津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川家家臣・吉岡氏

2009-06-04 08:10:10 | 歴史
 先祖附を見ると、                    初代
  吉岡掃部助---甚吉(甚橘・椎原五郎右衛門)---瀬兵衛  とある。
     
    妙林尼

 吉岡氏は豊前大友氏の庶流である。
    武家家伝-吉岡氏   www2.harimaya.com/sengoku/html/ot_yosioka.html
    吉岡氏   www.h5.dion.ne.jp/~mibuturi/har-h/h-yosioka.htm

 天正六年耳川の戦いで、大友軍は島津氏に壊滅的な大敗をきし、以降島津氏の攻勢に曝されるが、天正十四年の島津進攻に際しては甚橘は大友宗麟に従っている。鶴崎の留守を守った母・妙林尼の活躍振りは、「豊前の尼御前」と称されて有名である。大友家の没落と共に浪人し、息・瀬兵衛が細川家に召し出されるのは元和七年(1621)のことである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

未確認なれども

2009-06-04 08:07:35 | 歴史
 細川家家臣・村井氏の「家臣略系譜」を見ていたら、家祖を村井長門守としている。
「なにー」・・・今迄全然気付かなかったが、信長の下京都所司代を勤めた、あの村井定勝のことだろうか。本能寺の変に当っては、本能寺前の自宅にいたが難を逃れている。織田信忠の下に駆けつけ、二条新御所に移動して明智軍に対したが、信忠と共に討ち死にした。あいにく村井家の先祖附が手元にないので、確認のしようがないが・・・しかしありうる話ではある。
     ja.wikipedia.org/wiki/村井貞勝

 先祖附を見るのが楽しみだー。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする