津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

「勝海舟・阪本龍馬の銅像と歌碑を建てる会」

2009-06-09 12:42:04 | 徒然
 文久四年は二月廿日に改元、元治元年となった。まさにそんな中、勝海舟は坂本龍馬を連れて、豊前佐賀関から鶴崎、野津原をへて熊本に入っている。そして長崎へと至る旅は、英・仏・蘭の軍艦による下関攻撃のきざしを抑留談判するという目的があった。(私の手元のささやかな史料では、その詳細を知ることは出来ないが・・・)

 海舟は『海舟日記』に詳しくこの豊後街道の旅を記録している。
文久4年2月7日、長崎へ御用のため出張を拝命、2月14日神戸出帆、瀬戸内海より2月15日蒸気船で豊後佐賀関に着船、徳応寺へ止宿。16日細川藩領豊後鶴崎の本陣に宿す。17日同・野津原に宿す。18日同・久住に宿す。19日には熊本の横井小楠の元へ龍馬を遣わし、20日内の牧(阿蘇)に宿して翌日熊本へ至っている。21日高橋(熊本)乗船、此夜島原へ至る。払暁(22日明け方)島原着船、会津に宿。23日長崎着、福済寺、旅宿。これより4月3日まで長崎滞在、4月4日長崎出立、5日島原着、6日島原発熊本着、肥後侯より使者あり、龍馬を横井小楠方に遣わし、10日佐賀関着11日出帆帰路についた。
 (来年の大河ドラマでは、是非ともこの旅のシーンを放映してもらいたいものだ)

 そんな海舟や龍馬の足跡を銅像や歌碑を作って顕彰しようと、大分の旧・細川藩関係の有志の方々が頑張っておられる。ぜひサイトを御覧頂きたい。
   【 panorama.photo-web.cc/katusakamoto/index.html 】
すばらしい企画に万艱の拍手をささげるものである。

 「海舟日記」の内容は上記サイトを御覧頂きたいが、海舟は細川藩の治世の素晴らしさを称えているのである。近代史家によって肥後の幕末史は大変ゆがめられて伝えられているのではないか。大いに勉強をして、その間違いを正していかなければならない。

 
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歴史講座

2009-06-09 08:58:33 | 熊本
熊本市立図書館・郷土史講座予定(6月~9月)
                        時間:午後1時30分~3時30分
                        会場:市立図書館ホール(2階)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   6月12日(金)
    肥後藩士・木村鉄太の世界一周記
      -横井小楠と肥後実学党- 高野 和人 さん (郷土史家)

   6月26日(金)
    細川重賢、上杉鷹山の改革への道
      -第1回 危機の認識・政治財政改革- 酒井 昭治 さん (文学研究者)

   7月10日(金)
    明治維新の犠牲 荒木 栄司 さん (郷土史家)

   7月24日(金)
     肥後の関ヶ原合戦 荒木 栄司 さん (郷土史家)

   8月7日(金)
    細川重賢、上杉鷹山の改革への道
      -第2回 農村振興殖産興業- 酒井 昭治 さん (文学研究者)

   8月21日(金)
     幕末肥後の砲術家・物理学者「池辺啓太」 平田 稔 さん (郷土史家)

    9月11日(金)
     細川重賢、上杉鷹山の改革への道
      -第3回 学問教育の奨励- 酒井 昭治 さん (文学研究者)

   9月25日(金)
    肥後熊本郷土史の草わけ
      -北嶋雪山の『国郡一統志』- 高野 和人 さん (郷土史家)

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