Life in America ~JAPAN編

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不寛容な時代

2022-01-27 19:31:45 | ニッポン生活編

 

 

先進国のなかでも日本は3回目のコロナワクチン接種が大幅に遅れている。

日本政府は前回の失敗から何も学んでいないらしい。

そればかりか、PCRテストキッドも全く不足しており、テストしたくてもできない人が続出。実際の陽性者数はきっと、今の10倍は下らないだろうとさえ予測されている。

我が家には基礎疾患(それも呼吸系)の難病を持った高齢者がいるので、私はのんびりと接種の順番を待っているわけにはいかない。

ワクチン接種1回目も2回目も、市からの接種券が届く前に市内の某病院でさっさと打ってもらった。

これで自分が誰かに感染させる確率が激減したと思うと、どれほど安堵したことだろう。

あれから約7か月。

もちろん3回目の接種券など市から届く気配も見られず、そんなときに以前と同じ病院で3回目の接種をやってくれると聞き、さっさと接種した。

こういう情報はあらゆる方向から回ってくるもので、それを知った翌日にはすぐに病院のWebサイトから予約を済ませ、同時に当日診察しなくてもいいようにWeb診断も済ませてあとは日を待つばかり。

 

それにしても、だ。

 

前回もそうだったけれど、ワクチンがあるのならなぜさっさと希望者に打たないのだろう?

このような動きの速い民間の病院がどうして増えないのだろう?

ワクチン接種の予約システムを、どうしてほかの病院でも共有して有効利用しないのだろう?

そればかりか、

「抜けがけしやがって」

「(ワクチン接種で)自分の病院の利益のためだろう」

という”誹謗中傷”が先手を打った病院に寄せられているとも聞いた。

なぜ人の命を守ろうとがんばった病院が、このような心無い”誹謗中傷”にさらされなければならないのだろう?

 

日本人の横並び意識は、ただの不寛容につながっていく。

どんどんと人民の恥部があけっぴろげになっていくようで恐ろしい。

 

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思い出の8ミリを次世代へつなぐプロジェクト

2022-01-25 18:06:58 | ニッポン生活編

昨年(2021年)11月21日の新聞で「徳島大学が一般家庭に眠っている昔の貴重な8ミリ映像を無料でデータ化するプロジェクトをたちあげた」という記事を見つけて思わずガッツポーズ。

まさにこの瞬間を待っていた!

亡くなった祖父は記録魔(フリーク)のうえ新しいもの好きで、私がよちよち歩きの時からもう、8ミリを回していたのを覚えている。その時代にはまだまだ珍しかったマシンを頑張って手に入れたのだろう。

残された写真の量も膨大だが、それに加えて8ミリもかなりの数残している。

祖父が亡くなってそれらは誰からも関心を持たれずに部屋の隅に放り出されていたのだが、ある時意を決して私が全て救い出しておいた。

いつかかならず、これらを蘇らせてくれる”文明の進化”を待とう・・と。

あれから約30余年・・・。

記事を見て「我が家のフィルムをデジタル化してもらえないだろうか」と徳大の地域創生室に連絡を入れたところ、時間は約束できないけれど、と快諾していただき後日研究室に届けた。

時間なんて、そんなこと。もう30年も放ったらかしにしていたのですから。

 

徳大がこの事業を始めたのには、理由がある。

我が家がそうであったように、民家に残る貴重な昔の映像が「断捨離」の名のもとに廃棄されていることに危機感を覚えた、というのがそのひとつ。

かといってそれらの膨大な資料をデジタル化する事業を徳島市が担うには、人手がとても足りないうえにおそらく100年かかっても終わらないだろう。

遺族が高齢化していて断捨離の危機にさらされている今やらなければ、手遅れになる。そう思った徳大の研究室が、学生の力を借りながら「宝さがし」を始めたというわけだ。

これを機に私もようやく段ボールを紐解いてひとつひとつの8ミリを取り出してみた。

「家族」とか「犬」とか書かれたごくプライベートなものに交じって、「オリンピック」「阿波踊り」「狸まつり」という、歴史古いものもある。

市民が何気なく記録した映像から、実は本当の歴史が見えてくるのかもしれない。

こんな地道なプロジェクトを今たちあげてくれた徳島大学に、心から感謝!

デジタル化できたら家族で上映会をするのが今から楽しみだ。(ちょっと怖いけど・・)

 

 

 

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人形浄瑠璃出前授業

2022-01-20 22:28:23 | ニッポン生活編

久しぶりに徳島に雪が舞い散ったある日。

県内のある小学校に、”伝統文化体験授業”として人形浄瑠璃の授業に出かけた 😃

私にとっては初体験。

師匠によると、コロナの前は結構県内あちこちからお声がかかって出前授業に行っていたそうだがやはり時節柄、めっきり回数が減ってしまっていたという。

一緒に参加したのは、人形座:勝浦座さん、そして友和嘉師匠(三味線)と私(義太夫)。
 
まずは『傾城阿波の鳴門 順礼歌の段』を3・4年生の前で実演し、師匠が生徒たちに浄瑠璃についての簡単な解説。
その後休憩をはさんで、太夫、三味線、口上、人形の4チームに分かれて20分間個別練習。
最後は3チームで実際に3分ほどの実演発表会をした😉
 
私が教えたのは義太夫のパート。でもみんな初めてとは思えないほど、元気な声で抑揚をしっかりつけて語ってくれた。
「これが徳島のDNAなのか」とびっくり!
とくに20人全員でお鶴ちゃんのセリフを語ったときは思わず「かわい~~💓」と萌えて悶えてしまった(笑)。
 
こんな地道な活動を続けることが、未来の伝統芸能をしょって立つ人材の確保にきっとつながるはず。
私たちが今できるのは、こんな伝承活動だけだ。
 
地元にはこんなに素晴らしい芸能があるんだ、ということが彼らの中で「シビル・プライド」として残ってほしい。
 
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死ぬまで現役

2022-01-17 18:03:56 | ニッポン生活編

昨年末、ちょっとサプライズ的なうれしい出来事があった。

前職でお世話になった方(当時の大阪支社長のKさん)から、かれこれ25年ぶり(?)突然連絡をいただいた。

親しい友人を通じて、Kさんが私に連絡を取りたがっているとは聞いていたのだけれど、まさかいきなり携帯に電話がかかってくるとは思ってもみなかったのでびっくり。

お話によると、Kさんは前職を退職されてから思うところあって昔から好きだった伝統芸能の伝承に貢献したいと、さる芸術団体に多額の寄付をしたのだという。

世界に誇るべき日本の伝統芸術・文化を廃れさせるわけにはいかぬ、という使命感もそうだが「金持って死なれへん。回してなんぼ。世の中のために有効に使わんといかん」という信念からだった。

記憶にも新しい、橋本大阪市長(当時)が大阪の文楽協会への補助金を大幅カットした2012年の”文楽事件”のあと、文楽は大きな打撃を受けたばかりか、その余波は淡路を含む兵庫や徳島にも少なからず及んでいる。

それに憤慨したKさんは、当初思っていた寄付額に”怒りの上のせ”をしたわ、と笑っていた。

 

そんなとき、風の噂に私が義太夫見習いをしていると聞き、昔懐かしさもあってすぐに連絡をくださったのだという。

「30年計画で地元の伝統芸能のためにこつこつ頑張ります!」という私に

「おおそうか!それは素晴らしいな。徳島にもはよ見に行きたいわ~」

 

25年ぶりとは思えない、関西弁炸裂の昔と変わらないノリで会話が弾み、それはそれは楽しいひと時だった。

最後には「お金持ちのKさん、徳島にも寄付おくれやす(笑)」と冗談。

 

私は常々、人は金を持って死ねないのだから、生きている間にお金は有効に使おう、自分に投資しよう、自分でかなわなかったら一銭残らず世の中にきれいに還元して死にたい、と思っている。
そんな気持ちを共有できる素晴らしい元ボス(直属じゃないけど)と再びつながれたことは、2022年以降に大きな期待、希望を持たせてくれた。

 

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石の上にも3年。

2022-01-15 00:45:24 | ニッポン生活編

ちょうど3年前の今日、私は人形浄瑠璃と運命の再会をした。

毎日がただただあわただしく、ストレスでつぶれそうになっていた。

そんなときに安らぎを与えてくれ、なんだか未来に明るい希望をくれたのが浄瑠璃という世界だった。

「ここに帰ってきた」理由を私にくれるものに出会ったと直感して、私はそれに飛びついた。

 

それから3年。

 

なんだか不思議。

もう10年くらいたったような気がするほど濃い日々だった。

まだ義太夫としては見習いのペーペーだけれども、幸いにもたくさんの舞台に立たせていただき、多くのことを学べた実りの多い3年間だった。

昨日はなんと、県内の小学校に”伝統文化体験授業”として出前人形浄瑠璃授業に出かけ、子供たちに簡単に「義太夫レッスン」をするという体験をさせていただいた。

次世代に伝えていく活動は私のこれからの目標の一つでもあったので、本当にうれしい

 

”30年計画”出始めたこの道(笑) 

私なんぞはまだまだ”若手の身” 

しっかりと楽しんで、やっていこう。

 

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謹賀新年。今年こそ!(笑)

2022-01-14 16:58:45 | ニッポン生活編

まさかここまでコロナが長引くとは思っていなかった、2022年の幕開け。

2019年年末に非常勤で始めた英語教師も、12月のコロナ国内感染が(そのときはまだ「ダイヤモンドプリンセス号」がどうのこうの・・という状態だった)、1月~2月と急増して3月には強制終了。

あの時教えていた子供たちが、中学2年、3年とほぼほぼリモート授業となりこの3月には卒業してしまうのかと思うと、なんだか悲しい。

こんな中学生活ってある❓

彼らにはこれを乗り越えて、大きく世界に羽ばたいていってほしいと願うばかり。

 

私の今年の抱負は、海外進出。といっても、またシカゴに何らかの形で帰りたい、というささやかな願いだけれど。

コロナのおかげで一つだけいいことをあげると、2019年の3月に始めた義太夫のお稽古に全集中できたこと。

もちろんお稽古もマスクを余儀なくされ、公演の数も激減してしまったのだけれど、そのぶんゆっくりと今目の前にある外題に集中することができたし、他の方が嫌がった舞台にも出させていただくことができて場数を踏むことができた。

今年はこの経験を糧にして、海外公演に行けたらいいな、とひそかに野望を膨らませている私。

 

花の命は短くて。

昨年は、大切な人を急な病で次々と亡くし、年齢を重ねていくということはこういう悲しみがこれから次第に増えていくことなのだとも実感した。

だからこそ、散っていった命のぶんまで精一杯生きよう、と思う。

そして来年のお正月もまた、家族そろって新年を迎えられますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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