津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

史談会5月例会

2013-05-18 14:15:34 | 熊本史談会

                                  

                                             熱心に説明を聞く諸氏

 
                 

                       御物である絵詞の写真判(右手)と見比べながら拝見

 

                 
                 

                         絵には彩色の為の色の指示が為されている。

 

 

 史談会の5月例会は、明治23年宮内庁へ納められ御物となった竹崎季長の「蒙古襲来絵詞」について、旧持ち主であった大矢野氏の現当主(会員)から貴重なお話を伺った。持ち込まれた無彩色の「蒙古襲来絵詞」は、御物となったものの下絵ではないかと思われる。それは御物には書かれていない部分の絵が描かれていたり、筆跡がほとんど同じであったりすることからも伺える。誠に繊細な線や、豊かな表情、行き届いた考証など無彩色故に感動的に伝わってきた。誠に有意義な時間を堪能した。 

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石垣原の戦い・8 (大友義統たつ)

2013-05-18 06:59:36 | 史料

豊後の前屋形大伴(ママ)左兵衛督義統は其配所をゆるされ在京の処一ニ防州ニ蟄居とあり、毛利輝元昔年の好ミあるによりて今度世間物騒の折を以本国にくたり、譜代の家人等を語らひ秀頼公の為に旗を揚、軍忠を抽らるゝにおゐては本領案堵不可有相違之旨、五奉行よりの奉書有之候間、義統悦て同心し、八月下旬中国へ発向有、輝元より武具・足軽・粮米・船以下合力せられ候との儀、木付にも風聞有之候
      一書に、松井・有吉大坂の下知にしたかわす木付ニ籠城するのよし、太田作州より大坂に相告るによつて、案に相違し重而評定有之、大伴義統
      を大坂へ呼寄、今度豊後木付の城に羽柴越中守家人楯籠、逆威を振ふの聞へ有、急き馳下り譜代の家人を集め、国中平均に於てハ本領を賜
      ハるへしとの朱印に、輝元より兵具・船以下迄馳走せらると云々

同下旬、黒田如水木付へ被相越候との使参候間、康之・立行城外迄迎に出候処に、同道にて城に入念比ニ会釈有之、大伴義統下着に於てハ定而当城を攻へし、御両人籠城之上は無心元事ハ無之候得とも、領分之境目巡見の為とて潜に出船いたし、国崎郡之内垣見和泉守か富来城・熊谷内蔵允か安岐城之容体を見、直ニ当城に来り各へ対面し、城之堅固不堅固をも可申談と存、纔に侍五六人召連舟にて来候との事なり、佐渡・四郎右衛門忝由申述、猶当城不堅固の所御下知を承度と申、則如水と城の外を見廻り、要害残る所なしと感せられ、此方の所存をも聞届け、万端同意なるの由にて、若大伴下着して当城を攻るに於てハ、早速加勢有へしと被仰、又舟にて御帰ニ付諸事用意等申付候
      如水記に、此時如水宜ハ、今度越中守当地を加増の地に拝領、何より目出度候、就夫如水推量し候ハ、今度治部少大義を在立ツ志し依有之、
      越中無二之内府公方なり、越州丹後の宮津に大勢にて扣ては大坂の為六ヶ敷敵なれハ、古太閤の御遺言と号し遠国にて領地を被遣ハ、定て
      宗徒の郎等を引分けて可下、左あらは越中守旗本の勢可減、敵の人数を分る方便可有之と思案して、治部少か猿知恵にて斯可計、家康公智
      謀賢き人なれハ夫程の事悟り給ふ間敷にあらねとも、内府公の御心を察し見るに、此乱既に出来たらハ西国は不残敵に成ぬべし、此如水一人
      内府公の方人として中津にあれハ、越中守に木付を遣しなは宗徒の者共可下、然らハ如水か先手共成り、亦ハ一方の助共可成、家康公の御
      為ニハ願所の幸いかなと御工夫有て、不及一議治部少か申旨に任て、当地をハ越州へ為宛行と覚候ハ如何にと宣ふ、松井・有吉承り、扨も
          /\驚入たる御事ニ候、名将の御智謀ハ是程割符を合せたる様に候者かな、今度越中守当地拝領の事先達て家康公・輝元公・利家公・三成公
      会合の時三成被申候ハ、古太閤御遺言ニ長岡越中守に豊後之内にて御加増之地可宛行との御事ニ候、何も御同心に於てハ上意の趣可申渡
      由被申、其時何も御合点にて斯ハ成行候、後ニ内府公被仰聞候ハ、今度治部少か謀にて貴方に木付を遣す、貴辺の人数を分ル方便なり、此旨
      を察す、然共西国の味方ハ黒田如水一人なり、貴方に木付を遣し宗徒の者を下し置ならハ、如水か先手とも可成なれハ、味方の為には願処の
      幸哉と存、早く其儀に同す、相構て手前の無勢成事を不思、宗徒の兵を西国へ可下と被仰、今如水の御心中内府公と少も違ふ所なし、と頭を地
      に付奉感なりと云々偽説明白なり 

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