Life in America ~JAPAN編

I love Jazz, fine cuisine, good wine

ラビニア・フェスティバルでビーチ・ボーイズ&テンプテーションズ

2014-08-27 23:44:56 | music/festival
8月26日(火曜日)

今日は前から楽しみにしていた2年ぶりのRavinia Festival。
2年前は、大大大好きな「アニタ・ベイカー」を見に行って涙したっけ。

さて、今年のチケットは売り切れる前にと日本に行く前にすでに入手していた。
「テンプテーションズ & ビーチ・ボーイズ」という、60年代のアメリカ人にとっては夢のような2本立て。

アメリカのフェスティバルでは、たまにこういう“ドリームチーム”が結成される。
一つのバンドだけでは決定力にかけるときに、もういっちょ大物をドッキングさせる贅沢な手法だ。

この組み合わせが、今年の演目で(私がシカゴにいる期間)一番魅力的なものだったし、何より行く夏を惜しむにはもってこいだったので早速購入。まだラビニアに行ったことがないけど行きたいと常日頃言っていた日本人主婦仲にお誘いのメールをしてみた。
ところが残念なことに、この日は火曜日。しかもこの週から子供たちの学校が始まるという人たちがほとんどだったので、みんなお迎えの都合でNG。唯一F妻さんだけが参加することになった。


午後3時過ぎ、F妻さんとPちゃん、私の3人でプリウス号にお弁当とアルコールを山と詰め込んで我が家を出発。
何が素敵って、この公園で行われるコンサート、食べ物、飲み物の持ち込みがOKなのだ。

予定通り、午後4時半過ぎ会場すぐ横の駐車場に止めることができ、いざ入場。

 



さっそくステージ前の芝生に席を抑えて、宴会の用意を開始。

 
 
  
今日のメニュー:
梅干しおにぎり
鶏の甘辛煮&庭の水菜
もやしのナムル
ムール貝と卵のトマトソース炒め&庭のパセリ
モッツァレラチーズト&トマトサラダ
パプリカとミニソーセージ炒め 
食後にスイカ




かんぱーい!


何故かお隣のおじさんと話しこむPちゃん。
このおじさま、ペットフードの大手企業の社長さんだそうで、中国や日本へも何度も行ったことがあるアジア通。
私たちのお弁当をうらやましそうに見ていた。
「寿司は?酒ある?」なんて聞いてきた。
Pちゃんはこのおじさんとの知的会話がたいそう楽しかったらしく、あとで「こんな人がもっと近所にいたらいいのに」とぼやいていた。



テンプテーションズが先にステージへ。
ちょっとよろよろしていた感は否めないけれど、それでもさすがのモータウン・アーティスト。
ヒット曲を立て続けにメドレーで歌い、会場のじいさんばあさん(失敬)は狂喜乱舞。
次に出てくるビーチ・ボーイズ仕様の、アロハシャツのじいさんの姿も目に付いた。

 
暗くなるとそこらじゅうにキャンドルがともされ、いい雰囲気


今日もあちこちでパーティーをやっていた。ここで誕生パーティーをする人も結構多い。




ビーチ・ボーイズにノリノリ

やっぱりきてよかった!
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ニューオリンズ・フェスティバル

2014-08-27 23:03:03 | music/festival
アメリカから戻って時差ボケボケか??と思いきや、それがまったくと言っていいほど快調。
二日後にはさっそくいつもの店に歌いに行ったし、アクティビティのほうもまるでこの3週間がなかったかのようにすっかり元通り。

悲しいことは、日本に帰る前は午後9時ごろまで外はまだ明るかったのに、今は8時ごろにはすっかり日が落ち風も肌寒くなってしまった。
ああ、このまま秋になっていくのね。。。いや、そうはさせじ。
“夏”のうち、外に出て遊べるそのうちは、機会を逃さず楽しみつくすのだ。そう決めたのだ!

そこで、7/23(土曜)にシカゴの西郊外、若者に人気のBarやクラブが立ち並ぶ「ウィッカーパーク地区」で行われているニューオリンズフェスに出かけることに急きょ決定。
朝方の雷雨もすっかりやみ、23℃くらいの過ごしやすさ。
せっかくだから、今日はGOROも連れて行こう!




2000年にニューオリンズで買った“Jazz Fest Tシャツ”を引っ張り出して着ていった。

 
GOROもうれしそう


ステージではファッションショーもやっていた



メインステージでは、ニューオリンズのバンドが交代で演奏中。
最後はグラミー受賞バンド「Buckwheat Zydeco」がノリノリ

 
お客さんもノリノリ


GOROは歩くたびにいろんな人から「なんてきれいな犬」と言われ、モテモテ。
道端のオーガニックペット・フードショップのオーナーさんから、手作りのトリ―ト(犬用お菓子)をもらってご機嫌だったが、やはり人通りの多さとライブの爆音にストレスを感じ始めた様子だったので、車に戻って私たちが戻るまでのんびりお留守番。
こういうことがおとなしくできるようになったから、一緒の外出も楽になった。



ご機嫌のPちゃん。
私のいない間ずっと家の仕事を任せきりだったので、今日は私が家族サービス。
久々に羽を伸ばして、ジャンクなものを外食して、なんだかうれしそうだった。
ご苦労様でした。
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今年のガーデン

2014-08-23 01:46:23 | アメリカ生活雑感
今年、シカゴは冷夏。
例年なら7月のお庭は、野菜が生い茂っているはずなのに、どうも生育が遅いのもそのせい。
今年は冬が長かったせいでいつまでも霜の期間が続き、種まきが相当遅れたからかもしれない。
それでも、私の留守の間にがんばってここまで茂ってくれた。どんどん食べるぞー!


ちなみに、これが6月8日の様子。


手前がバジルとパセリ


ゴーヤの芽が出てきたところ


レインバレル(雨水貯蔵樽の上)



そしてこちらが現在(8月20日)





やっと立派なゴーヤができた


トマトがえらいことに・・・


水菜大爆発


レインバレルの上に撒いていた種がやっと花開いてにぎやかに


トマト、ゴーヤ、水菜の収穫


目下の悩みは穫れすぎた水菜をどうやってやっつけるか。
Pちゃんは毎日のように食べていたそうだが、ひとりでサラダにしてもたかが知れている。
そこでいろいろアイデアをいたいて、こういうのを作ってみた。

その1)

友達から教えてもらった、水菜のスープ
鶏ガラスープに切ったトマトと水菜を入れ、最後に溶き卵をまわしかけ、ゴマ油ちょっとたらした中華風スープ。
水菜の大量消費にもってこい、そしてうまい!

その2)

「ゴーヤの肉詰め揚げ」
輪切りにしたゴーヤの中に、豚ひき肉、玉ねぎみじん切り、塩もみして細かく切った水菜を混ぜ合わせたタネを詰め込んで、さっくり揚げてみた。
そこにケチャップ(甘酢)をからめてみたらこれがけっこうグー!

その3)
「ゴーヤとツナのサラダ」
我が家の夏の定番!これさえあれば何もいらないってくらいおいしい。
ゴーヤと玉ねぎ薄切りと、ツナをマヨネーズで和えちょこっとスダチをかけるだけ。超簡単。

その4)
水菜の塩もみ、さっぱり漬物。
小さく切った水菜に塩して重ししてそのまま冷蔵庫へ。約半日でおいしい即席お漬物ができて消費もばっちり。



・・まだまだ実験は続く。
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怒涛の夏休み日記。

2014-08-21 07:42:40 | アメリカ生活雑感
日本で何をしていたか、怒涛のUP。
いやぁ、毎度のことながら本当に忙しかった。


7/28(Mon)
カルロスを見送った後、荷物をまとめて友人宅に移動。
毎年夏になると数日間居候してお世話になるお宅なので、これでやっと夏が来た感。
写真は撮れなかったけれど、一家皆さんお元気の様子。
もう一家族(母と息子)も宿泊していて、なんだか民宿のように盛り上がってしまった。


7/29(Tue)
某出版社の方々と4月のシカゴ以来の再会を祝して打ち合わせ&ランチ。
これからの企画話にも花が咲いて、最高に楽しいひと時。

夜は、友人宅に戻ってさっくり宴会。
翌日にはご主人のSさんが仕事でフィリピンに旅立つため、深酒はせず控えめに。
いつもながらおいしい手作りの品々が、旅で疲れた体をほっと休めてくれた。
もうひとりのShoko、いつもいつも最高のおもてなしありがとう!


7/30(Wed)
やっと久々に散髪。夜は昔の(もう15年くらい前)クワイヤー仲間たちと、おなじみの沖縄料理&ライブの店、新宿「かりゆし」へ。
この日もお客さんは皆、音楽に合わせて踊り狂っていた。
 

8/1(Thu)


そして、徳島へ。


だらけた週末を過ごして、

8/4(Mon)
検査のため、人生初胃カメラを飲みに行く。
ピロリ退治の薬をもらうが・・・


8/5(Tue)
なんとこの日から関西ツアー。
いきなり剣道部の同期会で飲んでしまう。だって飲んじゃいけないって知らなかったんだもん(笑)




8/6(Wed)

ン十年ぶりに須磨へ。
世界中のギタリストにカスタムギターを制作しているマイスター、Moonyさん手作りのカレーをごちそうになりながら、いろんなお話を聞かせていただく。めちゃ面白かった。


大学以来の須磨海岸・・・こんなに小さかったっけ?


先月シカゴで遊んだミュージシャンのナコミ姐と再会。住吉のスペイン料理屋さん「タベルナ・エルピニョン」へ。

 

   *写真はナコミさんより拝借



そのまま、塚口のブルースライブバー「ハウリン・バー」に連れて行ってもらった。
ここで、同じく6月にシカゴで遊んだドラマーの文ちゃんとも再会。

 

ギタリストのピエール落合さん(いつもは白塗り)と


8/7(Thu)

久々にK子さんと会い、西宮で昼間っから飲んで食べてミニ宴会をし・・・

 


そのままゆるゆると奈良に移動して


8/8(Fri)
またまた検査。別段大きな異常はなく一安心。
日本にいる間に健康診断をしつくすのが慣わし。

8/9(Sat)
尼崎の仲間たちと、大宴会。台風接近のため予約していた店をキャンセルしておうち宴会に切り替え、
「お好み焼き、タコ焼き食い放題」宴会になだれ込む。
もう最高に居心地の良い仲間たち。



 




8/10(Sun)
徳島に帰るつもりが台風でバスが運休し、やむなく尼へ引き返し・・またまたたこ焼き宴会

8/11
関西ツアーを終え、やっと帰省。さて、阿波踊りWeekが始まる。


8/12-15 阿波踊り
今年は「海外客通訳ボランティア」として駅前の観光テントで接客。海外客のみならず、県外のお客さんからいろいろ聞かれててんてこまい。
でも楽しかった~!



 



 阿波踊り大使嬢

半田そうめんとビールでランチ


  

 
名物、「総踊り」


8/13(Wed)
高校時代の親友たちとミニ同窓会。気持ちはあの頃と全く変わらず。




8/16(Sat)
打ち合わせのため、高松に日帰り。高校時代の四国大会参加以来。



 
せっかくだからうどんを食べて帰ってきた。


8/17(Sun)
翌日シカゴに戻るため、徳島を離れ東京へ。

 
両親も元気そうでひとまず安心。またねー!



日本滞在最後の晩は、浅草の穴場的居酒屋さんで昔の歌(綾戸クワイヤー)仲間と15年ぶりくらいに会って楽しいひと時を過ごす。

 
大学の後輩でもあるSちゃん(一番右)は、大学卒業後調理師学校に入り直して調理師免許を取得、イタリアにコック修行に出かけた強者。
今は酒屋の女将兼酒Barの週一女将をやっている。
日本ではむしろ、女性のほうがそんじょそこらの男より冒険的で話をしていても面白い。
いっぱいの刺激をありがとう!


8/18
さようなら、日本。
シカゴへ!我が家へ!




~以上、駆け足夏休み日記@Japanでした。
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Sweet Home Chicago

2014-08-21 07:30:19 | アメリカ生活雑感
7月23日にシカゴを発ってから、約3週間。
尋常じゃない日本の夏をたっぷり体験し、今週やっとシカゴに戻ってきた。
いや、もう、あの熱さはもはや熱帯雨林気候。シカゴの冬になれた体にはきつすぎる。
戻ってきたシカゴは、これがまた冷夏で、朝夕の気温は10℃台。ほっとするやら、なんだかもう秋になってしまったようでうら淋しいやら・・・。
一番いい季節にここにいなかった後悔の念が沸き起こってきた。

それはそうとして、この3週間の間に経験したこと、共に時間を過ごした友人、家族、すべてのことに感謝。
これを糧にして、またばりばりがんばりまっさ


このあと夏休みの備忘録(写真日記)をぼちぼちUPしていきます。
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Japan Blues festival 2014 道中記⑤ ~See you again

2014-08-14 21:32:45 | music/festival
7月27日(日曜日)

外が白み始めた午前5時、夕べのお店「Crazy Horse」の閉店と同時に私たちもやっと店を出てホテルへ戻りしばしの仮眠。
今日は再び、長い長い移動日だ。

予定では午前8時すぎに全員がロビーに集合して、もろもろのお金の精算をすませ空港に向かうはずだったのだが、ここでまあさかの大失態。セットしたはずのアラームがなぜか作動せず、電話でスタッフに起こされたときにはすでに8時を大幅に回っていた。
荷物もまとめていなかったので涙ちょちょ切れ大パニック。

とにかくスーツケースにそこらじゅうの物をしっちゃかめっちゃかにぶちこんで、平謝りに謝りながらロビーへ。もちろんすでにみなさんはお金の精算を終えて待機していた。
ああ、ほんまに。去年も最後に大事件が起こったし、ひたすら自己嫌悪。
・・・と、よく見るとボス(カルロス)がいない。あれれ?
なんと、カルロスも寝過ごした模様。ほどなくロビーに現れた彼は超不機嫌顔。
「アラームが鳴らなかったじゃないか!今までオレは時間前には誰よりも早く絶対に来ていたんだ。ああ、それなのにこんなことになるなんて、ちくしょー!」と逆ギレ。

おっしゃるとおり、カルロスは今まで絶対に集合時間にはゐの一番に来ていたし、そうすることが使命だと豪語していたのだ。それをまさかの寝過ごし・・よほど悔しかった様子。ボスの精算が終わらないとみんなのギャラの配分もできないので、そこで時間を少しロスしてしまった。
あー、ごめんなさい。私がちゃんと起きていれば部屋に電話して起こしてあげられたのに。

急いで空港に向かい、今度は無事にギターとベースのチェックイン(機内持ち込み無料サービス)をすませ、全員で羽田へと向かう。
あっという間の青森での3日間だった。



羽田からは、シカゴ直行帰還組(プーキー、ビル、デミトリア)、翌日ソウル経由シカゴ行(カルロス)、ポーランド行(ピーター)の3方向に分かれることになる。入りもバラバラだったが、帰りもバラバラだ。
私はしばらく東京に滞在予定なので、翌日までカルロスと行動を共にすることにし、シカゴ直行組の3人を成田行きのバス停で、同じく羽田の国際線からフランクフルトに向かうピーターをターミナルバスのバス停で見送った。
ピーターとは3日前に初めて会ったばかりなのに、なんだかもう長い友人同士のような不思議な友情が芽生えていた。
彼もこの夢のような3日間が忘れがたかったのか、名残惜しそうに皆に別れを告げ、私にも何度も何度もお礼を言ってくれた。
最後まで気持ちのいいほど礼儀正しい人だった。私の中でも、すべてにおいて彼は現在一番好きなピアニストになっていた。
決してテクニックをひけらかさず、音数は多すぎず少なすぎず、かつ的確なコードを的確なタイミングでおさえられる稀少なピアニスト。こういうタイプはシカゴにもいない。

みんなを見送ったあと、カルロスともども今晩宿泊する羽田のホテルへチェックイン。彼は明朝6時過ぎの便で乗り継ぎのためソウルに向かうので、羽田に滞在するのが何かと便利だった。
この日、東京の最高気温は37℃にもなろうかという猛暑だ。カルロスはお疲れの様子で、今日はもうどこへも行きたくない、部屋でゆっくりしたいという。
それもそのはず。彼はツアー先のベルギーから先週直接日本に入り、そのまま青森でタフな3日間をすごしたのだから体の時計はぐちゃぐちゃになっているに違いない。
「昼寝して目が覚めたら電話するよ。一緒に晩メシでも食べよう」そう言って、ビールを持って部屋に入っていった。

私は、ひとまずカルロス以外の皆を無事に送り出して少しほっと一息。近所で軽く腹ごしらえし、そのまま同じくホテルに戻ってだらだらすることにした。この暑さの中とても出ていく気分になれなかったのだ。
そしてバタンキュー。カルロスからの電話で目覚めたのは、午後8時すぎだった。
「下のレストランでご飯でもどうだい?」

カルロスも良く眠れたようだった。
ふたりで、ツアーの成功を祝して乾杯し、飲みながら実に楽しい話に花が咲いた。
この人と話をしていると話題が尽きるということがなく、楽しい。ユーモアセンスにあふれ、とにかくよく人を笑わせ、自身もよく笑う。
「Humor is the most romantic thing (ユーモアは一番ロマンティックなこと)。オレのユーモアセンスは母親譲りなのさ。オレの母は本当に面白い人だった」といいながら、母の面白秘話をいろいろ聞かせてくれた。

一言でいうと“チャーミング”な人。
この魅力が人を惹きつけるのだろう。メンバーにも心から慕われているのがわかる。自分の愛する人を命がけで守る、それに対して周りが命がけでついて来るのだ。
「正直言うと、今回のギャラは普段ならとても受けられない(低い)金額だった。それでも久々に日本のファンの前で演奏したい、その気持ちが強かったんだ。彼ら(メンバー)はオレのそんな気持ちについてくれたんだよ。“Moral Attachment”(精神的な愛着)があるからさ。たとえただでもオレについてきてくれる、そんな奴らなんだ。」カルロスはうれしそうに話してくれた。


一方で、彼は感激屋さんで涙もろい人情人でもある。
初日のライブのとき、大阪から駆けつけてくれた懐かしい友人の顔を見て感激のあまりぽろぽろ涙を流していたし、ライブのときのファンの熱い声援にも熱いものがこみあげていた。
「今回の3時間15分というのは、オレのギグの中でも最長記録だ。それでもまだやっていたかったのは、1曲目からステージの真下で一生懸命見つめてくれるファンを見たからなんだ。あれには鳥肌がたったよ。だからみんなの顔を目に焼き付けながら一人ひとりの目を見て歌ったんだ。ある女の子なんてボロボロ泣いていたよ」
夕べの熱いライブを思い出しながら語る彼の眼には、再び涙が光っていた。

また、今回わざわざポーランドから呼び寄せたキーボードのピーターに話が及んだとき、「シカゴにも普段から一緒にやっているピアニストがいるのにどうしてピーターだったの?」と聞いてみた。
「彼はポーランドでギグをするときのハウスバンドのメンバーで、素晴らしいピアニストなんだ。(シカゴでいつも一緒に演奏している)ルーズベルトは飛行機がダメだから海外ツアーは無理。だからピーターに連絡したってわけさ」
カルロスからのメールを受けたピーターは、はじめは「ハハハ、からかわないでください」と、真に受けなかったそうだ。「それが本当のオファーだと分かった時は夢のようにうれしかった」とピーターも夕べ話してくれた。
シカゴにも来たことがない彼に、海外経験を積ませてあげようというカルロスの痛いほどの親心を感じたと同時に、ピーターならこの役目を完璧にこなしてくれるだろうというゆるぎない信頼があってこそのオファーだったのだろう。
部下(メンバー)を信じきれるのが、本当のボスの姿なのだ。

結局8時半ごろからゆるゆると飲みながら晩御飯をごちそうになり、レストランが閉店する午前2時過ぎまで、真面目話から下ネタトークまでしゃべりたおし、笑い倒した。(ここではとても書き尽くせない・・・胸にしまっておくことにしよう。またいずれブルースマンたちの知られざる素顔をまとめた本でも書くかな)
ああ、あと数時間後にはカルロスもシカゴに帰っちゃうんだなぁ、そう思うと急にさびしくなってきた。でも、シカゴに戻ったら今度いろんな思い出話しながらまた一緒に飲めるだろう。その日を楽しみにしておこうっと。


ありがとう、カルロス!


7月28日(月)
午前4時半のモーニングコールを部屋に入れると、カルロスはばっちり起きていた。どんなに飲んでも絶対に時間に遅れない。さすがだ。
羽田空港国際ターミナル行のシャトルバスに乗って、午前5時過ぎに空港着。無事にチェックインをすませいざお別れというとき、ツアーの間中かぶっていた帽子を記念にくれた。
カルロスと共に、スペイン、ベルギー、日本と3国をツアーした汗(と匂い)のしみこんだ素敵なパナマ帽。一生大切にします。ちょっとくさいけど(笑)




~完~
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Japan Blues festival 2014 道中記④ ~最終日・海のステージ

2014-08-11 02:21:30 | music/festival
今年のJBFは一日短縮の二日間となったため、あっという間に最終日。
シカゴを発って3日でもうThe Endなのかと思うと、ちょっと物足りない感じだ。
ミュージシャンたちもサウンドチェックや移動でほとんど自由時間がなく、なんだかせっかく青森にまで足を運んだのに町を楽しむ時間もなくちょっと気の毒。

今日は唯一、11時半からのサウンドチェックまで時間があったので、どうしても一人ぽっちになりがちなピーターに町案内をしてあげようかと部屋に電話を入れてみた。
ポーランドから一人で参加した彼はとても控えめな人で、あまり人を煩わせたり迷惑をかけることのないようにしていたので、それがかえって気になっていたのだ。
せっかくの初来日、青森滞在をめいっぱい楽しんでもらいたかった。
ピーターは私の誘いに喜んで乗ってきたので、1時間ほどふたりで新町商店街や駅前の100均や新鮮市場をぶらぶら。


AM11:30
今晩のステージでサウンドチェック。
昨晩と同じセッティングなので特に問題もなく終了。ミュージシャンたちも今日はずいぶんリラックスしている様子。


日本を満喫してうれしそうなピーター


今日から参戦のShun(菊田俊介氏)も会場入り。JBFは5回連続5年目の出演。


PM1:00
市内のアメリカンレストランで昼食。
肉肉肉のオンパレードに、シカゴ組からほっとした笑顔が漏れる。やっぱり彼らは100%肉食なのだった。
彼らときたら、食前酒に始まりビールやらウォッカやら昼間から飲むわ飲むわ。おまけにデザートのあとは食後酒・・ともう飲み続け。
1時間くらいで食事を終えて出番まで最後の自由時間を満喫するのかなと思いきや、結局ランチで盛り上がりすぎてたっぷり3時間もかけてしまった。




お酒が入ってテンションがあがったところで、話題と言えば昨夜の「リバース事件」。この頃には話に尾ひれはひれがついて、あの副会長はすでに伝説の人物になっていた。
内容はあまりにえぐいのでここでは言えない・・・



で、撮った写真がこれ・・



PM5:00
「海のステージ」会場入り。すでに大勢の人たちで大賑わい。



昔の盟友、加藤エレナ&江口弘史Duoをかぶりつきで見て大興奮のカルロスとプーキー


プーキーがたまらずふたりのステージに飛び入り。


左からプーキー、エレナさん、カルロス、江口さん


知り合いの息子さん、トモ君とカルロス。
トモ君はちゃんと英語で会話ができるので、二人ともたちまち意気投合。
CD販売をトモ君が手伝ってくれて、カルロスはもう彼にメロメロ。トモ君が昨晩つかまえて「カルロス」と命名したクワガタと一緒に


出番前に他のバンドや会場の様子をうれしそうにビデオ撮りしていたBill
最初はちょっと近寄りがたかったけれど、この頃にはすっかりひょうきんな素顔を見せてくれた

 
みんなと一緒で超うれしそうなピーター


大好きなドラマー、プーキー。この人は本当に忍耐強くて心優しい。
一緒に行動をしていて今回つくづく彼の魅力がわかった。

 
地元青森のブルースバンド、“BB Heads”with Shun


続いて開会セレモニー。
カルロスから青森市長へ、シカゴのエマニュエル市長からの親書が手渡される。




PM7:00
いよいよカルロスのステージが始まる。
今日のカルロスは、まさに神がかり的だった。
自分の選んだ大切なバンドメンバーと一緒に、大好きな日本で、ファンの前で、5年ぶりにライブができる・・積年の想いがかなったことが、一層彼を熱くさせていたのかもしれない。
サウスポーから繰り広げられる渾身のギタープレイ。ピックも使わず、直接指から、全身からギターに伝わる熱い鼓動。
熱狂的なカルロスファンはこれをずっと待っていたにちがいない。
ステージのすぐ前でみていた私のうしろでひとりの男性ファンがつぶやいた。
「カルロス、かっこえ~」

私もこれほど熱いカルロスは久しぶり、いや初めて見たかもしれない。
1時間たっぷりと弾きまくり、歌いまくり、からみまくり。
ドラムのプーキー、ベースのビル、ピアノのピーターがその想いに全身で応える。これほどのグルーブを出せるバンドはシカゴにもそうそう存在しない。



 
1曲目から、ステージ前にはかぶりつきのファンが。いかに多くの日本のファンが彼を待ちこがれていたかを物語る。
これを見た途端、胸がじ~ん。



ピーターのソロを愛おしそうに見つめるカルロス


Bill Dickensの怒涛のソロに会場騒然。
さすが、スティービー・ワンダーが見初めたベーシストだ。
実は彼は私のご近所(シカゴ西部郊外)に住んでいることが判明し、一気に身近に感じられた。

 
プーキーもノリノリ



そして、後半はデミトリアをシンガーに迎えてのステージ。
女性ヴォーカルの登場で観客のヴォルテージは一気に上がり、皆がステージ前で踊る、踊る。
それを見て彼女もガンガンと観客をあおるように「うなり」を炸裂。3年前とは全く違う。
彼女自身も「ここ数年で自分のなかでも何かが大きく変わってよくなったと思うの」と言っていたとおり、ひと回り成長した姿がそこにあった。(体はひとまわりすっきりと痩せたが)
3年ぶりに日本の地を踏み、渾身のステージを見せた彼女はこれを機にまた大きく変わっていくに違いない。





Shunも加わって、懐かしいシカゴメンバーで往年の名曲が次々と奏でられていく。みんなのうれしそうな顔!こうして一晩中でもやっていられるんだろうな・・・。
音楽は彼らのすべてなのだ。嫉妬するほど美しい光景だった。

2時間という予定時間を軽~く超えて、すでに3時間を回った午後10時。さすがに主催者側も焦ってきた頃、ようやく最後の曲。そしてアンコール。
3時間15分にもわたる史上最長のステージは終わりを告げた。



ライブ後のCDサイン会で、ファンから偉大なブルースマンである父、エディ・テイラーのLPを手渡されて大感激のデミトリア。日本のファンはあたたかい。
また、一生懸命彼女のリクエストに応える青森のスタッフにも心を動かされたのか、あるとき彼女は私にこう言うのだった。
「あなたたちのおかげで私、すっかり甘やかされちゃったわ。本当にありがとう。シカゴに帰ったらみんなに自慢しなきゃ」
とかく女性シンガーは女王様タイプが多く、人一倍気を遣わなければならないものだけれど、彼女はとても気さくで気取ったところがひとつもないから楽だった。
今日のステージが終わった直後、彼女が私のところにやってきて怖い顔でこう言ったのにはちょっとビビったけど。(笑)
「Shoko、『Seewt Home Chicago』の時どこにいたのよ!あなたをステージに上げて一緒に歌おうと思って上からずっと探してたのに!ほんとうにもう!」



カルロスはCDにサインするたび、ビリー・ブランチの顔にイタズラ書きして大喜び



長いステージが終わり、青森最後の晩はおなじみの「Chi-Town Dinner」へ。
出演者、スタッフ全員がやっとここで一息つきながら、いつものようにJamが始まる。




カルロス、ピーター、ビル。この嬉しそうな顔。


プーキーは最後まで吐き真似


午前1時、そろそろお開きですよ、とバンドの人たちを促すも彼らはビクとも動こうとしない。ソファーにでんと座って、飲み続けしゃべり続ける。
「明日の朝も早いのに」と、明日のことを心配するのは日本人だけなのかもしれない。

さっきまでソファーでうたたねしていたBillが急に元気になって、ピアノを弾き始めた。
彼はベーシストであると同時に、一流のコンポーザーでありアレンジャーでもある。
今までもアレサ・フランクリンなどにヒット曲を提供してきた実績もある。どちらかというとBluesよりもSoul、R&B、Jazzといったジャンルを得意とする人で、それは彼が弾くピアノのコードでもすぐわかった。
彼が弾き始めたのは「Misty」。ピーターが連弾のようにしてそこにからむ。
ピーターも、Jazzの教育をばっちり受けた人だけあって、ふたりのピアノはその場を一気にJazz Barに変えてしまった。
やはりJazz教育が根底にある人は音が安定していて懐が深い。

ふたりが私の顔を見て、歌えとうながしてきた。私がJazzを歌っているなど誰も知る由もなかったのに・・。
普段これを歌っている私のKeyとは全く違っていたけれど、ええいもうそんなことはどうでもよいのだ。このシチュエーションにのっかろう。大好きな人たちと共に、旅の終わりに素敵な思い出を作るのだ。
ふたりのピアノにのって久々に「Misty」を歌い始めた。最初の8バースを歌ったところで、Pookyとカルロスが乱入。

カルロスのまた違う一面を見せた、Jazzyで色っぽいギターソロ、Billの流れるようなピアノソロを体いっぱいに感じながら、私はこの至極の幸せを全身に噛みしめていた。
この夏、あなたたちと過ごした時間を私は一生忘れません。

  
この頃にはみんながすでに帰ってほぼ空っぽの店に鳴り響くJazzの音色。
誰もいなくてよかったー(笑)



やっと店を出てホテルへ戻る・・・も、やはりカルロスは飲み足りないらしい。
夕べもこの人はほぼ朝帰りだったらしいし、どこまでタフなんだか・・。
私もなんだかんだと動いてばかりでほとんど食べも飲みもしていなかったので、カルロスとピーターと3人で飲みに行くことにした。
カルロスは、カウンターでポツンと一人で飲んでいた男性のお客さんにも「一緒に飲もうよ」と声をかけて、
今夜のステージを見ていたというその男性とすっかり仲良しになっていた。
こういう気遣いができる人なのだ。


とにかく3人でしゃべって、笑って、何が何だかわからないほど楽しい夜だった。


帰り際、お店のディスプレイのギターにサインをするカルロス。
■お店情報:青森ワシントンホテル横のBar「Crazy Horse」


明日は皆で青森を後にする。・・・(つづく)

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Japan Blues festival 2014 道中記③ ~puking事件

2014-08-04 09:15:17 | music/festival

初日のライブを盛況のうちに終了したミュージシャンたちは、去年と同じ浪岡市内の居酒屋にてやっと今夜の夕食。
お店に着いたのは午後10時を大幅にまわっていて、みんなおなかペコペコ状態だった。



海産物が苦手で一切食べられない他のバンドメンバーとはちがい、
カルロスは大の寿司、お刺身、日本酒好き。お箸使いも慣れたもの。


すでにちょいといい気分になっていた浪岡の商工会の会長さんが乾杯の音頭をとり、やっとみんながリラックスしはじめたそのときだった。
副会長が一升瓶を持ってふらふらとミュージシャンのコップに日本酒をついで歩き、こともあろうに「一気飲み」を強要し始めた。目の焦点は既に合っていなかった。
日本の飲み会や接待では当たり前の風景かもしれないが、アメリカでは人にお酒を強要する、という文化がない。飲めない人、事情で飲まない人、飲みたくない気分の人もいるからすべては自分で判断するのだ。

彼らは副会長のしつこい勧めもあってお付き合いでおちょこで“一気”をしてくれ、とりあえず副会長の顔を立ててくれた。
彼はその後私にもコップ酒の一気をしつこく強要するので、「こういういいお酒はゆっくり飲みたいので、やめてもらえませんか?」とやんわり断ったが、全く聞く耳持たず。
私とて体育会出身、こういうしきたりはわからぬでもないがあまりにも度を越しすぎている。

これに気をよくしたこの副会長、今度はどこからかヒノキの大盃をもってきてそこになみなみと焼酎を注ぎ始めた。一本分を丸々注いだ大盃を、千鳥足で歩きながらそこらじゅうの人たちに回し飲みさせ始めた。
かなりやばい雰囲気にまわりはどん引き。
(なんで誰も止めないんだよ!会長はなにやってんだ!)

案の定、誰も飲んでくれないことに業を煮やしたこの副会長、頼んでもいないのに今度は自分で杯を一気に飲み始めた。
ああ、もうだめだ。この人完全に自爆体制に突入している。

年に一度、オラが町の夏祭りに国内外から有名ミュージシャンがやってくるのがよっぽど待ち遠しくて、うれしくて、この人たちはきっと会場で昼間っからガンガン飲み続けていたに違いない。
挙句の果てに焼酎一本を一気したものだから、彼の胃はもちろん逆噴射寸前だった。

そして、その悪い予感は一気に現実となった。

しばらく席にすわって静かにぐるぐるしていた副会長、いきなりの大リバース大会。
それも、よりによってシカゴのミュージシャンの席の真ん前で、大盃に・・・。
デミトリアはあまりのエグさに席を立ち、「もうおしまい、帰る」と部屋を出て行った。もちろん、BillもPookyも、目の前のまだ箸もつけていない食べ物に手を伸ばす気も失い、部屋を出て行った。
副会長側の列に座っていた私は、同じくピーターと別方向を向いてしゃべっていたのでこの事態にしばらく気づかなかったが、気づいたときはそのあたりはもう大変なことになっていた。

もちろん、宴半ば(というか始まったばかり)で強制終了。
まだ手つかずのお寿司の山を恨めしそうに眺めながら、カルロスは「なんてもったいたいことをするんだ」と嘆いていた。
カルロスと数名はそのあと、青森市内に帰ってから飲み直しに出かけたそうだが、私もあとの人たちもすっかり気持ちが萎えてそのまま就寝・・・。
おなか減ったよー。


しかし、これは笑いごとではすまれない。今まで経験した中で最悪の夜だった。
最大の疑問は、どうして誰一人として彼を止めなかったのか?だ。
上司だから?偉い人だから?年長者だから?いやいやそういう問題ではないでしょーよ。
明らかに度を過ぎた行動をしていて、それが全体のムードをぶち壊し、ゲストを不快にさせているということは誰の目からも明らかなはず。
私が止めても聞かなかったのだから、内部の人から助言するか別の部屋に連れて行くかするべきだったと思う。


唯一の救い(?)は、この事件のあまりのインパクトのおかげで、シカゴ組の中ではその後挨拶代わりに“嘔吐ごっこ”が大流行。ことあるごとに「あれはすごかった。今までので一番えげつない経験だった」と語り草になっていった。


仲良しのBill、デミトリア、Pooky
この直後に悪夢は起こった・・・


いいんだか悪いんだか。
大都会にはないのんびりとしたホスピタリティーが売りのこのフェスティバルだが、こういう一部の“田舎もん丸出し”の人たち(特に、我が物顔の上層部)のマナーの悪さはいただけない。
現場で汗流して必死に頑張っているスタッフの評判にまで傷がついてかわいそうだ。
上層部こそ、きちんとした大人のふるまいをして運営を手助けするべきだろう。
そんなことを考えながら、ここ二日間で感じたカルロスの、“理想のボス”ぶりとの違いをつくづく痛感した。


明日は二日目にしてフェス最終日。いい日になりますように。


・・・つづく


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Japan Blues festival 2014 道中記② ~Day1〝山のステージ”

2014-08-02 20:09:04 | music/festival

7月25日(木曜日)

フェスティバルの宣伝のため、地元テレビ局の朝のローカル情報番組にカルロスとデミトリアが生出演。9時に局入りしてリハーサルを終えたあと、10時から本番開始。
カルロスの演奏で“Sweet Home Chicago”をデミトリアが軽く歌って出番は約1分半ほどで即終了。


 

ホテルの部屋に戻り、のんびりしようかと思っていたら、Pookyが「どっかマッサージに連れて行って」とやってきた。
そういや昨日、彼に「いいマッサージ屋知ってるよ」と話したばかりだった。そこでデミトリアとPookyのふたりを連れてホテル近くのマッサージ屋さんへ。
ここは2年前にココ・テイラーバンドのVinoとBrianを連れてきた場所。とにかくものすごい効き目だったので、Pookyのような屈強な人にはもってこいなのだ。
オーナーの大将は私のことを覚えてくれていて、キャンペーン価格をよりサービスしてくれた。約30分たっぷりコリをほぐしてふたりとも満足の様子





店で見つけた奥深いひとこと


午後1時、今日の会場である浪岡へ。ほっとするような田舎の風景が広がる。
そしてサウンドチェック。
今回ポーランドから参加した最年少のピーター(キーボード)は、カルロスがポーランドでギグをするときのハウスバンドのピアニスト。地元の人気ブルースバンド“Hoodoo Band”のピアニストであり、アレンジャー、作曲家としても活躍している。大学で音楽教育学位を取得したインテリ派ミュージシャンだ。
今回のシカゴのメンバーと合わせるのは今回が初めてだという。それでいきなりフェスティバル本番を迎えようというのだから、いかにカルロスが彼を信頼しているかがわかる。



そのピーターは、本場シカゴのミュージシャンたちと共演できるとあって昨日から夢心地。数か月前にカルロスからオファーがあった時、冗談だと思ってしばらく信じなかったらしい。
シカゴにも来たことがない東ヨーロッパのあるピアニストが、憧れのシカゴバンドとがっぷり組んで日本のフェスティバルに初出演するのだから、興奮するのも当たり前だ。
とても謙虚で穏やかな人で、なるべく周りに迷惑をかけないようにと気遣いをしているのが感じられた。
カルロスはそんな彼をおもんぱかって一生懸命フォローしていた。
ピアノのボリュームペダルがないと知ると、「そんなものがなくて演奏ができるか、ちくしょーめ!」と怒り出し、それをピーターがなだめる一幕もあった。
結局、ペダルとドライバーは本番前に機材スタッフが会場に届けてくれ、ピーターは何度も丁寧にお礼を言っていた。
最高の音を出すため、そして愛するメンバーのため、必死で戦う熱いカルロスの姿が今日もそこにあった。
毎年、ミュージシャンの無理な注文に一生懸命応えてくださるスタッフの方にも頭が下がる。大感謝。


西陽をもろに受けてのサウンドチェックに、みんな汗ダラダラ


Billは道の駅で食べた「りんごソフトクリーム」のおいしさに大感激。


午後7時。いよいよカルロスバンドの登場だ。
もう、言葉はいらない。



 Pooky Styx

 Bill "The Buddah" Dickens
5分以上にも及ぶベースソロに会場は息をのむ。もはやベースじゃない、7弦の魔術。

 Piotr Świętoniowski
“シカゴの音”のなかにどっぷりと漬かって気持ちよさそうに楽しんでいたピーター。
他のメンバーも、彼のピアノセンスに何度もうなずき、微笑んでいた。
言葉や国が違っても、こうやって音を出すだけでひとつになれる。音楽はまさにコミュニケーションだ。

 Carlos Johnson
ルリー・ベルもそうだが、体から直接弦一本一本に伝わるこの情熱の塊のような感じ。
私はこういうタイプにめっぽう弱い。もうメロメロ。


このふたりが組んで、最高のグルーブにならぬわけがない。


 
子供たちもカルロスのすごさを体いっぱいで感じている



1時間ほどカルロスがたっぷりとステージを聞かせたあと、ゲストシンガーのデミトリア・テイラー登場。



3年前にもJW.ウィリアムスのバンドで一度同じステージを踏んでいる彼女だが、
その時よりも格段に貫禄が増して、自分の世界が広がった感じがする。
「年を重ねて人生経験と共にどんどん良くなっている気がするの」と彼女自身も語っていた。




お客さんもノリノリで“Wang Dang Doodle”の一節を熱唱。青森のお客さんはノリがいい


今回、誰よりも早く日本入りしてすでに日光、原宿、北九州と3か所をツアーしてきた彼女、時差ボケも抜けきらず幾分疲れていたが、本番前にスタッフの用意してくれた涼しい和室でゆっくりと横になっていたらしく、完全復活。
「おかげでゆっくりできたわ、ありがとう。あなたたち(フェスティバルのスタッフ全員)は本当に最高ね。私、すっかり甘やかされちゃったわ。シカゴに帰ったらみんなに自慢しなきゃ」とデミトリア。
今までともすると女性シンガーはバンドとは“別扱い”的な、特別な気を遣わなければならなかったが、彼女はいつもバンドと一緒(Pookyべったり)だったのでとても楽だった。

彼女をはじめ、カルロスという強くて優しいボスのもとにがっちりとまとまったこのメンバーの結束はとても強い。
きちんとお礼を言う。時間に遅れない。勝手な個人行動をしない。決して頭ごなしにモノを言わない。そして、みな陽気でユーモアセンスがあふれていて楽しい。
カルロス自身が普段大切にしている行動規範が、メンバーひとりひとりに浸透しているのを感じた。


 
今回は会場に「Choose Chicago」(シカゴ観光局)のブースも設けられ、東京オフィスの責任者である薄井さんが仕事と休暇を兼ねてご家族で来てくださった。
彼女とは、昨年のミシシッピ川流域の旅でご一緒させていただいて以来、何かと親しくさせていただいている。
この「Japan Blues Festival」も近い将来、シカゴ観光局とタイアップできるかもしれない。




ライブ終了後、ある女性ファンが興奮してデミトリアに駆け寄ってきて「あなたは最高です!」と何度も何度も握手を求めていた。
普段は何もない静かな田舎町にシカゴの歌姫がやってきてその歌声に心を撃ち抜かれ、「ありがとう」と手を握るしかないおばちゃんの、その天にも昇る気持ち、わかるなー。
都会のフェスでは見られないこういうシーンに出合えるのが、このJBFの醍醐味なのだ。


予定の時間を上回り(これも毎年のことだけれど)、ライブは大盛り上がりで終了。
このあと浪岡市内の居酒屋さんでやっと夜ご飯。

しかし、ここで今回の語り草ともなるとんでもない「大事件」が起こるのだった。



・・・つづく
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Japan Blues festival 2014 道中記① シカゴから青森へ。

2014-08-02 01:18:02 | music/festival
今回、シカゴからの出演メンバーの日本入りは、本人たちのスケジュールの都合上ばらばらだった。

カルロスは、同じく去年のゲストだったマシュー・スコラーたちとともに「Chicago Blues :A Living History Band」の一員として7月19日からスペイン、ベルギーを回るツアー中。
7月20日のベルギーでのライブ終了後、ひとりだけバンドを抜けて22日に日本入り。(スペインのカルロスファンの人たち、ごめんよ~)
今回が初来日となるキーボードのピーターは、遠路はるばるポーランドから一人旅。
ゲストシンガーのデミトリアは、すでに20日に日本に入り、Shun(菊田俊介)さんとともに全国3か所の都市をツアー中だった。
結局、今回シカゴから一緒に行ったのはベースのビルとドラムのプーキーのふたりだけ。11人という大所帯で行った2年前と比べると楽チンそのものだ。

2年前の記事はこちら

しかしその分、日本に入ってから他のみんなと無事に待ち合わせ場所で会えるかどうかという緊張感がいつもとは違って重くのしかかっていた。
でもまぁ、ネットでフライト情報を見る限りは何のトラブルもなく日本に到着しているようだし、そこから先はよほどのことが起こらない限り何とかなる・・・はず。



★7月23日(水曜日)

オヘアで二人と合流、いざ日本へ出発。フライトは快適&順調。


★7月24日(木曜日)

定刻に成田に到着、そこで第一関門のピーターとの待ち合わせ。
彼はすでにこの日の早朝に成田に到着していたので、ここで約半日間ゆっくりと過ごしてもらいながら私たちの到着を待ってもらうことにして待ち合わせ場所を細かく伝えていた。私たち3人とピーターはこれが初対面。
ドキドキして出口を出ると、そこにはちょっと緊張した面持ちのピーターが私たちを待ち受けてくれていた。(ほっ)

すぐにシャトルバスで羽田へ。ここで、カルロスとデミトリアと合流の予定だ。
うれしいことに、その日北九州からデミトリアと共に東京に帰ってきたShunさんが、彼らのアテンドと青森行のチェックインまで済ませてくれるという。よかった!これで時間がかなり短縮できる。
果たして羽田で無事にふたりと合流することができた。
これで一安心。




これから一路青森へ。
左から、Shun、Pooky、Demetria、Carlos、Piotr、Bill


しかーし。好事魔多し。
何とスムーズな旅なことよ、と喜んだのも束の間、やはり恐れていた“いつもの”事件が勃発。
カルロスのチェックインをしてくれたShunさんによると、カルロスはやはりギターの機内預入を完全拒否。どんなに説得してもギターを抱きかかえて離さず、「こいつと一緒じゃなければ青森へは行かない」とすごい剣幕だったそうだ。
結局、主催者側に相談してギター用に席を購入(2年前と同じパターン)、なんとかその場をしのいだのだが彼の怒りは収まらない。
「俺は30年以上このビジネスをやってきて世界中行っているが、機内で彼女(ギター)をこの手から放したことは一度もないんだ。それにどんな機体に乗るのか事前にちゃんと調べはついている。737なら荷物置き場に十分収まるはずなんだ」

理屈はわかっているものの、日本の航空会社はどこもギターの機内持ち込みができない掟。
その板挟みになるのはきまって、チェックインを手伝う人(つまり私やShunさん)ということになる。
「楽器の運搬に関してはミュージシャンがすべての責任を負い、追加で発生した費用も本人が支払うという契約になっているから何の問題もないでしょう」と事前に聞いていたけれど、そうは簡単にいくまいと嫌な予感がしていたがそれが的中してしまった。

一方、カルロスの一件を知らなかったベースのビルには、去年のフェルトンのようにJALの用意した専用のギターケースに入れて荷物として問題なく預入れしてもらった。
本人は渋ったが事前にこのことは伝えてあったので本人もいやいやながら納得。

そしていざ機内に乗り込んだとき、事態は思わぬ方向に。
機体後部の荷物棚がガラガラだったのをその目で確認したカルロスの怒りが沸騰。(これも2年前と同じパターン・・)
なんでも、JALの地上係員が「本日は満席ですので荷物棚にスペースがございません」というような説明をしたらしく、そのウソに対して爆発したらしい。

「スペースがこんなに空いているじゃないか! 彼らは大ウソつきだ。それにビルのベースはどうした?荷物預入したって?もしベースに何かあっても責任をとらない(免責書類にサインさせられたこと)とはどういうことだ。今すぐ倉庫から出してここにもってこい!!」
事情を知ったビルも「なんでカルロスだけ(席を買って)機内持ち込みというオプションが許されて自分のベースはチェックインさせられたんだ?もし何かあったらこの選択をした君の責任だ」と私に迫ってきた。
たとえ保険をかけたとはいえ、100万円を超える思い入れのあるベースを荷物預入した前代未聞の事態に激しく動揺しているようだった。

カルロスのあまりの剣幕に、すでに席について離陸を待つ体制に入っていた機内は静まり返った。
彼は怒りのあまり目が充血し手が震えている。
「俺は今ものすごく怒っている。どうしていいかわからないほどだ」
怒りはごもっともだ。私だって心の中は煮えくり返っていた。
その場しのぎのウソをついて席を購入させたJALの係員の、プロフェッショナルとは程遠いその対応。乗せてしまえばなんとかなるだろう的な読みの甘さ。
他のお客さんの手前上、おとなしく言うことを聞き入れてくれる(だろう)横並び的な日本人には通用しても、外国人にはそう簡単には通用しないのだ。
特に彼らは「音」に命をかけている。楽器は体の一部であり、何か起こったらそこでThe Endなのだ。いや、「たら」はありえない。そのためにはどんな交渉だってするのが彼らだ。
変な話だが、JALの対応の甘さとカルロスたちの強気姿勢に、日本の腰抜け外交の縮図を見た気がした。

しかし今は、とにかくこの状態を納めなければ離陸できない。
震えるカルロスの背中をさすりながら、私も必死でなだめる。
「あなたの言うことはごもっともです。彼らが“荷物棚にはスペースがない”というウソをついたのは許しがたい行為です。ビルのベースの件も、事前にご説明していたとはいえ本意ではない選択をさせてしまったことに心からお詫びします。この件は、もし万が一何かが起こった場合の責任も含めてくれぐれも主催者に伝えておきます。ただアメリカとは違い彼らは楽器を貴重品としてとても丁寧に扱ってくれますし、他の荷物と一緒にされることもターンテーブル出てて来ることも決してありませんから、ここはなんとか青森に向かいましょう」

びびりまくって始終を眺めるだけだったフライトアテンダントからも、「青森に着いたら責任者から説明をし謝罪をさせていただきます」という約束を取り付け、なんとか離陸することになった。
ただ、バンドリーダーとして、ビルのベースを守れなかった。このことがカルロスを混乱させ悲しませたことは事実。
その気持ちを汲んであげられなかった自分の無力さに、青森に向かう1時間は私も針のむしろに寝ているようなつらさだった。

青森に着き、ベースのはいったケースがちゃんと人の手で丁寧に運ばれてきた。
早速中を確認し、ベースの無事を確認してようやく二人とも安堵の表情。
JALの責任者も私たちに謝罪に訪れた。
「帰りにも同じことが起こりますから対応をお願いします」と抗議すると、「お帰りの際にはお二人分の楽器のスペースは無料で確保させていただきます」と約束。
これを聞いてカルロスたちの怒りもやっと静まった。
(それが簡単にできるならどうしてそれが行きのフライトでできなかったんだよ!?と今度は私の怒りが爆発)

「もしここでベースになにかあったら、と思うと飛行中は生きた心地がしなかった」そう言って、カルロスは涙目になっていた。
彼はなんて素敵なボスなんだろう。そのとき私は心からそう思った。
機内での暴れぶりは日本人からみると大げさで横暴に見えるかもしれない。しかし、これほどまでにプロとしての仕事を全うすることに、そしてそれを一緒に遂行しようとついてきてくれるメンバーのために自ら命を懸けて戦う姿に、私は心を打ち抜かれた。
この先、どんなことがあってもこの人をひとりで戦わせてはいけない。絶対に守らなければ、そう決意した。




 
ホテル裏の焼肉屋でやっと夕食。明日から本番だ。




・・・・つづく
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