5月13日
ブルース界の、いや音楽界の帝王、B.B.キングが亡くなった。89歳。
数年前から持病の糖尿病が悪化し、たびたび入院を繰り返しつつもステージに立ち続けていたが、今回ばかりは病床から復活することはかなわなかった。
昨年10月、シカゴでのライブの途中で脱水症状になりそのまま病院に運ばれて、あのときはもうだめかと思ったが何とか持ち直して今年もあちこちにツアーに回る予定が組まれていた。
この年齢で、この状態で、そこまでしてツアーをしなければならないのか、と誰もが思った。彼が生きているうちに一儲けしておこうという意地汚いプロモーターと、マネージャーの策略なのか・・・と、キングが不憫にさえ思えた。
私がB.B.キングを最後に見たのは、2013年、近所のフェスティバル。ピーター・フランプトンらギタリストとの共演だった。
その時の記事がこれ。
http://www.usshimbun.com/Music-Series/music-vol.2-Frampton'sGuitarCircus
ステージの真下にあるカメラマンエリアから必死になって写真を撮っていた私のほうを見て、ゆっくりとカメラ目線を送ってくれた。
そればかりか、口で〝Hi"と言いながらあの大きな手をちょこちょこっと振ってくれたのが本当にうれしかった。
こういう気遣いができるやさしさと謙虚さを常に持ち合わせていた人だった。
昔の体形から比べると驚くほど痩せこけていたけれど、声の艶は89歳とは思えないほどよく、マイクにもよくとおるバリトンボイスだった。
とはいえ、さすがに長時間をこなす体力はすでになく、実質は20分ほど。そのうちほとんどがギターもひかずしゃべっていた。
それでも彼を見たさに集まった観衆は、まるで神様を拝むように惜しみない拍手を送っていた。
あの時誰しもが心でこう祈っていたに違いない。
「この“Thrill Is Gone”が再び聴けますように・・・」と。
どんな人にも必ず最後の時は訪れる。
それまでにどう生き、何を残せるかはその人の生き方次第だ。
ミシシッピの小さな町で生まれ、メンフィスに出て頭角を現しブルースマンとして成功を収めた。
彼のギターは、「一音鳴らすだけでキングだとわかる」と言わしめるほどのカリスマ性を秘めていた。
ギャンギャンといらない音のオンパレードをわめき散らすそこらのギタリストとちがって、彼のギターにはだれにもまねできない“間”があった。
その品のいい間が独特のグルーブとなり、B.B.キングのブルースとなっていた。
ブルースミュージシャンだけでなく、ロックやR&Bなどすべてのギタリストが心酔し、なんとか真似ようとしていたと言っても過言ではない。
彼のギターと歌を聞いてしまったら、そんじょそこらのロックなど、もうただのガキの音楽に聞こえてしまう。
ストーンズすらかすんでしまうのだ。
「真に偉大なミュージシャンは、死んで人を残す」という言葉のとおり、B.B.キングはこの世に彼の魂を引き継ぐ“チルドレン”を残した。
しかし、ここ数か月の彼を取り巻くニュースは暗く切ないものばかりだった。
長年のマネージャーがキングの容体を知りながら、適切な医療を与えず「老人虐待」をしている、とか彼の財産を横領している、と実の娘たちに訴えられるなど、近親者での醜い争いが繰り広げられていた。
また、マネージャーは病床のキングに最後の別れをしたいと望む実の娘たちだけでなく、親しい友人たちにも一切会う機会を与えなかったという。
自分がもうすぐ神に召されるとわかっていながら、親しい人たちにも会えず白い天井ばかりをみつめていたキングの気持ちやいかにと思うと、いたたまれなくなる。
彼の生き様と同じように、彼のこの「死に様」も多分多くのミュージシャンたちに影響を与えたに違いない。
80歳を過ぎて活躍する現役のブルースマンたちは、これをどのように受け止めただろうか?
せめて最後のひと時は家族と手を取り合って安らかに眠りたい、との思いを強くしたに違いない。
キングは故郷、ミシシッピの小さな町インディアノーラにある教会墓地に埋葬されるそうだ。
「子供の頃、綿を摘んでいたあの綿花畑の近くの教会に埋葬してほしい」
これが、キングの遺言だったという。
どうか、安らかにお眠りください。