津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

剣術修行の旅日記

2013-10-22 12:55:25 | 書籍・読書
剣術修行の旅日記 佐賀藩・葉隠武士の「諸国廻歴日録」を読む (朝日選書)
 
                   朝日新聞出版

内容紹介

佐賀藩士、牟田文之助は23歳で鉄人流という二刀流の免許皆伝を授けられた剣士である。 
嘉永六年(1853)、24歳の文之助は藩から許可を得て、
2年間にわたる武者修行の旅に出て「諸国廻歴日録」という克明な日記を残す。
この日記を読むと、命がけの武者修行というイメージが覆される。

文之助は各地の藩校道場にこころよく受け入れられて思う存分稽古をし、
稽古後にはその地の藩士と酒を酌み交わし、名所旧跡や温泉にも案内される。
「修行人宿」と呼ばれる旅籠屋に頼めば、町の道場への稽古願いの取り次ぎもしてくれる──。
まるで、現在の運動部の遠征合宿のようだ。

江戸はもちろん、北は秋田から南は九州まで現在の31都府県を踏破した日記から江戸末期の世界がいきいきと蘇る。
千葉周作の玄武館、斎藤弥九郎の練兵館、桃井春蔵の士学館など、
有名道場に対する文之助の評価も必読。

【本書目次】
序 章 牟田文之助の出立
第一章 剣術の稽古の変遷と隆盛
第二章 武者修行の仕組みと手続き
第三章 出発から江戸到着まで
第四章 江戸での交友と体験
第五章 他藩士との旅
第六章 二度目の江戸
第七章 帰国の途へ
第八章 最後の旅
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

肥藩落穂集

2013-10-22 08:16:12 | 熊本史談会

 史談会の11月例会で「肥藩落穂集」を取り上げようと思い釈文作りに取り掛かった。手本は上妻文庫である。
この「肥藩落穂集」は別名を「銀臺拾遺」という。つまりは銀台公(細川重賢公)の遺事を集めたものである。著者は高瀬武昭だが、編年は文化戊寅とあるが四月二十二日に改元された文政元年(1818)の事であろう。重賢公没(天明五年十月二十四日・1785)後33年が経過している。

肥後文献叢書(一)に「銀臺拾遺」の釈文が掲載されている。読みあわせをしてみると、随分と異同があることが判った。原本と写本の違いがあろうことは理解できるが、こんなに違っていていいのかと思わせるようなところがある。肥後文献叢書は脇に置き、読めない文字が出たときに見ることにした。

重賢公は名君と云われる方だから、「銀台遺事」「銀台附録」「銀台拾遺」をはじめとして、「聞くまゝの記」そのた多くの記録が残されている。
また、明治四十二年に宇野東風の手により発刊された「細川霊感公」は、これらの文書をベースにした集大成の本である。
「聞くまゝの記」は川口恭子氏の手により、著者・中山市之進の文章に解説を加えながら平易な文章で、重賢公の日常を紹介している。(2008・熊日新書)

約40ページに及ぶ上妻文庫のコピーとにらめっこしながら、約三週間で釈文のタイピングを含め資料作りを完成させなければならない。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする