津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

おきく物語

2009-06-17 10:44:39 | 書籍・読書
                        雑兵物語 おあむ物語
 
                    昔「日本の古本屋」で手に入れました。
                    古い本ですがなかなか面白いですよ。
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細川家家臣・田中(祖・意徳)家

2009-06-17 10:13:50 | 歴史
 家祖意徳(以得)は忠利の愛宕山時代の学友、淀君に仕えた祖母お菊の大阪城落城のありさまを「お菊物語」として語り伝え、最後は忠利に殉じた。
二代目・甚右衛門は甥に当る人で父親は永野一閑、長くその人物について判らなかったが、詳しい系図を発見した。それは一閑が転び切支丹であったからだ。熊本城下で生涯を浪人暮らしをしたようだ。

■意徳(以得)
 元来上方出生之者ニ而、いまた御家に不被召出幼少之節、妙解院様(忠利)於愛宕山
 御学文被遊候節(文禄三年五月愛宕山福寿院に御登山、慶長三年二月御帰国被成候
 --吉山市右衛門家記)御一同ニ学文仕候処、昼夜御出精被遊、意徳儀段々心を付奉り
 御介抱仕上申候、或時御側近被召寄、御出家可被遊旨御内意被成下候間、乍恐最三
 御留申上候、右之儀共後ニ御満足被為思召上、以後被任御心候節は御知行をも被下、
 御懇ニ可被召仕之旨、度々御意被成下候、然共御互ニ幼年之儀故其後意徳は存懸も
 無御座候処、於豊前御代に成早速意徳を上方より被召寄、御知行弐百石被為拝領候
                          (綿考輯録・巻二十八)
 【忠利殉死】 
 寛永十八年六月十九日 五人扶持廿石 六十三歳
       於・坪井泰陽寺 介錯・加藤安太夫 
       跡式妻子に五人扶持家屋敷  忠利代豊前召出、忠利愛宕山学文の時に附らる

 【祖母菊についての「阿菊物語」】 
    www.enkoji.jp/okiku/1716.html
       古文書を読む勉強にもなりますから、どうぞ御覧下さい。
         そして大坂城落城の様子が大変興味深く記されています。

    www.konan-wu.ac.jp/~kikuchi/nihon/okiku.htm

 浅井家1200石  大坂城戦死
  山口茂助---茂左衛門---
                  ∥
                  ○---○---+--田中意徳===甚左衛門
                          |            ↑
                          +--永野一閑---甚左衛門

■甚左衛門(養子 実・意得弟永野一閑嫡子)  
       御詰衆 二百石 (真源院様御代御侍名附)
       二百石 (真源院様御代御侍免撫帳)
    田中意徳か甥、大阪ニ浪人にて居候処、原城に来働有、御時服、御銀等拝領、大阪に
    帰居申候、意徳男子無之候ニ付、甚左衛門被召出弐百石拝領(綿考輯録・巻五十)
コメント (2)
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