自宅介護の合間を縫って私が義太夫のお稽古に通っていたことを、もちろん父は知らない。
隠すつもりもなかったけれど、言いそびれて今に至ったかんじ。
だから、急に初舞台が決まった時もいまさら面と向かってはずかしくてって言えず、家族ラインで知らせたくらいだ。
父は娘の”晴れ舞台”を見に来たかったようだが、自分が動くと周りに世話をかけると遠慮したのか、今回は家でお留守番。
翌日、Pちゃんが撮影してくれたビデオを一緒に見た。(こっちの方が恥ずかしい・・)
して、感想は?
「驚いた。いつのまに習ってたんだか。初めてにしては上出来、上出来。やっぱりおばあちゃんの血は争えないね」
おばあちゃん(父の母親)は三味線とお琴のお師匠さんで、私も物心つくかつかない頃から祖母にお琴を教え込まれた。当時はいやいやだったけど、今でもお琴の前に座るとそらで何曲かは弾くことができるからありがたいものだ。小さい頃の吸収力ってすごいものだ。
祖母は歌の名手でもあり、いつもお向かいの祖父母の家からは祖母の鈴の鳴るような声で長唄が聞こえてきていたっけ。
時が流れて、今私がキッチンで鼻歌を歌っていると、姉は「おばあちゃんそっくりやな」と言って笑う。
祖母が亡くなったあと、叔母(父の姉)が何もかもを自分で処分してしまったので、私たち家族には遺品のひとつもひとつ残らなかった。
私はひと竿でいいから祖母のお琴が欲しかったのだけれど、それも叔母が自分の友人たちにあげてしまってない。
一言でいいから、「欲しい?」と聞いてほしかったな。
弟憎さに、姪たちまでとばっちりに巻き込まないでほしかったな・・・。
そんな恨みつらみを心のどこかにふつふつと抱えていたけれど、義太夫が私を救ってくれた。
私には「声」という無形の財産を祖母から引き継いだ。
お金では決して買えない祖母の形見は、私の体の中にあるじゃないか。
・・と、次に父がつぶやいた言葉に、驚愕。
「おばあちゃんの父親は、徳島でも有名な浄瑠璃の義太夫さんだったんだよ」
うっそ~!
誰?と聞いても「さぁ~覚えてないなぁ」という。苗字は浅野さんだったっけか?聞いてびっくり!父よ、なんで今頃それを言うのさ?(笑)
やっぱり血は争えない。DNAとは、げに恐るべし。
私は帰るべくしてここに帰ってきたのか・・!