Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

真夜中の狂気

2011-11-30 23:36:42 | アメリカ生活雑感
11月25日(木曜日)のThanksgiving Dayから週末にかけての4日間は、一年のうちで一番モノが売れる時期だ。
大手デパート、小売り店はこぞって通常価格の50~80%オフという目玉商品を店頭に並べ「サンクスギビング・セール」を開始する。
このセールは真夜中の0時に始まることが多く、サンクスギビングのディナーを食べ終わったその足でデパートへ直行しそのまま徹夜で買い物を続ける人たちも多い。
さらに気合の入った人たちになると、前日から店の前にテントを貼って一夜を明かして夜中の開店を待つという。
昨年、大手スーパーマーケットで買い物客が一斉に店内に押しかけたことによる死亡事故まで起きたくらいで、ショッピングも命がけだ。



そんなわけで、Thanksgivingの真夜中は「Midnight Madness(真夜中の狂気)」、買い物客が殺到する初日の金曜日は「Black Friday(ブラック・フライデー)」(いわゆる“黒字の金曜日”)と呼ばれている。
セールは4日間では終わらない。
週が明けて仕事に戻った人たちは、今度は職場のコンピューターを使ってインターネットショッピングにいそしむ。
これがいわゆる「サイバー・マンデー」だ。
なかなか面白いネーミングだなぁと毎年感心している。

景気はまだまだよくならないが、ShopperTrakの発表によると今年のサンキスギビングセールの売り上げは、新記録だったそうだ。
「ブラックフライデー」一日の全米の小売セールは、去年から比べて7%アップ(10億ドルアップ)の1140億ドル(約8兆6640億円:1$77円と計算)。
これは2007年以来、最高の伸びだったという。
さらに「サイバー・マンデー」のオンラインセールも昨年の同じ日と比較して22%アップし、12.5億ドル(約962億円)の新記録(comScore Inc,)だった。


買い物客のほとんどは、この日に狙う商品を決めていて最初に“攻める”店を絞っている。
大型薄型テレビ、ゲームやコンピュータなどが多いためか、“Best Buy”といった電化製品店は特に狙われるようだ。
こんな寒い思いをして、しかもストレスを抱えながら買い物するくらいなら
少々高くても別の日に買い物したい、などと思うのはトシを取った証拠かもしれない。
だって、Thanksgivingセールのあとには「クリスマスセール」が必ずやってくるもんね。

★ ★

少し地味だが、私の「Black Friday」は近所のホームセンターで「朝11時まで限定」でやっていたセール。
ここはほかの店に比べてお客さんが圧倒的に少なく、普段と変わらずゆ~っくり買い物ができた。
ホームベーカリーを手に入れたことでこれからベイクの機会も増えることから、この日買ったのはステンレスボウル3点セット($6.99)、ノンスティック・マフィン型2枚セット($6.99)、3枚組ベイクシート($6.99)、あとは散歩用の手袋($0.49)などちょこっとしたもの。
地味だ。限りなく地味だ・・・でも、キッチン用品は意外と高いので自分的には大満足


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ミュージカル“Memphis”

2011-11-28 12:37:59 | music/festival


世の中がまだThanksgivingの余韻にまったりと浸っている連休最後の日曜日。
急に思い立って、ミュージカル『Memphis(メンフィス)』を見に出かけた。
3日ほど前、「シカゴ・ブロードウェイ」から特別チケットセールのメールを受け取り即購入したチケットだった。
何しろこのミュージカル、絶対に見逃したくなかった。
この時期アメリカ人の家庭はおうちで家族団らん(またはクリスマスショッピング)というパターンが多いから、劇場のチケットも少々余り気味だったのだろう。そんな中、ヒマこいている私のところへ塩梅よく通常の半額の案内メールがきたもんだから思わず飛びついたというわけだ。
Thanksgiving Holiday万歳である。




シアターに隣接するイタリアンレストラン「Chicago312」で軽く夕食をとったあと、7時半開演のシアターの扉を開ける。
今日はちょっとカジュアルなスタイルなお客さん、それに黒人層が若干多い印象。
座席は1階オーケストラボックスの中央後方。なかなかいい席じゃないか!




舞台は1950年代のメンフィス。
黒人差別の厳しかった時代、ラジオから聞こえてくるのはペリー・コモといった白人向けの“ソフト・ミュージック”やカントリー、ミュージカルナンバーなどのゆるゆるした音楽ばかり。
かねてから黒人音楽に惹かれていた白人DJのヒューイは、あるラジオ局のDJブースを数分間だけ乗っ取って黒人音楽を流してしまう。
しかし、そのあと局に届いたのは「もっと流して」というリスナーたちからの鳴りやまぬリクエスト電話だった。
正式にDJとなったヒューイは、地元の黒人ライブハウスで出合った女性シンガー、フェリシアの歌声をスタジオから生で届けるなど、着々と“黒い”音楽を浸透させていく。
そして許されざる恋に落ちる二人・・。

ゴスペルやソウル、リズム&ブルースなどを次々と白人社会に紹介し、その後テレビ局でも売れっ子のプロデューサーになっていくヒューイ。
一方で、黒人差別から抜け出すことのできないメンフィスを離れて、NYへの進出を進められるフェリシア。
さて、二人の運命の行方は??





ラジオの周波数を示した効果的な背景デザインや、レコード盤を印象的に使ったアイデアあふれる舞台。
テンポよいステージ運びと、俳優陣の演技&ダンスのうまさ。
そしてなんといっても、有無を言わさぬ個々の圧倒的な歌唱力。
2010年のトミー賞ベストミュージカルに輝いただけのことはあり、隙のない素晴らしい出来上がりだ。

普段から「ミュージカルは退屈だ」と言って、誘ってもなかなか乗ってこないPちゃんですら
この日だけはまるで生まれて初めて生でディズニーパレードを見た子どものように(たとえが悪いか?)身を乗り出して拍手また拍手。
何度も何度も「なんてクールなんだ!」と感激の合図を私に送ってくるほどだ。

もちろん、クールだ。
それに何をとっても圧倒的に「上手い」。こんなステージは久しぶりで申し分ない。
ただ、ひとつだけ私を夢中にさせない何かがあった。
それが何だかわからずにいたのだが、一夜明けてみてなんとなくわかった。

1950年代。メンフィス。虐げられてきた黒人音楽が世にじわじわと出ていく、そんな時代背景で
私が期待していた音楽はもう少しどんより~とした、ソウルフルな黒人音楽だった。
しかし、このミュージカルは最近のミュージカルのような「明るさ」が全体に漂っている。
調べてみると、楽曲を担当しているのはBon Joviのキーボーディスト、デイヴィッド・ブライアン。
ははん、どうやらそのせいか。
映画、『The Color Purple』を見たときのあの衝撃を少しだけ期待していた(もちろん時代はもっと前だが)だけに
あまりのHappyな雰囲気にちょっとだけ戸惑ってしまった気がする。

それに、これはうまく説明できないのだけれど歌が“有無を言わさず上手すぎて”何度か引いてしまった。
特に黒人歌手、それも主役級の女性。声が出るのはわかるけれど、何かを伝えようというより歌を聴かせようとしている感じ。
歌詞の意味がエモーションとなって伝わってこなかったのがちょっと残念。
まぁ、同じことを毎日演っていたらたまにこういうこともあるのだろうか。特に今日は2回公演だったので、集中してなかったのかも。

とはいえ、それでもやはりゴスペル、ブルース、ロック、R&B・・といろんな音楽がたんと詰まった『Memphis』は素敵なミュージカルだった。




 

せっかくダウンタウンに出てきたので、巨大マリリン・モンロー像の前で記念撮影。
高層ビルを背景にいやぁ~んとそびえるマリリンは、やはり不気味だった。。。







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アダム一家がやってきた

2011-11-26 13:17:33 | アメリカ生活雑感
今年の7月シンシナティーに引っ越して行ったお向かいのアダムファミリーが、Thanksgivingを奥さんの実家で過ごすためにイリノイに戻ってきた。
「今こっちにいるんだ。会えたらうれしいんだけど」
留守電からアダムの懐かしい声が聞こえてきたときには、私もPちゃんもふっと心が温かくなった。
アダムはひとまわりも年齢が若いけれど、Pちゃんとはちょっとした“ご近所ソウルメイト”で、
夏場には何かというとバックヤードを挟んだ彼の家のウッドデッキでビールを飲みながら夜が更けるまでおしゃべりしていた仲。


かくしてThanksgivingの明けた金曜日の夕方、一家が4人そろって我が家を訪ねてくれた。
一家は現在アダムの両親と同居中。
アダムは高校の数学教師としてフルタイムで働いている。
同じく教師の免許を持つ奥さんのレベッカは、今は子供たちも小さいのでオンラインでスペイン語と英語を教えているそうだ。
私とよく遊んでいた長男のヘンリーは早や4歳になり、やんちゃざかり。
去年8月に生まれたロージィーはもう部屋の中を歩き回ることができる。


 
ロージィ 10か月(左)そして→→今(15か月)


透き通るような白い肌と青い目のロージィはまるでお人形のよう(ヘンリー撮影)


 
1年前(左)から比べるとひとまわり大きくなって、幼児から少年に変貌しつつあるヘンリー坊。
私の顔を見るや飛びついてきて、いきなりプロレスごっこ。結構力が強くなっていてびっくりした。
しかしこの年齢は「とりあえずやめる」ということを知らないお蔭で私はずーっとプロレスの相手をさせられ、大人の会話にほとんど参加できなかった・・・


★ ★

さて、今日のメニューは前回受けがよかった「チキンのサフラン&オレンジ煮」と
クリスマスを意識して「ポテトサラダ・ツリー」


ポテトサラダを円錐形にして、茹でたブロッコリーを刺してツリーのようにあしらえてみた。
簡単だけど豪華に見えてなかなかのヒット作。
しかし、この日大失敗だったのが手作りパン。
先日買ったばかりのナショナルのホームベーカリーで初挑戦したパンが思うように膨らんでくれず、
いざ取り出してみるとしょぼ~~ん・・・。しかも生焼け。
泣く泣く再びオーブンにつっこんで、こっそりと車でパンを買いに走った
みんな楽しみにしていただけに、ショック大!不良品でなければよいのだが・・・


それでもなんとか急場をしのぎ、わずか3時間弱の間にワインがみるみる3本空き、
いつものようにくだらないPちゃんのジョークにアダムが合わせてくれ、
子どもたちはGOROと追いかけっこをして遊び、
実に楽しい時間を過ごすことができた。
「友遠方より来る。亦楽しからず哉」



また来てね!
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サンクスギビング

2011-11-25 13:57:34 | アメリカ生活雑感
昨日はシカゴで迎える3回目のサンクスギビングデーだった。

引っ越してきたばかりの1回目(2007)はまだ仮住まいの最中で、それでも雰囲気だけでもと小さなターキー(七面鳥)を買ってきたのはいいけれど
摂氏(℃)と華氏(F)の設定を間違えて何時間待てど暮らせど生焼け・・・という
あほ丸出しの大失敗をしてしまった。
2回目(2008)はお向かいのキャロリン&ケヴィン夫妻にご招待され
3回目(2009)はPちゃんの同僚をうちに招いての“なんちゃってデイナー”だったっけ。


そして、今年はGOROの里親でもあるテリーとビル夫妻に招かれてのディナー。
去年はこの時期、私たちは日本で足止めを食らっていたので、GOROだけが彼らと共にサンクスギビングを過ごしたのだけれど
今年はみんな一緒だ

午後4時半、GOROを連れてテリーのうちへ。
GOROはもうどこへ行くかわかっているのか、大興奮して先に私をぐいぐいと引っ張っていく。

私たちはアパタイザーの担当だったので、Pちゃんがお得意の一皿を作って持っていった。




今晩のテリー宅はにぎやか。
テリーの3人の姉妹、その配偶者、そして3人の姪っ子にテリーの子供たち(ケリーとエリック)、総勢13名。
そこにAJ、メイシィ(ビーグル)、GOROの犬3匹。


ターキー入刀は一家の主の仕事


家によってトラディショナルが違うところも面白い。日本でいうなら我が家の“おせち料理”
欠かせないのは、ビーンのキャセロール(オーブン料理)と、スィートポテト、マッシュポテト。
決してご馳走ではないけれど、アメリカ人が唯一料理をまじめにする日なのだ。
「毎日食べたいとは思わないけれど、この日だけは食べたくなるのよね」とキャシー(テリーの妹)。
このあたりもお節と似た感覚。

  
AJとGOROもお行儀よくターキーをおねだり


Pちゃんは子供たちに混ざって黙々と食事中
それにしても子どもたちよ、10代でこんなに太っていいのか・・・


お腹いっぱいになったあとは、大人たちは映画談議などしながらコメディーチャンネルを見つつまったり。


大好きなAJと心ゆくまで遊んだGOROもすっかり満足してうとうと。


こうして2011年のサンクスギビングは暮れていくのでありました・・・
さぁ~て。明日は思いがけないゲストがうちにやってきます。

Comments (2)
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パン教室

2011-11-22 19:02:38 | アメリカ生活雑感
(あっという間に先週のねたになってしまったネタ)

お友達のひろぽんはパンを焼くのがとっても上手。
生まれてこのかた自分でパンなんぞ焼いたことがない私は、日本人の友達が何かというといつもおいしいパンを焼いて持ち寄るのを見ながらいつも感心してばかりいた。
興味はあるけどそこまではやらなかった、やる必要がなかったのだけれど、
最近アメリカのパンのクオリティーにこれ以上耐えられなくなってきていた。

そこで、急きょひろぽんに先生をお願いして簡単なパンの焼き方を教えてもらうことに。
とはいっても、私がかってに彼女の家に押しかけて、彼女が手慣れた様子でパンを焼くのを
横でおしゃべりしながら見ていただけ

今日教えてもらった先生が作ってくれたパンは、
ウィンナーロール、チーズ入りパン、さつまいもパンの3種類。


あらかじめホームベーカリーで作っておいた生地でウィンナーを巻いて


焼き上がり!おいしそー 手前はチーズ入りパン

さつまいもパンは私が人生初めてタネをコネた。思った以上に重労働。
この生地を一次発酵(なんとこたつの中で30分!)させてできた生地に・・・


ちょっと甘く茹でたサツマイモを並べて巻き巻き


あとは型に入れて焼くだけ
これもうんまい!


★ ★

パンを焼いてもらったうえにおいしい和食のお昼ご飯までごちそうになり、
そのうえあつかましくも出来上がったパンを持ち帰らせていただいちゃった。
そのパンも、よっぽどおいしかったのかPちゃんにペロリと食べられてしまった。
ひろぽん、楽しい時間をどうもありがとう!


(おまけ)
面倒なパン生地づくりを全て自動でやってくれるホームベーカリーの存在が、この日以来途端に気になり始めた私。
そんな折、タイミングよく掲示板で「ナショナルのホームベーカリーを売ります」という広告を発見し、思わず衝動買いしてしまった。
中古でしかもかなり古い型のものだったけど、アメリカでナショナル製品を買うのは難しいし
なんといってもアメリカで買うパンのまずさにはもうこりごりしていたので、これで少なくとも焼きたてのパンが食べられる。感謝
さぁ、これからはパン道が始まる。

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「ブータン国王のスピーチが日本に投げかけたもの」 

2011-11-19 22:17:57 | アメリカ生活雑感
(BLOGOSより、とてもいい記事を見つけたので引用させていただきます)


ブータン国王のスピーチが日本に投げかけたもの 2011年11月18日13時30分
[私的憂国の書]


昨日、来日中のワンチュク ブータン国王が、衆院本会議場で演説をされた。

リアルタイムで拝聴することはかなわなかったが、移動中にネットで全文を拝読し、その心暖まる言葉の数々に、感動で目頭が熱くなった。

勝手な想像だが、このスピーチは単に外交辞令としてのお世辞を羅列した作文ではなく、国王の日本に対する愛情に裏打ちされたものだったのだろう。

そうであるからこそ、人の心、日本人の心を揺さぶるのだ。

国王のスピーチが終了すると、衆議院本会議場は出席議員らがスタンディング・オベーションで応えた。

中には感動して涙した議員もいたという。

しかし正直に言うと、私が覚えた感覚は感動や感謝が半分、羞恥が半分という、複雑なものだった。


親日国ブータンの品格

昭和天皇崩御の際、大喪の礼に参列した先代のブータン国王が、下記のような逸話を残している。

1989年2月24日、34歳のジグミ・シンゲ・ワンチュク国王が、昭和天皇の大喪の礼参列のため、民族衣装「ゴ」の礼服姿で数人の供を連れて来日した。他の国の首脳の多くが日本から経済的な協力を得るために、葬儀の前後に日本政府首脳と会談する弔問外交を行うなかで、ブータン国王はこうした弔問外交を行わず、大喪の礼に出席して帰国した。新聞記者が理由を尋ねると、国王は、「日本国天皇への弔意を示しに来たのであって、日本に金を無心しに来たのではありません」と答えた。また、同年には1ヶ月間も喪に服した。

日本の武士道を見るようだ。

礼を重んずるということ以上に、品格が滲み出ている。

そういえば、先の宮中晩餐会における乾杯の際、王妃はご自分のグラスが皇太子さまのグラスの上に行かないように半ばかがむように気を遣って乾杯しておられた。

ブータンは人口70万という小さな国だが、国家の品格は国家規模には比例しない。


礼に非礼でこたえる者たち


このスピーチの前日の宮中晩餐会を欠席した閣僚が数名いる。

他の議員の事情は知らぬが、そのうち一川保夫防衛相は、民主党の高橋千秋参院議員の政治資金パーティーに出席している。それも、「ブータン国王が来日し宮中で行事があるが、私にはこちらの方が大事だ」という、信じ難い言葉を吐いて、である。

ちなみに高橋千秋議員は、菅改造内閣において外務副大臣だったわけで、外交のツボは押さえているべき人物である。

呼ぶ高橋議員も呼ばれていく一川大臣も、宮中行事より、金集めと選挙のほうが優先されると考えているのだ。

一川氏ら欠席議員は、ふたつの不遜を働いたことになる。

ひとつはブータン国と国王へ、もうひとつは日本の皇室へだ。

礼に非礼で応えるこの者たちが、果たして国民を代表する議員でありえるのか。

いや、議員、閣僚などという以前に、“人として”ダメすぎる。

これが私が日本人として感じた羞恥のひとつだ。


国王のスピーチが投げかけたもの

ワンチュク国王は、日本と日本人を、言葉の限りを尽くして称賛された。

本来であればこの賛辞を有難く受け止め、日本とブータンの政治、文化、人などの様々な交流が今後益々発展すれば・・・と、積極思考に向かえば良いのである。

しかし、その最大級の賛辞をストレートに受け入れられない現実がある。

「自己よりも公益を高く位置づける強い気持ち」を実践したのは、他ならぬ東日本大震災の被災者だ。これは世界からも称賛された。

しかし、「これまで以上にリーダーにふさわしい」という言葉は、残念ながら今の政治には当てはまらない。

「名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることへ願望を持って何事にも取り組む国民。知行合一、兄弟愛や友人との揺るぎない強さと気丈さを併せ持つ国民」という言葉を、どれだけの日本人が自分たちの生きざまとして捉えられるのだろうか。

そのような価値観を日本人が伝統的に継承してきたことは確かだ。

だが、そういった過去の伝統的価値観を否定し、過去と現在を分断しようとしてきた進歩的文化人、マスメディア、政治家、運動家が、決して小さくない影響力を及ぼしているのも、日本の現実である。

ワンチュク国王の言葉は、「日本人よ、かくあれ」という激励とも取れる。

その激励や賛辞に感謝し、応えるのは当然だが、戦後の自虐史観にとらわれることなく、誇れる国を自分たちの手で作り、守っていくという自覚が、現代の日本人には必要なのだろう。


ブータン国王 演説(全文)

天皇皇后両陛下、日本国民と皆さまに深い敬意を表しますとともにこのたび日本国国会で演説する機会を賜りましたことを謹んでお受けします。衆議院議長閣下、参議院議長閣下、内閣総理大臣閣下、国会議員の皆様、ご列席の皆様。世界史においてかくも傑出し、重要性を持つ機関である日本国国会のなかで、私は偉大なる叡智、経験および功績を持つ皆様の前に、ひとりの若者として立っております。皆様のお役に立てるようなことを私の口から多くを申しあげられるとは思いません。それどころか、この歴史的瞬間から多くを得ようとしているのは私のほうです。このことに対し、感謝いたします。

妻ヅェチェンと私は、結婚のわずか1ヶ月後に日本にお招きいただき、ご厚情を賜りましたことに心から感謝申しあげます。ありがとうございます。これは両国間の長年の友情を支える皆さまの、寛大な精神の表れであり、特別のおもてなしであると認識しております。

 ご列席の皆様、演説を進める前に先代の国王ジグミ・シンゲ・ワンチュク陛下およびブータン政府およびブータン国民からの皆様への祈りと祝福の言葉をお伝えしなければなりません。ブータン国民は常に日本に強い愛着の心を持ち、何十年ものあいだ偉大な日本の成功を心情的に分かちあってまいりました。3月の壊滅的な地震と津波のあと、ブータンの至るところで大勢のブータン人が寺院や僧院を訪れ、日本国民になぐさめと支えを与えようと、供養のための灯明を捧げつつ、ささやかながらも心のこもった勤めを行うのを目にし、私は深く心を動かされました。

私自身は押し寄せる津波のニュースをなすすべもなく見つめていたことをおぼえております。そのときからずっと、私は愛する人々を失くした家族の痛みと苦しみ、生活基盤を失った人々、人生が完全に変わってしまった若者たち、そして大災害から復興しなければならない日本国民に対する私の深い同情を、直接お伝えできる日を待ち望んでまいりました。いかなる国の国民も決してこのような苦難を経験すべきではありません。しかし仮にこのような不幸からより強く、より大きく立ち上がれる国があるとすれば、それは日本と日本国民であります。私はそう確信しています。

皆様が生活を再建し復興に向け歩まれるなかで、我々ブータン人は皆様とともにあります。我々の物質的支援はつましいものですが、我々の友情、連帯、思いやりは心からの真実味のあるものです。ご列席の皆様、我々ブータンに暮らす者は常に日本国民を親愛なる兄弟・姉妹であると考えてまいりました。両国民を結びつけるものは家族、誠実さ。そして名誉を守り個人の希望よりも地域社会や国家の望みを優先し、また自己よりも公益を高く位置づける強い気持ちなどであります。2011年は両国の国交樹立25周年にあたる特別な年であります。しかしブータン国民は常に、公式な関係を超えた特別な愛着を日本に対し抱いてまいりました。私は若き父とその世代の者が何十年も前から、日本がアジアを近代化に導くのを誇らしく見ていたのを知っています。すなわち日本は当時開発途上地域であったアジアに自信と進むべき道の自覚をもたらし、以降日本のあとについて世界経済の最先端に躍り出た数々の国々に希望を与えてきました。日本は過去にも、そして現代もリーダーであり続けます。

このグローバル化した世界において、日本は技術と確信の力、勤勉さと責任、強固な伝統的価値における模範であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。世界は常に日本のことを大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることへ願望を持って何事にも取り組む国民。知行合一、兄弟愛や友人との揺るぎない強さと気丈さを併せ持つ国民であると認識してまいりました。これは神話ではなく現実であると謹んで申しあげたいと思います。それは近年の不幸な経済不況や、3月の自然災害への皆様の対応にも示されています。

皆様、日本および日本国民は素晴らしい資質を示されました。他の国であれば国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして悲嘆をもたらしたであろう事態に、日本国民の皆様は最悪の状況下でさえ静かな尊厳、自信、規律、心の強さを持って対処されました。文化、伝統および価値にしっかりと根付いたこのような卓越した資質の組み合わせは、我々の現代の世界で見出すことはほぼ不可能です。すべての国がそうありたいと切望しますが、これは日本人特有の特性であり、不可分の要素です。このような価値観や資質が、昨日生まれたものではなく、何世紀もの歴史から生まれてきたものなのです。それは数年数十年で失われることはありません。そうした力を備えた日本には、非常に素晴らしい未来が待っていることでしょう。この力を通じて日本はあらゆる逆境から繰り返し立ち直り、世界で最も成功した国のひとつとして地位を築いてきました。さらに注目に値すべきは、日本がためらうことなく世界中の人々と自国の成功を常に分かち合ってきたということです。

「ブータンには寺院、僧院、城砦が点在し何世代ものブータン人の精神性を反映しています」 ご列席の皆様。私はすべてのブータン人に代わり、心からいまお話をしています。私は専門家でも学者でもなく日本に深い親愛の情を抱くごく普通の人間に過ぎません。その私が申しあげたいのは、世界は日本から大きな恩恵を受けるであろうということです。卓越性や技術革新がなんたるかを体現する日本。偉大な決断と業績を成し遂げつつも、静かな尊厳と謙虚さとを兼ね備えた日本国民。他の国々の模範となるこの国から、世界は大きな恩恵を受けるでしょう。日本がアジアと世界を導き、また世界情勢における日本の存在が、日本国民の偉大な業績と歴史を反映するにつけ、ブータンは皆様を応援し支持してまいります。ブータンは国連安全保障理事会の議席拡大の必要性だけでなく、日本がそのなかで主導的な役割を果たさなければならないと確認しております。日本はブータンの全面的な約束と支持を得ております。

ご列席の皆様、ブータンは人口約70万人の小さなヒマラヤの国です。国の魅力的な外形的特徴と、豊かで人の心をとらえて離さない歴史が、ブータン人の人格や性質を形作っています。ブータンは美しい国であり、面積が小さいながらも国土全体に拡がるさまざまな異なる地形に数々の寺院、僧院、城砦が点在し何世代ものブータン人の精神性を反映しています。手付かずの自然が残されており、我々の文化と伝統は今も強靭に活気を保っています。ブータン人は何世紀も続けてきたように人々のあいだに深い調和の精神を持ち、質素で謙虚な生活を続けています。

今日のめまぐるしく変化する世界において、国民が何よりも調和を重んじる社会、若者が優れた才能、勇気や品位を持ち先祖の価値観によって導かれる社会。そうした思いやりのある社会で生きている我々のあり方を、私は最も誇りに思います。我が国は有能な若きブータン人の手のなかに委ねられています。我々は歴史ある価値観を持つ若々しい現代的な国民です。小さな美しい国ではありますが、強い国でもあります。それゆえブータンの成長と開発における日本の役割は大変特別なものです。我々が独自の願望を満たすべく努力するなかで、日本からは貴重な援助や支援だけでなく力強い励ましをいただいてきました。ブータン国民の寛大さ、両国民のあいだを結ぶより次元の高い大きな自然の絆。言葉には言い表せない非常に深い精神的な絆によってブータンは常に日本の友人であり続けます。日本はかねてよりブータンの最も重大な開発パートナーのひとつです。それゆえに日本政府、およびブータンで暮らし、我々とともに働いてきてくれた日本人の方々の、ブータン国民のゆるぎない支援と善意に対し、感謝の意を伝えることができて大変嬉しく思います。私はここに、両国民のあいだの絆をより強め深めるために不断の努力を行うことを誓います。

改めてここで、ブータン国民からの祈りと祝福をお伝えします。ご列席の皆様。簡単ではありますが、(英語ではなく)ゾンカ語、国の言葉でお話したいと思います。

「(ゾンカ語での祈りが捧げられる)」

ご列席の皆様。いま私は祈りを捧げました。小さな祈りですけれど、日本そして日本国民が常に平和と安定、調和を経験しそしてこれからも繁栄を享受されますようにという祈りです。ありがとうございました。

Copyright (c) 2011 私的憂国の書
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東日本大震災チャリティー『ネイル&カフェ』

2011-11-18 00:09:53 | がんばろう、日本。
自宅でネイルサロンをやっている日本人の主婦友だちが、
震災義援金募集のための『一日ネイル&カフェ』を開いてくれた。
彼女がネイルサービスを、ベイクが得意な人が手作りのパンやケーキなどを販売するという趣向。

これまでの人生で一度も「ネイルサービス」というものを受けたことがなかった私は、この日は記念すべき“人生初ネイル日”にしようと決めていた。
前の日からちょっとウッキウキ。

驚くことに、ネイリストのお友達自身はネイルなどやったこともなかったそうだが、6年ほど前に「英語の勉強になるかな」という軽い気持ちでネイル学校に通い始め、5か月ほど通ってネイリストの資格を取ったという。
その実行力に脱帽。
その資格をいかして自宅の一室で始めたネイルサロンが人気を呼んで、今では多くのお客さんが彼女のサロンで爪のお手入れとおしゃべりを楽しんでいるらしい。


というわけで、人生初ネイル
初回ということでプレーンな一色塗りだったけど、自分がやるのとさすが色艶がまったく違う!
(注)今日は特別にキッチンでのサービスだったけれど、本当のサロンは別室にあります。




その他のお友達が持ち寄ってくれた手作りのパンやケーキも大好評(だった・・・・らしい。実は12時半に行ったらすでに大人気のためほとんど売り切れ状態だった。しょぼ~ん) 


リビングでは久しぶりに会うお友達同士で話が弾んでいる様子。
広々として気持ちがいい空間!


★ ★

本日の売り上げはなんと、673ドル!
収益は全て、陸前高田市の「災害復興寄付金及び義援金の受付窓口」へ寄付されることに。
自分たちができるこを楽しんでやって、しかもこんなにお金が集まりそれが震災の義援金に送られるということは本当にうれしい。
これからも自分たちのためにも日本の復興のためにもこんなイベントにどんどん企画・参加していければいいな。


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全米を揺るがすふたつのセックス・スキャンダル

2011-11-13 18:08:11 | アメリカ生活雑感
アメリカでは、殺人よりもsexual assaulting(性的虐待)のほうが重罪かのように報道されることに前々から気付いていたが、あるニュースが現在全米を揺るがす大スキャンダルになっている。

11月5日、大学フットボールリーグの強豪、Penn State(ペンシルべニア州立大学)フットボール部の元守備コーチ、ジェリー・サンダスキーが、少年への性的虐待の容疑で逮捕された。
彼は、1994年から15年間に8人の少年に対し虐待を40回行ったという。

2002年、フットボール部OB(現アシスタントコーチ)が、チームのロッカールームのシャワー室でサンダスキーが10歳の少年に性的行為(sodomizing)を行なっているのを目撃。アシスタントはヘッド・コーチのジョー・パターノに報告した。
パターノは上司である運動競技ディレクターのカーリーと上級副社長のシュルツに伝えたが、カーリーとシュルツは子供の性的虐待の疑惑について、捜査当局へ通報する義務を怠り隠ぺいした。

この事件がこのたび9年ぶりに明るみになり、世の中は大騒ぎ。
実行犯のサンダスキー以上に糾弾されているのが、当時のヘッド・コーチ(現監督)だったジョー・パターノだ。
ペンシルベニア州立大を46シーズンにわたって率いて最多の通算409勝を挙げた、85歳の“伝説の名将”は、この事件で一気に奈落の底に転落。11月9日には監督をシーズン途中で解任されることが決まった。
全米のヒーローから最悪の結末である。

このニュースは、ここ1週間途切れることなく新聞の一面をにぎわせており、さすがにうんざり。
初めは記事をよく読んでいなかったので、ジョーがこの事件の実行犯だと信じこんでいたほどだ。

どうしてこれほどまでに大ニュースになるのか。それは二つの理由があると思う。
ひとつは、アメリカでは未成年への性的虐待は「重罪中の重罪」ということだ。
過去の性犯罪者は一生居住場所を明らかにしなければならず、私たちはインターネットのサイトで近所に性犯罪者が住んでいるかどうかを簡単に検索できるようになっている。
要するに、性犯罪者は一生“獣”として世間から監視される運命にあるのだ。

今回の事件で、ジョーは監督者として当件を警察に通報する義務があったが、それを怠った。
このことが次なる被害を生み出すことにつながったのは言うまでもない。その意味でも、犯罪を防げなかった監督者の隠蔽は重罪に値する。
(ローマ法王が、部下である聖職者が子どもたちへ性的虐待を長年にわたって行ってきた事実を隠蔽していたのも同じ罪である。)
性的虐待を受けた子どもたちは、一生トラウマから逃れることができず自信を持てないまま苦しみ続ける。
「生きたまま殺されたも同然だ」と被害者がインタビューで語っていた。

二つ目の理由は、名門フットボールチームのコーチという肩書を利用した犯罪であったことだ。
アメリカの少年たちの夢や憧れの存在である、フットボール選手。
このフットボールチームの名コーチという肩書を利用して少年たちに近づいたことは許しがたい。
フットボール選手になることを夢見て日々頑張っている少年たちはおろか、親たちをも愚弄する最低の犯罪だ。


時を同じくして、2012年の大統領選挙の共和党候補を争っている元ピザ・チェーン経営者のハーマン・ケイン氏(65)も同じくセックス・スキャンダルに苦戦している。
一部世論調査では共和党候補のトップに立った彼をいきなり襲ったこのスキャンダルは、彼が全米レストラン協会会長だった1990年代に部下の女性職員にセクハラを行ったというもの。
11月7日にはシカゴのある女性が、ケイン氏にスカートの中に手を入れられたなどカメラの前で生々しい証言をし、その後はケイン氏もこれに反論する記者会見を開くなど大騒動に発展した。

ただこの件は、この女性がかなり「怪しい」ことと、お互いが大人であるということもあり、フットボールスキャンダルに比べると随分“薄まって”しまった気がする。
「怪しい」というのは、この女性がかなりの借金を負っていることやフィアンセという男性も無職で収入なしなことなどから、ケイン氏を引き摺り下ろすために何者かに雇われたのではないか、という疑惑がもたれているからだ。


タイガー・ウッズの時も、彼は一夜にしてスター選手から「史上最低の不貞男」に成り下がってしまった。
過去には大統領でさえ、その政治手腕よりもセックス・スキャンダルによって辞任に追い込まれた。
いずれにしても全米を揺るがす話題がいずれもセックス・スキャンダルというのがなんとも嘆かわしいが、
いかにも「キリスト教の国」アメリカらしいといえばらしい。


Joe Paterno Assistant Who Reported Alleged Penn State Child Sex Assault Gets 'Multiple Threats'(abcNEWS)


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Singers Spotlight

2011-11-11 17:42:14 | music/festival
今週半ばから凍りつくように寒さになって、ついに昨日は初雪。
ふと外を見たら吹雪いていて、思わず絶句。

そんなさむ~い水曜日の夜、シンガー仲間のイヴェットがあるライブハウスで歌うというので気晴らしに見に行った。
シカゴにほど近いライブハウス「Fitzgerald's」。
ここでは月に一度、「Singers Spotlight」というイベントをやっている。
事前にブッキングしておくと、プロのバンドをバックに30分のステージでパフォーマンスできるというものだ。
素人、玄人は関係なし。まぁ、デモテープ審査があるのでそれなりのレベルは必要なのだろうけれど。

この日は、イヴェットが4人のシンガーのトップバッター。
ラテンの血を引く彼女らしく、選曲はボサノバやラテンのリズムにのった「Beautiful Love」、「Autumn Leaves」、「So Many Stars」、「Agua de Beber」の4曲。



個人的にこの日のシンガーの中で一番好きだったのが、2番目に歌った彼女。
体も大きいが声も大きくソウルフル。



いかにも小さいころから教会のクワイヤーで歌っていますというような、この辺にはごろごろいる黒人シンガーだが、
へんに玄人っぽいところがなく、表現力が豊かでちょっと茶目っ気もあって、グルーブしていて、
久々に素直にソウル・R&Bを楽しませてくれた。


最後のシンガーはコンドリーサ・ライス(ライス国務長官)。って激似~!

Jazz、ソウル、R&B、Popsとまったく違ったタイプの4人のシンガーはそれぞれ個性的で、
寒い中重い腰を上げて見に来たかいがあった。(かな・・)
とりあえずいい気分転換。


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Cyndi Lauper & Dr. John

2011-11-06 11:24:07 | music/festival


先月末、うちの近所の古いシアターにCyndi LauperとDr. Johnがなんとセットでやってきた。
個別にやってきても十分“売り切れ御免”にできる、アメリカンロックのカリスマとニューオリンズサウンドの大御所。
約1か月前のとある日、何気にこのシアターから来たメールをチェックしていて偶然このツアーを発見、すぐさまチケットを買いこの日を心待ちにしていた。

シンディーを最後に見たのは、かれこれ20年くらい前(!)大阪城ホールでのソロ公演だった。
まさに「旬」という感じの彼女はステージを奇抜なファッションで縦横無尽に飛び回り、ホールの隅々にまで届くようなソウルフルで力強い歌声を聞かせてくれた。

Dr. Johnは私にとって新しいピアノ奏法の扉を開かせてくれた人。
ニューオリンズサウンドにはまった20代の頃、毎年のニューオリンズ詣ででは必ず彼のライブをチェックした。
一時はドラッグ漬けでなんだか「よいよいのじーさん」になっていたけれど、最近は健康になって精力的にツアーを行っていると聞く。

そんな大好きな二人の夢のジョイントライブは、シカゴからやってくるであろう人たちを見越して8時開演。
シカゴの「House Of Blues」みたいないわゆる「ロックの殿堂」でやらないところがさすがだ。
シカゴから大勢の観客がこの西部の田舎町にライブを“見に来る”というこの逆シチュエーションもなんだか小気味いい。
シアターのあるAurora(オーロラ)という町は、イリノイでもシカゴに次ぐ人口の町。大きなカジノが町の経済を潤している。
住民のほとんどがメキシカンの移民で占められ、町に一歩入るとそこはアメリカというより南米の町の様相を呈しているが、このシアターの周りだけはこの夜は一転して白人たちであふれかえっていた。


午後8時きっかりに、まずDr.Johnのステージが始まった。
ピアノとオルガンがど真ん中に据えられたステージで、彼がどちらかを、また両方を同時に弾きながら歌う。
彼特有の泥臭~いサウンドが何故かすっかり薄まって、ちょっとびっくり、同時にがっかり。
こんな「きれいな」音はあんまり期待してなかったんだけどなー。

約1時間ほどのステージを淡々とこなし、最後にシンディーが舞台袖から飛び出して『Makin Whoopie』『Lay My Burden Down 』の2曲を一緒に歌う。
シンディー目当ての観客からはやんやの喝采。
2曲だけでふたりはひっこみ、ここでインターミッション。
う~ん、もっとふたりでめっこりブルースやってくれると期待していた私はここでもがっくり。

約30分ほどの幕間ではみな、ホールのバーでいっぱい飲っている。
今日の観客の年齢層は、50代がメインといったところだろうか。いわずもがな、かなり高め。


そしてステージレイアウトが完璧に変わって、今度はシンディーのステージ。
黒のレザーの上下に真っ白な長い髪(ウィッグ?)を振り乱し、1曲目から飛ばしまくる。
『She Bop』『Change Of Heart』『All Through the Night』など往年のヒット曲と、最近リリースした初のブルースアルバム『Memphis Blues』から『Crossroad』などのブルースをたっぷりと聞かせてくれた。
やはりこの人の歌唱力はただモノではなかった。
いや、歌唱力というひとことにしてしまうにはもったいない、心の底から湧き出るソウル、パッション、パワー・・・もうすべてがこの小さな58歳(!)の体からオーラのように発せられているのだ。
80年代に一世を風靡した彼女は、今なお自分の信じる一本道を進化しながら突き進んでいるという感じ。一切の迷いもなく。
3曲目くらいから、Dr.Johnがすっかりかすんでしまった(笑)

アンコールはもちろん、『Girls Just Want to Have Fun』そして『Time After Time 』。
ピアノだけを残してメンバーがステージから去り、最後の最後にしっとりとデュオで『True Colors』。

最後のTrue Colorsを歌う前に、彼女はこう語りかけた。
「ホームレス人口の6分の1は子供たち。どうか子供たちを見捨てないで。それからLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)の人たちを温かくサポートしてあげて」と呼びかける。
人権活動家としても知られる彼女は、今年9月にNYマンハッタンにホームレスLGBTのための30ベッドルームの施設“The True Colors”をオープンしている
シカゴならともかく、こんなコンサバティブな田舎町でこの発言はどう受け止められるのかと様子を見ていたが、やはり彼女のファンたちは彼女の思想もよく理解してすべてをひっくるめてファンなのだろう、温かい拍手を送っていた。
ひとりだけ「LGBTって何?」と叫ぶ年配の女性の声も聞こえてきたが、みんな無視(笑)。もっと世間を勉強しなさい。




★ Set List
Just Your Foo l(Little Walter cover)
Shattered Dreams (Lowell Fulson cover)
She Bop
Crossroads (Robert Johnson cover)
All Through the Night(Jules Shear cover)
Lead Me On (Bobby "Blue" Bland cover)
Down Don't Bother Me (Albert King cover)
Don't Cry No More (Bobby "Blue" Bland cover)
The Goonies 'R' Good Enough
Change of Heart

Encore:
Girls Just Want to Have Fun
Time After Time

and ~True Colors



2011年3月大阪公演より。
地震、原発事故直後で外タレが皆ビビッて来日を控える中、毅然とやってきた彼女はやっぱり本物。
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