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忠利公ゆかりの春日寺が取り壊されて、どうなるのかと心配していたらなんと再建中らしく、そろそろ棟上げするのではないかというニュースが飛び込んできた。現場を見ていないので、どういう形で再建されているのか判らないが、まずは目出度いことである。
春日寺は岫雲院(しゅううんいん)と呼んだ方が判りやすいかもしれない。忠利公が亡くなった後、ご遺骸を荼毘に付したお寺である。
森鴎外の「阿部一族」に詳しいので、長文だがご紹介しよう。
岫雲院で荼毘になったのは、忠利の遺言によったのである。いつのことであったか、忠利が方目狩に出て、この岫雲院で休んで茶を飲んだことがある。そのとき忠利はふと腮髯の伸びているのに気がついて住持に剃刀はないかと言った。住持が盥に水を取って、剃刀を添えて出した。忠利は機嫌よく児小姓に髯を剃そらせながら、住持に言った。「どうじゃな。この剃刀では亡者の頭をたくさん剃ったであろうな」と言った。住持はなんと返事をしていいかわからぬので、ひどく困った。このときから忠利は岫雲院の住持と心安くなっていたので、荼毘所をこの寺にきめたのである。ちょうど荼毘の最中であった。柩の供をして来ていた家臣たちの群れに、「あれ、お鷹がお鷹が」と言う声がした。境内の杉の木立ちに限られて、鈍い青色をしている空の下、円形の石の井筒の上に笠のように垂れかかっている葉桜の上の方に、二羽の鷹が輪をかいて飛んでいたのである。人々が不思議がって見ているうちに、二羽が尾と嘴と触れるようにあとさきに続いて、さっと落して来て、桜の下の井の中にはいった。寺の門前でしばらく何かを言い争っていた五六人の中から、二人の男が駈かけ出して、井の端はたに来て、石の井筒に手をかけて中をのぞいた。そのとき鷹は水底深く沈んでしまって、歯朶しだの茂みの中に鏡のように光っている水面は、もうもとの通りに平らになっていた。二人の男は鷹匠衆であった。井の底にくぐり入って死んだのは、忠利が愛していた有明、明石という二羽の鷹であった。そのことがわかったとき、人々の間に、「それではお鷹も殉死したのか」とささやく声が聞えた。それは殿様がお隠れになった当日から一昨日までに殉死した家臣が十余人あって、中にも一昨日は八人一時に切腹し、昨日きのうも一人切腹したので、家中誰一人にん殉死のことを思わずにいるものはなかったからである。二羽の鷹はどういう手ぬかりで鷹匠衆の手を離れたか、どうして目に見えぬ獲物を追うように、井戸の中に飛び込んだか知らぬが、それを穿鑿しようなどと思うものは一人もない。鷹は殿様のご寵愛なされたもので、それが荼毘の当日に、しかもお荼毘所の岫雲院の井戸にはいって死んだというだけの事実を見て、鷹が殉死したのだという判断をするには十分であった。それを疑って別に原因を尋ねようとする余地はなかったのである。
その井戸は果たしてどうなったのか、気がかりではある。
熊本駅に近く、また忠利公のお墓がある妙解寺とは隣どおしみたいなところである。由緒あるお寺の再建を心から喜びたい。