津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

ガラシャ夫人御生害 ・7  (金津家のこと)

2013-05-07 07:46:58 | 史料

金津助次郎正直一ニ助十郎正美、此赴きハ孫太郎文次方先祖附之趣也、正美も孫太郎先祖附に見へたり、御中小姓と有は孫太郎方なり 其祖未考、生国ハ越前之由明智光秀に奉公、秀林院様御輿入之時御附人にて三人扶持十石之歩也 一ニ御中小姓 御小人の頃いたし候由、此儀明智家にての事ニ候哉、不分明

     考ニ一書、金津助次郎明智殿にて弐百石と有ハ誤なるへし、又一書、先祖長左衛門生国越前本国ハ丹波之由、明智家にて五百石、其子助次郎
     正直と云々、未詳、又一書、丹波に来光秀ニ奉公と有、又一ニ、三齋様御代歩御小姓ニ而秀林院様に御附被置と有

助次郎ニ男子弐人有、此節之義死を御感なされ、秀林院様七回御忌御法事の砌弐百石宛拝領、嫡子助次郎十一歳、二男又十郎九歳なり

     一書、此時との字の紋所を被下候、是歩かとに成たるとの心となりと云々、家記ニハ立物紋所をも拝領とはかり有、又一書、助次郎殉死の時男子弐
     人十二歳と三歳なりと云々、又一書ニ、殉死いたし候を助十郎と云て、堀内傳右衛門覚書に、三齋様豊前小倉にて秀林院様御年回ニ御参詣被成候
     て御帰座以後に、金津助十郎子共成人仕候哉と御尋被遊候、兄十次郎十一歳、弟又十郎九歳と申上候得は、即日兄弟共ニ弐百石宛被為拝領、松
     井殿より兄弟ニ青貝の鞍鐙給り候由、老父に又十郎咄被申候、誠以旧功を被思召出、十一歳九歳の子供ニ如是之儀ハ御家中侍中何れも同前に有
     難事と書付置候と云々、考ニ助次郎助十郎と名前相違いたし候、金津家より上達いたし候先祖附の趣を以大概本文に用申候

助次郎正守嫡子を十次郎、二男又助と云、十次郎ハ豊前にて御中小姓、肥後御入国の上別録百五拾石被下候、親助次郎正保参年病死、跡目弐百石十次郎拝領、初メ被下置候百五拾石ハ弟又助ニ被下候、十次郎守政子十次郎守次、其子十次郎正元、其子十次郎正春、其子今の孫太郎正澄まて六代弐百石無相違被下置候、又十郎正経子助十郎正純、其子又十郎正之、其子助之進正貞、其子実ハ弟又四郎正次、其子助之進正知、其子今の千次正満まて七代弐百石無相違被下置候、又助次郎二男又助正則儀御中小姓被召出候処、兄十次郎ニ被下置候百五拾石を直ニ又助ニ被下、其子左次兵衛正之、其子又助正時、其子今の又之允正輝まて四代百五拾石無相違被下置候、金津か同苗三家当時まて全く相続仕候、孫太郎・文次・又之允皆助次郎正直か子孫なり

 

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