本日は史談会10月例会、今回は志岐麟泉と小西・加藤連合とのいわゆる天草合戦を大矢野家文書から勉強する。
天草地方の歴史を考える時、必ず触れられるのがこの大矢野家文書である。
この文書を読んで強く感じるのが、「取噯」の文字の深い意味合いである。噯は「あつかい」と読むが扱ではない。
加藤清正は小西軍に任せていても戦が有利に展開出来ないことを感じ、志岐氏に対し「神を以て和平を取噯」として接近し騙し討ちにする。
噯の文字の持つ意味は「話し合いによる解決」である。歴史民俗用語辞典には「中世・近世の紛争解決のための仲裁・調停。」とある。
仲を取り持つ人があっての、話し合いに期待をした志岐氏であったが、この言葉が謀であったことを知ると徹底抗戦をし小西・加藤連合に反抗する。
加藤清正も手痛い攻撃を受け、周囲に下人を含め僅か十四人となる危険な状態となった。
大矢野家文書は此処までのいきさつに詳しく触れて終わっているが、その後も戦いはつづき天草勢は降伏、小西に服従することに成る。
天草にかんたるキリシタン文化をもたらした人物こそ志岐氏であるが、この戦いを以てその名が消えることに成る。
同じ熊本であるが、現代の車社会における視点がどうしてもあり、熊本市内から2時間以上を必要とする距離をもって遠隔地と理解をしてしまうが、水運の発達していた当時では、平戸・長崎などはすごく近い距離である。キリシタン文化は海上路を伝搬して広がりを見せた。
一日良い勉強ができたと充実感に満ちた一日となった。