作り!こんな面倒なこと、年にい1度くらいしかやんない。
しかも甘いものあまり好きじゃないし(笑)
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エディー・クリアウォーター氏宅 訪問記

2012-12-25 15:42:14 | アメリカ生活雑感
12月21日

先月27日にシカゴで行われた、「バディー・ガイ、ケネディー名誉賞受賞プレ・パーティー」の席でお知り合いになった、シカゴの重鎮ブルースギタリストのエディー・クリアウォーターのお宅に遊びに行ってきた。

パーティの席ではちょこっとご挨拶をしただだったのに、帰り際に奥さんのリネーさんからCDやDVDをいたき、来年1月に行われるエディーの78歳の誕生パーティーにもご招待いただいて恐縮のいたりだった。
やさしい人だなぁと思っていたら、今度は1週間もたたないうちにメールが届いて「自宅に遊びにいらっしゃい」とのご招待。
なんでこんな有名人が私なんかを?とはじめは不思議に思ったけれど、アメリカではままよくあること。
別に損得感情はなしに、初対面の人でも気が合ったら即招待してしまうのは常。


このお方!

そしてここにはもうひとり、先月知り合ったばかりの女性が加わっていた。
彼女の名はリン。シカゴでブルース関連のイベントの企画・運営をしている人で、先月の「Chicago Blues mamas For Obama」イベントも彼女がイベントオーガナイザーだった。
このイベントについて記事を書いたことがきっかけで彼女と連絡をとるようになり、それ以降頻繁にメッセージのやり取りをし合うようになっていた。
不思議なもので、こういうやりとりを続けていると実際に会ったことがないのになんだか10年来の友人みたいな関係になってしまう。
バディガイのイベントで先月初めて彼女に声をかけた時、お互い思わずハグをしてしまったくらい。


★ ★

午後3時、北部郊外にあるエディーのお宅に。
さっそくリネーと、リンが出迎えてくれた。
そしてひときわ目を引いたのが、これ。


大きなクリスマスツリーと、その下にあふれんばかりのプレゼント。
私もリネーとリンに和風の小銭入れと、京友禅のティッシュ入れをプレゼントしたらとっても喜んでくれた。


壁には、2003年のグラミー賞で“Best Traditional Blues Album”にノミネートされたときの賞状や写真がびっしりと飾られていた。
見ているだけで楽しい。


ブルースマンは帽子が命。いかにもエディーらしいコレクション


リンとエディー。リンは彼のウェブサイトの管理人ほかセールスプロモーションのお手伝いをしているらしい。
成人したお子さんがいるとは思えない若々しさ、そしてパワフルな人。
自分が信じた好きな道をまっすぐに進んでいるからこそだろう。これから彼女にいろいろ教えてもらえそうで私もこの出会いに感謝。


奥さんの手作りのパンプキンパイを食べながらおしゃべり。
エディーの若かりし頃の話、国のカルチャーの話、音楽の話・・・みんな話題が豊富が面白くて楽しかった~


エディーが今までリリースしたCDをいろいろもってきてくれた


なんと、まだ封を開けたことのなかった“Flim Doozie”のテストプレス(LPの原板)が!
しかも日本のレコード会社(ユピテルレコード)からのリリースだった。
こういうのが無造作に出てくるところがいかにもブルースマンぽい。

 
彼の代名詞ともいえる「酋長(チーフ)」の衣装。
その理由を聞いてみると、実は彼のおばあさんがネィティブ・アメリカンだそうで、エディーはその血を大切にしているという。

 
あんまり手が大きいので記念に1枚。それにこのくっきりとした力強い手相。


記念にツーショット。
古き良きブルースマンという感じの、とってもおおらかで温かいおじいちゃま(失礼)だった。
それでもひとたびステージに立つと、ものすごいパワーとオーラを発揮する。やはりプロなのだ。
1990年に初来日した時、そのオーガナイズされた進行と日本人スタッフの気配りに感動したといい
また日本に行きたいと何度も言っていた。
日本のプロモーターの方、いかがですか?(笑)
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12月イベントいろいろ (1)

2012-12-25 10:43:59 | アメリカ生活雑感
12月は師走の名の通り本当に忙しかった。
少しずつ忘備録を。

12月12日
シカゴの日本大使館主催の天皇誕生日祝賀Partyに行ってきた。
各国の政府関係者、メディア、その他あちこちに手当たり次第に招待状を送っているらしく会場は満員。
前任の岡村総領事が10月に突然任期を終了されて以来、まだ後任の総領事は決まっていない非常事態のなか
それでも大勢の関係者が訪れていた。
私の一番の楽しみは・・・これ。




東北のお酒をこれでもかというほど堪能させていただきました。
こんなお酒、普段ではめったにお目にかかれないし、とても高くて買えないし。


シカゴに行ったついでに、毎年恒例ドイツのクリスマス「Christkindlmarket」へ立ち寄る。
ここではドイツ名物「ブリューヴァイン」(ホットワイン)を飲むことができる。



ビルの谷間に忽然と現れるヨーロッパのクリスマス屋台。

  


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Merryy Christmas!

2012-12-25 10:17:52 | アメリカ生活雑感
3日前にやっと降った雪がかすかに残る、“プチ・ホワイトクリスマス”。
イブはGOROを連れて3人でドッグパークへ。
みんなやっぱり暇なのか、たくさんの人たち&犬たちでにぎわっていてGOROも大はしゃぎ。
GOROにとってはこれで4回目のクリスマス。


Happy Holidays!








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年末恒例クリスマス会

2012-12-19 10:30:52 | アメリカ生活雑感
これのお誘いがくると、今年もいよいよ終わりだなぁと感じる。
毎年恒例の「郊外日本人妻大クリスマス会」。
今年もF妻さんのゴージャスなお宅にお呼ばれしてきた。

集まったのは総勢16人。
みんな何が楽しみって、持ち寄りの一品。
パエリヤに豆腐入りタルトにサーモンマリネ、チリシチューにチキンシチュー、そして食後のデザートとフルコースいただいてお腹いっぱい。

 
 


そして今年も激しい争奪戦が繰り広げられたプレゼント交換。
先にくじを引いた人のプレゼントを横取りできる“ダーティー・サンタ”は何回やっても盛り上がる。
私はオーガニックのジャムセットをゲット。これは翌朝から朝食で大活躍。




みなさん今年も1年ありがとう!
日本を離れて家でも英語ばっかりしゃべってると、こうして日本語でおしゃべりできる時間がなによりうれしいし心が休まる。
それにみんなが異国でたくましく生きているのを見ていると、こちらも勇気が湧いてくる。
来年も仲良くしてね。どうぞよろしくお願いします!

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27人の命の代償

2012-12-18 10:10:48 | アメリカ生活雑感








想像できるだろうか・・・
6歳や7歳の、ピカピカの小学生たちの体に10発以上の銃弾が撃ち込まれる瞬間を。
朝元気に学校へと見送った我が子が、血まみれになって教室で倒れている姿を。


いったい何人の血を流せばこういう事件がなくなるのか?
今まで何度も銃犯罪に関して書いてきたが、読み返すだけもむなしい。あんなにアメリカ中が悲しみのどん底に陥ったにもかかわらず、いまだなおなにひとつ変わっていないのだから。

引き金。(2007年4月16日バージニア工科大学銃乱射事件)

Gunの悲劇。(2007年6月 バークレーで起こった銃での一家心中事件

暗闇に後退するアメリカ(2008年6月 連邦最高裁がワシントンの銃規制を違憲とし、市民の銃所持の権利を認める判決を下す)

アメリカの歴史。黒人の歴史。(2012年2月 フロリダで起こった17歳の黒人少年射殺事件)


銃犯罪が起こるたび、「これを契機に銃規制が実現してくれれば」とのささやかな願いもむなしく裏切られてきた。
罪のない人々が銃の犠牲になる凄惨な事件が起こるたび、アメリカは二分する。
「今こそ銃規制を!」と声を上げる集団と、
「だからこそ銃で護身を!」と正反対なことを言う集団。

アメリカが銃規制に乗り出さない、乗り出せないのにはいろいろな理由がある。

まずは、Politics(政治)。
建国の際のアマンダメント(アメリカ国修正憲法第2条)の一文の解釈だ。

"A well regulated militia, being necessary to the security of a free state, the right of the people to keep and bear arms, shall not be infringed."
(規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、市民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない)

この一文を「護身用に銃を保持することは国民の権利だ」と受け取るかどうか、今まで何度も最高裁の判断が覆った歴史がある。
ただもう国民が“民兵”である時代、いつ何時誰に襲われるかもわからない時代はとうに終わっており、この憲法自体がもう時代遅れだという議論も度々語られてきた。

しかし、保守共和党は断固としてこれを権利と主張し銃規制には真っ向から反対している。
今回の事件後も、
「この学校の(犠牲になった)校長が銃を持っていればこうはならなかったろう」
「これで明白だ。子供たちは護身用に銃を持つべきだ」
と発言する党員が後を絶たない。彼らは本気で言っているのだ。

民主党がいくら銃規制の法案をあげても、必ず共和党につぶされる。奴らは話せばわかる相手ではない。
オバマ大統領も毎回「今こそアクションを起こさねば」と言いながら、結局何もしてこなかった。
いまさらカメラの前で泣かれても、もう白けるだけだ。


ふたつ目は全米ライフル協会(NRA:National Rifle Association)の存在。
NRAは絶大な政治力を持っており、共和党の中にもNRAの名誉会員になっている党員が多い。
彼らはどんなに悲惨な銃犯罪が起ころうとも決してひるまず、決まってこう反論するのだ。

「人を殺すのは人だ。銃じゃない。」
「問題は頭のおかしい“犯罪者”であって、銃そのものではない。精神異常者を取り締まればいいだろう?」


いや、違うだろ。
正常な人間でも頭に血が上って思わぬ衝動に出てしまうことだってある。そこに「武器」があれば、一瞬引き金を引いてしまえば、次の瞬間に人を殺せてしまうのだ。
そこに道具があること自体を変えるべきではないのか。



コネチカット事件と同じ日、中国で男が小学校に乱入して22人の児童をナイフで切りつける事件が発生した。
しかし、子供たちは怪我を負ったものの全員命は無事だった。逃げ惑う余地があったからだ。
それがナイフと“飛び道具”との大きな違いだ。


昨年、銃犯罪の犠牲者数は
日本 48人
イギリス 8人
スイス 34人
カナダ 52人
イスラエル 58人 
スウェーデン 21人
ドイツ 42人
アメリカ 10,728人


アメリカ以外は全て、銃規制をしている国々だ。

それでもなお、「銃のせいじゃない」と言うのか?


そして三つ目(これが一番厄介でそら恐ろしいのだが)は、宗教的な偏見に凝り固まった人間(主に政治家)の存在。
その“尖兵”であるマイク・ハッカビー(共和党、前アーカンソー州知事)は、事件後こともあろうにこう発言している。

「この事件が起こったのは、アメリカの公立学校が“神”を教室から追い出したことのたたりだ」

アメリカの公立学校では宗教的な教育は禁じられている。
そのことを常々よく思わないキリスト教福音派の中には、何かというと“神の怒り”などという意味不明のことをいう輩が多い。
彼らは銃の問題に限らず、同性愛者の人権や妊娠中絶に対してもことごとく“神の怒り”を持ち出す。

「イラクでアメリカ兵が殺されるのは、同性愛者の結婚を認めたからだ」と、プラカードを持って葬儀会場でデモを行ったりするのもいつも彼ら。
(頭がいかれているのはあんたらだろ?)
ちなみにハッカビーは2008年の大統領選で、もう少しで共和党の大統領候補になるところだった人物だ。
サラ・ペイレンも同類。これだけでもすでにアメリカは狂っている。


4つ目は、“精神異常者”のケア問題、教育問題だ。
言わずもがなのアメリカの現状の保険制度。保険会社だけがもうかるしくみの現状では、皆が平等に十分な医療を受けらることができない。
保険に入るだけでも生活を圧迫してしまうため、特に低所得者層は保険に加入すらできない。仮に未保険で医者にかかったとしても、家ごと取っていかれるほどの請求がきて一家路頭に迷うのがオチ。
今回の少年のように、周りが「何かおかしい」と早くに気づいていながら、適切な医療にかかれずに野放しにされている、心を病んだ人たちは数えきれない。
犯罪を取り締まる前に、彼らを救う方法を誰も語ろうとはしない。


結局、アメリカでは銃犯罪は起こるべくして起こっているような気がしてならない。




「私を撃たないで。大きくなりたいの。」


この26人の犠牲者、そして彼らの家族にはもう一生、楽しいクリスマスなどやってこない。

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Buddy Guy「ケネディーセンター名誉賞」受賞!祝賀パーティー

2012-12-07 09:50:24 | music/festival
11月27日火曜日。
その週末に首都ワシントンDCで開かれる今年のケネディーセンター名誉賞の受賞式に先立って
シカゴ市がBuddy Guyをワシントンに送り出すキックオフ・パーティーを開いた。
これはごくわずかなミュージシャンや地元のメディアにしか広報されなかったので、私が気づいたのは前日、ある友人のFBの書き込みを見てだった。
あわててシカゴ市のイベント局に“取材”(という建前)の申し込みをしたら、さっそくOKの返事。
こんな機会をむざむざ逃す私ではないのである

午後3時にミレニアムパークのプリッツァー・パビリオン(屋内)の会場に到着すると
もうすでに地元のメディアがセットアップを始めていて、芝生の観客席を背にした形でステージがセッティングされていた。

午後3時45分、フェルナンド・ジョーンズが主催する「Blues Kids of America」がプレショーを開始。
ブルースを学んでいる子供たちによる本格的なブルース演奏だ。
この中から将来ブルース界を担う人材が出てくるんだろうなー。
アメリカはこういう「伝統芸能」に対する教育体制が実にしっかりしていていつも感心する。


 


午後4時、Buddy本人とエマニュエルシカゴ市長が到着。ふたりによるスピーチ。

この人は相変わらず淡々と。


Buddyは「こういうのはあんまり得意じゃないんだ」と照れながらも訪れた人すべてに感謝の意を述べ、
(1957年にルイジアナから片道切符でやってきた)シカゴをどれほど愛しているかを静かにそして熱く語ってくれた。
途中で言葉が詰まる瞬間もあり、うっすら感動の涙も。(ファインダー越しにこっちもぐっときた。)


そのあとは、シカゴ・ブルースミュージシャンたちによるライブ。
残念ながら主たる(ちょっと若手の)ミュージシャンたちは今はヨーロッパツアー中でシカゴを離れていて、この日はこんな顔ぶれ。


Jimmy Johnson(ジミー・ジョンソン)
つい1週間前に82歳になったばかり。



Eddy Clearwater(エディ・クリアウォーター)は来年1月で78歳!なんという色っぽさ。
開演前にあいさつに行ったら、最後まで握手した手を離さない 
こういう気持ちがブルースマンを長生きさせるのだ。
来年1月のバースデー・パーティーにも招待してくれた。とっても温かい人。


 
ふたり仲良く座って鑑賞しながらなにやらひそひそ。億万長者の税金プランについてでも話していんだろうか?
Buddyに最前列で見られながら演奏する方も緊張するだろうな・・。



Paul Wertigo(Drums), Kenny Kinsey(Bass), Frank Blinkal(Guitar), Ronnie Hicks(Keyboad)
右最前列で見ているのは、Sharon LewisとNellie “Tiger” Travis。
この日はMatthew Skoller夫妻とLurrie Bellらも客席から見守っていた。
残念ながら共演はなし。個人的には女性歌手のパフォーマンスも見たかった。



Ronnie Baker Brooks(左)が駆け付けて、Wayne Baker Brookと兄弟共演。


ふたりの父親で偉大なギタリスト、Lonnie Brooks(左)も遅れてやってきて飛び入り。
「Sweet Home Chicago」を全員で大合唱。Buddyにマイクを向けて歌わせる一コマも。



観客の声援に応えるBuddy。76歳でこの色艶の良さ。
つくづく、ブルースマンは70を過ぎてから!






Buddyと妹さん



左から)エディー・クリアウォーター、バディー・ガイ、ロニー・ベーカー・ブルックス、ビッグ・ヘッド・トッド、ウェイン・ベーカー・ブルックス、ジミー・ジョンソン



ジミージョンソンと
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中村屋!

2012-12-05 11:05:51 | アメリカ生活雑感


2005年の勘三郎襲名披露公演。これが最後になってしまった。
こんぴら歌舞伎も今となっては懐かしい・・・。でも失ったものが大きすぎて今は何も言えないな。
本人が一番無念だったろう。







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ブルースに救われた2012年、後半

2012-12-01 18:31:39 | アメリカ生活雑感
今日から12月。
今年をブログで振り返ってみると、8月以降生活が確実にがらりと変わっているのがわかる。
正直なところ、今年の新年の時点では今ここでクリスマスを迎えられようとは思ってもみなかった。いやそうしたくても想像すらできなかった。
Pちゃんの仕事の問題、それに伴うビザの問題、家の問題、Pちゃんの健康問題・・・ああもう頭の中がぐちゃぐちゃでもうどうにでもなれ、という気分だった。
それでもまわりの人たちに助けられ、温かい支援を受けてこうして大好きなシカゴにいることができ、ただただ感謝している。

さて、私の生活を一変させた出来事は、なんといっても7月に日本に一時帰国したこと。
目的のひとつは、自分が「主」となるビザ申請を終えることだった。
そしてそれを無事に達成できた。
もうひとつは、第10回の節目を迎える「Japan Blues Festival」にスタッフとして、それもシカゴのミュージシャンたちの引率兼通訳(その他身の回り御用聞き)という形で初参加できたこと。
彼らとの出会いが私を変えたといってもいいくらいの強烈な影響を受け、今まで以上に「ブルース」への愛が高まった。

私に「これでもか」と襲い掛かる様々な難関、苦しい心の内をブルースという音楽がものの見事に表現してくれ、励まし、癒してくれた。
私はこの音楽にすっかりすがるようになった。
頭の中がぐちゃぐちゃになって泣きそうになったら、とにかく車を飛ばして彼らのブルースを聴きに行くようになった。

音楽だけでなく、ミュージシャンたちからも新たな活力をもらった気がする。
彼らの生活はほんとうに質素で慎ましやかだ。日本では名前を知られていても音楽だけで食っていけているる人はそうはいない。
皆、生活のためにやりたくもない昼間の仕事をハードにこなしながら、夜はギグに出かけて行き好きな音楽で現金を稼ぐ、それが彼らの現実なのだ。
それでも音楽は絶対にやめられない。何故なら音楽が彼らの血液だからだ。

この数か月でいろいろなブルースミュージシャンと接する機会があり、彼らからいろいろなことを聞き、学び、自分なりに考えることが多かった。
これからはそれらを少しずつ書き溜めて行こうと思う。

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