Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

「おんなたちが語るクジラ」シンポジウム

2005-05-30 01:42:35 | アメリカ生活雑感
日本人がクジラをあまり食べなくなって久しい。
その理由はいったいなんだったのか、と問われればちゃんと答えられる人も少ない。
「捕鯨が制限されているから」「なぜ?」「乱獲で海の生態が壊れるから」
答えはノーである。
クジラが好きで好きでたまらない、なくては死んでしまうという人が大勢いるわけではないためか、クジラそのものが食卓から姿を消し、その理由を語ろうとする日本人はいなくなってしまった。が、しかし、この話題を決して食卓から引き摺り下ろすことをゆるさない、そんなフォーラムに今日は参加してきた。
題して「おんなたちが語るクジラ」~クジラから世界が見える!~
このフォーラムを主催しているのは「ウーマンズフォーラム魚(WFF)」という非営利団体で、そのコンセプトは「海から食卓までのプロセスで起こっている変化や問題について、消費者と漁業者が行政や研究者と一緒になって語り合い、食卓から海を見つめ直すサイクルをつくっていこう」というもの。先日参加した「アメリカの演歌を聴け」というレクチャーで、たまたまこのWFFの事務局の方と名刺交換をしたのがきっかけだった。

会場に行ってみてまず驚いたのは、その参加人数の多さ。もっとしょぼい集まりかと想像していたのだが、300人はいるだろうかという盛況ぶり。参加者は圧倒的に女性で比較的高年齢層の方が多かった。クジラを普通に食べていた年代だろう。
また、大学生も何十人か参加しており、このフォーラムや話題に対する興味の深さを物語っていた。

第1部はジャーナリストの櫻井よしこ氏による基調講演、
「反捕鯨に反論あり。クジラは食するべき」。
彼女の話をずっと昔から聞きたかった、というのがそもそも今日の参加主目的でもあった。その柔らかな物腰とすずやかな声からは想像だにできない単刀直入、ストレートな語り口にまず圧倒された。
クジラ問題というよりは、むしろその奥にある日本の“へなちょこ外交”、さらにそのへたれの奥にある日本人の“謙虚すぎる”または“日本文化を誇れない卑屈さ”を彼女はバッタバッタと切り落としていく。
戦後の日本人の卑屈な精神を生み出したのが、“いけない戦争をしてしまった挙句、敗戦した”という世界に対するうしろめたさではないかと彼女は指摘する。
「日本文明はいまや欧州諸国が最も注目する文化なのです。もったいない、という、モノを大切にする独特の価値観。それは人間と自然がいかにうまく関わっていくかという思想そのものなのです。ですから、すばらしいこの日本文化が21世紀の人類の進むべき道として注目されているのです。私たちはそれをもっと誇るべきです」
一歩間違えればナショナリズムの塊のようなコトバが次々と発せられ、前に座っていたおばさまは思わず無言で顔を見合わせる。
話は次第に近隣諸国との昨今の外交問題に及ぶ。中国の政府高官が聞いたらのけぞるようなきわどさだ。この迷いのなさ。さすがだ。(へなちょこ政治家よ、見習え!)
私も常々、(特にアメリカ生活を経験してから)「日本の文化は美しい、世界に誇れる、声を大にして誇りたい!」と思っていたけれど、こう目の前ではっきりと誇られるとまだ面映い気がしてしまう。それはまだ私自身が「控えめがいいと思っている」日本人だからかもしれない。
しか~し!ここからがいよいよクジラ問題。
だからといっていつでも控えめに黙って言うことを聞いていては世界からどんどん取り残されるのが事実、そして現実。
「クジラを捕っちゃだめだ、それを食うなんてもってのほかだ」などと、魚を食わない文化の国々から言われて「日本はねぇ、アンタ。魚食って作られた国なんだよ。文句あっか!?」となぜ言えないのだろう。
昔は一緒になって乱獲していたにもかかわらずクジラの油がもう要らなくなったから、そしてほとんどの国はいまや肉食だから、IWF(国際捕鯨協会)では資源としてのクジラに興味がなくなったのだ。
何ひとつ余すところなくクジラを活用し、それがゆえにクジラをリスペクトしてきた日本人と、油だけ取って捨ててしまっていた他国との価値観を一緒に考えてしまっていいのだろうか?
いったいどっちが“かわいそう”なんだ?

第2部はパネルディスカッション。ゲストは神津カンナ氏(作家)、黒田みち子氏(北区議会議員、食育活動推進家)、朝日柚帆氏(WFFこども活動リーダー)。
ここでもクジラ問題にかかわらず、日本人が培ってきた文化論や環境論について実に生きた議論が繰り広げられた。
今までの人生で、自らレクチャーで手を挙げたことなんかなかったのに、思わず挙手をしてこれからどうやってこの問題を広く子どもたち、しいては若い世代に知らしめていくべく教育に生かしていけばいいのかを質問。
「とにかくお母さんも子どもと一緒に現場に引っ張り出すべき。一緒に包丁を持って、魚と向き合うことです。その機会はいくらでもあります」(黒田氏)。
この話題は近いうちにきっと、私が一編集者として取り上げなければならないと感じた。

フォーラム終了後、いろんな人から声をかけられ、連絡先の交換をする。
面白いもので「幼児教育関連の雑誌編集をしています」と私が最初にひとこと自己紹介したことで、同じような草の根運動をしている人たちからも声をかけられた。また、徳島県の人(徳島県の東京事務所の方)からも声をかけられた。
ひとりじゃないんだという大きな勇気がわいてきた。
軽い気持ちで参加した今日のフォーラムで得た収穫は、いろんな意味でとてつもなく大きかった。

クジラを語らなくなったときは日本の文化が滅びるときだろう。
私はクジラに何の執着もない世代だけれど、この問題から目をそらしてはいけないということをまざまざと知った一日だった。

*櫻井よしこ氏のブログ
http://blog.yoshiko-sakurai.jp/
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2年ぶり開催!新宿OLDロックの会

2005-05-30 01:41:09 | アメリカ生活雑感
近日公開
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日系アメリカ人たちの苦悩と歴史

2005-05-25 17:06:13 | アメリカ生活雑感
仕事の合間を縫って、国際交流基金主催の公開シンポジウム「日系アメリカ人と日米関係の将来」を聞きにいった。
来賓に衆議院議長で元外務大臣の河野洋平氏を迎え、日経連副会長の西室泰三氏、ハワイ州選出のアメリカ上議員議員 ダニエル・K・イノウエ氏による基調講演に続き、「日本人と日系アメリカ人との関係、将来のパートナーシップ構築に向けて」というテーマでパネルディスカッションが行われた。
パネラーの中には、日系人として初めてアメリカ陸軍参謀総長になったエリック・K・シンセキ氏(2世)や、あの人気テレビシリーズ「スタートレック」で活躍した俳優のジョージ・H・タケイ氏という普段ではめったにお目にかかれない方もおられ、まさに貴重なお話をうかがうことができた。

アメリカにわたり、市民権を得ようとがむしゃらに働き続け「外見以外は」すっかりアメリカ人になってしまった1世の世代。
その1世の親に「アメリカ人になるように」教育され、拭い去れないアジア人差別にも悩まされつつ、次第に公民権運動にかかわるようになった激動の2世世代。
そして、あのベトナム戦争(アジアの国とアメリカとの戦争)を間近に体験し、自分たちのルーツへの意識の高まりをみせた3世世代。
80年代に入り日本の企業によるめざましいアメリカ進出が始まる一方、自動車メーカーなどでのアメリカ人の雇用を脅かされたというによるいわれのない理由で、くすぶっていた日系人への差別意識が高まることにもなる。この感情がついに、中国系アメリカ人が日本人と誤って撲殺されるという痛ましい事件に発展した。
暗く長いトンネルを抜けた90年代~は、アニメやマンガに代表されるように日本のポップ・カルチャーががすでにアメリカの一部になってしまった時代。
日系人の歴史は、これらの時代そのものだったわけだ。

しかし、イノウエ、タケイ、シンセキ3氏が口をそろえて語ったのは、当初日系人に向けられたのはアメリカ人からの冷ややかな扱いだけではなく「日本人からの差別的視線」であったという驚愕の事実だった。
中国系移民と比較すると、日系コミュニティーの結束は弱い。それはしいては、日系人と日本との関係の希薄さにあるのではないか、とタケイ氏は言う。祖国からは「日本で成功しなかった人たち」という視線を浴び、アメリカでは「アジア人」という差別を受けた、1世・2世の苦労たるやいかばかりだったろう。

私はふと、3年間アメリカでお世話になった剣道場の宮田師範を思い浮かべた。
戦後アメリカにわたり、79歳というご年齢まで祖国に帰らずに生き抜いてきた先生は、ちょこっとアメリカに遊びに来ている私のようなお気楽な“純”日本人たちに対する目は厳しく、時々どきりとすることさえあった。
また私も、日本人のようでいて全く日本人とは違う価値観を持つ日系人たちとのコミュニケーションに、むしろアメリカ人に対するよりも気をつかったのも事実だ。
日系人に対する冷たい視線は、さらに解釈を広げると、「結婚するなら日本人同士」という日本社会での暗黙の了解(周りに機会がないから当然といえば当然だが)や、またはガイジンと結婚した人たちを「日本人の相手を見つけられなかった人たち」という“蔑視”を向ける事実に似ているような気がしてならない。
本来、日本は地理的にも独立独歩、日本人でのみ完結してきたという自負があったのだろう。そのDNAが悪いことにいまだに私たちの中に染みついている。
それが「わが国のことはわが国で判断するけん、ほっといて」という首相の発言に結びついたのかも・・・などと、いろいろなことに関連して考えてしまうのだった。

世界の中で認められる日本になりたい、というのならばまず日本人が“民族の多様性(Diversity)”を本気で正しく理解する必要がある。

奇しくもこのようなひとことが、私の胸に響いた。
「日本人がいちばん知らなければならない「Diversity(多様性)」を、日系人がいちばんよく知っているのです」(シンセキ氏)

Comments (2)
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練成大会

2005-05-22 16:20:26 | アメリカ生活雑感
通っている鵜の木道場の「練成大会」が行われ、今日はそのお手伝い。
日ごろ稽古をしている子どもたちの腕試しの「部内試合」である。
お母さんたちや指導の先生、この道場で大きくなった高校生や大学生の先輩たちが万端の準備を整えてこの日を迎えた。
「礼儀と勇気を大切にして精一杯がんばります」という、ちびっこの選手宣誓がかわいくて、おばさんにはじ~んとくる。

私は、午前中はタイムキーパーなどのお手伝いをしていたが、午後からは審判をさせていただいた。
このような機会に正しいジャッジのルールやマナーも先生方からきっちり教えていただけるのはとてもうれしい。見ていると簡単そうでも、いざ旗を持ってコートに入るとどうしてもかたくなる。
「全体を俯瞰して見る」とはいかにむずかしいことだろう。
部内試合とはいえ、ジャッジミスで子どもたちの自信を喪失させたり、せっかく応援に来てくれている保護者の方に不信感を抱かれたくはないという思いから、ついつい力が入ってしまった。
まだまだだ。

試合のあとは近所で懇親会が開かれた。
ひとりひとりの自己紹介では、この道場にこうして関われたことの喜び、子どもたちが立派に成長して次代の指導者となっていく感動・・・など、胸に迫るようないいお話をうかがうことができた。
こうやって地域社会がむすびついて、子どもも大人もしっかりと人間形成できればきっと世の中はよくなるにちがいない!と勇気がわいてくる。
それとは対照的にもっともしらけたのは、呼んでもいない地元選出の衆議院議員がどこから聞きつけたのかやってきて、
今日の大会を見てやしないのに
「子どもたちの育成を支えるこのような道場の存在は私にとっても勉強になることであります」などとぺらぺらとしゃべるだけしゃべり、自分の名前を連呼し、さっさと帰っていったことだ。
保護者や指導部の人たちの地に足の着いた挨拶のあとだっただけに、彼のうわっぺらな「演説」をきかされ、正直辟易した。

これって、日本の政治の縮図かもしれない。











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大野さんツアー 最終日

2005-05-19 15:48:37 | music/festival
今では本人の「公認追っかけ」状態にある、あの大野俊三さんの1ヵ月半に渡る日本縦断ツアーがついに今日で最終日を迎えた。
4月の徳島、横浜、そして今日の東京での楽日を見る機会に恵まれ、本当によかった。
今日の会場“Alfie”は超大入り満員。
大西順子さんのピアノ、江藤さんのドラム、杉本さんのベースとの息もぴったりで、それぞれが曲をすっかり我がものとして楽しんでいるのが伝わってきた。
演奏は言わずもがなだけれど、ほとんど休みらしい休みもなく1ヵ月半もの間移動を続け、毎日この渾身のライブを続けてこられたその気力と体力にただただ、敬服。

今度はどこで、そんな曲を聴けるだろう?
その日が今から待ち遠しい。

お疲れ様でした!大野さん。
そして、ず~っと影で支えてこられたマネージャーの高橋さん。
さらなる明日へ、GO ON  
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ふるさと

2005-05-19 10:07:09 | アメリカ生活雑感
今朝、まぶしくて目が覚めた。なんと、まだ5時過ぎだった。
夕べはちょっと荒れていたので、仕事帰りに飲んでしまったせいで軽い興奮状態だったみたいだ。

窓をあけると、道の向こう側のアパートの窓にとっても懐かしいものが干してある。
浴衣だ。
タダの浴衣じゃない。“踊り浴衣”じゃないか!



驚いてよ~くみてみるとまぎれもない、あれは超有名連の「葵連」のものに間違いない。



やっぱりそうだ。

東京で、それも目の前の軒先に阿波踊りの踊り浴衣を見かけるとはね。
こちらも何か干してみようかな?

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どうして??

2005-05-18 23:25:46 | アメリカ生活雑感
日本人同士なのに、どうしてコミュニケーションがうまくいかないのだろうと思うと泣けてくるときがある。
今日は、久々に落ち込んだ。
せっかく本を出そうとがんばっていたけれど、自信がなくなってきた。
肝心な人と、わかりあえないんだもの・・・。
お金を払ってしまうと、どこも一緒なのかな。
本当に落ち込んで涙した夜・・。


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心の旅

2005-05-17 21:23:37 | アメリカ生活雑感
4月5月は、リハビリもかねて結構よく働いた。
自分の興味のある分野での仕事だったし、ストレスも感じなかったのは幸せだったと思う。
おぼろげながら、まだやれることを体で感じたし、これからの方向性も見えてきた。
というわけで、6月はまた自分に水遣りをすることにした。
大好きなBay Areaに、しばらく帰ってこようとおもう。
大好きな人たちに会って、大好きなところに出かけ、心の洗濯をするのだ。
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播磨屋 画がたり

2005-05-13 10:29:29 | アメリカ生活雑感
今日、思いがけず憧れの人に会うことができてちょっとした興奮状態。
それは銀座の画廊で開催されているある個展に立ち寄ったときのこと。
画の才にも定評のある歌舞伎俳優の中村吉右衛門さんのスケッチ展をやっているという記事を新聞の片隅に見つけ、行ってみた。素直で、誠実そうな性格そのままの水彩画を前に、私は思わずため息をついた。細やかな筆遣いと色使いに加えてその視線のやさしさ。
例えば、歌舞伎座を裏側から描いた画などは、遠くの窓の中に女形の役者さんの姿がそっと垣間見られたりして非常に趣があった。
吉衛右門さんはルオーがお好きだそうで、3年前にルオーの足跡を各所にたずねる旅をされ、その際に旅の先々でスケッチを残していた。その作品も多く飾られていたが、中でもどうしてもほしい絵があったので画廊の人に聞いてみたが、もちろん「完売」。
残念だったけれど、作品をおさめたエッセイ集「播磨屋 画がたり」(毎日新聞刊)と月ごとに季節のものが描かれたテーブルカレンダーを購入。他のおばちゃんたちがどうやら誰かに頼んでサインをもらっているのを見て「ひょっとして・・・?」と胸が高鳴る。
「サインをしていただいていいでしょうか?」係りの人に尋ねてみると、なんと奥の間に通されそこにご本人が!
調子に乗って“○○さん江”とまで書いていただいた。会話しちゃった!

鬼平さん、いや吉右衛門さんは、イメージどおりの貫禄のある、でもどこかのどか~な“居酒屋で一緒に飲みたい普通のおっちゃん”を漂わせる方だった。
よしっ!次の目標は「吉右衛門さんと一緒に飲むこと」にしよう。



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アメリカの演歌を聴け。

2005-05-11 20:28:05 | アメリカ生活雑感
「国際交流基金」のお招きで、ある面白いレクチャーに参加した。
題して“アメリカの演歌を聴け”。
東大大学院総合人文研究科の佐藤良明教授が、カントリーミュージックと関連させながらアメリカという国、国民性を語るという実に面白い内容だった。
国家の抑圧とそれによる貧困から解放されるため、はるかヨーローッパ大陸からアメリカに渡ってきた先祖たち。夢を抱いて馬車馬のように働きつづけてもなお、勝ち組になれなかった人たちの“情念”や“怨念”がカントリーミュージックに凝縮されているという。
確かにアメリカ人の中にも「カントリー=ださい」という偏見は存在している。それは「負けを認めたやつらの音楽」に酔うことが、自分たちも「負け組」になってしまうことという図式が働くからだろう。
それでもなお、カントリーは一部の層に絶大な人気を誇っている。ブッシュが知識層の圧倒的な支持を得たケリーに勝ったのも、「カントリー愛好層」への泥臭い票集め戦略が奏功したからだというのも、なるほどとうなずける。
氏いはく、カントリーと昭和の歌謡曲とは成り立ちがかなりよく似ているという。
「・・・列強に対抗し、戦い、ついに破綻し、生まれ変わってからはアメリカに追従しつ繁栄にあずかってきた、そんな民族の、強者へのあこがれと反発、「うっとり」と「やったぜ」と「てやんでえ」が昭和歌謡にはいっぱい詰まっているように感じられる・・・」

JFが季刊で出している『遠近(おちこち)』に先生が寄稿したエッセイを題材として行われた1時間ほどのこのレクチャーには、ジャーナリストを中心に実さまざまなジャンルの人たちが招待されており、レクチャー後の軽食・談話コーナーではブルース、ジャズ、ロックといったアメリカの音楽の話、教育の話、文化交流の話・・・などなど。興味深いお話を交わすことができた。
中でも異色だったのは“「海の幸に感謝する会」(http://www.WFF.gr.jp)。「食卓から海を見つめ直すサイクルをつくっていくことを願って活動して」いるという面白い団体だ。月末には「女たちが語るクジラ」~クジラから世界が見える~というシンポジウムのご案内をいただいたので、ぜひ参加してみようと思う。
何が楽しいって、こうやって会社に縛られず自由に自分の興味のおもむくままいろんな(けったいな)イベントに参加して「へぇ」を増やせることだ。
こういう機会を、もっと地方にも増やしていければいいんだけどなぁ。

*ちなみに『遠近(おちこち)』4・5月号の特集は「アメリカと向き合う」。佐藤教授のほか、「アメリカの宗教は変化したのか」(森孝一・同志社大神学部教授)など、実に充実したいい内容だった。(全国主要書店で取り扱っています)

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