Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

フィリピンの中学教育

2020-03-18 21:42:14 | ニッポン生活編
ALT(Assistant Language Teacher :外国語指導助手)をしているフィリピン人の友人と、やっとランチをした。
コロナのせいで学校が休校になり、いきなり時間に余裕ができたということもあってやっとゆっくり話ができるという、なんとも皮肉なはなし。
 
2年間、徳島の公立中学で外国語の指導助手(先生)をしている彼女に、フィリピンの中学教育についていろいろ聞いてみたら、今の日本に欠けているものがたくさん見えてきた。
フィリピンの学校にはペーパーテストがないのだそうだ。
紙のテストで点数をだしたところで、それだけでその人の能力は測れない、と。
それはそうかもしれないけど、じゃぁどうやって評価をするの?
 
「中学は3年間あるじゃない。つまり、その3年のなかで、その子の強みや弱みを先生がしっかり見て評価をしてあげるのよ。
授業もテキストをやるんじゃなくてほとんどの時間がディベートに使われる。
たとえば、“どの宗教がいい宗教なのか”とか“戦争について(両サイドから)考える”とか。その課題から子供たちは自分たちの宗教や文化以外のことをいろいろ調べて考えるようになる。先生はただそれを黙って聞いているだけよ」
 
それはなんと勇気がいる教育だこと!
 
テキスト通りに教え方マニュアルを見て教えるのなら誰でもできる。
でも、子供たちに課題を与え、ディベートをさせ、それをサポートしていくには、教師側にも相当な知識やスキル、そしてさらなる勉強が必要。それをやっているフィリピンはつくづくすごい。
 
「知識を詰め込むより、子供たちに”何かを達成できた”という充実感を感じさせるのが大切なのよ。たとえば小学生の英語の時間では子供にいろんな果物の着ぐるみを着させて、”私は●●。私は果物。私は甘い。”と英語でセリフを言わせて寸劇をさせたり。そうやってどんな小さな役でもやりとげさせ自信をつけさせる。小さい頃に自信がつくから、フィリピンの子供たちには恥ずかしがり屋さんが少ないのよ」
 
テストがなければ入学試験もない。
もちろん、ほとんどの子供たちはテストなしに高校に入学できるのだそうだ。
「本当はすごく優秀な子が、たった1回のテストのときに緊張して実力を発揮できなかったら?そんなことだけで評価されるのはおかしいでしょ。提出物や取り組み姿勢、リーダーシップ、コミュニケーション力・・すべてを細かく3年間で見てあげてこそ、初めて評価をつけられるんじゃないかな」
 
おっしゃるとおり。ペーパーテストが必要なのは、実は大人の勝手な事情。
それがないと「足切り」できないから。
 
そのうえで、フィリピンでは教師が絶対なのだともいう。
「親は学校の先生に子供を預けて教育してもらっている、という気持ち。だから最大のリスぺクトをはらうし、先生は態度の悪い子供たちを家に帰してしまったり平気でするけど、誰もそれに対して文句は言わない」
 
日本も昔はこうだったよな。
「先生、うちの子、ガツンとしばいたってください」
なんて言うてたもんな。
 
ともあれ、教育はどうあるべきか、日本の教育現場はどう進むべきか、そろそろ抜本的に見直さなければならないと思う。
 
今のアホ内閣では無理だろうけど(笑)
 
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日曜市

2020-03-15 23:42:33 | ニッポン生活編
すっかり春めいてきた日曜日の朝、久々に「日曜市」に出かけた。
県内外の生産者が産物を直販する蚤の市で、とにかく野菜もお花も新鮮で安い。
ガレージセールみたいに時々思わぬ掘り出し物を見つけるのも楽しみのひとつ。
 
コロナの影響で規模は小さくなっているかと思いきや、いつものように活気にあふれていた。
唯一、屋内施設だけはクローズしていたけれど。
 
世の中の嫌なムードを吹き飛ばしたくて、今日の第一目的はお花。
小さな桜の鉢植え(150円!)と、切り花、あとはお野菜などを買い込む。
鳴門で養殖された巨大牡蠣の山(500円)にも思わず手がでて・・・結局今晩はその牡蠣を鍋で蒸してちゅーちゅーして食べた。
極楽。
 
こういうとき、田舎暮らしっていいなと思う。
 
 
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浄瑠璃は死なず。

2020-03-15 00:21:11 | ニッポン生活編
感染者(今は退院)が1名のままで膠着状態の徳島。
それでも3月から県内の小・中・高校はすべて休校になり、主なイベントは軒並み中止に追いやられた。徳島マラソンもついに中止。3月中はおろか、4月のイベントにも暗い兆しが見え始めた。
 
そんななかで唯一、細心の注意を払いながら日々公演の幕を開けているのが徳島の誇る伝統芸能「阿波人形浄瑠璃」。
「阿波十郎兵衛屋敷」では毎日、入れ替わりで人形座さんが11時と2時の2回、ライブ公演をしている。
たとえ観客がゼロでも幕を開けるという掟は、決して今に始まったことではない。
様々な意見はあっただろうが、こうして開館するという決断を下した館長には敬意を表したい。開けるも地獄、閉める地獄・・。
良くも悪くも、浄瑠璃はある種”マイナー(通好み)”なエンタメであり、かのライブハウスのように観客同志が触れ合うほど大入りになるということもないので、その点は少し安心だ。
 
毎日つつがなく幕が開くので、ありがたいことに私のような義太夫見習いにも声がかかり、今日は通算5回目の舞台を踏ませていただいた。
 
師匠が常々おっしゃるには、
「1回の舞台(経験)は100回の練習に勝る」と。
ようやく習い始めて丸1年が経ち、少し心に余裕も生まれてきたとはいえ、やればやるほど奥が深く、もどかしいほど届かない。それがまたこの道の魅力なわけだけれども。
 
「義太夫節」と呼ばれるように義太夫を語る(歌う、とは言わない)には丹田(へその下あたり)に力を入れて、体の中の太いパイプを通すように声を絞り出さなければいけない。これを習得するには10年も20年もかかるという。
もともと声が細く張りがない私には、ここが一番難しい。
でも、だからこそこれまでの人生に味わったことのないような、新たな挑戦をしているという充実感がある。
 
「初めのうちはがなり立ててもええから思いっきり声を出すこと。そしたら喉が枯れてきて、ああ、ここから出すんじゃないんやって自然と分かってくる」と師匠。
とにかく小さくまとまろうとせずに、でかすぎると思うくらいの声を出してみい、と言われ、今日はとにかくそのことだけに注力。
緊張やらなにやらで、変な汗で全身びっしょり。
お客様は10人ほど。こんな時に来てくださる方はきっと、家に引きこもっているよりも自分の好きな時間を過ごして免疫力を高めたいというお気持ちからだろう。
本当にありがたいこと。今日の拍手は一層、身に染みてありがたかった。
 
 
 
それにしてもこのコロナ騒ぎ。
エンタメの世界に身を置く人々にとっては死活問題となっていて、知り合いのシカゴのブルースマンたちからは、急きょヨーロッパツアーを取りやめになったり、ギグが中止になったりしたという悲痛な叫びが日々聞こえてくる。
普段ならこの時期には7月くらいまでイベントの予約が入る浄瑠璃の世界も、今はゼロに近い状態のままだという。
 
早くこの非常事態がおさまりますように。
 
 
 
 
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蜂須賀桜

2020-03-12 00:10:23 | ニッポン生活編
閑話休題。
世の中コロナばかりでかったるいので、先週見に行った早咲きの桜の画像でも。
 
 
学校が休校になった最初の週の金曜日。
陽気に誘われて多くの親子連れが遊びに来ていて、子供たちの遊び声がそこらじゅうに響きわたっていてほっとする。
そりゃそうだ。いきなり「家でじっとしていなさい」なんて言われても、絶対にできっこないよな。
 
 
 
お嫁さんの撮影も行われていた
 
 
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コロナより怖い、コロナ差別

2020-03-08 22:57:51 | ニッポン生活編
シカゴに住む友人が先日、ショッキングな経験をした。
いつも通っているZUMBA(ズンバ)教室でのこと。グループで手をつなぐダンスのとき、二人のアメリカ人女性が彼女と手をつなぐことを拒び輪から外れたというのだ。
はじめはなぜかわからなかった彼女、それが昨今のコロナウィルスによる風評被害だと気づいて、あまりのショックにそのあとは涙目で踊ったという。
インストラクターの男性がすぐにフォローに飛んできて、彼女と手をつなぎ続行したそうだが、レッスンの最後に彼が全員に「ダンスは言語が違う人たちをも一つにするものだ!」とたしなめたという。
 
彼女が日本人だとわかっていてのことなのか、単に「アジア人」だからなのかは定かではない。
ただ、観光客が飛び入りしたわけでなく少なくとも同じ教室に通っている顔見知り者同士のはず。失礼を通り越して無知も甚だしい。
聞けばふたりは中年の白人女性。おそらく典型的な”トランプ支持の白人至上主義者”というやつだろう。差別される人の立場になって考えることすらできない人種。そもそもコロナが怖ければ、ジムやズンバなど行かねばよいのだ。
 
でも、冷静になってよくよく考えてみればこんな時期にわざわざグループで手をつなぐ振付をするインストラクターもちょっと配慮に欠けるというものだ。
アジア人だろうが欧米人だろうが、なるべくむやみに人に触れないように心掛けているこのご時世、輪になって踊るという振付をもってこなくてもいいのに。結果、それで傷ついた人間を生み出してしまったわけだし。
 
この話のほかにも、「電車で隣に座っていたアメリカ人が席を立って別の席に移った」だの、「降車駅の同じ人が扉の前で並んで立っていたときに息を止めていた」だの信じられない話が続々と聞こえてきた。
きっと彼女らの子供たちも学校でいじめられているんだろうな、と思うと切ない。
 
統計的に見れば、今現在、日本人よりも欧米での感染者や死者の方が断然多く深刻だ。
イタリアでは一日に100人が亡くなっているという。
それでも「イタリア人っぽい人」はアメリカでは差別されようはずがない。そもそもみんな白人で見分けがつかないから。
WW2戦下で”日本人”は強制収容所へ入れられたが、同じ敵国だったイタリア人やドイツ人はそのような扱いを受けることはなかった。こういうときは、肌の色が一番に「区別」の対象となりやすい。
 
とはいえ、日本人とて同じような差別をしているのもまた事実。
知り合いが近くのスーパー温泉に行ったとき、中国人の集団が脱衣場を占拠しているのを見て「恐怖を覚えた」と言っていた。(まぁ、この中国人団体は間違いなく観光客だろうけど・・・)
 
ともあれ、得体のしれないものへの恐怖は、間違いなくHumanityなど一瞬にしてぶっ壊してしまうということだ。もっとも、恐怖の“出し方”はその人の知性や教育レベルによってちがうだろうけど。
 
見えない恐怖の前では、人間など所詮自分のことしか考えない動物にすぎない。思いやりだの絆だの言ったところで、結局はトイレットペーパーを買いあさりマスクを法外な値段でリセールするちっぽけな存在なのだ。
 
 
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日本人よどこへ行く。嗚呼、コロナ狂騒曲。

2020-03-05 22:43:48 | ニッポン生活編
「みんなでがまん」
「がんばろう、ニッポン!」
「欲しがりません勝つまでは」
 
こういう国民性はいい時もあるが、うざいときは決定的にうざい。
今回のコロナウィルス騒ぎでは、毎日マスゴミが恐怖を煽り立てるだけで何の役にも立たず。
挙句の果てにどっかのお兄ちゃんがつぶやいた「トイレットペーパーがなくなる」というデマを真に受けた阿呆どもが店に殺到して買いあさり、いい大人がトイレットペーパーごときでどつき合いまではじめる始末。
電車のなかで咳をした女性に横の男性が「コロナはアッチへ行け」と叫び、注意した同じ車両の男性と掴み合いになったという。
普段テレビよりネットでニュースを読んでいるのだが、こっちももはや読みたくはない。
どれもこれも「科学的根拠」に欠け、信頼性が乏しいのだ。
 
ウィルスが蔓延した豪華客船の内部を暴露した教授はネトウヨでたたかれた。
彼が告発した映像は翌日には本人から削除された。ああ、彼もやはり国立大学で働く身、いくら発言が個人のものだとはいえ政府から「助成金削るぞ」くらいの圧力を受けたのだろうと勘繰る。
 
そんなこんなで一向に嫌な流れは収まるところを知らない。
ウィルスという目に見えない敵と戦っていることによる精神的・経済的だ打撃は底知れない。それにいつ終息するのかが見えないことに、どこまで頑張ればいいのかが分からないという不安がつきまとう。
まるで、終わりの見えない戦争に突入したような暗いムードが漂う。
 
ライブハウスで感染が広がった、というニュースを受けて今度はライブハウスやイベントがターゲットになった。
「大勢の人々が密集する場所」なら他にもいくらでもあるだろう。東京の満員電車、大都会の地下鉄、パチンコ屋はどうだ?
なのに、あくまで”悪”はライブハウスという論調にこれまた吐き気を覚える。自粛ムードのなかライブを敢行したアーティストには非難が浴びせられる。
みんなが同じ方向を向いていないと不安視し、ここぞと弱いものを一気に袋叩きにする村八分社会日本の真骨頂だ。
 
安倍政権は東京オリンピックだけは死守したがためにもうなりふり構わずなんでも「政策」という名のもとに好き放題やり始めた。でも遅すぎるんだよねー。
学校閉鎖?
馬鹿言ってんじゃないよ、安倍君。どれだけの人たち、企業、産業がそれによってダメージを受け苦痛を強いられるのかわかってるの?
子どもたちが家でじっとしてるとでも本当に思っているの?
家にお手伝いさんが何人もいて、家庭教師もいて。あなたのようなご立派な家庭じゃないのですよ、この国を本当に支えているのは。
親たちがほいほい簡単に会社を休めるとでも思っているの?それも3日前に言われてさ。
結局学童保育は手が回らないほどの忙しさ。こっちの方がむしろ感染の巣窟になる確率が高いでしょ、とみんな心では思っている。
学校は「要請」を受けたらやらねばならぬ。要請に逆らって学校を開けて、何かあったときやり玉にあげられるのはごめんだ。
何とかしてあげたいけれど、何もできない教育現場のジレンマ。
 
只でさえ忙しい教師のボランティア仕事は増えに増える。
中途半端に終わってしまった3学期の成績表、学年末の評定、臨時休校中の特別見回り(子供たちが事件や事故に巻き込まれないための)・・・。
一番かわいそうなのが子供たち。中途半端に学校が終わり、どの教科も当然最後まで終了していない。
3年生は受験が待ち構えているが進路指導もままならぬ。
 
そんなこんなを全部「私が決めた以上責任をとる」ってあんた、恰好つけてんじゃないよ。
全てが後手後手に回って、日本の危機管理の甘さを露呈した今回のコロナ戦争。
まだどうなるのか・・・全く見えない。
 
みんなが少しずつ免疫を体にたくわえはじめ、ワクチンも開発されれば、そのうち普通の風邪のように通り過ぎていくのだろうが。
 
かくいう我が家も高齢者を抱える身。なるべく悪いものは持ち込まないよう細心の注意を払わねばならない。
 
 
※日本とは正反対、初動の素早さでウィルス感染を最小限に抑えた台湾の危機管理に関する興味深い記事
 
 
#新型コロナウイルス
 
 
 
 
 
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