Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

スリル満点のJam Session ~その2

2010-08-28 12:36:39 | music/festival
午前12時をまわったころ、フリーマンがなにやらぼそぼそとつぶやいた。
どうやら、シンガータイムが始まったようだ。

進行ルールも何も知らない私はひとりでカウンターに座ってただ事の次第を見ていた。
と、そんな私を見かねてか(?)、ロバートというおじさんが私の横に座っていろいろ話しかけてくれた。
ロバートはこの店に通い始めて20年以上にもなるらしく、店のことやほかの常連客のこと、
ミュージシャンのことなど何でも知っていて得意気に話して聞かせてくれた。
偶然にも、彼の息子さんは今神戸で働いているそうで、私が大学時代神戸で過ごしたことを知るといっそううれしそうにしゃべり始めた。

このJamはかれこれ30年も前に始まったこと。
このBarのオーナーは音楽には一切興味がなく、レジの「チ~ン」という音が唯一大好きなこと。
今まで名だたるJazzミュージャンたち(最近ではフレディー・コール)がこの店に遊びにきたこと。
フリーマンの息子のチコがまだ駆け出しの頃、マイルス・デイビスからかかってきたツアー参加の誘いの電話に、ミュージシャンになることを快く思っていなかった彼の母親が「チコはいません」といって即切りしてしまったこと。
フリーマンはここで歌ったシンガーの顔と歌った歌を決して忘れないこと。
今までフリーマンがここから世に送り出したミュージシャンは数知れないこと。
・・・・・・・・・

★ ★

店の常連客のひとりである黒人のおじさんが、ステージのフリーマンから指名された。
デイビッドというこのおっさんは、長年シカゴのブルースバンドでドラマー&ヴォーカルをしていた人らしかった。
野球帽をとラフなシャツな姿でステージに歩み寄ったデイビッドが歌い始めると、とたんに店の空気が変わったのがわかった。
少ししゃがれたブルージーな声と抜群のグルーブ。
巧みな歌詞まわしで観客を笑いに包み込む。
客も彼をよく知っているのだろう、彼がグルーブするたびにやんやの歓声が飛ぶ。
いいなぁ~こういうの。ノースあたりの気取ったJazzクラブでは見られない光景だ。


「君も歌うのかい?」とロバートが聞いてきた。
「そのつもり。でも初めてだからしくみがよくわかんない」
「ここに君の名前と曲名を書いて」そういって、どこからか紙とペンを持ってきた。
ナナミとレベッカちゃんにもそれぞれ曲名を書いてもらい、それをロバートがステージに持っていく。
すると、すぐにナナミの名前が呼ばれた。
ナナミは「I Can Give You Anything But Love」をごきげんに、得意のスキャット回しで歌い上げる。
「Hey! She can sing!!」とうしろで見ていたおばさまたちは歓声をあげる。
フリーマンもなんだか孫娘を見守るおじいちゃんのようにやさしい眼差しでナナミを見つめている。
フリーマンは進行だけで演奏には参加しないものの、バックのミュージシャンたち(Bass、Drums、Guitar)はフリーマンと長年演奏を共にしているプロ中のプロ。
楽譜なしでどんな曲にも対応してくれるばかりか、演奏もさすがのクォリティだ。
ナナミもさすがプロ、堂々たるステージだ。


そのあと、私の名前が呼ばれる。
(げっ。ナナミのあとじゃやりづらいやんか。まいったな・・・)とロバートにぶつぶつ言いながらステージへ。
「日本人がふたり続いてもいいんですか?」とフリーマンに冗談めいてささやくと、
「ビューティフルなジャーパニーズウーマンなら何人でもかまやしないよ」と肩をぽんぽんと叩かれた。
私が選んだのは「What Are You Doing The Rest Of Your Life?」
超スローなバラード。
あえてこれを選んだのは、この店の雰囲気があのカーメン・マクレエの名盤『Great American Song Book』のライブ録音に似ていたから。
人々の笑い声やグラスの交わる音。いかにもそのあたりでみんなが飲んでます、という一体感が妙に懐かしくて
このレコードに収められている曲を選びたくなったのだ。

もうひとつの理由は、咳のしすぎで喉の調子が最悪だったこと。
アップテンポでスウィングする曲は今日はとても無理だ。それならばちょっと抑え気味の、あえて歌詞をじっくり聴いてもらえる語り調の曲にするしかない。
店のお客さんはほとんどが40代以上のようだし、「これからの人生、どうすんの?一緒にどうよ?」という、酸いも甘いも噛み分けた男女の曲のターゲットになんだかぴったりな気がした。
実は私自身、この曲を歌うのに「老け待ち」していたところもあった。
今日はいいタイミングかもしれない。

伴奏はギターのみ。(カーメンのアルバムもジョー・パスのギターのみだったなぁ)
ノーテンポで自由に歌う私に、ギタリストは絡みつくようにしっかりとついてきてくれた。感激。
フェイクもスキャットもなしの、1コーラスのみ。
歌の途中で「私なんで、こんな難しい曲歌っとんやろ・・」と後悔しそうになったけれど、なんとか歌い終わる。
ああ・・疲れた。

席に戻ると、しょっぱなに歌ったあのディビッドおじさんが、よかったよとねぎらいの声をかけてくれた。
「Let me buy you a drink」(何か一杯おごらしてくれ)
というので、遠慮なくミネラルウォーターをごちそうになる。

このあと、レベッカちゃんが「Squeeze Me」を天使のような可憐な声で歌ってくれた。
彼女が歌うと、Deepなサウスの店が、上品なノースのBarに早代わりしてしまうようだった。


★ ★

シンガータイムはここまでで、1時を過ぎたら楽器を抱えたミュージシャンの卵たちが続々と店に現れた。
これからはinstrumentalistたちの時間。
サックス、トランペット、ギター、トロンボーン・・・店はとたんににぎやかになる。
(いったいいつになったら終わるんだろう・・?)
1時過ぎには帰ると言って家を出てきたものの、まさに今ちょうどJamが始まったという感じだ。

この店の楽しいところは、Jazzを愛するいろんな人たちとの輪が一気に広がること。
私はフリーマンバンドのドラマーを20年以上つとめるマイケルと意気投合、彼が昔参加したアジアツアーの話や、どうしてフリーマンバンドの一員になったかなどを聞かせてもらっていた。

音楽への夢が捨てきれずにいた大学生のころ、ある日ラジオから流れてきたフリーマンのサッックスに衝撃を受ける。
友人からフリーマンが主催しているこのJamのことを聞き、ある晩ドラムで参加したところフリーマンから大層気に入られ、数日後「今作っているアルバムに参加しないか?」と彼から直接電話がかかってきて狂喜乱舞!
こういう話はまさに、アメリカならではの実話だ。


★ ★

そうこうするうちに店にはprostitute(娼婦)のお姉さんたちも店にやってきてお客を誘惑し始め、なんだか一層、Deepになってきた。
まだまだJamは続いていたが、私たちはここらで退散することにした。
「君たち、車は近くに停めたのかい?車まで送ってあげるよ」
といってロバートがわざわざ店の外まで送ってくれた。
店の外でタバコを吸いながら立ち話をしていたお客さんも、「車に乗るまで見ていてあげるからね」と声をかけてくれた。
やばい場所にある、最高のホスピタリティーのBar。
それがうわさの“New Apartment Lounge”だった。


(左)2時を過ぎても宴たけなわ (右)ナナミとフリーマン




スリル満点のJam Session

2010-08-26 21:04:35 | music/festival
シカゴは、おしゃれなBarやレストランが立ち並ぶ、いわゆる観光客に“安全な”白人区域・ノースサイドと、
治安の悪い黒人居住区・サウスサイドに町がきっちり2極化している。
少し南に足を踏み入れただけでも、なんとなく町の様相が変わっていくのがわかる。
シカゴでほぼ毎日起こる犯罪の90%は、このサウス内。もちろん白人たちは滅多に足を踏み入れようとしない。

しかし、ここに知る人ぞ知る熱いJazzスポットがある。
“New Apartment Lounge”という、地元のとある古いBar。
ここで毎週火曜日ともなると、プロ・アマ問わずJazzミュージシャンが真夜中にJam Sessionを繰り広げているらしい。
前からこのBarのうわさは耳には入っていたものの、何しろ平日に加えてこのロケーション、積極的に行こうかというきっかけもなくスルーしていた。
しかし今日の朝、急遽ナナミから「今晩レベッカちゃんと行くよ」と連絡が入り、それを理由に今日こそ行ってみることにした。
ひとりじゃいけないけれど連れがいると心強い。

このJamのすごいところは、シカゴを代表する大御所サクソフォニスト、ヴォン・フリーマン(Von Freeman)がホストをつとめていることだ。
彼はなぜかこんな場末の(失礼・・)Barで、かれこれ30年も毎週演奏を続けているという。
彼の演奏をただで見に行けるだけでもありがたいのに、そこでJamにまで参加できてしまうということ自体、普通に考えてもありえない。
(2年前にフリーマン・カルテットを見たときの記事はこちら)


演奏の開始は10時半。
今日はPちゃんにお留守番をたのんで、私がひとりで運転してサウスに向かう。それだけでももうドキドキだ。
Barの周辺は不気味にひっそりとしていた。
たまに道を歩いているのは黒人のお兄ちゃんのみ。
この雰囲気はまさにオークランドかリッチモンドの裏通りを思い起こさせるやばさだ。
車をBarの目の前に停め足早に店に入る。
カウンターには2~3人の黒人のおっちゃんとおしゃれをした黒人カップル、そして白人女性が和気藹々と飲んでいた。
外から見る雰囲気とは違って、ほのぼのとした家族的なムードが漂っている。
「なに飲むんだい?」と、黒人なまりばりばりの英語でおばちゃんがカウンターの中から無愛想に聞いてきた。
ひとまずハイネケンでのどを潤し、ほっと一息。



どうもサウスあたりのBarはレトロな装飾がお好きみたい。
去年行った“Rockin' Horse”(ココ・テイラーのご主人が経営するBar)もそうだったっけ。
今どき見かけないどでかいレジマシンにもびっくり。

★ ★

10時半をまわって、今日演奏するミュージシャンたちがぼちぼちと店に入ってきた。
やっと演奏が始まったのは、11時過ぎ。
その頃には着飾った黒人客や、音楽好きのなじみ客たちで店はいっぱい。
カウンターだけの小さな店は、たちまち熱気にあふれた。


左のほうで控えめにサックスを吹いているのがVon Freeman

ステージといっても、店の片隅にある3畳分くらいの薄暗い場所。スポットも何もありゃしない。
ときどき、外を通るおっさんが窓にへばりついて中を見ているのが、ミュージシャンよりもよく見える。
2曲、3曲・・と演奏が進むにしたがって、Vonのサックスお得意の「うめき節」が絶好調に。
この近さでのんびり彼の演奏を堪能できるなんて、贅沢のきわみだ。
怖い思いをして来ただけのことはあった。

そうこうするうちに、レベッカちゃんが、そして少し遅れてナナミがやってきた。
まだ咳が続きコンディションは最悪だったけれど、ここまで来たんだしせっかくなので今日は何か歌おうと心に決めていた。



(・・・つづく)





Jazz友との再会 ~続き

2010-08-26 13:28:45 | アメリカ生活雑感
8月22日(日曜日)

快晴。暑くもなく寒くもなくの絶好の観光日和。
たっぷりと朝寝坊をして3人でブランチをとったあと、
今日一日留守にするのでGOROをテリーのお宅に預かってもらいに行く。
GOROの兄貴、AJもGOROと一緒にいるとうれしそうなので、こちらもほっとする。
こんなとき本当に頼りになるご近所さんだ。


出発前に巨大ひまわりの前で記念撮影

アメリカに来てからは毎日が音楽漬けで、昼間は観光らしい観光をしたことがないというナナミのために
車でいつものコースをさくっとまわることにした。
ついこの間、Pちゃん両親たちを案内した、「ゴールデンコース」。
あのときは暑くて死にそうだったけれど、今日はミシガン湖からの風が肌寒く感じるくらい。
確実に秋が迫っていることを感じて、ふとさびしくなる。


何度案内しても、やっぱりシカゴはいい。
ミシガン湖から遠く高層ビル群を一望し、ミレニアムパークをぶらぶらし、
パークカフェのテラスで、通りを歩く人々を眺めながら早めの夕食を食べる。
そこで、なんと近所のスペイン-英語会話クラスで一緒のマリア夫妻にばったり遭遇。
メキシコから訪問中のマリアの母親を案内しているところだった。


シカゴ美術館からミレニアムパークへ続く空中通路




しばらくのんびりと、シカゴのダウンタウン気分を味わった私たちは、
ナナミを滞在先のレベッカちゃんのお宅に送って帰路に着いた。
今晩はレベッカちゃんの彼の誕生パーティーで50人ほどの人たち(ほとんどがミュージシャン)が集まるという。
後から聞いたところによると、夕方から始まったパーティーではジャムセッションが繰り広げられ、延々午前3時過ぎまで続いたそうな。
いやぁ、若いやつらは元気っすなー。



Jazz友との再会。

2010-08-23 16:13:32 | アメリカ生活雑感
大阪から友人のJazzヴォーカリスト、ナナミが約1年ぶりに我が家に遊びに来てくれた。
彼女と出会ったのは、昨年のジャニス・ボーラのJazz Vocal Camp。
クラスは違ったけれど、同じ日本人同士ということでたまに連絡を取り合っていた。

プロのボーカリストとして京阪神で活躍中の彼女は、8月いっぱいオフをとって
NYやバーモントでジャズワークショップに参加したりしながら、大好きなアメリカをめいっぱい満喫中。
19日から約1週間の予定でシカゴに滞在している。
先週の土曜日、シカゴ在住のヴォーカリストのレベッカちゃん(ナナミは彼女の家に滞在中)が
たまたまうちの近所でライブをするというので、そこで久々の再会をすることになっていた。


このイタリアンレストラン&Bar、以前にも一度彼女のライブを見に来たことがあったけれど、
なにしろ今まで食べたイタリアンの中でも一番のマズさで大後悔した苦い過去があるので、
Pちゃんも私も家でがっつり夕食を食べてから8時過ぎに店に到着。
タイミング悪く、ちょうど1stステージでナナミがスペシャルゲストとして歌い終わったあとだった。
「Shokoも何か歌ってね」とレベッカちゃんにうながされたけれど、
私はまだ咳が止まらない状態で、残念ながら今回はパス。


若いJapaneseとご一緒して超うれしそうなPちゃん


2ndステージでしっとりと“I Fall In Love So Easily”を歌うナナミ。


レベッカ、ナナミと。


そして今夜はそのままナナミはうちにお泊り。
酒のつまみに作っておいたワカサギの南蛮漬けをつまみに3人でワインを飲みなおし、
彼女のアメリカ体験談を聞いたりしているうちにあっという間に午前3時。
音楽以外の観光などはほとんどしていないという彼女のために、明日は久々にシカゴに出かけてみるとしよう。


・・・つづく

MD復活。

2010-08-20 20:21:13 | アメリカ生活雑感
いまや世夜中はみな、i-Podに、i-Phoneという時代。
なのに私は、時代に逆らうようにいまだに“MDウォークマン”を愛用している。
だいたい今となっては“MD”が存在したことすら知らない人も多いというのに、取材やライブなど録音が必要なときには手放せないのだ。

初めてMDウォークマンを買ったのは、かれこれ17~8年前だろうか。
それまでの“テープ”という媒体からこのコンパクトなMDになったときは、本当に狂喜乱舞したものだ。
しかも音はデジタル。
曲の頭出しが一瞬でできたり、曲順を変えたり自由にトルツメなどの編集ができるしというのがまるで夢のようだった。
依然としてCD→MDというコピー作業は必要だったが、そんなことは当たり前だったしまったく手間とも思っていなかった。
以来、通勤の途中はいつもMDウォークマンをバッグに忍ばせて、好きな音楽を堪能していた。
もちろん、MDはたまりにたまっていったけれど小さいので気にならない。


今のMDウォークマンは、2代目。
初代のものがアメリカでご臨終となり、6年前に当時友人に頼みこんで日本から買ってきてもらった。
アメリカではMDなど存在しないからだ。(今でも「それは何ですか?」とよく聞かれたりする)
しかし、その2代目もいよいよあやしくなってきた。
何度充電してもすぐにバッテリーが切れてしまうようになった。
ショップに行っても、「こんなバッテリー見たことない」で終わり。
さてどうしよう、とアマゾンやe-Bayで調べまくってみたら、ようやくいくつかのWebショップがヒットした。

しかし、このバッテリーというのが超レアもので馬鹿高い!新品で$50。
バカにしとる。
こうやって古い媒体はまだ使える状態でありながら捨てられていくのか・・・と、世の中のしくみを垣間見た気がした。
しかし、いま私がこんな理由でMD本体を見限ってしまったら、たまりにたまったMDソフトまで捨てられてしまうことになる。
大切な音源たちを守らなければならん。
それに今、ピアノの練習にMDはどうしても欠かせない。緊急を要する。
背に腹は替えられぬと、再度リサーチをした結果、ようやく$19という良心的な値段のショップを発見した。
さっそくネットで購入手続きを済ませたが、送料が$12・・。トホホ。
それでもこれが一番安かったので、泣く泣く購入。

そして1週間後。やっと新しいバッテリーが届いた。
なんと、送り主は大阪の会社だった。やっぱり・・・。

こんな日本でしか使われていない超レアな媒体を買ってしまうと、国外ではもうどうしようもないのだ。
それsに世の中のテクノロジーは日々ものすごい勢いで進化している。
ついこの間まで最新機器だったものがすぐに“型落ち”となり、部品が壊れても生産停止になっていて修理さえできなくなるか、新しいものを買ったほうが安いくらいの値段をつきつけられてあほらしくなってしまう。
そうやって、レコードプレーヤーや真空管ラジオやシステム・オーディオデッキなんかは世の中から葬られてしまった。

やっと息を吹き返した私のMDウォークマン。
明日からまた、働いてもらおう。



千両役者。ロバート・デ・ニーロ

2010-08-19 11:33:23 | movie
Pちゃんが大の映画好きということもあって、我が家はほぼ毎日といっていいほど夕食のときに映画(DVD)を見ている。
今までゆっくり映画をみる暇などなかった私にとっては、
これほど大量に映画を見たことは人生の中でない、ってくらいだ。

面白いことに、こんなに大量に見続けていると、記憶に残る映画とそうでない映画が実にはっきりしてくる。
記憶に残るかどうかはいい映画かどうかとは別の話だけれど、
やはりいい映画(=私的には「いい演技」「いい脚本」「いいエンディング」の映画)であることが多い。



昨日見た映画は、そういう意味でもとても心に残るいい映画だった(エンディングは例外だが)。


『Everybody's Fine』。主演は、あのロバート・デ・ニーロ。


私はデ・ニーロという人の演技がとても好きだ。
それもアル・カポネを演じた頃の凄みのある彼ではなく、最近の映画に見られるような、シリアスでありながらどこかコミカルな一面をもつ“かわいいおじいちゃん”的な役柄。
『Meet the Fockers』、『Meet the Parents』などはその傑作(だと思う)。


そのデ・ニーロが、この最新作『Everybody's Fine』で妻に先立たれた初老の父親を演じている。
妻の死から8ヶ月、立派に巣立っていった4人の子どもたちが久々に我が家に集まることになったある週末。
再会を楽しみにしていたフランク(デ・ニーロ)のところに、子どもたちから次々とキャンセルの電話が入るところから映画は始まる。
がっかりするフランク。
子どもたちが来られないのならば自分から行って驚ろかせてやろうと、健康の不安をおしてフランクは
“画家”になった次男、“広告業界で成功している”長女、“指揮者”になった長男、“ダンサーで活躍する”次女を訪ねてNY、シカゴ、デンバー、ラスベガスを巡る旅に出ることを決意する。

ところが、サプライズを狙ったはずの子どもたちは皆、どこか歯切れが悪い。
それぞれ何か問題を抱えているようだが自分には語ろうとせず、なんとかごまかして一緒にいる時間を減らそうとさえする始末。
旅を続けるうちに、フランクは自分と子供たちとの間にある深い溝に徐々に気づき始める。

今まで妻がいなければ、子どもたちのことはなにひとつ知らなかった自分。
「人に誇れるような大人になるんだぞ」「がっかりさせるんじゃないぞ」と子供たちにプレシャーを与え続けて育てていたことが、
パーフェクトになれなかった彼らを怯えさせ、心を遠のかせていた自分。

そして、子どもたちは父親に隠さなければならないある共通の重大な「秘密」を抱えていた。



週末の子どもたちの訪問を待ちきれずにうきうきと支度を整えるチャーミングなパパ。
彼らから次々と入るキャンセル電話に打ちひしがれる姿。
子どもたちに会いに行く道中、“成功した”子どもたちの写真を見知らぬ人に見せる笑顔。
そして、すべてを知ってしまったときの途方にくれたトホホな表情・・・
子供との絆を失った初老の父親の心の機微をこれでもかと見せつけられ、思わず鼻の奥がツーンとなる。
さすが、名優デ・ニーロだ。


父親を長くやっている人。
父親になろうとしている人。
すべての父にみてもらいたい、映画だ。
といいつつ、残念ながら日本では未公開のまま。(いずれ公開されるときには是非見てほしい。)

また、この映画は、マルチェロ・マストロヤンニ主演のイタリア映画『みんな元気』(1990):原題「STANNO TUTTI BENE」のハリウッド版リメイク。
オリジナルはVHSで公開されているので、そちらを見る手もあり。

家族の絆について、深く考えさせられます。

夏風邪と、鶏レバー。

2010-08-18 14:10:05 | アメリカ生活雑感
先週末あたりから(ライブで大声を出してから)、のどの具合が悪いなぁと思っていたら
翌日には咳が出始めて止まらなくなった。
しゃべってはコンコン。
寝てはコンコン。
たぶん、1年分くらいの咳は吐き出してしまった感じ。
これだけ咳ばかりしていると、今度はからだのあちこちが痛くなってくる。
まず、腹筋。そして肋骨あたりがしくしく傷む。

熱はないのですぐにおさまるだろうと高をくくっていたら、
ところがどっこい、これがしつこいのなんのって。
いまだに夜中に咳き込んで目が覚める。
のどに優しいお茶や、のど飴を買ってきたけれど
なんだか根本的に効き目があるような気もしない。
ここは体力をつけるしかない。

と、そんなある日のこと、近所のスーパーで普段滅多にお目にかかれない「鶏レバー」を発見。
このスーパーには「アーミッシュ」コーナーがあって、私はいつもここれ新鮮な鶏肉を買うことにしている。
普通のファームのものよりお高いけれど、一度食べたらほかのお肉は食べられないくらい濃厚で味わい深いのだ。
ちなみにアーミッシュというのは、近代のテクノロジーを一切使わず質素な生活をひたすら守り続けているヨーロッパからの移民、コミュニティーのことで、
イリノイやミシガン近辺にはたくさんアーミッシュ村が存在している。
彼らの主な収入源は、自家栽培した野菜や家畜などの販売。
もちろん、すべてオーガニックだ。
参考までに、「アーミッシュ村への訪問記」(2008年6月)


というわけで、ここは精をつけようとお試しにこのレバーを買ってみた。
買っては見たものの、鶏レバーなんて料理するのは実は初めて。
で、ふたつのメニューを試してみた。


1.
あらかじめにんにくで炒めておいたレバーを、
スパゲティー・ミートソースに合いびき肉と一緒に細かくして混ぜ込む。

2.
紹興酒、オイスターソース、タカの爪、生姜の千切りを混ぜ合わせたソースでこっくりと煮付けて佃煮に。


いやぁ、それが驚きのうまさ。
はじめこんなものをPちゃんが食べるのかと思っていたけれど、意外なことにどっちも大絶賛。
「鶏レバーがこんなにうまいものとは知らなかった。また作って~!」
とアンコールリクエスト。

風邪のおかげで初めて手をつけた鶏レバー。結構クセになるかも。




Abbey Lincoln (1930-2010)

2010-08-16 11:48:05 | アメリカ生活雑感
またひとり、私の大好きなアーティストが亡くなった。
アビィ・リンカーン。

1950年代後半から60年代にかけて、女優、そしてシンガーとしてそのキャリアを築いた。
70年代には一線から退いたものの、後にソングライターとして復活。
「歌詞の意味」を深く解釈して表現することのできる、貴重な存在だった。
civil rightsの活動家としても知られ、後半の音楽はこの影響を大きく受けることになる。


彼女のCDの中でも私が特に大好きな一枚がこれ。


ピアニスト、ハンク・ジョーンズとのデュオ

「何も足さない。何も引かない。」というコピーがあったが、
まさにこのコピーがぴったり当てはまるような珠玉の一枚だ。
遠い昔、ラジオからこの中の1曲“Nearness Of You”が流れてきて、
体に電流が走ったように衝撃を受けたのを思い出す。
そこにあったのは「歌」であり、「楽器」だった。
ただきれいに歌うだけのコマーシャルJazz Singerは山ほどいるが、
こんなに人にインスピレーションを与えられる表現力を持つ人はそうそういない。

今週はまた、彼女の歌を聴き込んでみることにしよう。


News: http://www.spinner.com/2010/08/16/abbey-lincoln-dead/

おらが街の夏祭り。(Youtube追加版)

2010-08-10 00:03:30 | music/festival
“ダウンタウン”とはとても呼べない、市役所と警察署があるだけの地味~なおらが街のウォーレンビルの中心街。
このちっちゃな町で毎年恒例の夏祭り“Summer Daze”が開かれた。
初めてこの町にやってきた最初の夏も、その次も夜も更けてからぷらりと歩いて見に来たっけ。
もう3回目になるのかと思うと、少し感慨深い。

楽しみはといえば夜のライブ。
たいがいはロックバンドで、それも70~80年代ロックのコピーバンドと相場が決まっている。
それでも、こんなフェスティバルに呼ばれるバンドはそれなりに実力派なので見ていても実に楽しい。

1日目のロックバンドは、シカゴで活躍するロックバンド7th heaven
ついこの間シカゴで行われた“BON JOVI&Kid Rock”のコンサートでは前座をつとめたという人気・実力共に急上昇中のバンドだ。






このバンドの売りは「30分で30曲を歌いきる」メドレー。
ビートルズ、ビリー・ジョエル、Bon Jovi、エアロスミス、U2、Queen、デフ・レパード、ブライアン・アダムス、Journey、Police、Boston、・・・・(と、最初のほうは数えていたけれど途中で一緒に歌うのに夢中になって取りやめ。)



さぁ、何曲歌える?


ヴォーカルのキースは、若き日のBon Joviの声にそっくり。
Bon Joviはどうやらこういうタイプを前座に選ぶのがお好き。6年前にサンノゼにライブを見に行ったときの前座も、“グー・グー・ドールズ”とやらいう、Bon Joviに似たタイプのバンドだったっけ。(と、思わず古いことを思い出す)

アメリカのお祭りではお決まりの光景だが、観客はもうすべての曲に声を合わせて絶叫モード。
そして必ずといっていいほどコピーされるのがBon Joviのナンバーというのも共通している。
たいがいのジェネレーションをカバーしてしまうくらい、Bon Joviの息が長いってことなのだろう。
そう考えると、“日本のBon Jovi”っていったい誰なんだろう?
拓郎?陽水?でもノリからするとやっぱりサザン・・・かな。(桑田さん、早く戻ってきてね)


★ ★

翌日のオオトリは、その名も“Brooze Brothers”。
見てのとおり、“ブルース・ブラザーズ”のパロディー版バンド。
とはいえ、バンドもフルバンドで演奏はプロ中のプロ。
ハーレーに乗って警察官(偽)に囲まれながら派手に登場したかと思うと、おなじみのブルース・ブラザーズナンバーを立て続けに歌い踊り続ける。
ちゃんとアレサ・フランクリンやレイ・チャールズ、ジョー・コッカーなども出てきて舞台に花を添える。
このバンド、あちこちで引っ張りだこのようだ。


たかが夏祭りにも気を抜かないアメリカの奥深さを感じ取った夜だった。
翌日、なぜか喉がかれていた私・・・まだまだ修行が足りへんわ。