Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

Berkeleyへの里帰り5 ~Bayをぐるっとセイリング

2012-02-28 12:42:05 | アメリカ生活雑感
今回の“帰郷”のお土産にと、ポールが私のためにセイリングをセッティングしてくれた。
ポールは数年前からセイリングにはまっているらしく、地元のヨットクラブに所属して腕を磨き、
若者に交じってちょくちょくセイリングを楽しんでいるらしい。

私が上陸してからずっと肌寒かったバークレーも、この日は快晴のセイリング日和。
今日ご一緒してくれるのは、ポールのセイリング仲間で同じコンドミニアムに住むウォーレンさん。72歳。
彼がいいボートを持っていることに目をつけたポールが、1年ほど前に「お友達になりましょう」攻撃を開始し、
最近やっと、一緒にセイリングすることを許されたらしい。


バークレー・マリーナを出発


ウォーレンさんと。ちょっとだけダスティンホフマン似。(サングラス付で)
元歯医者さん。devorceeの独り身。こういうじいさん、アメリカには意外と多い。

 
今日のコースは、ゴールデン・ゲート・ブリッジの真下を潜り抜けるというコース


アルカポネも流された、アルカトラズ島を通り抜け


サンフランシスコのスカイラインを拝みながら

 
さぁ、いよいよ真下へ・・・


これが下から見たGGB


ついでにそのままベイブリッジも通過。むこうに見えるはオークランドの街並み。

 
今日載せてもらった「INVICTUS号」。あー楽しかった。お世話になりました!
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Berkeleyへの里帰り4 ~懐かしい人々との再会

2012-02-22 12:36:44 | アメリカ生活雑感

今回もゴージャスなコンドミニアムの一室をお宿にさせてもらった、マサコとポール夫妻。
もともとは2003年に、当時ボランティアをしていたサンフランシスコ・ジャズフェスティバルでポールと知り合い、
「うちの奥さんも日本人でJazzのピアニストなんだ」と紹介されたのがふたりとのお付き合いのきっかけだった。
会ってない時間のほうが長いのに、なんだかとても近く感じる。親戚みたいなふたり。
コレクターのポールのJazzコレクションがまた増えていて、いろいろ聴かせてもらった。
マサコは忙しい仕事の合間をぬって、地元のビッグバンドでピアニストとして練習中。
どうもありがとう。これからもお世話になります!


スシカル(バークレーで20数年続くライブ寿司屋“Sushi California”)で昔なじみの人たちと。

オーナーは沖縄県人のRyojiさん(左手前)。
この店はもう何十年もこのあたりに住む日本人の憩いの場になっていて、閉店後に酒盛りが始まる不思議なお店。
何度ここで宴会をさせていただいたことだろう・・・。
当時独身だった男性陣も、今は皆嫁持ち。ナオさんももうすぐ??



アダルトスクールで一番最初に知り合った日本人、りょうこちゃん。
アメリカ人のウィルさんと結婚をして彼の地元であるバークレーに住み、英語をもう特訓中だった彼女。
それから努力してアカウンティングの修士をとり、会計士事務所でバリバリ働きながら今では3人の息子の母に。
少し前にその会社も辞めて、今は子育専念中。
上のふたりが赤ちゃんの頃は大学やら仕事やらで大忙しだったので、3人目で初めてじっくり赤ちゃんのかわいさを実感しているらしい。
シカゴに来る前はまだ赤ちゃんだった長男のマーカスは、今では8歳。
写真は二男のタイくんと3男のカイくん&ヒメ(猫)。超~かわいい。



私が片言の英語しかしゃべれなかったころからの古い友人で、私のアメリカ生活のすべてを見守り続けてくれた恩人、Dede。
70歳を超えてなお衰えぬその美貌と教養。
プロのライターとして、私のつたない英語チェックをしてくれる先輩でもある。
彼女の生活のすべてが知りたい私と、私の生活を知りたい彼女のおしゃべりはとどまるところを知らず、
時間がアッと言う間に過ぎてしまった。
今回も4時間しゃべって喋り足らず、再度時間をとり直したくらい。
またすぐ会いたくなる人。



アダルトスクール同窓会。
左から初期のクラスメートガリーナ、先生のアン、そしてニゴラとガリーナのご主人のハイム。
私がいつもバークレーに帰るたびに、ガリーナのおうちが同窓会場になる。
そして必ず、ふたりでテーブルいっぱいのロシア料理をふるまってくれる。

ハイムは先月1週間ほど持病の偏頭痛で病院に入院していたらしいが、すっかり元気。
「病院の待遇がすごくよかったから、退院するとき悲しかったよ」と、いつものお茶目な笑顔。
ガリーナも全く変わらず元気そうで安心した。

大好きなビーツのスープに、3種のヘルシーサラダ、ボルシチを用意してくれた。
私がビーツ好きなのを覚えていていつも作ってくれる。ありがとう、ガリーナ!


アダルトスクールと同時期に通っていた小さなつぶれかけの語学学校時代のクラスメート、香港のコニーとオークランドのチャイナタウンで。
彼女との再会は実に5年ぶり。
当時10代だった二人の息子はすっかり成長して、長男はSFのコンピュータ関連企業に就職、
次男はUCデイビス校の大学生。
ビジネスマンのご主人は、香港からたまに家族に会いに来る生活を続けている。
アメリカ国籍を得るために二人の息子をアメリカで産み、ほとんど女手一つ一生懸命育て上げた彼女に脱帽。
今も地元の大学で、英語の読み書きはもちろん、社交ダンスや写真クラスなどをとって楽しんでいるそう。
このあくなき好奇心、大好きだな。

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Berkeleyへの里帰り3 ~San Franciscoの風景

2012-02-21 14:15:04 | アメリカ生活雑感
乗り物乗り放題一日チケット(14ドル)を買って足代わりに使いながら、時間を短縮してSFのあちこちを歩き回ってみた。



SFで真っ先に行ってしまうのが、やはりここ。
ヒッピー発祥の地、ヘイトアシュベリー。

 レインボーフラッグがはためくカストロ地区はゲイの街。
 

 
 

あのハーヴィー・ミルクが事務所にしていた建物は、今はLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)の人権を擁護する団体の事務所兼ショップになっている。


2日前に亡くなった、ホィットニー・ヒューストンをしのんで道端には献花が。R.I.P

 
ストリートカーFラインに乗って、海(ピア)へ。
遠くに見えるはあのアルカポネも投獄されていたアルカトラズ。


ケーブルカーにも乗ってみた。私が好きなのは何故かカリフォルニアライン。
坂を上りきると、遠くベイブリッジが見渡せる。
この瞬間が好き。

 途中で中華街を通過


ケーブルカーの天井
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Berkeleyへの里帰り2 ~Berkeleyの風景

2012-02-20 19:12:32 | アメリカ生活雑感


UCバークレー南門前の見慣れた風景。


学生通り、テレグラフで今人気の「クッキーアイスクリーム」の店。
いつも長蛇の列らしい。

路店の風景は10年前から一つも変わらず

 
知る人ぞ知るアジアンマーケット、「バークレーボール」2号店が、浜寄りにオープン。
そのほかにも、「Trader Joe's」がダウンタウン近くに新たにできていたし、
テレグラフには100円ショップの「ダイソー」までできていて、なんだか5年前に比べると住みやすくなっていた。


ここのところの陽気のせいで、桜が満開。
やっぱりここは万年春。
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Berkeleyへの里帰り~1

2012-02-20 17:50:47 | アメリカ生活雑感
極寒の(はずの)シカゴを抜け出して、長年約束し続けていた里帰りをついに決行。
2月11日から18日まで、バークレーに古い友人をひとりでぷらりと訪ねてきた。

前にバークレーを訪れたのは、3年前の同じ時期。
前回は日本に帰国する前に立ち寄っただけのたった4日間の滞在だったので、
今回は前に会えなかった友だちにも会えるようにと、思い切って1週間に設定。

シカゴも気が抜けるほど温かい今年の冬。
サンフランシスコに着いたら、なんとそこは思いのほか寒くてがっくり。先週までは夏のように暑かったらしい。
せっかくシカゴを抜け出してきたというのになんだよ

今回滞在させてもらったのは、前回同様音楽仲間のMasako&ポール夫妻のお宅。
ベイが一望できる、浜辺に建つ高層コンドミニアムの22階。
部屋からはオークランド、サンフランシスコ、ベイブリッジ、ゴールデンゲートブリッジが見渡せる。

  


着いてさっそく、今晩は何故か「徳島県人会 阿波っ子の会」主催、毎月恒例の阿波踊り練習会に参加。
知り合いのナオさんがここで小太鼓をたたいているので、ナオさんを通じて私がベイエリアに上陸するという情報が伝わり
この日の練習に招かれることになったという次第。

徳島出身のケイジさんの経営するお店“壱番館(100円ショップ)”にて、お囃子と踊りの練習。

 

踊るケイジさん(手前)と特別参加のMasako、小太鼓はナオさん(右)

練習後はみんなで持ち寄った食べ物を囲んで、プチ宴会。
思いがけず多くの徳島県人、しかも同級の人にも会ったりして盛り上がった。
恐るべし、徳島県人会・・・。

かくして、バークレー最初の夜は阿波踊りで汗をかいて終了。
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シカゴは6番目に〇○な都市。

2012-02-07 12:16:44 | アメリカ生活雑感
今日のシカゴトリビューン紙によると、シカゴは全米で6番目に「Miserable(憂鬱な)」都市らしい。

これはForbesが人口25万6000人以上の都市(めちゃ半端な数)を対象に行った調査によるもので、
その“憂鬱度”の尺度は、失業率、通勤時間、凶悪犯罪率、プロスポーツチームの活躍度、住宅価格、住宅価値、住宅差し押さえ率、財産税、汚職・不正、所得税率、天気、の全11項目。

TOP20には、シカゴ市だけでなく近隣の2都市(RockfordとGary(20位)も堂々のランクイン。
確かに、過去80年間でイリノイの知事6人が汚職や不正行為などで有罪判決を受けているし、シカゴ市の属するクックカウンティの失業率も、9.8%(全米平均8.5%)と群を抜いている。
通勤時間は平均30分以上と、アメリカでは悪い方。
プロ野球もバスケットもフットボールも、ここしばらくは優勝から遠ざかっているし、住宅価格の下落はとどまるところを知らない。
とどめは天気。冬の厳しさは言わずもがな。

それでもそれでも、私はシカゴが好きやな~。
この不思議な魅力、住んでみないとわかるまい。


ちなみに以下がTop10。

1. Miami
2. Detroit
3. Flint, Mich.
4. West Palm Beach, Fla.
5. Sacramento, Calif.
6. Chicago
7. Fort Lauderdale, Fla.
8. Toledo, Ohio
9. Rockford
10. Warren, Mich.


(参考記事・http://articles.chicagotribune.com/2012-02-04/news/ct-talk-forbes-most-miserable-cities-0204-20120204_1_miserable-cities-property-taxes-forbes)
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事故から1か月・・・

2012-02-06 14:50:13 | アメリカ生活雑感
昨年末にハイウェイで“おかま”を掘られ、右後部がヘコンでしまった我が家のプリウス。
事故られた直後に相手のメキシカン女性が言った言葉は「保険に入っているから大丈夫」だった。
しかし、それは真っ赤なうそっぱちだった。

Pちゃんが電話していろいろ確かめたところ、彼女の「保険会社」はどうやら個人エージェントのようで、
ちゃんとした会社ではなかったのだ。
通常なら、事故の後すぐさま相手の保険会社がこちらにコンタクトをとり、
指定の工場で修理の見積もり→修理→修理代の決裁、となんなく流れていくしくみなのだが、
この保険会社はいつまでたってもむこうから連絡すらよこさない。
仕方なくこちらから何度も連絡し、「我が家は車が1台しかないし、事故車を運転することができないのでその間のレンタカー代を払ってほしい」と交渉するも、それは支払えない、のいってんばり。
らちが明かないのでこちらの保険会社(大手のG社)に問い合わせると、それは相手の保険会社に支払い義務があるという。
しかもイリノイ州の州法で決められていることも判明。

それらの事実をたたきつけると、今度は一転して「もちろん払います」。
請求書をまとめて送ってくれればお支払いします、との言葉通りにレンタカーの請求書を送ったのがかれこれ3週間前。
「明日送ります」
「今日送ったんですけど」・・・
なんやらかんやらでいまだに届く気配すらない。
だいたい同じ州内で5日から10日もかかるわけないやろ!

私は初めから臭いと思っていた。
延ばし延ばしにするのは詐欺の常套手段。この会社、絶対に支払う気などないだろう。
そのうえ、プリウスを早く修理に出したくても「会社の決裁をとっているので待ってください」といわれたまま。
かれこれ1か月以上も我が家のガレージに眠ったままだ。
TOYOTAで修理の見積もりを取ったところ、修理代はかるーく約3500ドル(40万ほど)。
この金額に余計にびびったのかもしれない。

人の良すぎるPちゃんもさすがに堪忍袋の緒が切れ、職場の弁護士に相談してこの保険会社に対してレンタカー代および修理代金の支払いの訴えを起こすことにした。
もちろん、保険に入っていなかった運転者も。
絶対に泣き寝入りなどさせない。
させてなるものか!

Comments (2)
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祖母

2012-02-06 14:22:24 | アメリカ生活雑感

103歳の誕生日を目前にして、おばあちゃんが永眠した。
明治、大正、昭和、平成の4時代を生き抜いた、最後の“鉄の女”だった。

どうか後のことは気にせずやすらかに眠ってください。
お疲れさまでした。

合掌。
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