Life in America ~JAPAN編

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母の選択

2019-07-28 01:05:56 | ニッポン生活編
最近毎日、母のことばかりを考える。
彼女は幸せだったのだろうか?自分の生を生きたのだろうか?と。

遠い北海道から、なかば反対を押し切る形で退路を断って徳島にやってきた母。
長男の嫁が北海道の女・・・家族はみな彼女を「よそ者」を見る目で蔑み、母はそれに耐え忍ぶ日々だった。
それでも夫は守ってくれず、嫌なことや面倒なことがあれば、すぐに逃げた。

小さい頃はそんなことを考えもしなかったけれど、今、日本に帰って父と生活しながらつくづく考える。
リベラルで先進的思想をもっていた母は、この閉塞的で女性蔑視のムラ社会から一刻も早く抜け出したかったに違いない、と。

でも、退路は断った。
たとえ別れられたとしても、そもそも一人で生活できる力もない。
仕方なく、余生を送っていたのかもしれない。
そう思うと切なくなる。

母はだから、娘たちに何が何でも「学力」と「自立心」をつけさそうと必死だった。人に頼らななくても生きていける力を。
おかげで姉も私も、大学卒業後は自立して人さまに(たとえ銀行にも)一銭たりとも借金をしたことがない。
それは私の自慢だ。


父は昭和ひとけたの、典型的な田舎の長男で、「家のものは何もかも自分のもの」と思って育ってきた、ぼんぼんである。
それは86になった今もそうだ。
だから、金とモノに対する執着心は半端なく、実姉(叔母)が祖父母の遺産を平等に相続したことにも、いまだに納得がいっていない。(真実は、祖父が「死後、何もかもを長男に相続させる」と書いた遺書を彼女が20年間隠していたというから驚きだ。)
家の中の小さな事にはケチケチするが、近所に見えるところには異常なまでにピリピリ気を遣い、人様には大盤振る舞いする「ええ恰好しい」だ。
それは叔母も全く同じ。祖母もそんな人だったから父方のDNAなのだろう。
反対に、母は「ケチケチしなさんな!」「使うべきここぞという時に思い切って使うのがお金ってものだ」「人に借りたらまず身を切って返せ」が口癖だった。


103歳で亡くなった祖母は、最後の数年間は介護が必要になり叔母に囲われ(世に言う「囲い込み」)、通帳もハンコも預けたがためにこつこつと貯めていた現金の一切をほぼ全部使われてしまった。叔母はよほど弟(父)に流れることがいやだったのだろう。
晩年、祖母は「自分は介護なしでは生きていけないから、恐ろしくて(叔母に)何も言えなかった」とボソリと私に言ったことがある。
そして最後は、初めはさんざんいじめた嫁の母にこう言ったという。

「信じられるのは(自分の息子でも娘でもなく)S子さん(母)だけじゃ」


幸せなことに、私たち姉妹は母の血を受け継いだ。
母よ、大切な教訓を教えてくれてありがとう。


ウソをつかないこと。
言い訳しないこと。
人のせいにしないこと。
そしてなにより、逃げないこと。


母は徳島のこんなちっぽけな人たちのなかでもがいただけの一生だったのだろうか。
別の人を選んでいたらもっと素晴らしい人生があったのではないだろうか。
いやそれとも、それはそれで割り切って精いっぱい生きたのだろうか。

今、約10か月間の父との暮らしではっきりと言えることは、
「母よ、あなたの選んだ相手は、私なら絶対に伴侶として選ばない。」

時代のせいもあるのかもしれないが、平気でうそをついたり逃げる人間は、私の相手ではない。