津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

石垣原の戦い・12

2013-05-22 07:38:57 | 史料

十三日寅ノ刻黒田衆二千余の人数木付の城を押出す、松井・有吉も手勢を卒し魚住以下の宮津衆捴兵合千余の着到にて打出る、城の留守には松井新助吉長 沼田上野介光長庶子、康之か妻の弟後ニ河内改て蔵之允と云・松井与三 井上紀伊子・後改勝右衛門・村尾勘兵衛 初与茂助・藤村平兵衛・中川下野・井口六兵衛・中川伊与・元嶋豊後等を留て堅く城を守る
    考ニ、松井佐渡守木付へ下向時、馬乗廿一人召連候処、七人ハ興長の供をして関東へ下り、七人ハ木付の城へ残し、七人ハ立石の供に召連しと
    云り、然るに右城を守処の侍八騎にて一人の過あり、但松井新介ハいまた康之家来にてハなく、縁によつて扶持し置、其余の家士七騎なるにや
木付中津の両軍ハ難所を凌き、一騎打にあゆませ行、時枝・井上、野村等の黒田勢手の者のおくれたるを待受け、神尾山と云野山の傍におりたち居たる処に、松井康之来て申けるは 一ニ木付勢ハ所の案内者なれハ神尾山と云処にて下立、如水勢を待受とあり、昨日おの/\へ如水公まちうけんといふをも用ひられす、また此所は越中守領分なり、我等とも先を仕るへきと申をも用ひられす候、此方ハ身にうけたる敵なり、これより立石に一里内外なれハ今よりハ先を仕るへしと申けれハ、井上・野村聞て、我等は跡勢なれハ先手の者に申され候へと答ふ、松井即時枝にむかつて其旨を述けれハ、時枝聞て我々如水の先手として是まて御先をいたし、今少になり後ロ備とならん事思ひも寄らすといふて前後を争ふ、康之眼色のかはるを見て井上・野村中に入、双方の申分無余儀、馬をならへて人数を出さるへきかと申せハ、松井も承引して其旨にまかす、大伴方には黒田・細川の軍勢立石に寄来るよしを聞、宗像掃部・吉弘加兵衛を先として、宗徒の者共大勢を卒し石垣原に出張す、松井ハ士卒をすゝめ下知して先ツ兵粮を遣ハせけるに、時枝か勢実相寺の谷道へ打向ふ、敵の先手竹田津志摩是を見て狼煙を揚れハ、義統の本陳立石にも狼烟を合す、此石垣原ハ南下りにして壱里の野なれとも長ク見へて、横は実相寺山と立石の間弐十丁はかりにして、荊棘ハびこり石高くして足立よからす 関原軍記大成に、石垣原ハ東西一里南北二十四五丁の平野にて目にさはるものなしと云々、康之馬に打乗て桑原才蔵に道筋を見分よと申含め、家士坂本三郎右衛門もつゝいて乗出シ、両人鶴見の村中に入て見れ共、此程の騒動にて百姓等一人も見へす、辻堂の下に乞食の居けるに尋けれハ、如何程の御人数にても此道筋能候と教へ、大友勢打出る事を語けれハ 後に此者を尋けれとも行衛知れすとなり 、三郎右衛門立帰り彼道筋を案内し、実相寺山は打上り、此山高陽の生地なれハとて爰に旗を立備を設く、時枝ハ山谷の道を通り、一手の人数広野に北向に立、井上備は一里はかり隔て陳を張る、大友方も弐間五町計ニなりて味方の備を弓手に見なし、東向に折敷て備を立、木付勢の実相寺山へ押上るを見物す、松井・有吉山上より敵陳を下墨足軽をかけ、時枝か備もともに進ミ敵味方相懸りにせり合を始む、松井家士下津半左衛門ハ夜討の時鑓疵を被りしゆへ、木付に残し置へきと有しかとも、達て断を申、今日の昇を預りて実相寺山の八分目に立る 此山ひきゝ野山にて麓より峠迄五町有 、たとひ千万の働ありとも昇を離レ候ハゝ切腹すへしと申付て馬を進む、半左衛門野中の体を見て昇を山より下す、松井かへり見て使を立、待候へと両度迄云送れハ、先を御覧不被成哉、はや取結ひ鑓きハになり候に不心得と申せは、旗を山に立置事子細あり、不用ハ半左衛門を討て参れ、と近藤弥十郎 正元後号八兵衛 に云付て此旨を申渡によりて、本の如く昇をやまへ打揚る、先手ハ次第に詰寄敵合壱町の内外になる、坂本三郎右衛門是を見て、只今先手鑓を可仕候、是に御陳ハ如何と申す、松井時分を見合馬を乗出せハ、有吉四郎右衛門・魚住市正等同麓へ打出る、大伴勢時枝か備にしきりに鉄炮を打かくるを見て、魚住市正馬乗廻し、組の足軽をすゝめ鉄炮を稠敷打せ、松井・有吉か足軽とももおとらしと打出す、康之馬を早め鉄炮のきわにせまれハ、有吉も馬より下りて鉄炮を取る、時枝の一手ハ敵の鉄炮に打立られて進ミ得す、木付勢ハ互にしり/\と寄けるか、敵合三十間はかりにて敵を打倒せは、康之、見事なり、今一ツ、といへとも二ノ矢を込る隙なく鑓を取る、松井も鑓よといへハ長き鑓来つかす鍵鑓を差出すをおつ取て振直す処に、はや左の方ニて魚住衛門兵衛一番に鑓を合せ不相劣、松井家士中川五兵衛 後改後藤権内伊与子、一ニ五郎兵衛 有重も鑓を合せ各首を取 康之鑓場より少間あり、中津勢の方也 、松井は敵二十はかり鑓長刀にて討て懸るを、鍵鑓にて突はらひ首弐ツ討取り左の手に疵を蒙る、押並んて有吉四郎右衛門大伴方の物頭深須主水と鑓を合せ、組伏せて首を取る、松井と有吉とか間に松井嘉兵衛 後号掃部 ・坂本三郎右衛門、松井か右にて近藤弥十郎、有吉か左に桑原才蔵、其脇に八坂又助、一面に同時に鑓を合、首を取、
    一書、後に吟味の時魚住と中川と互に功を譲りけると云々、又一説、一番鑓魚住衛門兵衛、弐番桑原才蔵、三番松井十文字をつきつけられし也、
    四番有吉も衛門兵衛と立ならんて鑓を合すと云々 

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