Life in America ~JAPAN編

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オリンピック考:その① 羽生とチェン

2022-02-11 15:26:10 | ニッポン生活編

キャピタリズムとナショナリズム(国の威信)合戦と化し、スポーツマンシップなどとうに失われてしまったオリンピック。

それでも4年に一度のこの”祭り”をスルーすることができない、私。

オリンピックが腐り果てても、この日のために努力と調整を重ねてきたアスリートたちにはなんの罪もなく、見るものにいろいろな感情を湧き立たせてくれる。

羽生とチェン、最後の戦い。 彼らは何と戦ってきたのか。~男子フィギュアスケート

4年前の平昌冬季オリンピック、”世紀の”頂上対決と世界が注目した男子フィギュア・シングル。

当時私はアメリカの自宅で息をのんで観戦していた。

もちろん、アメリカ中の注目はチェンの金メダルで、オリンピックが始まる前からメディアは金メダル候補筆頭のチェンと、スノーボードハーフパイプの絶対王者、ショーン・ホワイト、大怪我から復活した女子滑降のリンゼイ・ボンの3選手に焦点を絞って煽り立てていた

運命のショートプログラム、ことごとくジャンプを失敗し16位に沈んだチェンの顔は、翌日からテレビ画面から消えていた。メダルが遠のいたチェンに、人々の関心はすでに失くなっていた。

そもそも、中国系のチェンが代表になったときから、ほかの白人アメリカ人とは違う冷めた見方をされていたのは事実。いつのまにかフィギュアは骨格の小さなアジア人に有利な種目と思われ始め、”白人が勝てない”=面白くない種目になってしまっていたからだ。

ショーン・ホワイトのような絶対王者崇拝の強いアメリカでは、保守的な人たちはすぐこういう人種差別的見方を強めて自分たちのプライドを守ろうとする。

4年前の惨敗で、チェンはどれほど苦しめられたのだろうと思う。

それを乗り越え、以降すべての世界選手権を制しこの北京に乗り込んできた。文字通り忘れ物を取りに来た。

一方の羽生。

オリンピック2連覇という偉業を成し遂げたあと、彼にとって唯一のモチベーションは4アクセルだった。

これをオリンピックでやる、その一念で孤独なトレーニングを続けたという。この時点でもう、常人ではない。

二人三脚で栄光をつかみ取ったブライアン・オーサー監督と離れ、たったひとりで調整を続けたところに彼の鬼気迫る決意が読み取れる。コーチ不在というのは、肉体的にも精神的にもどれほど心細くつらいことか。

2年前、コーチを付けずにシーズン惨敗した宇野昌磨選手の例からも、その過酷さがうかがえる。

コーチとて人間。指導者としての実績を残すことが評価となりさらなる商売につながるわけで、羽生の無謀な挑戦を良しとしなかったのだろう。安全策をとって、とりあえずメダルを狙いにいってほしい、それがコーチとしての助言だったに違いない。

呼吸系基礎疾患のある羽生がコロナ禍の移動を避けたのも理由のひとつだが、あえて安全策を助言する(であろう)コーチのもとを離れた瞬間、彼は退路を断ったのだ。

2月8日、運命のショートプログラム。

SPで思わぬわな(穴)にはまって出遅れた羽生は、これでいよいよ4Aに吹っ切れた様子だった。

これをやらずにオリンピックは終われない。

「4Aをやって完璧にルーティンをこなし、あわよくば逆転優勝をねらう」その一択だった。

そしてチェンは、4年間のすべてをぶつけた。自国民との闘いでもあり、自分との闘いだった。

4年前の、プレッシャーに押しつぶされておどおどした表情はそこにはなく、王者としての風格と氷にすべてをぶつけて楽しんでいる姿が印象的だった。

エルトン・ジョンの「Goodbye Yellow Brick Road」、「Bennie And The Jets」という選曲と振り付けも彼の魅力を存分に引きだされていた。

チェンは忘れ物を回収し、北京の王者になった。

心からおめでとう!!

でも・・・

もしも・・・。

SPでの羽生の失敗がなかったら。

冒頭の4回転サルコーで年末の全日本選手権と同じ14.27点を稼いでいたとしたら、SP 109.42点で2位につけていたことになる。チェンとの差、わずか7点。(チェン:113.97、鍵山:108.12、宇野:105.90)

チェンに精神的プレッシャーをかけ、わずかなスキを与えて何かが起こっていたかもしれない。もちろん動じる彼ではなかったかもしれない。

それでも羽生結弦は絶対に4Aに挑み頂点を狙っただろう。

それが彼の4年間だったから。

全てが終わり、悔しがり、打ちひしがれ、呆然とする羽生のインタビューを聞きながら、「4位でもよかったじゃない」と思っていた”常人”の自分を恥じた。

「4Aとして認定された」と聞いたとき、心からほっとした。報われない努力なんてないんだから。

北京五輪の大会公式紙が一面で称えたように、羽生結弦は「皆の心の中で真の王者になった」のかもしれない。いや、「神」か。

(Photo by スポニチアネックス)https://news.livedoor.com/article/detail/21662192/

羽生結弦は「皆の心の中で王者になった」。北京五輪の大会公式紙が一面で羽生をたたえた。

★ 過去のオリンピック考

2018  平昌冬季

「永遠に生きるように学べ。明日死ぬように生きろ」2018-03-04

2014 ソチ冬季

攻める人間は美しい。2014-03-06

2010 バンクーバー冬季

19歳のカルテ。2010-02-27

恥と見せしめの文化が日本を弱くする。2010-02-22

みんな正論。2010-02-22

2008 北京夏季

女サムライ。2008-08-22

疑惑が疑惑を呼ぶオリンピック2008-08-20

前半戦を終えて。2008-08-16

家庭内“オリンピック”別居2008-08-11

2006 トリノ冬季

荒川静香の平常心。2006-02-26

オリンピックおたく。2006-02-15

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