日本のテレビ番組についていろいろと書いているそばから、ほらやっぱりね、といわんばかりのタイムリーなニュースが立て続けに聞こえてきた。
日本テレビのドラマ『明日ママがいない』をめぐって、第一話放映直後から「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)を設置する熊本の慈恵病院や全国児童養護施設協議会が「養護施設の子供や職員への誤解や偏見を与えかねない」として、放送の中止や内容改善を求めた、というもの。
このニュースを聞いたとき、まず「また日本人の集団いじめが始まったな」と思った。
番組を見ていないので内容に関するコメントはできないが、誰かが「偏見だ、差別だ」と言い始めると、面白いように世の中みんな知ったような顔をしてそっちに味方するのが日本社会の常。
閉鎖的極まりない。
だいたいいちいちそんなクレームを出していたらフィクションのドラマなんて作れないんじゃないのか?
過去にももっとすさまじい内容のドラマがいくらでもあったが、ここまでの大騒ぎにはならずスルーされていた。つまり、直接何かを連想させないものはOKで、リアルなものはNOなのか?
さっぱり理解できない。
そして第2弾は、この番組のスポンサーである8社、(花王、日清食品、スバル、エバラ食品、小林製薬、三菱地所、ENEOS、キューピー)がすべてCMを見合わせたというニュース。
まず、第2話ではスポンサークレジットの表示がなくなったほか、エバラ、ENEOS、キューピーの3社がCMを中止。
CM続行を明言していた三菱地所、花王、小林製薬の3社も、最終的にはこの流れに屈した。
「みんながおりたから、うちも降りなきゃ何言われるかわからない」というこの貧相な決断。
最後の1社になるまでCMを継続して、番組を最後まで見届けてやろうという肝が座った会社は日本にはいないのか?
話は違うが、時同じくして「ANA」の新しいCMに批判が殺到して、ANAはこのコマーシャル放映をやめてしまった。
そのCMを見てみたが、まったく意味が解らなかった。
笑えばいいのか、どうすればいいのか反応さえ返せないのだ。いったい何が言いたいのだ?(笑)
「日本人のイメージを変えようぜ」といって、いきなり金髪につけ鼻?浅い、あまりにも考えが浅すぎるぜ。
この間の番組収録の時にも感じたが、「アメリカ人=金髪&青い目」という凝り固まったイメージを、テレビ局はいまだに視聴者に押し付けようとしているということをタイムリーに証明してくれた。
実に興味深い偶然だった。
人種差別とか偏見とかいう以前に、こんな面白くもなんともない、意味のないコマーシャルをよくもまあ、大の大人たちが大金をはたいて作って堂々と放送したものだということにあきれた。
一人として反対する人はいなかったのだろうか??
集団催眠にでもかけられていたのかもしれない。
CMを作ってもらうほうも、作るほうも、所詮こんな国際感覚のかけらもない頭脳なのだ。がっくし。
とまぁ、ここまでは“極小コホネス”のスポンサー側の話。
しかし、大きな問題は「視聴率をたたき上げる為なら、多少人を傷つけようが確信犯で何でもやる」テレビ局そのものだと私は思う。
こうなることはうすうす承知しながらも、十分な議論もせず見切り発車したその態度に腹が立つ。
テレビの仕事をした直後だけに、余計に手に取るようにわかる。丁寧に裏付けをしたり最小限の配慮をしたりする繊細さなど、彼らにはひとかけらもないからだ。
そんなことを考えていらだっていたら、面白記事を見つけた。
窪田順生の時事日想:
赤ちゃんポストに預けられた子供が「ポスト」と名乗るドラマの何が問題なのか?
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1401/21/news026.html
ここでなるほどと思ったのは、「子ども社会の伝播力を甘くみてはいけない」というくだり。
いくら「夜10時以降の放映で低学年の子供たちが見ない時間だ」と弁解しても、それはあくまで大人の理屈。
同い年の子どもが主役で出ている、なにやらいわくあり気なドラマを、子供が黙って見逃すわけはない。
子供は大人が考えているほどアホではないのだ。
そうして見てしまった子供から尾ひれがついて番組が語られ、施設に対する偏見や施設から通っている子供たちへの差別につながることを体験者は最も恐れている、という内容に深く共感した。
「日本のテレビ局は、どんなあざとい手を使っても視聴率をたたき出す「営利企業」と、「社会の公器」という相容れない2つの仮面を使い分け、どうにかここまでやってきた。
いい加減、善人ぶるのがバカらしくなってきたということかもしれない。」(前述「窪田順生の時事日想」より)
「視聴率=金」だけしか価値観を見いだせず、もはや人間としての最小限の配慮もできないアホなマシン集団が作る番組を、見る側はこれからどうやって賢く取捨選択しくべきなのか。
善人ぶるのをやめた社会の公器、“社会の集団殺傷兵器”との闘いが、始まった。
日本テレビのドラマ『明日ママがいない』をめぐって、第一話放映直後から「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)を設置する熊本の慈恵病院や全国児童養護施設協議会が「養護施設の子供や職員への誤解や偏見を与えかねない」として、放送の中止や内容改善を求めた、というもの。
このニュースを聞いたとき、まず「また日本人の集団いじめが始まったな」と思った。
番組を見ていないので内容に関するコメントはできないが、誰かが「偏見だ、差別だ」と言い始めると、面白いように世の中みんな知ったような顔をしてそっちに味方するのが日本社会の常。
閉鎖的極まりない。
だいたいいちいちそんなクレームを出していたらフィクションのドラマなんて作れないんじゃないのか?
過去にももっとすさまじい内容のドラマがいくらでもあったが、ここまでの大騒ぎにはならずスルーされていた。つまり、直接何かを連想させないものはOKで、リアルなものはNOなのか?
さっぱり理解できない。
そして第2弾は、この番組のスポンサーである8社、(花王、日清食品、スバル、エバラ食品、小林製薬、三菱地所、ENEOS、キューピー)がすべてCMを見合わせたというニュース。
まず、第2話ではスポンサークレジットの表示がなくなったほか、エバラ、ENEOS、キューピーの3社がCMを中止。
CM続行を明言していた三菱地所、花王、小林製薬の3社も、最終的にはこの流れに屈した。
「みんながおりたから、うちも降りなきゃ何言われるかわからない」というこの貧相な決断。
最後の1社になるまでCMを継続して、番組を最後まで見届けてやろうという肝が座った会社は日本にはいないのか?
話は違うが、時同じくして「ANA」の新しいCMに批判が殺到して、ANAはこのコマーシャル放映をやめてしまった。
そのCMを見てみたが、まったく意味が解らなかった。
笑えばいいのか、どうすればいいのか反応さえ返せないのだ。いったい何が言いたいのだ?(笑)
「日本人のイメージを変えようぜ」といって、いきなり金髪につけ鼻?浅い、あまりにも考えが浅すぎるぜ。
この間の番組収録の時にも感じたが、「アメリカ人=金髪&青い目」という凝り固まったイメージを、テレビ局はいまだに視聴者に押し付けようとしているということをタイムリーに証明してくれた。
実に興味深い偶然だった。
人種差別とか偏見とかいう以前に、こんな面白くもなんともない、意味のないコマーシャルをよくもまあ、大の大人たちが大金をはたいて作って堂々と放送したものだということにあきれた。
一人として反対する人はいなかったのだろうか??
集団催眠にでもかけられていたのかもしれない。
CMを作ってもらうほうも、作るほうも、所詮こんな国際感覚のかけらもない頭脳なのだ。がっくし。
とまぁ、ここまでは“極小コホネス”のスポンサー側の話。
しかし、大きな問題は「視聴率をたたき上げる為なら、多少人を傷つけようが確信犯で何でもやる」テレビ局そのものだと私は思う。
こうなることはうすうす承知しながらも、十分な議論もせず見切り発車したその態度に腹が立つ。
テレビの仕事をした直後だけに、余計に手に取るようにわかる。丁寧に裏付けをしたり最小限の配慮をしたりする繊細さなど、彼らにはひとかけらもないからだ。
そんなことを考えていらだっていたら、面白記事を見つけた。
窪田順生の時事日想:
赤ちゃんポストに預けられた子供が「ポスト」と名乗るドラマの何が問題なのか?
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1401/21/news026.html
ここでなるほどと思ったのは、「子ども社会の伝播力を甘くみてはいけない」というくだり。
いくら「夜10時以降の放映で低学年の子供たちが見ない時間だ」と弁解しても、それはあくまで大人の理屈。
同い年の子どもが主役で出ている、なにやらいわくあり気なドラマを、子供が黙って見逃すわけはない。
子供は大人が考えているほどアホではないのだ。
そうして見てしまった子供から尾ひれがついて番組が語られ、施設に対する偏見や施設から通っている子供たちへの差別につながることを体験者は最も恐れている、という内容に深く共感した。
「日本のテレビ局は、どんなあざとい手を使っても視聴率をたたき出す「営利企業」と、「社会の公器」という相容れない2つの仮面を使い分け、どうにかここまでやってきた。
いい加減、善人ぶるのがバカらしくなってきたということかもしれない。」(前述「窪田順生の時事日想」より)
「視聴率=金」だけしか価値観を見いだせず、もはや人間としての最小限の配慮もできないアホなマシン集団が作る番組を、見る側はこれからどうやって賢く取捨選択しくべきなのか。
善人ぶるのをやめた社会の公器、“社会の集団殺傷兵器”との闘いが、始まった。