Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

ワールドカップ悲喜こもごも。

2010-06-29 02:51:23 | アメリカ生活雑感
普段はワールドカップなんてどうでもいい、という態度をとっているPちゃん。
でもさすがに昨日のドイツ-イングランド戦のビデオは何度も見て、奇声をあげていた。
あの“疑惑のゴール判定”にも、「66年のときの呪いだ~。なんていう皮肉なんだ!」などと言っている。
ドイツ人ならあのゴールを知らない人はいないそうだ。


土曜日にスカイプしてきたPちゃんママも、もちろんサッカーを見ているそうだ。
すべての試合を見ているパパは、昨日のイングランド戦は今大会一番の試合だったと興奮している。
マニュエルは「ビバ!ハ~ポン(ジャパン)!!」と叫んでいる。
とりあえず、今のところドイツもスペインも日本も勝ち残っているので、なんだかみんなの声も明るい。


普段はサッカーのサの字も口にしないアメリカのメディアでさえ、今年は盛り上がっている。
それもそのはず。なんといってもあの弱小アメリカチームが奇跡的に一次リーグを突破したのだから。
2次リーグでのガーナ戦ではGKの故郷から中継してみたりして、まるでオリンピックの決勝戦のようだった。


Pちゃんの職場(研究所)もこの時期は大さわぎ(一部)だ。
何せ世界中から研究者が集まっている場所。特にPちゃんの大の仲良し、マッシモ(イタリア)もWCが始まってからはそわそわして仕事にならないらしい。

WCが始まったとき、マッシモは私の顔をみて開口一番、
「ジャ~パンはワールドカップに出てるの?」
「なんやと出ておりますとも」
「へ~そうなんだ。じゃぁもし決勝で合ったらそのときは一緒に応援しようね」(←自信満々)
「・・・・ええ・・まあ・・」


そんな会話がやりとりされてから2週間後の6月24日。
イタリアはまさかの一次リーグ最下位敗退が決まり、日本は奇跡の?一次突破。
翌25日にマッシモに会ったとたん、何も言わずI'm sorryのハグをしてしまった私。
でも今回はイタリア人はみな「この戦力では勝てない」と思っていたらしい。
「それにしてもフランスも一次で負けてくれてよかったよ。フランスにとやかく言われることが一番むかつくもんね」
これがイタリア人の本音らしい。面白いもんだな~。
「ところで日本はすごいねぇ」
「正直言って、ほとんどの日本人は今回は期待してなかったからね、驚いたよ」
「“期待していなかった”なんてうちはありえないからうらやましいよ」

そうこうするうちに、インドのサティーもやってきた。
日本にいたこともある彼は、流暢な日本語で
「ホンダサン、スゴイネ~」

2006年のときよりははるかに情報が少なく盛り下がって見始めた今大会。
でも前回のデンマーク戦で縦横無尽に走りまくる日本チームを見てから、がぜん応援する気がわいてきた。
明日のパラグアイ戦(朝9時から放映)が楽しみだ。

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GOROの一年。

2010-06-27 01:10:24 | GORO
6月25日。
アメリカではマイケル・ジャクソンの一周忌の話題で持ちきりだが、我が家的にはもっと大切な日。 

GOROの1歳の誕生日。




今日はお誕生日プレゼントに、グルーミングに連れて行ってあげた
お風呂に入って体中を洗ってもらって、爪や耳のお掃除までフルサービス。
ピッカピカになって戻ってきた。


★ ★

GOROがうちにやってきたのは生後2ヶ月の8月のこと。
3時間も車を運転してやっとたどり着いたイリノイのど田舎のブリーダーの庭で、真っ先に目に飛び込んできたのが満面の笑顔で無邪気に走り回るGOROの姿だった。



あまりに小さいので、芝に足をとられてずっこける、その姿が本当にかわいかった。
Pちゃんが抱っこすると、両腕のなかにすっぽりと入ってそのまま寝てしまった。

 体重は6パウンド。サンクスギビングで食べた七面鳥とほぼ同じ。

GOROを車に乗せて3時間、また長い帰り道。
その間、彼はず~っと助手席の私のひざの上ですやすやと眠っていた。
なんだか私たちが迎えに来るのを産まれたときから待っていたかのように、すっかり安心した寝顔だった。

うちに来てからは、毎日寝る→食う→出すの生活。
食べるとすぐに“うんちしたいサイン”を送ってくるので、少しも目を離すことができず
私はほんの1時間も外出することができなかった。
GOROは絶対おしっこやうんちを家の中でしたがらず、私が外に連れ出してくれるまで待っているからだ。
(おしっこはたまにシートの上ですることはあっても、大は絶対しない)

 


見るものがすべて珍しいやんちゃざかり。
“甘噛み”を知らないGOROにやられて、私もPちゃんも両腕は傷だらけだった。

 
  

3ヶ月~4ヶ月と経つにつれて、だんだんとひとりで我慢できる時間が長くなっていった。
私も2~3時間くらいはGOROをおいて外出できるようになった。
でも必ず3時間以内には帰ってきて、外で思い切り用を足すついでに走り回らせるようにした。
このときのトレーニング(待てるという信頼関係)が今とても役立っているように思う。


10月31日。ハロウィーンの日に、部屋の中の囲い(ケージ)を取っ払う。
これで1階は制限なく自由に動けるようになった。家具に悪さはしなかったけれど、パソコンのアダプターと壁をがじがじやられた・・・。

11月11日。この日初めて、足をあげておしっこした。結構衝撃的瞬間だった。

初めての雪にはしゃぐ

12月13日。“迷子事件”発生。
この日を境にいっそう信頼関係が深まった気がする。

クリスマス、日本へ帰る2週間の間、テリー家に“ホームステイ”。初めてうち以外で長期間過ごすことに。
“AJ”という柴犬ベストフレンド&兄貴ができて、いろんなことを学んで帰ってきた。
階段の上り下りを覚えたのも彼のおかげだった。

 AJとGORO

そして1月17日。ついに自力で階段を上がってきた。


これで、家の中すべてが彼のテリトリーになった。でもそのおかげで、早朝襲撃されるようになった。



2月。Dog Parkデビュー。ほかの犬たちと一緒に遊ぶことを覚えた。

 ここに来たら帰りたがらない

8ヶ月を過ぎてからは、すっかり世話が楽になった。
半日くらいはひとりで留守番をさせられるようになった。

10ヶ月くらいから、なぜだか“赤ちゃん返り”。一緒に家にいても、私の後を始終ついて回って離れなくなった。
トイレに入ったらトイレの前で待っているし、ピアノを弾き始めたらピアノの横で眠る・・というように。意味不明。
外に出て遊びたいときには私の靴を噛むという行動に出始めた。
サンダル3足、スニーカー1足をやられる。

★ ★

無駄吠えは絶対しないし、ほかの犬とも仲良く遊ぶし、家の中でそそうはしないし、何も問題のないいい子のGORO。
でも問題は「臆病」なこと。
いまだに怖いものは、小さな子供、傘、ごみ収集のBox。
この根性をたたき直すのが、次なる1年の目標かな。



こ~んなに長くなりました。


Happy Birthday, GORO!! We all love you!!


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シカゴの次は、“Blues On The Fox”

2010-06-23 18:09:00 | music/festival
シカゴのブルースフェスの翌週末は、お隣町、Auroraで毎年恒例“Blues On The Fox”
この小さな町のブルース・フェスティバル、あなどるなかれ毎年おおっとのけぞるようなものすごいゲストを連れてくる。
去年もすごかった。
いったいどんな人が仕掛けているんだろう。よほど影響力のある人に違いない。
ちなみに、今年2日目(土曜日)の出演スケジュールはこんなかんじ。

3:30 p.m. Guy King and his “Little Big Band”
5:15 p.m. Ronnie Baker Brooks
7:00 p.m. "Joined at the Hip" featuring Pinetop Perkins and Willie “Big Eyes” Smith with special guests Hubert Sumlin and Bob Margolin
8:30 p.m. Jimmie Vaughan


残念ながら今日は珍しく夕方までお仕事だったので、7時からのPinetop Perkins & Willie “Big Eyes" Smithに狙いを定めて駆けつける。



遠くからでもひと目でわかるこのお姿!
パイントップのトレードマークの真っ赤なスーツが夕陽に映えてまぶしい。


宇宙の小動物みたいでかわいい(失礼・・)パイントップ爺ちゃん。

 
このツーショットはまさに国宝級。
左のパイントップは96歳。76歳のウィリーが若造に見える。
ブルースメンはまさに、死ぬまで現役。


去年と比べて今年のお客さんはブルースファンが多いみたい。


★ ★

このふたりを見ていて思い出したのが、2008年の“ケネディー・センター・オナー”での“モーガン・フリーマン・トリビュート・バンド”にまつわる逸話。
ふたりのほかに、あの、ハニーボーイ・エドワーズ、ココ・テイラー、菊田俊介らが一晩だけのバンドを組んだ話が菊田氏のブログにのっていて、一人で大受けしたっけ。
その道一筋の頑固な爺さん婆さんのバンドって、本当に大変そう


 演奏を終えてなぞのサムアップ

★ ★

続くJimmie Vaughanを見ようと思ったその瞬間、Pちゃんがペイジ(緊急呼び出し)を食らう。
泣く泣く撤収することに。
今年はどうもついてないな~
来年を楽しみにしよう!
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祭りの後は、シカゴツアー

2010-06-17 22:36:15 | アメリカ生活雑感
土日のBluesツアーを終えた青森商工会議所の方々は、月曜朝には次なる目的地ニューオリンズへ。
時差ぼけの疲れも知らず、朝5時半にはホテルを出るという強行スケジュール。
本当にタフである。さすが青森“ねぶたパワー”だ。

ただ、ここでひとり取り残されたのがF氏。
火曜日には帰国の途につかねばならないため、ニューオリンズツアーには参加せず月曜日一日シカゴに残ることになったという。
とういわけで、「かわいそうなF氏の案内をやってくれないか?」と山中氏から急遽頼まれた私が、シカゴ案内を買って出た次第。
初めてのシカゴ三連荘だ。

事前にお聞きしたところこのF氏、何でもスポーツ関係のお仕事をされているとか。
それなら野球でも見に行こう!と思ったけれど月曜日はあいにくオフ日。
そこでひらめいたのが、オフ日を使って開催されている「シカゴカブス・リグレーフィールド・ツアー」。
前から一度行ってみたいと思っていた(自分の趣味)こともあっていろいろ調べてみたところ、
このツアーは9時から5時まで30分おきに出ているという。料金は一人$25。
球場の隅々を一般の人々が立ち入れない場所までガイドつきで1時間半ほどかけて回ってくれるらしい。
これはいいかもと、さっそくご本人に確認したところ「行きましょう!」とのことだったのでいざリグレーへ!!わくわく。




今日も雨模様だったので、このツアーはちょうどよかったかも。
すぐに直近のツアーに参加することができた。


センターバックスクリーンから見た、休日の球場。明日の試合のために整備が行われていた。
大リーグではLAドジャーズ(1912年)に続いて古く、1914年に建てられたリグレー球場は、当初野球だけでなく、
サッカー、フットボール、アイスホッケー、なんとスキージャンプなどにも使われていたそう。


いまだに手動で行われているスコアボード。(真ん中部分は電光掲示)
巨大な帆船の帆のようにも見える。
昔はボードが黒かったそうだが、真っ暗でよく見えないという文句が来てこの色に塗り替えたそうだ。
当時は戦争中だったため、この色が一番安く手に入ったとか。



ぐるっと歩いて今度はバックネット裏から見る。
昔は今のピッチャーマウンドがホームだったらしい。あまりにホームランがでるのでクレームになり、
後方に広げて今の大きさになった。それでもなんか狭い気がする。
もちろん、いらない防護ネットなどは一切なく、実に眺めがいい。


ここはアメリカ~世界中の各メディアが中継する放送席。
席にはメディアの名前も書かれていた。




ここがカブスベンチ(三塁側)。
普通はホームチームは一塁側なのにどうして?答えは
「一塁側は陽がまぶしいから」(・・・ってあんた・・・



ネクスト・バッターズ・サークル!


これが一塁側のゲストチーム側ベンチ。
違いは一目瞭然。こっちはクッションなし(・・・ってあんた・・・


今日ガイドをしてくれた女性は、よほどのファンなのだろう、まぁよくしゃべる。
とってもありがたいのだが、ちょっと説明が長すぎて途中で面倒になってきた。
それに、アメリカの野球の歴史や有名な人物などを知らないとわからないような話も多くて、私には全部理解することは難しかった。
また、明日試合があるために今日のツアーではロッカールームには入ることができなかった。
これを楽しみにしていたので、なんだかがっかり。


★ ★

ツアーのあと、今度は一路シカゴ美術館(Art Institute)へ。今ちょうど開催中のマティス展に直行する。
マティスの代表作品が彼の年齢、その背景の歴史的出来事ごとに展示されていて、なかなか興味深いものだった。
惜しむらくはゆっくり鑑賞する時間がなかったこと。
今日のプログラムをせめて1時間早く始めておけばよかったなぁと後悔。
(何しろ今朝は9時半からWPの日本ーカメルーン戦があったので、旅の疲れをテレビ観戦でゆっくり癒してもらうため今日の観光は午後からにしたのだった)


その後はひたすら、ご家族&職場の人たちへのお土産のショッピング。
私もそうだけれど、日本人って旅の多くの時間を自分自身が楽しむよりもお土産を買うことに費やしてしまう悲しい習性があるのよね・・。
しかもF氏のように社長さんともなると、お土産の数もばかにならない。大変なのだ。
「シカゴに行ってきましたまんじゅう」でもあればことは簡単なのだけれどあまり“これ”という気の利いたお土産がないのがつらいところ。
せいぜいTシャツかボールペン。
今後のために普段から何かいいお土産の案を考えておこうっと!


またまた偶然にも今日はF氏のお誕生日。
夕べはステーキハウスでお店からサプライズ"Happy Birthday”をしてもらって(日本時間で申告)みんなでお祝いをしたけれど、
今日は今日とて、しゃれたレストランを探しても探しても月曜日のシカゴ、特にLoop内には見つからない!
野球のゲームがないのでスポーツバーも開店休業状態。
結局、やっとみつけたレストラン(ホテル内1Fのレストラン)でちょこっと前菜を頼んでワイン&ビールを飲んだだけのさびしいdinnerになってしまった。
うううう・・ほんと、すみませんでした・・・
それでも、久々に日本語で思い切りいろ~んなお話ができて本当に楽しかった。
(ちなみにF氏は偶然にも私と同い年。おかげで最後はなんだか昔からの友だちのような感覚になっていた。スミマセン
シカゴ案内を務めるといいながら、結局私が遊んでいただいたような日になっちゃった。

Fさん、本当にお世話になりました!!!
またシカゴにお越しくださいね~!


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Chicago Blues Festival 2010

2010-06-17 00:02:04 | music/festival
今年のブルース・フェスは3日間ともはっきりとしない天気。
先週までのピーカンがうそのように、毎日どんより。時々サンダーストーム。
それもあってか、例年よりは出足は鈍かったように感じる。こんなに肌寒いとビールもすすまないよなぁ。
写真も全体に薄暗くてうすら寂しくなってしまった。

6/12(Sat)


シカゴ美術館を抜けて会場のミレニアムパークへ。
美術館入り口の名物の狛獅子(?)も、ブラックホークスがプレイオフを決めてからこんなトホホな格好にされてしまった。


会場に入ってまず見た光景がこれ。
今年も健在、“ハニーボーイ”さん。96歳!
元気なお顔を見るとなんだか拝みたくなる。毎年来てくれてありがとう!


まっすぐGibsonステージへ。
去年、近所のブルース祭りで衝撃を受けた、あのSugar Blue Bandは電車のスケジュールの都合で見逃してしまったけれど、
そのあとのJohnny and Destiny Rawlsがこれまた、ファンキーでカッコよかったなぁ。
会場で買ったピザのピースをほおばりながらみていたら、
横に座っていたおっさんが「このバンド、ええやんかぁ」と同意を求めてきたので思わずピザを口に入れたまま相槌をうつ。






今日のお目当て、Petrillo Shellの先陣をきって登場のNellie“Tiger”Travis。
彼女は来月、青森のJapan Blues Festivalに菊田俊介と共に出演する。

前方の椅子席をやっとゲットし、今日のdinnerの約束時間までここでゆっくり座って見られるなと思っていたら
Nellieが登場したとたん大粒の雨が降り始めた。
雨具を何も用意していなかった私は、ずぶぬれでdinnerに行くわけにも行かずやむなく近くのテントに撤退。

後方のステージから聞こえてくるNellieが歌うKOKOの大ヒット曲、“Wang Dang Doodle”に合わせてテントの中の人たちが大合唱しながら踊る。
去年のブルースフェスの直前に亡くなったKOKOの魂は、今年もしっかりここにいるんだな・・としみじみ。




たまたま帰り道のテントで熱いライブをやっていた“Peaches Staten Band”。
個人的にはこのバンドを聞けたことが今日一番の収穫だった。
Deepな南部ブルースからニューオリンズの明るいZydecoまで、とにかく小さな体に何かが乗り移ったように歌うそのパワーに圧倒されどおし。

食事の後は、「Blue Chicago」へ。
今日の出演は、J.W.ウィリアムス・バンド もちろんギタリストはShunこと菊田俊介。


ヴォーカルのパトリシア・スコットはいつ見ても迫力満点、気合入りまくりだ。
Shun氏のギターに注目!(新聞の切り抜き?のBlackhawksのマークが)
この晩はBlues Fest流れのお客さんで店内も満員御礼で熱気むんむん。



6/13(Sunday)
今日のスタートはここから。


6月に移転し新しくオープンしたばかりの老舗“Buddy Guy's Legend”。
前の店に行ったのはかれこれ10年以上も前だが、今度のお店はステージも客席も格段に広くなってなんだかブルースクラブっぽくないおしゃれな(?)感じ。
ここでまた、熱い歴史が刻まれていくのだろうか。

 
 



昨日に引き続き、再びNellieのステージを青森商工会議所青年部の方たちと一緒に見る。
会場に現れた彼女は、ステージ横の私たちが陣取っていた席にまるで同じグループの一員であるかのようにどん、と座り、
いきなり“青森組”に溶けこんでいた。
と~っても気さくでかわいい人。

いったんステージが始まると、Nellieは観客を自分の世界に一気に引き込んでいく。
KOKOが認めたシンガーだけあって、何を歌ってもそこには“魂”があった。
うまいシンガーはいくらでもいるけれど、また聴きたいと思えるような“違いのわかる”シンガーになるには、最後はハートなのかもしれない。


お土産の「ねぶたの扇子」をもってご機嫌のNellie。
来月の青森行きをとても楽しみにしている様子。


★ ★

このあとフェスティバルの会場に戻り、Petrillo Music Shellへ。
そして、本日のメインイベント。


青森商工会議所青年部会長の福士大二さんから、メイヤーズ・オフィス(市長室)のBarry Dolinsさんに青森市長からの親書が手渡された。
Barryさんは、Chicago Blues Festivalの創始者であり、総責任者として25年間の長きに渡って影からイベントを支え続けてきた功労者だ。
また、毎年"Japan Blues Festival"のためにシカゴのブルースミュージシャンを紹介してくれていた人物でもある。
今年でこの職を引退するDolisさんの心に去来するものはいったい何だったろう・・?



バディ・ガイとバリーさん
Buddy Guy and Barry Dolins
Chicago Blues Festival 2010
(photo by Chicago Blues Festival Facebook)


初めてBack Stageから眺めたステージ。


※ 今回の青森商工会議所青年部シカゴ訪問の様子は、近々「US新聞.COM」のコラムに掲載予定です。どうぞお楽しみに!
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Bluesな3日間。

2010-06-16 14:50:21 | アメリカ生活雑感
6月11日から13日までの3日間は、毎年恒例のChicago Blues Festivalが行われた。
今年は時々ストームに見舞われ肌寒いあいにくの天気だったが、やっぱり始まるとうずうずしていてもたってもいられない。
PちゃんにGOROを預けて、土・日と連荘でシカゴに行ってきた。

今年は特に、来月青森で行われる「Japan Blues Festival」の主催者の方々がシカゴのブル-ス・フェスの視察を兼ねて、青森市長からシカゴ市長への親書を携えて訪問するという話を聞き、
面白そうなので急遽取材をさせてもらうことになった。
いろいろな人に出会い、語り、新たな刺激をいただいた濃い2日間。
この様子はまた、写真と一緒に明日ぼつぼつUPしていく予定。
お楽しみに!
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青森とシカゴの知られざる関係

2010-06-16 03:44:58 | アメリカ生活雑感
今回の不思議なご縁の始まりは、会社時代の元ボスからのこんな内容のメール。
「青森高校時代の同窓会でシカゴ在住30年というやつに会った。彼はNPOで毎年シカゴのブルースシンガーを青森に連れてきて無料のコンサートをやっている。これも何かの縁だから今度連絡とってみれば・・」

後日、その山中泉(せん)さんという方からさっそくメールをいただいた。
なんでもこの方、毎年7月に青森で行われている「ジャパン・ブルースフェスティバル」の創業メンバーだそう。
もともとは、元気のなくなりつつある青森旧市街地を盛り上げようと青森商工会議所の青年部の方々が中心になって始めたイベントで、毎年シカゴからブルースシンガーを迎えて早や8年目になるそうだ。
今年はネリー“タイガー”トラビスと、あの菊田俊介氏の出演が決まっているという。
ここでもまたShunさんの名前を聞くとは、これも何かのご縁。

今回、来月の「ジャパン・ブルースフェスティバル」に出演するミュージシャンたちへの事前挨拶やシカゴ・ブルースフェスティバルの視察も兼ねて、青森商工会議所の方々が青森市長からシカゴ・デイリー市長宛ての親書を携えて訪問されるとのこと。
シカゴと青森との民間レベルでの知られざる交流・・・これはなかなか面白そうだ。
今度書く記事のネタにしたいので是非密着取材をさせてくださいと山中さんに頼んでみたところ、あっさりOKをいただく。
そんなこんなで、ブルースフェス2日目の12日(土曜日)、青森から到着される皆さんとさっそく夕食を共にすることに。
ここから長いような短いようなコテコテの2日間が始まった。



で、なんで青森とシカゴなの?なんでブルースなの?
その答えは意外と簡単。
青森の有名人といえば?
淡谷のりこ
→といえば?「ブルース」
→といえば?「シカゴ
だそうな。これ、本当の話。

じゃ、なんで青森で「Japan」の冠なの?
答えは、「どこももJapan Blues Festival」の名称を使っていなかったから。

いいなぁ、この軽さ!!
いいぞ!青森!!


今夜の「Blues Chicago」はブルースフェスから流れてきたお客さんで大賑わい。
Shun氏の演奏にも気合が入る



着いた足でもうクラブ視察。疲れを知らない青森商工会議所の方々。
一番左が、“仕掛け人”の山中さん。
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ミシガン通りが真っ赤に染まった日。

2010-06-13 03:13:28 | アメリカ生活雑感
ここ数日、新聞が盗まれて怒っている私。
こっちでは新聞はビニール袋に包まれて庭先にポイッと配達される(放り込まれる)のだが、その新聞が朝取りに行くと姿を消しているのだ。
こんなこと、今まで一度もなかったことだ。

思い当たるふしはただひとつ、Chicago Blackhawks(ブラックホークス)がスタンレーカップで優勝したこと。
この記事見たさに、何者かが新聞を我が家の庭先から盗んだという線が濃厚。
このあたりで新聞を定期購読している人なんてあまりいないから、ごひいきのチームが優勝したその歴史的な紙面をどうしてもとっておきたかったのだろう。
ったく、やることがせこい。

ブラックホークスのいうのは、NHL(National Hockey League)に属するシカゴのプロアイスホッケーチーム。
そのチームが、なんと49年ぶりにリーグチャンピォンに輝いたのだから、シカゴはもう上へ下への大騒ぎだ。
カブスもホワイトソックスも、ベアーズ(フットボール)もブルズ(バスケットボール)も低迷し、
2016年のオリンピックはリオに負けと、最近何もいいことのないシカゴでこのブラックホークス優勝が唯一シカゴ市民に元気を与えてくれた、というわけで
プレーオフに入ったとたん市内はもう大騒ぎ。
優勝が決まった9日の夕方、GOROを連れて近所を散歩しているとほとんどどの家がホッケー観戦をしていたのにも驚いた。
この人たちは今まで、アイスホッケーなんて見ていたのだろうか?


敵地、フィラデルフィアで優勝を決めたホークスチームがシカゴに帰ってきたのが木曜日の未明のこと。
金曜日の午前10時から、シカゴのメイン通りであるミシガンアベニューを封鎖しての大パレードが行われた。
その参加者約200万人!
シカゴ人口の約3分の2が一気に終結したことになる。
平日の朝からなんとまぁ。あんたら、働けよ!

「2005年のホワイトソックスのワールドリーグ優勝のときも、90年代黄金期だったブルズの優勝のときも、これほど人が集まったことはない」と翌日の新聞は書き立てていた。

シカゴにアイスホッケーあり、を始めて実感した日だった。




(chicagotribune.com)
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Hasta luego, Todos!

2010-06-08 12:43:39 | アメリカ生活雑感
6月5日(土曜日)

ちょうど2週間のシカゴ滞在を終えて、ママたちが帰る日がやってきた。
別々に寝泊りしていたこともあって、べったり一緒にすごしたという感覚は全くないけれど、
一緒の時間はいろんな意味で濃く、かなり面白かった。
自然散策が好きな3人にとって、シカゴよりもこんな田舎町でのんびり滞在できたことがかえってリフレッシュになった様子。
また、2週間の間おおむね天候もよく(いやむしろ予想外に良すぎて多少バテ気味にはなったが)外出も心おきなく楽しめた。
シカゴはこれからが本格的な野外イベントのシーズンなので、贅沢を言うと6月にきてもらうのが一番よかったのだけれど、
彼らはこのあとドイツに戻った後、毎年恒例のスペイン北部の別荘に行く予定があるとかでこのスケジュールは動かせなかったらしい。
さすがヨーロピアン、優雅な老後だなぁ・・・。


今回一番お疲れだったのは、実はPちゃんかもしれない。
ママとの間に子供時代からの確執があるPちゃんは、はじめは彼らの訪問にさめた態度をとっていたけれど、
いざやってくるとなると職場の同僚たちにホテルを紹介してもらって1ヶ月前に予約を完了したり、毎日スカイプで状況を報告したり、本当に細々と気を遣って動いていた。
その異常な気配りに、私のほうが「相手は親なんだしもっとリラックスして臨機応変にやれば」と言ったくらいだ。


実はこれはママも同じで、今回の訪問では誰よりもPちゃんに気を遣っていた。
空港からホテルへの移動には、行きも帰りもPちゃんの運転する車ではなく必ず私のほうの車に乗ってきて、「ああ、リラックスするわ~」ともらしていたママ。
一緒にいればいるほど、お互いが気を遣ってストレスが頂点に達するのを知っていたのだろう。
別にホテルをとって欲しいと言った意味が、ようやくわかった気がした。


思えば血のつながった親子とはいえ、性格の全く異なるふたり。
スペイン女を地でいくような、気が強く楽観的で外交的なママと、傷つきやすくどちらかというと内向的、完ぺき主義で気難しいドイツ人そのもののPちゃん。
親ひとり子ひとりでいろいろとぶつかることも多かっただろうと想像がつく。
はたちで母親になり、その後楽しいことも後回しに女手ひとつでPちゃんを育てるしかなかったママも、相当ストレスを抱えていたことだろう。
そのストレスが異国(ドイツ)での新しい生活で爆発し、一気に大人しいペドロ少年へと向けられたのだ。
こういうとき、一人っ子は逃げ場がないからかわいそうだ。

今、お互いに年をとって多少は過去を許せるようになったものの(かどうかわからないが)、
どこかぎこちないふたりを見ていると親子の関係、特に子どもが多感な時期に母親がどう愛情を注ぎ、どう信頼関係を築き合ったかが
その後一生親子関係を左右してしまうものだなとつくづく感じるのだった。

一方、どちらかというとラテン系でママに近い(?)性格の私は、まったく気を遣うこともなく楽しかった。
ママもそれがわかるのか、私といるときは地に戻ってすっかりリラックスしているようだった。
思えばママとは結婚式のとき以来、「Pちゃん」という“共通のもの”を抱えて生きているもの同士、不思議な連帯感と友情が生まれていたような気がする。
人種も言葉も違うのに、なんだかおかしなものだ。



★ ★


今回、ママたちのために何か心に残るお土産をと考えていた私は、
彼らが上陸した2週間前から撮りだめた写真のうちから150枚を厳選してプリントし、手作りのアルバムを作って渡すことにした。
快晴のミシガン通り、チャイナタウン、ハイドパーク、西部の緑の町並み、初の野球観戦・・・その一枚一枚に、はじけるようなみんなの笑顔があふれている。
もちろんアルバムの最後は、夕べの「ハーレー体験」で締めた。

オヘア空港でチェックインのあと、空港内でみんなで軽く昼食をとったところで
Pちゃんからこの手作りアルバムをプレゼント。
このサプライズに、もちろん3人は大喜びしてくれた。
やっぱりこういうときはアナログに限る。


 
「野球、美術館、ハーレー」を“3大アメリカン経験”にあげていたママは、
写真を見て改めてうれしそうに振り返っていた。
横で泣き出しそうなパパ。



みんながゲートに入るお別れのとき、最後のハグをし合う。
このとき、ママは私の目をじっと見てこう言った。
「サベス ケ ヨ ピエンソ」(私の気持ちはわかっているわよね)
もちろん。
「ヨセ」(わかってるよ。まかしとき)


3人の姿を見送って、私たちはどこへも寄らずにまっすぐ家路についた。



★ ★ 番外編 ★ ★

家に戻った私たちは電池が切れたようにだらだらとすごし、
8時ごろになって近所のイタリアンレストランに“お疲れ様晩御飯”を食べに行った。
実は今晩ここで友達のヴォーカリストがライブをすると聞いていたので、彼女との約1年ぶりの再会も兼ねて出かけることにしたのだ。

隣町Auroraにある、イタリアンレストラン「Luigis House」内のBar「Julian's Piano Bar」。
しかしここの食事、今まで食べた中で一番の激マズ!!絶対お向かいのスーパー(Maijer)からソースを買ってきて調理しているに間違いない。
ココでは絶対に食事しないことをオススメします


シカゴを中心に活躍するヴォーカリストのレベッカちゃん。
涼やかな明るい声で聞かせてくれるJazzのスタンダートが、疲れた耳にやさしかった


食事を終えてのんびりみていたら、レベッカちゃんから呼ばれていきなり飛び入り。

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最後の夜と、ハーレーと。

2010-06-07 06:50:20 | アメリカ生活雑感
火、水、木曜と3日間は、全く別々にすごしたものの、さすがに土曜日に帰ってしまうママたちを放っておくわけにはいかない。
前日の金曜は、ささやかながら我が家でフェアウェルパーティーをすることにした。

この日は遠出をせずに、またNapervilleあたりをぶらついてお土産を買ったり、荷物の整理をしたりしてゆったりとすごしたというお3人さん。
すっかりこの町のおなじみになって、よくフルーツなどの買出しをするお気に入りのスーパーもできたらしい。
結局、ホテル滞在は3人にとっても私たちにとっても、ストレスのない最高の選択だったみたいだ。

午後6時。
我が家に3人がやってきた。
3日半会わないと、なんだかとっても久しぶりな感じでなつかしい。


★ ★

さて、今晩は「天ぷら」と決めていた。
席にすわってもらって、私がキッチンで次から次へと揚げては運び、揚げたてをその場で食べてもらうという日本の串かつ料理店の趣向。
もちろん3人とも天ぷらは初体験だ。
まずは、あさりとほうれん草のお味噌汁から。これも初体験だったが、とてもおいしいと好評だった。
この人たちのいいところは、何でも食べること。Pちゃんもそうだけど、好き嫌いなく食に対してリスペクトがあるというところは、作り手としてもとてもうれしい。

さて、今夜揚げに揚げた具材は以下のとおり。

わかさぎ(smelt)
イカリング(squid)
れんこん(lotus root)
たけのこ(bamboo shoot)
かぼちゃ(Japanese pumpkin)
アスパラガス
※にんじんとたまねぎ(かき揚げ)の予定が「もう勘弁してください」の声で中止。




テーブルに置いた瞬間、どんどんどんどんなくなっていく。
いつもはタレをつくるところだけれど、食材がよさそうだったので味付けはあら塩のみで食べてもらった。それがかえって食感を軽くして食べやすかったみたい。
次々と目の前にやってくる天ぷらにマニュエルは「王様のディナーみたいだ」とうれしそう。



日本から持ち帰った純米酒も満を持してついに開封!
純米酒の旨さに国境なし。みんな「旨い、もっとくれ」の大反響。


と、そこに思わぬお客様が登場。
テリーだんなのビルが、なんと、愛車ハーレーに乗ってやってきたのだ。
実は、初日に近所をお散歩中にばったりとテリー夫妻にお会いしたとき、ハーレーに興味を示したママにビルが「帰るまでに絶対のせてあげるよ」と約束したのだった。
それを忘れずにやってきてくれるところが、律儀なこの人らしい。

 
ビルがやってきたときにはみんなほろ酔い状態。
まぁまぁ、さぁさぁ、といきなり宴会に引きずり込まれるビル。
ビルの登場にGOROも大興奮で走り回り、家の中は英語、ドイツ語、スペイン語が乱れ飛ぶものすごい状態に。



★ ★

さて、いよいよその時がやってきた。


私の革ジャンをはおって、出発前に緊張気味のママ。
これからご近所を一周してきま~す!




そして、30分後・・・



“ハーレー仕様”に大変身をしたママが帰ってきた。

なんでも、途中ビルのうちに寄ってテリーのコスチュームを着せてもらったらしい。
やることが心憎いご近所さん。
出発前は「私、酔っ払ってるんだけど・・」と多少困惑気味だったママもよっぽどツーリングが楽しかったらしく、大興奮でどうだった、こうだったとまくしたてていた。

 

調子にのってパパもビル仕様で記念撮影。
ママは興奮さめやらず、ビルにキスの嵐を浴びせて感謝しまくっていた。
そして私に「ショーコ~!もう最高やったで~。ああ、もっと酒、酒、さけ飲ませて~~」とスペイン語で叫ぶのだった。
ほんま楽しいわこの人たち・・・。

ビル&テリー、最後に素敵なサプライズプレゼントをどうもありがとう

Comments (2)
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