津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

お安く読む・幻冬舎新書「旧かなづかひで書く日本語」

2013-10-17 12:58:33 | 書籍・読書

 


      旧かなづかひで書く日本語 (幻冬舎新書)
 
              幻冬舎


内容(「BOOK」データベースより)
私たちが日頃使う「新かなづかい」は、ほんの六十年ほど前に制定されました。それまで日本人に使われてきたのは「旧かなづかい」。歴史の中で長い時間をかけて洗練された旧かなは、合理的で美しい。また語源や意味も正確に伝わり、実は新かなよりはるかに使い勝手がいい表記法です。「このあひだはありがたう」「では七時に会ひませう」「きのふから雨が降つてゐる」―ふだんの手紙や日記を旧かなで書いて、あなたも日本語の美しさを味わってみませんか。言葉が心にしみ入ります。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
萩野/貞樹
昭和14年秋田県生まれ。一橋大学卒業。元産能大学教授。専門の国語学のほか、和歌論、神話論、日本語系統論など幅広い分野で執筆活動を行う。敬語の用法を独自の視点で分析した「ハギノ式敬語論」は、「正しい敬語がすぐ使えるようになる」と高く評価されている。
 
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徒然草第百八十九段

2013-10-17 07:50:24 | 徒然

 なんとなくあわただしく過ごして、今日一日何をしていたのだろうとふと思う事がある。
実は何の成果もなく過ごすことが多くなってきて、余生を考えると2020年一区切りと考えているスケジュールさえ達成できるのかしらと不安に成ったりする。
徒然草をよんでいたら189段がふと目に飛び込んできた。 

                   今日はそのことをなさむと思へど、あらぬいそぎ先づ出て来てまぎれくらし、待つ人はさはりありて、
                   たのめぬ人は来り、たのみたる方のことはたがひて、思ひよらぬ道ばかりはかなひぬ。わづらはし
                   かりつることはことなくて、やすかるべきことは、いと心ぐるし。日々に過ぎ行くさま、かねて思ひつ
                                  る
には似ず。一年の中もかくの如し。一生の間も、またしかり。 

                   今日こそそのことをしようと思っていても 、意外な急用がまず出て来て、取り紛れて暮らし、こちらが待っている人にも差支えが
                        できて、こちらが當てにしない人がやって来たり、期待していたことははづれて、思ひもよらないことばかりがうまく行ってしまふ。
                        めんどうだと考へていたことはすらすらと運んで、容易に行くはずだと思っていたことが案外に心を苦しめる。日々経過して行くさ
                        まは、予期していたこととは似
もつかない。一年中のこともこれと同様だし、一生涯もまた同じことだ。


 まことにその通りである。そのようにして時は流れ、齢を重ねていくのだろう。いつの時代にも思いは同じであることが面白い。 

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