Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

挑戦しなけりゃ生きる意味がない。

2019-01-29 10:18:59 | ニッポン生活編

テレビではアイドルグループ「嵐」の活動休止が連日連や報じられていて、もううんざりだ。
だいたい、国営放送がニュース速報でテロップを流すようなことかよ!?
速報の文字を見たとき天災か訃報かと身構えたのに、こんなどうでもいいニュースって・・。

正直、嵐が5人だったということも、個々の名前も実はあまり知らない私だった。
嵐がまだパッとしないときに私はアメリカに行ってしまったから、この十数年の浦島太郎状態はあまりにも大きく、なんだか全く違うグループを見ているみたいな感じだ。
しかし、だいたい40才前の大人5人をいつまでも「アイドル」扱いするしかない未成熟な社会もいかがなものか、とつくづく日本の平和ボケを思う。

リーダーの大野(39歳)が「違う世界見てみたい」というのを聞いて、「ふつうの女の子に戻りたい」といったキャンディーズを思い出した。
中学時代からかれこれ20年もこの世界しか見ていないのだから、その気持ちはよくわかる。しかもグループだからよけいに個人的な才能を伸ばすキャリアの積み方は難しかったにちがいないのだ。
私が会社を辞めてアメリカに単身渡ったのは38歳のときだった。その時もそんな気持ちだった。もちろん、大野くんの今とは大違いだし、彼のように一つの世界にずっと縛られていたわけではない。それでも自分の可能性は他にもあると信じていたし、信じたかったし、その扉を開けるのは自分自身でしかないと思っていた。
これまでにもいろんなことに挑戦し、それなりにまぁまぁ楽しんでいた私でも、まだまだ違う世界を見たい、試したいという欲求は毎日途切れることはない。
自分にはまだなにかやれるんじゃないか、そういう思いを抱きながら何も生み出せないでいることが自分にとって一番のストレスになっているということに、最近気づいた。

家事も介護も全力でやるし、嫌いではない。
でも、自分の時間を「新しい挑戦」に使ってエネルギーを注いでいるという喜びがないことが耐えられなくなる。
私にはまだまだ多くのバケット・リストがある。アメリカ編、日本編とあげればきりがない。
その日本編のひとつひとつを今、紐解いて前に進んでいくことにする。
2019年は、ひたすら挑戦、新しい世界の幕開けだ。

人間死ぬまで挑戦だ。



Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藍と人形浄瑠璃の歴史

2019-01-15 08:25:54 | ニッポン生活編

家の中でずっとおさんどんをしていて、最近プチ鬱気味になってきた。
気分が沈むと人にも優しくなれない。悪循環を断ち切ろうと今日は一人で外に出かけた。

家から車で約10分ほどの距離にある、阿波十郎兵衛屋敷(あわじゅうろうべえやしき)






国指定重要無形文化財「阿波人形浄瑠璃」を毎日上演している、徳島の観光名所だ。
なのに、徳島人でも行ったことがないという人が多いとても残念な場所で、かくいう私も10代の頃に一度行ったきりその後一度も足を運んでいない。
ところが最近、徳島の観光業界関係者のミーティングなどで「上演前に流される浄瑠璃と徳島案内のビデオのクオリティが秀逸で観光客に一押し!」という声をきくことが多く、これは是非近々行っておかなければと思っていた矢先だった。
ちょうど、徳島の集落の祭りを2千点以上写真に収めたという、桧瑛司の写真展もやっているのでいいチャンス。(これは2月11日まで)

さて、この阿波十郎兵衛屋敷はもとはというと徳島の庄屋、板東十郎兵衛の屋敷跡。
1698年、阿波藩のお家騒動の濡れ衣を着せられて処刑された十郎兵衛。人形浄瑠璃の演目として名高い「傾城阿波の鳴門」では彼の名を借りてこのお家騒動が語られている。




徳島県は実は全国有数の「人形浄瑠璃の国」であることはあまり知られていない。
徳島県には、全国の人形芝居のための農村舞台が多く現存しており、毎年10カ所前後の農村舞台で今も人形浄瑠璃公演が行われている。
そのため、現在活躍している人形座や太夫部屋、人形師の数も群を抜いて全国トップなのだとか。

私の出身校の城北高校には全国でも珍しい「人形浄瑠璃部(民芸部)」というのがあり、立派な芝居小屋も校舎内にあった。
いつも放課後になると練習の音が聞こえてきていたので、浄瑠璃はいつも身近にあった。
学園祭などではチケットを販売して、近隣の方々が様々な演目を見に来ていたのを今でも思い出す。







今日は平日の午後とあって、私が観客席を独り占め。
ガイドの方の話では、たとえ観客がいなくとも上演はされるのだそうだ。


現在、徳島で人形浄瑠璃を上演している人形座(人形使いグループ)は11座あり、ここでは毎日違うグループが生で人形浄瑠璃を演じてくれる。本日の出演は「あわ工芸座」のみなさん。




おなじみ「傾城阿波の鳴門」巡礼歌の段の名シーン。
幼いころに分かれた父母を探して巡礼している9歳のお鶴が、実の母親お弓に巡り合うのだがお弓はお鶴の身に不幸が降りかかるのを恐れて親子の名乗りをあげずに帰してしまう。
抑えきれない母の情がほとばしり、見る者の胸を熱くさせる。



終演後に出演者の皆さんと記念写真を撮ることができる。これも私が独り占め!


人形座によってどう演じ方がかわるのかも興味深い。また近いうちに、今度は土日に生で義太夫を聞きに行きたい。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

剣道魂で明けた2019年。

2019-01-14 08:53:08 | ニッポン生活編

昨年10月、高校時代の剣道部の恩師が亡くなったとの知らせを受けた。
まだ77歳だった。
最近お会いしたのは2年前。実家の不動産のことで相談したいことがあると連絡すると、今から出てこい、相談にのってやる、という。
先生のお宅は我が家からすぐの距離だったので、たまたま時間の空いていた先生はすぐに会ってくださった。
最近不義理をしていて、もう10年近くもお会いする機会がなかった私にすらすぐさまこうやって相談に乗ってくれる人なのだ。

「ええか。そこをまーっすぐ歩いてこい」

その言葉に笑いを抑えきれずにまっすぐ歩いていくと、先生はいつもの姿で立っていた。
高校時代(保健体育教師)のときのまんま、上下白の運動着に身を包み、背筋をしゃきーんとのばして立つ姿は紛れもない先生だった。
この人だけは不死身だな、と姉と話していた。
大好きなタバコは最後までやめなかったという。結局、それで亡くなってしまったのだけれど、本人も「タバコで死ぬ」と豪語していたというのだから仕方ない。


女子黄金期を作ってくださったのも先生。このころは連戦連勝だった。


先生を偲ぼうと、毎年お正月に行われている母校剣道部OB会に十何年かぶりに顔を出した。
だんだん知っている顔がいなくなり、お正月に出かけるのも面倒くさくなってずいぶん長い間行かずにいたのだけれど、今年はどうしても先生を偲びたかった。


昔は居酒屋だった会場も、今はしゃれたホテルの宴会場になり、受付の御嬢さんたちもびしっとスーツ姿で礼儀正しくまさに隔世の感。
しかも私たちは最年長席で、席に座っているだけで(私たちの席は「昭和の席」と呼ばれた)次々と後輩たちがブッフェの食べ物を運んでくれ、ビールを注ぎにやってくる。
(私たちのときはこんなことしなかったよなー)



後輩たちは皆、気持ちいいほど(異様なほど)礼儀正しく、会ったこともないこんな自分の母親よりも年上のおばはんにもビールをついでは話を合わせてくれる。なんだか申し訳ない気分でいっぱいになるのだった。
「未成年」という名札をつけた輩にはもちろん、返盃はできない。未成年でもガンガン飲みまくっていた○年前とは大違い。世の中ずいぶん変わったものだ。



みんなばりばり現役で剣道を続けている後輩たち。あいさつもすがすがしい。近頃の子って、なんだか小奇麗だなぁ。・・と昭和席から見つめるおじさんたち(失礼!)



同期3人。3人そろうのは高校卒業以来!


そのあと「昭和の部」だけで恩師が好きだった居酒屋に飲みに行った。
亡くなった恩師に献杯をし、先生の話に花を咲かせた。


竹田先生、いつまでも見守っていてくださいね。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする