Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

“Born In Chicago” (Japanese)

2013-06-22 16:49:40 | movie


先週、前から気になっていた映画のプレミア試写会に行ってきた。
黒人シカゴブルースミュージシャンの洗礼を受けた若き白人ミュージシャンたちの足跡をたどったドキュメンタリー、『Born In Chicago』。

今でこそ白人のブルースミュージシャンは当たり前になったけれど、1960年代初頭のシカゴではブルースは黒人だけの音楽だった。
その黒人音楽に傾倒し、彼らが演奏するサウスのクラブへと通いつめてブルースを学び取ろうとする白人のブルース少年たちがいた。
Michael Bloomfield、Paul Butterfield、Barry Goldburg、Harvey Mandel、Corkey Siegel、Elvin Bishop、Charlie Musselwhite、Steve Miller、Jim Schwallなどだ。

ブルースの巨匠、マディー・ウォータースやハウリン・ウルフ、ウィリーディクソンらのギグに飛び入りし腕を磨いていった彼らは、その後の白人ロック音楽に多大な影響を与える存在となっていく。
ボブ・ディラン、ローリング・ストーンズ、ジャニス・ジョプリンなど、ステージを共にしたロックミュージシャンは数えきれない。
しかし、その後ロックへと転向していく白人ミュージシャンらとは別に、彼らはあくまでルーツであるブルースにこだわり続けた。

先日、シカゴでのプレミア上映を記念して、当時の少年たちが一堂に会し「Chicago Blues Reunion(同窓会)」と称するミニライブが行われ、盛大ににぎわったようた。
いったいいつから白人がブルースを演奏しはじめたのだろうと常々気になっていた私は、この映画を見て多くを学び、疑問に思っていたことが解決してすっきりした。

この想いを伝えたくて、終演後にジョン・アンダーソン監督にちょこっとだけご挨拶をし、名刺交換をして会場を後にした。
数日後、ジョンは私の名刺から「US新聞」で私が書いた過去の記事(英語版)を読んでくれたようで、ご丁寧に「今度ブルース談義をしましょう」とメールをくださった。
今まで仕事も含めて名刺を交換した人で、私の記事をちゃんと読んでくれ感想を言ってくれた人はいなかった。
こんなに忙しい人が、2日後には時間を見つけてちゃんとメールをくれたことに、驚き感激した。
思うに、仕事のできる人はこういうところが違うんだと思う。

忙しいから、という言い訳をしない。
次の行動が早い。
その場しのぎの社交辞令を言わない。
常に新しい情報や出会いに敏感である。
エミー賞をとろうが、グラミーにノミネートされようが、変なプライドのかけらもない。

出会いから1週間の6月21日、さっそくシカゴサウスのブルースバーに一緒にブルースを見に行ってきた。
いやぁ、面白かった。

「あなたの頭の中にはいったいいくつの題材が入ってるんですか?」
と聞いてみたら、
「いっぱいで数えきれない」と笑っていた。
「あなたのような人がいてくれるから、知らなかったことが身近になったりお宝映像が見られたりします。本当にありがとうございます。これからもガンガンお願いします」などと、プチ酔っぱらい状態で私も思い切りおしゃべりを楽しませてもらった。

自らロック・ミュージシャンであるジョンの、ここ(映画監督)にいたる道筋、影響を受けた音楽、ブルースへのリスペクト・・・
彼のあふれんばかりの好奇心が、まわりのすべてのものを引き付けるんだということをつくづく感じた。

例えば、こんな逸話も。
ある日ランニングしていたら、同じくランニング中のボブ・ディランにばったり出くわし、(人違いで)話しかけられた。調子を合わせて会話を楽んだことがきっかけで、ジョンの映画にボブもちょこっと出演することになったらしい。
何が起こるかわからないのが人生。でもそれを起こすように仕向けているのは他ならぬ自分。

やっぱり人との出会いは自らが作り出すもの。だって、あそこで勇気を出して彼に声をかけなかったら、この日はなかったのだから。

ところで、今日のバンドの1曲目はMuddy Waters Bluesの「Born In Chicago」だった。
やっぱこの人、引き強いなぁ・・・。





"Game Change"にサラ・ペイレンの狂気を見た

2013-01-27 11:32:50 | movie


怖いもの見たさで、“Game Change”を見た。
2008年の大統領選で共和党の副大統領候補として一躍有名になった、アラスカ州知事(当時)サラ・ペイレンの選挙戦を描いたポリティカルドラマ。
当時、民主党のオバマ候補の人気にいかに太刀打ちしようかと考えあぐねていた共和党大統領候補、ジョン・マケイン陣営が一か八かの“大博打”として選んだのが女性候補、しかも危険な“スター性”を秘めていたペイレン。
2010年に出版された同名のベストセラー本をもとに、その後ライターが関係者への取材を重ね事実に基づいてて作り上げた作品だ。


映画の見どころはいくつかやってくる。
まず、マケイン陣営がペイレンを選び出すにいたったプロセス。
オバマのカリスマ的人気に危機感を感じていたマケイン陣営は、マケイン側に女性人気が不足していることに着目する。
これを打ち崩すには“色物”で対抗するしかないとふんだ選挙参謀のスティーブ・シュミットは、女性候補に絞り人選を始める。
それも、敬虔なクリスチャン票をとりこむために「プロ・ライフ」、いわゆる人類の誕生は神の手にゆだねられている(もちろん中絶反対派)という思想を貫く人物に的を絞り、ポリティカルな立場や、副大統領にふさわしい教養を備えているのかなどは度外視。

そしてあるとき、ペイレンの演説ビデオを見て彼女に白羽の矢を立てる。
「彼女はスター性を持っている。これならいけるかも」
心配するマケインに向かって「これは大きな賭けだ、でもやるだけの価値はある」と急かすスティーブ。これが国の副大統領候補を選ぶときのセリフかよ、とまず笑ってしまう。

それからは、一夜にして有名人になって有頂天のペイレンの独壇場だ。

次の見どころは、ペイレンの化けの皮がはがれて行くさまと、本人がそれに焦って心身ともにズタズタになっていくプロセス。
世界のことも経済のことも何も知らないただのミス・アラスカ、ホッケーママが勢いだけで知事になり、あろうことか副大統領候補に指名されてしまった悲劇、としかいいようがない。
熟練のジャーナリストたちとのインタビュー番組や、ジョー・バイデン民主党副大統領候補とのディベートなど、彼女にとっての試練が続く。

彼女の“教育担当”になったニコールは、ペイレンのあまりの無知さに自分のやっていることの意義について悩み始める。
「彼女は何も知らな過ぎる。北朝鮮と南朝鮮(韓国)が別の国だってことも知らないのよ」とスティーブに訴える場面ではもう笑うことさえできない。
何度も言うが、これは証言に基づく事実である。

CNNのインタビューでロシアとの外交政策について問われたペイレンが、調子に乗って
「ロシアはアメリカの隣国。アラスカの家からはロシアが見えるのよ」と答えたのはあまりにも有名で、「サタデー・ナイト・ライブ」のパロディーでも何度も使われアメリカ中の笑い草になった。
そのほかにもアフリカを「国」だと思っていたとか、ヨーロッパの国の名前をまともに知らないとか、中学生レベルの地理を知らないという信じられない事実が次々とでてくる。
それでもなんとかディベートを乗り切ろうと、彼女はカードをつかって一生懸命に丸暗記を試みる。
参謀本部も、「わからない質問には答えるな。話を切り替えて時間を稼げ」と指示する。が、そんなもので乗り切れるはずもなかった。
ディベートのたびに無知をさらけ出し、マケイン側の支持率はじりじりと下がっていく。

それでもペイレンは決して自分の無知を嘆かない。
「私は悪くない。私に協力しようしない周りが悪いのよ」

高額な衣装代が問題になるや即刻自分の衣装担当だった女性を首にし、教育係のニコールにも心を閉ざすペイレン。
17歳の娘の妊娠問題や家族の会社のずさんな経営など、次々と暴かれていくプライベートに、怒りを爆発させていく彼女に、陣営は悟るのだった。
やはり彼女を選んだのは間違いだった、と。しかし時すでに遅し。




この映画自体、共和党やペイレンをこき下ろすためではなく、実際に起こったことを関係者の証言をもとに忠実に再現して作られたものだけに、余計に表現しようのない恐ろしさが湧いてくる。
なんといっても、その風貌から独特のアラスカ訛りの英語から何から、恐ろしいほどペイレンになりきったジュリアン・ムーアの怪演は絶賛に値する。




映画を見終わって感じたことは、共和党は過去に何も学んでいないということだった。
2012年の選挙ではまたもや副大統領候補に「超保守派」のポール・ライアンを指名して敗れ去った。

しかし決して忘れてはならないのは、依然として45%を超える国民がこんな共和党を支持しているというホラーである・・・。



★2012年のエミー賞では4部門を制した。
Outstanding Miniseries or TV Movie
Julianne Moore( as Sarah Palin):Outstanding Lead Actress in a Miniseries or a Movie
Jay Roach:Outstanding Directing for a Miniseries, Movie, or Dramatic Special
Danny Strong:Outstanding Writing for a Miniseries, Movie, or Dramatic Special




「ノルウィーの森」と、オスカーノミネーション

2012-01-24 14:28:42 | movie
しばらくあったかいなぁと思っていたら、先週金曜日朝からしんしんと降り続いた雪は
一晩で20センチに達した。
自然の威力とは本当にすごいものだ。


雪をかき分けるように、土曜日はシカゴへ映画を見に行ってきた。
「ノルウィーの森」。
かの、村上春樹のベストセラーをベトナム出身のトラン・アン・ユン監督が映像化した作品。
実は村上春樹には全くといっていいほど興味のなかった私。
原作を読んだのはベストセラーになった頃ではなく、アメリカに来てからだった。
あんまりまわりが「ハルキ・ムラカミを知っているか?」とうるさいので、そろそろ読んでおこうかと手に取ったが
感想は「なし」。え?なに?この回りくどいポルノは?(笑)
20歳で何をぐちゃぐちゃ考えとんねん。そんな暇あったらぐたぐたになるまで体動かせよ!というのが感想だった。
ファンノカタ、スミマセン。

とはいえ、映画はそれをどう表現しているのだろうか?
シカゴの小さな映画館の、その中でも超小さなスクリーンの小部屋には、
昨日の大雪にもかかわらず結構いっぱいの観客が詰めかけていた。
みんなハルキ・ムラカミのファンなのだろう。

残念ながら映画を観た感想も「なし」。
特に何も感じなかった私は鈍いのか?それともあの世界に合わないのか?
唯一、松山ケンイチだけはあの役に合っていたように思う。
菊池凜子は「終わったな」という感じ。役にはまっていないし演技もだるい。とにかく無理がある。
映像的にもあまり印象に残るものではなかった。
一緒に見に行ったタカコさんと、さんざんブーイングしてお茶して帰った。


★ ★

さて、昨夜お待ちかねのアカデミー賞のノミネートが発表された。
今年は発表前に知っていた作品が多かったので、結構楽しめた。

先日のゴールデン・グローブ賞にはないノミネートもあり、それが私の好きな作品(俳優)であったのもうれしかった。

特に、主演男優賞にノミネートされたメキシコ人俳優のデミアン・ビチル。
『A Better Life』(邦題は『明日を継ぐために』←原題で十分伝わるのに変な邦題をつけるの、もういい加減にやめてほしい。)
この映画は2011年に見た映画の中で私の中では5本の指に入る作品であり、
それはもちろん主役であるデミアンの演技によるものが大きかった。
アカデミーがこの作品に注目し、彼を主演男優賞候補に加えてくれたことは本当にうれしかった。

そして、『ドラゴン・タトゥーの女』のルーニー・マーラ。
この映画はもともと2010年のスウェーデン映画(同名の小説を映画化)のハリウッドリメイク版。
つい先日、スゥェーデンバージョン(英語サブタイトル)をDVDで観たが、テーマ、演技、脚本、すべてにおいて優秀な作品だった。
残念ながらアメリカバージョンはまだ見ていないが、これも楽しみだ。

さらには、『The Hepl』から、ふたりの助演女優賞候補。
オクタヴィア・スペンサー(黒人メイド、ミニー・ジャクソン役 )、ジェシカ・チャステイン(白人のお嬢様、セリア・フット役)
このふたりがこの映画の影の主役といってもいい。
1960年台のアメリカ南部、そこではどんな黒人差別がまかりとおっていたかをまざまざと見せつけられる作品だ。
いや、今なお南部には根強い差別意識があるが、人間が同じ人間に対して浴びせる侮蔑に人の内面に宿る“悪魔”すら見えてくる。
主演女優賞にヴィオラ・デイビス(黒人メイド アイビリーン・クラーク役)の名前がなかったのがとても残念。

※ヴィオラ・デイビスは主演女優賞にノミネートされています。訂正いたします!

かわいそうなのはディカプリオ。
ゴールデングローブでは名前が挙がっていた主演男優賞ノミネートに、オスカーでは落選。
この人、トム・クルーズと並んでオスカーにはとことん縁がないようだ。

それにしても恐るべし、『The Artist』。
サイレント映画がどこまで今年のアカデミーを制覇するのか・・・
2月26日のアカデミー賞受賞式が今から楽しみだ。


ヤマト実写版。

2010-11-30 07:44:03 | movie
12月1日は「ヤマト」実写版の公開日。
しかも、映画の日だ。これも何かの運命、行かねばなるまい。

私がはじめて「ヤマト」を見たのは、小学生のときだった。
毎日夕方になるとテレビでやっていたアニメ「宇宙戦艦ヤマト」を見るために、
民放チャンネルが映らない我が家からお向かいのおばあちゃんのうちまで走って見に行くのが日課になっていた。
好きな人は、もちろん古代進。
以来、ヤマト関連の本はみんな買って隅々まで読み漁り、何もかもみんな覚えた。
交響組曲版レコードも買ってピアノで来る日も来る日も狂ったようにコピーした。
映画は何回行ったかももはや覚えていない。


今回の実写版にあたっては、事前にすさまじいPRがされていたし、
映画の日と重なって今日はきっと大変なことになっているだろうと思っていたけれど、
実際に映画館に電話してみるとまだまだ夕方のチケットは十分大丈夫です、という。
さすが徳島。こういうときは田舎って役に立つ。
ネットでど真ん中の席を予約して、ひとりで映画館へ。
きっと超満員と思いきや、映画館は半分くらいの入り。初日なのに!?
映画館のスタッフが皆、ヤマトのユニフォームを着て気合が入っていたので、そのギャップにちょっとびっくりだ。

さて。
実写版の感想を一言で言わせてもらうと・・・
やっぱりアニメを知っている、アニメを激愛している私からすると、全然だめ、でした。
配役は悪くはないんだけど、各々10歳若いときにやってほしかった。
むさいおっさんだらけで、若さのかけらもないヤマト。。。とても地球を救えるとは思えない(笑)
佐渡先生や相原を女性にする意味(効果)もまったく理解できない。
高島礼子、いつも酒瓶と猫抱えてるだけでなんだか意味不明。いっそのこと「極妻」風のキャラにでもしてくれたほうがよかった?

そして問題のキムタク。もうこの人、何をやっても“垢”がべったりつきすぎていて素直に「古代進」を投影できないんだよなぁ。
しゃべり方や仕草のひとつひとつが他の主演キャラとみな一緒に感じられて、どうも落ち着かないのだ。
初めてヤマトを見た、それがこの映画だ、という人にとってはいいかもしれないが、元を知りすぎている層には相当きつい。

内容も、『宇宙戦艦ヤマトと』と『さらば、宇宙戦艦ヤマト』と『宇宙戦艦ヤマト・完結編』の3映画のおいしいところだけつまんで、無理やり引っ付けた感じだ。
ヤマトを実写するということ自体、そもそも無謀すぎた。

根本的なことをいうと「ヤマト」のテーマは「愛」だ。
ガミラスとの死闘の中で最後に古代が悟ったのは、「皆、愛する人のために戦っているんだ」ということだった。
ガミラス星(デスラー)は双子星であるイスカンダル(スターシア)と共に生きるために戦った。
古代やヤマトの乗組員もまた、愛する地球のため、愛する家族のために戦ったのだ。
しかし、実写版ではガミラスは実態のよくわからない“悪玉”になっていて、あの「彗星帝国」といっしょくたにされた感じで、「悪をくじくこと=正義」というまるでハリウッド映画のような安っぽいメッセージになってしまった。
ヤマトってそんなんじゃない!!

とはいえ、ブルーマンもどきのデスラーや半裸・パツキンのスターシアが出てきたら、それはそれで興ざめだったに違いないし、この辺の処理はこれが限界だったのかもしれない。
(デスラーはせめて声だけでも、オリジナルの伊武雅刀の吹き替えだったからこれだけで十分か。)
所詮、どんなにがんばったって『アバター』にはなれないんだし。
ま、ストーリーは別として日本のSF映画としてはがんばったほうかな?

映画の最後のほうで、隣や後ろのほうから鼻をすする音が聞こえてきて、ハンカチで目をぬぐう人たちが続出したのにはびっくり。
中学のとき、『さらば、宇宙戦艦ヤマト』を見に行ったときの映画館の様子にとても似ている。
でも私はむしろ、オリジナルの古代くん(富山敬さんの声)を思い出して、思わず涙腺がゆるんだ。
やっぱり、アニメは超えられないっす。

帰り道、車を運転しながら口ずさんでいたのは「真っ赤なスカーフ」だった。

アスペルガー症候群に学ぶ

2010-09-28 11:20:59 | movie
最近たて続けに見た2本の映画(DVD)が、とてもよかったので記録しておこうと思う。

『Temple Grandin』 『My Name Is Khan』

二つの映画にたまたま共通していたことは、主人公が“アスペルガー症候群”であることだ。


アスペルガー症候群(アスペルガーしょうこうぐん、Asperger syndrome: AS)は、社会性・興味・コミュニケーションについて特異性が認められる広汎性発達障害である。各種の診断基準には明記されていないが、全IQが知的障害域でないことが多く「知的障害がない自閉症」として扱われることも多い。なお、世界保健機関・アメリカ合衆国・日本国などにおける公的な文書では、自閉症とは区別して取り扱われる。精神医学において頻用されるアメリカ精神医学会の診断基準 (DSM-IV-TR) ではアスペルガー障害と呼ぶ。
対人関係の障害や、他者の気持ちの推測力など、心の理論の障害が原因の1つであるという説もある。特定の分野への強いこだわりを示したり、運動機能の軽度な障害も見られたりする。しかし、カナータイプ(伝統的な自閉症とされているもの)に見られるような知的障害および言語障害は、比較的少ない。(:Wkipediaより)

~*~*~*~*~*~*

まずひとつめの『Temple Grandin』。
アメリカの動物学者で現在コロラド州立大学准教授でもある、テンプル・グランディン女史の伝記映画だ。
1947年ボストン生まれのテンプルは、2歳の時に脳に障害があると診断される。
まだ“自閉症”が社会に認知される前だった頃。4歳まで言葉を発することができない娘に高学歴の母は呆然とし、「この先も言葉をしゃべることは無理でしょう」という医師の言葉を信じようとせず、彼女に必死で言葉を詰め込もうと特訓するのだった。
その後しばらくして、テンプルは自閉症と診断され、さらにアスペルガー症候群と診断される。
ある夏、おば夫婦の経営する農場にホームステイすることになったテンプルは、そこで動物たちの行動パターンに強い興味を抱くと同時に、今まで眠っていた高度な計算能力を発揮していく。
母親の強いサポートでハイスクールに入学するも、まわりと上手くなじめないテンプル。クラスメートたちにからかわれて数々の問題を起こす彼女の対応に、教師たちも辟易としていた。
しかし、ある人物が彼女の運命を変えることになる。
科学を担当するカーロック先生は彼女のサイエンスに対する強い興味と抜きん出た能力を見抜き、テンプルにある難題を与えるが、彼女もまたそれに見事にこたえていく。
自信を取り戻し、次第に自ら“閉ざされた扉”を開こうとしていくテンプルに、周囲も深い敬意を抱き始める・・・。



日本で「自閉症」ということばはとかく「ひきこもり」と混同されて理解されがちだが、
オーチズム(autism)はまるっきり反対であることを認識しなければならない。
実際にオーチズムの子を持つ母親に話を聞いたことがあるが、自閉症ならぬ「自開症」とでも表現すべき恐ろしいパワーなのだそうだ。
自分の興味関心のあるテーマに入り込んでいるときの集中力がケタ外れである一方、他者の気持ちを推しはかることができないため対人関係をうまく結べない。

映画の中にこれを代弁するシーンがあった。
テンプルのおばが、テンプルのいろいろな表情を写真にとって「これはどんな感情の顔?」と聞いていくが、彼女はよく答えられない。
相手の表情から感情を読みとれないテンプルへの、これは訓練だった。

テンプルはその後、1970年にフランクリン・ピアース・カレッジで心理学学士、1975年にアリゾナ州立大学で動物学修士、1989年にイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校にて動物学博士を取得する。
さらに世界的にも有名な「家畜の人道的追い込み・処理方法」を発明した(アメリカの多くの施設はこれを採用している)ほか、現在も自閉症啓蒙活動と、家畜の権利保護について世界的な影響力のある学者として活躍している。

4歳まで言葉が出ず、医者も見離した彼女の社会的成功の理由は、決して見捨てない、あきらめないという母親の執念のサポートと、カーロック先生という素晴らしい指導者にめぐり合ったことにつきる。
また何より、彼女自身が勇気を持って目の前の殻をひとつずつ打ち破っていったことにある。
いったいどれほどの勇気がいっただろう。


この映画は劇場上映されていないので日本でも公開されていないが、
機会があれば是非DVDを手に入れてみてもらいたい。
『ロミオとジュリエット』のClaire Danes の熱演に、個人的にはオスカー主演女優賞をあげたいくらい。

★ここから予告編が見られます。
http://www.hbo.com/movies/temple-grandin/index.html


★ ★ ★ ★

『My Name Is Khan』は、一言で言うと「踊らないボリウッド映画。ボリウッド版“フォレスト・ガンプ”、Anti-Hate Crime映画」
インド・ムンバイの敬虔なイスラム教信者の一家に生まれたKhan(カーン)は、生まれつきアスペルガー症候群と診断される。
成人してアメリカに渡ったカーンは、美容師として働くシングルマザーのマンディラと知り合い、純粋な愛が実って結婚、彼女の息子サムと3人で穏やかな新婚生活をはじめた。
マンディラはヒンズー教徒だったためカーンの家族は反対するが、ふたりにとって宗教の違いなどどうでもよかった。、
しかし、その生活も「9・11テロ」によって一変する。
“カーン”というモスラム特有の苗字に変えたことにより、サムは学校で激しいいじめに合い命を失ってしまう。
その日以来、自責の念にかられて心を閉ざしてしまうマンディラ。
「あなたがモスラムだからサムはこんなことになってしまった。あなたと結婚しなければよかった」
マンディラは取り乱すが、カーンはどうして自分が責められているのか、どうやったら彼女の心を取り戻せることができるのか全く理解できない。
彼女はカーンにこう言い放つ。
「大統領に会って“私の名前はカーンですがテロリストではありません”って言ってくるまで私の前に現れないで!」
その言葉を純粋に受け止めたカーンはひとり、大統領に会う旅に出かける・・・・。



9・11でヘイトクライムの被害者になった人は多い。
褐色の肌をしているだけで、テロリスト扱いされたり、イスラム=テロリストというレッテルを押し付けられたあげく命まで狙われた。
自らの身を守るため、イスラム女性はベールを解き、男性は誇りであった髭をそり落とすほかなかった。
自分のアイデンティティーを隠さねばならない屈辱にじっと堪え忍ぶ日々。
しかし皮肉なことに、モスラムであることとテロ事件を関連付けることのできないカーンだけは、どこにいっても昔と何も変わらぬカーンのままだった。
そのこと(いわゆる丸腰で旅に出た)が、この映画のテーマをより引き立たせている。

彼にとって一番大切だったのは、マンディラの心を取り戻すこと。
彼女にもう一度会いたいという純粋な気持ちだけで大統領に会いに行く、その滑稽ともいえる無謀さが愛おしさに変わっていき、いつしか必死で彼を応援する自分に気づく。

少々雑な進行ではあるが、9・11によってアメリカがどのように動いたかがモスラム側から見ることができる
貴重な映画だと思う。
主演のふたりはボリウッドのスター。
歌って踊らなかったのは、共演して初めてだという。


千両役者。ロバート・デ・ニーロ

2010-08-19 11:33:23 | movie
Pちゃんが大の映画好きということもあって、我が家はほぼ毎日といっていいほど夕食のときに映画(DVD)を見ている。
今までゆっくり映画をみる暇などなかった私にとっては、
これほど大量に映画を見たことは人生の中でない、ってくらいだ。

面白いことに、こんなに大量に見続けていると、記憶に残る映画とそうでない映画が実にはっきりしてくる。
記憶に残るかどうかはいい映画かどうかとは別の話だけれど、
やはりいい映画(=私的には「いい演技」「いい脚本」「いいエンディング」の映画)であることが多い。



昨日見た映画は、そういう意味でもとても心に残るいい映画だった(エンディングは例外だが)。


『Everybody's Fine』。主演は、あのロバート・デ・ニーロ。


私はデ・ニーロという人の演技がとても好きだ。
それもアル・カポネを演じた頃の凄みのある彼ではなく、最近の映画に見られるような、シリアスでありながらどこかコミカルな一面をもつ“かわいいおじいちゃん”的な役柄。
『Meet the Fockers』、『Meet the Parents』などはその傑作(だと思う)。


そのデ・ニーロが、この最新作『Everybody's Fine』で妻に先立たれた初老の父親を演じている。
妻の死から8ヶ月、立派に巣立っていった4人の子どもたちが久々に我が家に集まることになったある週末。
再会を楽しみにしていたフランク(デ・ニーロ)のところに、子どもたちから次々とキャンセルの電話が入るところから映画は始まる。
がっかりするフランク。
子どもたちが来られないのならば自分から行って驚ろかせてやろうと、健康の不安をおしてフランクは
“画家”になった次男、“広告業界で成功している”長女、“指揮者”になった長男、“ダンサーで活躍する”次女を訪ねてNY、シカゴ、デンバー、ラスベガスを巡る旅に出ることを決意する。

ところが、サプライズを狙ったはずの子どもたちは皆、どこか歯切れが悪い。
それぞれ何か問題を抱えているようだが自分には語ろうとせず、なんとかごまかして一緒にいる時間を減らそうとさえする始末。
旅を続けるうちに、フランクは自分と子供たちとの間にある深い溝に徐々に気づき始める。

今まで妻がいなければ、子どもたちのことはなにひとつ知らなかった自分。
「人に誇れるような大人になるんだぞ」「がっかりさせるんじゃないぞ」と子供たちにプレシャーを与え続けて育てていたことが、
パーフェクトになれなかった彼らを怯えさせ、心を遠のかせていた自分。

そして、子どもたちは父親に隠さなければならないある共通の重大な「秘密」を抱えていた。



週末の子どもたちの訪問を待ちきれずにうきうきと支度を整えるチャーミングなパパ。
彼らから次々と入るキャンセル電話に打ちひしがれる姿。
子どもたちに会いに行く道中、“成功した”子どもたちの写真を見知らぬ人に見せる笑顔。
そして、すべてを知ってしまったときの途方にくれたトホホな表情・・・
子供との絆を失った初老の父親の心の機微をこれでもかと見せつけられ、思わず鼻の奥がツーンとなる。
さすが、名優デ・ニーロだ。


父親を長くやっている人。
父親になろうとしている人。
すべての父にみてもらいたい、映画だ。
といいつつ、残念ながら日本では未公開のまま。(いずれ公開されるときには是非見てほしい。)

また、この映画は、マルチェロ・マストロヤンニ主演のイタリア映画『みんな元気』(1990):原題「STANNO TUTTI BENE」のハリウッド版リメイク。
オリジナルはVHSで公開されているので、そちらを見る手もあり。

家族の絆について、深く考えさせられます。

『The Cove』

2010-04-07 13:15:22 | movie


英題: THE COVE /製作年: 2009年/ 製作国: アメリカ /日本公開: 2010年初夏 /上映時間: 1時間31分 /配給: アンプラグド


概要:クジラの街、和歌山県・太地町の入り江(コーヴ)でひそかに行われているイルカ漁をとらえた衝撃のドキュメンタリー。
美しい海岸線が広がる和歌山県太地町にある小さな入り江では、毎年9月になると町を挙げて立入禁止にするほどの厳戒態勢の中、ひそかにイルカ漁が行われていた。
そのイルカ漁の実態を、1960年代の人気ドラマ「わんぱくフリッパー」の調教師で、現在はイルカの保護活動家であるリック・オバリー率いる特殊撮影チーム(水面下のサウンドとカメラのエキスパート、特殊効果アーティスト、海洋探検家、アドレナリンジャンキーそして世界レベルのフリーダイバーから構成)が白日の下にさらす。
血で真っ赤に染まる海と、叫び声を上げ逃げ惑う大量のイルカたち。また、水銀汚染されたイルカ肉を学校給食にと売り出す太地町や、イルカ肉を鯨肉と偽装して販売する業者など、さまざまな知られざる問題も明らかになる。


★ ★

私がはじめてTAIJI(太地)の名前を聞いたのは、去年の夏のこと。
車のラジオから流れてきたあるインタビューで、TAIJIは日本のある町の名前で、そこでは毎年見るも恐ろしいイルカ漁が行われている、ということを知ったのだった。
情報が一方的すぎて気分が悪くなった“当事国”の私は、聞き覚えのない“TAIJI”という名前をメモるとすぐラジオを切ってしまった。
今から思えばあれは、この映画の上映に先立ってプロモーションをかねた監督またはリック・オバリーへのスペシャルインタビューだったのだろう。

そのとき気分が悪くなった理由のひとつは、「またか」という気持ち。
“魚をリスペクトしない欧米諸国VS日本”という構図の中での出口のない議論は、鯨問題でもう飽き飽きしている。
かわいそうだから殺してはいけない、食べてはいけない、殺し方が残酷、というなら「じゃぁ、牛や豚を惨殺しているお前らはどうなんだ」という水掛け論になる。


しかし、この映画は今年のアカデミー賞の“べスト・ドキュメンタリー賞”を受賞。世の注目は一気に集まることになる。
アカデミーはいわゆる内部告発モノがお好き。おまけにこれは欧米人に圧倒的に受けるテーマだ。
だからこそ、日本人としては議論するためにも絶対に見ておかなければならない。
図書館にDVDが入荷したのですぐに借りてきてじっくり見た。



感想をひと言で言えば、
「食の安全にテーマをすりかえた余計なお節介映画」。
別の言い方をすれば、これはれっきとした「映像のテロ」でもある。
立ち入りを禁止されているところに許可なく立ち入って、人を食ったような白を切り無理やり映像化して世界に発表したという抜き打ち手法は、やられた当事国の人間としてやはり気持ちいいものではない。
しかし、人はダメだと言われると余計に覗いてみたくなるのも事実だ。
その“禁断の場所”に、ハリウッドの特殊映像プロフェッショナルたちが偽岩に埋め込んだ高解像度ビデオカメラを崖の上に仕込み、鯨の形をした飛行船を浮かべて遠隔操作で上空から漁を撮影し、世界的フリーダイバーが夜中に入り江に忍び込んで海底に水中カメラを仕掛ける。
さながらノンフィクションのスパイ映画を見ているようで、もしも私が何の関係もない国の人間だったら心の中で最高のスリルを味わっていたに違いない。
現に、Pちゃんは「この映画はグッド・エンターテイメントだ」と表現していたのだから。

執念のかいあって、映画の中では生々しいイシーンをこれでもかと見せ付けることに成功している。
普通の人間じゃかわいそうでとても正視できない。
しかし、である。この“かわいそう”という感情こそが曲者。
あとで冷静になって考えてみると、製作者の意図にまんまとはまった自分に愕然とする。

<構成>
~前半のすりこみ~ イルカは“知能的でかわいい”生き物である。

・イルカは人間とコミュニケーションできる高い知能を持っている。
イルカに「命を助けられた」サーファーや世界的なダイバーたちの証言を美しい水中映像を交えながら紹介。
・自分(オマリー)の懺悔。
イルカ調教師としてイルカを見世物にしてしまったことを後悔している、と切実に語る。自分のかわいがっていたイルカはストレスのために自ら息継ぎを拒み自殺」したという衝撃の証言。

~後半のすりこみ~ 太地でのイルカ漁は絶対に許せない!

・太地ではそのイルカの殺戮が行われているばかりか、鯨肉と偽って販売されている。
・イルカ肉にはWHO規定の20倍もの水銀が含まれていて人体にとってきわめて危険と知りながら、売りさばいている。ほとんどの日本人はこれを知らない。
・だいたい日本政府はいまだ捕鯨をやめない。票を金で買ってまで続けている醜いやつらだ。
そしてクライマックスで、イルカの血の海で真っ赤に染まる入り江の映像が流れる。


自分たちの理論を一方的に映画を作って告発した者勝ちなのなら、アメリカでBSEに感染した牛を検査せずに売りさばく業者たちのドキュメンタリーを、アメリカ以外の国が作って発表すればいい。
しかしそんな“告発ごっこ”は亀裂を生むだけで何の解決にもならない。
国によって食に関する考え方が、あまりにも違いすぎるからだ。

昔、テレビドキュメンタリーで、ある日本の小学校のクラスと彼らが育てていた子豚との物語を見たことがある。
当番を決めてえさをやり、体を洗い、散歩に連れて行くなど嬉々として世話をする子どもたち。
しかしこの子豚がやがて成長し、クラス全員で豚のこれからについて真剣に話し合わなければならなくなる時がやってくる。
いろいろな選択肢を何度も話し合った末、最終的には食肉業者に引き渡すというつらい選択をし、担任の先生もクラスもみんなで号泣しながら見送る。
そしてみんなで「食べる」ということの意味をじっくりと考えるという内容だった。
これこそ真のドキュメンタリーではないだろうか?
生きることは、他の生を感謝していただくということだ。
人間に近い知能を持っているから、かわいいから殺しちゃだめ、というのは、そもそも食や生に対するリスペクトがない人間が言う言葉だ。
(もちろん、イルカを食べる必要があるかはどうかは疑問だが)

★ ★

しかしそれとは別に、どうしても拭い去れないこのイライラ、もやもや感。
そのひとつは、イルカ漁の是非云々よりも、日本人はWHOで規定されているレベルの20倍もの水銀に汚染されたイルカを「勝浦産生クジラ」と偽って買わされ食べている、さらにそれを国が隠蔽しているという事実を正面から見せられたことだ。
食の安全、国民の健康にかかわることを、なぜ国(自治体)は隠していたのか?そこまでして隠すのはいったい何のためなのか?
それがどうしても理解できないのだ。

映画の中で、1950年代に大きな社会問題となった水俣病訴訟が例に出される。
産業汚染廃棄物を秘密裏に海に垂れ流しにしていたチッソと、それを知りながら病気との関連性を隠し続けていた日本政府の生み出した悲劇。
「これは水俣“病”という病ではないのです。毒をも盛られた結果起こったことなのです。日本はまた同じ過ちを犯そうとしている」

イルカの肉には許容量をはるかに上回る水銀が含まれていること、イルカの肉は鯨肉として売られていること、これは科学的evidenceのある事実である。
もしこれが日本をバッシングするための作り話であるなら、日本政府はうそである科学的証拠を堂々と示して反論すべきだ。
そうしてこそ初めて同じ土俵に立って議論ができるというものだ。

第2のもやもや。
「どうしてこの告発を、日本(のメディア)ではなく外国人、しかも食の安全などどうでもいいようなアメリカ人なんぞにされなければならなかったのか?」
日本人が作った映画なら、きっとこんな惨めな気持ちにはならなかっただろう。
映画の中で、ふたりの太地町議会議員が名前と顔を出してイルカの水銀汚染値を告発していたのがせめてもの救いだったが、彼らはきっとただではすまないだろうという心配のほうが先に立つ。

出る杭は打たれる。長いものには巻かれよ。知らぬが仏。
日本人はいつから、間違っているものに堂々と意義を唱え一人でも立ち向かう勇気を失ってしまったのだろうか。
食肉偽装を暴いた内部告発者に「今はただむなしい。こうなるとわかっていたらやらなかった」と言わしめる、この国全体を包む陰湿なムードは何なのか?
アメリカもたいがい腐っているが、ここには少なくともマイケル・ムーアがいて彼の映画を文字通り命がけで上映しようとする映画館が存在する。
日本でマイケル・ムーアのような人間はたぶん“変人”扱いだろう。

『南京』を上映中止に追いやり、『The Cove』も上映が見送りされるような日本は、まるでGoogleの検索から天安門事件を抹殺している中国政府となんら変わりない。
日本人は知らないが世界はみんな知っている、そんなことがこれからどんどん増えてくるようで、そのほうがイルカ漁の是非うんぬんよりももっと恐ろしい。


言いたいことはいろいろあるが、今はただこの映画を作ってくれてありがとう、といいたい。
「他国の食文化に口を出すな」という考えは変わらないが、少なくとも日本の和歌山の太地というところで毎年2万3000頭のイルカ漁が行われていて、それが鯨肉として売られているという事実は知ることができた。
日本では今年初夏に全国公開されるという。(予定)
日本人なら、必ず見てほしい映画だ。そして意見を持たなければならぬ。

★ ★

先日のニュースで、西オーストラリアのブルーン(Broome)市がこの映画の公開後、イルカ漁に抗議して太地町との姉妹都市提携の停止を決めた、と伝えていた。
ブルーンはもともと太地町から多くの漁師が移民して栄えた町。その日本人入植者たちの墓地が、反日感情から荒らされているという。
こういうHate Crimeを聞くと本当に情けなくて悲しくなる。

これからハワイやオーストラリアに出かけて、のんきにイルカツアーに参加しようと考えている若者はくれぐれも注意したほうがいい。
必ずこう聞かれるだろう。
「君はTaijiを知っているのか?『The Cove』を見たのか?」と
「知らなぁ~い」じゃすまされない。


※関連記事

太地のイルカ漁描く映画「THE COVE」日本公開を期待

「Departures」(おくりびと)

2010-03-15 05:03:14 | movie
オスカー受賞から丸1年経って、先月やっと『おくりびと』(英語サブタイトル入り)のDVDが近所の図書館にやってきた。
満を持してやっと、見た。

鑑賞後の感想は、「・・・・?」。
自分のなかでものすごく期待していたぶん、ちょっとなんだかす~っと腑に落ちない感じだ。
普段映画を評価するポイントとして私は、「いい演技」、「いいスクリプト(脚本)」、「いい音楽」をあげている。これが超好きな映画となると「もう一度、いや何度も見たい」と思えるかどうかがプラスポイントになる。
そういう意味では、この映画は私的には「ちょいいい映画」くらい。

ひとつめの「いい演技」に関しては、まずもっくんが物足りない。
この人、容姿には花があるのにどうも主役をはるオーラのようなものが感じられない。妻役の広末もまったくダメだ。
むしろ周りの俳優陣の名演に助けられてこの映画はようやく成り立っていたように思う。
「死」というテーマを、納棺師というきわめて異色な職業をからめて描くという意味では独特で面白いのだが、結局何が言いたかったのだろう?
人が死ぬと、それを処理する人も必ず存在する。その「旅立ちのお手伝い」をする人=納棺師の崇高なまでの職人意識は、その美しい所作ともあいまって確かに納得させられるのだが。

映画のもうひとつのテーマとなっていたのが、主人公(もっくん)が小さいころ家族を捨てて女と逃げた、父親との父子関係。
彼の中でトラウマとなって消えることのない、やさしかった父親の残像が最後の最後に悲しい現実として目の前に現れる。
やっと会えた父親を、彼は“プロフェッショナル”として見送り、映画は静かに幕を閉じる。

美しい・・・でも何かが残るかといえば残らない。
いや、残ってくれと思うんだがどうしてもだめだ。どうしてだろう?

思うに、これは外国人(賞)向けによくマーケティングされた映画だったのかもしれない。
「死」という、なかなかアメリカ人には描ききれないテーマに正面から挑んだこと。
またそこに日本文化独特の「様式美」を取り入れ、それを繰り返し見せることで見る側にやがてはやってくる死=崇高な世界へバーチャル体験させたこと。

見てください、日本では死への旅立ちに際してこんな美しい儀式があるんですよといわんばかりだが、私は納棺師という人を見たことがないし聞いたこともなかった。
じいちゃんが亡くなったときも確か、葬儀屋さんがさっさと納棺していたように思う。
この映画をみた外国人はさぞかし「日本人はいつもこうやって死者を美しい儀式で送り出すのか」と感服しただろう。でもそれが日本人としてかえって面映い。

また、DVDに収められていたの監督スペシャルインタビューの中で、「なぜ最初に出てくる死者は性転換者という設定にしたのか?」という質問に、(私もそこにはとてもひっかかりがあった)、滝田洋二郎監督は、
「日本においてこういう(性転換)事例があること自体、外国からはまだまだ珍しいと思われているのかもしれない、そう思って敢えて作品のフックとして入れてみた」というような話をしていた。
それを聞いてなんだか余計に興ざめ。つまり、この映画ははじめから「外国人の観客の目(外国での賞狙い)」を意識して作られたいたということを暴露してしまったように思えたからである。

その狙いははまり、海外ではあらゆる映画賞を受賞、日本作品として初のオスカーも手に入れた。
もちろん外国人のPちゃんにも相当衝撃的だったらしく、「また見たい。とてもいい映画だ」と、結構辛口な彼にしては珍しく絶賛の映画だった。

つい先日、バークレー時代の英語の先生で今は台湾で英語を教えているアズリエルからメールがきたのだが、
「君は『Departures』を見たかい?この映画はここ数年見た映画の中で一番すばらしい映画だった」と彼も大絶賛だった。
彼は自他共に認める映画通で、アメリカだけでなく世界中の映画を見るのがライフワークのような人。知らない映画はない、というような人物だ。
その彼をしてこう言わしめる魅力はいったいなんだったのだろう?


そして、Pちゃんとアズリエルのある共通点に気づいた。
ふたりとも「父子関係」にトラウマを抱えていることだ。
Pちゃんは、まだ彼が赤ちゃんだったころに家を出て行ってしまった本当の父親の顔を知らない。
アズリエルの父親も、彼がまだ幼いときにふらっと家を出て行き、インディアン居住区でしばらく暮らしたあと十数年後に別人のように老いぼれて何の前触れもなく帰ってきたという相当な変わり者らしい。
ふたりとも思春期に本当の父親の愛情を知らずに育ち、心の奥底で「父」に飢えている。
そのふたりの心をつかんだのが多分、あのラストシーンだったのではないだろうか。

「少なくとも彼(主人公:もっくん)には愛されたという思い出があるけどね」とPちゃんがぼそりとつぶやいた。
それが最後まで主人公と父親との絆を支えていたのかもしれない。



死体のあるところドラマあり、という点ではこの映画もオススメ。
『サンシャイン・クリーニング』

いい映画です。

オスカーナイト。

2010-03-11 02:44:55 | movie
さて、お待ちかねのオスカーナイト。
今夜のメニューは、ミートソース・パスタとメロン(カンタロープ)のプロシュート巻き(Pちゃんの得意技)。赤ワインの用意も万端だ。

とはいえ、今年はなんだか気持ちが盛り上がらない。
司会もなんだかうざったいし、プレゼンターも受賞者(作品)を棒読みするだけで拍子抜けするし。
去年のように、日本の作品がノミネートされているわけでもなく。

やはり一番の見所は、世間が煽るせいもあるが「Best Picture」と「Best Director」の行方だ。
『Avatar』の感想は前に述べたが、一方の『The Hurt Locker』。この作品がまた、泥臭い。
“戦争”がテーマにあることは共通しているが、Avatarとはまったく逆路線を行く、「いつ何が起こるかわからないドキドキサスペンス感」が全体を包んでいる。
イラク戦争における爆弾処理班の任務をドキュメンタリータッチで描いた作品で、自らの命を顧みずに次々と仕掛けられた爆弾や地雷を処理していく兵士の姿
に身が凍りつく。
女性であるキャサリン・ビグロー監督がここまで骨太な“戦争もの”を描ききったことにも驚く。
2004年にイラク戦争が始まってから作られたいわゆる戦争もの映画は、反戦メッセージを色濃く出したものがほとんどだったが、この映画は戦場での日常を克明に追っているだけで監督からのダイレクトメッセージは前面に出てこない。

昨日までまとわりついていたイラク少年が、今日は爆弾を体に埋め込まれて発見される。
体中に時限爆弾をぐるぐる巻きにされて処理班に命乞いをするイランの一般市民の体が、次の瞬間には木っ端微塵に吹きとぶ。
こんなクレイジーな毎日が6年もたった今も繰り返されている、その“事実”に脱力してしまうのだ。


だから、見終わった感想はただひとこと、これにつきる。

「悲しいけど、これ戦争なのよね」
(by スレッガーさん : ガンダムより)



そしてオスカーの行方は作品賞、監督賞ともに『The Hurt Locker』がさらっていった。
ある意味、反戦メッセージを打ち出した『Avatar』ではなく、静かに事実を語った『The Hurt Locker』が勝利をおさめたわけだ。
わずか1500万ドルの予算で作られた映画が、3億ドルかけて贅を尽くした映画を凌駕する、これもオスカーの面白いところ。

「オスカー初の女性監督賞」という話題を狙ったのかもしれないが、やっぱりアカデミーはこういうのがお好き、というのが見え見えだ。
2008年に完成していたもののブッシュ政権下では配給先がみつからず、オバマ政権に交代してやっと日の目をみたという影のストーリー。
よりリアルに見せるために、あえて有名俳優を使わなかったというエピソード。
そんなものが3億ドルの超弩級映画を蹴散らし、6部門を総なめにしたというところにアカデミーの意図が感じられて面白い。


しかし。
個人的に『The Hurt Locker』はいい映画だとは思うが、こんなに総なめするほどグレイトだったかと問われるとちょっと疑問が残る。
話題性だけではなく、いい俳優のいい演技によるいいストーリードラマがBest Pictureに選ばれるアカデミー賞を、来年は期待しよう。



私の超オススメはこれ。
今年のオスカー長編アニメ賞、作曲賞を受賞。
ピクサー、万歳!

 『Up』(邦題:『カールじいさんの空飛ぶ家』)
音楽がいいんだな~。



映画の日。

2010-03-10 01:53:18 | movie
アカデミー賞発表を前にどうしても『Avatar』を見ておきたくて、日曜日の午後、Pちゃんとふたりで近所の巨大シネマに駆け込んだ。
アメリカ人が何の遠慮もなしにくしゃくしゃ食うポップコーンの音が嫌いで、映画館そのものが大嫌いなPちゃんだったが、何しろ3Dムービー、家で見るよりは映画館のほうがいいに決まっている。
ここはポップコーンに目をつぶって、やっと重い腰を上げたというわけだ。


(C)2009TwentiethCenturyFox.Allrightsreserved.



この映画館、20スクリーン以上もあって大きさは東京ドーム級。
一度お金を払ったらいくらでも見放題なので、朝から夜中まで居座って3~4本見続ける人もいるらしい。

そして映画を見たあとの最初の感想は・・・

これって、『もののけ姫』そのものじゃん。
しかも戦闘ロボットはまるで、『エヴァンゲリオン』だし。



大騒ぎした割にはテーマが特に新しい、というわけでもなくその点ではちょっと拍子抜けの感。
しかし。やはり金をかけただけのことはあって映像は息を呑むほど美しい。特に3Dで見るスクリーンは圧巻だ。
前半で見たパンドラの世界があまりに美しかったせいか、後半でそれらが無残にも破壊されていくシーンでは知らず知らずのうちに涙が出ていたくらいだ。


一方Pちゃんはというと、いかにもサイエンティストらしく
「原住民を含むすべての自然体系がニューロンでひとつにつながっていて、何千年もの間その記憶を共有している、というアイデアが斬新で素晴らしい」という感想だ。


自然を愛で、人間はその中の一部として生活を営んできた日本人の感覚からしてみれば何もそう新しい発想ではないんだけれど。
『千と千尋の神隠し』がアメリカ人に衝撃的に受け止められた理由もここだった。
一神教(キリスト教)を信仰するアメリカ人にとって「自然の中に神が宿る」という多神教的考えがとても新しかったのだろう。
それもあってか、さっそく保守派キリスト教徒からは「アバターは危険だ」という声もあがっているそうだ。

また、『アバター』は反戦リベラル映画である、という見方もできる。
実際映画の中で、人間とパンドラ星ナヴィ族との最後の戦闘を前にして、圧倒的軍事力を誇る“地球軍”がディック・チェイニー前副大統領がかつて言ったセリフそのままを訓示する場面もあり、思わずPちゃんと顔を見合わせて噴き出してしまった。

そんなことを考えていたら面白い記事を発見。


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「アバターは反米・反軍映画」保守派いら立ち
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100130-OYT1T00839.htm

 【ロサンゼルス=飯田達人】世界興行収入の記録を更新中の米映画「アバター」(ジェームズ・キャメロン監督)について、米国の保守層などから「反米、反軍の映画だ」といった批判が相次いでいる。

 3D(立体)技術を駆使した娯楽大作が思わぬ論争を巻き起こした底流には、アフガニスタンやイラクでの長引く戦争に対する米国民の厭戦(えんせん)気分と、それに対する保守派のいら立ちがある。

 ◆教会からも

 映画の舞台は22世紀の星パンドラ。希少鉱物を狙う人間たちは、美しい自然と共生する先住民ナヴィと戦う。元米海兵隊員ら軍服の人間は、圧倒的な軍事力で自然破壊をいとわない悪役として登場、「先制攻撃が必要だ」「衝撃と畏怖(いふ)を与える」などと、ブッシュ前政権の戦略そのままのセリフを口にする。

 保守派の論客ジョン・ポドホレッツ氏は自身のサイトで「観客は米兵の敗北に声援を送るようになる。強烈な反米的内容だ」と非難。現役海兵隊員のブライアン・サラス大佐は隊員向け新聞に「軍の未熟さや凶暴さが異常に強調され、誤解を与える。ひどい仕打ちだ」と記した。

 保守派らの反発には、長期化する戦争から民意が離れている現状への焦りが読み取れる。CBSテレビなどの昨年末の世論調査では、アフガニスタンでの戦況が「良くない」と感じる人は60%に達した。

 自然の中に神が宿るという、キリスト教などの一神教とは相いれない信仰をナヴィが持っている点にも批判が出ている。

 保守派コラムニスト、ロス・ドーサット氏はニューヨーク・タイムズ紙で、「映画は、神と世界が同一という汎神論的な考えに共鳴するキャメロン監督の長い弁明」と指摘。カトリック教会の一部からも汎神論の思想が広まることへの懸念の声が出ている。

 ◆監督は反論

 近年のハリウッドの大ヒット作は、ヒーローが活躍する単純な作品が多かった。これに対し、アバターが戦争、宗教、環境など米国の国論を二分するようなテーマを含んでいるのは事実だ。

 映画の脚本も担当したキャメロン監督は、ロサンゼルス・タイムズ紙のインタビューで、「この映画は我々が戦っている戦争を反映している。兵士は不当に戦場に送られている。この映画で目覚めてほしい」と語り、ふたつの戦争に反対するメッセージを込めたことは認めた。一方で、米軍批判との指摘には、「心外だ。私の弟は海兵隊員だが、彼らを心から尊敬している」とテレビ番組で反論した。

 同紙の映画評論家、ケネス・トゥーラン氏は、「かえって映画の宣伝になり、キャメロン監督の思うつぼではないか」と皮肉っている。

(2010年1月31日13時05分 読売新聞)

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さて。
映画館鑑賞のあとは家に戻っていよいよオスカー鑑賞。
注目はBest PictureとBest Director。
ジェームス・キャメロンの『Avatar』か、はたまたキャスリン・ビグローの『The Hurt Locker』か。


(オスカーナイトに続く・・・)