Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

Facebookは気が利いているのか、単なるお節介なのか。

2011-02-25 14:51:52 | アメリカ生活雑感
今週末はいよいよ、アカデミー賞の授賞式。
作品賞の大本命と目されているのが、日本でも公開中の『ソーシャル・ネットワーク』(8部門候補)。
ご存じ「facebook」の創立者マーク・ザッカーバーグとそのドロドロとした人間関係を描いた作品だ。

私はこの映画を、幸運にも日本からの帰りの飛行機の中で見ることができた。
さらによかったのは、日本語吹き替え版で見ることができたことだった。
なにしろこの映画、せりふが多いのなんの。英語だったらついていけなかったに違いない。
しかし見終わった感想はというと、世間の評価のように特に絶賛するようなものでもなかった。

ところが最近、面白い映画評を読んだ。
いはく、
「(Facebookは)コミュニケーション下手が作った、世界最高のコミュニケーションツール。
非常に皮肉な話しだが、そこがドラマとしておもしろい。」

なるどほね。

確かに、自分がこの映画を見ながらなんだか落ち着かなかったのは、天才マーク・ザッカーバーグのコミュニケーションの気持ち悪さからきていたように思う。
そんなやつが作ったFacebookが今や世界を席巻し、エジプトに革命までもたらしてしまったのだ。
思えばすごいツールなんだろう。

実は、私は当初からFacebookには否定的で、Pちゃんの再三の勧めにもなかなかアカウントを作らずにいた。
ただ、最後に私を動かしたのは、カリフォルニアの友人たちの催促だった。
「あなたさえアカウントを持てば、みんなでいろんな情報をシェアできるのよ!」
ただでさえ会うのが難しい、かといって「ご機嫌いかが」としょっちゅうメールをやり取りするほどでもない。
Facebookだとみんなの日常をシェアできるし、音信不通になっている古い友人を見つけ出せるかもしれない。
要は、簡単に「世界」が広がるのである。


しかし、最近になってFacebookに決定的に欠落している、恐れていたある欠点に悩まされ始めた。
要は、このツールは「人間の感情」を反映してくれないのである。
「ネットワークを広げる」目的で便利に作られたすぎたため、ときに“余計なお節介”がすぎるのである。
ある人と友達になったがために、その友達から「友達になりましょう」メッセージが乱暴に送られてくるようになったのだ。
知っている人もいるけれど、まったく知らない人もいる。
知らない人はごめんなさいと無視すればいいことだが、なまじ知っている人だとそうもいかない。

「別に友達になりたくなければ無視しとけばいいんだよ」
Pちゃんはこともなげに言うけれど、知っていながら無視するのもなんだか後味が悪い。
「親しい友達と情報をシェアしたくて始めたのに、別にそうでもない人のリストに名前を連ねてそこからまた誰かに発見されてドツボにはまっていくんだよね」

人間の感情はもっと微妙にできている。
たとえ友達の友達でも、昔から知っている人でも、つながっていたいと感じない人もいる。
逆に一回限り会った人でも、ずっとつながっていたいと感じる人もいる。
写真を見せたい友人もいればそうでない友人もいる。
そんな人間の感情を無視して、このツールは「もっともっと友達を増やしましょう」と迫ってくる。
いや、待ってくれ!もうちょっとそっとしておいてくれよ!

嫌いな人は事前にブロックしましょう。
嫌なら、友達の依頼を無視しましょう。
対処の仕方は用意されているのだけれど、どれも直接的でいまいちなやり方だ。(と感じるのは、私がウェットな日本人だからか?)
いや、所詮は「コミュニケーション下手が作った、世界最高のコミュニケーションツール」だからなのか?


結局のところ、私はFacebookは向いていないのかも。
いや、もっと軽く考えたほうがいいのかな。
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HODAの憂い。

2011-02-17 15:43:47 | アメリカ生活雑感
エジプトで歴史的な“革命”が起こった一連の報道を見るたび、いつも脳裏に浮かんでいたのはドイツに住む親友HODAのこと。
ドイツ人のご主人(当時)と結婚して今はドイツ国民となっているが、カイロ生まれの100%エジプシャンのHODA。
彼女とは10年前にバークレーのエクステンションクラスで同じクラスになり一緒に学んでいた仲。(私の本にも彼女は重要キャラクターとしてたびたび登場する)

当時、ひとりでアメリカで暮らし始めた私と、旦那から離れて単身ドイツからアメリカに勉強にやってきた彼女。
若いクラスの中にあってお互いに年齢が近いこと、ものの考え方が似ていること、そしてお互い自分が決して持ちえない部分に激しく惹かれあって、たちまち無二の親友になったのだった。
奔放で人懐っこく、自分の意見をはっきりと言う面白い人。
自分の考えを堂々となかなか言えない日本人の私にはまぶしい存在で、私もそんな彼女に学んだことはとても多かった。
彼女と過ごした日々はわずか半年ほどだったが、彼女がドイツに帰ったあともずっと交流は続いていた。

HODAは10代の頃にドイツに単身渡り大学でPolitical Science(政治学)を専攻、とりわけ「イスラム社会における女性の権利」の研究をしていた。
現在はフランクフルト大学で講師として教鞭をとっている。
そんなHODAは今回の祖国の革命をどんな思いで見ているのだろう?人脈の広い彼女のこと、きっとドイツでも有名になっていることだろう。
どうしてるかなと連絡を取ってみたところ、案の上彼女は今ドイツで最も忙しい(有名な)人になっていた。
毎日のようにドイツのテレビ局からの取材、各種インタビュー、国際会議へのビデオ出演等々に引っ張りだこで、寝る暇がないほど忙しいらしい。
ある日道を歩いていたら、「あ、あなたこの間テレビで見たわよ」と声をかけられるほどだそうだ。


今回の革命を喜ばしくも、そうはいっても多くの犠牲者を出したことに悲痛な思いのHODA。
ムバラク大統領は退陣したものの、その後の民主化がどう進むのかの道筋はたっていない。
これに関してはヨーロッパ諸国も冷ややかに見ているようで、Pちゃんの今回の革命に対する見方も慎重だ。
いはく、イスラム国家でありながらもイスラエルと友好を結ぶなど比較的穏健だったムバラク政権による独裁は、(人々には不満でも)ヨーロッパ諸国にとっては“都合のいい”政権だった。しかし今後その体制がどう動くかによってほかのイスラム社会国家は大きく影響されることになる、と。
そしてそれがヨーロッパ諸国にとっては新たな脅威となるだろうというのだ。
なんといっても地続きでまったく違う形態の国々が隣接するヨーロッパ~中東。
昨日の隣国の革命はすぐに明日の自国の脅威となる。日本じゃ考えられないことだ。


★ ★

今日、そんなHODAちゃんから久々にSkype(無料のテレビ電話)がかかってきた。
超有名人になってしまった彼女はどことなくお疲れの様子。
「そんで、どーよ。今回の一連の革命はエジプト国民としてどう思う?」
「この革命はもちろん私にとってもエジプトにとってもとても大きな意味があるし喜ばしいこと。でもこれから先のことを考えると複雑な気持ちにもなるわね」
「あんた、博士論文仕上げる前に歴史が変わっちゃったやん。初めからやり直さなあかんのちゃうん?(笑)」
「・・・・・そうやね~ん(笑)あ~とにかくゆっくり眠りたいわ~。Shokoの作ったおいしい日本食が食べたい。そしたら少しは痩せられるのに」とぼやいていた。
がんばれ、HODA!


HODAのインタビューはこちら。(ドイツ語)



2007年にフランクフルトで再会した時のHODAと、Pちゃん








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バレンタインDinner

2011-02-14 14:32:56 | アメリカ生活雑感
マイナス20度あたりをうろうろしていた先週とうってかわって、今週はとたんに温かくなってきた。
朝、GOROの散歩に出るときもう顔が痛くない。
手袋もいらない温かさで、ちょっと走ると汗ばんでしまう。
気温は4℃。
道路脇に山のように積まれた雪が解け始めて、道路はドロドロ。こりゃ、散歩あとが大変だ。

★ ★

あったかくなってきたこともあって、今日は日がな一日気になっていたところの大掃除。
夕方になってPちゃんが急に「ねー、どっかレストランにでもDinnerでも食べに行こうよ」と言い出した。
あら、珍し。
この人がレストランというときは、絶対にイタリアンと決まっている。
結構パスタに飽きていた私は、それならスパニッシュなんかはどう?と逆提案。
一度ランチに行ったことのある、スペイン料理の店、「Meson Sabika」にさっそく電話を入れてみたら、今日は8時半まで予約が取れませんという。
そりゃぁそうだ。世の中はバレンタイン・サンデーだもんな。
仕方なくイタリアンにでもするか、といいながらぶつぶつ作戦を変更していたら、なんとさっきの店のインターネット予約画面で6時半の予約がスルッっととれてしまった。
ラッキー!

かくして、二人とも珍しくちゃんとした格好をして、今年最初のレストラン食事へ。
このタパス・レストラン、お昼に行ったことはあるけれど夜はまったくの初体験。
巨大な敷地にそびえたつ白亜の建物。
駐車場はもう満杯で、ドアを開けるとバレンタインディナーを楽しむカップルや家族連れで店は満員。
私たちは2階の小さな部屋の窓際の席に案内された。
ディナーコースはあえて頼まずに、スープとサラダ、タパス(小皿料理)を4~5品頼んでふたりでシェア。
これがまぁ、どれも期待以上においしかった。
しかもお値段もそこそこで、この店が流行っている理由がわかった。

これまたおいしかったリオハの赤ワイン(レゼルバ)も1本あき、結構いい気分で家に戻ってきた。
私もPちゃんもこのレストランのファンになってしまった。
また何かの機会に使えそうだ。

 
春~夏には花が咲き乱れてこんな美しい風景に。
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スーパーボール・サンデー

2011-02-09 11:35:41 | アメリカ生活雑感
この時期、日本ではフギュアスケートとサッカーアジアカップを見ていない人はいないというほど盛り上がっていたけれど、
アメリカはやっぱりこれ。
先週の日曜日はアメフトの全米位置を決める「スーパーボール」が開催された。
アメフトに興味があろうがなかろうが、とにかく国民はみなビールとピザをしこたま買ってテレビ観戦をすると相場が決まっている。
カリフォルニアにいたころは、スーパーボールサンデーの頃は汗ばむくらいの陽気なので
人々は近所のパーキングに集まって朝から場所をとり、ゲームそっちのけで昼間っから大BBQ大会をしていたものだ。
街を歩くと、あちこちからBBQの煙がもうもうと立ち上がり、変な叫び声をあげる人たちであふれかえっていた。

けれどもちろん、ここでは屋外はとうてい無理。
たいがい家にこもっての大パーティーとなる。

別段アメフトのファンでもない私たち、どう過ごす予定もなかったところ、テリーたちから「友達のところでパーティーがあるから一緒に行きましょ」とお誘いを受けたので、何とな~く参加してみることにした。
このお友達というのはビルの“ハーレー仲間”のスコットとデヴィー夫妻。
夏ともなるとツーリングを楽しむというふたりの長年のソウルフレンドだ。
ここから車で30分くらい西に行ったオスウェゴという町にある彼らの家までテリーたちの車で一緒に向かった。
一面真っ白な大平原の中にポツンポツンと家が建っているという、日本でいうとまさに田舎の別荘地のような風情。
土地が余っているこの辺りではこういう光景は当たり前なのだけれど、
日本から帰ってきてこういう風景をみると、なんか違う世界に来た感じだ。

今日の会場は、家の横にある巨大なガレージ。
この中にはヒーティングも完備されているうえ、バーカウンターや本格的なDJブース、ディスコライトまでしつらえてある凝りよう。
そこにスコットの愛車、1971年製のクラシックカーやハーレーが鎮座ましましている。
巨大スクリーンに試合が映し出される中、各々が持ち寄った食べ物や飲み物を飲んで食って、一緒にゲームを楽しむのだ。

そうはいってもまともに試合を見ている人は、10人のうち2人くらいなもので、
しかもその人たちは、地元のシカゴ・ベアーズのライバルで先週最終戦で負けた憎き相手、グリーンベイ・パッカーズさえ負ければよいというスタンス。
まぁ、私たちもゲームよりも“食べに行った”ようなもの。
ちなみにこの日私が持って行ったのは、野菜と肉とエビがたっぷり入った焼きそば。
これこそ日本のお祭りフードだ。
これがみんなに大うけ。やっぱりアメリカ人はこういうソース味がお好きなようだ。



クリスチーナ・アギレラが国歌斉唱中。歌詞を間違ったことなんて誰~も気づかずスルー。


試合は9時過ぎにやっと終了、思いのほか盛り上がり、パッカーズが終盤激しく追い上げられるも逃げ切りチャンピォンに。
そのあとはなぜだか大ディスコ大会へとなだれこんだのであった・・・・
なんだか、もろアメリカンな日だった。
疲れた。

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嵐の夜の夕食。

2011-02-06 11:26:20 | アメリカ生活雑感
あのものすごい大雪がやってきた日の昼過ぎ、お向かいのアダムが嵐の中をやってきた。
「今日、うちで一緒に晩御飯でもどう?たいしたもんはないけど」
帰国してからまだ本調子にもどっていなかった私たちは喜んで隣の晩御飯に便乗させてもらうことに。
本来ならばこっちがご招待せねばいかんところを、本当に持つべきものはいい隣人だ。

午後7時。強まるストームの中、わずか10mくらいの距離をひーひーいいながら移動。
ヘンリー坊はいつものように私の手を引っ張ってぴょんぴょん跳ねまわっている。
さっそく5人で雪を見ながらの夕食。
メニューは、チリスープに生野菜のサラダ、マフィン、チップスという、まぁ日本人からすれば「おやつですか?」というような内容だが、アメリカ人の夕食ってこんなもんである。
食を楽しむというよりは、一緒に何かを口にしながらしゃべるのが目的なのだからいいや。

食後はリビングのソファーに場所を移して、私たちの日本での生活や体験談などをおしゃべり。
日本から戻って、Pちゃんはちょっとした“日本アレルギー”になっている。
それもそうだろう。文字も読めない、言葉も理解できない国に2か月以上も放り込まれたうえに、いつ終わるかわからない苦しい「待ち」の状態続きで疲労困憊していたのだから。
「そもそも僕は“読む”のを楽しむ人間なんだ。それなのに街に出ても一文字も読めないし意味すら分からない。テレビもさっぱりわからない。これは本当に苦痛だったね~」
確かに日本のテレビ番組はちょっとやかましい。しかも年末年始の特番はよけいにうるさいものが多かったので悪いイメージをもってしまったみたい。
Pちゃんの話を聞きながら、アダムの奥さんレベッカも「昔タイに行った時私も同じような感覚だったわ」と激しく同意してくれるので、Pちゃんは共感者がいたことに大喜びで“不平不満”をここぞとぶちまけるのだった。


しかしかくいうPちゃん、日本では時間つぶしに日本語を勉強していた。
驚いたことに3週間ほどでひらがなとカタカナをすべてマスターし、一応あちこちの表示も読めるようになったのだからすごい。
その彼にして一番納得できなかったのが、ひらがなとカタカタの使い分けだそうだ。
外来語にはカタカナを使う、と教えたもののそうでないケースもある。
そのうえ、リやヘみたいに平仮名と形状が同じものがある。
でもって、「ケーキ」「タクシー」というようにもとは英語なのにまったく英語とは違った発音をしてしまうものだらけで、それにもいちいち腹を立てていた。
そういわれましてもねえ・・・

出た結論が「日本語はクレイジーだ」だそうだ。


★ ★

10時過ぎまでだらだらとおしゃべりを楽しんだ私たち。
帰り際にレベッカが私に言ったことばに、おもわずのけぞりそうになった。。
「このあいだ(お土産に)くれたものはいったい何に使うものなの?」
だって私があげたのはごく普通のハンカチ。ガーゼが8枚重ねになっている優れもので、シカゴの暑い夏にはもってこいだと思って数枚買っておいたもの。
アメリカ人ってハンカチ使わないのか!?

*私の結論・・・アメリカ人にはあまり手の込んだものやありがたいものをあげても無駄です(笑)。
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<Breaking News> 記録的大雪が襲撃。

2011-02-02 14:47:31 | アメリカ生活雑感
時差ボケと風邪気味の私たちを“きっつ~い出迎え”が待っていた。
シカゴエリアではまさに1967年ぶりとなる記録的大雪が昨夜からこのあたりを襲撃。
ニュースによれば、Blizzard(ブリザード)とストームの違いは、
1.吹雪のため1/4マイル(400m)先の視界がまったく見えない状態。
2.時速35マイル(時速約60km)の風が吹き荒れること。
3.この状態が3時間以上途切れなく続くこと。
だそうだ。

きのう、昼過ぎあたりから風が強くなってきなぁと思っていたら、見る見るうちに雪が積もりだした。
テレビではひっきりなしに警戒を呼び掛ける特別放送が流れ、街では車や人がまたたくまに姿を消したそうだ。
Pちゃんのラボでも早期に帰宅を促すメールが流され、早々に食料を買い込んで帰ってきたが、もうそのあとは嵐。
こんな雪、見たことない。ここは八甲田山か!?

★ ★

そして今朝起きてガレージを開けてみたらこんなことになってた。

 びびるGORO

 まずはドアの前を雪かきして通路を確保

 なんや知らんけど楽しそうやな・・・

近所をぐるっと廻ってみると、みんな雪かきに追われていた。
もちろん、今日は学校も職場もみんなお休み。
犬と子供たちは喜び庭駆け回る。

 すーすーすだらだった、すらすらすいすいすい~っと(雪の中を泳ぐ)

 さっそくAJんちに遊びに行った




このあと1時間以上かけて雪かき。お疲れさんでした




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東京最後の一夜は絶叫で終わる。

2011-02-02 10:55:49 | ニッポン生活編

先週の月曜日、大阪のマンションを早めに退去して水曜日のフライトのために1日前に東京入りをした私たち。
新宿のホテルにチェックインしたあと、またまたブラックのうちにお邪魔した。
というのも、ブラックの愛娘むーちゃんにこれをもらってもらうためだった。



Pちゃんが去年末の結婚記念日に近所のお花屋さんから買ってきてくれたサプライズプレゼント。
ゾウさんの形にカットされたかわいい植木鉢。
なにせアメリカに持って帰ることはできないので、一番もらってもらうにふさわしい人を考えたらむーちゃんになったというわけ。


次のアポがあるのでちょっとだけのつもりでお邪魔したのだけれど、またまたプチ宴会へと突入。
連絡を受けたテリヤキさんも仕事から帰ってきてくれて、それはそれは楽しい時間を過ごした。
「買い物行けてないから何もないのごめんね~」と言いつつ、魔法のように次から次へとうまいものが食卓に出てくるのに驚いてしまう。
まさに“ブラック・マジック・ウーマン”とはこのことだ。
Pちゃんは日本食に少々うんざり気味だったので、ブラックの出してくれたパスタや“チ-ジー”なミニグラタンにめちゃうれしそうだった。
そして、エビスビールにドイツワイン(白)まで開き、宴会はいつしか本格モードに。
ああ、別に一日とっておけばよかったかなとひそかに後悔する私であった。

むーちゃんもこの日はお友達が大勢きて疲れていたのに、私たちをとっても歓迎してくれた。
最後のほうは睡魔と闘っていたむーちゃん。どうもありがとう。ゾウさん可愛がってあげてね。
今度会えるときはまたまた大きくなってるんだろうなー。

ブラック、テリさま、本当に楽しいひと時をありがとう!!!!





(その後)

このあと歌舞伎町へと消えていく私と別れてPちゃんはひとりでホテルでのんびり。
私はというとなじみのロックバーで友達と飲んでほろ酔い気分でホテルに帰ったら、ちょうどサッカーアジアカップの日韓戦がPKに突入したところだった。
どぁああああああああああっと絶叫する私の声がホテル中にこだましたのは言うまでもない。
Pちゃん、すまん。


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お隣さんたち、ありがとう!

2011-02-01 17:40:01 | アメリカ生活雑感
1月26日水曜日、午後3時半。
無事シカゴに帰還。
飛行機の窓から見える一面真っ白な世界に、なぜだかほっとする。
空港を一歩出たら日本とは比べ物にならないくらい痛冷たい。でもマイナス8度というからまぁびっくりするほどでもないか。
事前に呼んであった職場のリムジンが間もなく空港に到着し、私たちは一路我が家へと向かった。
このリムジンというのが全長が7mくらいありそうな黒塗りのやつ。車内にはミニバーなんかもしつらえてある超ゴージャスな車なんだけど、足元が寒いのなんのって。
普通の車でいいからちゃんとあったかい車にしてくれよ~!

30分ほどで懐かしい我が家に到着。
もちろんガレージの前も通路も雪ですっかり埋もれている。ただ、何度か雪かきをしてくれていた気配が感じられる。
きっとお隣のアダムがやってくれていたに違いない。
アダムには留守中の郵便物の引き取りを頼んだりと、すっかりお世話になった。

一歩家の中に入る。昨日までここにいたかのようにほんわかと温かい。
冬場はあまりの寒さで水道管が破裂する恐れがあるので、家を出るときに室温を設定してセントラルヒーティングをつけたままにしておいたのだ。
温かい家に入ると、そこはまるで時計が止まったかのよう。
カレンダーは11月のまま。なんとなく家のしつらいも秋の風情を残したままだ。
ただ足りないのは、GOROが家にいないこと。

★ ★

荷物を簡単に片づけたあと、さっそくお土産を持ってテリーのおうちにGOROを迎えに行く。
GOROを預けるときは、よもやこんなに長くなるとは思ってもみなかった。(Pちゃんは最悪のシナリオを描いていたらしいが)
日本からテリーに電話を入れてGOROの様子を聞いたとき「GOROは窓際の椅子に毎日座って外を見ては鳴いていたのよ」というので思わず涙したものだった。
でもこんなに時間がたってしまうと、もう忘れられているかもしれない。
AJという最愛の友と毎日一緒に過ごし、テリー家族に甘やかされて、もううちなんかどうでもよくなっていたらどうしよう・・・。

ドアベルを鳴らすと、もうGOROが扉の前で待っていた。
どうやらテリーが最近ペドロとかショーコとかという名前を盛んに口に出すようになったので何となく気づいていたようだ。
尻尾を全開に振ってPちゃんに飛びつくGORO。あ~よかった。忘れないでいてくれたんだね。
なんだかひとまわり大きくなったみたいだけど、心配した“肥満”はなかったようだ。
体つきもよくとても健康そうだ。2か月半の間、いかによく世話をしてもらっていたかがわかる。
本当に本当に、心から感謝だ。
長きにわたってGOROの面倒を見てくれたテリー、ビル、ケリーの3人と熱いハグを交わししておしゃべり&お土産タイム。

GOROは最初の1週間は私たちがいないことに心細そうにしていたけれど、悲しそうな鳴き声をあげるたびにAJがそばにいって慰めるように遊んでくれたらしい。
そのうちGOROも気が晴れ、テリーのうちの生活リズムにすっかり慣れていったようだ。
何よりもGOROによって幸せだったのは、このうちではひとりぼっちになることがないということだ。
たとえみんないなくなったとしても大好きなAJがいつもそばにいてくれる。遊ぶのも一緒なら寝るのも一緒。
家族が出かける時も一緒に車でおでかけしていたという。
クリスマスのときには家の中に5つ(家族3人と2匹の犬)の靴下が掲げられ、しっかりプレゼントをもらって喜んでいたというGORO。
「ごめんねショーコ。私たちすっかりGOROを甘やかしすぎたかもしれないわ」と笑うテリー。


テリーがクリスマスにペットショップのイベントで撮影して送ってくれた写真。
下がAJ。


さて。
お土産は何がいい?とテリーに事前にヒアリングしていたところ、「ビルが日本のお急須と湯呑がほしいと言っている」という。
色は黒っぽいものがいいということだったのでこんなものを買っておいた。

 
南部磁器製のお急須。湯呑はセットに見えるけれど実は別々に購入。
これを見つけるのに大阪ミナミの道具屋筋を何往復したことか。


そしてもうひとつは、これまたリスエストにお応えして「日本の犬」カレンダー。
実は去年お土産でこれをあげたところとても気に入っていたようで、「来年もほしいからまた年末日本に帰ってちょーだい」とキツ~イ冗談まで言われてしまった。
ゴメンコウムリマス。

★ ★ ★

GOROを連れて家を出ようとしたとき、さびしそうにAJが私の足元に駆け寄ってきた。
「連れていっちゃうの?」と目が泣いていた。
AJありがとよ。今度テリーたちが留守にすることがあれば、私が可愛がってあげるからね。
ついでにダイエットさせてあげよう。

2か月半ぶりに家に帰ったGOROは、なんだかキョロキョロしていた。
「ここ、見たことあるよな~」的反応。いつもはのうのうと寝ているソファーにもこずに、しばらくテーブルの下で様子をうかがっている。
私たちがソファーに座ってゴロゴロし始めると、なんとなくこのムードを思い出したのか家の中を歩き回りあちこちで自分のにおいを確かめている。


かくしてやっと時が動き始めた我が家で最初の夜は、3人(?)川の字になってぐっすりと眠ったのだった。

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