Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

祖母の遺産と、ファミリーヒストリー。

2019-09-07 21:32:47 | ニッポン生活編
自宅介護の合間を縫って私が義太夫のお稽古に通っていたことを、もちろん父は知らない。
隠すつもりもなかったけれど、言いそびれて今に至ったかんじ。
だから、急に初舞台が決まった時もいまさら面と向かってはずかしくてって言えず、家族ラインで知らせたくらいだ。
 
父は娘の”晴れ舞台”を見に来たかったようだが、自分が動くと周りに世話をかけると遠慮したのか、今回は家でお留守番。
翌日、Pちゃんが撮影してくれたビデオを一緒に見た。(こっちの方が恥ずかしい・・)
 
して、感想は?
 
「驚いた。いつのまに習ってたんだか。初めてにしては上出来、上出来。やっぱりおばあちゃんの血は争えないね」
 
おばあちゃん(父の母親)は三味線とお琴のお師匠さんで、私も物心つくかつかない頃から祖母にお琴を教え込まれた。当時はいやいやだったけど、今でもお琴の前に座るとそらで何曲かは弾くことができるからありがたいものだ。小さい頃の吸収力ってすごいものだ。
祖母は歌の名手でもあり、いつもお向かいの祖父母の家からは祖母の鈴の鳴るような声で長唄が聞こえてきていたっけ。
 
時が流れて、今私がキッチンで鼻歌を歌っていると、姉は「おばあちゃんそっくりやな」と言って笑う。
祖母が亡くなったあと、叔母(父の姉)が何もかもを自分で処分してしまったので、私たち家族には遺品のひとつもひとつ残らなかった。
私はひと竿でいいから祖母のお琴が欲しかったのだけれど、それも叔母が自分の友人たちにあげてしまってない。
一言でいいから、「欲しい?」と聞いてほしかったな。
弟憎さに、姪たちまでとばっちりに巻き込まないでほしかったな・・・。
 
そんな恨みつらみを心のどこかにふつふつと抱えていたけれど、義太夫が私を救ってくれた。
私には「声」という無形の財産を祖母から引き継いだ。
お金では決して買えない祖母の形見は、私の体の中にあるじゃないか。
 
・・と、次に父がつぶやいた言葉に、驚愕。
 
「おばあちゃんの父親は、徳島でも有名な浄瑠璃の義太夫さんだったんだよ」
 
うっそ~!
誰?と聞いても「さぁ~覚えてないなぁ」という。苗字は浅野さんだったっけか?聞いてびっくり!父よ、なんで今頃それを言うのさ?(笑)
 
やっぱり血は争えない。DNAとは、げに恐るべし。
私は帰るべくしてここに帰ってきたのか・・!
 
 
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千里の道も一歩から~義太夫への道。

2019-09-04 00:10:17 | ニッポン生活編
あの日あのとき、あの場所に出かけなかったら、今この状況はおそらく作られていなかっただろう。
そんなことがこれまでの人生に偶然なのか必然なのか多々おこってきた。
 
今年、1月14日。
私はこの場所に出かけた。
 
 
阿波十郎兵衛屋敷
 
そのときの日記→→藍と人形浄瑠璃の歴史
 
海外で暮らしていたせいか、改めて日本の伝統芸能に強く引き込まれていく、その気持ちを止められなかった。
私の心の声が「これをやりなさい」とささやいた。
とっさに、館の女性に「義太夫を習いたいんですがどなたかご存知ですか?」と声をかけていた。
「それでしたら素晴らしい義太夫さんがいらっしゃいます。来週ここで公演をされるのでもしよろしければ見に来てくださいね」と。
翌週、さっそく義太夫鑑賞会に足を運ぶ。
私の顔を覚えてくれていた彼女は楽屋裏に案内してくれ、先生を紹介してくれた。
 
竹本友和嘉師匠。
重要無形文化財の浄瑠璃「義太夫節」の総合認定保持者である。

舞台上の厳しい表情とはうってかわって、柔らかな優しい表情で「義太夫に興味があるんですか?うれしいわぁ~」と徳島弁で無邪気にうれしがってくださる。その姿にすぐに入門を決めた。

 翌月、2月13日。 先生のご自宅で第1回目のお稽古。
演目は浄瑠璃を始める人が必ず最初にやるいろはの「い」、「傾城阿波の鳴門」。
まずは先生がお手本を示してくださり、その後を真似るようにして語っていく。
楽譜などない。ただ「本」があるだけ。そこに自分で抑揚を書きこんでいくのだ。 伝統芸能はこうやって口伝で注がれていくものなのだ。

月に2回のお稽古を3か月続けたころには、すっかり本も暗記し節回しも形だけは覚えることができた。
「こんなに早く進む人はいませんよ。ビックリです」と先生におだでられすっかりうれしくなり、魅力にどっぷりはまって4月からは月3回に(6月は出張で中断)。
7月に入ったころ、先生から「9月の定期公演に出てみませんか?」と声をかけていただいた。

定期公演と言うのは、徳島の人形浄瑠璃の殿堂「十郎兵衛屋敷」で毎週末おこなわれている太夫部屋による生演奏のこと。
徳島には5つの太夫部屋があり、各部屋が持ち回りで屋敷での演奏を受け持っている。
そんな大それた場所に私のような、習い始めて1年にもたたない者が出てもよいものか・・・とびっくりおそれおののく。

でも今まで数えきれないほどの生徒さんを教えてきた先生がそうおっしゃってくださるのだから、その言葉を信じるしかない。
虎穴に入らずんば虎児を得ず。あたってくだけろ。今までもそうだったじゃないか。師匠に身をゆだけねあとは練習あるのみ。

そして、ついに初舞台の日を迎えた。
 9月1日、日曜日。11時からの公演で「傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段」を語らせていただく。


師匠の三味線に合わせて。幕があいたら緊張で声が出ない。出てこない~(泣)


観客は人形の動きにくぎ付け。今日の人形座は「平成座」のみなさん。
人形一体に各3人、8人のコラボレーションが生み出すエネルギーはライブならでは。


本日のお客さまは大阪と高知から。「よかったですよ。感動しました」と言ってくださりほっとする。


Pちゃんとのツーショットに喜ぶ師匠がかわいい 

地元で、地元に根付いた伝統芸能をつないでいく。
これが私の役目のような気がする。
この年齢になって、日本人としてやらねばならないものがはっきりと見えてきた。

千里の道も一歩から。
師匠、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

 
 
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