先祖附を見ると、 初代
吉岡掃部助---甚吉(甚橘・椎原五郎右衛門)---瀬兵衛 とある。
∥
妙林尼
吉岡氏は豊前大友氏の庶流である。
武家家伝-吉岡氏 www2.harimaya.com/sengoku/html/ot_yosioka.html
吉岡氏 www.h5.dion.ne.jp/~mibuturi/har-h/h-yosioka.htm
天正六年耳川の戦いで、大友軍は島津氏に壊滅的な大敗をきし、以降島津氏の攻勢に曝されるが、天正十四年の島津進攻に際しては甚橘は大友宗麟に従っている。鶴崎の留守を守った母・妙林尼の活躍振りは、「豊前の尼御前」と称されて有名である。大友家の没落と共に浪人し、息・瀬兵衛が細川家に召し出されるのは元和七年(1621)のことである。
吉岡掃部助---甚吉(甚橘・椎原五郎右衛門)---瀬兵衛 とある。
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妙林尼
吉岡氏は豊前大友氏の庶流である。
武家家伝-吉岡氏 www2.harimaya.com/sengoku/html/ot_yosioka.html
吉岡氏 www.h5.dion.ne.jp/~mibuturi/har-h/h-yosioka.htm
天正六年耳川の戦いで、大友軍は島津氏に壊滅的な大敗をきし、以降島津氏の攻勢に曝されるが、天正十四年の島津進攻に際しては甚橘は大友宗麟に従っている。鶴崎の留守を守った母・妙林尼の活躍振りは、「豊前の尼御前」と称されて有名である。大友家の没落と共に浪人し、息・瀬兵衛が細川家に召し出されるのは元和七年(1621)のことである。